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   <title>クリニック西川 東京都 豊島区 大塚 精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科 往診 うつ病 パニック障害 認知症 メンタルクリニック</title>
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   <updated>2010-09-05T22:54:56Z</updated>
   <subtitle>東京都豊島区大塚駅近くにて精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科の診療をしているクリニックです。訪問診療も行っております。お気軽にご相談下さい。</subtitle>
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   <title>人種の高齢化</title>
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   <published>2010-09-05T22:45:25Z</published>
   <updated>2010-09-05T22:54:56Z</updated>
   
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      <![CDATA[ここ数年、「草食系」、「肉食系」という言葉を耳にします。多くは「草食系男子」と「肉食系女子」です。特に「肉食系男子」が多用されます。「最近の若い男性は草食系が多くなっている」といったふうにです。実際に、あるアンケート調査によると、30代未婚男性の13％が「完全に草食系男子」、61％が「どちらかというと草食系男子」と、自分のことを草食系男子と思う男性が75％に上っています。ところで「草食系男子」とは一体どういう男の子のことを言うのでしょうか。<br />
まだはっきりとした定義はありませんが、「恋愛やセックスに縁がないわけではないのに積極的でない、肉欲に淡々とした男子」、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系でなく、異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う男子」、「心が優しく男らしさに縛られていず、恋愛にがつがつせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子」といった解釈が一般的です。<br />
ところが、マスコミでは草食系に派生して「スカート男子」といった言葉も使われるようになり、女性の目から見て男性を嘲笑する報道も多くなっています。また、元気のある女性を肉食系女子として、これに対して元気のない男性を草食系男子と呼ぶことも少なくありません。また、男女を問わず、元気のない若者の代名詞として「草食系」の言葉を使うことも多くなってきました。<br />
こうなると、若い男性諸君の大半が自分のことを草食系男子と自任している現状は実に由々しき問題です。本当に日本男児はそんなに元気を失ってしまったのでしょうか。<br />
<br />
愛車の整備のために馴染みのバイク屋さんに行ったところ、彼が「大型バイクに乗りたいという若い連中がめっきり減ってしまったのでバイクが全然売れないよ」とボヤいていました。<br />
バイクだけではありません。近頃の若者は4輪車に対する興味もあまりないようです。車やバイクどころではありません。最近はゲンチャリさえ売れなくなっているようなのです。<br />
私が「雇用不安で若者がお金を持っていないからじゃないの？」と聞くと「いや、それだけじゃないと思うよ」。「前は、喰うものを我慢してもどうしても大型バイクが欲しいって奴がいたんだけど、最近は欲しい物の順位が全然変わっちゃったんだよね」。<br />
もう40年以上も前のことになりますが、自分が思春期だった頃を思い出せば、どうしても車を手に入れたかったし、バイクを跳ばすことを夢見ていました。その動機といえば、ただただ女の子にもてたいという一心でした。<br />
強くなるために柔道を励んだのも、ギターを一生懸命練習したのも、よい成績をとりたくて勉強したのも、元を辿れば、女の子にもてたかったからです。<br />
若い頃のすべての行動の源は異性の視線に対してなんとか目立って自己アピールして、その他大勢に埋没してしまわないための足掻きであったように思います。<br />
そして異性とは親密な関係になるための対象であって、決して一緒に草を食む仲間として求めてなんかいませんでした。あわよくばと不埒な妄想の対象であった娘から「西川君はとっても大切な友達よ」と言われた日は、悲しくて悔しくて眠れなかったことを思い出します。つまり、私の若い頃の行動の大半は肉欲に突き動かされていたと言ってもいいでしょう。<br />
さすがに最近では、そんなエネルギーはありませんが、それでも未だに異性から好かれたいし、異性から褒められることが何よりの励みです。今風の言い方をすれば、私は根っからの肉食系ということになります。しかし、よくよく振り返ってみても、私が特別飢えた狼だったわけではありません。<br />
私の周りにいた連中は皆似たり寄ったりでした。むしろ私などは肉食系男子番付をつけたならば、せいぜい幕下筆頭くらいのものだったのではないでしょうか。ですから、今の若者の75％が草食系だと言われても俄かには信じられませんでした。異性を求める手段として、爪や牙を隠しておとなしい羊を装っているだけではないかと穿って見ていました。ところが、先日昭和22年生まれで日頃から若い男女に囲まれる仕事をしている友人から言われた言葉でこの考えを根底から変えることになりました。<br />
<br />
「僕は人というものは個体の年齢とは別に人種の年齢というものがあるんじゃないかと思うんだよ。先の戦争に敗れた瞬間から日本人は生まれ変わったんじゃないかな。だから、戦後間もなく生まれた人は文字通り赤子として生まれたけど、それから経済的に豊かになって世の中が成熟するにつれて日本人という人種が年をとっていって、今や初老から高齢になろうとしている。人種そのものが年とっているから、今生まれる赤ちゃんは生物学的には赤ちゃんであっても、全人的には初老なのじゃないかな。つまり、現代の日本人は初めから年をとって生まれてくる。」<br />
この意見は無論、科学的ではなく、アバウトで情緒的な印象を表現したものです。しかし、異性に対する態度に限らず、今の若者のいろいろな社会行動の特性を理解する上でとても分かりやすい考え方だと思います。今の若者は、同じ年の頃の私よりもずっと分別ある行動をして、無謀な冒険を犯しません。<br />
一方、昭和22年生まれを中心とした団塊の世代は、育ち盛りの日本全体を騒がせた学生運動の中心でありました。麻疹のような革命病が治った後は、猛烈サラリーマン、ちょい悪親父と、いつまでたっても自己顕示欲旺盛です。私の周りにいる連中を見ても、この世代はいつも何かしていないと気が済まない人がほとんどで、何かにつけてお騒がせな存在です。先ほどの説から言えば、生物学的個体年齢は高齢者に足を突っ込んでいるのに、全人的には未だに悪ガキのままと言えます。<br />
<br />
若年寄とガキ親父のどちらがよいとは言えませんが、自分自身の行動のいかんで、明日は今日よりよくなるかもしれないという夢を見ることができただけ、団塊の世代のガキ親父の方が幸せなのではないでしょうか。<br />
だからこそ、私たち団塊の世代はいつまでもガキぶりを発揮しているだけではいけません。自分たちが好き勝手にやってきたおかげで、大人で生まれてしまった若者が、夢を見ることの楽しさ味わうことができるように、今少し世の中に変えていく義務を背負っているのだと思います。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>地球温暖化の元凶、戦争</title>
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   <published>2010-08-29T22:47:40Z</published>
   <updated>2010-08-29T22:51:54Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[暑い。暑い。暑い。今年の夏はともかく暑い。炎天下、アスファルトの路上に立つと、頭がもうろうとしてふらつき、息苦しくなって思わず犬のように口を開けてしまいます。暑いというより熱いと言った方が適切かもしれません。<br />
偏西風の流れが少し蛇行した結果、我が国上空に高温多湿の太平洋高気圧がどっかりと居座るラニーニャ現象が、この連日の殺人的な暑さの原因だそうです。<br />
私は、始めのうちは「また夏が来たな」くらいに思っていました。ところが、毎日エアコンをフル稼働しながら連日のように36℃だ37℃だというニュースを観ているうちに、これは本当に異常な暑さなのだと考えるようになりました。実際に、４万人を超える人が熱中症で救急搬送されて死者も150名近くに達しました。<br />
以前のコラムで書いたとおり、人間の記憶はメタモルフォーゼします。ですから、「今年は過去に比べて格段に暑い」と感じても不確かな印象でしかありません。しかし、先日家内から「小学生の時の夏休みの日記帳にその日の天候を記入したけれど、30℃を超えた日はそれほど沢山なかったわよね」と言われて自分の体感記憶に自信を持ちました。<br />
確かに、子供の頃、夏の日記帳に書いた気温は28℃や29℃がほとんどで30℃を超えた日は数日だけでした。ましてや、35℃などという数字を記した覚えはありません。日本の夏は確実に暑くなっているのです。<br />
暑さだけではありません。全国各地で局地的にダムの底が抜けたような豪雨が起きています。にわか雨は夏の風物詩とはいえ、その程度がにわか雨の限度を超えて、全国各地で観測史上記録を更新しています。<br />
また、本州でバナナがすくすくと繁茂し、これまでには見られなかった生物が発生し、山からは人里へ猿が侵出するなど、生物相の変化までも現れています。異常気象と言うよりは、わが国が亜熱帯になったと考えた方がよさそうです。<br />
毎日、熱中症による死亡者が報告されるに及んで、学識者と称する人間の奨める熱中症対策も昨年までとは異なってきました。これまでは「エアコンのかけ過ぎはいけません」と物知り顔で述べていた人間がここへきて「寝ている間も危険なので朝までエアコンを使う方がいいです」ところっと主張を変えています。<br />
私は、ずいぶん以前から、エアコン有害論が間違いであり、大都市の夏を生き残るためにはエアコンを積極的に使用しなければいけないということを主張してきました。ようやく私の意見が認められたようです。<br />
<br />
私はこの他に気になることがあります。それは今年、まだ台風が来ないことです。台風は毎年我が国に大きな人的、経済的被害を及ぼす迷惑な自然現象です。しかし一方、我が国の重要な水源でもあります。このまま台風不足のままで乾燥した冬を迎えると、深刻な水不足が懸念されます。<br />
いくらなんでも9月、10月には台風が訪れると思いますが、いざ台風が来襲するとなると今度は未曾有の被害が出る恐れがあります。なぜならば、日本近海の海水温が非常に上昇しているので、台風が日本上陸間際まで発達し続けて、これまでにない大型台風となる可能性があるからです。ハリケーン、カトリーヌ級の大型台風襲来もあり得る状況です。<br />
さらに、海水温の上昇は台風シーズンを延長する可能性もあります。例年ならば冬物を引っ張り出す11月、12月に台風が襲来することもあり得ます。<br />
