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   <title>クリニック西川 東京都 豊島区 大塚 精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科 往診 うつ病 パニック障害 認知症 メンタルクリニック</title>
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   <updated>2012-05-14T00:24:34Z</updated>
   <subtitle>東京都豊島区大塚駅近くにて精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科の診療をしているクリニックです。訪問診療も行っております。お気軽にご相談下さい。</subtitle>
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   <title>学者の品格</title>
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   <published>2012-05-14T00:22:47Z</published>
   <updated>2012-05-14T00:24:34Z</updated>
   
   <summary>我が国では平成23年3月11日を境に私たち日本人に大きな変化が起きた。原子力発電...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[我が国では平成23年3月11日を境に私たち日本人に大きな変化が起きた。原子力発電の安全神話の崩壊、電力供給体制の見直し、ひいては人生観を変えた。これまでの生き方を反省し、生き方に手直しを加えた人も少なくない。明日が不安定なことを知って、今日一日の大切さを痛感した。できる限り最愛の家族と過ごそうとする人が増えた。<br />
当然ながら、もっとも変わったのは防災意識である。今までは遠い将来の出来事で、おそらく自分には降りかかるまいとたかをくくっていた大災害を、明日起こるかもしれないごく身近な出来事として捉えるようになった。<br />
しかしよく考えてみれば、ユーラシア、北米、太平洋、フィリピンという４つのプレートの会合点に当たる日本列島ではいつ何時巨大地震が起きても不思議ではない。いやそもそも、この４つのプレートのせめぎ合うエネルギーによって日本列島が形成されたのだ。たかだか数百年の史書を根拠に地球的な災害の大きさを予測するとことが無意味であることは当然と言えば当然である。<br />
ところが、毎日の生活に汲々とする我々凡人は、どうしても自分の一生の単位でしかものをみることができない。いくらインド洋で大災害が起きても、自分が体験したことのないことは、これからも起きないだろうと思ってしまうのだ。東日本大震災の衝撃も後数年もすれば、被災県民以外の人は、きっと記憶の隅に追いやられてしまうに違いない。<br />
むろん、震災があったという事実を忘れ去るものではない。だが、それは歴史的事実としての記憶であり、切迫した危機感情を伴う生々しい記憶ではない。だが、忘れやすい自分を責める必要はない。嫌なことを意識下に埋没させる忘却という機能は、脳が自分自身を守るための重要な機能なのだから。<br />
だが、一般人はしょうがないとしても、学者はそうであっては困る。学者は過去から多くの情報を集め、深く考察し、できる限り普遍的な規則性を見出して、その分野における確固たる指標を指し示さなければならない。<br />
ところがどうだろう。先の震災以降一年の間に、地震や津波に関する予測が次々と変更になった。それまで、震度６止まりと考えられていた首都圏直下型地震が震度７に達することになった。東海、東南海、南海地震の際に想定される津波の高さが10数ｍから30ｍ超に変更になった。新たな活断層が発見され、既知の活断層の長さも大幅に延長された。各地の地質を見直すと、これまで報告されていなかった過去の巨大地震の存在が明らかになった。<br />
原子力発電関係の学者の発言の変遷に至っては空いた口が塞がらない。事故当初、テレビに出ずっぱりで原子炉安全神話を吹聴していた学者が、メルトダウンが明らかになった後、己の誤った見解に対して謝罪しただろうか。<br />
私は不思議でならない。これまで何十年も見つからなかったことが、どうしてこの1年で次々と発見されるのだろう。予測値が急に倍増するのだろう。不確かなことに対してどうしてあれほど自信を持って太鼓判を押せたのだろう。<br />
何十年も仕事ををさぼっていたわけではないだろうから、目の前の証拠を見逃していた、あるいはある一定以上の出来事は起こり得ないという先入観を持って計算していたのだろう。それ以外に考えられない。これでは素人の未来予測と変わらない。およそ普遍的な真理を追究するプロの仕事とは言えない。<br />
学者とは、大学の専任教員、研究機関や研究所の専属研究員、博物館の専属学芸員といった職業研究者を指す。プロの研究者である。<br />
プロフェッショナルと定義されるには幾つかの条件が満たされなければならない。一つは、自分の専門領域における見識が抜きんでていること。二つ目には己の研究成果に対して社会的責任を持つこと。三つ目にはその研究活動によって生計を立てていること。<br />
今回の一連の騒動を通して分かったことは、現在の学者は一つ目の条件は満たしていても、二つ目のプロとしての矜持が欠落し、三つ目の研究で金を稼ぐ術に長じている者が多いということだ。学者としての品格が疑われる。<br />
この傾向は地震学者、原子物理学者に限ったことではない。医学の領域においても学者の品格の低下を目にする。特定の製薬会社の専属となり、その会社と吊るんで全国、いや世界をまたにかけて巡業発表する学者が少なくない。<br />
学問の世界がいつからこんな状況になってしまったのだろう。それとも、昔から学者というものはこんなものだったのだろうか。昔はどんなに政治、経済的な圧力がかかっても、己の信ずるところを譲らない品格の高い学者がいたように思う。<br />
それでも私は、今でも品のある学者はいいると信じている。ただ、真の学者は学会で冷や飯を食い、出世できず、陽の目を見ないのだと思う。学者の品格の低下は、権力におもねり、世渡り上手の研究屋が出世し、高給を得られる、学界の構造的な問題の現れなのかもしれない。<br />
世俗が拝金主義一色に染まっても、学問の世界だけは超然として品位を保つ最後の砦であってほしいものだ。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>春眠暁を覚えず</title>
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   <published>2012-05-07T00:23:24Z</published>
   <updated>2012-05-07T00:25:13Z</updated>
   
   <summary>「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つることを知りぬ多少ぞ」。唐...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つることを知りぬ多少ぞ」。唐の時代の詩人、孟浩然の五言絶句「春暁」である。春の眠りは快くて、夜明けも知らずにうつらうつらしていると、あちこちで鳥のさえずる声が聞こえる。昨夜激しい雨風の音がしたが、おそらく花が沢山散ってしまったことだろう。<br />
この詩を知らなくても、頭の「春眠暁を覚えず」の一節を知らない人はいないだろう。あまりにも有名な慣用句だ。<br />
孟浩然の指摘する通り、春はよく眠れる。普段不眠で困っている人にはとてもありがたい季節だ。一方、昼間の眠気で困っていた人はなお一層眠気と闘わなければならない。<br />
ではなぜ、春は眠りやすいのだろう。一つの説としては気温の上昇があげられる。ヒトは生きていくために体温を一定に保たなければならない恒温動物である。この恒温機能は発熱と保温のバランスよってなされる。<br />
このうち保温機能の主役は、自律神経系を介した血管の収縮・拡張だ。寒くなると交感神経系が優位になり血管を収縮させる。すると寒い外界にさらされる血液の量が減るために、熱の放散量が減少する。<br />
一方暑くなると、交感神経系の活動レベルが下がって副交感神経系優位になる。すると血管が拡張して身体の中の熱の放散量が増加する。さらには血管が特殊に変化した汗腺から、血液の中の液槳成分を体外に汗として分泌する。この汗が蒸発する際に気化熱が奪われることによって、より積極的に体温を下げる。<br />
自律神経系は中枢においては精神的な緊張度のコントロールに関与する。緊張度が増すと交感神経系が優位になり、リラックスすると副交感神経系が優位になる。<br />
さてここで春眠だが、春になって暖かくなると体温を下げようとして副交感神経優位となり、結果リラックスする。また、熱放散のために皮膚表面の血液量が増え、その分脳血流量が減る。気温が高くなるとこの両方のメカニズムによって眠くなるという解釈だ。<br />
<br />
もう一つの原因として考えられているものがメラトニンという脳内ホルモンである。メラトニンは睡眠物質と呼ばれ、この分泌量が増えると脈拍、血圧、体温を下げて睡眠を誘発する。<br />
メラトニンは視覚伝導系の一部にある松果体で分泌される。一日中一定の量が分泌されるのではなく、朝、太陽の光が目に入って約15時間後に分泌を初め光の量が減るに従って分泌量が増加する。つまり夕方から夜になるにつれてメラトニンの量が増えて午前2時頃に最大値となる。こうして睡眠・覚醒のリズムを司る体内時計の機能を果たしていると考えられている。<br />
メラトニンの分泌量を一年を通してみると、日照時間の短い冬は分泌量が多く、日照時間の長い夏は少なくなるサイクルを示す。春は徐々に日照時間が長くなるのだが、メラトニンの減少速度がそれに追いつかない。つまり、日照時間に比べてメラトニンが脳内に溜まりすぎるので眠たくなるという説明である。<br />
<br />
春の眠気についての説明はおおむね以上のようなものが多い。しかし、私はそう簡単に納得できない。なぜならば、今説明されたこととまったく正反対のメカニズムが働く秋も春と同様に眠たい季節だからだ。秋もまた、不眠者にとっては好環境、過眠者にとっては辛い季節である。「秋眠暁を覚えず」だ。<br />
同じように眠くなるのだが、秋は交感神経が優位になり、皮膚表面の血液量が減少する。日照時間も短くなるのでメラトニンの分泌量が多くなる。それなのに春と似て眠くなることに関しては、先ほどの説明は成立しない。<br />
<br />
どの分野においても同じことが言えるが、科学とは現在分かっていることで目の前の現象を説明しているだけのことである。分かっていないことや、知り得ないことはさておいている。目の前の現象に対してできる限り矛盾を生じずに説明することが科学なのだ。だから、どんなにクリアカットな説明も真実とは限らない。どんな学説に対しても眉に唾する姿勢で臨まなければならない。<br />
「春眠暁を覚えず」に関する仮説も例外ではない。気温変化に伴う自律神経系の変化、日照時間の変化に伴うメラトニン分泌量の変化。どちらも大きく関与していることは間違いではないだろう。しかし、それだけでは十分に説明ができない。今のところ、暑すぎず寒すぎない快適な環境温度と、適度な湿度、さらには自律神経系機能やメラトニン分泌量などのバランスが引き起こす現象と言っておいた方が適切なのではないだろうか。<br />
<br />
間もなくベとベととまとわりつくような湿気の梅雨がやってくる。せいぜい今のうちに心地よい眠りを楽しんでおこう。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>待ち望まれるETの襲来</title>
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   <published>2012-04-30T01:17:07Z</published>
   <updated>2012-04-30T01:19:46Z</updated>
   
