投稿日:2014年11月17日|カテゴリ:コラム

私たちは周りに比較対象物がなくても人の立ち姿を見て、背の高い人か低い人かおおよそ識別できる。頭と身体との大きさの比率、胴体と足の長さの比率、姿勢などから総合的に判断しているのだと思う。
国籍も見分けられることが少なくない。白人種から見れば中国人も朝鮮人も日本人も皆同じ極東の人間にしか見えないだろうが、日本人の目からは同胞と朝鮮人、中国人とでは差異を感じ取れる。
大塚はこのところアジア系外国人の非常に多い街になった。人通りが少なくなる夜の時間帯になると町行く人の会話から日本語を聞き取ることができないほどだ。
昼の時間帯は日本人の方が多いのだが、その中に混じった中国人はなんとなく分かる。隣を歩くカップル、きっと中国人だろうなと思っていると、大声の中国語の会話が聞こえてくる。どこがどう違うと言われてもすぐには答えられない。やはり直感というべきだろう。
人の年齢も直感的に推定できる。首筋の皴、豊齢線、歯肉の痩せ具合などなどだ色々な要素を総合して判断しているのであろう。
ニコッと笑った顔だけだと、美容整形や壁のような厚塗り化粧をされたらごまかされるかもしれない。しかし、数分もしゃべっているとはっきりしてくる。顔だけでなく全身の動作まで加味すればいくら厚化粧をしてごまかそうとしても無理。
年齢の認識の仕方には2種類あるのではなかろうか。一つはその人の実年齢が何歳くらいか判断する能力。絶対的年齢認識能力とでも言っておこうか。これとは別に、他人を見た瞬間に「この人は若い」、「この人は年寄り」と感じる能力がある。
この認識は自分の加齢とともにその基準も年齢が上がってくる。どうやら自分を基準にして他人に対して「若い」とか「年寄り」と感じるようだ。だから相対的年齢認識能力と呼びたい。
特に異性に対してこの傾向がはっきりと見られる。年とともに若い娘と感じる年齢層が広がる。
10代の頃には30歳の女性はとっくにおばさんに見えたのだが、自分が60歳になると40歳の女性を見ても十分に若く魅力的に感じる。相対的なのだ。
要するに若さを感じる判断基準はひどく自分勝手で、自分の年齢に合わせてストライクゾーンが決まる。その結果、自分が若いときにはストライクゾーンは狭いが、歳をとってくるとストライクゾーンがぐんと広がる。

さて、認知症になると自分の年齢を実際よりも若く自覚するようになる。自分の真の姿を認められないと同時に最近の記憶が失われて若い時の古い記憶ばかりが残る。相対的に若い時の記憶の方が優勢になる。すると若い時の情報を基に形成される自己像がどんどん若返っていくのだと思う。
するとどうだろう。相対的に周囲の人が老けて見えてくる。私の診ている85歳の男性患者さんは、自分を20歳前後と思い込んでいる。だから、やさしく寄り添って介護してくれる長年連れ添った妻が自分より一回りも二回りも年上の女性に見えるようだ。
彼に「私は幾つだと思いますか?」と尋ねると、「そうですね。60歳くらいかな。」と、答える。「じゃあ貴方と私とではどちらが年上ですか?」と聞くと、「そりゃ先生のほうでしょう」と即答。
日が沈むころになると必ず妻に言う「今日もいろいろ親切にしていただきありがとう。でももう暗くなったからお帰りになった方がいいですよ」と。さらに追い打ちをかけるように「私もそろそろ身を固めなければ」とも言う。この男性はもともとの性格がやさしい方で、認知症になっても粗暴な行動は見られず妻に対しても穏やかなのだが、この一言を聞くたびに妻は切なく、虚しくなると言う。

相対的年齢認識の基準が上昇して、異性に対するストライクゾーンが広くなるうちはまだ大丈夫。健康な助平爺さんだ。だが、このストライクゾーンが狭くなってきたら脳の老化がかなり進んでいると考えた方がよい。ご用心あれ。

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