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クリニック西川

2007年10月

ED(Erectile Dysfunction)

日本では「ED」ということばが、1999年(平成11年)登場した「バイアグラ」という薬と抱き合わせのようにして広まってきました。日本語では「勃起不全」と言います。
ペニス(陰茎)は自分の目から見て上部に左右並行して走る2つの大きな陰茎海綿体(Corpus cavernosum penis)と下部にある1つの尿道海綿体(Corpus spongiosum penis)から成るスポンジのような構造です。尿道海綿体の中心を尿道がつらぬいています。ペニスも他の臓器と同じように、動脈から血液が補給されて静脈に流れさっていきます(Wikipediaより引用した図を一部改変)。
ただ、他の臓器と違うのは、先ほど説明したように、内部の構造がスポンジのようになっています。ですから、血液がサッと通り過ぎるのではなく、貯水槽のように、しばらく溜まった状態でいられるのです。
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そして、TPOが整って(しばしばTPOが整っていなくても)、性的な興奮で脳が刺激されて「いざ、鎌倉へ!」という状況になると、脳からの指令が副交感神経1*を介して、海綿体に血液を補給している動脈の直径を広げることになります。
そうなると、水道の蛇口を全開にしたような状態になりますから、ペニスに向かって次から次へと血液が補充されます。
一方、出口にあたる静脈のほうには弁のような構造があって、一定の時間に排出する血液の量には限りがあるのです。つまり、この魔法のスポンジにぐんぐんと血液が溜まっていくのです。この結果、ペニスは固く、大きくなります。
この際、上部のほうにある陰茎海綿体のほうが下のほうにある尿道海綿体よりもより力強く固くなって、しかも腹筋の一部によって引っ張られるので、ペニスは上方にもちあがり、血気旺盛な若者の場合には自分のお臍に届くほどそそり立つのです。
この世をお創りになった神様は女性だったのでしょうか。オスはどんなに体裁をとり取り繕おうとしても、己の欲情を否が応でもカミングアウトさせられて、さらし者にされてしまうように創られています。
それでは、メスはセクシュアルなきもちになって、脳が盛り上がったとしても、まったく身体に変化が現れないのでしょうか。そんなことはありません。クリトリス(陰核)という部分は、発生学的にいってオスのペニスに相当します。ペニスと似た構造になっていいますから、「好きよ、好きよ、あなたがほしい」となれば、ちゃんと勃起するのです。
しかしクリトリスは、洋服屋で売れ残ったコートみたいに一年中だらしなくショーウィンドウに垂れ下がっているペニスと違って、店の奥の貴重品コーナーに密やかに備えられています。しかも、もともとの大きさが段違いに小さくて、変化も目立ちません。
男が女にくらべて嘘をつくのがへたで、すぐにばれてしまうのはこういう身体構造の違いにも表れているのではないでしょうか。

この勃起という生理現象がさまざまな原因でうまく働かなくなる状態をEDといいます。ですから、EDは男性だけに起こる病気ではなく、女性にだって起きているのです。しかし、男性がEDによって被る損失は、女性のそれに比べてあまりにも致命的に甚大です。
男性がEDの場合には、生殖行為そのものが成立しません。いくら、お相手を深く深く愛していて、お相手も強く強く愛されることを望んでいたとしても、通常交わされる愛情表現のフィニッシュを遂げられないのです。
もちろん、愛情の表現は身体を重ねるだけではありません。各人各様それ以外の方法で深く結びついているカップルもあるでしょう。とはいっても、やはり二人にとって大きなダメージです。
女性でもEDは起こります。クリトリスの勃起が不十分になります。しかし、女性のEDの場合には生殖行為そのものに与えるダメージが小さくてすみます。私は男性なので、女性がEDだとセックスでどのような損失が感じられるのかについてはよく分かりません。
しかし、正常な状態ではないので、満足感なんかに影響がでるんじゃないかなと想像しています。ただ、そういった不満足がEDのせいだと認識する女性はそう多くはないのではないでしょうか?自分自身、その変化に気付かない場合もあるでしょうし、気付いたとしても、その原因がEDだとは思わず、ほかの理由付けをして一人合点している場合もあるのではないでしょうか。
EDはペニスやクリトリスの海綿体に血液をたっぷりと溜める機能が損なわれた状態なのです。原因はいくつもありますが、一番ポピュラーなのは老化です。その次に多いのは糖尿病の神経障害です。このほかにもさまざまな病気やほかの病気の治療のために飲んでいる薬の副作用でも起きてきます。
バイアグラはペニスの血管平滑筋に作用し、血管を拡張して、EDになる前のようにたっぷりと血液を溜め込むことができるようにする薬です。バイアグラの登場は多くの悩める男性(お相手も悩んでいる)にとっての救世主となりました。しかし、医師の処方箋の基にしか購入できないのですが、保険は適用することが認められませんでしたので、患者さんの負担は重いのです。
AV男優でもなければ毎日は必要とはしないでしょうから、数錠あればある程度の期間もつはずですが、それでも数千円はかかってしまいます。
また、この薬の効果を誤解したまま、「バイアグラ」という名前だけが、一人歩きしてしまいました。つまりバイアグラを俗に言う「精力剤」や「媚薬」と混同する人が多数いました。「イモリの黒焼き」とか「オットセイの乾燥ペニスの粉末」といった類のものと同列に勘違いされたのです。
繰り返しになりますが、バイアグラはペニスの血管系に作用して、勃起力を高める薬であって、脳に働いて性欲を亢進させる作用はまったくありません。バイアグラを飲んでも、性的な興奮を感じなければペニスは平常の状態のままです。それなのにバイアグラを媚薬と勘違いする人は少なくありません。
こういった誤解のために、本来バイアグラを必要としない人達までもが欲しがったことと、購入価が高いという背景があって、薬の卸会社の配達車両からバイアグラが盗難される事件まで相次ぎました。さすがに今は車からの置き引きは少なくなりましたが、今でも、不法な金儲けの手段の一つになっています。