そして秋らしい秋を体験しないまま冬になるかもしれません。地球温暖化の一段として気候の変動が極端になると言われますが、まさに今年はそのシナリオ通りになっています。<br />
<br />
私は未だに二酸化炭素による地球温暖化説の通りに事が進むとは思っていません。過去の歴史からみて地球規模の気候変動がたった一つの要因だけで決まるわけでないと思うからです。このまま二酸化炭素が上昇したとしても、巨大火山が爆発して火山灰が成層圏まで達したならば、太陽光が遮断されて地球は寒冷化します。また、火山爆発がなかったとしても地球の公転のぶれによってこれから地球は太陽から遠ざかるために放っておいても徐々に寒冷化へと向かいます。地球の気温の決定にはこのように様々な因子が関与するので単純に温暖化するとは言い切れません。<br />
ただし、私たちが今迄のようにエネルギーを使用し続けるならば大気中の二酸化炭素濃度が上昇して酸素濃度が低下することだけは確実です。そうなるとやがて、私たちは毎日息苦しさを覚えるようになるでしょう。激しい運動はできませんから、オリンピックやワールドカップもできなくなるかもしれません。少なくとも各競技での新記録更新は困難になるでしょう。<br />
ですから世界が今、化石燃料の無駄遣いを止めて省エネの生活をする努力をしなければならないことは間違いありません。先進国は強欲アメリカを除いてこの現実を認識して真剣にエネルギーを浪費しない生活へと舵を切ろうとしています。しかし、発展途上国はそうも言っていられません。先進国が今迄浪費してきたつけを自分たちに回されても困るというのが彼らの主張も分からないではありません。<br />
たとえるならば一部の連中がずかずかと食堂に上がり込んで、早い者勝ちとばかりに手当たり次第に御馳走を食い散らかして、いざ自分たちが食堂に到着すると、「食べ物は大切にしなければいけないからみんなで我慢しよう」と言っているようなものだからです。<br />
この理屈は核拡散防止問題でも同じことが言えます。アメリカは広島、長崎で大量虐殺しておいて正式な謝罪をしないどころか、いまだにその核爆弾で世界ににらみをきかしています。そして他の国が同じ武器を手にしようとした時、そんなアメリカから「人道に反するから核はおれたち以外は持ってはならない」と言われたって納得する方が不思議というものです。<br />
しかしアメリカばかりを非難することもできません。エアコン使用を勧める私の主張も同じ矛盾を抱えているからです。エアコンを使用すると、室内の高温に加えて機械の発生する熱を室外、すなわち街中へ排出します。ですから、皆がこぞって一日中エアコンを使用したならば都市の気温はいっそう上昇してしまいます。ヒートアイランド現象を促進し、ひいては地球温暖化に加担することになります。<br />
地球の将来を考えるならば、皆でエアコンを我慢して耐える必要があるのです。ただしそうするためには、道路からアスファルトやコンクリートをはがし高層ビルを取り壊して木造建築に立て直す必要があります。車の使用などもってのほかです。<br />
しかし、そんなことをしたならば現在の生活を維持することができませんし、熱中症で死者の山を築きます。現在の課題と将来の課題を両立させるということは甚だ困難な作業なのです。現実の生活と折り合いながら将来に備えるという難問題は私などの手に余ります。私だけではなく、一政治家、一国家の手にさえも負える問題ではありません。地球に住む全人類が知恵を絞り、一致協力してことに当たらなければならないのではないでしょうか。<br />
私が考えるまず手始めにやらなければならない行動は、軍事行動の中止です。イラク戦争に費やされた石油は一体どれほどの量でしょうか。雨霰のように落とされた爆弾の発生した熱、二酸化炭素の量はどれほどでしょうか。しかも、戦争は消費と破壊だけでいっさい何も生み出しません。これほど明瞭なエネルギーの浪費はありません。生活に必要なエネルギーを節約するのはその次だと思うのですが、エネルギー問題の観点から戦争を論じることが少ないのはどうしてでしょうか。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>雄弁</title>
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   <published>2010-08-22T22:25:13Z</published>
   <updated>2010-08-22T22:40:09Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[思考は頭の中の発声を伴わない言葉（内言語）を用いられて行われます。だから、語彙が乏しくて、文法の異なる外国語で難しいことを考えてもよい結論には至りません。これは頭の中では高等なことを考えついているのにそれを言葉にできないだけというのではなく、思考そのもののレベルが低くなってしまうのです。<br />
ネイティブでない人が英語で議論した場合、中学１年生レベルの英語力の人は中学１年生レベルの論旨しか展開できません。高校３年生のレベルの英語力を持っている人は高校３年生並みの主張をすることができます。つまり、思考力は言語力に裏打ちされているのです。<br />
だから、私は以前のコラムでグローバル化の掛け声のもとに、小学校低学年における国語教育を削って英語教育を開始する現在の潮流に異を唱えました。この年齢はすべての分野の基礎力が養われる時期です。ここで国語力を鍛えないということは、すなわち思考力の低下につながります。<br />
英語教育早期開始を訴える人たちの主張も実はここにあります。つまり、いくら日本語において優れた主義主張を持っている人でも、外国語力がなければ、外人相手の交渉であっさりと負けてしまうことを危惧しているのです。しかし、本当に外人相手にその国の言葉で打打発止とやりあうための語学力にはネイティブに近いバイリンガルのレベルが要求されます。中途半端なセミリンガルでは所詮たいした交渉はできません。<br />
そこで、小学校から英語教育をしたとしても、バイリンガルを育てることはそう簡単ではありません。なんとかセミリンガルを創り出すのがやっとのことだと思います。<br />
悔しいことですが、経済、軍事的な力関係から、今の世界では英語をしゃべれなければ海外での活動はおぼつきませんが、本当の勝負は表面的な語学力ではありません。ましてや語彙の数ではなく、その人の思考力、人間力です。難しい部分は通訳に頼ればよいのです。まずは、思考力その物を高くすることに精進するべきなのではないでしょうか。そのためには母国語を徹底的に教育しなければなりません。<br />
私は英語教育を軽視しているのではありません。二兎を追う者は一兎をも得ず。外国語を教えるために母国語の教育をないがしろにすることに反対しているのです。<br />
<br />
語学力の重要な要素に語彙数があります。一つのことを言うのにどれだけのの表現を持っていて、それぞれの微妙な意味や使用法の違いを知って使い分けられるかで語学力のレベルに差が出ます。その差は思考力にも影響します。なぜならば語彙が豊富だということは、内言語が豊かであることであり、概念が豊富であるということだからです。<br />
朝の挨拶一つとってみても、「おはようございます」、「こんにちは」、「ごきげんよう」、「おはよう」などの言葉を時と場所に応じて使い分けられる人と、どんな時でも「ちわーす」しか言えない人とでは、頭の中身の差は歴然でしょう。<br />
ただし、難しい単語をいくら数多く知っていても正しい意味を理解して、正しい脈絡を持って構成された文章表現をしなければなりません。すなわち、論理的な思考力が要求されます。意味を理解しないままに、耳に覚えのある言葉を脈絡なく並べ立てたならば、かえってお馬鹿さんを露呈しかねません。Ａ元総理は漢字の読み間違いだけではなく、しばしば言葉の間違った使い方をしていたのであれだけ皆から揶揄されたのです。<br />
脈絡なく単語を並べ立てる意味不明の発言の最右翼はなんといっても巨人軍監督の原辰徳さんでしょう。彼の残した迷言をいくつか披露しましょう。<br />
「悩みは誰にでもある。しかし、太陽は東から昇り、西に沈むんだ。」<br />
「巨人軍は、巨人軍独特の何人も侵すことのできない聖域がります。」<br />
「今の気持ちを表現するならば、大きな海が非常に凪の状態になっているという感じです。侍ジャパンは日本野球人、いや、世界野球人の代表。誇りという部分においては、しっかりと戦ってくれると信じています。」<br />
またとある実況解説で、「プロ初本塁打というのは打った場所、相手、球種、場面。すべてにおいて頭にインプットされているものなんです。彼も生涯、忘れることはないでしょう」と爽やかな発言に対して実況アナウンサーが「ちなみに原さんのプロ初本塁打はいかがでしたか？」と切り返すと、「わかりません」と即答したのは有名です。<br />
彼の生き生きとした感情は伝わってきますが、何を言わんとしているかは全く不明です。論理的思考とはかけ離れた発言ですが、嫌みのない人柄から、愛されこそすれ軽蔑されることはありません。ただ、正しい国語を教育して国民の思考力向上を目指さなければならないのに、次から次へと悪文例を作り出してくれる甚だ困った人でもあります。<br />
原監督の大先輩であり、国民的英雄であった長嶋茂雄さんは原語録がかすんでしまうような迷言、珍行動を残しています。天然ボケは巨人軍の伝統なのかもしれません。<br />
<br />
ところで、意味のない言葉の羅列は巨人軍の専売特許ではありません。最近、一般の方の会話の中に、気になるものが増えてきました。いろいろと単語や用語を並べ立てていて、耳にしただけでは何か大層なことを言っているように聞こえます。御本人も格好よく雄弁を奮っているように勘違いしているのですが、よくよく吟味してみるとほとんど内容のない会話。そういう発言をしばしば耳にします。<br />
そういう見かけ倒しの雄弁で目立つフレーズが「・・・・の上に、・・・」、「・・・・の中で・・・・」や「・・・・における・・・・」です。中も外もない、上下とはまったく無関係な文脈の中に、なぜか「上」や「中」や「おける」をつけたがる人が少なくありません。<br />
考えるに、語彙が乏しくて論理的思考訓練が不十分なために、それまできちんとした日本語を使ったことがない人が、社会人となって必要に迫られ商用文を覚えたところ、思考がそのパターンだけになってしまったのではないでしょうか。<br />
自分の思考力の乏しさを糊塗しようとしているのでしょうが、いくら形式ばった言い方をしても内容がなければ滑稽なだけです。しかも、長嶋さんや原さんのように伝わってくるパッションもありませんから、むしろ後味の悪さが残るだけです。<br />
結局、母国語、外国語に限らず、雄弁とは流暢に格好よくしゃべることではなくて、相手にこれだけは伝えたいという強い思いに裏打ちされた発言なのではないでしょうか。その強い思いがなければどんなに難しい単語を弄しても意味がないのだと思います。また、語彙が豊富で論理的であっても、その根底に実直な思いがなければ単なる詭弁です。竹中平蔵がよい例です。逆に外人がたどたどしい日本語でしゃべっても、真剣に何かを訴えている時には、私たち聞き手の方が想像力を動員して、その意を理解するではありませんか。<br />
つまり、本当の雄弁とは鋭い感受性、高い思考力、そして相手に対して誠実に向き合うことによってなされるのだと、自戒を込めて断言します。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>臨時休診のお知らせ</title>
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   <published>2010-08-15T15:07:48Z</published>
   <updated>2010-08-15T15:11:29Z</updated>
   
