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クリニック西川

2008年8月

産科医無罪判決を聴いての雑感

  8月20日に福島地方裁判所で注目すべき無罪判決が下りました。この裁判は2004年に福島県大熊町の県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性の死亡に対して、担当した産科医、加藤克彦医師が刑法第211条の業務上過失致死罪ならびに医師法第21条の異状死の届け出義務違反の罪に問われた刑事裁判です。

  この事件に関しては新聞をはじめ、多くのメディアで詳細が述べられていますし、私のコラムでも何回か触れてきましたので、改めて事件そのものについての説明は致しませんが、無罪判決に対しての世間の反応を見て私が改めて感じたことを述べてみます。

  私はこの事件に関しては起訴されたこと自体が不条理であると考えるので、無罪判決を当然と考えるのは言うまでもありません。彼の医療行為が刑事罰に処されるならば、医療行為そのものが否定されることになるからです。

  判決後の各界の意見は概ね、無罪は妥当とするものでした。しかし、「被害者遺族の情を満足させるものではない」といった趣旨も数多く目にします。

  最近の司法の流れは、「被害者の情」を重視する傾向にあります。被害者感情を汲むということは大切な要件かもしれませんが、ただただ被害者感情を満足させることだけを目標とするならば、厳正中立であるべき司法はたんなるリンチの代行機関になってしまいます。

  今回の事件で、私たち医療人がもっとも憤慨したのは警察官が加藤医師を衆人環視の中で手錠をかけて連行したことです。加藤医師は事故発生後に逃げも隠れもせずそれまで通り病院での診療に明け暮れながら、警察や県の調査委員会の聴取にも応じていたにもかかわらず、福島県警は逮捕という暴挙に出たのです。

  逮捕という処分は被疑者が逃亡あるいは罪証隠滅のおそれがある場合にとるべき手段であって、当時の加藤医師の行動を見れば、在宅起訴の手続をすれば済むのであって、衆人環視の中の逮捕の必要性はまったくありません。

  しかも、予めマスコミにも逮捕情報をリークして逮捕劇を演出したようです。警察・検察の医療人に対する見せしめ、挑戦以外の何ものでもありません。

  この「逮捕」に関しては大多数の法曹が不必要であったとの見解を述べていますが、捜査当局はこの逮捕劇の理由の一つとして、遺族感情の激しさを挙げています。ここでもまた被害者・遺族の感情の登場です。

  何らかの事件が発生した場合、それによって被害を受けたと感じている人間は、事情はどうであっても、相手に対して復讐したいという感情を持ちます。被害感情というものは主観的なものです。余り感じない人もいれば、過剰に感じる人もいます。時には妄想であることもあります。また、その被害感情に基いて望む復讐の程度も人によってさまざまです。「目には目を」どころか2倍返し、3倍返しの復讐を誓うことも珍しくありません。皆様の中にも、上司からきつく叱られただけで殺してやりたいと考えたことがある人がいらっしゃるのではないですか。

  このように主観的で際限のない被害者感情を重視しすぎた司法はきわめて危険です。来年から始まる裁判員制度がこの傾向をさらに加速させるのではないかと心配しております。

  この事件を通してもう一つ感じたことは、日本人の「生命」ついての考え方や、「生きている」ということの蓋然性についての認識がおかしくなってきているのではないかということです。

  日本の医療水準は世界のトップレベルです。今回問題になった産科医療においては世界一と言っても過言ではありません。周産期死亡率(年間の1000出産に対する周産期死亡の比率)をとってみれば、世界の中で群を抜いて低い値です。妊産婦の死亡率(出生10万に対する死亡数)も4.4とドイツに次いで第2位の少なさです。

  かっては日常茶飯事であった死産や新生児・妊産婦死亡は現在の日本では非常に稀なことになりました。しかし、海外に目を向ければ今でも「お産」は命がけの危険なイベントなのです。しかし一般の人は、日本が格別に安全な出産環境であるということを理解していません。その安全性の高い出産環境はもともとそうであったのではなく、産科にかかわる多くの医療関係者の弛まざる努力の賜物であるのです。この事実も理解されていないようで、無事に生まれて当たり前と思っているようです。

  本来とても危険な出産行為に対して、数少ない産科医が現在なし得る医療技術をもって、不幸な事例を極力少なくするべく努力しています。それでも人間の行為にはなしうる限界があり、今でも1年間に111万人生まれる中で1,184人は生後7日未満で死亡します。この数字は驚異的な少なさなのですが、その数少ない不幸にめぐり合った人は納得してくれません。担当した産科医の責任を追及して処罰や莫大な賠償請求をするようになったのです。今回の大野病院事件はこの「出産」という危険な行為と、日本の医療環境に対する誤った認識を象徴する出来事だと言えるのではないでしょうか。

