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クリニック西川

2008年3月

いいのかなこんな医療制度改定

絶対に儲かる商売があります。人から金を借りておいて返さない。これほどぼろい話はありません。このやり方を徹底して社会問題となるのが、さまざまな利殖話を作りあげて人から金を集めてとんずらする、いわゆる詐欺商法です。うまく逃げおおせて莫大な富を手にする奴もいますが、たいていは司直の手にかかって塀の中で余生を過ごすことになります。

今回は医療行為に対する支払いの仕組みの「いろは」を説明します。日本の保険医療は国家統制経済に則っていますから、おかみ(厚生労働省)の一言でこの医療保険の点数が決められてしまいます。医療点数とは医療行為や医薬品の単価のことです。昭和36年に国民皆保険が達成された際に医療費を全国一律にするために設けられました。1点が10円です*1。点数なんて小難しい言い方をしていますが、この点数に10を掛けた金額がそれぞれの医療行為や医薬品の価格というわけです。
たとえばある人が微熱と排尿時の股の付け根の痛みが苦しいために院内処方をしている(薬をその場で渡す方式)某クリニックを受診したとしましょう。まず診察を受けます。尿の検査と血液検査をして「膀胱炎」であると診断を受けて、膀胱炎に対する治療薬を3種類処方してもらって帰ります。
この保健医療にかかわる対価をどのように計算するかというと、[診察料+尿検査料+血液検査料+血液検査の結果の判断料+処方料(適切な薬の種類と量と飲み方を判断する行為)+調剤料(処方された薬を正し飲み方にあわせて袋に詰めてお渡しする。粉薬の場合には必要な分量を計量して混ぜ合わせて1回分ずつ袋詰めにする。)+A薬1錠あるいは1グラムあたりの薬価(点数表示の単価)×錠数あるいはグラム数+B薬の1錠あるいは1グラムあたりの薬価(点数表示の単価)×錠数あるいはグラム数+C薬の1錠あるいは1グラムあたりの薬価(点数表示の単価)×錠数あるいはグラム数]×10円という計算になります。
膝も痛いのでついでにそちらも診察してくださいということになって膝の診察もしてシップ薬も出た場合にはどうなるかというと上記の計算に[外用薬調剤料(どういうわけか内用薬と外用薬の調剤料は別立てになっていてこちらは安い)+湿布薬一枚あたりの薬価×湿布薬の枚数]×10円が加えられることになります。二つの病気を診察したからといって診察料は増えません。ですから、なるべく安く病院にかかるためにはひとつの病気で受診するのではなく、たくさんの病気にかかるまで待って、満身創痍になってから受診したほうがよいということになります。
院外処方方式(自分のところでは薬を渡さずに処方箋だけを書いて薬局に行って薬をだしてもらうやり方)を採用しているクリニックでは処方料、調剤料、薬の代金は発生しません。処方箋料をいただくだけですから少し簡単です。
「処方箋料」は院内方式の際の「処方料」より高く設定されています。また、薬局での調剤料は病院で行う調剤料よりも高く設定されていますから、院外処方箋方式の医療を受けるとトータルに発生する金額は院内処方方式に比べて高いものになります。
あまり細かいことはどうでもよいと思われるでしょうが、実に複雑怪奇な計算方式であることだけはご理解ください。
ほかにすることがなく、1年中こんな数字のことばかり考えている厚労省の役人にとってはたやすい作業なのでしょうが、患者さんの病気を診察して治療することが本分である私たちにとっては、1回の診療を行うたびにこんな計算に付き合わされるだけで辟易です。さらに彼らはいとも簡単にその計算方式や単価を毎年変えてくるのです。毎年、私たち医療者は年度末、年度初めの数週間はこの保険改訂に振りまわされて大混乱です。しかもこの改定、ここ十年ほどは毎年のように切り下げの連続です。
つまりこの10年前後、私たち医療者は同じ仕事をしていてもそれに対する対価をおかみからの命令で毎年一方的に下げられてきたのです。今や診療科によってはいわゆるワーキングプアーの状態です。働けど働けどそれに見合う収入を得られない。この結果、数多くの中小病院が倒産したり診療所が閉院している実態は既にお話したとおりです。

さて、保険点数に10円を掛けた医療費全体の内の3割*2は医療機関の窓口で患者さん自身が診療行為を受けた当日に支払います。残りの7割が2ヵ月後にまとめて健康保険の取りまとめ団体から私たちの銀行口座に振り込まれるのです。
会社に勤めていて、給料から健康保険料を天引きされている方々が加入している健康保険は社会保険といって、悪評高い社会保険庁(厚労省の主要な天下り先)が管轄しています。ここからの入金はこの下部組織である「社会保険診療報酬支払基金」というところから2ヵ月後のほぼ23日前後に振り込まれます。個人経営や特に仕事をしていない人が加入している国民健康保険は「国民健康保険団体連合会」という組織(ここも社会保険支払い基金と同じような天下り機関)が管轄していて、ここからの入金は2ヵ月後の25日前後です。
けちなことを言うようですが、2ヶ月も後払いなのに一銭の金利もいただけません。それどころか、「あーだこーだ」といちゃもんをつけては支払額を削ってきます。
自分の金ではなく人から金を預かっているだけなのに、大金を支払う立場になるとなんだか偉くなったように錯覚するのは凡人の性のようです。ほかの省庁と同じく社会保険診療報酬支払基金や国民健康保険団体連合会の連中の高飛車で偉そうなこと。現場で汗して診療しているのは私たちなのに、臨床の実際を知りもしないのにただ机上の空論で、「この病気にはこの薬は何錠までしか使えない」とか「この病名ではこの検査はしてはいけない」とか言って、実際に行った診療行為や医薬品の代金をできるだけ払おうとしないのです。
さらには、各健康保険組合や市町村は高い給料を払って、医療費を削る(いちゃもんをつける)専属の係員まで雇っています。そういった係員は月いくら削れというノルマがあって、それを達成すると報奨金が出るという噂もあります。ひどい話です。
一番ひどい話は院外処方箋で処方した薬を彼らが不適切と判定した場合です。処方箋料を不払いにするだけならば納得がいきますが、実際には薬局が受け渡しして薬局が受けとった薬の代金までも、処方した医師からさっぴいていくのです。680円(処方箋料)に関する処方の不備を口実に何千円、時には万円にもおよぶ薬の代金(医療機関はまったく受けとっていない)までも召し上げるのです。これはもはや「不適切な代価を支払わない」という支払代行機関として許される権限を超えた、法人職員による恣意的で一方的な処罰です。こんな理不尽が日常的に行われているのです。