   <summary>先日、全長6.5ｍのアミニシキヘビに飼い主の父親が噛み殺されるという恐ろしい事件...</summary>
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         <category term="9382012年4月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[先日、全長6.5ｍのアミニシキヘビに飼い主の父親が噛み殺されるという恐ろしい事件があった。この事件に関連したコメントで知ったことだが、蛇の認知機能レベルでは、眼前にある物が食べられるものか食べられないものかの区別しかできないそうだ。飼い主がいくら愛してもその気持ちに応えることはできそうにもない。<br />
さて、系統発生学的にみて神経系の一部が発達して、脳と呼ばれる臓器ができた時、まず最初に認識することはなんだろう。私は自分と自分以外の区別ではないかと考える。自分と自分を取り巻く環境と言い換えることもできる。<br />
次に、その環境を、食べ物も含めて、自分に有利なものと、自己の存在にとって危険なものに区別するようになる。さらに、環境の識別は脳の発達に伴って細分化されていく。同種生物、生殖対象者、異種生物、食べられるもの、食べられないもの、自分より強いもの、自分より弱いもの、取り立てて騒ぎ立てる必要のないものなどなど。<br />
一方、自己に所属すると認識するものも、拡大細分化されていく。狭義の自己、自己の支配する空間、配偶者、親、子、家族と。さらに生活形態の複雑化と生活圏の拡大に伴って、親類、同部族、同人種、国家と自分の所属する空間は拡大していく。<br />
このように自己所属圏の拡大には必ず外界からの脅威がきっかけとなる。部族としての結束も他部族からの脅威を感じて、初めて成立したと思われる。朝廷を御旗に掲げて日本が一つに纏まったきっかけが黒船にあることは間違いないであろう。換言すれば外からの目にさらされないと、あるいは外から自己を眺めることができないと真の自己所属意識は育たないと言える。井の中の蛙は井戸の外に出て初めて自分が井戸の中にいたことを知る。<br />
さて、今や我々は自分たちが半径6,356.752ｋｍの地球という小さな惑星の上に生息していることを知っている。そしてこれまでニーケル・アームストロングを筆頭とする18名の宇宙飛行士を除けば、70億超の地球人は海抜100ｋｍ以下の地球表面にへばりついて生きている。宇宙規模で考えた場合井戸にも遠く及ばない水たまりの中に生きる蛙のような存在であることも知っている。<br />
がしかし、実際に地球の外に出たことがないために、地球人という自己所属感が醸成されない。そのために大航海時代と同じように水たまりの中で争いを繰り返し、処理方法も分からぬままに核物質を作り出して地球を「トイレのないマンション」化してしまっている。<br />
どうしたら私たちは真の地球人意識を持てるのだろう。地球温暖化、環境破壊だと声高に叫んでも難しそうだ。やはりここは地球外生命体（ET）の登場しかないのではなかろうか。<br />
地球外からの脅威を感じた時に、私たちは初めて、肌の色、宗教、国境を越えて、地球人として結束して立ち向かわなければならなくなる。その時に地球人としての自覚ができるのだと思う。いや、人類だけでなく地球上のすべての生命は同胞であり、我々は地球生命系の一部であるとして感じられるのではなかろうか。<br />
願わくば、そこそこの強さのエイリアンの襲来があってほしい。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>松下翁、痛恨の極み</title>
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   <published>2012-04-23T00:10:00Z</published>
   <updated>2012-04-23T00:11:59Z</updated>
   
   <summary>現代日本を代表する実業家と言った時、この人を抜きには語れない。パナソニック（旧、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[現代日本を代表する実業家と言った時、この人を抜きには語れない。パナソニック（旧、松下電器産業）創設者、松下幸之助、その人だ。<br />
幸之助は1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木の小地主、松下政楠の三男として出生した。幸之助が5歳の時、父が米相場で失敗し破産。尋常小学校を4年で中退して9歳で丁稚奉公に出される。<br />
自転車屋の丁稚時代、大阪で路面電車をみて電気に関わる仕事を志す。16歳で大阪電灯（現、関西電力）に入社して7年間勤務する。この大阪電灯時代簡単に電球を取り外すことができるソケットを考案して23歳で大阪電灯を退職し、大阪府東成郡の自宅で妻、むめの、その弟、井植歳男（後の三洋電気創業者）と2人の友人とでソケットやプラグの生産を始める。二股ソケットのヒットを足がかりに家内工業の町工場を世界有数の企業パナソニックに育て、経営の神様と呼ばれるまでに至った立身出世物語はあまりにも有名だ。<br />
経営の神様と言われるが、実は幸之助は長い経営者人生の中で数多くの失敗を繰り返している。最初に売りだしたソケットは全く売れなかった。戦時中の爆撃機「明星」試作機はあえなく空中分解に終わっている。証券業界にも乗り出したがこれも住友財閥に吸収されてしまった。<br />
だが、彼と凡庸な経営者との違いは、失敗を成功の糧としたことであろう。幸之助自身こう言っている、「失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい」。<br />
幸之助が神様と呼ばれる所以はもう一つある。それは彼の一生が単なる金もうけに終わらなかったことだ。ここがホリエモンに象徴される現代のIT長者どもと決定的に違うところだ。<br />
現在もパナソニックの綱領とされている「産業人たるの本分に徹し社会生活の改善と向上を図り世界文化の進展に寄輿せんことを期す」は1929年に幸之助が制定したものだ。また1932年には全社員を前にして「水道哲学」「250年構想」を熱く語った。物資を廉価に国民に供給することによって250年後に我が国をユートピアにしたいと夢を描いて見せた。<br />
彼は夢を語るだけではなかった。下町観光名所の一つ浅草、浅草寺の雷門は1865年に焼失した。その後何回か仮設の門が設置されたが、現在の雷門と大提灯は幸之助がポケットマネーで寄進したものである。この他、故郷和歌山ではさまざまな施設が幸之助の寄付によって作られている。<br />
幸之助のユートピア実現への思いは寄付にとどまらなかった。1946年、PHP（Pease and Happiness through Prosperity）研究所を設立し、「物心両面の繁栄によって平和と幸福を実現したい」という幸之助の願いを倫理教育の形で具現化した。そして現役を引退して後の1979年、晩年最後の社会奉公として私財70億円を投じて、茅ヶ崎に松下政経塾を創設した。平和と幸福の実現には優秀な政治家の育成が不可欠であると考えたからだ。<br />
創設30年を超えた現在、卒業生は250名を超え、100名を超える人材が政治の場で活動している。主な国会議員をあげると、衆議院議員では逢沢一郎、高市早苗、野田佳彦、前原誠司、松原仁、樽床伸二、原口一博、玄葉光一郎など。参議院議員では中西祐介、福山哲郎など。さらには松沢成文前神奈川県知事、村井嘉浩宮城県知事などなどである。そして2011年8月、野田佳彦1期生がついに内閣総理大臣に就任した。<br />
日本を担う政治家を育てるという幸之助の目的の一つを果たしたことになる。しかし、今永田町でなされているドタバタ劇を草葉の陰で松下翁がどんな思い出観ているのだろうか。きっと「晩節を汚してしまった」と臍を噛む思いに違いない。<br />
松下政経塾で学んだ者たちは弁を弄する技術、向こう受けするパフォーマンスは身に着けたかもしれないが、肝心要の志や人間力は育たなかったようだ。結果、松下政経塾はハンドルのないレーシングカーのような政治家ばかりを排出する政治屋教習所になってしまった。<br />
幸之助が丁稚奉公を通して身に着けた人間力は人から教え授けられるものではない。ここを理解しなかったことが松下翁、最大の誤算であったのではないだろうか。しかも、商売と違って国政は「失敗すればやり直せばいい」では済まない。一度の失敗は国の将来を決定的に危うくする。<br />
橋下徹が立ち上げた維新政治塾にも3000名の応募者が殺到したと聞く。もちろん中には志高い者もいるだろう。しかし、橋下ブームに便乗して政治の場で生計を立てようとする喰い潰れも少なくないのではないだろうか。<br />
私は政治家養成所が我が国の政治がどんどん劣化していくように思えてならない。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>木島佳苗、結婚詐欺・連続不審死事件判決</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2012://1.314</id>
   
   <published>2012-04-16T00:05:52Z</published>
   <updated>2012-04-16T00:07:41Z</updated>
   
