投稿日:2007年6月3日|カテゴリ:コラム

前回は、自分が所属する「産ませる装置」の立場からみた場合、繁殖に至るまでの行動原理のほとんどが種をこえて共通していることを説明しました。では、「産む装置」であるメスの行動はどうなのでしょう。
メスの行動、とくに人間の女性の行動心理は私にとっては未だに不可解な謎の部分が多く、この年になっても冷静に判断できず、誤解をくりかえし、ふりまわされていますので、あまり偉そうな解説はできません。ですから、ヒト以外の動物たちのメスの行動を観察することによって推しはかるしかてだてがありません。
ヒトと一部の霊長類を除くと、一般的にメスは一定の時期にしかオスの生殖行動を受け入れようとしません。その期間を発情期と言います。この発情期は一年のうちの一定期間しかないのです。生殖行動をするかしないかの決定権はメスが握っているのです。オスはメスの許可がおりるのを今か今かと待ち続けているしかありません。
実は恥ずかしいことに最近まで、発情とはオスのほうにおこる現象だと思っていました。数年前に、知人の猫の専門家の方から、発情とはメスにおこる現象であることを教えられて、目から鱗が落ちた思いがしたのです。
というのは、息子が小さい頃、ボーイスカウトにお世話になったことがありました。父親である私もリーダーとやらにかり出されて、2年ほどボーイスカウト活動をしたことがあります。
そのボーイスカウトの標語の一つに「備えよ常に」ということばがありました。私はあさはかにもそのことばを、いつ遭遇するか分からない事故や天災に対して不断に備えていなさいと言う意味の標語だとしか理解していなかったのです。
しかし、発情がメスにあるという事実を教えられた時に、この標語がじつに深い意味を持っていることに気がつきました。ボーイスカウトでは事故や天災に対してだけではなくて、幼いときから、男としての女性に対する心構えをも教えていたのです。「備えよ常に」。
ボーイスカウト関係者の方々ごめんなさい。冗談はさておき、発情期でない時のメスはオスとおなじように自立した生活をしています。集団生活をする動物はオスとメスに多少の役割の違いはあるものの、基本的には自分自身が生きていくための空間と水や食料を確保することに専念しています。
発情期になるとそれぞれの方法で「もういいよ」とオスに遺伝子を交換する時期になったことを知らせます。それを察知したオスはこの日のために鍛えておいた得意技を駆使して、自己アピール。なんとか自分の遺伝情報を受け取ってくれるお相手を得ようと懸命の努力をします。
自分の強さを誇示するために胸を叩いて、歩き回るゴリラ。色鮮やかな羽を広げて、自分の美しさを踊りで表現する鳥。巣作りのうまさで認められようとする者。美声で愛の歌を絶唱する者。種によってじつにさまざまな求愛の方法がとられます。
ここでも相手を選ぶ決定権を握っているのはメスのほうです。オスがいくら懸命な求愛のサインを送っても、そのメスにとって好みでなければ、あっさりと断られてしまいます。
種の保存はあくまでメスが主導権を握っているのです。以前、染色体の形からいってオスのほうはできそこないみたいなものと言いましたが、生命の主導権はやはりメスにあるようです。パワーの点でもメスのほうが勝っているように思います。
遺伝子の交換、すなわち受精が行われた後の両者の生きざまを見ると、メスとオスのパワーの差がはっきりしてきます。
多くの生物の場合、遺伝情報提供役のオスは提供後の存在価値はほとんどありません。極端な例としてはカマキリのオスのようにメスの産卵のための栄養として食べられてしまうものもいるくらいです。
一方、遺伝情報受領型生物であるメスは受精後、次代を外界環境に耐えられうる段階にまで発達させるという重要な仕事を果たさなければなりません。
哺乳類を初めとして胎性の動物では、胎児という新たなる命を自分の体内で、外界のきびしい環境に耐えられるまでに成長させなければなりません。
そのために、これ以上安全で快適な場所はないと思われる子宮の中で、胎盤という組織を通して、わが子に何ヶ月も酸素や栄養を補給し続けます。まさに、わが身を削って、新しい生命を育むのです。
にもかかわらず、大きくなった胎児はやがて恩知らずにも「こんな狭いワンルームマンションはもういや、お庭のある広い一軒家がほしいわ」とわがままな要求を主張します。母はその要求を快く受け入れて、自分の死の危険を賭けて出産という一大イベントを敢行します。メスはパワフルなわけです。
哺乳類の場合には、出産後もしばらくの間は汗腺を特殊に発達させた乳によって、豊かな栄養と免疫力をわが子に補給します。オスの冷や汗なんか何の役にも立ちません。
さらに、野生の動物の世界を見ると、子供を守るために、自らは傷だらけになりながらもあらゆる外敵と戦います。ライオン、象、シマウマ、イルカ等々。子育てをするメスの姿には種をとわず、神々しいばかりの美しさを感じてしまいます。周囲から賞賛されようとか、将来子供に感謝されたいなどと言う不純な思いをともなわない無償の愛の行動だから美しいのでしょう。
ここまで読んでくると、受精後のオスはいかにも情けない無用の存在のように思われるでしょう。たしかに、下等生物では受精後のオスはまったく必要のない存在です。そこで寿命をまっとうするか、次のメスに遺伝情報を伝えるべく、放浪の旅に出るかしかありません。
しかし、複雑な社会を構成して生きている高等動物の世界では受精後のオスにも立派な役割が待っているのです。すなわち、生きる意味が与えられているのです。男性諸君安心したまえ!
社会的な生き物としてのヒトの性の役割については次回お話します。

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