さて、この4月にも恒例の医療保険点数の改定があります。崩壊が一番深刻で社会問題となっている産科や小児科医療については若干の増点がなされるようですが、他の診療科では例年のごとく保険点数の切り下げが行われます。ただ例年の改定と異なって今年の改定は点数をチョコチョコッといじくるだけではなく、かなり大きな変更点が数多くあります。
その全部をお話するには紙面が足りませんし、直接皆様方には関係の薄いこともありますので、私が現在気付いた(後になって気が付く悪巧みも隠されていると思われます。)幾つかの項目だけを列挙してみます。
1.後期高齢者保険制度の新設:この制度が今後大量に高齢者になるであろう団塊の世代をターゲットにした医療の姥捨て山政策であることについては既にコラムで説明しました。
2.外来管理加算の適正化:もともと訳の分からない品目をさらに自分たち(行政)に都合よく取り繕うおうとしているだけの不適切な施策。
3.届け出制度の大量新設:何かの医療行為をやろうとすると全て申請書類を届け出なければならなくなりました。申請書類の山となります。
4.一部の眼科医の露骨な取り潰し施策:コンタクトレンズ販売店と隣接した眼科、いわゆるコンタクト眼科を取り潰すための異常な診療報酬削減です。
5.勤務医の待遇改善:勤務医の所属する病院に対して加点をしました。しかし、雀の涙ほどの加点であって、とてもこれで病院崩壊が食い止められるとは思えません。
6.小児科と産科医療を守るための施策:これも、これまで行ってきた誤った医療政策に対する社会の糾弾の矛先をかわそうという姑息的な施策ですが、小児科医療、産科医療の崩壊の真の元凶は別な点にあるので、こんなわずかな撒き餌で現在の壊滅的な状況が改善されるとは到底思えません。
7.特定健康診査の発足:一律に腹囲が男性85cm、女性90cm以上をメタボリックシンドロームと決め付けて、無理矢理医療ではなく指導を強制するという、医学的根拠も薄弱であり、効果のほどもほとんど期待できない代表的な噴飯物の施策です。総医療費削減の数値目標達成のための机上理論の産物です。

このように、今年もまた問題山積みの改定でしたが、中にはよい変更もありました。私にもっとも関係が深い「精神療法」についての変更です。「時間売り」になったことは以前のコラムでお話しました。これは馬鹿馬鹿しいとしか言えない改悪で、今まで通りのやり方では100円の値下げになってしまいました。
しかし今までは「通院精神療法」と称して外来通院した患者さんに対してしか請求できなかったものを「外来・在宅精神療法」と名称変更して、往診した際にも請求できるようになりました。
私は往診で診療した患者さんに対してこの「外来精神療法」を請求して、何度となく却下されてきました。通常、往診しなければならないような患者さんは外来に通院できる方に比べて重症であり、精神療法もそれだけ困難で時間もかかります。それなのに、社保も国保も「通院でないから算定できません」との杓子定規な回答。
厚労省に直接直談判しても、担当官は「往診料はかなり高く設定してありますから、それでいいんじゃないですか」との珍回答。あんぐりと開いた口が塞がらなかったことを今でも鮮明に思い出します。
実際の診療現場をまったく理解しておらず(というよりもむしろ理解しようとしていない)、机の上でお金の計算だけしている官僚の発想これに極まれりです。
「お金が高いからいい」、「お金が安いから悪い」ではなく、「実際に行った行為に対して正当な評価をするべきである」という私の考え方をまったく理解できなかったようです。公務員試験という難関を突破した方ですから、試験の点をとる能力には長けているのでしょうが、基本的なものの見かたが分かっていないのです。
今回の改定でやっとこの馬鹿げた状態から脱することができました。しかし、ありがたいというよりは、よくもこれまでこんな理屈に合わない規則がまかり通っていたと、あらためてはらわたが煮えくり返る思いであるというのが本音です。

上に挙げた各項目について詳しい解説をするためには各項目ごとに1編のコラムを書かなければ正確なことを伝えることができません。したがって、今後機会があるごとにひとつずつ説明をしていきたいと思います。
最後に一言ふれておきたいことは3.の届け出制度の乱発です。75歳以上の後期高齢者の診療にかかわる特定の項目を請求するためにはそのための申請書類。夜間や休日の時間帯の診療加算を算定できる医療機関として認定してもらうためにはそのための申請書類と複数の添付書類等々、ざっと眺めただけでも数十の届け出制度が出来上がりました。
4月14日までに申請書類を提出して受理されなければ、そういう診療を行うことができません。一定以上の医療水準を確保していい加減な拝金主義の医療ヤクザを排除するために必要な処置なのかもしれません。
しかし、たかだか紙切れ一枚のこと、医療ヤクザにぬかりはありません。立派な書類だけはそろえてパスするに決まっています。むしろ苦しむのはまっとうな医療に明け暮れている真面目な医師達です。 3月の医療費の請求業務で大変な時期に、役人しか理解できないような行政用語と格闘して訳の分からない書類を揃えなければなりません。
私が一番懸念するのは、私たちが苦労して書き上げた書類の山を社会保険庁の人たちは月末までに果たして精読して審査できるのかということです。出させるだけ出させて、机の上に山積みにしておくなんてことがよくあるという不愉快な噂話を耳にします。
そうでなくても、「消えた年金」、「失われた年金」の再調査が遅れている社会保険庁です。そんな最中に私たちの申請書類の山をチェックする余裕などあるのでしょうか。
おそらく、年金のほうは後回しにしても、申請書類のほうのチェックを怠ることはないのでしょう。何しろ社会保険庁・厚労省の基本方針は「集金は怠りなく、支払いはできる限りせず」ですから。
この体質は介護保険や後期高齢者保険制度、そして年金問題で明確に示されています。集金業務である保険料は給料や年金から強制的に天引き。お預かりしていたお金の支払い業務である年金に関しては、受けとる権利がある国民に立証責任を押し付けて、証明できないものは払わない。医療保険についても同じことが言えます。国民から決して安いとは言えない保険料を預かっているにもかかわらず、いくら医師や患者が必要だといっても医療費はなるべく払わないのです。

文頭に書いた詐欺商法の大原則を忠実に守っています。大儲けできるはずですが、それでも赤字だというのは本来の使用目的以外に少なからぬ費用が使われているのではないでしょうか。
ともかく、大手を振って詐欺商法を行っているにもかかわらず、関係者が投獄されないのはなぜでしょう。それは当事者が国家そのものだからです。個人が犯した罪は厳しく問われるのに国家が犯す罪は許される。いつの時代にもある構図ですが、そういった由々しき事態を防止するために存在するのが近代憲法です。
国は憲法25条で国民に確約した事柄を真摯に守らなければなりません。私たちも常に注意深く、監視の目をそらしてはいけません。
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*1保険点数:全国一律に1点10円とされているが、実際には健康保険発足当時は地域間での物価の差異を考慮して東京、大阪などの大都市では1点11円であった。すぐに全国一律10円に改定された。日本全国どこでも同じ価格で同じ医療が受けられるという国民皆保険制度の精神からは一律料金が望ましいが、土地の価格や人件費などの経費を考えると医療機関にとっては平等とは言えない仕組みではある。
*2診療費の自己負担分:現在は社会保険も国民健康保険の方も、また本人や世帯主も家族も一律3割負担。老人保健だけは収入に応じて1割と3割の方がいる。以前は社会保険の本人は自己負担0であった。それが1割負担になり、間もなく3割負担になった。理由は医療保険の収支の赤字。実際に医療機関に支払われる金額は変わらないのに、窓口で支払う金額が多くなったために医療費が上昇した、病院の収入が増えたと勘違いしている人は少なくない。

