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クリニック西川

2008年1月

リタリン騒動の顛末

昨年9月18日、東京都と新宿区保健所が医療法違反の疑いで新宿、歌舞伎町にあった「東京クリニック」に行った立ち入り検査をきっかけに全国レベルの大騒動となった薬物、リタリン(methylphenidate)。
問題はこの薬物の高い依存性を利用して、一部の不心得な医師や医療機関が、金儲けの目的で、本来この薬物を必要としていない人達に大量に売りさばいていたことだと思っていました。そしてその根底には我が国の医療崩壊にともなう裏の資金による医療経営や医師のモラルの低下があると考えていました。
この薬物は適切に使用すれば、とても有用で他の薬物に代えがたいユニークな薬理作用を持つ医薬品です。この点については10月のコラムでご説明しました。しかし、毎日新聞が発火点となった世論は、薬理学的な評価やリタリン乱売を許した医療崩壊の側面には焦点を当てず、「リタリン=悪い薬(毒)」という安直な図式にのって一気に走りだしたのです。
医療行政の不備を指摘されることを嫌がる政府と、1錠11円70銭という安いリタリンよりも、もっと薬価の高い新薬を売りたい製薬会社との利害が一致して、きちんとした検証もしないままに安直な流れに乗ってリタリン排除に乗りだしました。
その後の経過は皆様もご存知の通り、10月末に厚労省は製造・販売元であるノバルティスファーマ?からの申し出という形式をとって、リタリンの効能から「うつ病、うつ状態」を削除しました。リタリンは「ナルコレプシー*」という、かなり特殊な病気にしか適応できなくなってしまったのです。
さらに、厚労省はノバルティスファーマに対して「第三者機関を作り、慎重な協議をはかった上で2008年1月1日までにナルコレプシーの診断・治療に精通してリタリンを適切に処方できる医師、医療機関、薬局を限定し登録するように」との決定をしました。
製薬会社は急遽、会社内に「リタリン流通管理委員会」なるものを設置し、「1月1日以降もリタリンを使用したい者は手を上げなさい」と言ってきました。私のところにその通達が来たのは早12月中旬になった頃だったと思います。
しかし、政府がしばしばショックアブソーバーとして頻用する有識者会議なるものと同じく、第三者機関とやらも責任の所在を曖昧模糊とするための形式的な装置です。このリタリン流通管理委員会はノバルティスファーマの社内に設置されて、委員の名前はまったく明らかにされません。ましてやどういう基準で「ナルコレプシーの診断・治療に精通してリタリンを適切に処方できる医師、医療機関、薬局」を選別するのかも詳細は不明なままでした。
私のようにインターネットを通じてリタリン有用論を展開する医師などまっ先に除外されるかなとも思いましたが、自分の学識経験に対する信念と、この薬物を本当に必要としている患者さんたちのために申し込みをしました。
この申込書にはナルコレプシーの診療実績のほかに、学会の認定医あるいは専門医の記入欄がありました。その学会とは日本精神神経学会、日本臨床精神神経薬理学会、日本睡眠学会、日本神経学会です。
また、登録申請に対する拒絶および登録取り消し基準という箇所には「その他、リタリンの適正使用の観点から登録を認めることが相当でない自由がある場合」という玉虫色の条項があり、確たる証拠はなくとも怪しげな振る舞いが噂される者を排除できる仕組みになっていました。
こういう条項は法の目をかいくぐろうとする不心得者を駆除するには都合のよい規約です。しかし、資格審査、管理という絶大な権限を振うことのできる第三者委員会の顔が見えないのはいかがなものでしょうか。委員の構成などの実態は明らかにすべきでしょう。そうでないと、第三者委員会という隠れ蓑を使って、一製薬会社であるノバルティスファーマ社が、独断で医師の品定めを行っているようにとられます。
実際、今回の登録医選定のありかたに腹を立てた一部の医師は、ノバルティスファーマの不買運動を呼びかけています。「医師の選別をしていただくような偉い会社の製品は畏れ多くて使えない。この際ノバルティスファーマの製品はなるべくジェネリックに切り替えれば、会社にお手間をかけないし、医療費の削減にもなる。一石二鳥です。」という慇懃な言い回しのふれ状が出ています。
私はこういう陰険な意趣返しは好きではありません。これはこれ、良い薬は良い薬としてこれからも使い続けるべきだと思います。しかし、ノバルティスファーマ社も第三者委員会の委員構成などを明らかにして、透明性のある維持管理をしていただきたいものです。

