投稿日:2014年7月28日|カテゴリ:コラム

小さい頃、高価なおもちゃを買ってもらいたくて、母に「だってみんな持ってるよ」とおねだりした。3人以上の場合は「all」と表現できることを知って、自分としては決め台詞のつもりだった。ところが、母は即座に「そのみんなって誰と誰なの?」と返してきた。「うーん。うーん。長谷川君と小林君と小泉君と・・・・・・うーん」。「あっそう。長谷川君と小林君と小泉君の3人だけなのね」。私の悪巧みは功を奏さず、おもちゃを買ってもらえなかったことは言うまでもない。

安倍首相をはじめ、多くの政治家や官僚が口にすることばに「国際社会」がある。「国際社会と協調して・・・・」、「国際社会の意見に沿って・・・・」、「国際社会の要請に対して・・・・・」などなど。
日頃は何となく錦の御旗を見せられた気分になっていたが、ある時はたと考えてしまった。「国際社会っていったい何なんだろう?」と。
広辞苑を引くと、「国際社会」とは「多くの国・地域が相互に関わりあって形成している社会」とある。「国際社会」などというものは実在しない、「世間一般」と同様の抽象的な概念なのである。
平易に「世界中の多くの国々」とでも言った方が良いのかもしれない。それならば世界中の国が集う「国連」の事ではないかと言うと,そうでもない。アフリカや東南アジアの低開発諸国が束になって意見を述べたとしても、それは「国際社会」としては取り上げられないだろう。「国連安全保障理事会」が一番近いかもしれないが,これとて同義とは言えない。
以前の日本にとっての「国際社会」はほぼ「アメリカ」とイコールであった。ヨーロッパ諸国が連帯してEUを設立してからは「国際社会」は「アメリカ+EU」に変わった。いったん沈没したロシアが再び資源大国として復活し、中国が世界第2位の経済大国にのし上がった現在の「国際社会」は「アメリカ+EU+ロシア+中国」となりそうだが、安倍をはじめ現政権にとってはやはり「アメリカ+EU]が「国際社会」の中核だろう。
当然ながら中国から見た「国際社会」は「中国+中国の経済支配が効いている諸国」となるし、アルカイーダにとっての「国際社会」はイスラム諸国になるだろう。
このように「国際社会」は立場とその時の状況に応じてまったく異なるきわめて曖昧な概念なのだ。だから、お互いに「国際社会のために」という大義を振りかざしてぶつかり合う。すべての人や国にとって「国際社会」が同一であるならばこれほど諍いは起きないだろう。
国家、企業、地域、団体の利害関係が複雑に絡み合った、この世界の状況を単純化して説明するには、このとても便利な「国際社会」という言葉を使わざるを得ないのかもしれない。しかし、都合の悪い真実を美化して、国民を欺くための決め台詞として使われやすいので注意しなければならない。
特に安全保障のように国民の生命にかかわる重要事項に関する説明に「国際社会」は使ってほしくない。

安倍のお坊ちゃま。どうか国政はおもちゃではないのですから、国民に対する説明に「国際社会」などという曖昧で都合のよい台詞をやたらと使わないでくださいね。
「国際社会からの要請によって派兵する」なんてごまかしは通用しませんよ。「アメリカ君が行け行けって言うし、僕も強いとこ見せたいから派兵したいんだよ」とはっきり言うのですよ。

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