   <summary>4月13日埼玉地裁で、多くの注目を浴びた結婚詐欺・連続不審死事件の裁判員裁判の最...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[4月13日埼玉地裁で、多くの注目を浴びた結婚詐欺・連続不審死事件の裁判員裁判の最終公判が開かれて木嶋佳苗被告人に死刑判決が下った。<br />
今回の裁判の起訴内容は寺田隆夫さん、安藤健三さん、大出嘉之さんに対する殺人に加えて3件の詐欺罪、3件の詐欺未遂、1件の窃盗罪だ。しかし実は2007年8月、千葉県松戸市のリサイクルショップ経営者、福山定男さん（70）が佳苗の口座に7400万円を振り込んだ後に突然死している。<br />
この他にも木嶋の周辺では怪しい事件が数多く生まれている。裁判員、裁判官がこれら一連の事件を木嶋の犯行であると認定すれば、確実に死刑が下されると考えられていた。ところが、肝心の犯行の立証が極めて困難であった。なぜならば、いずれの不審死においても一人の目撃者もなかったからだ。当然、木嶋は殺人に関しては完全否認を通した。したがって、検察は被告人の犯行を間接証拠だけで立証しなければならなかった。<br />
弁護側は、木嶋が結婚願望の男たちを手玉にとって詐欺を働いたことを素直に認める作戦に出た。それと引き換えに、殺人容疑に対する荒唐無稽な嘘を信じ込ませようとしたのだ。頼るは刑事訴訟法第336条の「推定無罪」。詐欺行為に関する陳述で、できる限り木嶋の人格の特異性を際立たせて、非合理的な殺人に関する嘘の陳述をさもありなんと見せかけようとしたとのだ。<br />
嘘と真を織り交ぜた被告人の主張によって、検察が間接証拠を組み立てて作ったストーリーに、たとえ一か所でもほころびが生じさせることができれば、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の大原則によって無罪を勝ち取る可能性が出てくる。<br />
残念ながら、この弁護団の目論見は誤算に終わった。荒唐無稽ないい訳は、むしろ木嶋の非社会的で、人間的な情性が欠如した特異なパーソナリティを浮き立たせるだけに終わった。結果、一片の情状酌量も得ることができず、極刑が下されることになったのだ。<br />
<br />
木島佳苗がパーソナリティ障害であろうことはすでに2009年11月のコラム（再び演技性人格障害―婚活詐欺・殺人事件？―）で書いた。その後のさまざまな情報から考えると木嶋は演技性パーソナリティ障害よりは自己愛性パーソナリティ障害の方が適切と考える。いずれにせよ、パーソナリティ障害は国際的に用いられている診断基準にも載っている立派な精神障害である。<br />
精神障害となれば、刑法39条が適用され、犯罪成立の阻却事由あるいは減刑事由となる可能性もある。精神障害によって責任能力が無いと判断されれば無罪。責任能力が著しく損なわれていたとすれば量刑を減ぜられる。<br />
責任能力とは事理弁識能力と行動制御能力の二つからなる。裁判では、物事の良し悪しを判断する能力と、その判断にしたがって自分の行動を制御する能力の程度が問われるのだ。<br />
木嶋佳苗の責任能力はどうであろう。一般論としてのことの善悪の判断がつかないとは言えない。しかし、人間的な共感の欠如から、個別的な事理弁識能力はある程度低下していたと言えるのではないだろうか。<br />
それぞれの事件における木嶋の巧妙な振る舞いを考えると行動制御能力が低下しているとは言い難い。しかし、行動制御能力の程度は事理弁識能力損なわれていないことが前提でしか論ずることができない。弁識能力が損なわれていればいくら行動制御能力が整っていても責任能力があるとは言えない。したがって、木嶋のパーソナリティ障害に焦点を当てて減刑を得る可能性もあったとうに思う。<br />
しかしながら私は、本件が最終的にパーソナリティ障害を理由に減刑されなくてよかったと考える。なぜならば、もしそう前例を作るならば、用意周到に仕組まれた犯罪、反省なしの大嘘つきが得をすることになる。健全な社会を防衛する意味で今回の判決を大いに評価したい。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>死刑執行</title>
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   <published>2012-04-08T23:59:40Z</published>
   <updated>2012-04-09T00:01:37Z</updated>
   
   <summary>3月30日の新聞に3名の死刑執行が大きく報道された。後ろの方の小さな記事として掲...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[3月30日の新聞に3名の死刑執行が大きく報道された。後ろの方の小さな記事として掲載されるならいざ知らず、なぜ死刑執行がトップ記事なのだろう。理由はこの執行がなんと1年8カ月ぶりだからだ。<br />
2年半の民主党政権下における死刑執行は、一人目の千葉景子大臣の2名と、今回の小川敏夫大臣の3名だけだ。残る、柳田稔、仙石由人、江田五月、平岡秀夫の4大臣は1通の執行命令書にもサインしなかった。<br />
柳田、仙石両氏は在任期間が短かったと言ういい訳が成り立つが、江田五月に至っては「自分は死刑廃止論者である」と公言して確信的に執行手続きを行わなかった。平岡もまた慎重な姿勢を崩さなかった。<br />
<br />
日本国憲法第13条は「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とある。<br />
日本国民は公共の福祉に反しない限り、他人に生殺与奪の権利を奪われることがあってはならないのである。生殺以前に他人から身体を傷つけられたり体内に接触されることもあってはならない。そういうことが有れば傷害罪あるいは暴行罪に問われる。これに対する例外が国家資格を持つ医師による医療行為なのだ。<br />
では他人の生命を奪ってよい例外的行為があるのだろうか。ある。それが刑法に規定された国家による死刑である。死刑とは、ある個人が公共の福祉に重大な違反をしたと判断した時に、国民に代わって国家がその者の生命を奪う行為と言える。<br />
ただ、いくら公共の福祉に反する重大な行為があったとしても、国家による殺人が許されるのかという議論がある。死刑廃止論者の冤罪問題、国家による乱用の危険性と並んで重要な反対根拠としているところだ。<br />
国際的にも1989年12月に国連で自由権規約第2選択議定書（死刑廃止議定書）が採択されて以来、世界中で死刑制度廃止の流れが加速している。2010年現在、死刑を廃止している国が96カ国、限定された犯罪以外死刑を廃止した国が9カ国、死刑制度は存続する者の実際には死刑を執行しない国（死刑執行モラトリアム国）が34カ国、依然として死刑を執行している国が58カ国となっている。<br />
我が国においても戦後間もなく死刑制度の是非を問う提訴がされた。昭和23年のいわゆる死刑制度合憲裁判である。尊属殺人、殺人、死体遺棄によって広島高等裁判所において死刑判決を受けた事件で、弁護団は、死刑は憲法第36条によって禁じられた「公務員による拷問や残虐刑の禁止」に抵触するとして最高裁に上告した。<br />
昭和23年3月12日の最高裁大法廷は「国民個人の生命は尊貴なものではあるが、社会福祉にとって重大な脅威となるような違反に対しては憲法31条に定められている通り、適切な法的手続きによって奪うこともできる」とした。この判決以降、死刑制度は法治国家である我が国に厳然と存在する極刑なのである。そうであるならば、司法で確定した以上、行政は粛々と計を執行しならないのではないか。<br />
ところで、友人から「死刑より重い刑はないのだろうか？」、「死にたい人がいて、死が苦しい生からの解放ならば、刑としての死は、果たして重いのだろうか？」という疑問をぶつけられた。確かに大阪教育大学附属池田小学校事件の犯人である宅間守は死刑確定後、自ら早期執行を求めて、約1年後の平成16年9月14日、大阪拘置所において死刑を執行された。宅間にとって死刑が極刑であったのか、疑問は残る。<br />
一方で、平成17年自殺志願者をネットで募って、3名を殺害した事件があった。犯人は人が断末魔にもがき苦しむ姿をみると興奮するという変質者だったが、その時の調書によると、被害者たちは自殺を志願していたにもかかわらず、いざ殺されると分かった時、「助けて！」と懇願したようだ。この事実から見て、人は自殺は望んでも、他人から殺されたくはないのだと考えられる。やはり死刑は極刑なのだ。<br />
<br />
現在、日本において死刑執行を最終判断するのは法務大臣となっている。刑事訴訟法475条第1項は「死刑の執行は、法務大臣の命令による。」と定めている。またこの命令は、上訴権回復、再審の請求、非常上告、恩赦の出願・申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は算入されないなどの但し書きはあるものの、判決確定の日から6ヶ月以内にしなければならない（刑事訴訟法475条第1項本文）、こととなっている。<br />
なぜ刑の確定から6カ月以内なのだろう。その根拠はよくわからないが、絞首刑は踏み板が外れて身体が床下に落下し、全体重が首にかけられたロープにかかった瞬間に、頸骨が脱臼し、頸動脈の流れが止まる。このため、瞬時に意識を失ってしまうためそれほど苦しまずに死ぬものと考えられる。<br />
死刑囚をもっとも苦しめることは、いつ執行されるか分からない状況で毎日を過ごすということなのだと思う。「今日執行か？明日執行か？」と、看守の一挙一動にびくびく過ごす時間こそが死刑囚に与えられた厳罰なのではないだろうか。<br />
この観点からいくら死刑囚といえども、苦しく、不安な日は6カ月以内にするのが適当と判断したのだと、私は思う。ということは6ヶ月も苦しんだならば、十分に罪を償ったのだから速やかに死刑執行してあげる方が慈悲というものだ。<br />
死刑執行を回避してきた法務大臣は自身が法令違反をしていることになる。ところが刑事訴訟法475条には罰則規定がないのをいいことに、多くの歴代法務大臣が職務怠慢、違法行為をしてきた。しかも、自分は死刑囚を延命させたと自己満足しているかもしれないが、皮肉にも死刑囚をより長期間苦しめる結果となっている。<br />
死刑執行命令書にサインしない違法法務大臣は民主党政権に限ったことではない自民党政権下においても多数の法務相が執行をしてこなかった。海部内閣時の佐藤恵は在任312日の在任期間中、宮沢内閣時の田原隆は404日の在任期間中ただの一人も死刑執行しなかった。この結果、先の3名の死刑が執行された現在でも132名の死刑囚が全国7か所の拘置所に収容されている。<br />
<br />
死刑制度の存廃は哲学的問題を含んでおり、一朝一夕で結論が出るとは思えない。廃止論者は国連議定書と廃止国が増加している現実を一つの拠り所にしている。がしかし、1989年の国連採択の背景には、世界中に現政権に楯突く政治犯が次々と死刑乱用がなされる国が多いことがあったのだと思う。<br />
しかし、戦後死刑を宣告された者の中に政治的乱用の被害者と思われるものがいるだろうか。私が、何ならかのスケープゴートとされたと思っているのは昭和62年八王子医療刑務所で獄中死した帝銀事件の故平沢貞通くらいのものである。かと言って、今後とも政治目的の死刑乱用が起きないという保証はないのだから、死刑制度の存置には十分な議論を必要とするだろう。<br />
しかし、現在死刑が確定している者については法に定める通り執行すべきだと考える。少なくとも、時の法相が個人の思想・信条から法律で定められた職責を果たさず、その結果、執行のペースが左右されることは、法治国家として本来許されない。<br />
死刑制度に否定的で初めから執行しないと決めているのなら、政治家として法相の職を引き受けるべきではない。我が国で法務大臣に就任するということは死刑執行命令書に署名する職責を負うということだ。死刑執行命令書に署名しなかった法務大臣は不作為の不法行為犯と言える。法務大臣が自ら法を犯してはいけない。<br />
加えて、2009年から裁判員裁判が始まり、これまで13人に死刑判決を言い渡している。一般市民を司法の場に引っ張り出して、人の生命を奪うかどうかの決断を強いている。一般の市民に苦渋の決断を迫る以上、行政は今まで以上に厳粛にその結果を受けて、粛々と刑を執行して然るべきであろう。
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   <title>無粋なエイプリルフール</title>
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   <published>2012-04-02T00:03:02Z</published>
   <updated>2012-04-02T00:04:57Z</updated>
   