成年後見制度

成年後見制度とは判断能力(事理弁識能力)が不十分な成年者を法的に保護する目的で、重大なものごとの決定に関して、本人の行為能力を制限するとともに、本人のために法律行為を行い、また本人の法律行為を助ける者を選任する制度です。2004年4月に従来の禁治産・準禁治産制度に代わって設けられました。
裁判所の審判による「法廷後見」と、本人がまだ判断能力が十分なうちに候補者と契約しておく「任意後見」との二つがあります。任意後見に関しては本人の意思によって行われる契約ですから、純粋に法的な問題であって、医師の出番はありません。
一方、旧民法における禁治産、準禁治産に相当する法廷後見制度は裁判所における審判を必要とする制度です。ですから本人の事理弁識能力の程度がどの程度であり、またその状態が将来において回復可能なものなのかどうかについて、医学的な判断を求められます。つまり、医師の鑑定書が必要になるのです。
後見が認められれば、本人の基本的な人権の一部を制限する結果となりますから、その鑑定書の使命は重大です。現在この制度が対象としている主な疾患は老年期の認知症の方ですので、裁判所は医師であれば科を問わずと言っていますが、耳鼻科や眼科の先生には書けないのではないでしょうか。
やはり日常的に脳とのかかわりが深い科(精神科、神経科、神経内科、脳外科)の医師でないと厳密な鑑定書を書くことはできないと思います。一般内科の医師では痴呆の有無を見分けることもできないケースも多々あります。ましてや、その障害の程度や予後について判定することは困難です。
さらに精神遅滞や統合失調症のケースになると、精神科以外の医師ではお手上げではないでしょうか。

この制度の目指すところは精神障害によって自身の身の安全や財産の適切な管理・処分を後見人や保佐人によって支えていこうというものです。つまり、周囲の勝手な思惑で住んでいるところを追い出されたり、本人の財産を処分されたりすることを防ごうということです。
事実、認知症のお年寄りを狙った「次々詐欺」の報道が絶えませんし、財産相続の思惑による子孫間の骨肉の争いに翻弄されるお年寄りも少なくありません。こういったことを防止するためにこの制度がもっと活用されることが望まれます。
障害の程度によって後見、保佐、補助の3種があります。
もっとも重い障害者に対して対応しているのが「後見」です。精神上の障害により判断能力を欠く常況にある者を対象とするとなっていて、従来の禁治産がこれに相当すると考えられます。
後見が決定しますと、成年後見人は成年被後見人について広範な代理権と取消権、財産管理権(民法859条)、療養看護義務(民法858条)をもちます。ただし、日常生活に関する行為については取り消すことが出来ません。また、遺言や婚姻などの身分行為や、治療行為などの事実行為に関する同意など、本人だけで決めるべき(一身専属的)事項についても、同意や取消はできないと考えられています。
保佐は障害の程度が後見までには至っていない方を対象としています。精神上の障害により判断能力が著しく不十分な者とされています。保佐人民法13条1項に定める重要な財産行為について同意見および取消権、追認権を持ち、さらに、当事者が申し立てた特定の法律行為についての代理権を有します。ただし、代理権の付与は、本人の申立てまたは同意に基づく別個の審判が必要となっています。
さらに精神障害の程度が軽い場合には補助人の選定を行います。事理弁識能力の低下が軽いわけですから、自己決定の尊重の観点から、本人の申立て又は同意の審判が同時並行して行われます。
被補助人は民法13条1項 に列挙されている行為の一部の法律行為について補助人の同意を要します(民法17条)。補助開始の審判には必ず併せて17条第1項の同意権付与の審判あるいは民法876条の9の代理権付与の審判の一方又は双方の審判がなされます(15条3項)。つまり、補助の場合には本人の希望によって特定の法律行為を限定して補助人に委託するというわけです。

後見なり保佐が選任されていれば、後見人・保佐人の署名のない契約は成立しませんから、お年寄りを次々詐欺から守れますし、勝手に老人ホームなどへ追いやられることもありませんし、遺産の相続も適正に行われるはずです。
ところがどんな制度も悪用されるものです。身寄りのない認知症の老人をいいくるめてまったく血筋のない人が後見人になってその人の家や財産を搾取しようとするケースも出てきました。暴力団関係者、悪徳弁護士、心ない医師がかかわっています。
子供たちの財産分配争いのために利用されるケースも急増しています。自分だけが親の資産を手に入れたいと考える子が本人の意思を確認せず、さらに他の兄弟の了解を得ずに後見人になろうとかかる例も少なくありません。
こういった場合では審判申立をしている子供の話を聴くだけでは誤った検定書を書いてしまう危険性が大です。本人の診察をしっかりと行うだけではなく、複数の人々の意見を聴いて厳正中立な鑑定書を書かなければなりません。鑑定に際しては、鑑定人は「虚偽のことを書かずに、真実のみを書く」という宣誓書を提出させられていますから、いい加減な鑑定書を書けば「偽証罪」で罰せられます。
安易に鑑定を引き受けると、悪事の一翼を担わされることになるとともに偽証罪を問われることになりますから注意しなければなりません。したがって、労多くて益少なく。まかり間違うと罪を問われる鑑定業務は一般的に引き受けたがる医師が多くありません。
私も当初は面倒くさいのであまり引き受けたくありませんでした。しかし、主治医の関係を長く続けている例の場合には断るわけにもいかないのでしぶしぶ引き受けました。しかし、この制度が一般に周知されるとともに要請件数が増えてきました。
普段、主治医として診ている方だけでなく単純に認知症のために自己保全ができないだけではない、難しいケースが飛び込みで入ってくるようになりました。断れば断ることは断ることはできなくはないのですが、そういうケースは単に認知症による記憶障害が問題になっているだけではない人が多いのです。
つまり、若い頃から別の精神障害にかかっていたと思われたり、元来の人格が相当に片寄っているために認知症の程度は軽度であっても、社会的には早期に保佐人を立てなければならない人です。よりややこしい鑑定を必要とするケースなのです。
私は精神科専門医であり、長年老年精神医療に取り組んできました。私が断れば、依頼者は途方にくれるであろうと考えると断りきれずに、これまでに相当な数の鑑定を引き受けてきました。
その結果、多くの方々を法的に救済することができました。本人のその後の安寧な余生と、親族の平和を確保するための法的な行為のお役に立てたと考えると、とてもやりがいのある仕事であると感じるようになりました。
私たち精神科医は専門科の特性から成年後見制度にかぎらず、法曹とのかかわりの深い科です。今後は、私たち精神科医は法律家との連携をもっと密にして、積極的に鑑定業務に取り組んでいかなければならないと思っております。