  この一般人の認識不足は産科医療の分野に限ったことではありません。どんな病気でも「病院に行って金を払えば、元通りの元気な状態に戻れて当たり前で、少しでも不具合が残れば、不適切な医療をされたに違いない」と考える人が多くなっているようです。

  このようなことを書くと、医師の自己弁護でしかないと思われるでしょう。しかし、「何事もなく平穏に生活できて当たり前、自分の身に何か不幸なことが起きれば、それは誰かのせいではないか?」という他罰的な考え方は医療に対してだけに向けられているのではありません。賞味期限に対する過剰な反応にも垣間見ることができます。

  戦後60年以上を経過して、栄養失調や疫病流行を久しく見なくなりました。物価は上がってきているとは言うものの、今のところ食べるものには困りません。日本人は安全と平和の中にどっぷりと浸って、健康で平穏に生きていられることを当たり前のことと考えるようになってしまったようです。

  しかし、地球という規模(それほど大きくない)で眺めてみれば、今でも世界中のいたるところで、餓死者が後を絶たず、清潔な飲み水が確保できないために伝染病で命を落とす人がたくさんいます。

  わが国は防災対策が整っているために、地震や台風などの自然災害時の死傷者も圧倒的に少なくて済んでいます。これも当たり前のことではなく、国、地方自治体をはじめ関係者の長年にわたる努力のお陰です。ハリケーン、カトリーナによるアメリカ南部の被害、インドネシア沖地震による東南アジア各国での被害、ミャンマーのサイクロン被害、四川大地震による被害の甚大さを考えてみれば、今の日本人がいかに恵まれた環境に生きているかを理解できるはずです。

  もっと突き詰めて考えれば以前私が「星の王子様」というコラムで書いたように、広大で悠久の宇宙の時空の中で奇跡的な確率でしかあり得ない恵まれた環境の地球という惑星に生きていられること自体が幸運なのです。

  無事に生きていることは当たり前なのではなく、幸運が重なった結果なのです。こう考えれば、あらゆるものに対して感謝の念を抱いて毎日を生きていかなければならないはずです。そういう当たり前の感情を現在の日本人は失いつつあります。

  さらに、核家族化が進んで小さい頃から老人との接触が減り、先祖の霊を祭る風習も風化しています。このために、身近に「健康」、「生きる」という現象の対極にある「老い」とか「死」というものを体験する機会が減ってきました。こういったことが重なって、一層「生きる」という重大な課題と真剣にむきあわなくなってしまったのではないでしょうか。

  「むしゃくしゃして誰でもよかった」などという理不尽な動機で他人を殺害したり、安易に自殺を図ったりする人が増えていますが、こういった社会現象の底流にも日本人の「生・死」についての哲学欠如が横たわっているように思います。「生命の尊さを実感できる能力」と「避けられない死を受け入れることができる能力」とは表裏一体のものだからです。

  これから述べることは以前からの私の持論ですが、医師である私の口から出るかぎり、それは「医者の弁解」としかとられません。しかし私は最近、病気を患って手術を受けました。患者の立場から「健康」や「生きること」について再考する機会を得たので、これからは堂々と言うことができます。

  この世に生を受けたものはどんなにあがいても、「老、病、死」はまぬがれません。その現実から目をそらさずにしっかりと受け止めて、限られた時間をよりよく生きることが私たちに与えられた使命だと思います。人間の寿命はほんのわずかな時間です。そのわずかな時間を恨みで塗り固めるのではなく、それまで生きてこられた幸運とその間に縁を結べた人々への感謝の気持ちを抱いて最期を迎えたいものです。