   <summary>4月1日はエイプリルフール（4月馬鹿）。嘘をついてもよい日とされている。なぜ4月...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[4月1日はエイプリルフール（4月馬鹿）。嘘をついてもよい日とされている。なぜ4月1には嘘をついてよいのかという起源についてはよく分かっていない。にもかかわらず、ほぼ世界中でエイプリルフールは認められている。言語、肌の色を問わず、人はユーモアを求めるからに違いない。欧米では新聞やテレビニュースでも冗談ニュースを流したりする。今年も各地で、あの手この手で造言蜚語が披露されたことだろう。<br />
嘘と言えば、後に名映画監督、脚本家、俳優となるオーソン・ウェルズのついた嘘は、今でも語り草となる秀逸な一作と言える。74年前の1938年10月30日、当時23歳のウェルズはＣＢＳラジオのドラマ番組でＨＧ・ウェルズのＳＦ小説「宇宙戦争」原作のドラマを放送する際に、舞台を当時のアメリカに変え、臨時ニュースで始まるドキュメンタリー仕立てにして放送した。<br />
前例のない構成と迫真の演技によって多くの聴取者に火星人来襲を伝える本物のニュースと間違われ、全米でパニックを引き起こした。緊急避難を急ぎ、家財道具を満載した車が右往左往して、多くの町が大混乱となった。<br />
火星人来襲という突飛な話がなぜ大混乱を引き起こしたのだろう。むろん第一の理由はウェルズのドキュメンタリータッチの演出手法がそれまでにない新しいものであったことであることは言うまでもない。それに加えて当時の国際情勢も深くかかわっている。当時ヨーロッパでは台頭著しいナチスドイツと欧米列強がチェコスロバキアのズデーデン地方の帰属をめぐって緊張状態にあった。このために何かとんでもないことが起きるのではないかという不安に覆われていた。さらには放送日が10月30日であったことも関係するだろう。もしこのドラマが4月1日に放送されていたならばそれほどの混乱にはならなかったと思われる。<br />
<br />
今年はエイプリルフールを2週間近く過ぎるころに、大きな嘘つきドラマが公開される予定だ。4月中旬に北朝鮮が気象衛星を打ち上げると発表している。<br />
北朝鮮による大型ロケット発射実験はこれで３回目である。1998年にテポドン1号を発射するも失敗に終わった。さらに、テポドン1号を改良、大型化したテポドン2号の発射（2006年）も失敗に終わった。2009年4月5日に行われたテポドン2号発射は一応最終段階の切り離しまで成功し、北朝鮮は人工衛星「光明星2号」を地球周回軌道に乗せたと発表した。しかし、各国の監視網には軌道周回する人工衛星は確認されなかった。<br />
あれから3年、今回の打ち上げは発射場を半島西部の東倉里（トンチャンリ）に新設した。これまでの発射場に比べて大型で自動化されている模様である。この発射台の大きさから推定すると今回のロケットはこれまでの物よりもさらに大型化している可能性がある。<br />
北朝鮮は金日成生誕100年、金正日生誕70年を記念する国家的事業であり、あくまで人工衛星の打ち上げと言い張っている。一部情報筋からも今回のロケットの先頭部分にはどうやら本当に人工衛星が取り付けられている可能性があるとの話も出てきている。<br />
しかし、これまでのミサイル開発の経緯、低い技術力、専軍政治国家などを考えれば、人工衛星の打ち上げを信じる者は稀有であろう。今回の実験が米国やロシアを射程に捉えた長距離大陸間弾道ミサイルの発射実験であることは火をみるより明らかと言える。<br />
このために関係各国が強く実験中止を求めている。これまで北朝鮮を擁護してきた中国、ロシアまでもが今回は中止要請側に回っている。しかし、北朝鮮が実験を中止する気配は全く感じられない。十中八九ミサイルは発射されるだろう。<br />
北朝鮮としては何が何でも強行しなければならない理由がある。それは。昨年死去した金正日から世襲した金正恩の威光を内外に知らしめなければならないからだ。もし、外圧に屈してミサイル発射を中止したならば権力移譲の正当性を問われかねないのだ。<br />
それにしても、国家予算がおよそ3300億円で、四海困窮、路上に行き倒れが絶えない国が、バカ殿様の権威づけと恐喝のために300億円もかけて花火を打ち上げるなんて、狂気の沙汰以外のなにものでもない。<br />
それに、技術力が低いために失敗の可能性が高く、またその際に日本、韓国、台湾、フィリピンなど周辺諸国に破壊片が降り注ぐ危険があると言う。兵器の性能の高さを脅威に感じるのではなく、精度の悪さがかえって脅威となっている。冗談みたいな話だがまったくもって笑えない冗談である。しかもそれが300億円も賭けた国家ぐるみのエイプリルフールだと言うのだ。無粋極まりないエイプリルフールと言えよう。ウェルズの爪の垢を飲ませたい。<br />
ユーモアを楽しめるということは人の心が健康であることを示す重要な一つの指標である。しかし、空腹を抱えた北朝鮮国民に人工衛星のブラックユーモアを笑うゆとりのあるはずがない。心病める国、北朝鮮の妄動はどこまでエスカレートするのだろう。
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   <title>煩悩即菩提</title>
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   <published>2012-03-26T01:41:00Z</published>
   <updated>2012-03-26T01:43:25Z</updated>
   
   <summary>仏教の開祖ガウターマ・シッダールタ（釈迦）は現在のネパール国境付近、カピラヴァス...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[仏教の開祖ガウターマ・シッダールタ（釈迦）は現在のネパール国境付近、カピラヴァストゥーで釈迦族の王子として誕生した。生年は紀元前463年とも前563年とも言われ不詳である。29歳の時に何一つ不自由のない生活を捨てて出家し、35歳で大悟したとされる。<br />
仏教はキリスト教、イスラム教と並んで世界三大宗教と称されるが、他の2教と比べてあまりに異質である。果たして宗教と呼べるのかさえ疑わしい。なぜならば、仏教に神は登場しない。<br />
主人公の釈迦は王子に生まれた生身の人間。それが何をとち狂ったか真理を追い求めて出家し、当時インドで流行していた難行苦行を試みた。しかしその結果、苦役の果てにも享楽の末にも真理を見出すことができなかった。絶望の淵に陥った釈迦を救ったのは美少女スジャータが差し出した一杯の乳糜（にゅうび）であった。<br />
この励ましに気を取り直した釈迦は49日間の瞑想の末に正覚を開いた。この悟りに至るまでの修行の過程を後進に語った言葉を基に、弟子たちが後世纏め上げたのが仏典である。釈迦自身は仏典をもって己の悟りを宗教として流布しようと言う考えはさらさらなかったと思われる。仏典は言うなれば森羅万象の根本原理についての釈迦による哲学講義録と言える。<br />
釈迦が辿り着いた悟りとはいかなる境地なのだろうか。釈迦は森羅万象の成り立ちまで洞察したと思われるから、釈迦の悟りのすべてを私のごとき常鱗凡介が知る由もない。しかし釈迦が辿り着いた境地の一隅を表している言葉は「煩悩即菩提」ではないかと私は考えている。<br />
<br />
紀元前のローマの哲学者キケロが「生きるというのは考えるということである。」と言っている。確かに人は四六時中考えているようだ。そのことは脳波、MRI、PET、SPECT､光トポグラフィといった無侵襲の生体検査によって事実であることが確かめられている。<br />
さらに、近年の科学技術の飛躍的な進歩に伴って形態面でも実証された。すなわち、神経細胞上のシナプスは時々刻々と増減していることが分かった。流れの活発な経路ではシナプスが続々と新生され、流れが滞っている経路上のシナプスは消滅していく。脳も睡眠中においても活発に活動し、情報の流れを絶やさないようにするとともにシナプスの調整をしている。すなわち、一秒たりとも何も考えないでいることなどできないのだ。脳が脳であり続けるためには考え続けなければならないからである。その考えは自分に都合が良かろうが悪かろうがお構いなしである。<br />
<br />
悩みを抱えて当院を訪れる方の大半はそれまでに周囲の人から様々なアドバイスを受けている。その中で最も多いのが「そんなこと考えてもしょうがないんだから考えないようにしなさい。」というものだ。忠告するほうは親身になって言うのであろうが、この忠告は脳の働きを知らない者の発言である。そう言われて考えを止めることができるのならば最初から悩むことなどしない。考えたくない、考えまいとしても考えてしまうから困っているのだ。<br />
先ほど述べたように、脳に限らず生体は動的平衡によって恒常性を維持している。しかし、一般の人は脳をはじめ生体を、スイッチを入れなくてもそこに存在してスイッチオンで動き出す、無機物の電気製品と同じように捉えているように見受ける。ところがそうではない、私たち生き物は自分自身にとって有用であるか有害であるかはお構いなしに活動を続けなければ存続していけないのだ。脳も例外ではない。<br />
「行く水は帰らずして、流れその姿を留める」。遠くから眺めた川は静かにその姿を保っているが、近づいてよく観察すると水が常に流れては去り、一時として同じ様相ではいない。水の流れが一瞬でも中断すればたちどころに川は川でなくなる。脳の在り様はこの川の流れとよく似ている。川の流れが昼夜兼行であるように、絶えることのない情報の流れによって脳は初めて脳であり続けられる。<br />
そこで脳は常に考え続ける。ところが悲しいことに大多数の凡人の脳の活動は決して即時的に有益とは言えないくだらない考えに費やされる。つまり、私たちの頭は常に煩悩によって占められているのである。<br />
人は煩悩などない方が良い、振り払いたいと考える。しかし、先ほどの脳の科学的知見を踏まえて考えてみれば、煩悩は脳にとってきわめて重要な働きと言えるのではなかろうか。煩悩の存在なしには適切な脳の働きはあり得ないのではないだろうか。換言すれば脳の活動維持にとってくだらない思考などないと言ってもよい。<br />
<br />
煩悩即菩提とは煩悩と菩提（＝悟り）とは分けることができない一体のものであると言っている。煩悩と悟りが一体となっていることが人間の本性であると言っている。したがっていくら煩悩だけを異物として滅却しようとしてもそれはできない。煩悩の存在をあるがままに受け入れることによってはじめて悟りを得ること、すなわち解脱できると説いているのである。<br />
これは脳神経細胞の活動の実態が分かってくるとより理解しやすい。そしてこの教えは心的葛藤からの解決法を明示している。<br />
釈迦は偉大な脳科学者であり、偉大な精神科医であるのだ。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>超巨大地震</title>
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   <published>2012-03-19T00:15:10Z</published>
   <updated>2012-03-19T00:16:56Z</updated>
   
