投稿日:2015年4月20日|カテゴリ:コラム

去る4月14日、福井地裁(樋口英明裁判長)は定期検査で運転中止中の関西電力高浜原子力発電所3,4号炉の再稼働を差し止める仮処分を決定した。
高浜原発3,4号炉は東日本大震災を教訓にして原子力規制委員会によって定められた新規制基準を合格していた。そこで関西電力は激しく反発し、直ちに異議申し立てをする構えだ。
自分たちが与えた安全のお墨付きを合理的でないとされ、科学者としての顔を丸潰れにされた形の原子力委員会も当然ながら「世界一厳しい基準を合格したことの意味を理解していない」と強く反論した。
国は菅官房長官の定例会見では「司法の判断に対して内閣がコメントするのは控える」とはしたものの、翌日の国会で安倍首相が「新規制基準で安全と判断された原子炉については再稼働する方針に変わりはない」と答弁し、この司法の決定を無視する姿勢を明確にした。
電力会社、規制委員会、政府のこういった反応は予想通りだ。だが、あるがままを国民に伝えるべきマスコミの反応には落胆した。
前回のコラムにも書いた通り、国からの圧力が異常に強くなっている。だから、多少の偏向報道は予想していたが、その露骨な御用達ぶりは目に余るものだった。
まずマスコミは一斉にこの司法処分に対して否定的な報道をした。テレビに至ってはこの重大な判決をほとんど大きく取り上げていない。おそらく官邸からの「無視せよ」との圧力に屈したのか、あるいは取扱い方の難しさのゆえに、立ち入った報道をためらったのだと思う。確かに、「人の噂も七十五日」で、無視することが国民の目からからこの問題の深刻さを遠ざける一番の得策と言えるだろう。
我が家で購読している読売新聞ではこの判決に批判的な立場の見解だけを載せたばかりか、社説で真っ向から激しく批判している。その論旨は、本処分は偏向した思想の持ち主である、地方裁判所の一判事の科学的見解を無視した、原発反対の結論ありきの暴挙だというもの。
原発再稼働推進派の連中の発言からは、「科学者でない文系の法曹にいったい何が分かるんだ」と言う、科学教信奉者の無知と驕りが見て取れる。

樋口英明判事は昨年5月に大飯原発再稼働差し止め訴訟に対して、差し止めを認める判決を言い渡した判事。私はこの判決を受けて、「三権分立(司法は行政の暴走を止められるか?)」と言うコラムを書いた。私がその中で彼の判決が画期的であると讃した理由を再度ここに挙げてみる。
樋口裁判長の原子力発電に関する考え方は①原発事故の危険性は憲法25条、生存権に関わる重要課題である。②自然の力は現代の科学がはるかに及ばないほど強大だ。③原発問題に関して科学者と政治家だけで決定してよい問題ではない。④原子力村関係者が口を酸っぱくして唱える「国富」とは本来目先の貿易赤字ではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活することこそであり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である。というものだ。
今回の仮処分決定に際しても、この4つの理念がぶれずに貫き通されている。したがって、目先の利益ばかりに躍起となって、私たちが地球の多くの幸運な積み重ねの上に生かされているちっぽけな存在であることを忘れた電力会社や行政、そして現代の科学は自然の力にも対抗しうると楽観的に信じる科学的有識者たちと話が噛みあうはずがないのだ。
彼らは口を揃えて、原子力規制委員会の新基準が世界一厳しいものであり、その基準をクリアしているのに再稼働を認めないのはけしからんという。
だが、樋口裁判長は原子力の問題に関しては、これまでの常識を基に人間が考え出した基準を当てはめること自体妥当性を欠くと主張している。全地球的に数万年にも及ぶ影響を与える核分裂反応炉は、せいぜい100年程度の寿命で目先の利益を優先させる人間の考えた小賢しい理論に当てはめるべきものではないと言っている。その基準が一番だろうが二番だろうがそんなことは何の意味もない。
そもそも科学とは過去に起きた現象を合理的に説明できる理論を見つけることである。それをもとにある程度の範囲で将来起こるであろう現象に対処すること(相対的安全)はできるかもしれないが、完全に予測して対処すること(絶対的安全)は不可能なのだ。
つまり、樋口判事は核分裂反応に関しては、その被害の時間的、空間的な甚大さを考えると、相対的安全では事足りず、絶対的安全を求めなければならないと主張しているのだが、原子力村村民はその理念を全く理解しようとしない。

私がいくら絶賛しても行政が圧倒的に支配する形ばかりの我が国の3権分立。電力会社や国にとって、この仮処分決定はちっぽけな蜂の一刺し程度の痛みでしかないだろう。この先関西電力の異議申し立てが認められる可能性が高い。もし認められなかったとしても上級裁判所で逆転判決が出ることはほぼ間違いない。政府の口癖ではないが原発は既定方針通り“粛々と”再開されてしまうだろう。それでも稼働再開がある程度遅れることになるのだから、それなりに意味のある一刺しと言える。
蜜蜂は刺すことによってその針を失うと必ず死ぬ。蜜蜂の一刺しとはまさに一命を賭した行動なのだ。
実は樋口裁判長はすでに4月1日付で福井地裁から名古屋家庭裁判所へ配置転換されている。大阪高等裁判所判事まで勤めた人が退任間近となった63歳で家裁へ転出されると言うのは明らかな左遷人事。昨年の大飯原発再稼働差し止め判決に対する報復人事であることは火を見るよりも明らかだ。
そこへもってきてさらなる一刺し。まさに、社会的生命を掛けた樋口裁判長の行動だが、いくら虫と雖も2回も刺されたとなると、原子力村からの報復が左遷だけでは済まないのではないかと懸念している。私は樋口裁判長やその家族に本当に命の危険が及ばないかと心配している。
というのは、原発設立当初から原子力発電にまつわる闇の事件が数多く起きているからだ。古くは、原発誘致の段階で反対派の人が数多く謎の死を遂げた。そしてその多くが事故として処理されたり、迷宮入りをしてきた。
新しくは、原発事故後の汚染除去問題や現地の甲状腺癌の急増について粘り強く取材を続けてきた報道ステーションのディレクターが昨年8月に死んだ。自殺とされているが、彼は生前「圧力を感じている。私が死んだら殺されたと思ってください」と言っていた。現在これ以外にも汚染処理がらみで、表だって報道されない不可解な事件が数多く起きていると聞く。
原子力行政はそれほど巨大な利権の塊であり、闇の世界とも深く結びついている。樋口裁判長の今後の身の安全を祈るばかりである。

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