病気を診ずして病人を診よ ―高木兼寛伝―

私たち臨床医は専門家として学んできた学術知識、多くの患者さんの治療に携わってきたことによって得た医療技術、一人の人間として生きてきた人生経験を 駆使して毎日患者さんと向き合っています。したがって、同じ患者さんに対する対処の方法が医師によって異なってきます。医療機器に頼るところの少ない精神 科医療の場合には特に診療に医師の個性が強く現れます。
そのことが精神科医療に客観性を損なわせて、どこか胡散臭さい印象を与える元凶になって います。しかし、ベルトコンベアに乗せて大量生産をする製造業とは違って、生身の人間が生身の人間と向き合う医療では、精神科に限らず、完全な規格統一は 不可能です。その患者さん、その医師によって違いがでてくることは避けられません。
クリニック西川の医療は私の医療です。日常、診察室で患者さんに対して行うカウンセリングは森田療法ということになっています。ですから森田の考え方に沿って一定の原則に則ってはいますが、ほかの人の森田療法とは違います。私、西川嘉伸の森田療法なのです。
また、誰にでも同じ治療をするわけではありません。相手に応じてしゃべる言葉も治療の進め方も変わってきます。同じ病気の人に対してまったく異なったアプローチをすることも珍しいことではありません。
なぜそうなるのかというと、私が学んだ母校の建学精神に基いた教育指針に強く影響されているからだと思います。そこで私の母校、東京慈恵会医科大学の創立にさかのぼって話をしたいと思います。

東京慈恵会医科大学は高木兼寛(嘉永2年(1849)―大正9年(1920))によって明治14年(1881)5月1日に創立された成医会講習所に始まります。

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高木は薩摩藩士として現在の宮崎市に生まれました。
18 歳の時から薩摩藩の蘭方医、石神良策に師事して医学を学びました。
戊辰戦争には薩摩藩の軍医として従軍。
明治2年(1869)開成所洋学局で英語と西洋医 学を学びますが、明治3年(1870)に鹿児島医学校が創設されると学生として入学します。
しかし、当時の校長、英国人のウィリアム・ウィリスに認められ て、いきなり教授に任命されます。

明治5年(1872)に一等軍医副(中尉相当)として海軍に入り、すぐに大軍医(大尉相当) に昇進します。明治8年(1875)には軍医小監(少佐相当)になり、その時海軍病院学舎(後の海軍軍医学校)教官のアンダーソンに認められて英国ロンド ンのセント・トーマス病院医学校に留学させられます。
最優秀学生の受けるとともに、イギリスの外科医、内科医、産科医の資格と英国医学校の外科学教授の資格を取得して明治13年(1880)に帰国しました。
帰国後は東京海軍病院長の職に就き、明治15年(1882)には海軍医務局副長兼学舎長(軍医学校校長)と海軍医療の中枢を歩み、最終的に明治16年 (1883)海軍医務局長、明治18年(1885)には海軍軍医総監(少将相当官。海軍軍医の最高階級)の役職を歴任しました。
明治25年(1892)には軍医としては現役を引退しますが、その後も貴族院議員、大日本医師会会長、東京市教育会会長などを務めました。
高木が医学者として一躍名をはせたのはドイツ医学の代表格であった森林太郎(森鴎外)*1を中心とした陸軍軍医学校グループとの間にくりひろげられた「脚気論争」によってです。
森たちは脚気は細菌による感染症であると考えていました。しかし、高木は食事以外はまったく同じ内容の遠洋練習航海を比較対照実験することによって、大麦 を混ぜた麦飯食によって脚気を予防できることを証明しました。すなわち、脚気は感染症ではなく、栄養学的な疾患であることを証明した上に、その予防法をも 明らかにしたのです。
こういった功績によって高木は明治21年(1883)に医学博士として日本最初の博士号授与者に列せられました。また、この高木の脚気予防法は後の日露戦争(1904年〜1905)における大日本帝国の勝利の大きく寄与しました。
明治38年には高木は男爵を授けられて家族に列せられます。民衆は親愛と揶揄の両方の意味をこめて彼を「麦飯男爵」と呼んだそうです。高木の脚気予防法は 明治43年(1910)鈴木梅太郎によるオリザニン(ビタミンB1)の発見によってその証明がなされることになります。
高木はイギリス留学中に日本での医学校創設の夢を抱いていたようですが、帰国後急遽この計画を前倒しして明治14年(1881)1月に成医会という研究団体を創設し、5月には成医会養成所を設立しています。
この計画の前倒しの理由は、当時明治政府がドイツ医学採用の方針を採って、我が国の医学界の風潮を急速にドイツ的医風に変容させつつあったからです。特に当時唯一の医育機関であった東京帝国大学は、この医風で固められていました。
権威主義、研究至上主義が横行して病気をもつ人間を医学研究の対象ないしは研究材料とみる傾向が強かったのです。高木は、より健全で実学としての英国医学を日本の土壌に育成する必要があると考えたのです。
すなわち、「患者を研究材料とみる医風から、患者を病に悩む人間とみる医風へ」転換しようと考えて、成医会養成所の創立を急いだのです。
また、高木はイギリスでの医学研修時の経験から看護職専門家の養成に力を入れました。明治15年(1882)に高木は戸塚文海とともに有志共立東京病院なる慈善病院を発足します。
この病院の設立趣意には「貧乏であるために治療の時期を失したり、手を施されることなく、いたずらに苦しみにさらされている者を救うこと」にあるとしてい ます。「美服をまとい資力のあると認められた者はむしろ断られる」風さえあったと言われます。この慈善病院の設立趣旨はイギリスに留学中に受けた人道主義 や博愛主義の影響を強く受けていると考えられます。
同病院の資金は有志の拠金によるものであり、有志共立という名はそのためでした。病院総長と しては有栖川威仁親王を戴き、また海軍軍医団の強い支援がありました。海軍軍医団は英国に学んだ者が多く、その点軍医の多くをドイツに留学させ、東京大学 と密接な関係をもっていた陸軍とはすべての面で対抗意識が強く、常に一線を画していたようです。
有志共立東京病院は慈善病院のほかに成医会講習所や海軍軍医学校の実習病院の役割を担っていました。つまり医学教育の場としての役割ももっていたのです。
明治20年(1887)、同病院は皇后陛下を総裁に迎え、その名も東京慈恵医院と改め、経費は主に皇室資金によることになった。成医会講習所も成医学校に、次いで東京慈恵医院医学校に改称され、同病院構内(芝区愛宕町二丁目、現港区西新橋三丁目)に移転しました。
また、英国留学時代、セント・トーマス病院に付設されていたナイチンゲール看護学校を見てきた高木は、日本の看護専門職の教育にも力を注ぎました。
彼は明治17年(1884)10月、米国宣教師のリード女史を招き看護婦教育を開始します。これが日本での近代看護教育のはじまりです。第一回生はわずか 5名ではありましたが、総裁皇后の臨席をえて卒業式が行われた。現在の慈恵看護専門学校、慈恵医大看護学部の原点であります。
明治40年 (1907)、有栖川宮威仁親王妃慰子殿下を総裁とする社団法人東京慈恵会が設立され、東京慈恵医院の経済的支援をすることになりました。東京慈恵医院は 東京慈恵会医院と改称され、またすでに医学専門学校に昇格していた東京慈恵医院医学専門学校は東京慈恵会医院医学専門学校と改められました。
大正10年(1921)、大学令の公布を機会に東京慈恵会医院医学専門学校は東京慈恵会医科大学に昇格し、その時に高木家私有の東京病院が大学に寄付されたため、当医科大学は附属病院をもつことになりました。