   <summary>「地震、雷、火事、親父」と言えば、以前は怖いものの代表として喩えられてきた。しか...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[「地震、雷、火事、親父」と言えば、以前は怖いものの代表として喩えられてきた。しかし、父権が完全失墜した現在、親父はこの喩えから削除される。野山を歩いている時の雷は今でも十分に恐ろしいが、避雷針を設置した高層ビルに取り囲まれた都会では雷の恐ろしさは実感できない。火事も確かに怖いが、自分の心構えである程度防ぐことができる。やはり、恐怖の大王は地震と言えよう。<br />
関東大震災以降次第に風化しかけていた恐怖が呼び起こされたのは14年前の1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災だった。早朝のテレビの画面に映る倒壊した高速道路の映像は平和ボケした私たちに冷や水を浴びせかけた。地震のもつエネルギー、マグニチュードが7.3程度であったにもかかわらず甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災はあらためて都市部の直下型地震の怖さを思い知らすものとなった。<br />
その後、2004年の新潟県中越地震（M6.8）では初めて震度7を記録。2007年新潟県中越沖地震（M6.8）では柏崎刈羽原子力発電所で震度7を記録し、日本における原発の地震に対する危険性が注目された。今から思えばこういった一連のプレート内地震は来るべき大災害に対する自然からの警告であったのかもしれない。<br />
そして昨年3月11日世界で最も地震に慣れているはずの日本人が、改めて地震の底知れぬ恐怖を味わった。3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島東南東沖130ｋｍの海底、深さ24ｋｍを震源とする東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0（観測史上第4位）、最大震度7で、東北から関東にかけて東日本一帯に甚大な被害をもたらした。人的被害は地震そのものによるのではなく、地震によって引き起こされた巨大津波によるものであった。最大溯上高40ｍ、訴状距離は数ｋｍにおよび、津波による浸水面積は6県62市町村、561ｋｍ2にも及んだ。<br />
あまりに壊滅的かつ広範囲なために、さらには津波によって引き起こされた福島大原子力発電所のメルトダウン事故のために、1年たった今も復興さえおぼつかない。しかも、この大地震の本態である北アメリカプレートと太平洋プレート間のずれが本当に終わったのかさえ怪しい状況だ。<br />
というのは、長く続く境界線の中央部分が大きくずれたのに、東北以北と以南の境界がずれ残っているからだ。事実、大震災以降も件のプレート境界の延長上にある北海道沖、アリューシャン列島沖、そして千葉東方沖付近でM3～6の地震が続いている。これら境界部分が最終崩落すれば昨年と同程度の大地震が起きる可能性がある。もし千葉東方沖でM9クラスの地震が起きるとすれば首都圏の被害は昨年の震災の比ではない。<br />
さらに、最近危惧されているのが直下型地震である。直下型地震とはプレート内の活断層がずれることによって起きる地震であって、プレート境界型の地震に比べればそのエネルギーは大きくない。大きくてもM7どまりと考えられる。しかし、地震エネルギーは小さくても侮ることはできない。なぜならば震源が首都近傍で浅いからである。震源が近ければ同じエネルギーの地震でも地表部の揺れは大きくなる。現在政府は最大震度7の直下型地震を想定している。震度7の揺れは首都機能が壊滅すると言っているに等しい。<br />
実際、先の大地震で関東地方の土地も数10cmの幅で東にずれて、また下に沈んでいる。プレート間の歪は解消されたとしてもプレート内部は逆に歪が増大していると考えられる。立川断層を始め多くの活断層が、その歪の解消のために自身を引き起こす可能性が大きいのだ。<br />
<br />
現在我が国で使われている気象庁震度階級においては震度7の激震以上の震度はない。つまり、そう遠くない日に東京を襲うであろう地震は現在想定されうる揺れの中でもっとも激しい揺れがくるかもしれないと言っているのである。<br />
震度7とは人は殆ど立っていられない。殆どの建物の外壁タイルが剥離し窓ガラスが破損する。耐震性の低い住宅は全壊し、耐震性の高い建物でも傾いたり大きく破壊されるものがあるという揺れを言う。<br />
ここで疑問が湧く。なぜ震度8以上がないのであろう。すべての建物が倒壊する揺れが来ないとどうして言えるのだろう。<br />
答えは気象庁が過去の記録から、我が国における地震の揺れは震度7までと考えたからにすぎない。だからこれから先、実際にもっと激烈な揺れを体験すれば震度階級に8以上の数字が設定されることになる。過去に遡れば昔は震度は6までしかなかった。1948年の福井地震で9割以上の建物が倒壊するという壊滅的な被害を診たために震度7が設定された。つまり、震度とは今まではこれ以上の揺れはなかったから、この先もそれより強い揺れは来ないだろうという経験法則によって最大値を決めているだけのものなのだ。<br />
記録が残っている中で最大エネルギーの地震は1960年のチリ地震のM9.5である。これを超える地震がくる可能性はないのかというとそうでもないらしい。マグニチュードの算出式は[エネルギー]＝[ずれた断層面積]&times;[ずれた距離]である。これから地質学的に過去の地震エネルギーを推定すると1000年に一度くらいはマグニチュード10を超える地震が起こっていた可能性があるようだ。<br />
東北地方太平洋沖地震でさえ地球の自転軸にずれを引き起こした。この32倍のエネルギーを持つM10の地震が起きたらいったいどういうことが起きるのか。計算上の予測値をみると震源域の長さは16000km（地球半周）におよび、地震継続時間は2時間半。高さ500mに達する津波が海岸から10km以上遡上する。そしてその後半年の間に震度7クラスの余震が200回以上続くとされる。<br />
マグニチュードが12になると地球がまっぷたつに割れることになる。こうなるともはや地震とは呼べないだろう。<br />
なんともはや恐ろしい話だが、M10を超える地震に遭遇した場合、恐ろしいと感じる間もなく私たちは死んでしまうだろうから、それほど心配しなくてよい。むしろ天文学的な確率で生存した場合の方がその後地獄の日々を味わうことになりそうだ。<br />
2億5千万年前の地球には、大陸はパンゲア大陸という超大陸一つしかなかった。この超大陸が2億万年前から分裂を始め今の地球の形になった。しかし、今の形が完成型であるわけではなく、今現在もプレートは移動を続けている。すなわち太平洋は左右から押されて狭くなり、大西洋が拡大を続ける。そして数億年後には再び一つの超大陸に集合する。<br />
超巨大地震はこの過程で生まれてくるわけだから、M10を超える地震に遭遇した時には、身の不幸を恨むのではなく、偉大な地球史的イヴェントに遭遇できた幸運を感謝すべきかもしれない。
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   <title>ホワイトデー</title>
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   <published>2012-03-12T00:10:22Z</published>
   <updated>2012-03-12T00:12:21Z</updated>
   
