投稿日:2014年9月29日|カテゴリ:コラム

先日、家内と八ヶ岳山麓の野辺山に行った。JRの最高地点(標高1,375m)のすぐ脇に建つ八ヶ岳グレイスホテルに宿泊した。このホテルは美しい星空が売り物の一つ。天気の良い晩はホテルのすぐ裏手の草地で星空の鑑賞会を開いてくれる。
参加者は芝生の上に敷かれた巨大なビニールシーツに仰向けに寝転んで空を仰ぐ。9月とはいえ1,300メーターを越える高地だと、夜になると気温が5度くらいにまで落ちる。お尻から背中にかけて相当に冷える。
だが、このポジションが素晴らしい。天を360°眺めることができるからだ。
私たちが泊まった晩はこの夏以降1,2を争うほど空気の澄んだ晩だったそうだ。お蔭で、滔々と横たう天の川を背景に、春の星座の一部から秋の星座まで数多くの星たちが空を埋め尽くしていた。
私たちの住む銀河内の恒星。そして400万光年しか離れていないお隣の銀河、アンドロメダ銀河。さらに遠く数億万光年以上離れた銀河団などがすべてキラキラ輝く無数の点になって覆い尽くす姿はまさに圧巻。

これほどの星空を眺めたのは約20年ぶりだ。それは息子の通学していた小学校の校長、T先生が企画したモンゴル旅行に家族全員で参加した時に見た星空だ。父兄はもちろん、小学生たちも全員、一人で馬を操って旅をして草原でキャンプした。特別参加させてもらった、小学校2年生だった娘までも例外ではなく、一人で馬に乗った。
少しでも不測の出来事が起こると、ヒステリックに主催者に賠償責任を求める他罰的な現代の嫌な風潮の中、よくぞあんな冒険的企画を立ててくれたものだ。T校長の勇気には今さらながら深く敬服する。T校長の英断がなければ、一生あの素晴らしい体験をできなかっただろう。そのキャンプ地で見た星空。それは野辺山のそれを凌ぐものだった。
野辺山の夜では甲府方面と佐久平方面の山の稜線が街の灯りでうっすらとオレンジ色に滲んでいた。一方、モンゴルは山も無く、どこまでも続く大草原。360°の地平線に人工的な光は一切射してこない漆黒の闇。
その真っ黒な全天を覆い尽くすかのような星、星、星。空の黒さと星星の強い輝かきのせいなのか、日本と比べて空がずっと近くに感じる。今にも大量の星とともに天空が頭上に落ちてくるように感じた。美しさを超えて恐ろしさを覚えた。

モンゴルの草原や野辺山の高原で星空を眺めると、つくづく私たちが壮大な宇宙の中で生かされているちっぽけな存在であることを実感させられる。
ビルに囲まれた都会に住んでいるとほとんど空を見上げることがない。また、一生懸命見上げても町の光のために目にすることができるのは月と数個の星でしかない。宇宙を体感できないのだ。
そして、宇宙と縁遠くなった人間はどうしても謙虚さを失う。自分の存在の小ささを忘れて自分本意な自然観になってしまうのではないだろうか。
ホテル関係者からマイナス20℃のキシキシと軋む野辺山の雪の上に寝ころんで観る冬の星空も圧巻だと聞いた。
身近な問題に行き詰まった時、

逆に順風満帆で怖いものが無くなったと感じた時には、また野辺山の星空を眺めに行こうと思う。

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