投稿日:2015年9月21日|カテゴリ:コラム

9月19日午前2時過ぎ、安保関連法案が自民、公明政権によって安倍が言うところの民主主義の原則、多数決によって成立した。

世界の政治体制はアメリカのように国民の直接選挙で選出された大統領が国政の大半を担う体制、ドイツのように直接選挙で選ばれた大統領を拝するが、実務はその大統領の推薦に基づいて連邦議会の日院の中から過半数の賛成によって選出される首相が執行する国、北朝鮮のように世襲で受け継がれた最高指導者がすべての権限を握る国など実に様々だ。
だが大きく分類すると、民主主義体制、権威主義体制、全体主義体制の3つに分けられる。
全体主義体制は何かしらのイデオロギーを公式理念として、支配領域内ですべての人的・物的資源は全体に従属するべきとする政治体制。戦前のドイツやイタリアなどファシズム理念の体制や共産主義思想を基盤としたスターリン期のソ連などがこれにあたる。
権威主義体制は非民主主義体制の総称であり、厳密には全体主義も権威主義に含まれる。この他に各種の独裁主義、専制主義が含まれる。政治権力は1人又は複数の指導者に集中して、多くの場合選挙は行われず、責任を負わない圧倒的な権力を持つ。天皇を現人神として拝した戦前の日本の政治体制もこの権威主義体制と言える。
全斗愌の第5共和国までの韓国、軍が実験を握るミャンマー、金一族が世襲する北朝鮮などもこれにあたる。
さて、戦後わが国がとっており、先進各国のスタンダードとなっている民主主義(democracy)とは、国家や集団の権力者は構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意によって行う政治体制である。
「多数決」、「選挙」、「3権分立」などのキーワードでなんとなく民主主義を分かったように思ってきたが、世界で最も民主的と言われたワイマール憲法下のドイツでヒトラーという独裁者を生んでいる。民主主義とはそう単純なものではなさそうだ。そこで改めて民主主義とは何か考えてみた。
民主主義とは国民が直接もしくは自由選挙で選ばれた代表を通じて権限を遂行し、また国民の義務を果たす統治形態だ。その根底には人間の自由を尊重する自由主義が前提となっている。個人の自由を制度化したものと言ってもよい。
民主主義体制を維持するためには、1人の人間あるいは特定のグループに権力が集中することを常に警戒しなければならない。そのために中央政府にすべての権限を付託せず、国民に身近な地域レベルの行政にできる限りの権限を分散させる必要がある。
また民主主義の前提にはもう一つ、言論、信教の自由を保証し、すべての国民が法の下に平等の権利を行使できることを保証しなければならない。つまり基本的人権の尊重することが国の最重要課題となる。
時の権力者の専横を具体的に防止するための仕組みが立憲主義である。時の権力者を憲法の支配下に置いてすべての国民法制度のとして平等な保護を受け、平等な権利が守られる。
また民主主義は国民に憲法のもとでの権利を保証する一方、主権者として政治に参加する義務も要求している。国民が政治的に深い見識を有していなければ己の利益のみを主張する衆愚政治に陥ってしまう。
意思決定の仕組みとして多数決原理をとり、多数派の意思を尊重するが、その前提として少数派の基本的権利を可能な限り擁護しなければならない。つまり民主主義とは寛容と協力と譲歩があってこそ成り立つものなのだ。
寛容、協力、譲歩のない民主主義は真の民主主義とは言えない。そしてこれに衆愚化が加わると形骸化された民主主義は実質的な独裁を生み出す。朝鮮民主主義人民共和国、民主カンボジア、ドイツ民主共和国などのように「民主」を冠した独裁体制は枚挙にいとまがない。

「イエスかノーかで答えてほしい」という問いかけに対してどちらでもなくただ官僚の書いたメモを何十回も棒読み。「法案のどの条項に書いてあるのか」と問われても「そんなことは想定していない。やるはずがない。私を信じなさい」。
出来の悪い小学生の討論会でももう少し真面目な受け答えをするだろう。こんな質疑とも言えないセレモニーを100時間やったからといって、それが真摯で丁寧な説明とは断じて言えない。口を開けば開くほど国語能力の低さ(頭が悪いということ)と国民を舐め切った不遜さだけが露わになってくる。
公聴会を開催したと言ってもその結果は何一つ反映されない。ただやりましたというアリバイ作りでしかない。これまで長年培われた民主的議決システムのすべてが儀式化されてしまった。すなわち民主主義の形骸化が極まったのだ。
安倍は多数決を民主主義と同義としている。これは民主主義の仮面を被った専制政治家がとる共通の政治姿勢だ。安倍はすでに政治を密室化する特定秘密保護法、軍需産業を経済の柱として産軍一体化の道を開くべく武器輸出3原則を撤廃している。無理が通れば道理が引っ込む。我が国が今ひた走ろうとしているキナ臭く息苦しい行先がはっきりと見えてきた。

平成27年9月19日は日本の立憲民主制の終焉の日として記録されるだろう。

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