   <summary>ホワイトデー（3月14日）は今や日本男子が忘れてはならない大切な日となった感があ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[ホワイトデー（3月14日）は今や日本男子が忘れてはならない大切な日となった感がある。2月14日のバレンタインデーが我が国に定着するに連れて男子から女子にお返しをする習慣が生まれた。その日がホワイトデーだ。バンレンタインデーの本家本元であるキリスト教圏の欧米各国にこの習慣はない。したがってホワイトデーという記念日すら存在しない。<br />
そもそも大元のバレンタインデーの由来は古代ローマ帝国時代に遡る。当時ローマでは2月14日はすべての神の女王であるユノを祝う日であった。翌15日から始まる、豊年を祈願するルペルカリア祭の前日である。ルペルカリア祭の間は、普段は離れて生活している若い男女が、決められたパートナーと一緒にいることと定められていた。このパートナーを決める儀式が行われるのが前日に当たるユノ神の祝日であった。多くの若者がその相手と恋に落ちて結ばれたことから、2月14日は当時のローマの若者にとっては一生の伴侶を決める重要な日であった。<br />
一方、クラウディウス2世は、愛する者を持つ兵士は士気が低いという理由から、ローマにおける兵士の結婚を禁じた。しかし、キリスト教司祭であったヴァレンティヌスは愛する者と結婚できない兵士たちを憐れんで、秘密裏に結婚させた。しかし、この事実が皇帝の知るところとなり、捕えられて処刑された。このヴァレンティヌスの処刑がユノの祭日に行われたことから、以来2月14日はキリスト教徒にとって恋人たちが愛を誓い合う日として祝われるようになった。<br />
キリスト教国でない我が国へのバレンタインデーの導入は製菓業界や流通業界の力による。戦後、彼らがお菓子の販売促進を目論んでバレンタインデーを「女性が男性に愛を告白してよい日」、「親愛の情の証としてチョコレートを贈る日」というキャンペーンを張った。この努力が1970年代後半になって花開き、それ以来2月はチョコレートの売り上げが大幅に上昇。こうして日本独自のバレンタインデーが発展確立した。<br />
当時はまだ女性が控えめであったから、乙女の方から愛を告白するということはなかなか抵抗があった。ところが、2月14日だけは公然と女性が意中の男性にアタックできるようになったのだから、バレンタインデーの定着は製菓業界が潤う以外にも、それなりに社会的意義があったように思う。<br />
だが、そこは世間体を重んじる日本の社会。本命の男性以外にも、普段お世話になっている男性にもチョコレートをプレゼント。お世話になっていなくても、贈らないということで悪意を持たれては困る男性にもプレゼント。さらには家族、顔見知りとプレゼント対象者が増えて、欧米人から見たら到底理解不能の「義理チョコ」という習慣にまで発展した。製菓業者の思惑は見事大成功。<br />
ところが彼らの欲望はこれだけでは収まらなかった。女性だけに買わせる手はない。この際男どもにもお菓子を買わせようと考えた。こうして、バレンタインデーにチョコレートをもらった男性は１ヶ月後の3月14日にマシュマロやキャンディをお返ししようというキャンペーンが開始された。<br />
当初は「マシュマロデー」とか「キャンディの日」と呼ばれたが、他の菓子業者を配慮して砂糖の白に因んで「ホワイトデー」と改名された。元来、お中元、お歳暮という欧米にはないお返しの文化が根付いていた日本には、宗教的裏付けのないホワイトデーがなんの抵抗もなく受け入れられた。<br />
やがてバレンタインデーやホワイトデーの贈り物はお菓子に限られなくなった。お互い本命視している相手への贈り物はバッグ、時計、宝飾品へとエスカレートしていった。<br />
一方で、社会環境の変化に伴って積極的な女性が増え、かたや男性は消極的になって俗に草食系男子と呼ばれるような一群が増えた。こうなると、その力関係が反映してホワイトデーのプレゼント相場がぐんと跳ね上がる。<br />
贈りものへのお返しは通常、御祝儀は倍返し、不祝儀は半返しと言われる。ところが近年、女性たちは女性誌を通じてホワイトデーの贈り物はバレンタインデーの三倍返しが常識などという不埒千万な世論誘導をして、男の財布からできる限り絞り取ろうと目論んでいる。<br />
情けないことに、鼻の下の長い男共は蛇に見込まれた蛙の如く、まんまと罠に嵌ってしまう。その結果、最近のホワイトデーには香水や宝飾品などを扱う店がおおいに潤っているらしい。<br />
一方で、女性はバレンタインデーに女性だけが贈り物をするのは理不尽だと言いだした。欧米並みに男女双方から贈り物をすべきという意見が出ている。実際、本家のバレンタインデーは性を問わない愛の告白日である。この主張を飲んでバレンタインデーに女性に対して贈り物をする男性が増えていると聞く。もしそうであるならば、お返しのホワイトデーは無くせば良いのだが、自己主張の強くなった女性群が既得権益を手放すわけはない。<br />
飽くなき物欲の亡者と化した一部の女性に至ってはバレンタインデーには男性が贈り物をして、ホワイトデーには気持ちを受け取ってもらったお礼に男性がまた贈る習慣にすべきと主張しているという。げに怖ろしきは女なり。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>花粉症記念日</title>
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   <published>2012-03-05T00:10:19Z</published>
   <updated>2012-03-05T00:12:46Z</updated>
   
   <summary>いろいろな記念日があるが、喜ばしい記念日があればありがたくない記念日もある。ひな...</summary>
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         <category term="9392012年3月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[いろいろな記念日があるが、喜ばしい記念日があればありがたくない記念日もある。ひな祭り（3月3日）やこどもの日（5月5日）喜ばしい方だろう。一方、防災の日（9月1日）、開戦記念日（12月8日）は辛く悲しい思いを呼び起こす日だ。<br />
また、記念日には国民誰もが知っている常識的な記念日だけではなく、殆ど誰にも知られていないマニアックな記念日もある。たとえば、2月12日（ブラジャーの日）、6月2日（裏切りの日）、11月11日（もやしの日）などなどである。<br />
ブラジャーの日はアメリカのマリー・フェルブ・ジャコブが1913年2月12日にブラジャーの特許を取得したことに由来し、裏切りの日は天正10年6月2日、明智光秀による本能寺の変に由来するという。なるほど。<br />
そ
れでは、もやしの日は何に由来するのだろうかと考えあぐんでいたらなんのことはない、単に11月11日という字がもやしに見えるからだそうだ。なんともは
や馬鹿馬鹿しい。極めつけは７月６日（記念日の日）だろう。日本記念日学会が1998年に、毎日ある記念日にもっと関心を持ってもらおうと制定したとい
う。そこまでして記念日を作る意味があるのだろうか。<br />
<br />
こういった、なんでも記念日の中で医師としてとても気になる記念日を見つけた。3月7日、花粉症の日だ。<br />
杉花粉は元日からの最高気温の合計が450℃を超えると飛散を開始し、750℃に達する頃に最大の飛散量となることが知られている。この累積気温が750℃になるのは通常3月上旬に当たる。さらに、7日が晴れの特異日<span style="color: #0033ff">*</span>であり、気象学的にも多量の花粉の飛散が期待されるために、この日を記念日としたと言われている。また、1993年のこの日に気象庁が初の花粉飛散情報の発表を始めたことにも由来する。<br />
耳
鼻科、眼科、それから抗アレルギー薬を製造する製薬会社など一部のアレルギー疾患関係者にとっては首を長くして待たれる日なのかもしれないが、まことに迷
惑至極な記念日である。今年もここ一週間ほど春雪や氷雨が続いているが、7日は太陽が顔を見せ気温が上がり、黄色い風が吹くようだ。<br />
<br />
さ
て、花粉症に悩む方は空を黄色く染める杉の花粉を目の敵にする。確かに戦後、広葉原生林が伐採されて利潤目的で無闇に植林され過ぎた杉、檜が花粉症の爆発
的増加の一因であることは紛れもない事実である。だが、根本的な原因は杉の花粉自体にはない。病態発現のキーポイントは己自身にある。なぜならば、いくら
花粉が飛散しても花粉症を発症しない人がいる。自分の身体が花粉と反応する状態になっていることが真の原因と言える。<br />
ウィルスや病原菌など人体にとって有害な侵略者を撃退する、身体のガードマンを免疫機構という。この免疫機構が本来人に対して病原性を持っていない花粉に対して過敏に反応し、IgEが花粉と結合。その結果、化学伝達物質であるヒスタミンやロイコトリエンなどが放出される。<br />
ヒ
スタミンは知覚神経を刺激してかゆみを感じさせたり、くしゃみ反射を誘発。さらには分泌中枢を刺激して鼻汁を増加させる。ロイコトリエンは血管を拡張さ
せ、粘膜を肥厚させ鼻づまりや目の腫れぼったさを引き起こす。すなわちガードマンが黄色い微粒子を外敵と勘違いして、前後不覚になり、辺り構わず銃を乱射
した結果自身を傷めつける自傷行為のようなものなのだ。<br />
私が幼少の頃も山には杉や檜が生えていた。しかし、杉の近くに行ったからと言って、目をは
らして鼻水をだらだらとさせている人を見かけなかったように思う。ところが最近は、この時期街を歩くとマスクをしている人をやたらと見かける。実際に花粉
症は1960年以降台頭してきた病気なのだ。<br />
なぜ近年花粉症が急増したのだろうか。もちろんその理由の一つは、先に述べたとおり里山の雑木林を伐採して商品価値のある杉や檜を大量に植林したことにある。<br />
だ
が、もう一つの有力な要因として衛生環境の変化があげられる。下水道の完備、道路のアスファルト化など戦後急速に我々を取り巻く環境が清潔になった。この
ために、幼小児期に有害な細菌や毒素と出会う機会が減った。すると、本来、そういったものに対して防衛体制を作るはずの免疫機構が有効に機能せず、本来無
害な花粉を有害な侵害物質と誤認するようになってしまうのだ。事実、青っ洟を垂らす子の減少に反比例して花粉症が増加したように思う。<br />
子供の時に
泥だらけになって（いろいろな有毒物質と接触して）遊ぶことが免疫機構を正常に発達させるために重要だと言える。温室栽培はひよわということだ。と同時
に、現在当たり前に思われている都市型の生活様態が、実は生物としてのヒトにとっては極めて異常環境であることを深く認識するべきだろう。<br />
------------------------------------------------------------------<br />
<span style="color: #0033ff">*</span>特異日：その前後の日と比べて偶然とは思えないほど大きな確率で、ある気象状況（天気、気温、日照時間など）が現われる日のこと。一般的に晴天の確率が非常に高い日をいうことが多い。
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   <title>東食西宿</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2012://1.305</id>
   
   <published>2012-02-27T00:35:31Z</published>
   <updated>2012-02-27T00:37:20Z</updated>
   
