投稿日:2016年5月30日|カテゴリ:コラム

本日、日曜日、久しぶりに横浜に出かけた。横浜は、最近は学会のように特別なイベントでもないと訪れることがなくなってしまったが、小さい頃は足繁く出かけた街だ。

というのは、私の父が長らく某社の横浜支店に勤めていたからだ。そんなわけで、中華街の店をはじめ横浜のあちこちの店に連れていってもらった。小学校の低学年の頃は父の日直に付き合わされて約半日、馬車道近くにあった会社の事務所に連れて行かれたこともある。

土建会社の営業をやっていた父は、接待のためにいつも帰りが遅かった。午前様になることも多かったし、日曜日も仕事で不在のことが少なくなかった。だから、父と接触できる時間は極めて限られていたので、終日、オフィスの椅子に座って話をしたり、ゲームの相手をしてもらっているだけで、私にとっては楽しい一時だったのだ。そういうわけで、横浜という街は私にはとても楽しい街として心に残っている。そんな父が死んですでに10数年たった。母も今年の2月に亡くなった。

 

今回の横浜訪問は、息子の結婚式のためだ。幸い、天候にも恵まれて新郎新婦だけでなく私たち関係者一同にとっても大変素晴らしい想い出の日となった。

父に手を引かれて訪れていた横浜で今日は新郎の父親として謝礼を述べた。光陰矢の如しというが、本当に時の経つのは速いものだ。

息子の結婚披露宴で来賓の皆様の祝辞を聴きながら、幼い頃の父との思い出が蘇った私は、自分の人生が終盤を迎えたことをはっきりと実感した。

不慮の事故や事件に巻き込まれることなく、また若くして難病で早死にすることもなく、ほぼ一人前になった子供たちの顔を見ることができた(娘はまだ2つ目の大学在学中ではあるが)。

私がコラムで書き続けている、種としての生命の新陳代謝という観点から見て、世代交代の時期が近づいている。遺伝形質と重要な獲得情報の大部分を次世代に伝え終えたと考えられるからだ。生物学的にはもう不要となった存在期間をこれからどうやって生きていくのか。これは甚だ難しい問題だ。

 

先日、NHKスペシャル、「人生の終(しま)い方」を観た。

余命を宣告された人が残りの時間、どのように生きるのかという究極のテーマ。NHKならではの番組だった。

普段は車椅子と酸素ボンベが手放せないのに高座に上がり続ける桂歌丸師匠。妻と子供たちに渾身の手紙を残して逝った元郵便局員。家族との時間の断片を写真という形で残そうとした水木しげるさん。死の数日前まで幼い子供たちに気丈な姿を見せて逝った35歳の男性。

方法は人それぞれだが、共通するのは死の直前までその人らしさを貫いていることと、残された家族に対して生きる勇気を与えたいという強烈な思念だったように感じた。

さて、私はどうしたものか。

若い頃やりたかったのにやれなかったことにチャレンジしてみる。自分の仕事の集大成として本を執筆してみる。昔お世話になった方、ご迷惑をかけた方にお礼とお詫びの行脚に出る。

2,3思いついたが、やりたいように生きてきたのでこれといってやり残したと悔いていることはない。研究の場から離れて数十年、今さら人に知らしめるほどの知見を持ち合わせていない。あまりにも多くの人たちに迷惑をかけてきたのでお詫びの行脚に出たら何十年かかるかわからない。どれも非現実的だ。

暫くは今まで通り、友達のような患者さんと付き合いながらのらりくらり生きていこう。そのうちに素敵な終い方を思いつくかもしれないが、今まで通りの日常を続けるのが一番私らしいのかもしれない。

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