   <summary>患者さんの皆様へ ご迷惑をおかけ致しますが、下記の期間、臨時休診とさせて頂きます...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[患者さんの皆様へ<br />
ご迷惑をおかけ致しますが、下記の期間、臨時休診とさせて頂きます。<br />
<span style="color: #ff0000">臨時休診日：９月２１（火）、２２日（水）</span><br />
<span style="color: #ff0000"><u><span style="text-decoration: underline"><span style="color: #ff0000">な
お、１９、２０、２３日が定休日なので９月１９日～２３日まで５日間が連続休診となります。</span></span></u></span><br />
お薬が切れることのない
ように、予め、調整致すつもりですが、<span style="color: #ff0000"><u><span style="text-decoration: underline"><span style="color: #ff0000">診察をご希望の方は９月１８日（土）以前に御来院下さいますようお願い申し上げます。</span></span></u></span><br />
ご
迷惑をおかけしますが何卒お許し下さいますようお願い申し上げます。　　平成２２年８月
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   <title>金の斧</title>
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   <published>2010-08-15T15:04:59Z</published>
   <updated>2010-08-15T15:08:15Z</updated>
   
   <summary>イソップの寓話に「金の斧」というお話があります。皆さんよくご存じだと思いますが、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[イソップの寓話に「金の斧」というお話があります。皆さんよくご存じだと思いますが、改めてあらすじを述べます。<br />
<br />
あるきこりが川辺で木を切っていましたが、手を滑らせて斧を川に落としてしまいました。きこりが困り果てていると、そこにヘルメス神が現われて川から金の斧を拾ってきて、「お前が落としたのはこの金の斧か？」と尋ねました。きこりが「違います」と答えると、ヘルメスは次に銀の斧を拾ってきて、「それではこの銀の斧か？」と尋ねます。きこりはそれも違うと答えます。ヘルメス神が最後に鉄の斧を拾ってくると、きこりは「これが私の斧です」と答えました。ヘルメスはきこりの正直さに感心して、金、銀、鉄、すべての斧をきこりに与えました。<br />
これを知った欲張りのきこりは、わざと斧を川に落として途方にくれたふりをしました。ヘルメスが前の時と同じように金の斧を持って現れると、欲張りきこりは「それが私の斧です」と答えました。ヘルメスは呆れて何も渡さずに去ってしまいました。おかげで欲張りきこりは金の斧どころかもともと自分が持っていた鉄の斧も失ってしまいました。<br />
<br />
この話は無欲と正直を美徳とする寓話として解釈されていて、同じような話は日本の民話にも存在するとのことです。欲張りを戒める日本の民話は「瘤取り爺さん」、「舌切雀」など枚挙のいとまがありません。それだけ、昔から欲張りで嘘つきが多かったということだと思います。<br />
さて、この「金の斧」をよくよく考えてみると、このきこりが単なる無欲な正直者だとは思えません。むろん大嘘吐きの業突く張りだとは思いませんが、きこりという仕事に誇りを持った職人気質の男であり、物の本当の価値を知っていたことが重要なポイントではないかと考えます。<br />
彼が金の斧や銀の斧を断ったのは、金や銀は値が張って、飾るにはよいかもしれませんが、そんな柔らかい材料でできた斧は木を切り倒すという本来の目的には適さないということが大きな理由であったのではないかと思うのです。<br />
値段の高低と有用性の高低とが無関係であることは斧に限らずあらゆるものに言える自明のことです。ところが、すべてを金の尺度でしか判断しなくなった現代では、そんな当たり前のことが分からない人（欲張りきこり）が増えています。<br />
<br />
タレントが単に料理を食べて、「う～～～ん　美味しい」と言って見せるだけの何の意味もないグルメ番組とやらがあります。そこで供される料理のほとんどは確かに美味しいのでしょうが、中には「この人たちは舌で食べているのか？」疑いたくなる料理もあります。たとえば、世界三大珍味のフォアグラとキャビアとトリュフをてんこ盛りにした丼。確かに材料費からいって目玉が飛び出るような高価な一品かもしれませんが、ごちゃまぜにされてしまったらそれぞれの風合いが失われてしまって美味しいはずがないと思います。それなのに、そう仕事の多くないタレントはこう言います。「美味しい　最高です　究極の丼です」と。一方、「わあ　美味しそう　私も食べてみたい」という視聴者が少なくないのですから困ったものです。こういった食べ物は食欲を満たすのではなく、金銭欲を満たす料理です。味覚が退化して金銭感覚だけが肥大した現代人にぴったりの一品なのかもしれません。<br />
衣料装飾品もそうです。もともと大型のトランク作りで定評のあるフランスブランドのスカーフを気取って身に纏ったり、馬具製造から始まって革製品に定評のあるブランドのセーターを得意げに着たり。本当の物の価値を知っている人が見たら吹き出すような価値観の人がたくさんいるのです。<br />
<br />
スポーツの世界に「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉があります。むろん、ある程度以上の技量が備わっていなければ人を指導することはできませんが、人を指導、育成するにはプレイする能力とはまた質のちがう能力を要求されるのです。ところが先の名言があるにもかかわらず、スポーツの技量が優れていると何でもできると錯覚する人は少なくありません。元スポーツ選手の国会議員が大量に排出される理由です。ちょっとサッカーが上手かっただけで、「旅人」とか称してあちこちに顔出す勘違いまで出てくる始末です。<br />
一般の社会においてもそうです。売り上げナンバーワンの名営業マン＝名課長ではありませんし、名部長＝名社長ではありません。逆に、課長時代にはさしてうだつのあがらなかった人が重役に就任したとたんに大活躍することも稀ではありません。適材適所。営業に向いた人と、人や組織をマネージメントすることに向いた人がそれぞれいるのです。<br />
それに、多くの人のトータルの能力はそれほど差がありませんから、むしろ何かに優れていれば、何か欠点があると考える方がよいのです。それなのに、営業売上で好成績をあげると、人よりもすべてに優れていると錯覚しがちです。周囲も同じように錯覚します。質や特性を考慮しないで何か一つの軸における優劣でしかものを判断できない人が多くなってしまったのです。<br />
<br />
人々から物を多面的に深く考える能力が衰えていった原因は一つではないと思います。一つには、何でも単純に分かりやすくしてしまった方が楽だからだと思います。一つの軸で定量的に判断する方が労力が要りません。<br />
こうして、小学校に入る前から学力という人間の能力のごく一部だけを取り上げて何年にもわたって競争させられます。会社に入っても営業収益という数字に追いまくられます。その結果、傍から見れば出世したと見えるのに、実際には自分に向かない仕事や職責を背負いこんであくせく苦労する。そしてその苦労の割に成果が上がらず、自らも幸せ薄く、空しさだけが残る人生を送る人が後を絶たないのです。<br />
見かけ倒しの金の斧ではなく、切れあじ鋭い鉄の斧の人生もいいもんですよ。
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   <title>ＭＣＩ（軽度認知障害）</title>
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   <published>2010-08-08T15:01:39Z</published>
   <updated>2010-08-08T15:04:25Z</updated>
   