認知症あれこれ(1)―レビー小体型認知症―

高齢者人口の増加とともに認知症の数が増加の一途を辿っています。近い将来、我が国の認知症高齢者の数は300万人に達すると考えられています。
認知症の方の介護は、そうでない高齢者の介護に比べて数倍の労力を必要とします。国も認知症対策を高齢者福祉政策の中核と考えて、認知症の予防や早期発見、早期対策に力をいれています。もっとも、国の認知症対策の動機は医療・福祉にかかわる歳出を削減したいという経済的な観点からですが、動機はともかく結果として国民の利益につながれば結構な話です。
各医療機関で「物忘れ外来」と称する認知症の診療を専門とする科を作って、認知症を早期に発見して、進行を防ごうという試みが全国で行われています。一般の人を対象にした啓蒙活動もいろいろな媒体を使って盛んに行われています。また、患者さんたちと日頃接触する機会の多い、内科を中心とした一般科医師の認知症に関する知見を深めるための行動もなされています。認知症のごく初期の症状を発見できる機会が多いのは一般科医師であって、私たち専門科を受診する時には、すでに相当進行した段階になっている場合が多いのが現状だからです。
こういった取り組みの他に、映画やテレビドラマが認知症を題材に取り上げるようになったお陰で、認知症に関する知識は一般の方にかなり広まってきました。中でもアルツハイマー型認知症の啓蒙は飛躍的に進み、今や「アルツハイマー」という言葉を知らない人はいないのではないでしょうか。
認知症を大きく分類すると①変性型認知症、②脳血管性認知症、③その他の認知症の3群に分けられます。アルツハイマー型認知症は①変性型認知症の代表疾患です。しかし、変性型認知症はアルツハイマー型認知症だけではありません。この変性型認知症の中で、かなりの数の患者さんがいると思われるのに、まだ充分に周知されていない病気の一つにレビー小体型認知症があります。今回はこのレビー小体型認知症についてお話します。

レビー小体型認知症は日本人研究者、小阪憲司が1978年、世界で最初に報告した神経変性疾患です。死後脳を観察しますと、大脳皮質、辺縁系、脳幹においてびまん性に神経細胞の変成した病変が見られます。その病変は神経細胞の中にα-synucleinというたんぱく質を主要成分とする物質が封入された状態です。この封入体がレビー小体なので、レビー小体型認知症(Dementia with Lewy bodies,DLB)と呼ぶのです。
レビー小体はもともとドイツの病理学者Frederic Heinrich Lewy (1885~1950)が1914年に発見した病変で、パーキンソン病の際に黒質を含む、脳幹で認められて、パーキンソン病の病因と深く関係のある病理変化であることが知られていました。
以前は、パーキンソン病そのものでは認知症のような知的機能の低下はきたさないし、レビー小体は大脳皮質には現れることはないと考えられていました。しかし小阪の発見以来、同じような病変が認められる認知症の報告が続き、やがて国際的に認知された疾患となりました。
臨床症状の特徴としては、①認知症状が変動しやすい、②鮮明で具体的な幻視、③パーキンソン症状の3つがあげられます。また、夜中に興奮して訳の分からないことを叫びだす、夜間せん妄が高率に出現します。
レビー小体型認知症は認知症全体の約20%を占め、アルツハイマー型認知症に次いで2番目に多いと言われています。また、上記のように特徴的な症状を示すにもかかわらず、病気そのものが未だ充分に知られていないことや、早期にはこういった特徴的な症状が出揃わないことなどから、臨床症状だけからでは、しばしばアルツハイマー型認知症、パーキンソン病、うつ病などと誤診されているようです。
MRIやCTなどの画像検査ではアルツハイマー型認知症で見られるような側頭葉内側の萎縮が比較的軽度です。SPECTやPETといった大がかりな検査を行うことができれば、後頭葉を中心として大脳がびまん性に血流低下・糖代謝低下していることが認められます。
自律神経機能検査の一つであるMIBG(メタヨードベンジルグアニジン)心筋シンチグラフィーを行うと、パーキンソン病と同様に心筋への集積率が低いということが分かっています。したがって、この検査がアルツハイマー型認知症との鑑別に有用であるとの主張もありますが、かなり特殊で高価な検査なので一般的には普及していません。
なぜ、レビー小体と呼ばれる封入体が大脳全般の神経細胞に出現するのか。どういうメカニズムで封入体が生成されるのか。パーキンソン病との因果関係はあるのか。といった、病因の中核に迫る解明にはまだまだほど遠い状態です。比較的研究の進んできたアルツハイマー型認知症に比べて未開な病気と言えます。