バイアグラは空腹時では0.8時間ちょっとで効果を発揮しますが、こってりした食事の直後だと最大の効果を発揮するのに3時間くらいかかってしまいます。血中の半減期2*は3時間ちょっと。ですから、服用する直前にはあまり食事をしないこと。効果の持続は数時間ですから、あんまり早く飲んでしまいますと、いざという時にはもう効果が薄れてしまいます。服用するタイミングが重要だといえます。
この飲みかたの難しさを軽くしたのが、2004年から我が国で発売となったレビトラという薬です。レビトラは最高血中濃度になるまでの時間が0.75時間で、食事をした後でもこの時間にあまり影響がでません。血中半減期は約4時間です。効果の期待できる持続時間はちょっと優れているだけですが、食事の影響を受けにくいという特性は夫婦生活を自然な形で日常生活の中に組み込みやすくなりました。
さて、先日シアリスというわが国3番目のED治療薬が発売されました。作用機序はバイアグラやレビトラと変わりありませんが、血中半減期が15時間弱と前の2つの薬に比べて段違いに長いのです。製薬会社の宣伝によると36時間もの長きに渡って効果が期待できるというのです。
36時間ももつ必要はないように思われるかもしれませんが、性生活に対してより自然に臨めることは間違いないでしょう。つまり、そういうチャンスが予想される場合には、日中に飲んでおけばよいのです。
せっかくシアリスを服用したというのに、就寝前はなんとなくそんな雰囲気になれなくて大事な機会を逸したとしても大丈夫。朝目覚めた時に二人がその気になったとしてもOKです。
本来、セックスは男女がその場の雰囲気でなんとなくお互いに盛り上がって、その気になって、行われる行為です。「さあやりましょう」、「今から始めましょう」、「あと何時間後に開始しましょう」、「もう時間切れが近いけどどうしよう」なんてこと考えながら行う作業ではないはずです。
それに、「さっき飲んだばかりだけど、ちゃんと効いてくれるかな」とか「だいぶ時間が過ぎちゃったけど大丈夫かな」なんて心配が頭の中をよぎると、交感神経系が緊張して血管を収縮させて勃起をしにくくさせてしまいます。心理的な勃起不全の重大な要因です。そういう意味でこのシアリスはとっても優れたED治療薬だと言えます。
ただし、シアリスはバイアグラやレビトラより血中濃度が高くなるまでに時間がかかります。予定していなかった急場に対応するには不向きなようです。一長一短。状況に合わせて使い分けることができれば最良でしょう。

私のクリニックに時々レビトラの処方を頼みに来られる高齢者の方がいらっしゃいます。「この薬をもらってから、本当に生きていてよかったと思うようになった。家内も同じことを言っている」とおっしゃいます。
しかし、この方のように堂々とお持ち帰りになる方は少数派です。多くの方は、なにか悪いことをしているかのように、恥ずかしげにお申し出になります。窓口で薬を受け取るときは緊張のあまり顔が引きつってしまう方もいらっしゃいます。
何も恥ずかしがる必要はありません。性行為と、そのために必要なペニスの勃起は男にとって生理的でとても大切な機能です。このての薬は男性にとって人生を充実させてくれるすばらしいアイテムです。ひいてはお相手の女性にも幸せをもたらすことになります。
ただ、この薬が幸せをもたらす絶対条件は、二人が精神的に深く結びついているということです。精神的な愛情を身体で表現するための手助けをしてくれるだけです。ですから、二人の間の愛が失われてしまったならば、シアリスを山ほど飲んだとしても、その愛情を補給してくれることはありません。お忘れなきように。
最後に一言御注意申しあげます。バイアグラ、レビトラ、シアリスはその人の健康状態や他の薬との飲み合わせによっては危険な副作用を引き起こすことがあります。安いからといって、裏ルートで入手して勝手に飲むのは危険ですから絶対におやめください。
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1*自律神経系(Autonomic nervous system)とは、末梢神経系のうち植物性機能を担う神経系であり、動物性機能(筋肉を動かしたり、感覚を中枢に伝える)を担う体性神経系に対比される。自律神経系は内臓諸臓器の機能を調節する遠心性神経系と内臓からの情報を中枢神経系に伝える求心性神経系という二つの系からなる。このうち遠心性自律神経は交感神経系と副交感神経系という二つの相反する効果を示す神経系から成っている。身体の諸臓器の大半は交感神経系と副交感神経系のバランスによって機能調節されている。
2*薬物血行動態を表す指標のひとつ。薬物を服用して血中に移行し、血中の濃度が最高値になった時から、その値が1/2になるまでの時間で薬物が体内にとどまって効果を発揮し続ける長さを比較する場合に用いる。なぜ、血中の値が0になるまでの時間で表さないかというと、物質の検出・定量には技術的な限界があるためにきわめて微量になると誤差が大きくなってしまうために、正確にとなる時点を決定することは不可能である。したがって、比較的制度誤差の少ない1/2の値になる時間を用いる。
放射性物質の崩壊時間が半減期で言い表されるのも同じような理由からである。

賞味期限でばか騒ぎ

今年にはいってから、不二家、ミートホープ、白い恋人たち、伊勢名物の赤福等々、名の知れた会社の食品にまつわる不祥事が次々と明らかにされました。外に目を向けると、「ダンボール肉饅」で象徴されるように中国産食材に毒性物質が混入されていたり、危険な農薬を無制限に使用していているなどの情報も後を絶ちません。「食の安全」が大きな話題になっています。
多くの報道を眺めていますと、次元や質の違ういろいろな事件を、「食の安全」という一つの言葉でくくっているように思えます。私たちが日常口にする食べ物の安全性が確保されていることは確かに大切なことです。危険な物を食べたいなんて人はいるはずがありません。
グリセリンの代わりにジエチレングリコールを使った医薬品とか、農薬や殺虫剤まみれの野菜を洗浄もせずに口にしたら、確実に死期を早めることになります。牛肉だと思って鶏肉を食べさせすのは詐欺ですし、特定のアレルギーをもつ人だと重大な健康被害につながってしまいます。
しかし、私は一連の報道で、皆が口をそろえて不祥事を起こした会社を問い詰めて、それに対して責任者がひたすら頭を下げてお詫びする姿を見ているうちに、一つのことばに違和感を抱くようになりました。それが賞味期限です。

