<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>クリニック西川 東京都 豊島区 大塚 精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科 往診 うつ病 パニック障害 認知症 メンタルクリニック</title>
      <link>http://www.clinic-nishikawa.com/</link>
      <description>東京都豊島区大塚駅近くにて精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科の診療をしているクリニックです。訪問診療も行っております。お気軽にご相談下さい。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Mon, 30 Jun 2008 10:48:18 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>アスペルガー症候群</title>
         <description><![CDATA[退陣間際の安倍前首相を揶揄して「ＫＹ」という言葉が流行りました。ＫＹすなわち「空気が読めない」の略で、安倍前首相が国民からの要望をまったく理解していないかのような発言をくり返していたためにそう言われたのです。<br />
「空気を読む」ということは、人とのコミュニケーションの中で相手の身振りや表情、その場の雰囲気、状況の流れから推察して、言語そのもの以外のメッセージを相手から読み取るということだと思います。<br />
社会的動物として生きる人間にとってはかなり重要な能力と言えます。まして、アメリカのような多民族、他宗教国家と違って、長い間、単一の言語、単一の文化を守り続けてきた日本では「言わずもがな」とか「空気を読む」という能力がより強く要求されます。日本に限らず、一々言葉で事細かに説明しないと了解できない人は馬鹿にされ、仲間はずれにされやすいことは世界中どこででも言えることだと思います。しかしよく考えてみると、この仕草や状況、雰囲気から相手の心を読み取る能力は、当に高度で洗練された知的機能です。<br />
<br />
1944年オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー（Aspeperger.H）が特徴的な自閉症の児童の一群を報告しました。しかし、同時期（1943年）にアメリカの精神科医レオ・カナー（Kanner.L）がやはり幼児の自閉症の一群についての報告をして、早期幼児自閉症（Early Infantile Autism）という概念を作りあげていったので、当初アスペルガーの業績はドイツ語圏では反響を呼んだものの、世界的にはあまり注目されませんでした。1980年代から徐々に再認識されるようになって、1990年代になって世界中の注目を浴びるようになりました。<br />
自閉を示す発達障害に関してはアスペルガー症候群、カナー症候群のほかに、高機能自閉症、低機能自閉症、サヴァン症候群、自閉性障害などの用語があって、それぞれの定義があいまいであったり、各疾患間に明確な境界線を見出せないために混乱しています。<br />
現在はこういった発達障害を自閉症スペクトラムとして捉えて、高機能自閉症はアスペルガー障害と、低機能自閉症はカナー症候群とほぼ同義であると言ってよいでしょう。アスペルガー症候群とカナー症候群とは主として知的機能（知能指数IQ）の高低によって区別されます（図1）。<br />
すなわち、アスペルガー症候群は知的機能が正常あるいは高いにも関わらず極度に自閉的な人です。妊娠中、周産期および出産時に大きな異常はなく産まれ、乳児期も正常な発達をします。幼児期の言語発達にも遅れは認められませんが、5歳くらいまでには通常の児童とは異なる徴候が現れてきます。そして、青年期、成人期を通して異常が持続します。養育環境などに大きく左右されないことから生物学的な発達障害と考えられます。<br />
<img src="http://www.clinic-nishikawa.com/images/imagea001.gif" alt="imagea001.gif" width="443" height="181" />
<br />
―図１―（ウィキペディアより引用）<br />
アスペルガー症候群の特徴的な症状は以下の６つに要約されると思います。<br />
<strong>1.他者と相互に関わるための社会的な能力の著しい障害：</strong>人としての共感能力に欠け、他人の感情や考えを理解して相手の心の動きに適切に反応しようという本能的な衝動が欠落しています。また、社会で暗黙の了解となっているようなサインを認識することができません。アスペルガー症候群の人たちは自分自身の現実にだけ心を奪われているのです。このために、他人の感情を察知できないで、情緒的にも社会的にも不適切な行動をとってしまいます。妥協、複雑な動機、その時々で変化する心身の状態、条件付の主張、不確実な感情といった曖昧なものごとを理解することができません。真実か虚偽か、善か悪か、正直か嘘か、必ず黒白をつけて考えないと理解できないのです。<br />
人間関係を円滑にするための技巧を持ち合わせていない人は、愚直なほど正直で率直な人、無垢で誠実な人と受け止められることもありますが、多く場合は無神経でぶしつけ、自己中心的で他人に対する配慮に欠けた人として疎んじられ、遠ざけられます。結果として仲間や友人を作ることが困難です。<br />
アスペルガー症候群の人たちは、この障害がほとんど啓蒙されていないために、社会の中でさまざまな不利益を受けていると考えられます。<br />
<strong>2.非言語コミュニケーションの障害：</strong>言語以外の手段のコミュニケーションが著しく障害されています。目と目で見つめあうアイコンタクト、表情、姿勢、身振り手振りなどのボディ・ランゲージがうまくできません。このために目を合わさないで話したり、逆にじっと見据えて相手に緊張感を与えてしまったりします。喜怒哀楽、その場の状況に相応しい表情ができないで、こわばったままでいます。ジェスチャーも奇妙で、話している内容に不相応な奇妙な動作をします。<br />
人間のコミュニケーションは言語を用いて行われていますが、キャッチボールしている内容は言語そのものよりも表情やボディ・ランゲージを介して伝わるニュアンスのほうが圧倒的に大切であるということが心理学的に言われています。アスペルガー症候群の人たちは言語そのものの表わす定義を字句通りにしか理解できないので、一般社会ではかなり不都合を生じると思います。<br />
<strong>3.奇妙な話し言葉と言語感覚：</strong>会話は抑揚や強弱の置き方が普通の人達とは変わっていて奇妙な印象を与えます。話すときも書くときも堅苦しい学術的な言葉遣いをする傾向があります。話している時に相手が理解しているか、もうその話題に飽きているかといった反応を察知できないために一方的にしゃべりまくるか、ほとんどしゃべらないか、極端に走ります。また、相手の言葉を字義通りに受け取るために、皮肉やユーモアを理解するのが苦手です。ユーモアを持ったとしてもそのユーモアは通常の人の感覚とは違ったユーモア感覚のために、相手はまったく可笑しくなかったり、神経を逆なでされることが少なくありません。<br />
幼小児期には相手の言葉をオウム返しにする「反響言語」が見られることもあります。成人になると同じことばを何度もくり返す「保続症」のような症状が見られることもあります。<br />
<strong>4.きわめて狭くて限定された領域への興味・関心：</strong>きわめて数少ない興味・関心の対象に対して異常なほどの集中力で没入します。ごく限られた自分の関心事以外のことにはまったくと言ってよいほど無頓着です。また、その興味の内容や現れかたには繰り返しの傾向が認められます。つまり、ごく限られたことに対して強迫的かつ常同的に寝食を忘れて没頭するのです。したがって、興味の対象が有益なことであった場合には偉大な業績を残すことがあります。この特性が、アスペルガー症候群の人の中から歴史上の偉人を生み出す結果になります。<br />
<strong>5.反復的、常同的な行動：</strong>特定の日課や儀式をかたくなにこだわって常同的にくり返します。毎日の決まりきった行動を何かの原因で阻まれて、いつも通りに日課が果たされなかったりすると、ひどく動揺します。パニックになることも少なくありません。そういった行動は内容だけではなく、時間にも厳密です。必ず時間配分を決めてそれにしたがって行動したがります。物を収納する場所もいつも自分が決めている場所でなければ気がすみません。食べ物もいつも同じものを食べるのを好みます。服装も時や場所、季節とは関係なく強迫的に同じ服着たがりますので、放っておくと外観にはまったく無頓着と捉えられてしまいます。<br />
<strong>6.運動が著しく不器用：</strong>種々の運動能力が劣っているだけではなく、歩く時にもぎごちなくて普通に腕を振れなかったり、靴の紐が結べない、話をしている間の何気ない動作や拍手といった、普通の人がいとも簡単に行える動作を円滑に行うことができません。<br />
<br />
アスペルガー症候群の人はいったいどのくらいいるのでしょうか。アスペルガー障害の正確な診断をすることができる医師が少ないこと、また他の発達障害との境界が不明確なことなどから正確な数字は出ていません。一説には300～400人に1人と言われています。この計算ですと我が国では30万～40万人のアスペルガー症候群の方がいることになります。もう少し広い概念から計算すると120万人とも言われています。<br />
ともかく発達障害のために社会に適応することに困難を感じている人は想像以上に多いものと考えられます。<br />
男女比をみると圧倒的に男性に多く、男：女＝8：1とも言われています。この理由としては女性のほうが元来社会適応しやすいからだとか、脳の発達期に男の脳のほうが外からの侵襲を受けやすいからだとか言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。<br />
アスペルガー症候群の人の多くは社会適応能力の欠如から、仲間が作れずに、疎んじられて苦しい目にあっています。学校などでもいじめの対象になっていると思われます。<br />
しかし、幸運にも彼らの特性である4.と5.が充分に発揮できる環境が与えられると、常人ではどんなに努力しても及ばない、偉業を達成します。なかでも、数学、物理学、哲学、芸術などの分野ではアスペルガー症候群であったと思われる巨人たちが多数挙げられます。<br />
ミケランジェロ・ブオナローティ、アイザック・ニュートン、フィンセント・ファン・ゴッホ、アルバート・アインシュタイン、バートランド・ラッセル、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン、アンディ・ウォホールなどがその例です。<br />
<br />
言語以外の、仕草や状況、雰囲気から相手の心を読み取る能力は相当に高度な知的機能のように思われますが、ヒト以外の高等動物にも備わっている機能です。動物同士のコミュニケーションのほとんどは言語を介したものではありません。また、同種の動物間のコミュニケーションにとどまらず、動物とヒトとの間のコミュニケーションも言語を介しているとは考えられません。<br />
犬を飼っていらっしゃる方は常に体験されていると思いますが、飼い犬は言葉が通じなくても、ご主人のその時の機嫌を鋭く察知して、上手な対人関係を継続する能力を備えていることを実感されているでしょう。<br />
つまり非言語によるコミュニケーションのほうが歴史的に古い機能です。ところがヒトでは他の動物と異なって、言語機能が高度に発達したためにコミュニケーションの多くを言語に頼るようになりました。<br />
アスペルガー症候群の人たちは人が動物として本来持っているはずの非言語コミュニケーション機能が発達できずに、ヒトだけが備えている言語機能だけが発達したと言えます。このために言語（外言語および内言語）に頼る生き方しかできないのです。論理的な思考には卓越していますが、予測不可能なものや不合理なものへの対応はきわめて苦手です。<br />
原因としてミラーニューロンの機能不全が注目されていますが、ミラーニューロンの欠陥だけではアスペルガー症候群の全ての症状を説明することはできません。ミラーニューロンについてはいずれコラムでお話します。<br />
前に述べましたように、アスペルガー症候群は養育環境によって決定されるものではありませんから、幼小児期の育て方をいくら工夫しても発症をくい止めることはできません。また、現在のところ有効な治療薬も見つかっていません。<br />
ところで、アスペルガー症候群というと異常者であり、その他の人は正常者ということになりますが、視点を変えて彼らをみた場合、客観的で、事実を正確に理解して表現するということには一般の人よりも優れていると言えます。また、「言葉を額面通りに受け取る」とか「細かい事象にこだわる」ということも「厳正に規則を守る」と言い換えることができます。<br />
こうして考えると、発達の仕方が他の多くの人達と異なっている、単なる少数派であると考えることができます。正常、異常と考えずに多数派、少数派と考えて彼らを社会の中で受け入れてあげることが最善の方法であるように思われます。<br />
<br />
さて、ＫＹな総理大臣の系譜はいまだに続いているように思われます。ではＫＹな彼らは上で述べた2.非言語的コミュニケーション能力を欠くアスペルガー症候群に該当するのでしょうか。私には安倍前総理も福田現総理もアスペルガー症候群であるとは思えません。彼らにはただ国民の窮状を深刻に受け止めて、国民のために国家運営をするという基本的な姿勢が欠如しているだけであるように思います。<br />
これは残念なことではありますが、逆に不幸中の幸いとも言えます。なぜなら、彼らは空気を読もうとしていないだけで、読むことができないわけではないからです。<br />
