投稿日:2014年2月3日|カテゴリ:コラム

福島原発事故によって排出された膨大な放射性汚染物質の中間貯蔵施設が未だに決定されていない。他県の候補地では政府の発表がされるやいなや住民の猛反対にあって計画はたちまち頓挫した。地元福島県内の貯蔵施設でさえ未だに決定できないでいる。
中間貯蔵施設と言うが、中間とはいつまでなのか?はたまたその後の最終処分施設はどこにいつまでに作られるのか?という当然の疑問に、何一つ明確に答えられないからだ。
国 は30年以内に県外の最終処分地に移すことを法律で定めるとして、住民の了承を得ようとしているが、中間施設でさえ断固拒否されているのに、最終処分施設 を受け入れる地域があるとは考えにくい。結局は、なし崩し的にいつまでも中間貯蔵施設に汚染物が山積み、放置されるのでないかと懸念される。住民の賛意を 得られるわけがない。
この問題が解決しないと周辺地域の除染作業も事故炉の解体作業も進めることができない。一連の作業によって排出される大量の汚染物を処理できないからだ。
原発即時撤廃を叫ぶ者も、原発維持を主張する者も、処分施設の問題を避けて通ることはできないはずなのだが、両者ともこの問題については多くを語りたがらない。議論の多くは代替の再生可能エネルギーや経済効果について費やされている。
なぜならば、この問題に対する円満な解決法がないからだ。口を開いたとたんに多くの人からブーイングを浴びせられること間違いなしだ。
一体どこに汚染物を集積すればよいのだろうか。私は、放射性汚染物質を排出し続ける福島第1原発を中心とした地区以外にないと考える。すでに汚染されているこの地区に周辺からの汚染物を集積し、国土の汚染を極力限定したほうがよい。これ以上拡散させてはいけないからだ。
今現在汚染されていない土地にわざわざ汚染物を持ち込んで、それでなくても狭い我が国土の利用不能面積を拡大するのは愚の骨頂というものだろう。こう考えるのは私だけではないと思うのだが、皆言い出せないでいる。
な ぜならば、弱者を鞭打つような言動はタブーだからだ。ことに我が国では「窮鳥懐に入れれば猟師も殺さず」という諺があるように、弱い者はどんな場合にも助 けられるべきという「建前」が根強い。たとえば、自動車と自転車との交通事故。自転車がどんなに無謀な運転をしていても、より強いとされる自動車側の方に 加害責任を求められる。
双葉郡周辺の人々は、福島第1原発事故における最大の被害者であり、現在も避難を余儀なくされている弱者である。この人た ちに「ここにはもう住むことはできません。他の地へ移住してください。」と言い渡すことは、きわめて残酷な行為だろう。ましてや、その原子炉のおかげで快 適な生活を享受してきた東京の人間の口から言うのは至難の業だ。
しかしそれでも、我が国の、そして私たちの子孫の将来を考えるならば、土下座してお願いしなければならない。「これからの日本のために犠牲になってください」と。それに、どんなに表土を取り除いたって、あの地に安心して住むことは不可能だ。
避 難している人々に「、もうすぐ戻れる、あとちょっとで戻れる」と、あてのない蛇の生殺し状態を続けさせるよりも、はっきりと現実を告げて、一刻も早く新天 地での生活の決断を促した方がよい。そして新生活に向けて全面的にバックアプする方が彼らのためにもなるというものだ。
それを言えるのは今の安倍 さんをおいて他はない。高い支持率を背景に増税、安全保障などを大胆に推し進めている安倍さん。その支持率が低下する前に是非とも、汚染物処理施設問題に 決着をつけてほしい。嫌われて票を失うこと間違いなしの課題は今の安倍さんにしかできないのではないだろうか。
さらに、一歩踏み込んで、即座に原発を廃止し、地層的に安全であると口を酸っぱくして主張している各原子力発電所を放射性廃棄物の処分場に転換すると宣言してほしいものだ。そうすれば安倍晋三は、ただ威勢のいいほら吹きで終わらずに歴史に名を残す宰相となれるだろう。

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