投稿日:2010年9月27日|カテゴリ:コラム

むかしむかし、天照大神は天若日子に荒神に服従を服従させるという任務を与えて葦原天国に赴任させました。それにも拘わらず、天若日子は8年もの間、天照の命を果たそうとしませんでした。これに業を煮やした天照大神は詔勅を持たせて雉名鳴女を天若日子の元へつかわせます。ところが天探女(あまのぐさめ)がこの詔勅使の派遣の動きを察知して事前に天若日子に伝えます。このために雉名鳴女は天若日子に矢で射落とされてしまいました。古事記や日本書紀などの日本神話に登場するこの天探女(あまのさぐめ)はその名の通り、人の心や未来を探ることができるシャーマンが神格化されたものだと考えられます。
その後、我が国に仏教が渡来すると、天探女は四天王や仁王に踏みつけられる悪鬼、「天邪鬼」と同一視されるようになりました。つまり人の心を読んでそれと反対のことをする人間の煩悩の象徴とされたのです。
現在では、「他者の思想や言動を確認した上で、あえてこれに逆らうような言動をする、ひねくれ者」あるいは「本心に素直になれずに周囲に反発する人」、またはそのような言動を指して「天邪鬼」と称するようになりました。
煩悩から解き放たれることを解脱と言いますが、解脱はゴッダーマシッダールタ(釈尊)が成し遂げましたが、彼の後、解脱を成し得た人は皆無だと思います。つまり、私たち並みの人間の心の中には多かれ少なかれこの鬼が棲みついています。ちなみに私の心の中はこの鬼だらけだと自負しております。
煩悩から解脱できて悟りを開くことができれば、それはすばらしい理想像なのでしょうが、現実にはまず不可能と考えられます。下手にそんなことを望むと麻原彰晃のような天邪鬼以上の悪鬼に引っかかって、悟りどころかこの世の地獄を味わうことになるのが落ちです
むしろ、人間とはどんなに頑張っても煩悩の虜なのであるということを素直に認めるところから出発する方が利口な生き方だと思います。言い方を換えれば、煩悩とはまさに人間らしさそのものと言えるからです。自分が人間以上でもなく、人間以下でもない存在であるという事実を素直に認めることこそが、この世に受けた生を全うするために最も大切なことなのだと思います。
すなわち、天邪鬼を追い出そうなどという身分不相応な努力に無駄なエネルギーを費やすのではなく、天邪鬼を腐れ縁の悪友と考えて、この鬼の性格を理解してうまく付き合うことを目指すべきなのです。

人間を人間たらしめる煩悩の原因が、他の動物と著しく異なる部分、すなわち特異に発達した大脳皮質の特性によるということは容易に理解できるでしょう。つまり、異様に発達した大脳皮質に天邪鬼が棲みついているのです。そして、この鬼が実にさまざまな不都合をしでかします。
たとえば、私が臨床の場でよく見受ける、なかなか寝付けない就眠障害。明日、大事な用事があるから早く寝なければと思ったとたんに、逆に眠れなくなるものです。
戸締りを忘れていないか気になって何度も何度も確認してしまう。今さっき確認したばかりなのだから、もう大丈夫なはずなのに気になって仕方がないので、再び家に戻って見直してしまう。その上、そんなに気にしちゃいけないと思えば思うほど気になってしまいます。こういったこともすべて、頭の中にいる天邪鬼のなせる技なのです。
この鬼は特に「否定型」の命題に対して、より強力な攻撃力を発揮します。英語で表現すると「 Don’t …… 」で始まる命令を聞くと、待ってましたとばかりにちょっかいをだしてきます。
ゴルフをやったことのある方は、キャディさんから「右はOBですから、右へは打たない方がいいですよ」と言われた時に限って、球がブーメランのように右へ曲がってしまうという体験がおありではないでしょうか。また、それまで順調に回ってきたのに、目の前の池を見てしまって、「ここに入ったら大変」と思ったところ、絶対にやってはいけない大ダフリ。あえなく球は水の中。こんな経験も多いのではないでしょうか。
これは、頭の中に「右へ打ってはいけない」、「ダフってはいけない」という指令が伝わった途端に、天邪鬼が動き出して、スライス球を打つように、ダフルように脳を操作するからです。
お釈迦様ならOB杭、池、バンカーなどの存在を気にせず、心騒がずにプレイされるでしょう。しかし何回も言いますが、私たち凡人の心から天邪鬼を追い出すことは不可能です。次善の策としては、「肯定型」の命令を出してあげることです。つまり、「ここは左の方に打つとすばらしい」、「ハーフトップしてオーヴァーしても大丈夫」と考える方が失敗は少ないようです。
この傾向は何もゴルフに限った事ではありません。「この大事なプレゼンで失敗したらどうしよう」、「あがってしまってうまくしゃべれなかったらどうしよう」と考えれば考えるほど、焦ってろれつが回らなかったり、どもってしまったりします。少しくらい聞きづらくても内容がしっかりしていれば問題ないのですが、「あっ どうしよう、舌が回らない」、「これじゃ失敗してしまう」、「どうしよう、どうしよう」、「このままじゃいけない」と思い出したらさらに悲惨な状況に突入です。次から次へと否定型の指令を発してしまう結果、鬼たちがさらに大暴れ。最後は頭の中が真っ白になって、もう何をしゃべっているのかさえ分からなくなってしまいます。
こういう場合には「このプレゼンをうまくやったら課長からの評価は跳ね上がる」と考えたり、うまくいって拍手喝采を浴びている自分の姿をイメージする方がうまくいきます。子供のしつけや学校教育の場においても、叱るよりも褒めた方がうまくいくのも天邪鬼が関係しているからです。
天邪鬼は「ダメダメ」と禁止されたり叱られると活発に動き出し、「すごいね」と褒められると退屈して居眠りするようです。
最もやっていけないのは、煩悩なんてあってはいけない、自分は煩悩とは無縁だと、自分の中の天邪鬼の存在そのものを否定することです。そんなことをすると鬼は命がけで反発します。
人前で上がってしまう自分、人から嫌われたくない自分をいけないと考えずに、それが人間の現実の姿であることを認めることから始めましょう。つまり、まずは自らが凡人であるという厳然たる事実。すなわち、自分の中の天邪鬼の存在をあるがままに認めることです。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】