私たち国民の課題は、まさに、いかにして彼らが「読まざるを得ない空気」を醸成していくかにあると思います。<br />
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_70.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_70.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9842008年6月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 30 Jun 2008 10:48:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心神喪失状態、心神耗弱状態（保安処分問題）</title>
         <description><![CDATA[先週、心神喪失状態、心神耗弱状態というものについての説明と、そのように判定された場合の刑事裁判上の責任能力に関してご説明をしました。この責任能力は刑法上だけではなく民事訴訟においても問われる重要な争点です。<br />
<br />
さて、現在の世論は「被害者および被害者家族の感情重視」の流れにあるように思います。確かに、なんの過失もないのに不幸な事件に巻き込まれた被害者のことを思えば、加害者が情状酌量されて軽い刑で済んで、何年か後には社会で生活をすることには耐え難い感情が湧くものと思います。<br />
しかしながら、あまりにその点に比重をおくと刑事裁判は「目には目を。歯には歯を。」という報復の場になってしまいます。現在テレビでくりひろげられる、扇動的なワイドショーによる過熱報道と来年から開始される裁判員制度とあいまって、この報復至上主義に拍車がかからなければよいと懸念するものです。そして、こういう流れになるといつも検討されるのが保安処分です。<br />
<br />
保安処分とは「犯罪者もしくはそのような行為を行う危険性がある者」を対象に、刑罰とは別に処分を補充したり、犯罪原因を取り除く治療や改善を内容とした処分を与えることを言います。<br />
保安処分の必要性をはじめて提起したのは19世紀のドイツの刑法学者クライン（Ernst 
Ferdinand 
Klein;1744〜1810）です。社会の健全を保つためには刑罰手段だけでは犯罪防止対策として不充分と考えたのです。責任無能力者による犯罪や再犯の危険性が高い常習犯に対して、刑罰以外の特別な手段をもって対応すべきであると考えて、保安処分の必要性を説きました。<br />
刑罰は犯罪行為に対する「責任」を基礎として、その行為に対する応報を行為者に与えることで犯罪の一般予防を果たそうとするものです。これに対して保安処分は「危険性」を基礎として、再犯あるいは犯罪防止のために特別予防をするものです。<br />
すなわち、刑罰とは実際に発生した犯罪に対処したものであるのに対して、保安処分とは「将来犯罪行為をする危険性がある」とした特定の対象者に対して行うものです。<br />
刑罰は行為者に苦痛を与えることが本質的な内容ですが、保安処分は犯罪防止を目的に治療・改善することを内容としています。とはいうものの、保安処分でも身柄を拘束することも狙いの一つですから大きな問題になります。<br />
我が国では非行少年に対する保護処分や売春婦に対する補導処分などが保安処分の一種と言えますが、刑法上正式に保安処分は採用されていません。しかし、ずっと古くから刑法に保安処分制度を導入しようという動きは再三ありました。<br />
1926年（大正15年）、1961年（昭和36年）、1974年（昭和49年）に答申された「刑法改正要領」は、いずれも保安処分を刑法に盛り込む内容でした。例えば1974年に答申された刑法改正要領では精神障害者に対する「治療処分」や、薬物中毒者に対する「禁絶処分」を裁判所が刑罰の代わりに言い渡すことができるとして、保安施設への強制収容やその期間までもが明記されていました。<br />
しかし、再犯の危険予測自体が極めて困難で、客観的に行うことは不可能であろうという点。また、保安処分の対象者に対する医療制度が保安処分の本来の目的を達成するほどに充実していない点などの批判が相次ぎました。結果、日本弁護士会、日本精神神経学会などからの強い反対によって具体化はしませんでした。<br />
<br />
私のような一精神科医がなぜこの保安処分制度についてのコラムを書くのかというと、保安処分の対象者の大半が精神障害者であるからです。<br />
「精神障害者が罪を犯した場合、凶悪な罪を犯しているのにもかかわらず、責任能力が欠落しているという理由から無罪になったり、刑が減軽されるのは納得がいかない。」、「それならば、そのような者は予め社会から一生隔離して犯罪の危険性を減らしておくべきだ。」という意見が必ず出てくるのです。<br />
事実、精神障害者にかかわるわが国の法律は保安処分的色彩をめぐって過去からずっと大きく揺さぶられてきました。<br />
明治33年の精神病者監護法は精神障害者を完全に社会から隔離する保安処分に基づく法律でした。すなわち、精神病者は地方長官の許可を得れば、私宅や病院などに監置できるという法律でした。<br />
大正8年に制定された精神病院法という法律は都道府県が精神病院を設置できるという法律でしたが、実際には病院の設置はまったく進みませんでした。<br />
やっと精神障害者を病人として扱う初めての法律ができるのは戦後も5年たった昭和25年になってです。精神衛生法がその法律です。この精神衛生法によって初めて都道府県に公立の精神病院の設置が義務付けられ、長年にわたって精神障害者を苦しめてきた私宅監置が廃止されました。現在の精神保健福祉法の原型ともいうべき法律で、自傷他害のおそれのある精神障害者に対する措置入院制度や保護義務者の同意による同意入院の制度が創設されました。これによって精神障害者に対する処遇は一定の決着を見ました。<br />
しかし、1964年（昭和39年）3月にアメリカ大使ライシャワーが大使館前で統合失調症の患者に刺されて重症を負った、所謂ライシャワー事件がおこることによって、精神衛生法に対する内外の批判が相次ぐことになりました。これを受けて昭和40年に精神衛生法の一部が改正されて措置入院制度が強化されて、同法の保安処分的色彩が強いものとなりました。<br />
ところが昭和59年3月に宇都宮病院という精神科病院でおきた看護職員による患者の傷害致死事件（宇都宮病院事件）<span style="color: #0000ff">*1</span>をきっかけに日本の精神医療のあり方が再び世論の批判を浴びるようになり、昭和62年に精神衛生法に代わって、患者の人権保護を強く打ち出した精神保健法が制定され、その後何回かの改正を経て、平成7年に精神保健および精神障害者福祉に関する法律（精神保健福祉法）が制定されました。<br />
この間、世論は障害者の人権のほうに比重がおかれていたのですが、その後精神鑑定によって判決が大きく左右されるような重大事件が多発しました。その結果、再び精神障害者は危険であり、社会から隔離することが望ましいという論調が力を増してきました。そして平成13年6月に大阪府池田市で起きた池田小学校事件<span style="color: #0000ff">*2</span>によって世論は再び大きく方向転換しました。世論というものは何年かおきに右や左に大きくぶれるものです。<br />
こうして、平成17年7月に保安処分法である「心神喪失者等医療観察法」が日本精神神経学会や日弁連の反対を押し切って施行されたのです。この医療観察法は心身喪失や心神耗弱の状態で重大な他害事件をおこしたものを指定医療機関に強制的に入院させたり、通院させることを定めた法律です。<br />
多くの反対意見を押し切って施行された法律ですが、指定医療機関の整備も不充分であり、入退院のための「鑑定ガイドライン」も完成していないままの見切り発車でした。現時点でも十分な体制には至っていません。<br />
国は「社会復帰のための手厚い医療」と言っていますが、実際には「治安のための長期拘束」になる可能性が否定できません。既に対象疾患を治療効果が期待しがたい人格障害、発達障害、認知症にまで広げようという動きがあります。大変危険な動きです。<br />
医療観察法の拡大適用がなぜ危険なのかというと、保安処分の対象者が際限なく拡大されて乱用される危険が拭いきれないからです。<br />
以前のコラムにも書きましたが、一般的に（もちろん例外はありますが）、生来おとなしい人格の方が精神障害になるとおとなしい患者さんになります。生来粗暴で凶悪な人が精神に障害をきたした場合には普通の病院では扱いに困るとんでもない患者になります。社会に対して危険性が高いか低いかということは病名だけで決まるわけではないのです。<br />
ところが、保安処分制度の適用がどんどん拡大されていくと、精神障害というだけで対象者になり、身柄を拘束されて社会から隔離されてしまう可能性が高いのです。<br />
わらには厳密に精神障害者だけに適用される保障はありません。もし国家がこの法律を濫用すれば、国家権力は反体制派の人間に精神障害者のレッテルを貼って、長期にわたって監禁するおそれがあります。現に旧ソ連や中国では治安維持を理由に保安処分が利用されて多数の政治犯が精神病者として幽閉された歴史があります。我が国でも戦前は治安維持法の名の下に政治犯が数多く拘禁されました。<br />
国家という圧倒的な権力に「打ち出の小槌」を持たせてしまうことになるおそれがあります。<br />
それでは、明らかに再犯を重ねるおそれの高い人間を世の中に放置しておくのが正しいのかと問われれば、それも否です。<br />
私の58年間の人生経験から考えて、世の中には本当に危険で隔離するしかない人間もいると思います。ただ、それを病名で決めろといわれても私にはできません。じゃあどうやって決めるんだと聞かれれば、事例を個別的に詳細に検討していくしかありません。それでも主観的な曖昧さが残りますが、その作業を煩わしく思ってはいけません。<br />
簡単に線を引くことができない事柄を法律という名の下に規則化しなければならないところに難しさがあるのでしょう。誰か本当に頭のよい人が現れて、誰もが納得がいく、客観性の高い基準を作って欲しいものです。<br />
<br />
なお、心身喪失者等医療観察法の適用対象拡大には絶対反対です。なぜならば、こんなコラムを書いている私も対象者に選定されてしまうかもしれないからです。<br />
--------------------------------------------------<br />
<span style="color: #0000ff">*1</span>宇都宮病院事件：1人のアルコール中毒と診断された患者の不審死が発端となって病院内で日常的に患者に対する暴行が行われていた事実が判明した事件。その後の取調べで、同病院では3年間で200人以上の不審死があったことが判明。また、患者が死亡するとその脳を採取して東大医学部のＴ助教授に研究材料として提供していた事実まで判明して社会的に代波紋をひきおこした事件。精神障害者に対する非人道的な扱いが注目されたが、一方ではどこの病院でも扱いに困るような粗暴な患者を一手に引き受けてくれる病院で合ったために、同病院が解散させられた時には周辺の病院はその患者たちの引き受けに困った。社会的必要悪としての存在でもあったのである。<br />
<span style="color: #0000ff">*2</span>池田小学校事件：平成13年6月8日に大阪府池田市にある大阪教育大学付属小学校に当時37歳の宅間守が乱入して児童8名を殺害、児童13名と教諭2名に傷害を追わせた事件。宅間は最終的に死刑が確定し、平成16年9月14日に死刑執行された。宅間は精神科通院歴があり、逮捕当初精神障害者を装っていた言動があったために、心神喪失等による刑事上の責任能力について世間の関心を集めることになった。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_73.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_73.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9842008年6月</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 22 Jun 2008 21:46:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心神喪失状態、心神耗弱状態（精神鑑定）</title>
         <description><![CDATA[6月8日、日曜日の昼、多くの人が行き交う秋葉原の歩行者天国で25歳の男によって無辜の市民17名が殺傷されました。<br />
犯行前々日にわざわざ
遠路福井まで赴いて殺傷能力の高い刃物を複数本購入、前日にも上京して犯行現場を下見するなど、犯行は用意周到です。また、犯行直前まで携帯電話から掲示
板に犯行予告と実況中継と思われる膨大な書き込みをしていました。あまりにも異常な事件であり、また容疑者が「自分は精神病だ」と発言したこともあって、
検察は鑑定留置をすることにしました。<br />
この事件に限らず、このところ世間の関心を集める事件の裁判において精神鑑定が行われて、犯行時の精神状
態が問われるケースが多くなってきています。つい先日も、渋谷の「夫ばらばら殺人事件」の第１審判決がなされ、心神耗弱状態であることが認められて検察側
の求刑よりも刑期が5年短縮されました。<br />
精神鑑定を必要とする事件が増えているということは、それだけ誰もが異常と思われるような重大犯罪が増えていることを物語っているのだと思います。<br />
<br />
さて、精神鑑定において出される心神喪失状態とか心神耗弱状態とかいうものはどのような状態をさすのでしょうか。<br />
心身喪失状態とは、精神の障害によりことの是非善悪を弁識する能力（事理弁識能力）またはそれに従って行動する能力（行動制御能力）が失われた状態を言います。<br />