さてその後の経過ですが、しばらくしてリタリン委員会からインターネットを通じてリタリンの薬理学的な知見と依存性への注意、ナルコレプシーの診断と治療に関する講習と試験がありました。しかしその後いくら待っても合否通知が届かない。私のところでリタリンの処方を受けている患者さんたちも、年明けから新しい医療機関を探さなければならないか否かの瀬戸際であるために、度々電話の問い合わせがありましたが、合格通知が郵送されてきたのは私のクリニックが御用納めした後、12月29日の午後でした。
その前日の新聞において、全国で3,600名の医師が申し込みをして、委員会が不適切と判断した400名を除いた3,200名の医師が「リタリンを適切に処方できる医師」として登録されたとの報道がありました。その後はリタリンに関する公式の報道はなくなりました。
処方箋を捏造してリタリンを入手しようとした者が逮捕されるという犯罪が、個別の事件として1,2件報道されただけです。世間の関心も他のテーマに移って、この問題はほぼ一件落着したかのように見えます。
しかし、実態はそうではありません。リタリン流通管理委員会ならびに厚労省は3,200名の「リタリンを処方できる医師」のリストを公表しません。取り扱える薬局のリストも公表しないために、一部の患者さんたちはどこへ行けばよいのか分からずに途方にくれているのです。
取り扱う医師や医療機関、薬局を公表した場合には、本来リタリンを必要としない中毒者たちまでもがその医療機関に殺到して大混乱になる恐れがあります。そういう混乱を避けるために必要な処置と言えます。
従来から正しい診断の基にリタリンを処方されていた患者さんたちは、理論的には、それまでかかっていた医療機関で今まで通りに診療を受ければよいわけで、新しい主治医を探して放浪するはずはないのです。
ところが現実にはナルコレプシーという確定診断を受けている患者さんたちまでもが主治医探しでさまよっているのです。もともと適応疾患とはされていなかったけれど、おそらく自費診療でリタリンを処方されていたと思われる、ADHD(注意欠陥多動性障害)の患者さんたちはもっと悲劇です。
なぜこのような事態になったのでしょうか。リタリン流通委員会がリストを公表しないことだけが原因ではありません。今後ともリタリンを処方したいと手を上げた医師が3,600名と少なすぎるのです。
流通委員会の基準に上がった4つの学会の認定医あるいは専門医を合わせると少なくともこの倍以上の医師が有資格者であると思われます。それなのに半数以上の医師が「もうリタリンとはかかわりたくない」と撤収したと考えられます。
事実、最近私のクリニックにたどり着いた患者さんは、これまで近隣の区にあるメンタルクリニックでリタリンを処方されていました。年明けに受診したところ、「もうリタリンは出せないから」の一言で追い返されたとのことでした。こういう患者さん予想以上にいるようです。
その方は臨床症状を聴いただけでは、とてもナルコレプシーあるいはADHDとは診断できない方でした。よく説明をしてこれまでとはまったく異なる治療薬を処方しました。また、念のために脳波検査や血液検査を受けるように大学病院への紹介状を渡しました。
その方がこれまでかかっていたクリニックはこの地域では結構名の通ったメンタルクリニックです。そのクリニックが本当にリタリン登録を希望しなかったのか、本当はリタリンの処方はできるけれど患者さんを厳選して処方を断ったのかは分かりません。しかしどちらにしても医師として無責任な話です。
もし前者であるとすればその医師は卑怯者です。当局ににらまれる恐れのあるやっかいな薬は扱いたくないという保身のために、病気に苦しんでいる人を救うという、医師本来の役目を放棄したからです。
後者であるとすれば、厚労省をはじめ世間が危惧していた通りに、これまではいい加減な診断で無軌道にリタリンを処方していたということになります。これも医師としてあるまじき行為です。
もし、それぞれの医師が正しい見識に基いて、信念をもって診療をしているのならば、何らかの規制がかかったとしてもその後の行動がぶれるはずはないのです。それまで通りの診療を淡々と継続していくはずです。していかなければおかしいのです。
当初私はこのリタリン問題をごく一部の医師の個人的な悪行と考えていました。しかし、実際には私の予想以上にリタリンの不適切な投薬が横行していたようです。
私はこれまでのコラムを通じて、医療を腐敗させていく元凶として国策の誤りや福祉を食い物にする悪徳資本を目の敵にして糾弾してきました。しかし、自分の専門領域で起きたリタリン騒動を通して、私たち医師も常に自戒していないと、いつの間にか魂を失ってしまう危険性が高いことを思い知らされました。

規制が増えて医師の裁量権が損なわれていくことは大変不本意なことです。そうならないためには、私たち医師が厳しく自らを律し、医師としての誇りを失わず、凛とした姿勢で日々の診療に当たらなければならないでしょう。
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*ナルコレプシー(Narcolepsy):日中において場所や状況を選ばず起きる強い眠気の発作を主な症状とする特殊な睡眠障害。特徴的な症状として1.睡眠発作;日中突然耐え難い眠気に襲われる、2.情動脱力発作(カタプレキシー);笑い、喜び、あるいは自尊心がくすぐられるなど感情が昂ぶった際、突然に抗重力筋が脱力するという発作、3.入眠時幻覚;日中の睡眠発作や夜間の睡眠の寝入りばなに非常に強い現実感のある幻覚を体験する、4.睡眠麻痺;いわゆる金縛りで、開眼して意識はあるのに随意筋を動かすことができない状態、5.自動症;眠った感覚がないにもかかわらず、直前に行った行為の記憶がない状態。逆に言えば無意識に寝てしまい、寝ながら行為を続けている状態。 病因としては視床下部から分泌される神経伝達物質オレキシンの欠乏と言われている。検査としては日中や夜間の睡眠ポリグラフ検査、血液検査、睡眠潜時反復検査(MSLT)など。日本人では600名に一人の有病率と言われているので全国で12万名くらいの患者さんがいると思われる。