私のクリニックでは患者さんたちからいただいたお菓子は休憩室に置いてあり、休憩の時に職員みんなで食べています。ほとんどのお菓子はあっという間に喰い尽されるのですが、時として人気に恵まれなかった品物が放置されることもあります。
そういう場合に職員の口から出ることばが、「これ賞味期限が切れちゃいましたから、先生食べてください」です。口が汚い私は、奨めに応じて食べています。ほとんどの場合、私の味覚では以前と変わらずに美味しいクッキーです。時にはお煎餅がひねひねになっていることや、脂が酸化したピーナツの混入を察知することができることもあります。しかし、今まで、それが元で体調を崩したことはありません。
職員達は、私が賞味期限の切れた御菓子を食べることを常軌を逸した行動だと思っているようで、そういう物を食べながら、「美味しい」とか「ちょっと不味くなっているな」と評する私を見てげらげらと笑います。
私の奇人ぶりはクリニックにおいてだけ発揮されるわけではありません。我が家においてもそうです。
子供達はいちいち賞味期限を確認してから食べるタイプではないのですが、それでも桃、梨、柿、りんごといった果物の一部が何かに当たって変質・変色していると、食べようとしません。
「あたった部分だけ取り除けばちゃんと食べられるよ」と教えても食べようとはしません。面倒くさがっているだけなんだろうと思って、私が皮を剥いて、傷んだ部分を取り除いて、きれいに切ってやっても食べようとしません。「僕、他の食べるから」です。結局、私の胃におさまることとなります。
息子はパンが大好きなので、我が家には常にパンを常備してあります。大量に買ってきたときには冷凍保存しますが、半斤くらいだと2,3日で食べてしまうだろうとつい油断して冷蔵庫に入れてしまいます。
それが湿気の高い時期に予定通りに消費されないと、冷蔵庫の中でも表面に黴らしき点々が現れます。息子は近眼なのですが、どういうわけかこの小さなしみのようなスポットだけは見逃しません。そうなるとまた私の出番です。
店頭実演販売のように、小さなスポット周辺を摘み取り、他の部分も念入りに点検した後に、トースターでこんがりと焼く。マーガリンを塗っておいしそうに食べてみせる。「ほら大丈夫だろう?」。
わが身を使って範を垂れているにもかかわらず、残りのパンはまたもや私専用の食材となるのです。
最近では、タッパウェアで冷蔵庫に保存してあった、数日前のおかずの残り物が発見されると、「お父さんこれ食べられるかどうか試して!」と人体実験を要求されるようになりました。その実験の結果、即座に私が吐き出したものはゴミ箱行きとなりますが、私が「大丈夫」という判定を下しても家族の目はまだ懐疑的です。
「お父さんの身体は普通じゃないから」、「他にもまだ食べるものあるんだから、わざわざそれを食べる必要はないわ」。結局、そのおかずもまた私の専用物となるのです。私は「人間ディスポーザー」なのでしょうか。

さていつまでもクリニックや家における私の存在価値についての愚痴話をしていてもしょうがありません。今回私が言いたいのは、私の周囲の人々を含めて多くの国民が今現在、当たり前のように目にして、信じ、憤慨している「賞味期限」と「消費期限」とは何なのかということです。
私の記憶では、以前はそんな表示はなかった。印刷されていたのは製造年月日だけだったように思います。調べてみました。詳しくは分かりませんでしたが、厚生労働省所管の食品衛生法と農林水産省所管のJAS法とで異なる表現をしていたのを改めて2003年7月にこの二つの用語が正式に使われるようになり、表示が義務付けられたようです。
だいたい5日以内で品質が劣化して長期保存できない食品の食用可能期限が「消費期限」で、長期間衛生的に保存はできるけれど、製造者が安全性や味、風味などの品質が維持できると保証する期限が「賞味期限」だということです。
ちなみに、製造年月日は1997年から表示義務がなくなっているそうです。その理由は食品の製造工程が複雑化して、製造年月日をいつと特定しにくくなったことと、貿易の障碍になるということだったらしい。確かに、食品を作るための材料がすでに長期間冷凍保存された材料を使うようになってきたために、いつをもって製造したかということなかなか簡単に言えなくなってきているのでしょう。赤福餅の社長の「製品を解凍した時点を製造年月日と考えていた」という発言も、あながち詭弁とは言えません。
「消費期限」、「賞味期限」どちらも、「正しく保存された状態で」という但し書きつきです。つまり、「正しい保存状態でなかった場合に事故が起きても製造者に責任はありませんよ」と言っているのです。
何でもかんでもアメリカの後追い。何かあるとすぐに訴訟というせちがらい世の中になってきました。このために増えてきた常識はずれで他罰的な消費者からの訴訟を逃れるためには必要な表示と言えるでしょう。
私の行くお寿司屋さんの大旦那が「食べ残しを持って帰られるのが一番嫌なんだよ。すぐに食べてくれればいいけど、とんでもないところにおきっぱなしにしてから食べられて、食中毒にでもなられたら、結局こっちが営業停止だから」と心配していました。
今の世の中には「寿司は生もの」「生ものは腐る」ということすら知らない常識はずれがいますから、「消費期限」は表示しておいたほうがよいのかもしれません。しかし、こういう表示だけに頼る生活をするから、ますます本来人間が持っているはずの生きるための基本的な能力や常識を失っていくという皮肉な悪循環を生み出すように思います。
本来、地球上でここまで繁栄した人間は、目の前にある物の色、艶を見て、匂いを嗅ぎ、手にとって、親や祖父母から教えられた知識や、過去の自分の体験に照らし合わせて、食べられるものか食べられないものか判断することができるはずなのですが。肉だって腐る寸前の物が一番美味しいと言われています。