心神喪失状態においては刑法39条によって、その責任を追及することができないために、刑事裁判で心身喪失が認定されると無罪の判決が下ることになりま
す。もっとも、心身が喪失しているとまで判定されることはきわめて稀です。平成17年の犯罪白書によりますと、裁判で心神喪失とされた者の数は全事件の
50万分の1であり、平成16年以前の10年間の平均で2.1名です。<br />
無罪判決がでるほどの重度の精神状態であれば回復の見込みも低いために、罪は問われなくても一生精神科病院で過ごす可能性が高いのです。<br />
心神耗弱とは、精神の障害によりことの是非善悪を弁識する能力（事理弁識能力）またはそれに従って行動する能力（行動制御能力）が著しく減退している状態を言います。<br />
心神耗弱状態においては刑法39条によって、その責任が減少されるために、刑事裁判で心神耗弱が認定されると、刑が減軽されることになります（必要的減
軽）。心神耗弱とされた者の数は心神喪失とされる者よりもはるかに多く、上記と同じ犯罪白書によると平成16年以前の10年間の平均で80.4名です。<br />
<br />
心神喪失や心神耗弱の対象となる精神障害はさまざまですが、社会的に問題となるものは統合失調症と薬物中毒です。<br />
統合失調症の特徴的な症状についてはこれまでのコラムで説明してきました。その中で被害的な内容の幻聴と妄想については詳しくお話したと思います。統合失調症の初期はすごく怖い内容の幻聴や被害妄想があることが少なくありません。<br />
「殺される」という確信を与えるような生々しいこういった病的な体験があれば、「殺される前に防御しなければ」という、患者の立場からすると正当防衛の思いで犯罪を犯してしまうことがあります。こういった場合に心神喪失あるいは心神耗弱が認められることがあります。<br />
こういうことを書くと統合失調症の患者さんはなにをするか分からない恐い人という印象を与えてしまいます。元来人間は自分と異質な者を排除しようという傾
向があります。そういった本能に統合失調症に対する過剰な恐怖心が加わりますと、保安処分のように患者さんを社会から排斥して隔離しようという世論が高ま
りを見せてしまいます。<br />
実際には統合失調症の患者さんの犯罪率は、統合失調症でない方の犯罪よりも低いのです。統合失調症を病んでいない人間の方がより犯罪を引き起こしているのです。しかし、統合失調症の人が凶悪犯罪を犯すこともあります。<br />
統合失調症は脳の疾患です。したがって、どんな人でもかかる可能性があります。本来の人格が温和な人も、粗暴な人も統合失調症にかかることがあります。も
ともと温和な人格の方が統合失調症にかかれば温和な統合失調症患者になります。粗暴な人が統合失調症になれば粗暴で反社会的な統合失調症患者になります。<br />
中には「俺は精神病と診断されているから、お前を殺したって無罪になるんだよ」とうそぶいて、自分の意思で計画的に凶行におよぶ人もいます。こういう人の反社会的行為を、単に精神障害のレッテルだけで許してよいはずはありません。<br />
しかし、今述べたような症例はかなり例外的です。統合失調症になりやすい性格（病前性格）の人はシャイで本音と建前をうまく使い分けられない、嘘をつくのが苦手な、生きていくことに不器用な人たちが多いのです。愛すべき人が多いというのが実感です。<br />
結局、病名だけで人の行動を一括りにすることはできません。言い換えれば、統合失調症という病名がつけばすべての行動が法的に問われなかったり、減軽され
るということもいき過ぎだと思います。責任を問われている行為が病気の症状に基づいて行われたか否かという観点から、個別に慎重に判断すべきだと考えま
す。<br />
<br />
薬物中毒の場合には犯行時にいくら心神耗弱状態に陥っていたとしても、心神耗弱状態に陥る行為自体は本人の意思によるものですから、犯行の責任を薬物作用に求めてよいものかどうかが問題になります。<br />
酩酊状態下の犯行に対する判決が、すべてのケースにおいて薬物によって神耗弱状態であると判断して刑を減軽していては、意図的にこの減軽を狙ってくる輩が出現してくることも想定できます。<br />
例えば、ある人を刺し殺したいと考えた時に、その人と合う前に自ら大量に飲酒して酩酊状態になってからその人と出会い、犯行に及ぶように予め計画しておいた場合に、この犯行をアルコールによる酩酊下の犯行として心神耗弱状態を認めるべきでしょうか。<br />
当然、認めるべきではないでしょう。犯意を持った時に事理弁識能力は十分に保てており、アルコールを飲まないでいようと思えば飲まないでいられた行動制御
能力も持ち合わせていたわけですから、この場合には自らの意志において犯行におよんだと考えるべきではないでしょうか。<br />
この点については「原因において自由な行為」として専門家の間で熱く議論されていると聞いています。<br />
<br />
責任能力の有無に関する最終決定権は裁判官に委ねられていますから、精神科医は診察結果を検討して虚心坦懐に鑑定書を作成すればよいのです。しかし、形式
だけの鑑定では困ります。判決に関して重要な判定材料足りうる鑑定書を作ることが、精神科医にとっての極めて重要な責務であることは言うまでもありませ
ん。<br />
ところが、精神科はレントゲン写真やＭＲＩのような画像診断で確定できる分野ではないので、虚心坦懐ということ自体がとても難しい診療科な
のです。どうしても、自分の主観が色濃く反映されてしまいます。結果、精神科医としての力量や鑑定実務の経験の有無によって鑑定書の軽重に差がでてきてし
まうことは否めません。<br />
我が国のこれまでの精神医学教育では、欧米のように精神鑑定を行うための司法精神医学にはほとんど力を注いできませんでした。したがって、正確な精神鑑定をできる精神科医は多くありません。<br />
決して好ましいことではありませんが、今後は、これまでは想像もしなかったような異常な犯罪がさらに増えて、精神鑑定を要求される事例が増加することは充
分に予想されます。私たち精神科専門医に客観的で質の高い精神鑑定書が要求される機会が増えるものと思われます。精神科医の卒後教育の中にもっと司法精神
医学を取り入れていかねばならないでしょう。<br />
<br />
さて、秋葉原の無差別殺傷事件の異常性には身震いするものがあります。しかし異常、すなわ
ちいくら犯行が常人の感覚からかけ離れているからといって、直ちにその行為が精神障害によるものであるということにはなりません。ましてや刑法上の責任能
力の欠落が導き出されるものではありません。<br />
被害者、遺族のためにも至急詳細な精神鑑定を行って、犯行時の事理弁識能力と行動制御能力の有無の判断がなされることを望むものです。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_72.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_72.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9842008年6月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 16 Jun 2008 08:02:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>後期高齢者医療制度―骨格こそが大問題―</title>
         <description><![CDATA[私が今年になってからこのコラムで3回にわたって取り上げた後期高齢者医療制度が政争の具となり、現在国会は大騒動です。<br />
民主党を初めとして野党は、４月から始まったばかりの新医療制度を撤回して元の老人保健制度を復活させるべく、「後期高齢者医療制度廃止法案」を参議院に上程して、その法案は６月６日に参議院で可決されました。<br />
一方、与党の自民党と公明党は新医療制度を断固として守る姿勢です。衆議院では与党が絶対的に多数ですから「後期高齢者医療制度廃止法案」が成立する見込みはありません。<br />
野
党もこの法案が成立するとは考えていないはずです。現政権に対する「No」を提示するための材料として利用して、これを機に解散総選挙に持ち込み、政権奪
取をもくろんでいるに過ぎません。しかし、今ほど政権に対する支持率が低下した状態で福田総理が解散に出るとは考えられませんから、結局後期高齢者医療制
度は存続していくのでしょう。<br />
この医療制度は実施直後からさまざまな不備や問題点が露呈して舛添厚労相と福田総理は弁明に追われています。とこ
ろで、この法律はそもそも小泉内閣が２年前に作った「健康保険法等の一部を改正する法律」に基くものです。引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、無責任
にオペラ鑑賞などを楽しんでいる小泉の尻拭いをさせられて、挙句の果てに支持率がみるみる低下する福田総理はお気の毒としか言いようがありません。<br />
とは言うものの、いくら小泉が種を撒き、厚労省の官僚が敷いた路線だとは言え、既定方針だからというだけで、無反省にひた走ろうとするのでは、やはり総理大臣としての責を問われても致し方ないでしょう。<br />
舛添さんも福田さんも「この制度の骨格は正しいが、細部に対する心配りが足りなかったから、そういう点を手直ししましょう」と言っています。まずは世論が
猛反発している低所得者層の保険料負担を減額。保険料の年金からの天引きを同居する世帯主による肩代わりや口座振込も選択できるようにする。被扶養者の保
険料も減額。次々と改善案を提出しました。<br />
新聞を初めマスコミも国の改善案が実施されるとどれだけの高齢者が当面救済されるかについては詳細に報道していますが、こういった改善案が期限付きのものであることや、なぜ国が骨格を残すことに固執しているのかについての詳しい論評は避けています。<br />
国
が当面はどんな妥協を受け入れてもなぜに骨格だけは残したいのかと言えば、骨格さえ残しておけば、いずれ近い将来、立法府である国会の審議を経ないで、政
令あるいは省令ひとつで元の形に戻すことができるからです。諸々の改善策が将来ともに担保される保証はまったくないのです。国家のこういったやり方には常
に警戒をしていなければなりません。<br />
「老人は早く死ね」という本音が表れているということで、国民から非難の的である診療報酬の「終末期相談支援料」*についても、凍結あるいは運用面での再検討をするといっているに過ぎません。いずれは復活すると解釈するのが正しいでしょう。<br />
私は、75歳という年齢で線引きをして、高齢者を他の国民から引き離す制度の骨格こそが問題であると考えます。国は新医療制度設立の主目的を超高齢者社会
の到来の際に想定される若者の負担増を防止することとしていますが、その目的のためには75歳以上のお年寄りを切り離すよりしか他に方法はなかったので
しょうか。<br />
日本社会の高齢化はずっと前から確定していたにもかかわらず、この点についての真面目な議論は充分になされてはきませんでした。この謗りは今頃になってこの問題を政争の具として、成立不可能であることを承知の上で「廃止法案」を提出した野党も甘受しなければなりません。<br />
道路で代表される特定財源のあきれかえる無駄遣いなどを止めて、国民があまねく負担する消費税率を少しだけアップさせれば、別立ての医療保険制度などをわざわざ新設しなくても老後の安全保障を確保できるのではないでしょうか。<br />
ところが別立ての新制度を作ったために、この制度を維持するための事務費が増加して、天下り先が新設されてしまいました。後期高齢者医療保険を管轄する都
道府県単位の広域連合という組織が新設されたために、多くの健康保険組合などの各医療保険者から広域連合への莫大な納付金が発生したそうです。これまでの
老人保健のときの負担に比べて５割り増しほどにもなったと聞きます。現役世代の負担軽減どころではありません。<br />
この広域連合という組織はもちろ
ん厚労省関係者の新たな天下り先です。この広域連合のトップの年収は3000万円にもなるそうです。1000円単位の保険料の工面にも困る年金暮らしの高
齢者を初め、国民から絞り上げた保険料からまかなわれます。さらに、この広域連合は年金の不祥事から近々解体される、社会保険庁の役人の受け皿になるとの
噂もあります。<br />
新制度が導入されなければ、こういった天下りポストができずに、新たな事務費も発生しなかったことを考えると、なんとも苦々しい限りです。官僚は転んでもタダでは起きないどころではありません。転んだら倍は手に入れて起き上がるのです。<br />
<br />
この「姥捨て山政策」を立案した小泉はアメリカ政府から毎年提出される「政府要望書」に沿った形でこの国を運営してきました。すなわち彼が理想として考えていたのはアメリカ型市場経済優先の弱肉強食型資本主義国家なのです。<br />
国民は小泉や竹中に扇動されて、ひたすらに競争に凌ぎを削り、格差を開く生活をよしとして走ってきました。しかし、このような社会のあり方で国民に本当の幸せは訪れるのでしょうか。<br />
トヨタはその収益においてGM社を抜こうとしています。しかし、トヨタが世界に冠たる自動車生産会社になったからと言って国民の生活が豊かになったでしょ
うか。幾つもの銀行が合併して世界に伍するメガバンクが誕生したからといって日々の生活にゆとりが生まれたでしょうか。<br />
私はグローバルスタンダードといってアメリカの猿真似をしてきた結果、日本文化のもつ良さが失われて、ぎすぎすとして住みにくい世の中になっているだけのように思います。<br />
そもそも小泉がお手本としたアメリカ型資本主義経済は、巨万の富を手にしているごく少数の資本家が、90%以上の貧しい人々の犠牲の上に、マネーゲームによってさらに莫大な富を手に入れる歪な社会構造を生み出しました。<br />
しかし、この実態をともなわない馬鹿げたマネーゲームにもそろそろ影が刺してきたようです。それにもかかわらず、アメリカに比べてはるかに体力の劣る我が国が盲目的に同じ道を歩んでいます。破綻は目の前に迫っているのではないでしょうか。<br />