後期高齢者医療制度

この4月から施行される後期高齢者福祉制度とはどんな制度なのか。これに答えられる方は少ないと思います。実際に運用細則は未だ定まっていませんから、正確に答えられる方がいるはずがないのです。
医療に携わる私たち医師でさえ、詳細が分かっていないのです。75歳以上の後期高齢者の方々は、自分達を待ち受けている数ヵ月後の医療環境がどのようなものなのかを理解していない方がほとんどです。名前さえ知らない方も少なくありません。
論理的な思考が困難な認知症の方も少なくない世代の人達です。政府は十分な説明もないままに、またもや嘘で塗り固めた大義名分と美辞麗句を並べ立てる常套手段で、この老人達を有無を言わせずに行き先不明の船に乗せるのです。国が作り上げたこの老人専用船について、分かっている範囲で説明してみたいと思います。

この新制度は平成18年6月21日に公布された「健康保険法等の一部を改正する法律」に基く新しい医療保険制度です。国が表向きに唱える立法趣旨は、「高齢者の医療費を安定的に支えるため、現役世代と高齢者の方々が負担能力に応じて公平に負担することが必要であること」です。
これだけを聞けば、なんとなく「ごもっとも」と思ってしまいます。しかし、国が「安定」、「適正」、「公平」という言葉を使う時には間違いなく国家にとって「安定」、「適正」、「公平」であっても、主権者たる国民にとっては「不安定」、「不適正」、「不公平」であることが通例です。

それでは、この保険制度の概要を列記してみます。客観的な資料として書くので、厚労省の説明とほとんど変わりがなく、なんのことだかさっぱり分からないと思います。行政用語にうんざりする方は途中を読み飛ばして後半からお読みください。
運営:各市町村の地方自治体が運営者で窓口業務(申請受付、保険証の引渡しなど)、保険料の徴収事務を行います。被保険者の資格管理、保険料の賦課、給付、財政運営などの事務は都道府県単位に設置される後期高齢者医療広域連合が行います。
対象者(被保険者):75歳以上の方(75歳の誕生日から)と65歳以上75歳未満で一定程度の障害の状態にあると広域連合の認定を受けた方(認定を受けた日から)です。それまで加入していた国民健康保険や被用者保険(被扶養者含む)からは強制的に脱退させられ、後期高齢者医療制度に加入させられることになります。
財源:患者の自己負担を除き、公費(5割)、現役世代からの支援(約4割)、被保険者の保険料(1割)を財源として運営します。5割を受け持つ公費の負担比率は国:都道府県:市町村=4:1:1です。
患者の窓口負担:現行の老人医療と同様に原則1割負担で現役並み所得者は3割負担となります。
保険料:保険料は次の計算式によって決められますが、種々の特例があって実態は複雑で難解です。。
1人当たり保険料額=被保険者均等割額+1人当たり所得割額
医療の給付:現行の老人保健や国民健康保険で給付されるものと同等。ただし、4月からは高額介護合算療養費という科目が新設されます。
この辺までは政府がまだ歯切れよく公表しているのですが、以下のことについては次第に声が小さくなっていきます。
前期高齢者(65歳〜74歳)医療の適正化:現行の退職者医療制度の廃止を廃止する。70歳から74歳の高齢者については本年度からは原則2割の窓口自己負担となります。さらに漸次新医療制度の枠組みに組み入れるための新制度を作る予定です。
さらに、次の項目については地方自治体や医療保険の負担を担う企業向けには強くアピールしますが、新制度の対象となっている高齢者にはほとんど説明されない点です。
保険料率の改定:当初保険料の1割とされている高齢者本人の負担は2年ごとに見直して、漸次引き揚げていく。一方、現役世代からの負担は出発時の4割を上限として漸次引き下げていく。
今後、急増する高齢者。一方、少子化で減少していく若者。膨れ上がる老人達の医療費にかかわる現役世代の負担を減らすことが目的です。

以上、4月からスタートする新医療制度についてのあらましを書いてみました。忍耐強くここまでお付き合いくださった方に、先ほどの資料をどう解釈すればよいか、具体的にお示しします。途中離脱組もここから再集合です。