「賞味期限」の義務化にいたっては私にはもう愚かとしか思えません。物によっては期限を遠く過ぎても味や風味を失わないものもありますし、味に敏感な方だと表示期限以内でも「美味しくない」と感じることもあります。その期日を迎えると、突然その物が変質してしまうわけではないのです。
現に何十年の間、一定期間冷凍保存した製品を解凍して販売していた事実を告白した赤福餅ですが、今までその味の違いに気付いた人はいなかったようです。食べた人はその味に満足していたのです。
すべてをマニュアル化して賞味期限などというわけの分からない基準を設けて、表示を義務化したために犯さざるを得なかった犯罪(?)と言えるのではないでしょうか。
このさい、「賞味期限」などというあいまいな基準を表示させるよりも製造年月日を、その過程まで含めて正確に記載させるだけにしたほうがよいのではないでしょうか。食すか、食さないかは消費者自身の判断にゆだねる。ただし、この場合にも製造年月日の書き直しは絶対にご法度です。製造者は賞味期限に汲汲とせずにすみます。また、消費者はそれぞれが食に対する造詣を深めて、本来、生きるために備わっていたはずの5感の鋭さをとりもどすのではないでしょうか。

さて、日本人が上品な甘さの銘菓の賞味期限が1ヶ月改ざんされたということに対して、こぞって馬鹿騒ぎしている今現在、世界には消費期限がきれた食料さえ食べることのままならない人々が8億5000万人もいるのです。年間1500万〜1800万の人が餓死しているのです。
多くの日本人は主としてアフリカや南アジアでの悲惨な飢餓の実態を対岸の火事だとしか感じていないようです。コンビニやハンバーガー屋では規定時間を1分でも過ぎると弁当やハンバーガーがごみとして捨てられています。巨大ホテルでは毎日のように宴会が催されて、これまた山のような残飯を作り上げています。
食の安全が声高に叫ばれれば、こういった傾向にはさらに拍車がかかり、多くのまだ食べられる食品がもっと大量に廃棄されてごみになっていくのです。
世界で生産される食材のほぼ10%を日本が買い占めていることをご存知ですか。ホテルのバイキングで一皿ごとに捨てられていく割り箸のためにアジアの森林のどれだけが失われているかご存知ですか。
自分達が多くの飢えに苦しむ人の犠牲の上で毎日の食事にありつけていることを知ったら、果たして賞味期限なんかにこだわっていらるれのでしょうか。
それでも他人は他人。私は美味しいものを食べたいという方もいらっしゃって結構です。人の考え方はそれぞれですから。しかし、そういう信念の方も近い将来真剣に「食べられればそれでいい」と考え直す日が来ると思います。
原油高のあおりをくらって、何をとち狂ったか「バイオエネルギー」。小麦やとうもろこしが食糧としてではなく、燃料へまわされるようになったために、食糧としての穀物が品薄となって値上がり。すでに、いろいろな食品がその影響を受けて10%近くも値上がりしました。
この傾向はまだまだ続くでしょうし、中国やインドなどの急速に経済発展を遂げている国民が美味しい食べ物を要求するようになっています。魚も肉も奪い合いです。食糧自給率が極端に低いわが国はやがて途方もない大金を払わなければ美味しいものは手に入らなくなります。
さらに、地球温暖化が一層深刻な状況になれば、世界全体の食糧生産高は激減します。そうなったら、私たち日本人は美味しいものどころか、食べられるものを手に入れることさえ困難になるのです。飢餓に苦しむアフリカは未来の日本の姿かもしれません。
食糧、エネルギー、環境。あまりにも大きくて複雑に絡み合った問題で、すぐに適切な解決策を出すことなんかできっこありませんが、毎日何気なく食べている食事に対して、もっと深い関心を持つとともに、感謝と喜びを再認識して、悪しき大量消費文明の幻想から一刻も早く目を覚ます必要があるのではないでしょうか。

高次脳機能障害(Higher Brain Dysfunction)

今回は、教科書的な病気の解説が中心のコラムになってしまいましたので、関心のあるお方だけお読みください。
最近、徐々に注目を浴びるようになってきた病気に「高次脳機能障害」があります。この病名は学術用語として用いられる場合と、行政用語として用いられる時とで、その意味するところに若干の違いがあります。
医学的に高次脳機能障害は「大脳の器質的病因*によって、失語・失行・失認といった局在した大脳の巣症状、注意障害や記憶障害などの欠落症状、判断・問題解決能力の障害、情動の障害、行動障害などを示す状態像」と定義されています。広い範囲にわたる認知行動障害を含んだ病気の概念です。
脳の機能のうちどこまでが低次機能でどこからが高次機能かというと厳密に線引きできるものではありません。しかし一般には、人類が他の動物と比較して飛躍的に発達して、他の動物と異なった機能を持つことができるようになったと考えられる、大脳皮質の担う機能を高次脳機能と呼んでいます。
したがって、大脳皮質が病気や事故などによって器質的に障害されたときにおきるさまざまな病態を高次脳機能障害と呼びます。当然ながら、大脳の広範囲にわたる萎縮が見られる、現在認知症と呼ばれるようになった痴呆(Dementia)も高次脳機能障害に含まれます。
ところが行政用語として用いられる「いわゆる高次脳機能障害」には認知症(痴呆)は含まれていません。厚生労働省が平成13年から積極的に研究に取り組んでいる「いわゆる高次脳機能障害」は認知症や明確な失語症といっためだった障害が認められないけれど、実際の日常生活や社会生活をおくっていく上で徐々に問題が明らかになるケース。「隠れた障害」を限定して使用しています。
つまり、交通事故や脳血管障害(脳梗塞や脳出血)などで脳が受けた損傷が軽度で限定されていて、本人も自覚せず、一般的な診察だけでは障害が見逃されてしまう人の中にも隠された障害を後遺症として持ち、それが原因でその後の生活を送ることが困難なケースがあることを重要視しているのです。
簡単にいってしまえば、行政用語としての高次脳機能障害は学術的な高次脳機能障害から、認知症と発達障害を除いたものと言えます。以下に行政で用いる「いわゆる高次脳機能障害」の診断基準を記します。
l.主要症状等 1. 脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。
2. 現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。
ll.検査所見   MRI、CT、脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病変の存在が確認されているか、あるいは診断書により脳の器質的病変が存在したと確認できる。
lll.除外項目 1. 脳の器質的病変に基づく認知障害のうち、身体障害として認定可能である症状を有するが上記主要症状(l-2)を欠く者は除外する。
  2. 診断にあたり、受傷または発症以前から有する症状と検査所見は除外する。
  3. 先天性疾患、周産期における脳損傷、発達障害、進行性疾患を原因とする物は除外する。
lV.診断 1. l~lllをすべて満たした場合に高次脳機能障害と診断する。
  2. 高次脳機能障害の診断は脳の器質的病変の原因となった外傷や疾病の急性期症状を脱した後において行う。
  3. 神経心理学的検査の所見を参考にすることができる。
高次脳機能障害に特徴的な症状は次の10個です。(1)失語症、(2)注意障害、(3)記憶障害、(4)行動と感情の障害、(5)半側空間無視、(6)遂行機能障害、(7)失行症、(8)半側身体失認、(9)地誌的障害、(10)失認症。