高木は5年間のセント・トーマス病院医学校での留学によって実証的、実学的英国医学の真髄を把握してきました。高木にとって「医学は実学であり、何よりも病気の予防・治療のためのもの」であり、決して「自己満足な研究のためのもの」ではありませんでした。
彼の信念は「脚気」における森をはじめとする東大医学派との論争に遺憾なく発揮されています。眼前の患者を救い得ないならば、どんな支配的学説も無用の長物にすぎないことをはっきりと証明したのです。
さらに高木が実践医学の教育と同じくらいに力を注いだことは人間形成のための教育でした。医師の前にあるのは、単なる細胞や臓器のかたまりではなく、病に悩む人間そのものだからです。
これに相対する医師は、病者の痛みを共感できる「医の心」をもたねばならない。高木はこの「心」を熟成するために宗教講座をもうけ名僧の講話を聞かせたりもしたそうです。
いずれにしろ高木が意図し、またその後長く建学の精神となったものは「厳密な医学に裏打ちされた医術と、あたたかい心をもった医師を育てること」でした。「医学的力量のみならず、人間的力量をも兼備した医師を養成すること」でありました。
病者の側にたつ全人的医療こそが時代をこえて医師がなすべき使命と考えたからです。これが高木の残した至言、「病気を診ずして病人を診よ」という標語として、長く我が母校の医療理念として受け継がれてきました。

私が学生だった頃は年間行事として、秋の解剖慰霊祭の後に大学役員、各教室教授に加えて学生を代表して各学年の学生委員と特待生が青山墓地の高木の墓参を しました。墓参の後は当時の樋口一成学長が墓参参加者全員を帝国ホテルのディナーに招待してくれました。私にとっては年に1度、学祖を身近にかじることの できる、またとない機会でした。
このディナーの席で樋口学長は学生代表に対して毎年以下のような訓示を述べられました。「君たちは将 来、皇族や国を代表するような人たちの診療にあたるかもしれない。また、その日の暮らしにも窮するような人達の診療にもあたることになるだろう。高僧も診 なければならないし、ヤクザも診なければならない。すべての病者に対して別け隔てなく接することができなければいけない。そのためには、きちんとしたテー ブルマナーも知っておかなければいけない。こういうささいなことから始まって、あらゆる点で人間を磨いておかなければいけない。医学を勉強するだけでは一 人前の医師にはなれないよ。」
高木の精神の一端を垣間見た思いでした。

しかし、我が母校もマニュアル化重視の医学、数字で表わされる成果偏重主義など、アメリカ流医学偏重の流れに飲み込まれて、高木の建学の精神は次第に薄れてしまったといわざるを得ません。
「病気を診ずして病人を診よ」が実践されていたならば、青戸病院の泌尿器科で行われた冒険的な内視鏡手術による医療事故などは起こるはずがなかったと思われます。
建学当時に高木が東京帝国大学の医学界を相手に丁々発止と渡り合った気概はもはや見られません。数多くある医大の中のひとつとしてしか認知されない状態になってしまいました。
○○ 手術実績150例だとか、××癌患者の在院病床日数△△日だとかいう数字が一人歩きして、本当に大事な一人一人の患者さんの姿がその後ろに隠されがちな今 日です。高木がもっとも恐れていた病者を全人格的にとらえて対峙しようという姿勢が失われて、特殊な病気に対してアクロバティックな治療を施すことがもて はやされる風潮が色濃くなっています。
同窓の諸君よ、もう一度高木の精神を思い返して、私たちが中心になって病者と真剣に向かい合う医療に舵を切りなおしませんか。
幸いなことに、私の選択した精神科は他の一般科に比べて病者の個性・人間性そのものがより強く問われる診療科です。また、市井の開業医という立場はなんの権威もないだけに虚飾の看板に縛られることもありません。
少なくとも私は、「病人と向き合った医療」を忘れることなく日々精進して今の診療スタイルを守っていきたいと思っています。
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*1森 鴎外:文久2年1月19日(1862年2月17日)〜大正11年7月9日(1922年7月9日)。明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、医学者、陸軍軍 医、官僚。現在の島根県津和野出身で東京帝国大学医学部卒。脚気の病因を最後まで感染症と主張して、日露戦争時に陸軍の食糧を麦飯とすることに反対し続け て、結果陸軍に25万人の脚気患者をだし、3万名近い兵士を病死させることとなる。これに対して高木の指導した海軍での脚気患者はわずか87名であった。 その後、脚気の原因が栄養障害である証拠が次々と提出されるにもかかわらず、最後まで感染症説に固執した。高木との間に感情的な軋轢があったと考えられる。

統合失調症あれこれ(3)―思考障害1(思考過程の障害)―

統合失調症(Schizophrenia)における思考障害というと誰もがすぐに「妄想(英delusion、独Wahn)」を思い描きます。この妄想は思考内容に関する異常です。
しかし、統合失調症にみられる思考障害は思考内容の異常のほかに思考過程の異常と思考体験様式の異常があります。思考内容の異常と同じくらいポピュラーにみられる症状です。
妄想については過去のコラムでも取り上げましたし、この先により詳しくお話したいと思っておりますので、今回は思考過程の障害を取り上げてみたいと思います。

まず思考過程の障害について説明する前庭として、思考(英thinking、独Denken)という機能とはどういうものなのかということを説明しなければなりません。
下等動物は自分にとって困難な状況に直面すると、本能や過去の習慣に従って運動を乱発してその状況から逃れようとします。高等動物になると直感的な見通しによって行動して、困難な状況から逃れるようになります。
人間になると過去の経験、それまでに得た知識を総動員して、その状況から逃れる方法を頭の中で考え出すことができます。この作業は主として概念的な知識と言語によってなされます。この作業を「思考」と呼びます。
したがって、思考とは内面化された行動ということができます。言葉として頭の中に分類、整理されている数多くの概念を内言語(英inner speech、独innere Sprache)というプロセスによって有機的にむすびつけて体系化し、纏め上げていく目に見えない行動です。
最近の霊長類の行動に関する研究にはめざましいものがあり、チンパンジーの知能が昔想像していたよりもずっと優れていることが分かってきました。チンパンジーはいろいろな道具を巧みに利用すること、過去の体験から学習してより効率的な行動をとることが知られていて、人間に近い思考機能を持っていることが分かっています。
しかし、チンパンジーの場合には具体的なものによって思考しています(具体的思考〔concrete thinking〕)。人間の場合も幼少児期は具体的思考、個別的な思考ですが、成長して脳が発達していくにしたがって言葉で表わす概念を通しての抽象的思考(abstract thinking)ができるようになります。
話が難しくなりましたが、人間の思考は入力された情報を系統的な回路(内言語)を通じて、数多くのメモリー(蓄積された概念)の間を相互に伝達しあって出力(情報に対する対応)するコンピューターの作業工程と似ています。
入力段階での誤りがあれば正しい結果が得られないことは言うまでもありません。つまり幻覚や錯覚に基づいてなされた思考結果が現実とはそぐわないものになります。またメモリーに蓄積されている情報が誤っていたり、情報そのものが少ない場合にも出力される対応は適切なものになりません。知識の乏しい人、手持ちの概念の少ない人、語彙の乏しい人の思考は貧困です。
また、博識で言葉の豊富な人に正しい情報が入力されても、概念と概念をむすびつける過程がおかしくなっては正常な思考は成立しません。この概念と概念を効率よくむすびつけて結論へと進めていけなくなった状態を思考過程の障害(英disorder of thought train、独Gedankengangströbung)あるいは思路障害と言います。