<br />
中曽根元総理が「指導者は歴史観を持って行動しなければならない」と言ったと聞きます。彼がどのような歴史観を持っているのかは分かりませんが、ある意味
正しいと思います。政治家が官僚による慣例優先の問題棚上げ、先送り行政をただ黙認していては我が国に未来はありません。何十年先の日本を見据えた舵取り
が要求されるのです。<br />
日本の政治家はアメリカの言うなりになって我が国を自殺させるのではなく、日本の国民の安全保障と幸せを追求した国家作り
を考えるべきではないでしょうか。こういう観点から考えると、後期高齢者医療制度の抱える問題は、保険料が高い、安いという末梢的な課題よりも、我が国の
国家像をどう定めるのかという、より大きなテーマに関わる象徴的な課題であると考えます。<br />
私は、超高齢化社会を迎える今こそ、日本を弱肉強食路線から離脱して、北欧のように、経済的に覇権を唱えなくても国民一人一人がそれなりの豊かさを感受できる社会福祉優先の国作りに方向転換するかどうかを議論するべき、大きな岐路に立っていると考えます。<br />
そのためには、国民の一人一人が目先の利害を度外視して、真剣に将来の日本国像を設計し、その意見を政治に集約させなければなりません。後期高齢者医療制度に関する議論は年金の問題と併せて、今後の我が国の将来を占うよい試金石と言えるでしょう。<br />
<br />
私が何回も例えてきたように、この制度は老人を乗せた「アウシュビッツ行きの貨車」です。高齢者をまとめて貨車に乗せるという制度（骨格）を許してはいけません。貨車をいくら慌てて綺麗に飾り立て、座り心地をよくしたとしても行き着く先に変更はないのですから。<br />
--------------------------------------------<br />
*
後期高齢者終末期相談支援料：75歳以上の後期高齢者が癌などの疾病で終末期を迎えた時に医師が患者と相談して、容態急変時の延命治療や救急搬送の希望の
有無などの治療方針を文書化して患者に示せば医師に出る2000円の報酬が出る。延命治療の中止など、患者に意思決定を無理強いして、強引に医療費を削減
しようとするものであるとの批判が湧き起こっている。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_71.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_71.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9842008年6月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jun 2008 11:14:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今時の「うつ」事情（４）―見直される躁うつ病―</title>
         <description><![CDATA[これまで３回にわたってうつ病とその周辺の精神障害についてお話をしてきました。ここまでの話を読んで、「うつ、うつと言うけれど、じゃ一体躁はどう
なってしまったんだい」という疑問をお持ちになった方がいらっしゃると思います。こういう疑問をもたれる方はかなり精神医学に造詣が深い方です。<br />
<br />
う
つ病は大きな分類からいうと、気分（感情）障害（Mood〔Affective〕disorders）という一群の精神障害の中の一つです。感情や意欲が
標準的なレベルより低下してしまった状態がうつ状態です。したがって、感情や意欲のレベルが標準以上に高まってしまった躁状態という病的な状態がありま
す。昔は気分障害を代表する病名としては「うつ病（Depression）」という言葉よりも「躁うつ病（Manic-Depressive
Illness）」という言葉の方がよく使われていました。<br />
躁病（Mania）ではうつ病の反対に気分が高揚して意欲が亢進します。高揚した、
開放的な、またはいらいらした気分が数日以上持続します。気力と活動性が亢進して著しい健康感と心身両面の好調さを感じます。社交性が増大して、多弁にな
り、過度になれなれしい態度になります。性的な欲求が高まり、眠りはあまり取らないでも元気で、次から次へと観念が湧いて出て、本人は頭の回転が速くなっ
たと感じます。しかし、周囲から客観的に見ると注意力が散漫で一つのことをじっくりと成し遂げることができない状態です。<br />
重症になると誇大的あ
るいは過度に楽観的になって、実現不可能な計画に熱中したり、浪費を重ねてサラ金から多額の借金をしたり、過剰に性的な行動に走ったり、攻撃的になって、
やたらと他人とトラブルを引き起こしたりします。サラリーマンの場合には上司やお得意先を相手に説教したり、喧嘩をしてくびになることもあります。<br />
このような躁病の時期と、逆に元気がなくなるうつ病の時期をくり返すのが典型的な躁うつ病です。現在の診断法の分類でいうと双極性感情障害
（Bipolar affective
disorder）と言います。これに対して、うつ病だけをくり返すあるいは持続するタイプを単極性感情障害（Unipolar affective
disorder）と言います。<br />
この双極性の「躁うつ病」は私が学生時代はポピュラーだったのですが、徐々にその名前を聞く機会が減っていきました。それに代わって増えてきたのが単極性の「うつ病」です。つまり、躁病を見る機会が減ったのです。<br />
一時期は、「もう躁うつ病はいないのではないか」とまで言われたほどでした。反比例して通常の抗うつ薬でなかなかよくならない、だらだらと続く軽症のうつ病がやたらと増えたと言われてきました。<br />
<br />
本当に躁うつ病はなくなってしまったのでしょうか。実はそうではありませんでした。アメリカ精神医学会による診断基準、DSM-ⅣTRでは双極性感情障害を大きくⅠ型とⅡ型の二つに分類しています。<br />
Ⅰ型は躁病のエピソードがはっきりしているグループです。これに対してⅡ型はうつ病相ははっきりしているのですが、躁病相は軽い躁状態にとどまって目立った異常行動を示さないグループです。<br />
軽躁状態は気分が爽快でやる気がみなぎって頭の回転も速く社交性が高まり、仕事も趣味のこともすべてに対して満足感を持って臨むことができます。かといっ
て、本当の躁状態のように社会規範から逸脱することもありませんから、本人にとってものすごく好都合の状態です。周囲の人からも活動的としか思われないこ
とが少なくありません。<br />
このⅡ型の双極性感情障害で軽躁状態を過去に頻回に経験したり、軽躁状態が長期間続いたりした例では、本人も周囲もこの
軽躁状態が本来の状態であると勘違いしてしまいます。エネルギッシュでまめで仕事も遊びもできる人と捉えられているのです。この人が軽躁状態を脱して、普
通の状態になると、相対的にうつ状態になったかのように感じられます。ましてや本当のうつ状態になった場合にはその落差は相当なものになります。<br />
従来、安易に「うつ病」と診断していた症例の経過を注意深く検討してみると、実はこの双極Ⅱ型障害ではなかろうかと思われるケースが想像以上に多いことが分かってきました。<br />
特に、頻回にうつ病をくり返す例や通常の抗うつ薬があまり効かない例の中に相当数の双極Ⅱ型障害が単極性の感情障害である「うつ病」と誤診されていたのでないかとの反省がなされるようになりました。<br />
双極性感情障害に対してはSSRIをはじめとする抗うつ薬があまり効を奏しません。抗うつ薬とは全然別の感情調整薬というグループの薬による治療が有効と
されています。実際に頻回にうつ病相をくり返す患者さんや抗うつ薬による治療で難治の患者さんが感情調整薬でよくなることが少なくありません。<br />
さらに最近は、過去に軽躁状態のエピソードが１回もみられないうつ病の患者さんであっても、いろいろな指標をチェックすることによって、将来躁病あるいは
軽躁状態を呈する可能性が高い感情障害のグループに対して「双極スペクトラム障害（Bipolar spectrum
disorder）」という病名をつける動きもあります。こう考えると躁うつ病の数は相当増える可能性があります。<br />
世間に「うつ」が溢れて、安直に抗うつ薬治療が行われ、しかもなかなかよくならずに、だらだらとうつ状態が続く症例が増えている現在、双極性感情障害（躁うつ病）の存在をもう一度見直す必要に迫られていると考えます。<br />
先ほど述べたように「うつ病」と「躁うつ病」とでは治療法が違ってきます。両者の鑑別を早期にすれば、遷延するうつ状態の患者さんを減らすことができるかもしれません。<br />
<br />
一時期、「うつ病」の増加に圧倒されて、めっきり姿を消したと思われていた「躁うつ病」が復権した感があります。自称、他称の「うつ」の人々を再検討すれば、かなりの数の「躁うつ病」が発見されるのではないでしょうか。<br />
私も明日から新しい視点で診療に当たりたいと思っています。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_69.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_69.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9842008年6月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 02 Jun 2008 09:57:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今時の「うつ」事情（３）―うつ病もどきの正体―</title>
         <description><![CDATA[これまでに本当の「うつ病」のほかに「うつ病もどき」が紛れ込むことによって、世の中に「うつ」と称する人が数多く出回っている現状についてお話しました。それではうつ病と紛らわしい「うつ病もどき」とはいったいどんなものなのでしょう。<br />
<br />
「うつ病もどき」にはいろいろな病気や状態が混ざっていると思います。その一つは、何か不愉快で苦痛な出来事があって一過性に抑うつ状態になっているストレス性の反応や適応障害です。<br />
いやな出来事に出会って、気分が滅入り、やる気を失うことはごくあたりまえの、心の正常な反応です。いやな目に会って爽快な気分になったら、それこそ気がふれた異常な反応と言えるでしょう。<br />
こういう状態は原因になっている事象から距離をおけば、時間とともに回復してきます。むろんこういう方も治療したほうが早期に回復しますが、時間に勝る妙薬なしです。<br />
一方、本当のうつ病はきっかけになった出来事から時間がたっても改善しません。むしろ時間とともに症状がひどくなっていきます。たとえば、肉親の死去をきっかけにうつ病になる場合には、逝去直後はそうでもないのに４９日の納骨の頃からひどくなることがよくあります。<br />
前回述べましたように、精神科の敷居が低くなったり、一般医が精神的な問題を扱うようになった結果、精神の不調を訴える方が、以前に比べて早い段階で医療につながるようになりました。<br />
このために、先ほど述べたような一過性の抑うつ状態の方が医療機関を受診して、「うつ」という診断を下されるケースが増えてきました。これが「うつ病もどき」の一つになっているのです。<br />
このような人たちは、医師が「症状が少なくとも２週間以上続く」という診断基準を厳密に守っていれば、「うつ病」とは診断されないはずです。<br />
<br />
一過性のうつ状態とは違って、本当のうつ病と同じように長期間にわたって抑うつ状態を訴える「うつ病もどき」があります。その一つが統合失調症です。<br />
統合失調症というと幻聴、被害妄想、興奮などの派手な症状（陽性症状）ばかりが知れ渡っていますが、この病気の中核的な症状はこういった目立つ症状ではなく、自閉、意欲の低下、感情の表出障害など（陰性症状）であると考えられています。<br />
つまり、家に引きこもって人と接触をしようとせず、何をする気もせずにごろごろとして、周囲のいろいろな出来事に対して感動せず無関心に見えるという、きわめて地味な陰性症状こそが統合失調症でもっとも問題となる中核症状なのです。<br />
そして陽性症状がほとんど顕在化されずに、陰性症状だけを訴えるケースはしばしば「うつ病」と誤診されます。熟練した専門医であっても注意深く診察しないと鑑別できないくらい間違いやすい症例もあります。<br />
したがって、「やる気がでない」、「気分が滅入る」という訴えの統合失調症患者さんが一般医を受診した場合には高率に「うつ病」と誤診されて、抗うつ薬を投与されます。いつまでたっても症状は改善しません。それどころか、病勢がひどくなって、それまで影を潜めていた幻覚や妄想などの陽性症状が現れて大騒ぎになる場合があります。<br />
うつ病と紛らわしい統合失調症は発症から時間が経過した慢性期の状態によく見られます。したがって、若い時からの症状の流れを丁寧に聴取すれば判別がつく場合が多いのです。しかし、統合失調症には発症直後から陽性症状はほとんど見られずに陰性症状だけが目立つタイプもありますから、見極めはそう簡単ではありません。自己評価スケールだけに頼っていたら確実に「うつ病」と診断してしまいます。<br />
最終的には面接場面での表情やしゃべり方、ちょっとした仕草などから判断しなければならないこともありますから、うつ病との鑑別には豊富な臨床経験が要求されます。<br />
<br />
本当のうつ病や統合失調症の抑うつ状態と同じように、長期間にわたって抑うつを訴えるもう一つのグループがあります。それはICD-10によると持続性気分（感情）障害（Persistent mood 〔affective〕disorders）に分類される人たちです。<br />