   <summary>老年期精神医療関係者の啓蒙活動によってアルツハイマー型認知症で代表される認知症（...</summary>
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      <![CDATA[老年期精神医療関係者の啓蒙活動によってアルツハイマー型認知症で代表される認知症（痴呆）は我が国で多くの人によく知られるようになりました。認知症に対する理解は深まったのですが、今現在、認知症に対する治療薬はドネペジル（アリセプト&reg;）一種類しかありません。しかも、この薬剤は認知症本体を治して元の機能に戻すわけではありません。進行を遅らせる効果しかないのです。<br />
現在、世界中でアルツハイマー型認知症の治療薬開発にしのぎが削られていますが、こういった開発中の薬も進行を遅らせたり、発症を予防することを狙ったものがほとんどです。進行してしまった認知症を治すことはできそうにありません。<br />
こうした流れの中で老年精神医学者が注目しているのがＭＣＩ（mild cognitive impairment：軽度認知障害）という概念です。<br />
ＭＣＩとは記憶は年齢相応を超えた機能低下があるものの、認知機能や社会生活に支障をきたしていないために認知症とは診断されない人たちを言います。<br />
なぜ、注目されているのかというと、最近の研究でこういう人たちが早晩、本当の認知症に発展していくことが分かったからなのです。つまり、認知症予備軍、あるいは潜在的認知症と言えます。したがってこういう一群の人たちを早期に発見して、治療プログラムに乗せることこそが最も有効な認知症対策ではないかと考えられるのです。<br />
ここでＭＣＩの定義を以下に整理してみます。<br />
1. 年齢に比べて強い記憶障害がある。<br />
2. 日常生活は自立している。<br />
3. 全般的な認知機能は正常。<br />
4. 認知症の診断基準を満たさない。<br />
5. よく観察するとBPSDがしばしば認められる。<br />
BPSDとはbehavioral and psychological symptoms of dementiaの略で、認知症に伴って認められる周辺症状です。具体的には暴行や暴言、徘徊、幻覚・妄想、抑うつ、意欲低下などの症状のことです。つまり、はっきりとした認知症の症状が出そろう前に、周辺症状だけが目立つ場合があるのです。こういう症例は今までは老年期精神病とか老年期うつ病と診断されていた可能性があります。<br />
この段階で認知症の予備軍と判断するか否かで予後が大きく変わってくる可能性があります。実際に最近の研究で、ＭＣＩの段階で早期に対処すると本当の認知症にならないで天寿をまっとうできる可能性があることが示されました。<br />
早期の対処とは、認知症の増悪因子である、高血圧、糖尿病、高脂血症などの基礎疾患を厳格に治療すること。規則正しいライフスタイル、食生活を確立すること。保護的で快適な生活環境をたもつこと。そして、ドネペジルを服用させることです<br />
皆さんの周囲でＭＣＩに該当しそうな高齢者はいらっしゃいませんか。もしそういう老人を見つけたならば、速やかに精神科医への受診を勧めましょう。<br />
<br />
私も最近、人の名前や用語が喉元まで出かかっているのに、なかなか正確に口に出せないことが増えました。その結果、「あれ」だとか「それ」だとかの多い会話になってきました。息子から「何を言いたいのかは分かるけど、ちゃんと思い出さなければいけないからちゃんと思い出すまでは答えてあげない」と言われることがあります。<br />
高血圧、糖尿病、高脂血症はないのですが、お世辞にも規則正しい生活をしているとは言えません。要注意ゾーンにさしかかっているのかもしれません。ドネペジルを飲み始めようと思っているところです。
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   <title>損して得取れ</title>
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   <published>2010-08-01T15:01:26Z</published>
   <updated>2010-08-01T15:05:11Z</updated>
   
   <summary>大塚駅の駅ビル建設が決まりました。これで数年後には大塚駅もようやく都心駅らしくな...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[大塚駅の駅ビル建設が決まりました。これで数年後には大塚駅もようやく都心駅らしくなります。戦前、大塚が池袋や巣鴨よりも賑わっていて、この地区の中心であったことは以前のコラムでお話ししました。ところが、いつの間にか山手線の駅の中で1,2を争う情けない駅になってしまいました。<br />
衰退の最大要因は地下鉄と接続していないことです。東京唯一の路面電車である都電とは接続していますが、早稲田と三ノ輪橋というあまりにもローカルな地域を結ぶ路線では大きな発展は望めません。東京中を張り巡らされた地下鉄ネットワークと繋がっていないことは致命的と言えます。<br />
聞くところによると、地下鉄丸ノ内線開設時、大塚駅で省線（現在の山手線）と接続する案もあったそうです。このプランが日の目を見なかった理由の一つに、地元商店主たちの利権争いがあったようです。当時この地区の有力者であった人物が自分の土地の近くに駅を誘致しました。その結果、国鉄大塚駅から600ｍ近く離れて、変死体を行政解剖する監察医務院くらいしかなかった辺鄙な場所に新大塚駅ができたのです。<br />
最近多い人身事故で山手線が止まると、「地下鉄に振り替えてください」と構内アナウンスがあります。しかし、山手線に乗れば2分ほどで着く池袋に行くために、10分弱歩いて地下鉄に振り替え乗車する人は多くありません。<br />
<br />
大塚駅はその後も何回か復興の機会があったようですが、その度に目先の利益しか考えられない人たちによって潰されてしまいました。<br />
私がこの地に移ってから20年ほどになりますが、この間にもチャンスがありました。ＪＲの貨物操車場跡地の売却に伴って、駅ビル建設と改札口増設の提案があったのです。<br />
当時はバブル経済の最中で、池袋新都心の商業地域がサンシャインシティを越えて大塚の方まで拡大してきていました。このために大塚駅に近いビルに沢山の会社が入って、通勤のためには池袋駅よりも大塚駅の方が近い会社員が増えたのです。ところが、大塚駅には巣鴨寄りの改札口一つしかありません。通勤客は大変遠回りの歩行を余儀なくされており、池袋寄りの改札口増設が望まれていました。<br />
ところが、これまた、地元商店街の猛反対で実現せず、中途半端なホテルが建ってしまいました。反対理由は「駅ビルができると地元商店街のお客が減る」、「改札口が増えると池袋方面に歩いていく人たちが自分たちの店の前を通らなくなってしまう」というものでした。なんともはや、ケツの穴が小さいというか、近視眼極まれりと言うか。自分だけの、しかも目の前の利益にだけに目がくらんだ結果、町全体の活気を失わせ、結局は自分の首を絞めることになったのです。金の卵を産む鶏を見た欲張りが鶏の腹を裂いて殺してしまい元も子もなくなったという童話を思い出します。<br />
<br />
既得権益に固執する輩は大塚駅周辺にだけ住むわけではありません。家内の親戚が住んでいることもあって、私は暑い夏の週末はしばしば山中湖に行きます。いや、私は結婚前から山中湖が大好きでした。<br />
関東の避暑地のトップブランドと言えば軽井沢ですが、景色のよさ、涼しさ、東京からの距離のいずれをとっても山中湖の方が優れています。山中湖自身がとても美しい湖ですし、見上げれば霊峰、富士が四季折々の美しい姿で眼前に現れます。山中湖に映る逆さ富士は圧巻です。軽井沢には美しい湖などありません。山といっても、時折噴火で迷惑をまき散らす浅間山と、まがまがしい姿の妙義山くらいしかありません。どちらもお世辞にも美しい山影とは言えません。高度でも山中湖の方が高いために涼しさでも山中湖に軍配が上がります。距離はどうでしょう。都心から軽井沢までは140ｋｍ近くなのに対して山中湖は100ｋｍちょっとです。軽井沢は山中湖の足元にも及ばないのです。<br />
それなのになぜ、軽井沢の方が避暑地として発展したのでしょうか。それはひとえに、地元の人とデベロッパー（西武の堤さんが頑張った）の努力によります。人の力によって避暑地の王に育てられたのです。とどめは新幹線の敷設でした。新幹線ができたことによって東京から渋滞の列に巻き込まれることなく、快適に往復することができるようになりました。<br />
これに比べて山中湖はどうでしょう。軽井沢より東京まではるかに近いのに車か高速バス頼みなので、休日の帰りは大渋滞の高速道路をのろのろと3時間もかかってしまいます。これではよほど覚悟しないと出かけることができません。<br />
実はあまり知られていませんが河口湖までは電車で行けます。ＪＲ大月駅から富士急行という電車が走っているので、大月まで特急あずさを使えば1時間ほどで大月駅に着きます。しかし、そこからが大変です。富士急は単線ですし利用者のことを無視した運行なので接続が悪く、その上運賃が高いときています。しかも河口湖から山中湖まではバスに乗るしかありません。<br />
ところが地図を開いてみると高尾山から山中湖までは道志村という場所を経由してかなり近い距離にあります。高尾山にトンネルを掘って京王線を延伸すれば、新宿から1時間半程度で山中湖畔の平野に辿り着くはずです。<br />
なぜこの計画が実現しないのでしょうか。私の推測では最大の障害は富士急行のオーナーであり、この前まで自民党で派閥を抱えていた堀内光雄とその一族だと思います。富士吉田を本拠地とする堀内一族とそれにたかって既得権益を受けている連中が、富士吉田を迂回して直接山中湖に行かれるのを嫌っているからだと思います。<br />
堀内一族はこの地域のドンで、圧倒的な力を誇って外からの資本算入を阻止してきました。おかげで山中湖は今でも陸の孤島状態なのです。こんな利己的で先見の明がない男に国の将来を託せるわけがありません。前回の総選挙で堀内は落選しました。ここへきて堀内王国にも陰りが見えてきましたから、京王ロマンスカーも夢でないかもしれません。<br />
<br />
大塚駅や山中湖に限らず、土地の有力者と呼ばれる人には、己の既得権益のみに執着して町、地域、国という視点で将来の発展を考えられない者が少なくありません。己の利を犠牲にして地域全体のことを考えろとまでは言わないでも、明日、来月、来年のことだけではなく、数十年先の発展という視点でものを考える人がもう少しいて欲しいものです。<br />
当座は少し損をしても、地域全体が発展すれば、やがては己の利益ももっと大きなスケールで廻ってくるというものです。昔から言う、「損して得取れ」です。<br />
<br />
考え方を変えれば先の見ることができない欲張りの努力（？）の結果、山中湖は軽井沢ほどの高級ブランドにならず、今でも素朴さが残り、お店の値段も軽井沢よりもずっと安くて済んでいるとも言えます。<br />
おかげさまで私はこの夏も、あまりお金を使わないできれいな湖と富士を眺めながら涼しい夏を過ごさせていただきます。ありがとう。
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   <title>外題学問</title>
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   <published>2010-07-25T22:44:32Z</published>
   <updated>2010-07-27T00:53:12Z</updated>
   