まず保険料ですが、介護保険で先鞭をつけた過酷な取立て方式が採用されて、年額18万円以上の年金を受け取っている老人(ほとんどすべての老人)は年金から天引きされます。年額153万円までしか受け取っていない老人からも年11,200円の保険料を徴収します。さらに、所得に応じて保険料は高くなります。国の試算では全国平均で1人当たり74,000円/年(約6,000円/月)の保険料となっています。
同じく全国平均で4,090円/月の介護保険料と併せて、平均値として毎月1万円以上(12万円以上/年)の金額がなけなしの年金から天引きされるのです。平均よりも年金支給額の多い人や年金以外の収入のある方はさらに高額の負担を強いられます。現役並みの収入のある方は医療保険だけで70万円弱、介護保険料の10万円と併せると年に80万円も徴収されます。
高い保険料を支払う方はそれに見合った収入があるのですからやむをえないかもしれませんが、年に100万円に満たない年金しか受け取っていない老人から1万円以上の保険料を徴収するのは過酷としか言いようがありません。
受けとる年金のほうは長年のずさんかつ悪質な管理運営で、自分達が精査し直さないと満額支給されない可能性が少なくないにもかかわらず、徴収する保険料は有無を言わせぬ「天引き」です。
しかもこの保険料は2年ごとに増額していくのです。平成27年には1.4倍になる予定です。すでに介護保険料は年々増額されています。団塊の世代が全員高齢者となる時点では国にむしりとられる医療・介護保険料は老後の生活を深刻に窮する額に達していると考えられます。
これまでの医療制度では75歳以上の高齢者は障害者や被爆者などと同じく、「保険料を滞納しても、保険証を取り上げてはならない」とされてきましたが、新医療制度では、滞納者は保険証を取り上げられることになりました。不測の事態で保険料を納付できなくなると、生命に直結した医療そのものを受けることが困難になるのです。「死ね」ということです。
さらに、この保険料は医療や介護を受けなくても徴収されるお金です。実際に医療や介護を受ける時には残りの年金や蓄財から1割〜3割の自己負担分を支払わなくてはいけません。私は過去の厚労省のやり口から想像して、窓口で支払う自己負担分はやがて原則3割に変更されると確信しています。

もっとも根本的な問題であるにもかかわらず、あまり取り上げられていないことはなぜ別立ての新しい医療保険という枠組みにしなければいけないのかということです。国は現役世代の負担を増やさないためと言っていますが、現役世代の負担を増やさなくても、現行の枠組みの中で国の負担を増やせばよいだけのことです。
国税からの負担を増やすといっても、必要もない道路や箱物を作ったり、1,2年ごとに高額の給与と退職金を自分達が得るために考えだした「天下りのシステム」のための無駄使いを少しだけ節約すれば、あっという間に捻出できる金額です。
自分達の利権を減らすことは絶対にしない。まずこれが大原則です。その上で、帳尻の合わない高齢者の医療費増加にどのように対応するかと考えた挙句のたてまえが「世代間の不公平を無くす」です。
高齢者vs若者という敵対関係図を描いて見せて、問題の本質から目をそらそうという常套手段です。昨今急増している、親の子殺し、子の親殺しは国の基本政策に則った、起こり得るべくして起こっている現象かもしれませんね。
別立ての医療保険にすることには隠された2つの狙いがあります。その1つは新たな制度に対応して後期高齢者医療広域連合という新たな組織を作ることです。悪評高い社会保険関連組織や国民健康保険関連組織に加えて、新たに厚労省役人達の天下り先、利権製造組織を作ろうというのです。
天下りの役人OBや道草役人達への無駄な俸給だけでなく、実務に当たる事務職員の人件費が新たに発生します。国全体の医療にかかわる事務費用(医療行為そのものとは無関係の無駄がねとも言える)は増加します。結局、国民全体が今までと同じ医療を受けるためにかかる費用は増えてしまうのです。
2つ目は給付される医療水準の低下です。本年4月施行時は今までと同じ医療を給付するといっていますが、「永久に」とは言っていません。実はこちらも2年ごとに見直すのです。つまり、やがては高齢者への医療行為に対する診療報酬(医療単価)は徐々に引き下げようと考えているのです。
高齢者と64歳までの人が同じ胃癌の手術をしたとしても、高齢者保険から医療機関に支払われる報酬は、64歳までの人が加入している社会保険や国民健康保険から支払われる額より安くなるのです。そこへもってきて、これまでもお話してきた医療・福祉へのアメリカ型市場経済優先主義。医療機関は同じ労力で安い報酬しか得られない高齢者の診療を避けるようになります。高齢者の方々がこれまでよりも劣悪な医療しか受けられなくなるのは目に見えています。
すでにアメリカ資本やオリックスの宮内で代表される拝金主義者達が営利的な医療保険市場を確立しました。高度医療の導入という名目で、医療行為を少しずつ保険診療から自費診療へと移していく混合診療も間もなく解禁されます。
アメリカから毎年要望されている病院の株式会社化もいずれは阻止できなくなるでしょう。
国民の誰もが等しく医療を受けることができるという、我が国が世界に誇ってきた国民皆保険制度は、4月の後期高齢者医療制度実施によって実質的に終焉を遂げると言えます。今後は医療・福祉も格差社会となるのです。金を持っているものだけは手厚い医療・介護を受けることができる。金の無くなった者はその時点で野垂れ死ぬしかないのです。

戦後の復興を担ってがむしゃらに働いてきた団塊の世代が高齢者となる今、彼らを乗せて走り出す後期高齢者医療制度。私には「シンドラーのリスト」初めナチスをテーマにした映画で目にする、働けなくなったユダヤ人を満載にした「アウシュビッツ行きの貨車」が髣髴されてしまいます。

医療崩壊に乗じて得するのは誰?

