投稿日:2012年10月8日|カテゴリ:コラム

生物を無生物と区別する特徴とは何だろう。誰でも思いつく性質は自己増殖性(自己複製能力)ではないだろうか。生物は遺伝子の力を借りて自分と同じ情報を持った個体を生みだす。確かに、自己増殖性は生物の必須条件ではあるが、この能力は水晶のような結晶にも見られる性質である。
水晶は二酸化ケイ素が同じ形を維持しながら、規則正しく自己複製を繰り返してできる結晶だ。それでは自己複製能力があるからといって水晶を生物と言うだろうか。言わない。それは水晶がそれ以外の生物の条件を満たしていないからだ。
水晶にはなく、私たち生物に備わっている生物としての重要な特徴の一つがホメオスタシス(恒常性)である。ホメオスタシスとは自己の内部環境を自律的に一定の条件に保つ能力を言う。
近代生理学の生みの親と言われる、19世紀のフランスの医学者・生理学者、クロード・ベルナールが生体は外部環境の変化に対して内部環境を一定に保つための機構を備えていると説いた。この考えをアメリカの生理学者ウォルター・ブラッドフォード・キャノンが発展確立し、この成体の持つ特徴的な機能を「同じ(homeo)」、「状態(stasis)」というギリシャ語から作ったHomeostasisという造語で定義した。
ホメオスタシスは体温、血圧、動脈血炭酸ガス濃度、体液の浸透圧やpH、血糖値などなど生体機能全般に及んでいる。外来の病原体や癌化した細胞に対抗する免疫機能や創傷の修復機能も広い意味ではホメオスタシスの一環と言える。
ホメオスタシスを保つためには、内環境が何らかの変化をきたした時、それを元に戻そうとする作用が働かなければならない。この作用は負のフィードバック作用(negative feedback)と言って、主として脳の中の間脳・視床下部が担っている。そして間脳・視床下部からの指令は自律神経(交感神経、副交感神経)系と内分泌(ホルモン)系を介して行われる。
すなわち、血圧が上がると交感神経の緊張が下がり血管が拡張、副交感神経の活動が上昇して心拍数が低下して血圧を下げる。血糖が高くなると、インスリンの分泌量が増えて糖を積極的に細胞に取り込んで血糖を下げる。こうして、いろいろなパラメータを常に一定の範囲内にとどめておく。
ところが異常状態となって一定程度以上の内環境の変化が起こると、これらのネガティブフィードバックのコントロール能力を超えて、非可逆的な病的状態に陥って、やがては死を迎える。すなわちホメオスタシスの範囲を超えるということは生命の破綻なのだ。

日本の精神医療は患者の人権と社会の保安の間を右へ左へと揺れ動いてきた。1964年アメリカ大使館前で統合失調症患者に当時のアメリカ駐日大使、エドウィン・O・ライシャワーがナイフで大腿部を刺された。このライシャワー事件を契機に精神衛生法の改正が行われ、精神病者の強制入院が強化
された。事件を契機に精神医療は保安的色彩が濃くなった。ところが1983年に宇都宮病院において患者に対して暴行、リンチが日常化し、2名の患者を死に追いやったことが発覚(宇都宮病院事件)。この事件をきっかけに精神病院における患者の人権侵害が指摘され、精神保健法改正へと繋がった。こうして、今度は患者の人権保護へと大きく舵が切られた。
受験競争の行き過ぎの反省からゆとり教育が推奨されたが、その結果、学力の低下を招いた。これを受けて、再び競争原理を重視する教育が見直されている。
経済もそうだ、金融緩和で皆が踊り疲れたバブル経済。これが破綻すると今度は一気に緊縮経済へと舵が切られ、デフレの泥沼にはまり込んでいる。
この他にも多くの社会事象が振り子のように左右に大きく振れながら進んできた。度々述べていることだが、ヒトを語る時は個々の人ばかり見ていてはだめ。種としてのヒトを考えなければならない。社会現象の右へ左への振り子現象は、種としてのヒトのホメオスタシスを保つためのネガティブフィードバック作用の現れなのかもしれない。
地球そのものが生命体という考えもある。誕生以来の地球の歴史を見るとさまざまなパラメータが、まるでホメオスタシスを維持するかのように、振り子のように振れながら今の姿になっている。寒冷化―温暖化、磁極の逆転、大陸の集合―離散、等々。これからもこういう周期的な変動を繰り返しながら、70億年後には赤色巨星化した太陽に飲み込まれるのだろう。
その過程の中で早晩、増えすぎたヒトは地球のネガティブフィーバック作用で淘汰されるのではないだろうか。これまで、一つの種が長期間地球を席巻していたことはなかった。増えすぎた種が現われると、それを減少させるようにネガティブフィードバックが機能するものと考える。それが地球のホメオスタシスを維持するために必要だからだろう。
もしヒトの増殖が地球のホメオスタシスの許容範囲を超えたものであったとしたら、これまたヒトを乗せたまま地球という生命そのものの健康を危うくするに違いない。いずれにせよ、人類がこのまま無制限に地球をわがもの顔で闊歩し続けることはあり得ない。

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