(1) 失語症:話したり、聴いたり、読んだり、書くことが困難になる症状です。このために、自分の意思を他の人に伝えたり、逆に他の人の発したことばの意味を理解することが難しくなります。

(2)注意障害:一つのことに注意を集中したり、多くの情報の中から必要な情報を注意して選択することが難しくなります。このために気が散って、疲れやすく、根気がなくなります。

(3)記憶障害:記憶機能の中でも、新しいことを覚える機能(記銘力)が特に障害されます。日時を間違えたり、場所が分からなくなって迷子になったり、約束を平気で忘れてしまうので、新しいことを学んだり、習得することが困難になり、人間関係のトラブルも多発します。

(4)行動と感情の障害:ちょっとした出来事にパニックを起こしやすくなります。反対に自発性が低下して自分から自発的に行動を起こさなくなることもあります。正反対の状態が混在して現れることもあります。
いろいろな状況に対処できなくなった際に感情的になって、攻撃的な態度を示すことがあります。また、自分ができないことに対してつじつまを合わせるために作り話をすることもあります。

(5)半側空間無視:自分が意識している空間の半側(多くの場合は左側)を見落とす症状です。具体的な例としては、食事の際に左側においてある食べ物を食べ残したり、ドアなどを通過する際に左側にぶつかる。歩行しているとだんだんと右側に寄っていってしまいます。

(6)遂行機能障害(前頭葉障害):私たちはなにか行動する時には必要な情報を整理して、目標を決め、計画し、手順を考え、実施し、結果を確認するという一連の作業を行っています。この一連の作業を円滑に遂行することが困難になります。症状としては動作を始めるのが難しくなったり、中断することが難しくなります。

(7)失行症(動作と行為の障害):手足の運動機能は障害されていないのに、意図した動作や指示された動作を行うことができない症状です。具体例としては歯磨きの際に歯ブラシや歯磨きのチューブをどうやって取り扱ってよいかが分からなくなって、歯磨きのチューブを口に持っていったりします。食事の際にも箸やスプーン、フォークをどう扱ってよいか分からなくなって、箸でスープをすくおうとしたりします。

(8)半側身体失認(身体の認識の障害):自分自身の身体像(ボディイメージ)の半側の認識ができなくなる症状です。麻痺があることが認識できなかったり、麻痺側の身体がないかのように振舞ったりします。また、麻痺は軽いのに使おうとしない状態も見られます。自分の身体半分の存在を認識しないで行動するので、そちら側ばかり怪我をするといったことで発見されることもあります。

(9)地誌的障害(場所の認識の障害):地理や場所についての障害です。よく知っているはずの場所で道が分からなくなって迷ったり、自宅の見取り図や近所の地図が描けなくなったりします。

(10)失認証:さまざまな知覚の認識が難しくなります。それぞれの知覚は障害されていないのに、頭の中でそれをきちんと認識できなくなります。視覚を例にとってみると、目は見えているのに、色、物の形、物の用途や名称が分からなくなります。絵を見ても全体のまとまりが分からない、よく知っている人の顔を見ても誰だか分からないという場合もあります。視覚の失認だけに限定されている時には、手に触れてみたり、音を聴いたりすれば分かります。ただし、聴覚や触角についても失認がおこることがあります。 こういった症例を的確に診断できるのは精神症状や神経心理学的症状に精通した専門医でなければなりませんし、PET**という特殊で大がかりな検査が必要な場合もでてきます。また、治療は補助的には対症的な薬物療法も考えられますが、主体は専門的なリハビリテーションです。したがって、どこの医療機関でも対応ができるわけではありません。
高次脳機能障害が疑われた場合には、専門医がいて、リハビリテーションの体制が整っている病院へ受診しなければなりません。対応可能な医療機関を知るためには各都道府県の医療福祉関係部所にお問い合わせください。
高次脳機能障害者は、一見では分かりにくく、障害を知らない人から誤解を受けやすいために、人間関係のトラブルを繰り返すことが多く、社会復帰が困難な状況におかれています。また、身体の障害は完治または軽症であって、精神障害とも認められない場合が多いので、医療・福祉のサービスを受けられずに、社会の中で孤立してしまってきた例が多かったのです。
厚生労働省はこういった障害に対してスポットライトを当てておきながら、平成18年4月の医療費改訂において、あからさまな総医療費削減政策の一端としてリハビリテーションの日数制限を設けて、リハビリテーションの必要な患者さんも一定の期限が過ぎると、保険医療でリハビリテーションを受けられなくなるようにしました。リハビリテーションの打ち切りです。
高次脳機能障害の方々は継続的なリハビリテーションが欠かせません。国のこのちぐはぐな医療政策の迷走のために「隠された障害」の高次脳機能障害に悩む人々はまたもや置き去りにされようとしています。
思いつきで、行き当たりばったりの施策ではなく、長期的に国民が安心できる社会保障の提供を望むところです。
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*:器質的という言葉は組織や細胞が、もとの形態に戻ることができないような変化が起こることをいい、このようになった病気を器質的な疾患と言います。これに対して、もとの形態に回復可能な状態は機能的と言います。