小院のこのコラムで、私がここ数ヶ月書いてきた主張のいくつかが、ようやくマスメディアでも取り上げられるようになってきました。私のコラムがマスメディアに影響を与えるはずはありませんから、私が日ごろ考えていることが決して独りよがりの戯言ではなく、実は同じような考えの方がたくさんいたことがはっきりしたと言えましょう。そして、そういう意見を取り上げなければごまかせないほどに、日本の医療が蝕まれてしまったからでしょう。
これまでは、私と同じような考えを持っていたとしても、その方々はあまり声高に主張することを避けてきました。また、主張したとしても、少数派の意見として大きく取り扱われることがありませんでした。取り上げるどころか、ちょっと口を開いたならば、徹底的に攻撃されて火だるまにされてきたのが現実です。
朝日新聞などは医師を叩きさえすれば発行部数が伸びると考えてか、実に偏向した報道で私たち医師いじめを繰り返してきたのです。医師や医療機関の1件の不祥事を医療界全体の腐った体質であるかのように大げさに報じたり、極端な統計データを操作して医師がいかにも計算高い生き物であるかのように報じてきたのです。
彼らが目指したことは、国民に「医師は医学の研鑽などしておらず、徳のカケラもなく、仁術などとはかけ離れた金儲けだけを考えている悪者」というイメージを抱かせることです。
つまり国民と医療者を敵対させることで、本来は誤った国策、無責任な行政によって崩壊の道を進んでいく医療制度の根深い問題点に対する責任を医師に押し付けようとする、政府の片棒を一生懸命担いできたのです。そしてこの目論見は見事に成功してきました。
この偏向した報道は、種々の思惑が絡んで我が国が1950年から行った、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業の際に同新聞社が担った役割と同じものです。同社がユートピアと賞賛した北朝鮮に、夢を膨らませて帰還した彼らの行く末はどうだったでしょう。
日本の医療に関しても彼らの浅薄な医師悪者論によって、肝心の諸悪から目を背かされてきた日本国民が今迎えようとしているのは、取り返しのつかない状態にまで疲弊しきった医療環境なのです。
テレビも同様です。テレビではこれまで、専門的な解説を任されたごく一部の医師を除けば、一般の医師や医療機関は医療事故などに関連して、視聴者に叩いてみせるかっこうの悪役でしかありませんでした。

ところがここ数年、無医村、医療過疎地の深刻な現状や産科や小児科の救急医療が破綻していることが問題視されるようになってきてから、少しずつメディアの論調に変化が見られるようになりました。もう医療者を悪者にするだけではごまかしきれない医療環境になってしまったからです。
「Dr.コトー診療所」などで代表される、医療現場を舞台にしたテレビドラマの功績も少なくないと思います。第一線の医療者たちがいかに身を削って臨床医療に従事しているかを知ってもらうためにとても役立ちました。これまでは医師の世界といえば、1960年代の名作、「白い巨塔」のイメージがあまりに強かったのですが、「Dr.コトー診療所」はこの固定化した偏見を変えるきっかけになったように思います。
五島健助も財前五郎もかなり両極端な人物ですが、どちらにもモデルとなる人物が実在するのも事実です。しかし、大多数の医師は五島健助ほどにはストイックに自己犠牲の精神に満ち溢れているわけではありませんが、財前五郎ほどに富と名声だけを追い求めているわけでもありません。
医師とて人間ですから、美味しいものを食べたり、うま酒を飲みたい。暖かいマイホームを持ちたいという、世俗的な欲望も持ってはいますが、根本的には、目の前にいる病気で苦しんでいる人をなんとかしてあげたいという素朴な気持ちで働いている人がほとんどだと思います。

1月7日の夕食時、何気なくテレビのチャンネルを12chにしました。そこには顔なじみの医療コメンテーターでもなく、「医者はこんな馬鹿なのにお金持ちです」という自虐的なキャラでお茶の間に苦笑いを誘う、私と同姓(大変迷惑)の女医とも違う、第一線で臨床に携わる医師達が並んでいました。
しかも、各政党から派遣されたテレビ政治家を前に、堂々と現在の医療制度の問題点と今現在政府が性懲りもなく画策している医療制度改悪に対してもの申しているではありませんか。
医師側に並んでいるのは、最近テレビで人気の高い「ゴッドハンド」と称される、各分野で名医といわれる医師たちでした。それぞれ現在の医療制度の問題点と近い将来に想定される危機について、実際に日常体験している医療現場の惨状を通して生々しく語っていました。
なかでも旭川赤十字病院の脳外科医師、上山博康医師の発言には「よくぞ言ってくれた」という思いで、一言一言にテレビの前でうなずいてしまいました。きちんとした客観的データをあげて論理的に分かりやすく説明をし、こうしたらどうだろうという建設的なビジョンも提示しており、相対して並んでいた現役政治家よりもよほど説得力がありました。
脳血管外科の腕はピカイチ。さらに絵画の才能にも長けている異能の士とは聞いていましたが、職人的な才能のほかにも大局的な判断にも優れていることが分かりました。近い将来是非とも政治家として活躍していただきたいものです。