主な思路障害には以下のものがあります。
1.保続症(perseveration):同じ観念がくり返して現れて思考が先に進まない状態です。以前政治家の答弁を揶揄したコラムで取り上げたことがあります。認知症などの脳の器質的な病気の際に見られます。
2.冗長症(Weitschweifigkeit):目的の観念とあまり関係のない観念を捨てることができないために、余計な回り道をしてなかなか結論に達しない状態です。てんかんの人や精神発達遅滞の人にみられます。
3.迂遠症(circumstantial thinking):冗長症と似ていますが目的観念は失われることはありません。話の順序も整っています。しかし、一つ一つの観念にとらわれてしまうために、その都度その観念に対する注釈を付け加えたり、言葉を変えたりして反復して話をするために思考が円滑に進まない状態です。思考の主要な道筋をまっすぐに進めばよいのに途中の横丁に寄り道ばかりしてなかなか目的地に着けないのです。これもまた、てんかんの人にみられます。
4.思考制止(inhibition of thought):純粋に思考の進むスピードが遅くなった状態です。目的観念が失われることもなく、話の寄り道もしません。渋滞の高速道路に似ています。うつ病に特徴的な症状ですが、過労状態の人にもみられます。主観的には「考えが頭に浮かんでこない」、「考えが纏まらない」と表現されます。
5.思考阻害(blocking of thought):思考の進みが急停止して、その後にまた急に発進する。思考の進み方が断続的になってしまうのです。客観的には、問いかけてもしばらく黙っているが、急に話し出したかと思うとまた黙ってしまう状態として観察されます。主観的には「考えが急に止まってしまう」、「急に何を考えてよいか分からなくなる」、「考えが消えてしまう」、「考えが奪い取られる」、「考えが盗まれる」という表現になります。統合失調症にきわめて特徴的な思路障害です。
6.観念奔逸(flight of idea):思考制止の反対で、観念が活発に次から次へと現れてくるために、思考がわき道にそれて目的観念を失う状態です。一つ一つの観念相互の間には表面的な関連性はありますが、全体としては統一性がありません。客観的には考えが次から次に飛んで纏まりの悪い話として観察されます。躁病の人や酔っ払いに見られます。
7.支離滅裂(incoherent thinking):考えの進み方、すなわち観念と観念の結びつきに論理的関連がなくなってしまう状態です。思考全体がまったく纏まらなくなりますから、話を聴いていても、いったい何を言おうとしているのか、何を話しているのかさっぱり分かりません。この症状も統合失調症に特徴的な思路障害です。

統合失調症に特異的な思考過程の障害は「思考阻害」と「支離滅裂」です。それぞれ程度は軽いものから重度のものまであります。重症になれば経験の浅い人が見てもすぐに分かります。
支離滅裂が高度になるとまったく論理的に関連性のない観念が頭の中に次から次へと現れてきます。もぐら叩きのもぐらのようなものです。こうなるとその人のしゃべっていることは単に無意味な言葉の羅列になります。「言葉のサラダ(word-salad)」と言います。他者との意思の疎通は成立しません。
しかし、程度の軽い思路障害は臨床経験が豊な精神科医でなければ見逃してしまいます。軽症の思考阻害と思考制止との鑑別は容易ではありません。「元気がない」という訴えの統合失調症の患者さんをうつ病と誤診する一因になっています。
また、支離滅裂もごく軽度の「連合弛緩〔loosening of association〕」程度ですと、なんとなく話しに纏まりが欠けるといった程度にしか現れませんから、注意深く観察しないと見落とすことがあります。

以上、統合失調症に見られる思路障害をはじめ、主な思考過程の障害について説明をしました。ここでいう思考過程の障害は、何らかの原因によって本来もっていた機能が損なわれた場合におきてくる症状ですが、よく考えると特別な病気にかかっていない一般の人の中にももともとこういう思考過程の人は珍しくはありません。
政治家の保続症はさておいても、話が冗長だったり迂遠だったりする人は皆さんの周りにもいらっしゃるのではないですか。話がくどくて枝葉にこだわって、一生懸命話しているのに、要するに何を言いたいのかが相手に伝えられない人です。
では、そういう人は生まれつき思考回路の配線がうまくつながっていないのでしょうか。確かに不幸にも先天的に脳に障害をもって生まれてくる方もいます。しかし私は、思考を円滑に進めることができない方の大半は思考するという訓練不足の方であると思います。
つまり、筋肉と同様に脳も使わなければ機能はどんどん退化します。ちゃんとした思考の道を授かったにもかかわらずに、それを使わないでいれば、やがてその道は塞がれてしまいます。動物の往来が途絶えた獣道が原野に戻ってしまうのと同じです。
また、回路は正常でもその上を走らせる言語化された概念が足りなければ正常な思考はできません。思考は頭の中の言語で行っている作業です。そして、バイリンガルの方は別ですが、多くの日本人は頭の中の日本語で考えています。
理科系と文科系の代表格であるために一見するとかなりかけ離れた学問と考えられがちな数学(算数ではない)の能力と国語の能力との間には高い相関が見られます。論理的な思考には言葉が欠かせないのです。
近頃、英語がしゃべれなければ世界で通用しないという理由から、英語教育を低年齢から開始することが推奨されています。確かに、日本語は言語学的にはかなり特殊な言語で、海を渡ったら通用しません。英語ができるにこしたことはありませんが、それはあくまできちんと日本語を習得し、豊富な語彙で論理的に思考する能力を身につけていることが前提条件です。
外国人に尊敬されるのはペラペラと外国語をしゃべれるだけの自動翻訳機みたいな人ではありません。きちんとした思考ができて、高い情操を身につけた人であれば、たとえその表現が上手でない英語であっても必ず尊重されます。相手はことばそのものではなく、その奥にある人格を見ているのですから。
英語に力を注ぐあまり、自分たちの思考の基礎である国語教育がおろそかになることだけは絶対に避けなければなりません。語彙に乏しく、国語力が低くなることは、すなわち思考力が低くなることだからです。本末転倒です。
国を担うのは人です。金利の操作のようにすぐに成果は現れませんが、人の能力を高くすることが十年先、二十年先の我が国の国力を高めることになります。我が国の将来の国力について考えた場合、国語の教育にもっと力を注いでいただきたいものです。