**:Positron Emission Tomoraphyの略。陽電子検出をを利用したコンピューター断層撮影技術です。代謝レベルの変化をとらえて画像化することができます。しかし、サイク ロトロンを設置しないとできないために、大きな施設でなければ実施できません。

リタリン騒動(2)根底にある保健医療の崩壊

新宿、歌舞伎町にある一医療機関の医師による乱売に端を発したリタリン問題はその後も議論が絶えません。その理由のひとつは、ちょうどこの時期に、小児の発達障害である注意欠陥・多動性障害(ADHD)*1 の治療薬としてリタリンとまったく同じmethylphenidateを主成分とするコンサータという薬の製造・販売に関する承認が求められていたからです。
コンサータの主成分はmethylphenidateですが、徐放製剤です。徐放製剤というのは主成分以外に加える物質を工夫して、急に血中に溶け出さないで、ゆっくりと長時間安定した効果を発揮するようにした製剤です。
前回お話したように、同じ成分でもリタリンのように即効で作用持続時間が短い薬剤は依存性が高いのですが、ゆっくりとじわじわ作用すると依存しにくくなります。こういう点からコンサータはリタリンに比べて安全性が高く、すでにアメリカでは多くの治療実績を持つ薬です。
これまで、ADHDに対して有効な薬が保健医療で認められていなかったので、コンサータの承認は専門医の間で待ち望まれていました。しかし、今回のリタリン騒動のあおりをくらって、一時は承認が見送られてしまうのではないかとの懸念もでていました。
結局、幾つかの基準を設けて、処方できる医師を「ADHDを正確に診断できる専門医」に限定することによってコンサータの製造販売は承認される見通しになりました。朗報といえます。

さて問題のリタリンはどうなるのかというと、まだこれから紆余曲折を経ると思いますが、おそらくはこちらも処方できる医師を限定して、医療用の麻薬と同等のきびしい管理の下に使用が許可される方向にあると想像しています。
先週のコラムで、今回のリタリン禍の根源はリタリン(methylphenidate)という薬物そのものにあるのではなく、リタリンを処方する医師の資質と品格にあることを指摘しました。そういう意味で、処方できる医師を限定することは悪くない一つの対策でしょう。しかし、処方できる医師の資格をどういう基準で決定するのかということはそう簡単な課題ではありません。
病気の診断、薬の薬理学的特性に精通していなければならないことは言うまでもありませんが、専門知識が備わっているという基準をクリアした医師が処方すればそれだけで、第2、第3の東京クリニックを防止できるのでしょうか。
私はそうは思いません。頭のよい、小利口だけれど倫理観に乏しく、品格にかけ、利にさとい者ほど危険な者はないからです。前回、「東京クリニックは氷山の一角」と申しあげましたが、私の耳に入ってくる危ない医師のリストの中には優秀な経歴をお持ちの方が少なくありません。
さらに、このように使用できる医師を限定するという時間をかけた準備のいる対策を行う前に、一回の処方で投与できる日数を制限するという、すぐにでもできる対策を行うべきだと思います。
厚労省は医療費削減の目的のために薬剤の長期投与をどんどん推し進めています。診察料、処方料、調剤料の節約ができるからです。この政策によって、リタリンまでも30日処方を許可していることがリタリン乱売を後押ししているのではないでしょうか。国にも責任の一端があると思います。

仕事は生活の糧をうるための手段という側面をもっていますが、それだけではないはずです。業種のいかんにかかわらず、それぞれの分野で社会に寄与・貢献できてこそ初めて、生業(なりわい)と言えるのではないでしょうか。
このごく当たり前と思える、そして長らく我が国ではそれに従ってきたはずの、仕事に対する誇りや倫理観が急速に失われてきました。姉歯設計士に端を発した「耐震偽装問題」であれ、ミートホープ社で代表される「食品偽装問題」であれ、折口の「コムスン問題」であれ、すべて金のために誇りを捨てた瞬間に生まれるべくして生まれた問題だと考えます。
個々の事件は一部の不心得者の悪事として、過熱報道されては忘れ去られますが、その根底に横たわっている企業の社会理念の喪失は、多くの大企業も例外ではありません。大企業であるために表面化しないだけで、実際にはもっと根深いのかもしれません。仕事への誇りを失い、病んだ社会は底なし沼のように深く存在して、私たちの生活全般を脅かし続けていることを忘れてはいけません。
なぜ、こんな社会になってしまったのでしょうか。一開業医である私が論じるにはあまりにも大きすぎる問題ではありますが、ここ数年、国家・政府が率先してこの利益優先の社会作りを先導してきたことだけは確かだと思います。
「国際化」、「グローバリゼーション」、「市場主義経済」などのスローガンを使って、弱肉強食型のアメリカ型経済を最良モデルと位置づけてきた政策に少なからぬ責任があることは否定できないのではないでしょうか。
とは言うものの、人の生命をあずかる私たち医療界は他の業種がどんなに病んでも、社会貢献の最後の砦として「医道の誇り」を失わないで頑張らなければならないはずです。しかし、現実にはそうはいかないようです。