この一群の人たちは何年にもわたる持続的な気分障害を呈しますが、その障害の程度は「うつ病エピソード」の基準にまでは達しない軽いものです。この中でも「気分変調症（Dysthymia）」が「うつ」を混乱させるという点で一番問題になる障害だと思います。なぜならば、鑑別が難しいこと、うつ病とは違った対応が要求されること、そしてなによりも相当多数存在すると思われるからです。<br />
「気分変調症」の特徴は症状の程度において、軽症の「うつ病エピソード」の診断基準を満たさない程度の軽い慢性的抑うつ気分です。このグループの人たちは通常、自分で調子がよいといえる時期を数日か数週間もちますが、ほとんどの期間は疲労と抑うつを感じています。何をするにも努力を必要とし、楽しいことは何もない、考え込んでは不平を述べて、不眠がちで自己不全感を持っていますが、自分の好きなことは楽しめますし、日常生活で必要なことは何とかやっていけます。この点において、日常生活が破綻してしまい、本来楽しいはずのことまでもが楽しめずに、むしろ苦痛に変わってしまう本当の「うつ病」との大きく異なります。<br />
たとえば病気休職した場合、本当のうつ病の人は医師から「会社のことは忘れてゆっくりと休みなさい」と言われても、「自分が休んだために周りの人が自分の分まで仕事をしなければならない。迷惑をかけて申し訳ない。」と自分を責めて、休職していることがかえって重荷になることが少なくありません。<br />
これに対して気分変調症の人の中には真っ黒な顔をして診察に現れて、「先生がゆっくり休めというからハワイに行って波乗りしてきました。向こうでは楽しく過ごせたんですけど、日本に帰ってきてもうすぐ会社に行き、またあの課長の顔見るのかと思うと憂うつになってしまいますよ。」などと言う人もいます。<br />
うつ病の人が常に自分を責める、自責的であるのに対して、気分変調症の人は害して他罰的です。こういうポイントを押さえて、「うつ」と称する人達を再度チェックしてみると、実は「気分変調症」であるという例が相当な数に上ると考えられます。<br />
さてこの「気分変調症」は単に軽いうつ病と解釈してよいのでしょうか。いいえ、そうではありません。似て非なるもので、根本的に発症機序の異なる障害なのです。<br />
<br />
ドイツ流の従来型診断法からアメリカ型の診断法に変わって、とても大きな出来事がありました。それまで、精神障害の大きな部分を占めてきた神経症（ノイローゼ〔独：Neurose〕〔英：Neurosis〕）というものが消え去ってしまったのです。そしてそれまで神経症と呼ばれていた人たちはさまざまな新しい疾患概念に振り分けられたのです。<br />
以前、不安神経症と呼ばれていた人たちは不安障害というグループに組み入れられました。強迫神経症は強迫性障害というカテゴリーになりました。そして、以前抑うつ神経症と呼ばれていた人達が振り当てられた病名が「気分変調症」なのです。<br />
訴える症状は気分の抑うつと意欲の低下ですが、根本はその人の性格に起因して起こる自覚的な不全感ですから、ただ抗うつ薬を飲んでいるだけでは解決しません。適切な精神療法によって、物事に対する考え方を変えたり、行動様式を変えなければなりません。<br />
気分変調症では、本当のうつ病とは違って、時には叱咤激励によって健康な社会生活へ引き戻してあげることが必要になります。したがって本当のうつ病との鑑別が極めて重要なのですが。こういう方が一般医の下で漫然と抗うつ薬や抗不安薬の投与を受けていると、いつまでたってもきちんとした社会復帰ができません。<br />
最近のうつ病は「程度は軽いがなかなか治らない。」と言われますが、実は気分変調症をうつ病と間違って治療しているケースも多いのだと思います。<br />
<br />
もう一つ忘れてならない「うつ病もどき」は人格障害（Personality disorders）に随伴するうつ状態です。人格障害の人は、その人格の偏りから、周囲の環境に対して常に不適応を起こしてさまざまな精神症状を示します。人格障害には種々のタイプがありますが、情緒不安定性人格障害（Emotionally unstable personality disorder）、不安性人格障害（Anxious personality disorder）、依存性人格障害（Dependent personality disorder）などの人は抑うつ状態を呈することが頻繁にあります。<br />
注意深く診察すれば、本人が訴えるうつ状態の背後に重大な人格の偏りが存在することが分かるはずです。しかし、診察時に示されている症状だけに目を奪われると「うつ病」と診断してしまう可能性があります。<br />
当然ながら、こういう方の問題解決をするためには根気強い精神療法（精神科カウンセリング）が要求されます。抗うつ薬の投与だけですむわけがありません。<br />
<br />
「抑うつ状態」は非特異的で、さまざまな精神障害で示される、あまりにポピュラーな症状群です。時間的な経過、抑うつ以外の隠された症状、症状に取り組む姿勢、元々の人格（性格）などをきめ細かく検討しないと、多くの「うつ病もどき」を見落として、結果、所謂「うつ」を増加させることになります。<br />
自己チェックリストで抑うつ症状が高得点であるからといって「うつ病」と決め付けるのは早計です。「うつ病」以外にも抑うつ状態を示す病気がたくさんあることを忘れてはいけません。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_68.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_68.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9852008年5月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 26 May 2008 13:14:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今時の「うつ」事情（２）―所謂うつを増やしている要因―</title>
         <description><![CDATA[前回は複数の診断方法が併用されていることによって、専門医の間でも「うつ病」の診断に混乱があることをお話しました。ですから、お互いに長所と欠点はあるものの、どれかひとつの診断法に統一して話を進めるほうが混乱は少ないと考えます。<br />
全員が、現在我が国で一番広く用いられているWHOの国際疾病分類ICD-10を基準に考えれば、共通の認識の下に「うつ病」のことを語ることができます。現実に最近はそういう流れになってきています。<br />
ここで再度、ICD-10による「うつ病エピソード」の診断基準を示します。<br />
〔特徴的な症状〕<br />
1.抑うつ気分<br />
2.興味・喜びの喪失<br />
3.活動性の減退<br />
〔他の一般的な症状〕<br />
1.集中力、注意力の減退<br />
2.自己評価と自信の低下<br />
3.罪責感と無価値感<br />
4.将来に対する希望のない悲観的な見方<br />
5.自傷あるいは自殺の観念や行為<br />
6.睡眠障害<br />
7.食欲不振<br />
〔特徴的な症状〕のうち少なくとも２つ以上、さらに〔他の一般的な症状〕の中から少なくとも２つ以上の存在が認められなければならないとされています。そしてこういった症状が２週間以上持続して初めてうつ病と診断されます。<br />
<br />
すなわち、単に「ゆううつ」というだけでは「うつ病」とは言えないし、幾つかの症状が揃ったとしても、それが2週間以上続かなければ「うつ病」とは言えないのです。<br />
1つ1つの項目について、熟練した専門医が評価をして「うつ病エピソード」と診断したものを「うつ病」と定義した場合に、「うつ病」は本当にそれほど増えているのでしょうか。<br />
目先の利益ばかりを重視するアメリカ型市場経済論理が世界を席捲している現在、日々の生活は何事にも追いたてられて、慌しく、心にゆとりを持つことができません。こういう社会環境ですから、確かに「うつ病」は増えているものと思われます。うつ病を基礎に自殺を図る人が後を絶たないといわれているのも間違いではないでしょう。<br />
しかし、「うつ」と称する人の増加は本当の「うつ病」の増加数をはるかに上回っていると思います。その原因は「うつ」と称する人の増加には本当の「うつ病」の増加に加えて、「うつ病もどき」が加わっているからだと思います。<br />
診断基準が徐々に統一されてきているのに、なぜ「うつ病もどき」が増えているのかというと、マニュアル化されて一見客観的に見える診断方法ですが、各項目の評価を正しくできるだけの技量のない人が用いた場合には、きわめてあいまいで主観的な診断になってしまい、いたずらに「うつ」が増えてしまう結果になります。<br />
いくら症状Ａ群が2つ以上で症状Ｂ群が2つ以上で持続期間2週間以上と定めても、その症状群にある各症状の有無を正しく判定できなければ、いい加減な診断に辿りついてしまいます。この結果、「うつ病」の基準に達しない人までもが「うつ」と称されて世間を闊歩することになってしまっているのです。朝青龍の一連の騒動でも「うつ病」が登場したことは皆様の記憶に新しいのではないでしょうか。<br />
それでは、世の中の精神科医や心療内科医たちはそれほどに未熟できちんとした教育を受けていない医師ばかりなのでしょうか。そうではありません。精神科あるいは心療内科の専門医たちは一定のレベルの教育と経験を踏んでいますから、それほどいい加減な診断をする人はそう多くはありません。「うつ病もどき」の増加の主な要因は3つあると思います。<br />
<br />
第１はうつ病に対する中途半端な啓蒙と自己チェックリストの氾濫によって、「自称うつ」が増えてしまったことです。<br />
これまで精神科医は「うつ病は心の風邪のようなもの」などと言って、うつ病の敷居を下げることに躍起でした。そのかいがあって、うつ病は人に言えない恥ずかしい病気ではなくなりました。しかし、「うつ病」が市民権を得たのはよいのですが、少し行き過ぎた感があります。<br />
中には自分がうつ病であることを誇るような人まででてきてしまいました。誇るというのは大げさかもしれませんが、「うつ」と言えば認知されているので、本当は医師からうつ病と言われていない人がうつ病と自称するケースがでてきました。<br />
「うつ病は自殺の危険がある」とか「うつ病に叱咤激励はよくない」といった知識が普及して、「うつ」と言えば、腫れ物に触るような扱いをしてくれることとも関係がありそうです。<br />
また、今流行の自己チェックリストも「自称うつ」を増加させているのではないでしょうか。「ゆううつですか？」、「疲れやすいですか？」なんていう簡単なチェックリストに「はい、いいえ」で答えて、「何ポイント以上あったらうつ病です。」というやり方をすれば、ちょっといやなことがあった人や、仕事が忙しい人は皆うつ病になってしまいます。<br />
チェックリストでなくても、家庭の医学といった本を読んでいると、皆重病に該当しているかのように感じられて不安になってしまうものです。<br />
<br />
第２には診断書には必ずしも正確な病名が書かれていないということです。以前にもふれましたが、医師は医師法によって患者の不利益になることに対しては守秘義務があります。従って、裁判所などに提出する診断書は別ですが、学校や会社に提出する診断書に記載する病名は、患者さんがその後不利益になる可能性のある病名は書きません。しかし、虚偽を書くこともできません。そこで精神科領域での診断書用の病名として頻用されるのが「うつ状態」という状態診断名です。<br />
精神的に不調な時には病気の種類に限らず、たいていはゆううつな状態になっていますから、嘘ではありません。しかもうつ病は前述の通りに社会的に認知された病気になっていますから、それを匂わせる状態診断名を書いておけば、当たり障りがありません。<br />
こういう理由から、「うつ状態」あるいは「抑うつ状態」という診断名が世間に溢れるようになりました。このことも「うつ」が猛烈な勢いで増えた理由のひとつです。<br />
<br />
第3に挙げなければならないのは一般身体科の医師と製薬会社の活躍でしょう。近年、比較的副作用の少ないといわれる抗うつ薬（SSRIやSNRI）が登場しました。これを機に製薬会社は売り上げ増加の目的で販路を拡大する作戦に出ました。つまり、これまで精神科や心療内科に限ってプロモートしてきた抗うつ薬を一般医、特に内科の医師を対象に売り込んだのです。<br />
売込みを受け入れた一般医たちにもそれなりの事情がありました。ここ10年ほど毎年のように診療報酬点数を下げられて経済的に苦しくなっていたのです。それまでは自分の領域とは思わなかったうつ病の患者を自分たちが診療することができれば、自分の扱うレパートリーが増えて収入増につながります。<br />
マニュアル化された診断法や自己チェックリストを用いれば、うつ病の診断は簡単であり、治療薬に副作用がほとんどないとなれば、治療も怖くはないと考えたのでしょう。一般医によるうつ病の診断と治療が一気に増えました。現在、抗うつ薬を服用している患者さんの過半数が一般科で処方されています。製薬会社の思惑が見事に当たったのです。<br />
一般科の医師がうつ病の診療をすることが悪いわけではありません。患者さんが気楽に受診できる機会が増えるわけですから、早期発見、早期治療につながります。しかしそれはあくまでも正しい診断と適切な投薬をするということが前提条件です。<br />
結果としては、マニュアルを正しく評価できないために、やたらにうつ病という診断だけが増えてしまいました。また、本当のうつ病ではない人に抗うつ薬を投与しても効果が上がりませんし、うつ病のタイプによってはSSRIやSNRIの投与は不適切な場合が少なくありません。新薬はオールマイティではないのです。<br />
不適切な投薬は精神症状が遷延化する遠因となりました。私たちのところへ回ってくる方は、一般医で治療していてなかなか治らなかったり、余計にひどくなったり、誤診の結果とんでもない症状が現れてからやって来るというケースが増えてきています。<br />
<br />