   <summary>このところ、テレビのワイドショーは連日大相撲関係者を追いかけまわして、真実を告白...</summary>
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         <category term="9592010年7月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[このところ、テレビのワイドショーは連日大相撲関係者を追いかけまわして、真実を告白するように詰め寄っています。ちょっと前は小沢代議士関係者が対象でしたし、数年前は設計士や食品関係者がマイクに取り囲まれていました。<br />
声を揃えてこう言います。「国民に対して真実を語りなさい」と。マスコミは彼らが大岡越前の前に引き立てられた悪党のように、「こうなったら洗いざらい白状します」としおらしく極悪人を演じれば満足します。しかし、彼らの発言が、自分たちが期待していた絵柄と少しでも違えば納得しません。「説明が不十分だ」、「説明責任を果たしていない」と執拗に追い回します。<br />
こうして、最終的に期待通りの発言を引き出すと「どうです、私たちの予想していた通りだったでしょう」と見栄を切ります。真実を語れと言いながら、その実は自分たちの書いたシナリオに沿った情報を作り出しているのです。<br />
こんな歪んだ報道を生む原因は私たちにあるのではないかと思います。大衆は複雑な真実を理解しようなどと思ってはいません。現実社会の複雑な出来事を単純な勧善懲悪ドラマに仕立てて楽しみたいのです。報道機関はそんな大衆の嗜虐的な欲望を満足させる情報を提供しているだけなのではないでしょうか。<br />
<br />
報道という名のドラマの弊害については別な機会に述べます。今回は、こういった報道という名の暴力が罷り通る下地についてお話したいと思います。それは「知る権利」の濫用です。<br />
今や「知る権利」は疑いの余地がない大義名分とされています。大衆はみな際限のない「知りたがり」です。しかし、本当に何でもかんでも知ることがよいのでしょうか。こういった権利を行使することによって私たちは賢く、幸せになったのでしょうか。甚だ疑問に思われてなりません。<br />
<br />
現代は「知りたがり」の風潮に応えておびただしい情報が氾濫しています。あらゆる商品の取扱説明書には微に入り細に入り、馬鹿馬鹿しい事柄まで詳しく書いてあります。アメリカでは電子レンジの取り説に「猫を入れないでください」と書いてあることはあまりにも有名です。<br />
実際に猫を電子レンジに入れて殺してしまった消費者が、猫をレンジに入れてはいけないという注意事項がなかったためだとしてメーカーを相手取って訴訟を起こし、勝訴した結果だと聞きます。<br />
私が扱う医薬品の説明書きも日々注意事項が増えるばかりです。医薬品は電子レンジ以上に安全性が要求される商品ですから、注意に注意を重ねることに異論を唱えるつもりはありません。しかし、因果関係がはっきりしていない事故や極めて稀にしか起きない副作用までももれなく記載してあります。私たち専門家が読む場合にはその意味するところを汲み取れますが、医学の基礎知識のない人が読むとただ混乱をきたすことになります。<br />
家電製品や医薬品の説明書に限らず、現代はインターネットを利用すれば、これまでは専門家しか知り得なかった情報を誰もが簡単に入手できます。誰にでも情報が公開されて共有化されています。しかし、情報はただ丸暗記しても知識として役に立ちません。正しく理解して初めてその人のものになるのです。そして正しく理解するためにはその分野で常識となっている基礎知識と思考力が要求されます。<br />
それでは現代人は昔の人に比べ、おびただしい量の最先端知識を理解できるだけ基礎知識と思考力が向上しているのでしょうか。そうは思いません。基礎知識はゆとり教育の弊害によって明らかに減っています。基礎中の基礎である読み書き算盤がおろそかにされてきたからです。<br />
思考力が落ちているのも確実です。何でもかんでも懇切丁寧な注意書きに頼っているからです。その一つの証拠は、多くの人が科学的な根拠に欠ける賞味期限に振り回されていることです。この怪しげな基準を一日でも過ぎた物には一切口をつけない人を見ると唖然とします。<br />
形而上的な難問ではなく、極身近な問題についても自分で考えて判断しようとしないのですから、思考能力は確実に低下しています。いや、能力云々以前に思考しようとしなくなってしまったのです。因みに私は、誰も手をつけない賞味期限切れのお菓子を一手に引き受けるために太ってきてしまいました。<br />
<br />
皆が安易に「私、それ知っている」と口にしますが、「知る」にはピンからキリまであります。本来はそのことについて熟知していなければ使えない言葉なのですが、単にその言葉を聞いたことがあるだけでも、平気で「知っている」という風潮です。<br />
英語だと前者は「I understand」で後者は「I heard」ですから、両者の違いは一目瞭然なのですが、曖昧な表現を得意とする日本語ではどちらも「知っている」になってしまいます。<br />
「外題学問」という熟語があります。これは、書物の書名だけを知っていて、その内容をよく知らない似非学問のことを言い、うわべだけの学問をあざけって言う言葉で、「本屋学問」とも言います。<br />
このような四文字熟語があるように、昔から知ったかぶりや生かじりは馬鹿にされてきました。ところが最近はそうではないようです。実際に、やたらと用語をたくさん覚えている人が深く思考する人よりも尊敬されます。考える能力よりも情報収集能力の方が重視されているからです。こういう状況ではヒトはますます馬鹿になっていきます。つまり「知る権利」を振りまわす結果、どんどん思考能力が低下していくのです。<br />
<br />
「一を聞いて十を知る」とまではいかなくても、一つの情報を基に深く考えをめぐらせる習慣を身につけたいものです。
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   <title>記憶のメタモルフォーゼ</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2010://1.210</id>
   
   <published>2010-07-18T15:04:21Z</published>
   <updated>2010-07-18T15:03:35Z</updated>
   
   <summary>私が今年3月で還暦を迎えたことはすでにお話ししましたが、私はもっとご高齢のゴルフ...</summary>
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         <category term="9592010年7月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[私が今年3月で還暦を迎えたことはすでにお話ししましたが、私はもっとご高齢のゴルファーとプレイすることが少なくありません。むしろ私より若い方とプレイする方が稀です。<br />
70過ぎ、80歳に近い方でも体力があって、ほとんどの方がこの暑さの中を歩きでラウンドされます。しかも皆さん、私よりもずっとお上手です。それなのに、御本人たちはとてもご不満のようです。<br />
なぜならば、日頃いくら健康に留意して、トレーニングを欠かさなくても、70歳を過ぎるとどうしてもゴルフの腕前が落ちてしまうようです。いくら筋力を維持しても体の柔軟性と集中力の低下は防ぐ術がなく、パットが入らなくなり、ショットの飛距離が落ちてしまいます。<br />
経済でも何でもそうですが、絶対値よりも変化の方向の方が気分に大きな影響を与えるようです。つまり、だんだんに上手になっていく時は喜びに満ちていますが、昔できていたことができなくなるということは耐えがたいことのようです。ですから、こういうグランドシニアのゴルファーとプレイをしているとしばしば「昔はこんなもんじゃなかった」という発言を耳にします。<br />
確かにそうなのでしょう。昔、上手であった人ほど忸怩たる思いにさいなまれるはずですから、私のようなへぼと一緒にプレイしている自分が情けなくなって、ついついそのような言葉を口にしてしまうのだと同情を禁じ得ません。<br />
しかし、スコアはご本人のおっしゃる通りなのかもしれませんが、飛距離に関しては、眉に唾しなければならないことが少なくありません。というのは老ゴルファーの「昔はこの木を悠々と超えていたんだけどな」という話を真実とするならば、昔の彼らは遼君よりも飛ばしていたことになってしまうのです。その頃のクラブは今のような硬くて軽くて弾性率が高いものではなく、柿の木を削りだしたクラブでした。にわかには信じられない話なのです。<br />
彼らは大嘘吐きのほら吹きなのでしょうか。私はそうは思いません。本人は自分の記憶に基づいて嘆いているのだと思います。ただ、肝心の記憶が事実と異なっているのです。脳の老化と悔しい思いが記憶を事実から乖離させてしまったと考えます。「記憶のメタモルフォーゼ（変態）」と言うと分かりやすいのではないでしょうか。<br />
<br />
記憶という機能はよく、大きな金庫の引き出しに物を蓄える作業に喩えられます。そして記憶を構成する記銘、保持、再生、再認の4つの下位機能を次のように説明します。<br />
記銘：必要な物（情報）を引き出しにしまう。<br />
保持：引き出しで長時間保管する。<br />
再生：その情報が必要となった際しまってあった情報を引き出しから取り出す。<br />
再認：取り出した情報が必要とされたものかどうか検証する。<br />
この喩はとても分かりやすいので、私もしばしば利用させてもらっています。<br />
しかし、実際には記憶は物質的な塊ではありません。宝石をしまっておくの<br />
とは根本的に違うのです。また、引き出しにあたる脳も時々刻々と新陳代謝さ<br />
れているのです。脳が死ねば記憶も消失してしまいます。つまり、記憶とは脳組織が絶え間なくエネルギーを消費することによって保持しているダイナミック（動的）な情報なのです。したがって、引き出しである脳の状態によって中身の記憶が容易に変態します。<br />
このメタモルフォーゼはよいことはよりよく過大に、一方都合が悪いことや嫌なことは小さく過小に変態する傾向があります。これは脳（自我）の自己防衛反応であると思われます。以前のコラムに書いたように、ヒトは本能が退化して発達した自我に依存して生きる少々毛色の変わった動物です。ですからこの自我が崩壊すると大変なことになります。そのためには自我に都合の悪い情報は変態させたり消失させる必要があるのです。<br />
嘘はおそらくヒトのもつ特殊技能だと思います。他の動物は嘘が吐けません。「嘘」も人が地球上でこれだけの繁栄を気づいた大きな要因でしょう。そして、昔から「嘘も100回吐けば真になる」と言われるように、こうあってほしいと思って事実に反する主張を繰り返すうちに、自分自身それが真実であるかのように考えだします。自分自身の嘘による記憶のメタモルフォーゼです。<br />
嘘による記憶のメタモルフォーゼは刑事事件の被疑者に見られることがあるそうです。否認し続けているうちに、自分の記憶の中から犯罪行為が消去されることがあるそうです。さらに、詐欺師や政治家や新興宗教の教祖は記憶のメタモルフォーゼ機能が人並み以上に発達した人なのだと思います。<br />
<br />
斯く言う私の記憶も年とともに大分メタモルフォーゼしてきたようです。なぜならば、いろいろな場面で「昔は良かった」と感じるようになってきたからです。やがて記憶の中で自分の過去が錬金術のように輝きを増し、「今の若い者は」という説教が多くなるのでしょう。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>夏の夜の夢</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.clinic-nishikawa.com/post_172.html" />
   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2010://1.209</id>
   
   <published>2010-07-11T22:41:38Z</published>
   <updated>2010-07-11T22:47:56Z</updated>
   
