投稿日:2015年3月23日|カテゴリ:コラム

キリスト教の教会の奥には懺悔室と呼ばれる小部屋がある。真ん中にはついたてのような仕切りがあって、それを挟んだ人同士が直接顔を合わせないような仕組みになっている。丁度パチンコ屋の景品交換所やラブホテルのフロントのような構造だ。ここで行われるのが「告解」という儀式。
「告解」とはこれまで自分が犯した罪を神に告白して許しを請う儀式。「浮気をしてしまった」、「他人に憎悪の気持ちを抱いてしまった」、「日曜の礼拝をサボってしまった」などから、果ては「強盗を働いてしまった」とか「人を殺してしまった」といったあらゆる罪深い行動に対して悔悛の気持ちを持った時に、この部屋の中で正直にその悪行を告白して祈りを捧げれば神から許されるというものだ。
当然ながら、神父は厳格な守秘義務を課せられている。だから、たとえ殺人を告白されても神父は警察へ通報することはできない。どんなおぞましい話でも、また相手がごく身近な者だと分かっても個人的な考えから諭したり、反論などしてはいけない。
中にはカウンセラーのようにアドバイスする神父もいるようだが、ほとんどの神父はひたすら聞き役に徹して、最後に「では悔い改めて祈りましょう。そして同じ罪を犯さないように。」とお決まりの台詞を言うだけらしい。
それまで誰にも言えない秘密に苦しんでいた者は告解によって、それまで苛まれ続けていた罪の意識から解放されて楽になる。だが、この一種の精神療法とも思える行為は、人間が生まれた時から原罪を背負っているというキリスト教の思想が根底にあり、自分の行動に対する後悔と自責の念があるという条件によって、初めて成立する仕組みだ。ところが、精神科医の役割が懺悔室の神父の役割と混同されている節がある。

卒業して精神科の研修をしていた頃の思い出。当時、精神科の外来でA先生はとてもよく患者さんの話を聞く先生として評判だった。だから、11時で受け付けを終了して12時前後に診療が終わるはずの午前中の診療が、A先生の場合にはしばしば午後の3時ころまでかかることがあった。
患者さんの訴えを遮ることなく延々と聞くA先生に対する看護師の評価は概して高く、精神科医の鑑であるとさえいう者もいた。せっかちでこらえ性のない私はとてもA先生の真似はできないと、忸怩たる思いであった。
ある日外来のバックルームで大先輩のS先生とお茶を飲んでいた時、S先生が「西川。A君の診療を良い診療だと思うかね?」と尋ねてきた。「自分でもあのようにありたいと思っているけれど、なかなかできないです。」と答えると、S先生はニヤッと笑いながら、「彼の診察をよく聴いてみろ。」(当時の精神科の外来はカーテンで仕切られただけの診察室で診察の内容が外から聞こえた)
「どうだ。彼は『へえー』、『そう?』、「本当?」の3つしかしゃべらない。あれが良い診療か?」
「それともう一つ。目の前にいる患者さんだけが診療対象ではないんだよ。受付を済ませて待合室でしびれを切らしている患者さんもすでに彼の診療の対象なんだ。それを忘れてはいけないよ。」

最近も、患者さんの言うことをただ「はい、はい」と聞き役に徹する精神科医を見受ける。確かに、患者さんとの太い人間関係を築くことは精神科医療の第1歩だから、患者さんに思っていることを話してもらい、その気持ちを理解することは極めて大切なことだ。
しかし、ただただ患者さんの言い分をご無理ごもっともと頷いているだけでは精神科の医師失格と言わざるを得ない。なぜならば医師は患者さんの症状を治療することを目的として治療費をいただく契約関係を結んでいる。
患者さんの話を聞いて、仲良い関係を続けることが仕事ではない。その役は医師よりは家族や友人の方が適当だろう。また、神の代役として告解を聴く神父でもない。病院を訪れる患者さんは罪を悔いているのではない。だから、ただ話を聴いてもらうだけでは解決しないことが殆どだからだ。
患者さんの多くはいろいろな形で思考が混乱している。だから、患者さんの思うが儘にしゃべってもらうと延々と、そして同じことを何度もしゃべり続けることになる場合がある。しかもそういう時には、どれだけ喋っても悩みの本質に辿り着かない。
そのような場合、精神科医はただ「へえー、そう、本当」と繰り返しているだけではだめ。話の中に入って患者さんの思考の交通整理をしてあげなければならない。また、健康な状態に導くために時には、患者さんの耳の痛いことを言わなければならないこともあるのだ。
だがそうすると、精神科医を誤解している患者さんからしばしば「精神科医なのに私の言うことを聞いてくれない」とお叱りを受けることになる。
よく分かってほしい。患者・医師関係は家族でも友達でもなく、さらには信者と神父の関係でもない。ただただしゃべり続けても問題は解決しない。また、症状を軽減するためには自分の意にそぐわない努力も必要なのだということを。
そしてその手助けをするのが私たち精神科医なのです。

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