以上のように、本当の「うつ病」の増加に加えて「うつ病もどき」が紛れ込み、さらには安直な薬物療法が広まったことによって、「うつ」の診療に混乱がもたらされているのが現状です。<br />
本当の「うつ病」ではない「うつ病もどき」の正体については近いうちにお話したいと思います。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_67.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_67.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9852008年5月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 19 May 2008 10:06:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今時の「うつ」事情（１）―混乱している病名―</title>
         <description><![CDATA[一昔前は声をひそめてしゃべっていた「うつ」という言葉がおおっぴらに語られるようになりました。また、新聞をはじめ各種メディアでも「うつ」という言葉が頻繁に飛び交うようになりました。<br />
この理由は3つあります。第1は私たち精神科医たちの長年の努力によって「うつ病」が啓蒙されてきたことです。この結果、精神病の中でも特にうつ病に対する偏見が薄れてきて、訳の分からないいわゆる「きちがい」ではなくて、誰でもかかる可能性のある脳の不健康な状態であるという考え方が一般の人にも理解されてきました。<br />
第2は自殺が社会問題としてクローズアップされてきたことです。近年我が国の自殺者の増加は世界的に見て突出しています。一時期ほぼ同数であった交通事故死亡者数（現在は年間1万人を割った）をはるかに上回って年間3万人を超えています。<br />
特に中高年の自殺者の増加が目立って、この自殺の原因の75％以上が「うつ病」とも言われています。国も自殺の問題を軽視できなくなり、昨年から国家プロジェクトとして「自殺対策」、「うつ病対策」を考えるようになりました。<br />
第3は「うつ」の増加です。啓蒙活動によって「うつ病＝きちがい」というイメージは払拭されたのですが、本当に正しく理解されているかというと、そうではありません。「ゆううつ＝うつ病」という安直な理解のままに「うつ」という言葉が使われています。<br />
正しく使われていないことが多いために、以前このコラムで書いた「自律神経失調症」や「神経衰弱」などといった病名と同じようなあやふやさをもつことになりました。このようにうつ病が中途半端に啓蒙されたために「うつ」という言葉が独り歩きして「うつ」と称する（自称、他称を問わず）人が猛烈に増えたのです。<br />
それでは本当の「うつ病」と「うつ病もどき」とはどのような違いがあるのでしょうか。この話をするためには狭義（本当）の「うつ病」というものを説明しておかなければなりません。<br />
<br />
最初に、「うつ病」の定義についてお話をしたいと思いますが、この話をするにあたって先ず述べておかなければならないことがあります。実はメンタル系の病気の治療にあたる医師の間でも「うつ病」の定義に関して混乱があるのです。<br />
私が精神医学を初めて学んだ頃は、わが国はドイツ精神医学が主流でした。この流れをくむ従来からの診断法とその後台頭して、現在主流となっているアメリカ精神医学の診断法はかなり異なっています。このために、日本語で「うつ病」と言っても必ずしも同じ病態をさすとは限らないのです。<br />
ドイツ精神医学に基いた従来からの診断は現在の症状に加えて既往歴、家族歴、病前性格、経過などを総合的に判断して診断します。しかもそれぞれの項目の重み付けは診断する医師の判断に任されていました。<br />
ある場合は現在の症状に重きをおいて判断しますし、別な場合にはこれまでの既往や経過に注目して判断します。現在の症状がそれほど重たくなくても、病前性格を重要視して診断することもあります。<br />
したがって、臨床経験など、診断する医師の技量によって診断名が異なってくることがありました。また、国や風土の違いで診断が違ってきてしまうために国際的に比較検討する場合に不都合でした。何よりも主観的であいまい、科学的でないとの批判から逃れることができませんでした。<br />
また、精神科医療は医師、看護師、薬剤師などの医療人以外に臨床心理士やソシアルワーカーなどの福祉関係の人がかかわることが多い診療科です。このために専門的に医学を学んでいない人とも共通の認識を持つことが要求されました。<br />
こういう理由から、アメリカ精神医学会が、アメリカ人らしい発想で、診断のマニュアル化を進め、1952年にＤＳＭ（Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder）という診断マニュアルが作られました。<br />
この診断法は病因論などにはあまり踏み込まずに精神症状のみを論理的な推察と統計学的要素を取り入れて分類したことにより、診断基準を明確にし、今まで医師の主観的な判断に頼っていた診断をより客観的な判断によるようにした点や、技量の差異による診断の違いを小さくした点で評価されました。<br />
1980年に改訂された第3版ＤＳＭ-Ⅲあたりから急速に世界中に普及されてわが国においても取り上げられるようになりました。現在は2000年に改訂されたＤＳＭ-Ⅳ-ＴＲが使われていますが、2011年にＤＳＭ-Ⅴが出される予定です。<br />
しかし、ＤＳＭは従来までの診断法に比べて革命的なアプローチをもたらしたと評価される一方、診断基準の内容や疾患分類の妥当性については疑問視する声も少なくありません。また、政治的・経済的な圧力に左右された経緯があることから純医学的な概念ではないという指摘もあります。<br />
<br />
現在、もっと国際的広く使用されている診断基準にＩＣＤがあります。ＩＣＤは「疾病および関連保険問題の国際統計分類（International Statistical Classification of Disease and Related Health Problem）」の略で世界保健機構（ＷＨＯ）によって公表された分類です。<br />
ＩＣＤは当初は国際死因分類として1900年に国際統計協会により制定されました。以降10年ごとに見直しがされて、第7版からは死因だけでなく疾病の分類が加えられ、医療機関における医療記録の管理にも使用されるようになりました。現在の最新版は1990年、第43回世界保健総会で採択された第10版で、ＩＣＤ-10と呼ばれています。<br />
このＩＣＤ-10による診断もＤＳＭの流れを踏襲してマニュアル化されています。精神科領域の項目はかなりＤＳＭと重なります。<br />
ここでこのＩＣＤ-10による「うつ病エピソード」の診断基準を示してみます。<br />
〔特徴的な症状〕<br />
１.抑うつ気分<br />
２.興味・喜びの喪失<br />
３.活動性の減退<br />
〔他の一般的な症状〕<br />
１.集中力、注意力の減退<br />
２.自己評価と自信の低下<br />
３.罪責感と無価値感<br />
４.将来に対する希望のない悲観的な見方<br />
５.自傷あるいは自殺の観念や行為<br />
６.睡眠障害<br />
７.食欲不振<br />
ＩＣＤ-10では軽症と言えども〔特徴的な症状〕のうち少なくとも２つ以上、さらに〔他の一般的な症状〕の中から少なくとも２つ以上の存在が認められなければならないとされています。そしてこういった症状が２週間以上持続することが必要条件です。<br />
<br />
こういうマニュアル化された診断基準は誰でも診断ができて、共通の概念で話ができるという点ではとても優れているのですが、○&times;式の安直なやりかたなので診断の質が低下します。<br />
またこういったマニュアル化はいかにも客観的で科学的であるかのように見せかけられますが、一つ一つの症状項目があるかないかを判断するためには、やはり診断者の一定レベル以上の技量が要求されます。ですから、いくらマニュアル化しても診断の入り口はどうしても主観的なあいまいさが残るのです。<br />
<br />
マニュアル化された診断法が必ずしも優れているわけではないことはお分かりいただけたかと思いますが、それでも患者も医師、看護師、薬剤師も福祉関係者も共通の認識で話ができるのであれば、ＩＣＤに統一して話を進めたほうがよいでしょう。ところがそうもいかない別の事情があるのです。<br />
我が国の保険医療では厚労省が認めた病名とそれに適用とみなされた薬剤や治療法しか適用できないことになっています。この保険診療で使用される診断名は従来型の診断法による診断名なのです。<br />
したがって、我が国では1つの精神疾患の診断に従来型の診断法による診断名とＩＣＤ-10で代表される新しいマニュアル化されて診断法による診断名の二つが並存するのです。<br />
実際にうつ病を診療する場合、診療報酬を請求するレセプトには従来型の診断名を記載しなければなりませんが、自立支援法申請時の診断書にはＩＣＤ-10による疾病コードの記号と数字を記載しなければならないのです。<br />
あまり訓練されていない医師は新しい方式の診断を無理矢理従来型の診断にはめ込んで病名をつけざるを得ません。また、熟練した医師でさえ実践的な治療に即した保険向けの病名をつけざるを得ないのです。<br />
このことも「うつ」を取り巻く状況を混乱させて、「うつ」を増やしている大きな要因のひとつなのです。<br />
<br />
精神科医の間でもこれだけの混乱があります。ここに患者さんの自己診断や他の一般科医たちの精神科領域への参入があいまって「うつ」は訳の分からない状態になってしまっています。次回、そういった点についてお話したいと思います。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_58.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_58.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9852008年5月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 12 May 2008 12:11:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>後期高齢者医療制度新設の余波（いつものご都合主義）</title>
         <description><![CDATA[厚労省は診療報酬の請求を近い将来インターネットを使ったオンライン方式に切り替えようとしています。現在はレセプト用紙という紙を使っている医療機関とフロッピーディスクやＣＤなどで提出している医療機関があります。私のクリニックではフロッピーディスクで請求しています。<br />
このオンライン請求にする目的は経費削減と省力化ということになっています。確かに膨大な紙を使用することは資源保護の観点から考えてみるともっともと思われるかもしれませんが、果たしてなんでもかんでもインターネットを利用することがよいのでしょうか。私はそうは思いません。<br />
診療に関する諸情報は、各患者さんたちのもっとも大切な個人情報です。医師法で厳しく規定されている守秘義務に関する個人情報が山盛りです。このような重要な情報を、機密漏洩する危険の高いオンライン化してよいものなのでしょうか。<br />
そもそも省資源という謳い文句には嘘があります。私が一生懸命フロッピーディスクで提出したレセプトは、社会保険診療報酬支払基金や国民健康保険連合会で紙にプリントアウトして審査しているのです。実際にはペーパーレスにはなっていないのです。<br />
国の本当の狙いは別のところにあると私は考えています。第１は審査の省力化です。適当なソフトを考えれば、機械的に審査できるということです。単純事務上のミスでもソフトによる審査ではうむを言わせず査定してくることになると思います。<br />
第２の目的は上記第１の審査の強化によって支払うべき医療費の削減ができて総医療費抑制の一助になることです。このことがいかに無茶なことであるかは以前のコラムでお話しました。<br />
第３の目的は医師の定年制の事実上の施行です。厚労省はだいぶ以前から医師の定年制の実施を企てていました。高齢の医師には医療の現場から去ってもらおうと考えているのです。若くてもどうしようもない医師もいれば、後期高齢者になっても毅然とした医療をされている医師もいらっしゃいます。<br />
年齢で医師の適、不適を線引きしようなんて無茶な話で、医師会からの反対などもあってなかなか実現できないでいました。しかしながら、レセプト請求のオンライン化が義務付けられれば、多くの高齢の開業医は半強制的に引退せざるを得ません。<br />
医学や医療に関しては高いレベルの学識と技術を持っていても、コンピュータの知識はお持ちでない先生が少なくありませんし、そう長くない将来のことを考えるとオンライン化に伴ってパソコンの設備投資を逡巡される方が多いと考えられるからです。<br />
<br />
ところで、悪評の嵐が巻き起こっている後期高齢者医療制度（長寿医療制度）がなりふり構わず強引に４月１日からスタートしました。<br />
保険料の天引きに関する不都合が４万件以上に上ったことは新聞で報道されました。将来の医療の質が保証されていないことに対する不安の声も上がってきました。私が以前にコラムで書いたことが今になってやっと騒がれ始めました。<br />
遅きに失した感はありますが、今からでも問題点について議論されることは結構なことです。ところが、医療機関が被っている損害についてはあまり取り上げてくれません。医療者は数の上から言って圧倒的な少数派だからでしょうか。<br />
3年前に国会で決定した制度であるにもかかわらず、対象者である高齢者の方々への周知がほとんどなされてなかったことは既に野党やメディアだけにとどまらず、与党の一部からも批判・指摘されています。<br />