統合失調症の思路障害について書いていたはずが、いつの間にか国語力の話になってしまいました。このコラムが冗長症の文章のよい例です。

演技性人格障害 ―甦るロス疑惑―

三浦和義60歳。懐かしい人物がマスコミの舞台にリバイバルしました。
若い方は「誰?」という感じでしょう。それもそのはず、彼が時代のヒールとして脚光を浴びたのは四半世紀前のことです。追いかけるマスコミに対して冗談を飛ばしたり、水を引っかけたり。最近では珍しくない「パフォーマンス容疑者」の元祖です。
話は1981年11月18日ロスアンゼルスのダウンタウンの一画でおきた日本人夫婦銃撃事件に始まります。頭部に銃弾を受けた妻は植物状態になって、1年後の1982年11月30日に死去されました。自身も大腿部を銃撃された悲劇の夫は、まもなくいろいろなスキャンダルが明るみに出て、一転、保険金目当ての殺人容疑者として世間の注目を集めることになります。その人が三浦和義さんです。
「犯人は三浦」という予断にもとづいた報道の加熱ぶりは度を越して、彼が経営する輸入雑貨店の前には週刊誌やテレビのワイドショーの記者が連日行列という騒ぎになりました。なかには、自宅に住居侵入する者まで現れました。
事件そのものは因縁の週間文春をはじめ、多くのメディアが過去の資料を掘り起こして詳細に記述していますが、一応あらましだけを述べておきます。

三浦のロス疑惑は実は3つの事件からなっています。
1.1979年3月29日、当時彼の雑貨店の共同経営者であり、同棲していた白石千鶴子さんがロスアンゼルスに渡航したまま失踪。5年後の1984年3月29日にロスアンゼルス郊外で発見された変死体が、白石千鶴子さんの遺体と判明した。
2.1981年8月13日、三浦の当時の妻、一美さんがロスアンゼルスのホテルでアジア系の女性にハンマーで殴られて負傷する殴打事件。1984年5月に元ポルノ女優のYMが三浦に依頼されて殺人目的で殴打したことを告白。
3.2の3ヵ月後におきた、前述の一美さん殺害事件。そして一美さんが死去した後に彼は一美さんの親族には一切知らせずに1億5千500万円の保険金を受け取っていた。
1.に関しては、白石さんが失踪直後三浦は同棲の事実も認めず、「北海道へ行った」と言っていました。当時白石さんは離婚したばかりでした。前夫から430万円の慰謝料が振り込まれていましたが、そのお金が何者かによって引き出されており、彼女の荷物は三浦の手によってすべて捨て去られていました。
世間からの追求が厳しくなると三浦は、「千鶴子さんを成田で見送った」と前言を翻しました。出入国記録から白石さんは79年3月29日にロスに出国して帰国していないことが判明しました。またなんと、三浦は白石さんを見送ったのではなく、白石さんが出国する2日前の3月27日にロスに出国して4月6日に帰国していたのです。
さらに、疑惑追及が一層厳しさを増すと白石さんの口座から430万円を引き出したのが自分であることも認めました。それは、一美さんの死が「悲劇の夫婦愛」から「陰湿な保険金殺人」へと急変する世論を加速させました。
そんな最中、失踪からちょうど5年目の84年3月29日に5年前にロス郊外で発見された変死体が白石千鶴子さんの遺体であることが確認されました。しかしながら5年経過した遺体の損傷は激しくて、この事件の真相はいまだに藪の中です。
三浦は白石さん失踪の4ヵ月後に、2.3の被害者として殺害される一美さんと3度目の結婚をしています。
2.は当時愛人関係を結んでいたYMに保険金目的で妻、一美の殺人を依頼した殺人未遂事件であることが判明して、85年9月11,12日に三浦とYMが警視庁に逮捕されました。86年7月14日YMに対して懲役2年6ヶ月が確定しました。
当の三浦に対しては東京地裁が87年7月に懲役6年の実刑判決を下します。
しかし、三浦は控訴、上告をして粘ります。最終的に最高裁で上告が棄却されて懲役6年の実刑判決が確定するのは98年9月16日のことです。11月に宮城刑務所に収監されますが、未決拘留日数が差し引かれるために、2年後の2001年1月17日には出所しています。
核心の事件3.に関しては88年10月20日に警視庁が殺人容疑で三浦と実行犯のOYを逮捕しました。
94年3月31日、東京地裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で、OYに対しては「実行犯と断定するには証拠不充分」として無罪を言い渡しましたが、三浦に対しては実行犯を「氏名不詳」としたまま、無期懲役を言い渡しました。
98年7月1日、東京高裁での控訴審では、大久保に対し再び無罪を言い渡しました。ところが、三浦に対しては、実行犯が見当たらず謀議の形跡がほとんど認められないと指摘し、「共犯者が単に特定されていないだけでなく、その存在の有無など重要な点が全く解明されておらず、氏名不詳に妻を銃撃させたのは間違いないと推認できるだけの確かな証拠がない」として逆転無罪となったのです。
検察は直ちに最高裁判所に上告しますが、2003年3月5日に最高裁は検察の上告を棄却して、一美さんの銃殺事件に関しては三浦の「無罪」が確定します。
こうして22年かけて日本中の関心をさらった一連の事件は、1件は遺体の損傷によって事件性そのものを問えないという無念の結果。残りの2件は同一人物に対して同じ動機で行われた犯罪であると考えられるのに、1件に対しては有罪なのに、2件目に関しては確証が得られずに無罪。事件は一般人の感覚とははなはだかけ離れた結末で幕を閉じたかに見えました。
しかしそうではありませんでした。冒頭書いたように、三浦は今年になって、2月22日サイパン島(米国自治領)において米当局の手によって逮捕されました。1981年のロスアンゼルスにおける一美さん銃殺事件に関して1988年5月5日にロス市警から発行された「殺人罪と共謀罪」容疑の逮捕状の履行ということです。なんと事件から27年もたっています。
法律に詳しく、悪知恵の働く三浦も、この逮捕は晴天の霹靂、さぞやびっくりしたでしょう。なぜならば、日本では憲法39条*1の「一事不再理」の原則によって、一度刑が確定したものは、その後に状況が変わったとしても同一の犯罪について、再び刑事責任を問われることはないからです。
殴打事件についてはすでに役に服し、銃撃事件では無罪が確定しています。しかも、27年も前のことです。期間が延長された時効期間25年さえもとうに超えています。
このアメリカ捜査当局による逮捕は三浦以外の関係者も予想外の出来事であったようです。日本の最高裁判所ですでに無罪が確定している犯罪についてアメリカが逮捕をしたのです。しかも27年もたった今。
法律家の話によると、日本人が外国で犯罪を犯し、その国の法律で裁かれる場合には「一事不再理」の原則は適用されませんが、実際に立件されることはきわめて稀なことらしいのです。
今回の場合は、犯罪捜査に関してアメリカが「属地主義」、日本が「属人主義」を取っているために起きたと言われています。日本国内でアメリカ人が犯罪を起こした場合、アメリカの捜査当局は原則的に立件しませんが、日本の捜査当局は日本人が海外で起こした犯罪も捜査します。結果的に、日本人によるアメリカ国内での犯罪は、日米両国で逮捕・起訴される可能性があるのです。
また、殺人罪は、日本では25年の公訴時効がありますが、アメリカには時効がありません。アメリカでは38州が刑法で死刑の規定を設け、13州が死刑を廃止していますが、カリフォルニア州は、計画的な殺人を含む「第1級殺人」の最高刑は死刑です。