   <summary>「夏の夜の夢」はシェイクスピアの有名な戯曲です。親から許されない恋人同士、またそ...</summary>
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   </author>
         <category term="9592010年7月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[「夏の夜の夢」はシェイクスピアの有名な戯曲です。親から許されない恋人同士、またそこに横恋慕する若者たちの錯綜する人間関係が森の妖精たちのいたずらをきっかけに円満解決するという喜劇です。<br />
なぜ夏の夜なのかと言うと、一年の中で昼が一番長い夏至は太古の時代から農耕を営む人類にとって特別な日でした。そこから、夏至の日には森の妖精たちが集会をするという神話が生まれました。シェイクスピアがこれを基に戯曲を作ったのです。<br />
ところで確かに、夏の夜の睡眠は夢が多いようです。その原因に妖精の魔法が関係するかどうかは分かりませんが、我が国においてはなんと言っても高温多湿な夏の気候が主因であることに間違いはありません。<br />
睡眠については過去何度も書いてまいりましたが、睡眠時脳波などを指標として考えると、たいていの人が一晩に4～5回は夢を見ていると考えられます。これは夏も冬もそう変わりはありません。<br />
それなのに多くの人が夢を見たという実感が持てないのは、夢を見た後に深い睡眠を経過するために、目覚めるまでに忘れてしまうからなのです。明け方の夢のすぐ直後に目覚めた場合にだけ、その夢を覚えています。そしてこう言います。「今日は夢を見たよ」と。でも正確に言うと「今日は夢を覚えているよ」なのです。<br />
ここ十年ほどの我が国の夏の暑さは激しさを増しています。特にコンクリートとアスファルトで塗り固められた都会の暑さは狂気の沙汰です。この都会の暑さは昼間だけではありません。夜になっても気温が下がりません。熱帯夜です。<br />
私が子供の頃には高層ビルはなく幹線道路以外は土の道でした。ですから、午後2時、3時は相当な暑さであっても、陽が傾くとともに暑さは和らぎ、夕立に恵まれたならばいっきに涼風を得られました。<br />
ところが近年はコンクリート化によって町全体が冷却されません。いつまでたっても昼に蓄えた熱を保持し続けます。熱帯夜です。<br />
以前のコラムで睡眠の重要なメカニズムとして深部体温の変化について説明しました。自然の中ならば夜は大気が冷却されるので深部体温も下がりやすく深夜は深い眠りに就きやすいのです。ところが昼間とのけじめがつかない都会の熱帯夜においては深部体温も下がりにくくて、睡眠が深くなってくれないのです。<br />
気温だけでなく湿度の高さも睡眠には不利な条件です。人間は寝ている間にコップ1杯の汗をかくと言われています。この汗が蒸発する際に奪われる気化熱によって身体を冷やしているのです。それなのに室内が高湿度ですと、せっかくかいた汗がなかなか気化しません。ですから、汗をかくわりに体温が下がらず、深部体温が高いレベルに維持されて、深い睡眠に入れません。<br />
以上の理由から熱帯夜における睡眠は浅くならざるを得ないのです。夢をみる睡眠の後に浅い睡眠しかとれないとそれぞれの夢を記憶してしまう可能性が高くなります。浅眠多夢という睡眠障害になります。自覚的には「夢ばかり見てぐっすりと眠れなかった」と感じます。<br />
こういう睡眠が何晩も続くと、やはり昼間のパフォーマンスが低下します。必要とされる睡眠が夜の間にとれていないので、身体が昼間に眠ることを要求します。そうでなくてもだるいのに、こうなるとうとうと船を漕いで上司から叱られることになります。<br />
夏の寝苦しさ対策として様々な対策法が提唱されていますが、電気料金が払える方はエアコンの使用に勝るものはありません。<br />
ところが、未だに「エアコンは身体によくない」という迷信が根強く残っています。この誤った説を信じている人を説得するのは並大抵なことではありません。「重病人が入院している病院でも、超高級ホテルでもちゃんと適切な温度と湿度にエアコンディションしているでしょう」と説いても半信半疑の顔をしています。<br />
先ほど述べたように、昔の日本であったら、網戸にでもしておけば夜が更けるとともに気温が下がってきましたが、現在の都会は状況が違いますので、そういう方の中には扇風機をかけて寝る方がいます。しかし、この扇風機の方がよっぽど危険なのです。<br />
扇風機の風を直接身体に浴び続けていますと、際限なく気化熱を奪われます。<br />
度過ぎた低体温になってしまいます。幼児の場合には死に至ることもあります。身体に直接風を当てるのではなく、部屋全体の気温と湿度を適正に調節すればこのような危険性はありません。むろん、設定温度を下げ過ぎたり、吹き出し口を直接身体に向けてはいけません。<br />
エアコン使用に際しては、タイマーを使って寝付いたらエアコンを切るなどという姑息な方法はとらずに、朝まで適正な室内環境を保つ必要があります。最近は明け方になっても外気温が下がりませんから、エアコンが切れるや否や室内が高温多湿になってしまいます。そうなると、せっかく下がった深部体温が再び上昇してしまいます。結局、浅眠多夢となってしまいます。<br />
しかも、こういった悪条件下で見る「夏の夜の夢」は戯曲のようにハッピーエンドで終わる喜劇ではなく、不愉快な悪夢を見る悲劇ですからご用心。
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   <title>色即是空、空即是色</title>
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   <published>2010-07-04T14:46:58Z</published>
   <updated>2010-07-04T14:50:04Z</updated>
   
   <summary>先日、新聞の書評を読んで「数の宇宙」という本を取り寄せてもらいました。ついでに数...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[先日、新聞の書評を読んで「数の宇宙」という本を取り寄せてもらいました。ついでに数学と宇宙物理に関する本を数冊購入してきました。このところ、週刊誌
程度しか目にしていなかったので、歯ごたえがあります。しかし、大学受験の時に医学を選ぶか物理を専攻するか迷った物理好きの私ですから、やはり物理学に
対する興味が尽きることがありません。<br />
私に限らず森羅万象、この世の仕組みを解き明かす有力な方法である数学や物理学に関心を持っている方は少なくないと思います。なぜならば、この世の始まり
とこの先向かう先を知りたいという願望は人間という生物に固有の欲求であって、その欲求の程度は「業」呼べるほどの根強いからです。<br />
なぜそんな業
に捕らわれたかと言うと、人間という動物は本能が退化して、それに代って自我が発達しました。そしてこの自我を拠り所として生きる道を選択したことにある
のではないでしょうか。<br />
自我は森羅万象の一環として生命誕生以来機能してきた本能と違って森羅万象に対峙する性格をもちます。にも拘らず、人間の
自我は未だ生まれたばかりでか弱く脆いのです。そこで何よりも先ず自身の存在理由を求めて止みませんが、その答えは未だに見つかっていません。だから私た
ちは、神、国家、民主主義などの幻想で己を支えなければ生きていけないのではないでしょうか。<br />
数学や物理学を用いた宇宙の誕生と行き先の探求と
は、幻想に頼らないで、世界の仕組みと自分という存在そのものを明らかにしたいという、根源的な欲求を満たす作業の一環なのです。<br />
残念なことに、
多くの物理学者や数学者の精力的な努力にも関わらず、ゴーギャンの「我らいずこより来るや？我ら何者なるや？我らいずこへ行くや？」という命題、またアイ
ンシュタインの「我々は何故世界を認識できるのか？」という問いに対する答えは見つかっていません。<br />
<br />
さて、数学の基礎を築いた人と言えば古代ギリシャ時代の偉人、二等辺三角形の斜辺の長さを求める定理で有名なピタゴラスという答えが衆目の一致するところ
でしょう。ピタゴラス（ＢＣ569～475年）は数学と哲学、宗教の概念を同一に考えて「マテマティコイ」という教団を創り閉鎖的な集団の中で幾何学、数
学に関する数々の発見をしました。<br />
彼は「万物は数である」という言葉を残しています。数に惹かれ数に殉じた一生でありましたが、「ゼロ」という
概念を数字として確立していませんでしたし、ピタゴラスの定理と矛盾するにもかかわらず、すべての数は「有理数」だと信じていたようです。<br />
奇しくも、ローマで数学の芽吹きが起こったちょうどその頃、東の国インドでは地球が生んだ史上最高の哲学者、釈迦が瞑想の中で様々な物事の理を悟りまし
た。彼は電子顕微鏡などない時に物の最小単位、原子の大きさを推測していましたし、仏陀となった彼の訓えの一つ「色即是空。空即是色。」<span style="color: #0000ff">*1</span>は量子宇宙物理学の最新研究の結果得られた「宇宙の始まりは真空で
あった」という説を見事に予見していました。<br />
そもそもインド、中国と伝わった思想が生んだ「宇宙」という言葉は、西洋科学ではアインシュタインの
登場を待たねばならなかった時空の概念を表わしています。釈迦の偉大さに改めて驚かされます。<br />
-------------------------------------------------------------<br />
<span style="color: #0000ff">*1</span>:色即是空、空即是色：色とは現象界の物質的存在のこと。そこには
固定的実体がなく空（くう）である。一方、固定的実体がなく、空であることによってはじめて現象界の万物が成り立つということ。
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   <title>鶏が先か？卵が先か？</title>
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   <published>2010-06-27T14:52:45Z</published>
   <updated>2010-06-27T14:57:25Z</updated>
   