後期高齢者を受け入れる医療者に対しても十分な説明はまったくなされてきませんでした。どういう保険証でいつどういう形で配布されるのか。どういう診療体系になっているのか。70歳から74歳までの前期高齢者の方の扱いはどうなるのか。こういったことを私たち医療者が知ったのは制度開始のおよそ1ヶ月前3月に入ってからのことです。詳しい内容が各都道府県医師会を通じて教えられたのは3月下旬、制度開始の10日ほど前でした。<br />
4月1日新制度開始から今日までの病院窓口での混乱状況は報道されている通りですが、私たちはもっと別の深刻な問題について詳細を知らされずにやきもきして過ごしていたのです。<br />
それは4月診療分のレセプトをどこに、どのような形で（お役所仕事の通例だが、ひどく細かいことまでうるさい）請求すればよいのかが正確に通知されないままに月末を迎えてしまったのです。<br />
月末ぎりぎりになっておおまかなことと、つまらない枝葉のことだけが通知されました。しかし、各都道府県共通の書式が決められなかったためにレセプトコンピュータ会社の対応が間に合いませんでした。<br />
このために、コンピュータでレセプト管理をしているにもかかわらず、4月診療分はコンピュータからプリントアウトしたデータを紙に手書きで書き写さなければならないという、馬鹿げた事態になってしまいました。世はゴールデンウィークであるというのに私たち医療機関は黙々と数字を書き写す作業を夜遅くまでやらなければならないのです。<br />
<br />
ゴールデンウィークなんか無縁で働いている方は大勢いらっしゃるのは充分に承知しています。それなのになんでこんなぼやきを書くのかというと、少数派である医療者の声も少しは知ってほしいからです。<br />
私たちはこれまで数え切れないくらい何回も、国のご都合主義に振り回されてきました。しかし、「国策に失敗なし」とか「官僚に間違いなし」と皮肉って言われるほど、国家権力は己の非を認めはしません。<br />
いつもとばっちりを喰うのは国民と末端の役人と我々のような実務担当者です。こういった被害者の中でも少数派は特に置き去りにされてきました。医療に関することだけに限って言えば、これまでメディアは多数派である受療者の立場からの報道には力を知れても、少数派である医療者の立場からの意見はほとんど取り上げてくれなかったのです。<br />
私がコラムを書き続けている動機のひとつが医療者の声があまりにも世間に伝わっていないということです。これは日本医師会をはじめ医療者側の怠慢であるとの謗りは甘んじて受けなければならないと思います。そこで「ごまめの歯軋り」。私などがささやかなこのコラムを通じて少しでも声を上げようと思っているのです。<br />
<br />
私たち医療機関のことも少しは知っていただきたい。機密漏洩の点からも不安が大きい、信頼できる昔からのかかりつけ医師はずしが狙いの、レセプトのオンライン化に反対する私たちの立場にもご理解をいただきたいものです。<br />
<br />
今回の後期高齢者医療制度の導入がレセプトオンライン請求義務化の後であったとしたら、いったいどうやって手書きの請求書を光ファイバーに押し込めばよかったのでしょう？？
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_66.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_66.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9852008年5月</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 04 May 2008 10:38:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>統合失調症あれこれ（５）―させられ体験―</title>
         <description><![CDATA[「自分と他人の区別はつきますか？」と質問されたとしたら、ずいぶん馬鹿げたことを聞くと思われるに違いありません。「自分と他人の違いが分からないなんてことはありえないじゃないか。」と憤慨される方がほとんどであると思います。しかし、案外この自分と自分以外との区別というものは私たちの脳にとっては難しい課題のようです。<br />
<br />
前回の思考体験様式の障害のコラムで、思考という機能に関する作為思考（させられ思考）という症状についてお話しました。実はこの障害は統合失調症においては思考にかぎらず、さまざまな精神機能で認められます。<br />
つまり、統合失調症においては思考のほかに感情、衝動、意志、身体感覚などにも同様の障害が起き得るのです。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff">思考：</span><br />
作為思考（gemachater 
Gedanke）；考えさせられる。<br />
思考吹入（Gedankeneingebung）；考えが吹き込まれる。<br />
思考奪取（Gedankenentzug）；考えが奪い取られる。抜き取られる。<br />
思考干渉（Gedankenbeeinflubung）；自分の考えが他から干渉を受けている。自己のものから影響される。<br />
<span style="color: #0000ff">感情：</span><br />
作為感情（&rsquo;made&rsquo;feeling）；自分の感情が操られる。<br />
<span style="color: #0000ff">衝動：</span><br />
作為衝動（&#39;made impuls）；なにものかに突き動かされる。<br />
<span style="color: #0000ff">意志：</span><br />
作為意志（&#39;made&rsquo;volitional 
acts）；自分以外のものに意思決定されてしまう。<br />
<span style="color: #0000ff">行動：</span><br />
行為（&#39;made&rsquo;act）；させられてしまった行為。<br />
<span style="color: #0000ff">身体的感覚：</span><br />
身体的影響体験（influence playing on the 
body）；自分の感覚が他からの力で強められたり弱められたりする。あるいは感じさせられる。<br />
<br />
すなわち、「させられ体験」とはあらゆる心的な機能において、自分自身が主体的に行っているという意識（自我の能動意識）が消失して、自分が他者あるいは外部からの力によって操られていると感じる、病的で主観的な多岐にわたる症状なのです。<br />
すなわち「自己が心的作用の主体である」という感じの障害とか、さまざまな心的機能の「自己所属感」の消失であると説明されることがありますが、一言でいえば自我障害（Ichst&ouml;rung）ということになります。<br />
<br />
自我（英：ego、独：Ich、仏：moi）とは自分に関する意識体験です。自分とは意識する作用の主体としての自我と、意識される客体ないしは自己意識としての自己が同一であると感じる体験が健康な自我の特徴だといえます。<br />
この方向性は違うが同一だという明瞭な体験が崩れてくると今回のコラムで述べたような「作為体験（させられ体験）」が出現してきます。言い換えれば自分と自分以外との境界が不明瞭になって、主体と客体とのダイナミックなエネルギーの方向性がいい加減になった状態です。<br />
歴史的にも多くの著名な精神科医たちがこの症状に注目して研究してきました。<br />
中でもクルト・シュナイダー（K.Schneider）は、その症状が存在すればまず間違いなく統合失調症と診断してよいと考える「統合失調症の一級症状」<span style="color: #0000ff">*</span>の中核的な症状であるとしています。<br />
私自身も33年の臨床経験から、この「させられ体験」が認められれば、他の症状がその時点では顕在化していなくてもまず間違いなく統合失調症としてよいと考えます。<br />
<br />
さて、統合失調症の方はほとんどが「他からさせられて」困っています。しかし、これとは逆に他人を自分の思い通りに「させよう」として、ずかずかと土足で他人の心的領域に入り込んでこようとする人がいます。<br />
この場合にも自分と他人との境界があいまいで、他人を自分の一部であるかのように意識しているわけですから、一種の自我障害であると考えられます。しかし、こういうタイプの人は統合失調症であることは稀です。人格障害の方がほとんどと言ってよいのではないでしょうか。<br />
この種の人々も真の病識はありませんから、やっかいです。積極的に他人にちょっかいを出してきますから、こちらの方が周囲にとっては被害甚大かもしれません。文頭で述べた、自分と自分以外とをしっかりと区別して行動するということは存外難しい課題なのです。<br />
お互いに精神の健康を保って、自分と他人との間に適当な距離を保って生活していきたいものです。<br />
-----------------------------------------<br />
<span style="color: #0000ff">*</span>シュナイダーの一級症状：1.思考化声、2.問答形式の幻聴、3.行動について論評する幻聴、4.身体的影響体験、5.させられ感情、6.させられ思考、7.させられ行為、8.被影響体験、9.思考奪取、10.思考伝播、11.妄想知覚であり、大半が自我意識の障害に基づく症状と考えられます。
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_65.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_65.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9862008年4月</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 28 Apr 2008 11:51:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>後期高齢者医療制度あらため長寿医療制度　―ネーミングの問題か？―</title>
         <description><![CDATA[<p>
私が1月の21日にアップロードしたコラムで、「ユダヤ人をアウシュビッツに輸送する貨車」や「沈没船」を喩にだして解説した、後期高齢者医療制度がこの4月開始されました。<br />
予想していた通りに波乱の幕開けです。2005年、小泉の圧倒的与党多数の時代にあたふたと決まったこの「医療の姥捨て山政策」はこの3年の間、社会福祉政策のきわめて重大な方向転換であるにもかかわらず、国民に対してきちんとした説明をなされてきませんでした。<br />
案の定、4月1日のスタートと同時に全国各地から悲鳴が湧きおこりました。自治体から保険証が届かなかったり、届いた保険証を間違えて破棄してしまって、３月まで普通に受けてきた医療を受けることができない高齢者が少なからず出現しました。また、有無を言わせず年金から徴収する保険料に関しては、多くの自治体で計算を間違えて本来の保険料よりも高い金額を天引きすることになってしまったりもしています。<br />
さらには、4月から天引きが行われた自治体と、騒ぎを大きくしないために天引きを先送りする自治体とが現れわれています。保険料自体が自治体によってばらばらでありますから、日本全国平等という皆保険の大原則が介護保険に次いで、またもや破られました。これでは社会福祉全体が完全に破壊されていて、各州ごとに福祉サービスの異なる合衆国、アメリカと同じです。<br />
<br />
我々医療現場に立つ者にも甚大な影響が及んでいます。これまでの保険とはまったく違った枠組みの医療保険ですから全て登録しなおしです。しかも事前の説明が十分に行われてこなかったために、新しい保険証を持参せずに来院される方が続出。健康不良のために来られている方に対して診療拒否をするわけにもいかずに、仮登録でなんとか凌いでいます。<br />
また、4月の診療費のレセプト算定作業はあと10日ほどで行わなければならないのですが、このやり方がいまだにわれわれ医療現場に周知されていないというありさまです。厚労省はこの3年間いったい何に時間を費やしていたのでしょう。<br />
私は、この３年の間、国はむしろこの医療制度の詳細が国民になるべく知られないように腐心していたのだと推測しています。国がもう一つ懸命に努力してきたことはお金の計算ではないでしょうか。どうしたら、「赤字にならないようにするにはどれだけたくさん保険料を徴収して、どのように支払いを絞るか。」という観点からの試算に明け暮れていたのだと思います。実際の運用なんかにはほとんど関心がなかったのではないでしょうか。<br />
この老人向けの社会福祉制度も先行出発した介護保険制度と同様、保険料は遺漏することなく厳しく徴収し、支払いはできる限り少なくする。先日のコラムでも書いた、詐欺商法の鉄則をより完璧に遂行すべく用意周到に計算された最悪の医療保険制度です。<br />
内容はもっと劣悪です。「お年寄りがこの先も安心して医療を受けられるようにこの制度を整備した。」と言っていますが、本当はまったく逆です。この先負担が増えることが予想される高齢者の医療にかかわる国の負担を極力押さえ込むためことが真の目的です。<br />
先行出発した介護保険では、現在の保険料がすでに発足当時の支払額の２倍近くになった自治体もあります。今度の後期高齢者医療保険の保険料はこの介護保険料を上回るスピードで増額されることも予想されます。さらに一定期間保険料を滞納すると容赦なく保険証を没収されます。一方、受けられる給付（医療サービス）は介護保険と同様に年々基準を厳しくしていくと予想され、現在の水準の医療を受けることは困難になるのもそう遠い将来ではないでしょう。<br />
