投稿日:2014年11月3日|カテゴリ:コラム

日本の精神科病院は、それまでの入院主体の精神医療から外来主体の精神医療への、医療行政の舵の切り替えによって1993年頃から徐々に減少した。当時36万床であった精神科病床は現在約30万床だ。それでもまだ国は他の先進国と比べて精神科病床が多すぎると考えて、さらなる削減をするようである。
病床を減らした後、それまで入院していた患者さんはどうなるのかといえば、「地域精神医療」という言葉が出てくる。患者さんを病院から地域へ解放してあげる。とても耳触りのよいスローガンだ。
このコラムで繰り返し述べてきたが、耳触りのよいスローガンほどその裏には悪意が隠れていることが多い。心してかからなければならない。
さて、介護保険導入時をはじめ折につけ出てくる「地域○○」。さて国の考える「地域」とは何なのだろう。

広辞苑によると「地域」とは「区切られた土地」、「土地の区域」とある。単なる空間の区切りを指す。だが、「地域医療」とか「地域福祉」のように使われる「地域」は「共同体(community))」に近い意味で使用されている。「Community」とは同じ地域に居住して利害をともにし、政治、経済、風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のことを言う。すなわち、「地域医療」は正確には「地域共同体医療」と言うべきなのだ。
地域共同体は市区町村単位が集合して都道府県単位、それがまた集合して国、さらには極東、アジアとより大きな地域集団となる。だが、地域の核が隣近所、家族であることは言うまでもない。そして、「地域医療」の場合もその中心は家庭であり、隣近所だ。

さて、今の日本の地域共同体に様々な社会機能を支える力があるだろうか。私が小さい頃は東京でもそれぞれの町は共同体としての機能を持っていた。隣近所は昔ながらの顔見知りであった。米や醤油の貸し借りまではしなくとも、それぞれの家庭の大まかな事情まで分かっていた。
小学校の頃、近所の友人の家に遊びに行こうとすると、母や祖母から「あそこのうちはおばあちゃんが病気で大変なんだからお邪魔しちゃだめよ。」とか「○○さんのお父さんは朝早くからのお仕事だから、早く帰っていらっしゃい。」と注意されたものだ。
白金台は江戸時代、大名の下屋敷や旗本の住居があった関係でやたらと寺が多い。祖母が亡くなって数日すると、その住職たちが次々と「おばあさまに何かありましたか?」と尋ねてこられた。毎朝定時に寺巡りをしていた祖母の姿を見かけなくなったので異変に気づいたというわけだ。
そのくらい町内の人同士の繋がりが濃かった。そういう町ならば確かに地域共同体としての力を発揮するだろう。
しかし、今実家の周りには地域共同体はない。小学校の同級生はほとんど住んでいない。一軒家の民家のほとんどが代替わりとともにマンションに建て替えられて、住人の大半がここ十年くらいの間に移り住んできた人ばかりだ。もちろん隣にどんな人が住んでいるのかさえ知らない。こんな町が地域共同体として機能するはずがない。
それでは、地方ならば強力な共同体機能を発揮できるかというと、そうでもない。人との繋がりは今でも濃密で、隣近所の孫の誕生日まで知っているだろう。しかし、若者が都会で逃げ出してしまって、地域の担い手は皆高齢者だ。お互いに気持ちは助け合わなければと思っていても現実には支えあう能力がない。
核家族化に伴う大家族の崩壊、東京一極集中、少子高齢化による子供のいない共稼ぎ夫婦の増加、独居老人の増加など、日本の家族制度と、それを基盤とした地域共同体はとうの昔に崩壊している。

今私は行政からの依頼で一人の重症の統合失調症の患者さんを往診で診ている。家から出ようとせず、家族は同じく統合失調症の兄のみ。もう何年も訪問診療を続けているが、未だに激しい幻聴が消えず、それに基づく異常行動も消えない。兄に対する暴力行為にとどまらず、これまで何回も隣家に裸で侵入したりしている。当然、その度に入院となるのだが、あくまで在宅をよしとする今の医療制度に阻まれて1,2ヶ月退院してくる。
私の力量不足と非難されるかもしれないが、月に数回の往診での診療は限界がある。薬を増量しようとしても、これまた現在の医療では使える薬の種類、量までも現場を知らない役人が机の上で決めてしまう。
ガイドラインを無視して処方すると過剰投与という付箋をつけられて私が薬代を支払わなければならなくなる。往診して一生懸命治療すればするだけ私が損をする仕組みなのだ。
何度となく、「外来での治療は限界であり、長期入院治療が必要」と訴えるのだが、病状の改善度とは関係なく一定期間経つと退院となってしまう。一定期間が過ぎたら問答無用で地域で面倒を見なさいということだ。病院の外にいる方が幸せのように思われるかもしれないが、怖い幻聴に苛まれ、異常行動から怪我を繰り返している状態は患者さん自身苦しいのだ。
地域医療とは患者さん本人をいつまでも病苦において、隣人たちが苦痛を味わい、治療にあたる医師が医療費を負担する医療のことなのだろうか。

国が「地域医療」を勧める本当の理由は医療費削減だ。だったら、「生産性のないものにお金はかけられません。どうぞ地元の皆さんで勝手に姥捨て山でもなんでもやってください。」と、はっきり言えばいい。それなのに、共同体機能など失われてしまって、単なる地理上の区切りでしかなくなった「地域」という美しげな言葉を引っ張り出してごまかす。
この子供だましの詭弁を弄する政治家と役人、それに擦り寄る有識者と称する提灯持ち、さらには何度も同じ手に騙されているにも拘わらず「なるほど」と相槌を打つ国民。
破れ鍋に綴蓋(われなべにとじぶた)。それなりにこの国は上手くいっているのかもしれない。しかし腹立たしい限りだ。

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