9月18日に「他人事ではないシッコ(SiCKO)」で書いたように、我が国の医療保険制度の崩壊は想像を絶するスピードで進んでいます。皆様患者さんたちの負担が増える速度に負けない速さで医療機関の経営が圧迫されているのです。
貧すれば鈍する。法すれすれ、脱法的な医療や保険が適用されない自由診療に活路を見出そうとする医師が後を絶たないのです。ちょっと目先がきく医師ほど時代の流れを敏感に察知してその流れに乗っていきます。
さらに、新たな利益獲得の場を狙っているさまざまな営利企業が、自分自身は表には立たないで、雇った院長を看板にして、都内の一等地などで医療機関経営に乗り出していることが、この傾向にさらなる拍車をかけています。
小泉政権の時に、経済特区でモデル事業として試みると称した、医療の株式会社化は水面下ですでに見切り発車しているのです。
いつの時代にも不心得な慮外者は出現してきましたが、国が国民の最低限の権利である社会保障の枠をなし崩し的に取り壊してしまった現在、それまでならば真面目な医療に携わっていたであろうと思われる医師までもが、誇りをかなぐり捨てた行動に走らざるを得ない状況にまで追い込まれているのです。まさに医療界の小泉チルドレン登場ともいうべき現象です。
このままでは、愚直に医道をつらぬこうとする医師は、時代の流れに乗りきれなかった愚か者と笑われながら自滅します。その結果、時代の流れに乗った医師、すなわち医師免許をかざして医療ビジネスに踊る医師たちだけが跳梁跋扈する社会になってしまいます。そんな社会は国民にとって本当によい社会なのでしょうか。
すでに、私の住む地域にも保健医療を見限って、自由診療に比重をかける医療機関が急速に増えました。中には完全に自由診療しか行わない者もいます。「レーザーによるしみ取り」、「にんにく注射(ただのビタミン剤注射)」、「アンッチエイジングと称するサプリメント売り」等々です。中には色紙を身体のあちこちに貼って、病気を治すとうたっている医師もいます。当然自費です。
とどめは自費で合成麻薬を注射するサービスまでやっているクリニックの存在まで耳にするようになったことです。これも、アメリカ社会を模範としたグローバリゼーションの皮肉な成果と言えるかもしれません。

皆様も「改革はすべてよし」という催眠術からは、そろそろ目覚める時ではないでしょうか。私は、時代がどのように変わろうとも、変質しないでいることを求められているもの、そういうものもあるのではないかと思います。いかがでしょうか。
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*1 注意欠陥・多動性障害(ADHD):アメリカ精神医学会策定の診断基準DSM-IV-TRの行動障害に分類される疾患Attention Deficit/Hyperactivity Disorder。多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴として先天的な要因でおこる脳の発達障害と考えられている。

リタリン騒動(1)リタリンって悪い薬?

新宿、歌舞伎町にある心療内科・精神科・皮膚科「東京クリニック」に東京都と新宿区保健所が医療法違反の疑いで立ち入り検査をしたのは9月18日のことです。依存性の強い向精神薬「リタリン」を、必要がない患者に不適切に処方していた疑いがあって行われたとのことです。
これを受けて電光石火のごとく、2日後の20日に、「製造販売元のノバルティスファーマ社はうつ病についての効能効果を取り下げる方針。近々、薬事法に基づいて厚生労働省に取り下げ申請する。」との新聞報道があり、ワイドショーにまでとりあげられて大騒ぎとなりました。
報道では、ノバルティスファーマは精神科関連の学会などとも協議した結果、「現在うつ病治療薬としてはさまざまな新薬が登場しているので、リタリンが使用できなくなってもうつ病の患者の不利益はほとんどない」と言っているとなっています。しかし、事実はまったく違います。

リタリン(methylphenidate)は他の抗うつ薬と比べて作用点も作用機序もまったく異なります。抗うつ作用を示す薬の中では非常に特異的な薬です。薬理学の正式な分類では、現在うつ病の治療薬として出回っている多くの抗うつ薬のグループではなく、中枢神経刺激薬というカテゴリーの薬になります。ほかの抗うつ薬で代替することはできません。
日本では1958年からうつ病の治療薬として販売されました。現在は「難治性うつ病」、「遷延性うつ病」のほか、日中突然眠くなる睡眠障害「ナルコレプシー」への効能が承認されています。
また、小児の注意欠陥・多動性障害(ADHD《Attention Deficit/Hyperactivity Disorder》)に対するほとんど唯一の治療薬と考えられていますが、なぜか正式に効能が認められてはいません。

脳はたくさんの神経細胞(ヒトの大脳皮質には約140億個在るといわれている)の間で情報伝達をして、さまざまな機能を果たしていると考えられています。神経細胞と神経細胞とのつなぎ目をシナプスといいます。このシナプスの間で情報伝達の役目を担っている化学物質を神経伝達物質と呼びます。
うつ病になるとこの脳の中の情報伝達のバランスが悪くなります。特に感情や意欲に関係した系統の神経細胞間で、幾つかの神経伝達物質による情報伝達が減ってしまいます。
今流行のSSRI1*、SNRI2*をはじめ、その他多くの抗うつ薬は、モノアミン(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど)というグループの神経伝達物質のシナプスでの量を相対的に増やす作用を持っています。
つまり、シナプスという極微小な空間にこういった神経伝達物質を長時間とどまらせて、送り手側の神経細胞からの情報を受け手側の神経細胞に、より有効に伝えることによって、うつ状態を改善しようとしているのです。
一方、リタリンも結果としてシナプスの神経伝達物質が豊かになるという点は他の抗うつ薬とそんなに変わりません。しかし、作用するのは情報の送り手側の神経細胞です。送り手側の神経細胞の先端にはシナプス小胞という小さな袋があって、そこに神経伝達物質が詰まっています。リタリンはこのシナプス小胞に働きかけて、中の神経伝達物質をシナプスの空間に強制放出させるのです。
シナプス前細胞(A)からシナプス後細胞(B)への化学シナプスを経由した神経伝達の様子 (1)ミトコンドリア(2)神経伝達物質が詰まったシナプス小胞、(3)自己受容体、(4)シナプス間隙を拡散する神経伝達物質、(5)後シナプス細胞の受容体、(6)前シナプス細胞のカルシウムイオンチャンネル、(7)シナプス小胞の開口放出、(8)神経伝達物質の能動的再吸収
(ウィキペディアより引用)
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この他の違いとしては他の抗うつ薬は飲んでから効き始めるまでに時間がかかり(数週間)、効きだすと長い時間効いているのにたいして、リタリンは服用するとすぐに(数十分)効くけれど、効果が長持ちしません(数時間)。
うつ病の時のシナプスの状態を貧乏になったお財布にたとえてみましょう。SSRIやSNRIといった多くの抗うつ薬は、なけなしのお金をむだ使いせずに利殖しながら有効に使おうという方法です。これに対して、リタリンはとりあえず、銀行に残っていた預金を下ろして使おうというものです。
長期的、継続的に考えた場合、一般の抗うつ薬による治療のほうが堅実で安全なことは言うまでもありません。リタリンだけに頼っていたらやがて銀行預金はそこをついて、サラ金からの借金地獄になってしまいます。
さらに、一般的に即効で作用持続時間が短い薬物は依存性が高いので、リタリンは高い依存性(耐性)を持っています。はじめは1日2錠ですんでいた人が3錠でないと効果がもたなくなり、そのうち極量とされている6錠以上を要求するようになってしまうことがあります。
一般にリタリンを忌避する医師が多いのは主としてこの依存性の問題です。しかし、依存は起こしやすい人と起こしにくい人がいるので、誰もがリタリン中毒になってしまうと考えるのは間違いです。耐性を示さずに、必要最小限の量で円滑な社会生活を営めている患者さんもいるのです。
一般の抗うつ薬でほとんど元気な状態に回復した。しかし、どうしても朝の元気だけが戻らない。朝目覚めても、動き出す元気が出ない。動き出しさえすれば仕事もちゃんとできるのに、朝のエンジンがかからないために定時に出勤することができない。こういう理由で、社会復帰がままならない患者さんがいらっしゃいます。お金の例に戻って言えば、利殖して有効に使おうにも元手が一銭もなければどうにもならない場合もあるのです。
私の経験では、こういう患者さんに、朝だけあるいは朝とお昼だけ、少量のリタリンを「着火剤」として使用すると、とてもうまく社会復帰できます。会社に復帰してから徐々にリタリンを減らしていって、従来の抗うつ薬だけでようすをみる。やがてその抗うつ薬もいらなくなる患者さんだっているのです。
リタリンを用いなくても元気になるうつ病の患者さんが大半であることは間違いありませんが、リタリン=中毒=悪魔の薬という単純なプロパガンダによって、リタリンの適正な使用をも禁じられたら、困る患者さんもいるのです。

