投稿日:2014年9月8日|カテゴリ:コラム

配偶者同士のことを英語で「better half」と言うことがある。そのわけは、本来私たちは一つの生き物であったものが、神によって男と女に分けられてしまい、その片割れを探すのが愛の旅路であり、運命の相手とは自分の片割れなのだという考えがあるからだ。
だが、この人こそ自分の片割れと思って一緒になるが、まもなくとんでもない勘違いであったことに気付く人たちが後を絶たない。遠い昔に分けられてしまうと記憶が定かでなくなって、己の分身を探すのもそう簡単ではないようだ。
また、愛の絶頂の状態を「身も心も一つになって・・・・」と表現することもある。最愛の人をぐっと抱きしめて一体化したいという思いはよく理解できる。
しかし現実にはどんなに相性の良い相手をいくら強く抱きしめても決して一体となることはできない。たとえ真のbetter halfに巡り合えたとしてもだ。その理由は重力が電磁気力よりも圧倒的に弱いことに起因する。

我々が住むこの宇宙は4つの力によって支配されている。その4つの力とは重力、電磁気力、弱い相互作用、強い相互作用の4つである。
重力はニュートンが、リンゴが木から地面に落ちるのを見て発見したことで有名だ。電磁気力は名前の通り電気と磁気の力のこと。弱い相互作用とは原子核のβ崩壊の際に作用する力。強い相互作用とは原子の中の陽子や中性子を構成するクォーク同士を結びつける力である。
弱い相互作用と強い相互作用はその作用が及ぶ距離が10-15から10-18mと想像もできないほど短いので私たち人間が日常生活でその作用を感じる機会はまずありません。言い換えれば、私たちが感じられる力は電磁気力と重力2つと言うことができる。
中でも電磁気力は私たちの生活にもっとも重要な力である。電灯や磁石のような直裁的なもの以外にも、私たちの生活のほとんどが電磁気力によって営まれている。
たとえば細胞を維持するための栄養素の代謝における化学変化も、突き詰めれば分子間の電気力によって行われている。またバネによる反発力もミクロの視点で見れば鋼の分子間の電気力のたまものである。
重力はどんなに力一杯飛び跳ねてもすぐに地上に舞い戻ってきてしまうことから、私たちが生涯この力の制約下に置かれていることは自明なはずだ。しかし、宇宙飛行士にでもならない限りこの力から解放される機会がないために、当たり前すぎた現象となってしまい、逆にこの力の存在を忘れがちである。
リンゴが木から落ちるのを見て、その現象が当たり前ではなく何らかの力のなせる技だと気付いたニュートンはやはり偉大と言える。
さて私たちを支配している重力と電磁気力は強さと作用距離において大きく性質を異にする。重力はその力はどこまでも無限遠に作用するが、力そのものはきわめて弱い。だから天体間の動きはほとんど重力の作用であるが、私たち程度の質量しかないものにとっては相手が地球の時に初めて存在を感じることができる。ベンチに並んでいる二人が重力によって近づいてしまうなんてことは何万年経ってもあり得ない。
もしも、たかだか数10kgの質量同士の運動に影響を与えるほど重力が強かったとしたら、私たちの日常生活は大混乱だろう。恋人同士でなくても、近づいた人たちはみな抱き合わなくてはならなくなる。通勤電車の車内は何十人もの人間が中心部に一塊の肉団子と化してしまう。
そもそも地球上のあらゆる物体が地球の中心に向かって落ち込んで、あっという間にブラックホールになってしまうので、私も彼女も存在しえない。
重力には他の3つの力と決定的に違う点がもう一つある。それはマイナスがないということだ。つまり重力は引きあう力、引力しか発見されていない。SFの世界では「反重力エンジン」なんてアイテムが登場するが、現実の宇宙においては反発する斥力は未だ見つかっていない。ダークエネルギーが反重力の有力候補だが未だその実態は分かっていない。
一方、電磁気力は重力に比べて圧倒的に強い力だ。そしてプラスとマイナスの2方向を持つ。だが作用の及ぶ距離は弱い相互作用や強い相互作用に比べれば遠いのだが、重力に比べると桁違いに短い。

さて、愛し合う二人が身も心も一つになりたいと願って力一杯抱き合ったとしよう。ここでも重力と電磁気力が主役となる。電磁気力を介した筋肉の収縮作用で二人はどんどん近づく。質量を持っているのだから重力による牽引もあるかもしれないが、先ほど説明した通りそんな力はゼロに等しい。
どんどん力を込めると二人の肌を構成する分子がマイクロメートルの距離程度まで近づく。しかし10-6m位になると段々電磁気力の本領が発揮されてきて抵抗を感じ始める。そして、10-8~10-10mの距離になるとどれほど力を込めてもそれ以上近づけなくなる。
原子の周囲を取り巻く電子のマイナス荷電同士が強い反発力を生むためにどうしてもそれ以上近づくことができないのだ。猛スピードで走ってきて激突したとしても、これ以上は近づけない。
もし重力が電磁気力よりも強かったとしたら、お互いを構成する核子の質量によってどこまでも近づいて、やがては両者の原子は融合して一体化するだろう。しかし残念なことに、重力が電磁気力に比べて弱いために、愛する二人にはどうしても越えられない愛の隙間ができてしまうのだ。

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