   <summary>現在我が国に突きつけられている喫緊の課題の一つは天文学的に膨れ上がった財政赤字で...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[現在我が国に突きつけられている喫緊の課題の一つは天文学的に膨れ上がった財政赤字です。この底なしの経済地獄から抜け出す方法として管新総理が打ち出した経済基本政策、「第３の道」が物議を醸しています。これまでは思い切った財政出動によって景気を浮揚し、その結果税収増代を図るべきという考え方と、まずは赤字を解消すべく税収を増やすべきであり、その上で経済対策を考えなければならないという考え方が対極的に議論されてきました。<br />
ところが、管総理は増税をしながら景気浮揚をできる第３の道があると提唱したのです。残念ながら今のところ、彼の提案は理念と総論だけで具体的な方法論とその工程が明らかにされていません。しかし、財政赤字解消が先か景気浮揚が先かという「鶏・卵」論争に一石を投じたことだけは確かなようです。<br />
<br />
皆さんも「鶏が先か？卵が先か？」という問いを耳にしたことがあると思います。この言葉は、鶏のルーツを考えた時に、最初にこの世に出現したのは鶏なのだろうか、はたまた卵なのだろうかという問いかけです。鶏がいなければ玉子を生むことができない。しかし、卵が現われなければ鶏は生まれない。<br />
言い方を変えれば目の前にいる鶏は必ず卵から孵化したわけです。しかしその卵は親鳥が産んだのです。その親鳥も卵からかえったのだし、その卵は祖母鶏が産んだのです。こうやって延々と遡っていっても結論は出ません。<br />
このことから、いくら原因を追及しても堂々巡りで結論が出なくなった時に「それはいくら考えたって鶏が先か卵が先かだよ」といった使い方をします。<br />
私が日常携わる医療の場面においても、鶏・卵論になってしまう問題は多々あります。たとえば、精神障害の最大の原因である人間関係。<br />
「Ａさんが私に嫌がらせをする。Ａさんは私を嫌っているみたいです。」こう訴える方からもっと詳しく話を聞くと、どうもその人がＡさんを嫌っているように思えます。そのことを指摘すると、「そんなことはありません。私はＡさんのことを認めています。でもあの人が私を嫌うから、私も好きにはなれない。」とおっしゃる。<br />
でも、多くの事例を通して人間関係を考えると、どちらかが一方的に相手を嫌って意地悪をするというケースはそう多くはありません。大半の場合はその人も相手のことを嫌いなのです。積極的に嫌いとまで言わなくても好きなタイプではないことが大半です。ですから、相手の言動を悪く悪くとらえてしまいます。ですから、それ程の敵意がない相手の行動に対して被害的に反応してしまうのです。<br />
実際にはお互いさまなのですが、人間という代物は現実をあるがままに捉える事が苦手です。少なからず、自己正当化します。すなわち、自分は相手に悪意を抱いていない。むしろその人の価値を認めて敬意を払う度量を持っている。にも拘らず相手が一方的に自分を嫌悪している。こう解釈したがるのです。<br />
こういう人間関係のもつれからくるストレスを解消するには、どちらが先に嫌っているのかという「鶏・卵」論争に陥ることを避けて、お互いの相性が良くないという事実を認めることが肝要です。<br />
<br />
慢性の不眠を訴える方の中に、昼寝が常態化している場合があります。夜、十分に眠れないので昼間眠たくなる。どこかで十分に睡眠を取っておかなければ身体によくないと思いこんで、昼寝をする。するとその晩は昼寝の効果が出て、またもや不眠になる。すると翌日はまたもや眠たい。この繰り返しで地球の自転に同期した睡眠覚醒リズムが完璧に破壊されてしまいます。<br />
こうなってしまうと、夜眠れないから昼寝をするのか、昼寝をするから夜眠れないのか分からない「鶏・卵」の関係が完成されます。この状態を解消するには鶏と卵との両方に働きかける必要があります。すなわち、適切な睡眠導入薬によって夜の睡眠を促すと同時に、御本人の努力によって昼寝を止めなければなりません。やたらに睡眠導入薬を大量投与するだけでは問題解決しないのです。さらに、不眠のきっかけとなった精神障害やストレスの元を解決しておく必要があることは言うまでもありません。<br />
<br />
増税すれば景気が悪くなり、結局税収は減少する。いや、目先の景気対策のために増税しないで、財政赤字を放置しておけば近い将来日本は不景気どころではなく破産してしまう。<br />
この「鶏・卵」論争に関しても、現実的には税収と景気対策の両面に働きかけることしかないのではないかと思います。大変難しい舵取りになるとは思いますが、是非とも第３の道政策を早急に具体化していただきたいと思います。ただし同時に、このような悪循環の輪を作った大きな原因の治療を行うことが大前提だと思います。すなわち、官僚の天下りをはじめとする、戦後６０年の間に抜き差しならない程度になった社会構造の歪み革命的に正さなければなりません。
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   <title>収入印紙？－広域暴力団日本組－</title>
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   <published>2010-06-20T22:46:14Z</published>
   <updated>2010-06-20T22:56:13Z</updated>
   
   <summary>普段の生活で時々関るけれど、よく意味が分からないままになっている物が結構ありませ...</summary>
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         <category term="9602010年6月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[普段の生活で時々関るけれど、よく意味が分からないままになっている物が結構ありませんか。私にはあります。その一つが「収入印紙」です。<br />
高額な商品を購入した際に発行してもらう領収書に、薄緑色の吹けば飛びそうな切手みたいなものがぺたっと貼ってあります。これが収入印紙です。この際に使われる印紙は200円のものです。収入印紙はすべて200円かというとそうではありません。極めて稀にですがバカ高い印紙にお目にかかります。<br />
先日、パスポートを取得にサンシャインシティにある東京都の出先機関に行って参りました。この時には14,000円の収入印紙に、東京都証紙と称する、2,000円の、これまた収入印紙、合計16,000円もの収入印紙を要求されました。<br />
おそらくパスポート発行手数料なのだろうと想像しましたが、デフレが蔓延している今時、高すぎるように思います。しかも手数料なら現金で払えばそれで済むのに、わざわざ収入印紙を購入してそれを貼ってくるようにとの命令です。この役所の隣の写真屋で収入印紙を売っていますので、数メートル歩いて購入して窓口に向かいます。なぜこんなややこしい方法をとるのでしょう。素直に窓口で「金払え」と言えば簡単ではないでしょうか。<br />
私は幸運なことにパスポーや運転免許証申請時以外には、自分自身がこの収入印紙を貼る機会が少ないのですが、稀に領収書への添付を要求されることがあります。その度になぜこんな余計な出費をしなければならないのだろうと疑問に感じます。しかも印紙代の200円は国の懐に入ると聞きました。なぜ、善良な市民間の取引に際して国に200円も支払わなければならないのでしょうか。<br />
周りの人に聞いても十分に納得のいく説明をしてくれる人はいません。いろいろな人から集めた断片的な知識をまとめると次のようになります。収入印紙とは印紙税という税金を支払ったという証明書です。これを貼る、つまり印紙税を支払うことによって、その商取引を正式に認める。したがって、領収書にこの印紙が貼っていない場合には脱税を犯したことになる。<br />
こう説明されても、ますます納得がいきません。商取引を正式に認めると言ったって、飲み屋の支払いの際に政府の役人が出張してきて支払い場面に立ち会ってくれるわけではありません。また、領収書に収入印紙を貼ってあったとしても、後でトラブルになった時には国が収めてくれるわけでもありません。結局は当事者間の争いになるだけです。話し合いでも決着がつかず訴訟に発展した場合、ここで最初に支払った印紙代200円が功を奏するかというととんでもありません。訴訟手続きの際には、改めて眼の球が飛び出るほど高い収入印紙添付を要求されます。<br />
つまり、200円の印紙税を収めたところで国は何も保証してくれはしないのです。それにも関わらず納めなければ脱税で処罰されます。国、都道府県の行政は、民間でお金のやりとりがあるとその度に、支払い側からは消費税を、そして受け取り側からは印紙税を労せず、かつまた有無を言わせずむしり取っていくのです。<br />
<br />
印紙税というものの起源は17世紀のオランダにあります。1624年に「八十年戦争」の戦費調達のために税務職員が発明したそうです。これは美味しい徴税法だと思い、その後ヨーロッパ各国で導入し、1765年にはまだ植民地時代のアメリカでも導入されました。アメリカがこの印紙税を導入した目的も独立戦争の資金調達であって、もし収入印紙が発明されなければ今のアメリカはなかったかもしれません。<br />
日本でも1873年（明治6年）に導入されました。詳しいことは分かりませんが、この年に我が国で徴兵制が開始されましたから、やはり軍備増強のための財源が欲しかったのではないでしょうか。<br />
消費税率のアップが話題になる今日ですが、この消費税を例にとれば分かるように、税というものはいったん制定されると、厳しくなることはあっても、なくなることはありません。明治初期に導入された印紙税も昭和42年に大改正されて今もあらゆる場面で政府や地方自治体の金蔓になっているのです。<br />
現在日本で発行されている収入印紙は額面1円に始まって最高額10万円までの31種類用意されています。私たちの日常生活では、例の200円以外の印紙を目にすることはめったにありませんし、郵便局に買いに行っても在庫がありません。<br />
一般の商取引においては3万円未満の取引では印紙は免除されます。3万円以上100万円以下の場合に400円を要求されます。私は開業時に医療機器を購入し、その際に受け取った領収書に400円の印紙が貼ってありました。私が目にした最高額は豊島区医師会館建設の際の契約書に張られた10万円のものです。<br />
<br />
さらに調べて、手数料としての印紙と消費税に似た印紙があり、取引の種類によって累進率が異なっているということは分かりました。しかしながら、一番根本的な問題、どのような根拠で私たちは印紙税という名の税金を義務付けられているのかが了解できません。<br />
ああでもない、こうでもないと頭を悩ましていましたが、一つの言葉を別な単語に置き換えたところ、これまで胸に滞っていたもやもやが立ちどころに消え去り、すべてが納得できました。その方法とは「日本国」と書いてあるところを「組織暴力団日本組」に置き換えることです。<br />
つまり、印紙税とは「テラ銭」の一つなのです。「自分のショバ内で勝手に商売すんなよ！」、「商売する時にはあがりの一部をこっちに納めろよ！」という理屈です。一方、毎年取り立てられる所得税などは「みかじめ料」と言えましょう。<br />
実際に国家とは最大最強の組織暴力団です。ヤッパやチャカどころではなく、重火器、戦車、戦闘機まで持っているのです。北朝鮮は体裁を構わずに露骨に振舞いすぎですが、先進国とかいったってその本質に変わりはありません。<br />
時の政府与党および行政組織が正規の構成員ですから、天下り禁止だ、行政改革だと行ってみても実現するわけがないのです。代替わりしたとしても組員を食わせる飯の種を私たち素人からとりたてるという構図を変えることはできないのです。<br />
こうして国を暴力団に見立てて世の中の出来事を見つめなおしてみると、税金に止まらず、いままで不可解であった世の中のいろいろな出来事がクリアカットに理解できるのですから何をか言わんやです。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>信号待ち寸景</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2010://1.204</id>
   