ノバルティスファーマに直接問いただしたところ、報道は歪曲されたものであることが分かりました。新聞記者に対して、「学会など専門家の意見をうけて、今後の対策を検討したい。一つの選択肢として、うつ病に対しての効能効果を取り下げることもありうる」と回答したところ、前述の報道がなされてしまったのだそうです。これを聞いてまずは一安心しました。
しかし、こういった事件がおきると一般の人の間には「リタリンは悪い薬」という先入観ができあがってしまいます。困ったものです。一般の人はしょうがないとしても、精神科医の中にも薬のことをよく理解しない医師がいます。
ある研究会でリタリンが話題になった時、「リタリンを処方するようなやつは医師免許を取り上げるべきだ」と、えらく勇ましい発言をした若手の精神科医がいました。私が、「私は処方していますが、医師免許剥奪されるんでしょうか?」と発言したためにその場はどっとしらけてしまいました。
薬というものはもともと諸刃の剣です。作用と副作用は裏表です。はっきりとした効果を持っている薬物は使い方しだいでは毒になるものなのです。逆を言えば、とっても安全な薬はたいして効きもしない薬だとも言えます。いわゆる「毒にも薬にもならない」ってやつです。
ジギタリスという心不全に対する特効薬があります。トリカブトという植物の主成分と言えば、皆さんお分かりになるでしょう。そうです。時々殺人事件の凶器として使用される薬物です。治療量と致死量との差が小さいので、ある意味とても怖い薬です。しかし重大な心臓疾患ではこの薬でないと命を救うことができません。
一般の人が薬局で簡単に手に入れてポイポイ飲むことができないような、取り扱いの難しい薬を、危険性を踏まえ、その危険への対策をこうじた上で、有効に使用することができて初めて、プロの医師と言えるのではないでしょうか。

今回の騒動、リタリンという薬が悪いのではありません。医師免許を盾にリタリンを商品として利益を追求した一人の男の品格に問題があったのだと思います。
この医者は来院する患者さんに対して病態に関係なく、このリタリンと、もう一つ、やはり依存性の強い、俗に「赤玉」(芸能人や業界人が本来の用途とは別の目的でご愛用)と称する睡眠導入薬をセットで処方するという風聞が以前から流れていました。
どちらも依存性が強い薬なので、普通の神経の医師からは無軌道に入手することが困難なために、患者さんや中毒者が自分のところに釘付けになります。金を儲けるための道具として使っていたのでしょう。
しかし、市場経済優先の原則にのっとって、医療や健康を舞台に利潤を追求する者は彼だけではありません。東京クリニックは氷山の一角に過ぎないと言えるくらい急速に、こういう傾向が進んでいます。
私を含めて、医療に携わる者は改めて襟を正さなければなりません。いや今日、医療界に限らずあらゆる業種で、それぞれの仕事に携わる者の品格が問われているのです。

ちなみに、東京クリニックの院長はこういった薬物がらみの事件とは別に昨年、患者さんに対する暴行傷害罪で懲役2年執行猶予3年の判決を受けています。これを受けて、9月27日の厚生労働省の定例処分で医業停止2年の行政処分を受けました。
残念なことに、これで解決ではありません。今まで東京クリニックで薬漬けになっていた依存症の人達がリタリンと赤玉を求めて、明日から私たち都内の医療機関をさまよい歩くことになるのです。大変迷惑な話です。
将来再び、同じような事件をおこす者が現れれば、リタリンは完全に治療の場から締め出されてしまい、本当にリタリンを必要とする患者さんたちが救われないことになります。そして、中毒者たちを相手の商品がまた一つ増えて、犯罪組織がもっと儲かる事態になりはしないかと危惧しています。
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1*SSRI:Selective Serotonin Reuptake Inhibitorsの略。抗うつ薬の一つのグループでシナプス間隙に放出されたセロトニンがシナプス前細胞に再取り込みされるのを阻害する作用を持つ薬群。結果としシナプス間隙におけるセロトニンの濃度をあげる。特にセロトニンに特異的に働くためにselectiveと呼ぶ。

2*SNRI:Selective Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitorsの略。SSRIと同じように、神経伝達物質のシナプス前細胞への再取り込みを阻害することによって作用する抗うつ薬だが、セロトニンだけではなくノルエピネフリンに対しても作用する。
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