すでに高齢者の方の多くが医療を受けている慢性疾患に対しては専門医への受診や、必要な検査を受けられないようなシステムである後期高齢者診療料という「まるめ」方式<span style="color: #0000ff">*1</span>が採用されました。<br />
また国は、在宅では介護が困難な高齢者が多数入院している療養型病院を取り潰しにかかっています。受け皿となるべき施設や在宅システムも完備しないままに削減目標数まで潰していく予定です。<br />
さらに、国は65歳から74歳の方の中で障害者の医療費補助を受けている方は強制的にこの「沈没船医療制度」に乗せてしまおうとしています。<br />
従来はさりげなくオブラート包んだやり方で表わしてきた、「社会の足手まといになる年寄りや障害者は死ね」という国の本音がついに露骨に具現化されたのがこの新医療制度です。<br />
この保険新設の根拠となっている試算は「団塊の世代が後期高齢者になる時点ではこの年寄りたちにかかる医療費が12兆円に達する。」というものです。12兆円と言えば大変な金額に聴こえますが、今政府与党が2/3条項を使って復活を企てている道路特定財源からの無駄遣いの額がちょうど年12兆円になると聞いております。なんとも皮肉な数字の一致です。<br />
それでも国民は、これまで長きに渡って我が国の復興に尽くしてきた高齢者および将来高齢者になる団塊の世代をこの世から抹殺するための冷酷無比なこの医療制度を、羊のようにおとなしく受け入れようとしています。もし我が日本国民が家畜のようにおとなしい国民性でなく、ラテン系の血が流れていたならば暴動が起きてもおかしくない制度です。<br />
いや、このことは後期高齢者医療制度にかぎったことではありません。日本人に自由や人権は自分たちの力で勝ち取るものだという意識が少しでもあったならば、今まで度々このコラムで取り上げてきた介護保険、郵政民営化、自立支援法などの段階でとうに暴動が起きていても不思議ではなかったと思います。<br />
わが国においては長い江戸時代に培われた「お上意識」が国民に染み付いており、戦後の民主主義も占領軍から与えられた制度であって、本当に自分たちの力で勝ち取った国民主権という意識が育っていません。「お上には逆らってはいけない。」、「お上に任せておけば大丈夫。」という意識が骨の髄まで染み付いているようです。<br />
確かに、自分で考え、自分で行動するよりも、全て他人任せのほうが楽です。いらぬ労力を使うことがありません。しかし、そういう態度が、我が国に耳ざわりのよいワンキャッチコピーに拍手喝采するポピュリズムを蔓延させて本当の民主主義が育ってこなかった元凶なのではないかと私は考えます。<br />
<br />
不評の嵐が巻き上がると福田総理大臣が「これは後期高齢者医療制度という名前が悪いイメージでよくない。『長寿医療制度』に変更しなさい。」との指令を出しました。これを受けて急遽名称を変更するようですが、中身をまったく改めることなく、非難の矛先をかわすために聞こえのよい名称に変えようという発想はまさに詐欺師の本領発揮と言ったところでしょう。<br />
名前さえ変えれば国民はごまかせると考えているのでしょう。これほど国民を愚弄した態度を許すことはできません。日本国民は国家という本来国民のための僕から完全に馬鹿にされているのです。<br />
これほどなめられているにもかかわらず、「はいそうですか。ありがとうございます。」とごまかされてはいけません。問題は私たちの生存権にかかわることです。<br />
外交などの難しい議論はともかく、私たち日本人も、少なくとも自分たちの生活の根幹にかかわる問題については「Yes!」、「No!」の意思表示をできるくらいの民度になりたいものです。<br />
日本人も与えられた民主主義ではなく、そろそろ自分たちで考え、自分たちで行動することによって国家を動かす真の民主主義に目覚めてもよい時期ではないでしょうか。<br />
親を踏み台にして繁栄する国家に子孫の繁栄があるはずがありません。
</p>
<p>
-------------------------------------------------------------<br />
<span style="color: #0000ff">*1<span style="color: #000000">丸め方式：診察料、検査料、指導料などのそれぞれの診療行為に対する出来高払い制ではなく、特定の病気に対してはどんな診療を行っても一月いくらと決まった額しか支払わない方法。後期高齢者医療制度では高血圧、高脂血症や認知症などの慢性疾患に対して後期高齢者診療料として取り入れられました。検査漬けなどの過剰診療を抑制する効果はありますが、今度は必要な検査も行わないという事態が予想されます。なるべく何もしないほうが儲かるからです。真面目に診療すればするほど医療機関は赤字になります。</span></span>
</p>
]]></description>
         <link>http://www.clinic-nishikawa.com/post_64.html</link>
         <guid>http://www.clinic-nishikawa.com/post_64.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9862008年4月</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 20 Apr 2008 10:58:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ねたみそねみは身を滅ぼす</title>
         <description><![CDATA[<p>
人間の行動の基にはさまざまな心理規制が働いています。合理化、反動、昇華などといったものです。その大元をたどると性的な欲動、安全を求める本能、社会的な欲望、倫理的な正義感、美的な熱情などが存在すると考えられています。<br />
そういった行動の動機のひとつに「妬み嫉み」があり、シーザーの暗殺や西太后による残酷な粛清など、歴史に残るような大きな出来事もこの嫉妬心が原点になっていることも少なくありません。<br />
私たちの日常の行動の中にも他人に対する嫉妬心からとっている行動があります。本人がそうと気付いている場合もありますが、自覚していないことが多いようです。多くの場合は合理化して「社会正義」や「倫理道徳」に基く行動だと信じているのでやっかいです。<br />
<br />
さて、ここ数年医療業界の話題の1つに「コンタクト眼科」の問題があります。いわゆる「コンタクト眼科」とはコンタクトレンズ販売店の隣で開業している眼科診療所のことです。<br />
コンタクトレンズは眼球に直接装着する高度医療用具に指定されています。ですから、レンズを購入する際には法的には不要ですが、事実上は医師による処方箋が必要です。また、定期的に診察をして角膜の状態をチェックしていく必要があります。<br />
眼球は脳の一部が頭蓋骨の外側に直接突出してできている器官です。手や足のように脊髄から出た末梢神経に支配されている部位とは違います。極端にいえば脳そのものともいえるのです。表面を被っているのは透明でデリケートな角膜です。ですから、角膜は常に、コンタクトレンズをつけていることが可能な健康状態にあるわけではありません。また、角膜のカーブの具合は人によって異なりますし、その角膜を潤している涙液（涙）の分泌量もさまざまです。<br />
ですから、コンタクトレンズを作る時には屈折率（度数）を測定する以外に、レンズを装用してよいかどうかの判断が必要ですし、そういったもろもろの眼球の状態に合わせた処方箋が必要になります。レンズを着けてはいけないような角膜の状態の人が無理に装用したり、その人に合わないレンズを装用すると角膜を傷つけてしまうことになります。医学的な知識や技術が要求される意味でマスクや絆創膏とは訳が違うのです。<br />
さらに、正しい使い方をすることも大切です。装着したまま眠ってしまうように、あまりにも連続して長時間装用を続けたり、傷の付いたレンズや清浄保存しないレンズを装用したりすると角膜に大きな損傷をきたします。ほうっておいて使い続けると失明してしまうことだってあります。<br />
重ねて言いますが、コンタクトレンズは眼科専門医の指導の下に使用されるべき高度医療用具なのです。<br />
<br />
日本人はもともと遺伝的に近視が多く、また若い人は眼鏡よりコンタクトレンズを好みます。したがってコンタクトレンズの売れ行きは増加の一途です。このために商業地区で開業しているコンタクト眼科は隣にコンタクトレンズを買いにきた人がたくさん受診します。住宅地で地域住民を相手に開業している眼科医に比べて圧倒的に強い集客力を持ちますから収入にも開きができます。　一般の眼科医たちはこのような事態が面白くないことは言うまでもありません。<br />
そこへもってきて、とんでもなくずる賢い連中が現れました。彼らは医師を雇って院長に仕立てて、自分のコンタクト販売店の隣に眼科診療所を開設させます。そして本来はレンズを売ることによって利益を売るはずの販売店が商品販売による利益を度外視した価格でコンタクトを売り、実質的に経営している隣の眼科診療所の収入で儲けを出そうと考える人が出てきたのです。<br />
コンタクトレンズは商品というよりは患者集めのためのたんなる促販品にすぎませんから、仕入れ値よりも安い値段で売る店まで現れました。まさに小泉が待ち望んでいた株式会社による医療機関の経営です。<br />
「コンタクトが安く買えていいじゃないか」、「これこそ小泉さんが言っていた自由競争によるサービスの向上だ」とおっしゃる方が多いと思います。しかし、実態はひどいものなのです。そういった店は商品で損をして診療でそれを上回る儲けを出さなければなりませんから、診療にむりがあります。必要もない検査をしたり、定期的に来ている再診の方を初診として扱って高い診察料をしたりです。<br />
そもそも眼科診療にはかなりの専門性が要求されるのに、そういう診療所の書類上の「雇われ院長」や実際に診察する医師は、眼科専門医ではなく内科であったり、脳外科であったりする場合が少なくありません。眼科専門医を雇うよりも安く雇えるからです。つまりデリケートな目の状態を診察する能力がない医師が診療に当たっているのです。<br />
したがって目のトラブルが絶えませんが、こういう発想をする経営者にとっては儲かりさえすればよいのですから、そんなことはどうでもよいことです。<br />
これこそが小泉の目指している医療の株式会社化の実態なのです。<br />
当然ながら患者さんとのトラブルも絶えません。また、その尻拭いが一般の眼科にも流れてきます。<br />
こうして一般眼科医たちの「コンタクト眼科」に対する「妬み嫉み」も頂点に達しました。眼科医の間から「コンタクト眼科」叩きの運動が起こってきました。こういう医師の間の内紛を厚労省が放っておくわけがありません。もともと医療点数の削減に躍起になっていた彼らは眼科医たちと一緒になってコンタクトを処方する際に必要な検査の点数を下げる方法をとりました。<br />
具体的には、平成18年4月の医療点数改定の際にコンタクト眼科を狙い撃ちにした点数の削減を行いました。少し分かりにくいかもしれませんが、簡単に説明しますと、全患者のうちでコンタクトの処方や定期検査をした人が70％を越える眼科診療所は同じ検査をしても、コンタクトの検査の率がそれ以下の眼科が同じ検査を行ったときよりも約半分の料金しか請求できないようにしたのです。<br />
さらに、一度でもコンタクト装用の経験のある患者さんは、その後何年か経って、まったく別の眼疾患、例えば白内障、花粉症やいわゆる「ものもらい」で受診しても「再診」扱いにしかしないというのです。<br />
そもそも保健医療とは、日本全国どこで医療を受けても誰もが同じ料金で受けられるというのが根本原則ですから、同じことを行っても料金体系に差をつけるということは、法律としてはかなり問題があると言えます。<br />
この2年間、コンタクトレンズの処方を中心に眼科を営んでいた診療所は次々と廃業に追い込まれました。ところが、先ほど述べたような手段を選ばないPコンタクト等の「叩き売りコンタクト屋」はあの手この手を使って今でも生きのびています。<br />
業を煮やした厚労省と眼科学会は「コンタクト眼科」の烙印を押す基準を30％（熟練した眼科専門医がいないクリニック）～40％（熟練した眼科専門医がいるクリニック）とハードルを上げてきました。しかも、「コンタクト眼科」との烙印を押されると、そうでない眼科と比べて同じ検査をしても1/4くらいの診療点数しか請求できないようにしたのです。つまり、コンタクト眼科では種々の検査の保険点数が18年3月以前に比べると1/10近くに引き下げられてしまったのです。<br />
今回の改定では明瞭に「悪質なコンタクト眼科を駆除する」という目的が示されています。「一掃された後には点数の復活を考える」と言っているのです。こんな姑息な手段で特定の医療機関を潰しにかかるということは適法なのでしょうか。<br />
それにＰコンタクトはそんなに一筋縄ではいきません。もともと金儲けのためならば恥じも外聞もない人達ですから、専門医の資格をもっている眼科医を見つけ出してくるでしょう。既に名義貸しみたいな方法だってとられています。<br />
またこういったところは安い「再診料」より高い「初診料」を得るために、雇い院長を数ヶ月で次々とチェンジして閉院、開院をくり返すという離れ業をやってのけています。医療法では見かけ上の経営者である院長が交代すると、同じ場所で同じ設備同じカルテを使って診療をしていたとしても、まったく別の医療機関ということになります。<br />
ですから極端な話、毎月院長が交代すれば同じ患者さんが1ヶ月ごとに受診したとしても毎月初診料をとることができるのです。このからくりは、院長をしていた父親が死亡したので、その子供が院長を継承する場合にも適用できます。しかし、一般的に良識のある医師であれば、ちょっと前まで父親が主治医であったなじみの患者さんが引き続いて同じ病気でかかった時に、「別の診療所だ