さて、毎年のように行われる医療制度改訂、介護保険制度の制定、自立支援法の制定、後期高齢者医療制度の制定とそれにともなう特定健康診断、特定保健指導など、これまで政府がやってきたり、実施予定の悪法や法律の改悪は2つの大きな思想の流れに乗っています。
1.社会福祉にかかわる国の支出の削減
2.従来医師が独占してきた権限の異業種への分配
この二つです。1に関してはすでに小泉が「聖域なき歳出削減」と言ったことで、国が公然と国民に宣告済みです。しかし、この言い回しには重大な嘘があるのです。
「国家財政が緊迫している。このままでは将来の若者に甚大なるつけを残すことになる。だから、あらゆる分野で平等に我慢をしてこの危機を乗り越えよう。」というのが建前です。しかし実際には、一部の者に対してだけ過酷な犠牲を強いる不平等な施策を連発しています。「もはや役に立たなくなった老人や、足手まといになる障害者などの弱者は早く死んでいってくれ。そして残った強いものだけでこの国を立て直したい」というのが本音としか思えません。
こういった法律の設立趣旨や改訂趣旨の、綺麗ごととは裏腹のどす黒い企みは、情報統制に長けた小泉が退陣したことによって、先ほどのテレビ番組をはじめ、各種メディアでも少しずつ取り上げるようになってきています。遅きに失した感はありますが。ところが2についてはまだあまり大きな声で口にされていないので、ここでお話したいと思います。

医師という国家資格が業務独占資格であるということは11月のコラム「カウンセラーとは」で説明しました。医師法によって医療行為は医師資格を有する者だけしか携われないことになっています。社会福祉の一翼を担う医療機関もまた、医療法によって営利を目的とする他の組織とは区別されています。
生老病死は命ある物の定めです。この避けては通れない生物の営みに深く関係する医療活動は食糧やエネルギーと同様に、人間社会にとって必要不可欠な分野です。経済的な観点から考えれば、医療活動は安定した需要を保つ商売と言えます。
医療に関連した事業が美味しい商売になることに目をつけた異業種の人間達は、この医師法や医療法などの医事法の壁の向こう側にある美味しそうな果実をなんとか手に入れられないものかと長年挑戦してきました。そして、ついにこの高い壁に穴を開けて、医療に営利活動の参入を果たしたのです。それが2000年から施行された介護保険制度です。
高齢化社会を迎えて膨らむ医療費を削減るとともに新たな税収を求めていた政府と、バブル経済破綻後の低迷する経済状況の中で新たな営利事業を模索していた経済界とがタッグを組んでこの制度を生み出しました。
それまでは高齢者や障害者の介護は医療と公的または非営利社会福祉法人が担ってきました。ここに社会的入院を無くして、地域による介護という大義名分の下に、サービスの整備がきちんとされないままに、新たな社会福祉制度を導入しました。しかも本来非営利的な活動である弱者の介護を、営利事業に売りとばしてしまったのです。
新たな税源を渇望してはいるものの、「増税」とか「新税」とは口が裂けてもいえない政府は、「保険」という言葉を持ち出しました。しかし、実態は年金からも天引きするという、従来からある、どの税よりも過酷な取り立てをする「新しい税金」です。
一方では、この分野における医師の権限をできるかぎり排除し、長期に高齢者をあずかっていた病院を次々と取り潰して、医療費という名目での支出を減らしました。しかし、老人への福祉サービスにおいて医療は欠かすことはできません。医療抜きの介護はありえませんから、一人の老人にかかる医療と介護を合わせたトータルの支出は以前よりも大きくなってしまいました。
なぜならば、一人の老人に対してかかわる人手(実際に現場で高齢者にかかわる実務者以外の無駄な事務職を含めて)が倍増してしまい、しかも介護の分野では実働費にプラスして事業収入を捻出しようというわけですから。この介護保険制度が見かけ上は医療費は削減したかのように見せて、実は国民にそれまで以上の負担を強いる結果になることは施行前から予想されていたことです。
数年もたたないうちにこの制度の破綻が明らかになりました。いや、国からすれば計画通りだったのかもしれませんが、刻々と値上げされる保険料。これとは反対に提供されるサービスは低下。そしてこの貴重な血税の中から利益をかすめ盗ろうと血眼の、コムスンで代表されるハイエナ介護事業者による日常的な不正請求。
しかし、いったん走り出した列車はそう簡単には止められません。介護保険制度はこれから先長く、日本国民を苦しめ続けるでしょう。
ここで得をしたのは誰でしょうか。新たな働き口に希望を抱いて介護の現場で働く多くの介護職員は想像を絶するような過酷な労働条件で働かされています。真面目に福祉を実践しようと思う事業者では経営が成り立ちません。得をしたのは見せ掛けの医療費削減を果たした、政府、官僚と、新たな儲け口を確保した外食産業、自分では汗をかかず人を働かせて上前をピンはねする人材派遣業者(人身売買とも言える)に携わる一部の経営者です。