   <summary>中国斉国の一人の娘に東西の二つの家から結婚の申し込みがあった。東の家は金持ちだが...</summary>
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         <category term="9402012年2月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[中国斉国の一人の娘に東西の二つの家から結婚の申し込みがあった。東の家は金持ちだが醜男で、西の家は貧しいが美男子だった。どちらに嫁ぎたいかとの母の問いに対してこの娘は「東の家で食事をして西の家で床に入る」と答えた。この故事から欲深い人がなるべく多くの利益を得ようと努めることを喩えて「東食西宿」と言う。<br />
<br />
那覇市と海上自衛隊第5航空群が21日、23日に予定していた子ども向け雪遊びのイベントが中止された。雪は同航空群が青森県十和田市から搬送したが、沖縄県に自主避難している父母らから、「放射性物質が含まれているのでは」と懸念する声が相次いだためという。このイベントは2004年度から続く恒例行事で、雪に接する機会のない沖縄の子供たちに好評であった。<br />
イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地の訓練に参加した隊員らが16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだものだ。搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。<br />
ところが、2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、会場となる児童館や那覇市に対し中止を求める声が10件程度寄せられた。市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、放射線量の測定結果を伝えて危険性はないとして開催への理解を求めた。<br />
しかし、参加者が「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのではないか」「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」などと強く要求した。これを受けて７年続いた雪のイベントが中止となった。このニュースを知って大げさでなく吐き気を感じた。<br />
低線量の放射線被曝は地球上どこに行っても避けられないと考えるが、人生の選択は各人の裁量なのだから、彼らが沖縄まで避難することはとやかく言うまい。しかし、移住させていただいた新参者が長年地元の子供たちが楽しみにしてきたイベントを強引に止めさせるのはいかがなものか。得体のしれない雪ならばいざ知らず、原発から遠く離れた青森で採取されて安全が保障されている雪なのだ。それでも放射線が怖ければ、自分たちの子供だけ参加させなければ済むことではないか。<br />
東食西宿、我執極まれり。他者を思いやる気持ちなど一欠片もない。こういう連中の頭の中は欲だけが膨れ上がっているので無知で頭が悪い。さらに自分が愚かであることも分からない。むしろインテリと自負している者の方が多いから厄介だ。そして、自省はせず、ひたすら他者の落ち度を理屈っぽく（へ理屈）あげつらう。<br />
彼らの活躍の舞台は放射線障害に限られるわけではないはず。あらゆる場面でクレイマーとして名を馳せるだろうし、とんでもない訴訟を起こすこともある。いつからこんな醜い日本人が増えてしまったのだろう。<br />
でも、嘆いてばかりいる必要はなさそうだ。被災地に診療所を開設した医師がいる。なけなしの船やバスを貸し出す会社がある。長い間引きこもっていた男が復興支援の先頭になって働いている話も聞く。仕事の合間をぬってインフラ復旧に汗するボランティアも大勢いる。まだまだ日本人は捨てたものではない。<br />
むしろ、心ある人の方が多いからこそ、少数のエゴイストがニュースに取り上げられるのだろう。そう考えたい。それにしてもこういう人たちはどうして声が大きいのだろう。彼らが、恥ずかしくてたたまれない社会になってほしいものだ。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>都合よく使われる「国民」にご用心</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2012://1.304</id>
   
   <published>2012-02-20T00:23:48Z</published>
   <updated>2012-02-20T00:25:40Z</updated>
   
   <summary>この４月に２年に１度の診慮報酬改定が行われる。２月１０日に中央社会保険医療協議会...</summary>
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         <category term="9402012年2月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[この４月に２年に１度の診慮報酬改定が行われる。２月１０日に中央社会保険医療協議会（中医協）が改定案を小宮山厚労相に答申した。財政赤字が膨れ上がる中、なんとかマイナス改定にはならないとのことだ。<br />
診療科不均衡による医師不足で過重労働を強いられている救急科、産科、小児科などの病院勤務医の負担を軽減すべく財源を重点投入する。また、癌や認知症の治療に対しても手厚い対応をとる。さらに在宅医療を一層推進するために1500億円を充てるという。具体的には２４時間体制の在宅療養を標榜する診療所に対する加算額を増額し、緊急時や夜間の往診料を増額する。<br />
<br />
最近、私の友人の母上がご逝去された。享年100歳。大往生である。友人へ宛てた私のお悔やみに対する返礼の手紙にこうあった。<br />
「お袋の最終段階を看ていく上で家族は在宅医療を求めてはいませんでした。ただ、みとりをしてくれる地域の病院がなくなってしまったために家においておかざるを得なくなっただけです。」<br />
私は積極的にではないが、往診を頼まれるとできる範囲で応じてきた。精神科医で往診をする医師はかなり珍しいとみえて、一時は近隣他区にまでバイクを飛ばすことになった。こうして、在宅医療が声高に叫ばれる前から少なからず在宅医療に携わってきたので、在宅医療の実態を多少とも知っている。<br />
私が往診した患者さんとその家族にも友人と同じことを言う方が少なくない。もちろん、家で最期を迎えたいと望み、自分たちでみとりたいと望む家族もいる。しかし、病院で診てもらいたいが、受け皿となる病院がないために在宅医療、在宅介護を続けているケースが相当あるのだ。<br />
医師の立場から見ても、聴診器1本の在宅医療には限界がある。核家族化が進んだ現在、いくら介護保険と在宅医療を活用しても、人生の終盤戦を家族で診ていくのは相当無理がある。家族が多大な犠牲を強いられるだけでなく、患者さん本人も快適な状態を保てない場合も多いのだ。<br />
ところが現在、家でみとることが絶対的に良いことであり、病院で過ごすことはよくないことと言う固定観念が作られている。今回の診療報酬改定に際しても「在宅医療拡充に対する国民のニーズに応えるため」と謳っている。軽々しく「国民のニーズ」と言うが、ここで言う国民とはいったい誰をさすのだろう。私の友人のような意見の者は国民ではないというのだろうか。<br />
医療費抑制を至上課題とする国が地域の中小病院を潰した結果、3カ月以上の<br />
入院を引き受けられる病院はなくなってしまった。患者さんや家族には家で療<br />
養する以外に選択の余地がない。そういう状況を作り上げたうえで、国民のニ<br />
ーズが在宅医療の拡充と論じられてもしらけてしまうだけだ。<br />
むろん、在宅医療拡充の必要性を否定するものではない。自宅で最期を迎え<br />
たい患者さんや家族のためのより手厚い医療体制も、それはそれで必要と考え<br />
られる。<br />
私が言いたいのは国が使う「国民」という言葉にはよほど用心してかからないといけないということだ。<br />
自分たちが希望する政策を通すために、御用学者を集めた審議会や有識者会議という胡散臭い機関を使い、ヒアリングというこれまた単なる通過儀礼のような手順を踏んで、いつの間にか「国民の声」を作り上げるからだ。<br />
こういった政策の多くは真に国民の声を反映するものではない。国の台所事情に基づいた机上の計算の結果であることが多いのだ。ところがそれがいつの間にか「国民のニーズ」になってしまう。こういった情報操作を監視、批判すべきマスコミも今や政府のお先走りに堕している。国は偉大な詐欺師であり、マスコミはその手先の大嘘つきと心してかからなければいけない。<br />
<br />
消費税、議員定数、公務員給与、原子力行政、ＴＰＰなど、我が国の将来を左右する問題が目白押しである。こういった課題が議論される際に必ずや「国民」という言葉が頻発されるだろう。その際には「国民」という言葉を「国家」と置き換えて読み返してみる必要があろう。
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   <title>とても高価なお馬鹿番組</title>
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   <id>tag:www.clinic-nishikawa.com,2012://1.303</id>
   
   <published>2012-02-13T00:02:27Z</published>
   <updated>2012-02-13T04:14:21Z</updated>
   
   <summary>皆さまもお気づきだろうが、近年、テレビ番組のレベル低下が著しい。最近は、どの民放...</summary>
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         <category term="9402012年2月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[皆さまもお気づきだろうが、近年、テレビ番組のレベル低下が著しい。最近は、どの民放チャンネルを覗いても２流、3流のタレントが雛段に並んでクイズに答えるか、愚にもつかない談笑をしている。夜が更けると韓国ドラマかテレフォンショップ。午後の時間帯は再放送ドラマオンパレード。土曜日の午後はもっとひどい。自局の土日夜の放送の予告を繰り返し流しているだけだ。見せられる番組がよほど払底しているようだ。<br />
テレビ番組の凋落の原因はインターネットの普及と進歩によって、我々が情報の入手をテレビに頼らなくなったことがある。インターネットは好きな時間に自分が必要とする情報だけ得ることができる。トイレを我慢してテレビの前に座っている必要がなくなった。情報発信源としてのテレビの地位が相対的に低下したのだ。<br />
もう一つの原因は言うまでもなく経済不況にある。リーマンショック、東日本大震災、投機集団による意図的な円高操作、タイの大洪水、ギリシャに端を発するユーロ不安など、次々と襲う経済的苦境によって、スポンサーがこれまでのように高額な広告料を捻出できなくなった。<br />
この２者が相互に絡み合って番組制作費がどんどんと削られて、作品の質はあれよあれよと言う間に低下した。夜の街を肩で風を切って歩いていた業界人たちも見るも哀れな凋落ぶりである。高いギャラのタレントほど仕事の口がない。名前と顔が一致しないようなお笑い芸人と、医師や弁護士の肩書をもつ文化人タレントばかりにお声がかかる。<br />
業界人も可哀そうだが、地デジ化という国策で強制的に液晶テレビやアンテナを買わされた挙句、お笑い芸人の井戸端会議を見せられている私たち国民の方がよほど好い面の皮と言うものだ。<br />
<br />
Ｑ「南スーダンでPKO活動する自衛隊を警護するのはどこの国の部隊ですか？」<br />
Ａ「・・・・・・・・」<br />
✕　正解：バングラデシュ<br />
Ｑ「武器輸出三原則の基準を緩和するのか？」<br />
Ａ「PKOで使った建設機械はその国においていくことも検討している」<br />
✕　武器輸出問題とPKO部隊の武器使用基準問題を混同<br />
Ｑ「航空自衛隊基地のある硫黄島は何県にありますか？」<br />
Ａ「沖縄県」<br />
✕　正解：東京都<br />
Ｑ「伊江島はなんと読みますか？」<br />
Ａ「いおうじま」<br />
✕　いえじま<br />
Ｑ「エア・シーバトル構想とは何か？」<br />
Ａ「分かりません」<br />
✕　正解：中国に対抗した米国の新しい攻撃作戦構想<br />
<br />
一昔前のテレビ番組「クイズ赤恥青恥」の回答映像ではない。現在開催されている予算委員会における委員と田中直紀防衛大臣との質疑応答の場面である。担当大臣に就任しながら、喫緊の要事、普天間基地移設問題で渦中の地となっている辺野古へ赴いたことがない。また主要関連法案の大意を理解していないなどは言語道断である。<br />
がしかし、この男の無能ぶりを強調するために、三流クイズ番組のように「これは知っているのか」、「こんなことも知らないのか」と、ことさら無知をあげつらうような質問ばかりする連中の品性も下劣と言わざるを得ない。<br />
極めつけは田中大臣が委員会を途中退席してコーヒーを飲んでいたことを追求してしたり顔。これに対して大臣が大真面目に「今後は国会内ではコーヒーを飲まない決意で臨みたい」と答えるのだから何をかいわんやである。<br />
田中氏が天性のいじられ役であることはもう十分に分かったから、茶番はもうお終いにしてほしい。ある試算によると、国会の１日の運営費は３億円近くになるという。私たちはこんな高価なお馬鹿番組を観るために税金を払ったつもりはない。<br />
田中大臣のクイズ番組だけではない。胸にバッジをつけた紳士淑女風の連中がやりもしないのにまことしやかな台詞を饒舌に闘わせている。今国会議事堂で行われている論戦はみな高額な制作費の茶番ドラマだ。いくら深刻なそぶりをして見せても、本当の目的はいかに自分が有権者に目だって映るかの一点にある。国会ドラマと言えよう。皮肉なことに映画やテレビドラマで演じられる国会の方が本当の国会よりもよっぽど真剣な議論をしている。<br />
今の日本社会の状況は日本人全員がゆっくりと自殺への道を歩んでいる。ここまで腐りきった国会は定数削減などでは根治を期待できない。今の国会議員には全員退陣していただくと同時に、衆愚化した政治制度を根本的に改めなければならないのではないだろうか。と同時に、こういう馬鹿なタレント代議士ばかりを選出した我々自身が猛省しなければならない。
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      <![CDATA[<strong><br />
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   <title>ちょっと待て、消費税の引き上げ論議</title>
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   <published>2012-02-05T14:04:50Z</published>
   <updated>2012-02-05T14:06:55Z</updated>
   