   <published>2010-06-13T22:49:13Z</published>
   <updated>2010-06-13T22:53:01Z</updated>
   
   <summary>以前のコラムでお話ししたように、私は周辺地域での往診や在宅診療をしています。以前...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="9602010年6月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[以前のコラムでお話ししたように、私は周辺地域での往診や在宅診療をしています。以前はピザ屋さんが配達に使っているキャノピーという原付三輪車を使用し
ていましたが、力がないので坂の多い文京区への往診ではよたよたと頼りありませんでした。それなので、2年前にホンダのフュージョンというスクーターに買
い替えました。<br />
往診は雨だろうが風だろうが、暑かろうが寒かろうが休むわけにまいりません。ですから改造して屋根、ワイパーをつけ、グリップにはヒーターを装着しまし
た。事故防止のために色は赤にしました。結果としてかなり目立つへんちくりんな乗り物になりました。<br />
<img src="http://www.hospita.jp/uploads/786/etc/colum01.gif" alt="colum01.gif" />
<br />
確かに事故には遭いにくいのでしょうが、あまりにも目立つために困った事態も起きます。<br />
バイク便をやっている人からこう言われます。「先生、3日前の夜8時頃外苑西通りの四谷3丁目辺りを走っていたでしょう」。娘が友人のピザ屋さんからこう
言われます。「お前の親父さん木曜日の午後3時頃癌研通り走ってたよ」。家内から「あんたさっきスーパーで何買ってたの？」。このバイクで移動する限り、
私の行動は衆目監視で丸裸。とても不埒なところへ行くことなどできそうにもありません。<br />
<br />
さて、先日このバイクで往診に出かけた時のことです。とある交差点で信号待ちをしている時、何気なく、すぐ脇の電信柱に目をやりますと、この電信柱の根元
の方、地面から30㎝付近のところに一枚のステッカーが貼ってあります。<br />
そのステッカーには綺麗な楷書体で「犬の立ち小便無用」という文字が印刷されているのです。長期間にわたって犬が小便をすることによって鉄製の電柱が腐食
して、倒壊したとの報道を観たことがありますが、この電柱はコンクリート製です。犬の小便ごときで倒壊するとは思えません。「きっと匂いを嫌がっているん
だな」と納得しかけました。<br />
だがちょっと待てよ。ふっと違和感が湧きあがりました。そして、もう一度しげしげと見降ろして考え込んでしまったのです。その違和感とはこのステッカーが
貼ってある位置なのです。かなり地面近くであり、明らかに犬の目線なのです。<br />
しかし、字が読めるほど教養のある犬ならば、電柱に小便などしないで公衆便所に行くでしょう。となると読ませようとする対象は犬の飼い主ということになり
ます。しかしそうであるならば貼る位置は少なくとも地上1.5ｍ辺りの方が有効ではないのでしょうか。<br />
飼い主は手綱を引いて二足歩行するのが通常です。飼い主が犬と一緒に四つん這いで走っている姿など見かけたことがありません。百歩譲って、犬が臨戦態勢に
入った時に飼い主の目に留まればよしとの判断かもしれませんが、排尿途中の犬を引きずるのは容易ではありません。とあれこれ推理するうちに信号が青に変り
ました。<br />
<br />
細い路地の奥まで入り込んで御近所を往診していると、時々こんな摩訶不思議な光景に出くわして好奇心をくすぐられることがあります。往診も辛いばかりでは
ないのです。
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      <![CDATA[<br />
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   <title>消えた「ノイローゼ」</title>
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   <published>2010-06-06T22:46:31Z</published>
   <updated>2010-06-06T22:53:58Z</updated>
   
   <summary>精神科の用語は、しばしば厳密な定義から外れて、一般的な会話の中で利用されます。た...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[精神科の用語は、しばしば厳密な定義から外れて、一般的な会話の中で利用されます。たとえば、「妄想」、「依存症」などがよい例です。多くの人と考えを異にする意見を述べると、「それは妄想だよ」と一笑に付されることがあります。また、何か一つのことに凝っている人を「○○依存症」と呼ぶ場面にもよく遭遇します。<br />
このように一般に汎用化される精神科用語のなかで最も頻用される言葉は長らく「ノイローゼ」であったように思います。しかし、最近では「ノイローゼ」に代わって「うつ」が王者の座を占めるようになりました。<br />
一昔前までは、何かくよくよ悩んだり、落ち込んで元気がなかったりすると「あの人ノイローゼじゃないの？」と囁かれたものです。ところが最近では、同じように精神的に不調な人を見かけると、「彼女うつだと思うよ」と言われるようになりました。<br />
この交代劇は当然です。なぜならば、本家本元の精神医学の舞台から「ノイローゼ」という病名が消え去ってしまったのですから。<br />
<br />
「ノイローゼ（Neurose）」とはドイツ語で「神経症」のことを指します。英語では「neurosis」です。その人の人格を基礎因子として、いやな出来事や環境の変化によって生じる心身の機能障害を言います。<br />
用語自体は、18世紀に使われ始めましたが、その当時は極めてあいまいで包括的な概念でした。内因性の精神病や、器質的な精神病、てんかんまでもが含められていました。つまり、精神的な不調はすべて含まれていたわけで、その後一般の人が日常会話の中で使っていた「ノイローゼ」に近い概念であったように思います。<br />
その後19世紀末以降、シャルコー（J.W.Charcot）、ジャネ（P.Janet）、フロイト（S.Freud）らによって「心因性」というメカニズムの研究が進んで、厳密な意味での「ノイローゼ」の概念が成立しました。さらに、ノイローゼの治療法を追及していった結果、精神分析という手法が開発されました。<br />
私が自分の精神科医療の拠り所としている森田療法も、わが母校、慈恵医大精神神経科学講座の初代教授であった森田正馬がノイローゼに対する精神療法として考案したものです。<br />
このように、「ノイローゼ」によって、近代精神医学の偉大な発展があったと言っても過言ではありません。<br />
ところが、やがて精神症状の心理学的解釈が過大評価されるようになってしまいました。その結果、統合失調症や狭義の躁うつ病までもが心理学的な機序によってのみ発症し、心理学的なアプローチだけで解決するかのような幻想を抱かせるに至ってしまいました。素人が考えても首を傾げる極端な精神医学が幅を利かせる時代もあったのです。<br />
そんな状況に風穴を開けたのが1950年代に開発されたクロルプロマジンという薬の開発です。この薬によって統合失調症の精神症状が改善するということが証明されてから、精神障害が形而上学的な議論から脳内の化学的神経伝達という生物学的、物質的な研究の場へと移されました。精神医学におけるルネッサンスと言えます。<br />
ところが、人間の営みは極端から極端へと振れるもので、近年は神経伝達物質信奉が行き過ぎた感があります。<br />
私自身、精神障害に対する生物学的なアプローチに期待して若いころは中枢薬理学を研究しました。しかし、くしゃくしゃ頭の自称、脳科学者がなんでもかんでもドパミンだセロトニンだといって単純に解説する姿には甚だ違和感を覚えます。数種類の化学物質を寄せ集めればフランケンシュタインのように、脳が出来上がるかのような幻想を抱かせる危険性を生んでいると思うからです。<br />
こういった流れと並行して、診断法もアメリカ風の操作的な診断法がスタンダードになりました。表面的に現れる症状、徴候をチェックして、それらが幾つ以上あれば○○病であると断じるやり方です。こういう診断法は精神医学の敷居を低くして門戸を開放しました。つまり、患者観察の熟練した技術のない者でも、いちおうの診断名に辿り着くことができます。極端にいえば、ずぶの素人でも「○○性障害」、「✕✕性障害」という一見難しそうな病名を振りかざして議論できるのです。今、おおはやりの自己診断表というチェックリストによる診断がその悪しき産物です。<br />
説明責任といって、全く基礎知識のない人ができるように、何でも簡単に説明されてしかるべきとの風潮がありますが、単純でないものはそれほど簡単に説明できるわけがありません。それができているように思わされた場合は、とても本質的なことが省略あるいはごまかされていると考えるべきでしょう。<br />
<br />
精神医学における、生物学的研究の発達と操作的な診断法の台頭は精神科医の診断技能の低下と、精神療法的な治療技能の低下をもたらしました。<br />
ＤＳＭ-Ⅲの登場以来、精神科診断名から「ノイローゼ」という名前が消えてしまい、気分障害や不安性障害や人格障害などのグループに振り分けられました。<br />
このことによって、患者さんの生活歴や性格傾向に対する深い考察なしに、表面的な症状に対して投薬をするだけの精神科医療になりつつあります。雨後の筍のように増加するメンタル系のクリニックがそのことをよく象徴しているのではないでしょうか。<br />
<br />
しかし今でも、ノイローゼとして理解した方がよい患者さんは厳然として数多く存在します。むしろ以前よりも増えているように思います。そのことが、新しい向精神薬が次々と開発されるにもかかわらず、かえって精神障害が治りにくくなっていることの原因の一つかもしれません。<br />
今一度、「ノイローゼ」という概念に立ち戻って、患者さんを見直して、精神療法的なアプローチに力を注ぐ必要があるのではないかと考えます。
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