彼が一時代、日本中の脚光を浴びた理由は事件そのものへの関心もありますが、彼の特異なキャラクター、生い立ち、事件以外の場面にもみせるパフォーマンスが大きくかかわっていると思います。
三浦和義は1947年山梨県に生まれます。父方の叔母が大物女優の水の江瀧子ということで子役として映画に出演したこともあります。19歳の時に放火事件で逮捕されて少年刑務所に7年間服役した。
なお、ロス疑惑最中、三浦は実は水の江瀧子の隠し子だという風聞が出回りました。水の江瀧子は松竹歌劇団で男役のスターであったために男っ気がなく、もし子供を産んでいたとなると、それ自体が大スキャンダルであったために大騒ぎになりました。結局、この騒動が原因で水の江瀧子は芸能界を引退せざるを得なくなりました。
26歳で少年刑務所から出所した三浦は2度の結婚をして、どうやって資金を獲得したのか分かりませんが、33歳の時にはアメリカングッズを輸入販売する「フルハムロード」を経営していました。そして白石千鶴子さん失踪に始まる一連の事件の主役として世間の脚光を浴びることになるのです。
彼が着ていたことで有名になった「ペイズリー柄」の派手な洋服。マスコミに追いかけられることを楽しんでいるかのような目立つ行動。三文芝居じみた大げさでわざとらしい過剰表現。新事実が出てくるたびにころころと変わる証言内容。これほどヒールにうってつけの人はめったにいません。
偶然とは思えないほどの確率で彼の周囲で起こる数多くの事件、生い立ち、信用性のない彼の言動、次々と明るみに出る女性との醜聞、保険金という明確な動機などから、大半の一般人は彼を犯人と確信するようになっていました。
しかし、3ヶ月前に起きた殴打事件では有罪が認められたにもかかわらず、肝心の銃撃事件では一転して無罪が確定したのです。この判決に対して国民の多くはやるせない気持ちを抱きました。
一方、限りなくグレーな三浦に対する無罪判決は、刑事訴訟法317条*2の「証拠裁判主義」と刑事訴訟法336条*3にもとづく「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」の原則にのっとった毅然とした判断であったとも言えます。
私もこの無罪判決には「法による正義」の限界を感じてがっかりした一人ですが、刑事裁判における二つの大原則をないがしろにすると、今でも我が国では決して少なくはない「冤罪」を一層増やす危険性が大きくなります。
事件とは直接無関係な醜聞や過熱報道によって作り出される雰囲気で判決が左右されることは絶対にあってはいけません。国民の成熟度が不十分なままに、強引に近々裁判員制度が導入されます。私たちは刑事訴訟法317条と刑事訴訟法336条の原則を強く肝に銘じておかなければならないでしょう。

さて、三浦の異様な人格は結審後もいかんなく発揮されます。三浦は獄中からマスコミに報道された名誉毀損報道に対し、弁護士を代理に立てない本人訴訟を起こします*4。マスコミに対する名誉毀損による本人訴訟は476件にものぼりました。そして本人に言わせると、なんと訴訟のうち80%で勝訴(15%は時効による却下、5%は三浦の敗訴)しました。賠償金総額は和解金を除いて5000万円以上に上ります。また、三浦は獄中にいる時から数多くの本を出版して、多額の印税を稼ぎます。
最高裁で銃撃事件の無罪が確定した2ヵ月後の2003年5月には、後に被害額が少なく容疑を認めて謝罪していることから不起訴(起訴猶予)処分となりますが、都内の書店で万引きをして現行犯逮捕されます。
最近でも2007年4月に自宅近くのコンビニエンスストアで万引きをしたとして、窃盗容疑で逮捕されました。この事件は現在も係争中とのことです。
一美さんが死去した2年半後に再婚し4度目の妻(拘置所時代に一度離婚して98年に復縁したので、正確には5度目の妻でもある)となったYさんもそうとう目立ちがり屋で、夫婦して告白本を出版したりしています。
芸能プロダクションに籍をおいて毎月1回トークライブを開き、「自分と同じ冤罪被害者の支援」にも力を注いでいます。

法律家でない私には、27年前の疑惑の銃撃事件に対する正義の審判が今後どのような展開をみせるのかは見当がつきませんが、精神科医として彼の精神が病んでいることだけは断言できます。
精神障害の中に「演技性人格障害(Histrionic personality disorder)」というものがあります。「演技性人格障害」は国際疾病分類(ICD−10)でF60.4に、DSM?−TRでは301.50に分類されている精神障害です。
ICD−10によると以下の項目で特徴付けられる人格障害と定義されています。
1.自己の演劇化、芝居がかった態度、感情の誇張された表出
2.他人や周囲から容易に影響を受ける被暗示性
3.浅薄で不安定な情緒
4.興奮および自分が注目の的になるような行動を持続的に追い求める
5.不適切なほど誘惑的な外見や行動をとる
6.身体的魅力に過度に関心をもつ関連病象として自己中心性、自分勝手、理解されたいという熱望の持続、傷つきやすい感情、および自分の欲求達成のために他人を絶えず操作する行動が含まれる。

これまでの三浦の言動を見ると以上のすべてが見事に当てはまります。この
人格障害を説明するために彼ほどの適役はいません。見事なモデルケースと言えます。私は三浦和義に「演技性人格障害」という診断をくだします。
彼は今回の意外な逮捕に対して不本意であると同時に、一方では喜びと充足感を感じているかもしれません。再び大舞台に登場することができて、世間の注目を浴びるからです。
人格障害は薬を飲むだけで治るものではありません。自己の人格にもとづく行動が一般社会に受け入れられないこと、また自己の欲求をある程度抑えて社会に適応することが真の幸福につながることを気付かせ、行動の矯正を促さなければならないのです。
私は精神科医として、三浦和義本人および彼を取り巻く周囲の人々の精神保健の観点から、是非ともアメリカの司直の手によって適切な社会的制裁が下されることを望みます。
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*1憲法第39条:何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
*2刑事訴訟法第317条:事実の認定は、証拠による。
*3刑事訴訟法第336条:被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡しをしなければならない。
*4三浦が名誉既存訴訟を起こして勝訴したことは、マスコミの報道のあり方、警察や検察の捜査や矯正施設での問題を浮き彫りにした形となり、幾つか改善されていったことに対する貢献度は大きいと言う見方もある。例えば、現在は被疑者の人権を守るために、逮捕や連行の場合は警察は頭から衣服をかぶせたり、手錠にモザイクをかけたり、全体をシートで遮断するなどの措置がされる。これは三浦が殴打事件での逮捕において警察が連行中に、報道関係者の写真撮影用に腰縄・手錠姿を撮影させた際、三浦はこれを有罪が確定していない被疑者を晒し者にする人権侵害だとして提訴して三浦が勝訴したことがきっかけとなった。
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