   <summary>泥鰌宰相が国防や原子力政策などを差し置いて、不退転の覚悟で取り組んでいる消費税増...</summary>
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         <category term="9402012年2月" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.clinic-nishikawa.com/">
      <![CDATA[泥鰌宰相が国防や原子力政策などを差し置いて、不退転の覚悟で取り組んでいる消費税増税。国あげての情報誘導の努力の甲斐あって、今や世論も大筋「増税やむなし」との方向に傾いてきた。残る議論は、マニフェストに掲げた、公務員改革、議員定数削減などの国の節約を先行して実行するか否かの点と増加税率をどれだけにするのかという点に絞られてきた。だがちょっと待ってほしい。そういう議論の前に解決してもらわなければならないことがある。<br />
<br />
さて、我々は直接税と間接税、二つの納入方法で税金を国に納めている。直接税とは国民が国に直接納める税のことであり、所得税や住民税などがこれに当たる。一方、間接税では支払う人と納める人が異なる税のことである。たとえば酒税では、支払うのは最終的にお酒を消費する飲兵衛だが、納税は酒の製造業者が出荷時に行う。<br />
消費税は直接消費税と間接消費税に分かれる。直接消費税とは消費そのものが課税対象になる税で、ゴルフ場利用税や温泉の入湯税などがある。一方、間接消費税は酒税や煙草税のように消費の前段階で税が課せられている。<br />
さらに間接消費税は個別消費税と一般消費税とに分類される。酒税やガソリン税、煙草税などのように個々の品目に課せられるものは個別消費税に当たる。今、増税が議論されているのは一般消費税のことであって、通常、消費税と言えばこの一般消費税のことを指す。<br />
一般消費税が初めて導入されたのは1954年のフランスである。日本では1978年、第1次大平内閣の時に初めて導入が検討されたが、総選挙の結果を受けて撤退した。その後1986年第3次中曽根内閣の時にも再浮上したが、やはり世論の猛反発を受けて頓挫した。やっと陽の目を見たのは竹下内閣の時だ。1989年（平成元年）4月1日、平成の御代の船出とともに税率3％で消費税法が施行された。<br />
消費税の課税方法には製造、卸売、小売の各段階のいずれかで１回だけ課税する単一段階課税と、それぞれの商取引段階ごとに課税する多段階課税がある。多段階課税はあらゆる業種に公平であり、それぞれは小さな税率で確実な税収を確保できるが、同じ商品でも異なる流通経路を経ると税負担に格差が生じてしまう。<br />
単一段階課税では同一商品における税の格差は生じないが、一定の税収を確保するためにはそれなりに大きな税率を課さなければならない。また、課税段階を製造などの初期段階にすると、その税負担を次々と転嫁させていくピラミッド効果が発生してしまう危険性がある。こういった問題点を解消するために、売上に対して課税するのではなく、売上と仕入れの差額に対して多段階課税する方式が考え出された。日本の一般消費税はこの方式をとっている。<br />
課税対象は一般消費税というように、すべての物品、サービスに及ぶのだが幾つかの例外がある。この非課税科目に医療、介護サービス、助産、教育などがある。私に深く関係する保険医療は消費税が発生しない。<br />
消費税は所得税などの直接税が高所得者ほど税率が上がる累進課税ではなく、誰もが一定の税率の税を支払う。生活していく上に必要な消費は高所得者と低所得者にそれほど大きな差はない。結果として、所得に対する税の負担率は所得に反比例して低くなるという逆累進性をもつ。<br />
つまり低所得者ほど消費税の負担度が増す。金持ち優遇の税制として低所得者層を中心として強い反発がある理由である。この問題を避けるために、低所得者であっても文化的に生きるための必要条件である福祉と教育を非課税としたわけである。<br />
正しい政策だと思う。別な理由から利子や配当などの資本所得、そして一生使わずに貯め込んだ貯蓄には相続税はかかるものの消費税は発生しない。莫大な資産を運用して、金が金を生む生活をした者はそれほど消費税を支払わずに済む。もし福祉、医療、教育に関わる取引まで課税対象としたならば、所得の大部分を生活するための消費に回さなければならない低所得者の方が高率に税を毟り取られることになってしまうからだ。<br />
ただここで問題がある。最終的に非課税とするならば、福祉、医療、教育に係わる物事は最初の段階から非課税にならなければおかしい。ところがそうなっていないのだ。医療活動に必要な物品は、薬剤、検査機械、ガーゼや脱脂綿のような消耗品に至るまで、あまねく消費税がかかる。<br />
初めの段階で課税されれば、その分は次々と転嫁せざるを得ない。ところが、医療機関が受け取る医療費は健康保険制度によって国によって価格が決定される。その結果、医療に関わる消費税は最終消費者である患者さんではなく医療機関や薬局が負担することになる。<br />
消費者が負担しない消費税。極めておかしな話なのだが、社会的マイノリティである医療者が支払っているこの犠牲を国民の多くが知らない。本来、日本医師会がもっと声を大にしてこの矛盾点を叫ぶべきなのだが、どういうわけか沈黙したままだ。<br />
我々は泣く泣く本来患者さんが支払うべき消費税を肩代わりしてきた。3％の頃はなんとかやれていた。ところが、1997年、橋本内閣が5％に税率を引き上げてからは医療機関にとって黙視することができない負担になった。<br />
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医療機関や薬局に仕入れる薬の卸売価格と国が（勝手に）決める診療における薬代（薬価）との差を薬価差と言う。30年ほど前まではこの薬価差が数十パーセントもあった。薬を出せば相当の収入になった。これが薬漬け医療の蔓延を生んでいた。この反省から薬価差は年々縮小された。<br />
今や薬価差は5％～9％程度である。5％だと卸売業者から患者さんへ、右から左へと渡すだけのことである。しかし、ただ渡すのではない。調剤し、分封し、袋に詰めたりする人件費や材料代は持ち出しなのである。多くの医療機関が院内処方方式を止めて、処方箋だけを発行するシステムに切り替えた第一の理由はこの点にある。<br />
しかし、診察を受けてすぐその場で薬をもらえる院内処方の方が時間的にも費用の点からも患者さんには負担が少ない。だから小院は院内処方を守ってきた。だが、消費税の負担は私にとっても限界に来ている。<br />
入院患者さんを抱える大病院も院内処方を止めることはできない。外来患者さんには処方箋を発行すればよいが入院患者さんの薬はどうしても自己調達せざるを得ないからだ。<br />
&nbsp;こうして、全国の病院が消費税の負担で苦しんでいる。現行制度の下での年間の損害額は1病院平均で3000万円、私立医大では3億6000万円にものぼっているという調査がある。<br />
&nbsp;&nbsp; 平成10年9月、兵庫県民間病院協会に加盟している4医療法人が代表して「消費税は不公平だ」として国に対し、各病院1000万円、計4000万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。厚生労働省はこういった訴えに対して「その分（損税分）は診療報酬で配分した」との建前だが、診療報酬で配分したということならば、医療は非課税とう原則に矛盾している。<br />
この大きな矛盾を解消しないままに、財務省のごり押しで消費税を10％に上げられたならば日本の病院の大半が破綻してしまうのではないだろうか。無床の診療所も私のように院内処方を頑張っているところは薬を出せば出すほど赤字になる。閉院を避けるためには院外処方方式に変えざるを得ない。しかし、この方法はババを薬局に回しているだけに過ぎず、真の問題解決にはなっていない。<br />
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もし10％に税率を引き上げるならば、下野を覚悟で医療も課税対象とするか、そうでなければ第一段階から徹底して非課税にするしかないのではないだろうか。野田さん、福祉と税の一体改革と謳っておられるが、この矛盾を解決しないまま増税すれば、福祉の中核である医療機関や薬局が壊滅してしまいますぞ。
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