さて医療の本丸にも営利を追求する者たちの手は緩みません。また、アメリカからも「Sicko」の悲惨な医療環境を作り出した張本人の医療関連資本(病院経営や医慮保険)から日本の医療への参入の要求が年々強さを増しています。
無責任な小泉は内外からの圧力に応えて、医療保険には正式に門戸を開き、病院の株式会社化までも謀り、経済特区ですでに実践されています。幸いなことに、試運転を開始した株式会社の医療の評判が良くないようなので、本格的な株式会社化は少しだけ先送りになりそうです。
しかし、我が国の医療がアメリカ型の市場経済優先の経済活動の一環として株式会社化される日もそう遠くないかもしれません。もしそうなったならば、誰が得をして誰が損をするのでしょう。
金儲けをするために参入してくるのですから、巨大な禿げ鷹資本が得をすることは目に見えています。国民は高額な費用と引き換えに高度で手厚い医療を受けるか、医療を受けられずに死んでいくかどちらかのレールに分かれるのです。どちらの道を選んでも、今まで我が国が死守してきた国民皆保険制度よりも得をすることはなさそうです。なんとしてでも阻止しなければなりません。
巨大資本の正面攻撃はこれからの話ですが、裏ではいろいろな営利事業者が、金儲けの手段として医療の世界を蝕んでいるのです。現在もうすでに、表向きは医師が管理経営者として表面に立っているが、実際の経営は医療とはまったく無縁の資本という「隠れ株式会社病院」は相当あるのです。
昨年「医師派遣元の日本大学からの医師の確保ができなくなったから」という表向きの理由で閉院して、地域住民に多大な迷惑をかけた北区の東十条病院。この病院の実質的な経営者は都内で量販店を展開する?Olympicでした。病院経営が思ったほど儲からないので新臨床研修制度導入をいい口実に放りだしたというのが実情です。
この他、検診事業者を中心にさまざまな資本が表には出ないで経営している病院やクリニックが多数あります。あくまで影に隠れていますから、その実態は掴みきれませんが、○○○ヒルズなんてテナント料の高い場所ですばらしい設備を備えて開業しているクリニックの大半は、保健所に届け出た管理経営者の裏に実質的な経営者がいるのではないでしょうか。個人の医師の資本力ではとても開業できませんから。
そういうクリニックは高いテナント代を払ってもなおかつ利益を産み出さなければなりませんから、美容外科のような完全保険外自由診療や薬理学的には訳の分からない「元気の出る注射」やアンチエイジング商品を併売したりする混合診療をしています。
当然、医療を金儲けの舞台と考えるのは表の実業家だけではありません。暴力団の裏の資本もかなり医療に進出してきているようです。完全自由診療の美容外科への進出はかなり早い時期からですが、最近は私たちメンタルクリニックを含めてさまざまな診療科においても、実際には裏の世界が実質経営する医療機関の名前が医師達の間で公然とささやかれるようになってきました。

壊滅寸前の医療に群がる禿げ鷹、ハイエナを招いたのは、私たち医師の不徳、力不足も問われなければなりませんが、経済発展だけを至上目的として、国民の社会福祉を軽視してきた国の責任は重大だと思います。本来国民の僕である国家・政府は、これ以上主権者である国民を苦しめることのないように、おもいきって政策転換の舵を切っていただきたいものです。

現代都市で健康に生きるためには?

2008年、東京は天候に恵まれて爽やかな正月日和でした。皆様もそれぞれ穏やかな松の内を過ごされたことと思います。
私も元旦は初詣、お墓参りと、例年通りの門出となりましたが、2日目からは友人の引越しの手伝いをしました。
正月早々の引越しはあまり聞いたことがないでしょう。私も初めての体験でした。しかし、やってみて分かったこと。都内の引越しは正月に限るということです。
主要な道路は閑散として、初売りで賑わう百貨店の近くさえ避ければ、渋滞はゼロ。緑のおじさんも自宅でくつろいでいるので、駐車違反の心配もいらない。一方、必要な品物を調達しようと思えば、量販店やスーパーマーケットは営業をしている。引越しにこれ以上の好条件はありません。
さてここで改めて気付いたことは、いかに東京が故郷である人が少ないかということです。東京在住4代目の江戸っ子で家内も東京生まれの私は、正月だろうがお盆だろうが、帰る故郷は都内にしかありません。旅行をしないかぎり、東京の地べたにへばりついて生きていくだけです。

私の故郷、この東京の変貌の凄まじいこと。私は最近漫画やそれを原作にした映画で人気の高い「Always−三丁目の夕日」に登場する淳之介とほぼ同世代と思われます。
私の生まれ育った実家は、映画で舞台設定していると考えられる「鈴木オート」のある三田通り界隈よりももう少し南へ下った白金台町でした。
当時は高層ビルがありませんでしたから、我が家からも誇らしげに聳え立つ東京タワーを眺めることができました。冬晴れの日には2階から雪を頂く富士山も眺められました。品川駅の外側はまだ埋め立てられておらず、すぐ近くが東京湾。深夜になると船の霧笛の音が聞こえました。
実家の近くにはもう当時の面影はまったく残っていません。都電だけが頼りの山の手のひなびた住宅街だった白金台町は町名変更で二本榎辺りも加わって白金台になり、さらに三光町、今里町、猿町と呼ばれていた地域が白金に変名してややこしいことになりました。
私の通った小学校の同級生で今もその地に住む者はほとんどいません。大半は都下か他府県への移住を余儀なくされてしまいました。なぜならば、いつの間にか地価が高騰してしまい、親が亡くなった時に遺産相続税を払うことができなくなってしまったからです。
商売をしている人にとっては、その地が有名になって人が集まるということには利点があるかもしれません。また、地方から上京して一旗あげようという人から見れば、「そんないいとこに土地を持っていていいな」と羨むかもしれませんが、ただそこに住んでいるだけの者にとっては迷惑千万な話です。ただ、雨露しのいでそこに住んでいたいというだけの、ささやかな望みも叶えられなくなってしまいました。
既に他界した私の父の誕生日は1月3日です。12月31日に決定される土地の路線価格を見た直後に誕生日を迎えます。バブル経済の当時は毎年、「ああ、今年もまた生きてしまった。これじゃこの土地を子供達に相続させることができない」と嘆きの誕生日でした。
日本人全員が発狂したとしか思えないバブル経済は崩壊したものの、すでに仕舞屋は高層マンションに様変わり。大半の先住民は追い出されて、ブランド品に身を固めた「シロガネーゼ」が闊歩する町に変身してしまっていました。

町は生き物。その時代その時代に応じて様相を変えて、住む者も入れ代わることは致し方ないことなのでしょう。また、そうでなければ、社会全体の活性化がなされないのだと思います。
しかも東京は日本中の人々を惹き付けるだけの魅力を備えた町なのでしょう。確かに、社会的なインフラが整っていて学問をするのにも、経済活動をするのにも好都合な町です。知恵と金があれば東京で手に入れられないものはないかもしれません。町全体がコンビニみたいなものと言えるかもしれません。
国民全員が寄ってたかって便利なコンビニ都市、東京を作り上げてくれたのです。先住民は感謝しなければいけないのかもしれません。しかし、そこに産まれた時から住み、そこを故郷としている者の思いが反映されずに、一攫千金を夢見る人々の思惑だけで、たんなる草刈場としてデザインされてしまったようにも思います。正月の閑散として人気を感じないオフィス街やマンション群を見て、思わず「兵どもの夢の跡」を連想してしまったからです。

普段の東京は24時間休むことなく機能して、そこに生活する者達を昼夜の区別のない活動に駆り立てます。最近、健康度の指標として就寝時刻を尋ねると、平然と「そうっすね。大体2時くらいには寝ますね。」と答える若者が多いのにびっくりします。
私たち人類、ホモサピエンスが誕生しておよそ20万年と言われていますが、電気をふんだんに消費して深夜遅くまで動き回る都市型の生活をできるようになったのは、たかだかこの数十年です。それまでの20万年は昼行性の動物として地球の自転にあわせた生活をしてきました。
すなわち、つい最近までは、日の出とともに狩猟、農耕、漁労などを営んで、日没とともに危険から身を守り、休息をとるために身を寄せ合って、安全な場所で睡眠をとって生きてきたのです。
このために、私たちの身体のシステムは昼間動き回って、夜睡眠をとるライフパターンに適応して創られています。それなのに、東京に代表される都市型生活はその生理的なシステムを無視した活動を強いているのです。
脳はかなりいい加減な臓器ですから、この異常な活動パターンを当たりまえと錯覚してしまいます。実際には生物は数十年で進化できるものではありません。ホルモン系は頑固に昼間筋肉を使って動き回り、夜は眠る分泌パターンを崩しません。この結果、夜遅くまで活動する、しかもその活動の大半は筋肉を使用せずに脳、舌、指先だけを活動させている都市型の生活は私たちの心身を不健康にしているのです。
ところが、周囲の人が皆同じような生活をしているので、自分がいかに不健康な生活をしているかということに気付きません。こうして非生理的な生活を続けていることが、急増するメンタル系の不調やいわゆるメタボリックシンドロームの根底に横たわっていることは間違いありません。

さて私は友人の引越しのお陰で久しぶりに肉体労働をしました。このために普段使わない筋肉を活性化して、少し若返った気がします。毎日飲んだくれていた昨年の正月に比べてはるかに健康で有意義な正月でした。
これからまた当分の間東京は人の溢れかえる、引越しには不向きな、いつもの忙しい町に戻ります。私も頭、舌、指先だけを酷使する、きわめて不健康な生活に戻らなければなりません。しかし、せっかく自分が「洋服を着た猿」であることを再認識したので、これを機会に私の生活を身体本来の機能にあった生活に、少しでも近づけたいものです。
そうそう引越しはありそうもないので、生活の中に自分なりに楽しめる運動を組み込み、今日中、つまり遅くとも12時前に就床することを心がけようと思います。
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