さて、レビー小体型認知症はしばしば、知的機能の低下が目立つ前に、幻覚、妄想とそれに基づく異常行動が出現することがあります。こういった場合、この病気を理解していない医師から睡眠導入薬やいわゆる安定剤(抗不安薬)を処方されて、ますます症状が増悪してしまう例が少なくありません。
レビー小体型認知症に限らず、脳の器質的な病変によって起きる睡眠障害や不穏には、成人に対して通常使用される睡眠導入薬や安定剤が、治療効果を示すどころか、まったく逆に症状増悪をもたらすことが高率に起こします。
同じ薬物が対象者の年齢によって正反対の薬効を示すことは、中枢神経系に作用する薬物では珍しいことではありません。例えば、一部乱用者の出現で昨年話題をさらったリタリン(methylphenidate)は、成人に対しては覚醒度の上昇や興奮をもたらすのに、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の小児の過活動に対しては劇的な鎮静効果を示します。
対象の年齢によって薬物の効果が逆転(reversible action)するメカニズムについての正確な答えはまだ出ていませんが、おそらく作用を受ける脳神経細胞のネットワーク構築の違いによるものと考えられます。
この中枢神経作用薬の基本的性質は薬理学の基本的な知識なのですが、一般の医師の間では充分に理解されていません。このために、安定剤を投与されて興奮がひどくなった状態で、私のところに紹介されてくる患者さんがよくいらっしゃいます。この際にはそれまで服用していた安定剤や睡眠導入薬を中止するだけで症状が改善することがあります。元来存在していた不眠、せん妄、興奮などには抗精神病薬、抗うつ薬、抗てんかん薬の適量投与が有効です。
中でも、抗精神病薬が有効な場合が多いです。症状、年齢、身体機能などに応じて適切な抗精神病薬を適量(試行錯誤による匙加減の調節が必要ですが)投与すると、劇的に症状の改善を見ることがあります。
ところが、レビー小体型認知症の治療はとてもやっかいです。なぜならば、抗精神病薬は副作用としてパーキンソン症状を引き起こしやすく、パーキンソン病の治療薬は幻覚や妄想を惹起する危険性を持っているからです。レビー小体型認知症はパーキンソン症状と幻覚・妄想の両者を示すために、薬理学的に相反する効果を同時に要求されることになり、治療者の頭を悩ませます。
それならば、何もせずに放っておくのが一番であるとの結論になりそうですが、実際の介護の現場ではそうも言っていられません。高度の精神症状やパーキンソン症状は最低限の生活行動を確保することさえ困難にさせますし、ひいては患者さん自身の予後、生命維持にさえ影響を及ぼします。
最近開発された新しいタイプの抗精神病薬はパーキンソン症状に対する悪影響が極めて少なくなっています。また、抗パーキンソン薬も、種類によって精神症状発現の危険性に大きな差があります。したがって、本疾患の症状に対しては、認知症治療経験の豊富な専門医が、副作用の少ない薬剤を量の調節をしながら投与して、注意深く状態を観察していくしかありません。
抗精神病薬や抗パーキンソン薬による治療はあくまで対症療法です。本疾患の病因に対する根本治療ではありません。レビー小体型認知症の核心的な病因が不明の現在、根本治療法を望むこと自体無理なのですが、今のところ、アルツハイマー型認知症の治療薬である塩酸ドネペジル(アリセプトR)や漢方薬の抑肝散がこの疾患にも有効と言われています。しかし、未だ試行錯誤的な範疇を脱してはいません。

「アルツハイマー」という言葉が普及した結果、お年寄りが物忘れをしだすと、すべて「アルツハイマー」ということで片付けて、機械的にアリセプトを投与するという傾向がみられます。確かに、アリセプトは甚大な副作用が少なく、アルツハイマー型認知症以外の認知症にも効果がないとは言えないので、アリセプトの投与自体は悪いこととは考えません。
しかし、認知症の中核である知的機能の低下以外のさまざまな随伴症状が出現しても、「アルツハイマーだから仕方がない」と諦めて、診断や治療が再検討されないケースが少なくありません。ただただアリセプトを処方し続けるだけだったり、不適切な薬剤を投与して余計に症状を悪化させたりすることが多いのです。きちんと鑑別診断をして、症状に応じて適切な治療をしなければなりません。なぜならば、認知症の中核症状は治せなくても、種々の随伴症状を改善すれば介護しやすくなります。介護がしやすければ、それだけ患者さんをよい状態で生活させてあげることができるからです。
介護専門職の中に、「薬は身体によくない」、「薬の力を借りずに介護するべきだ」という誤った先入観を持っている方をしばしば見受けます。薬を使えばうまく解決できそうな症状なのに、薬の使用を拒んで、悪戦苦闘しているのです。
必要もない薬を服用させることがよくないのは当然ですが、薬の力を借りることによって、質の高い介護を効率よく提供できるならば、薬の力を借りるべきではないでしょうか。それを拒んで悪戦苦闘しても、それは徒労というものです。介護する側だけでなく、介護されるお年寄りにとっても不利益以外の何ものでもありません。
多彩な症状を示すレビー小体型認知症は介護のプロと医療のプロとの緊密な連携プレイをとくに要求される疾患だと考えます。

難民大国日本―主権者を滅ぼす骨太の国家とは何か?―

1951年に国連で採択された「難民の地位に関する条約(難民条約)」で定義されている難民とは「人種・宗教・国籍・政治信条などが原因で、自国の政府から迫害を受けるおそれがあるために国外に逃れた者」です。

しかし、一般にはこの他に天災、飢餓、伝染病、国内外の紛争から逃れるために住む場所を追われた人も含めて難民と呼んでいます。

さて、日本は難民受け入れの基準が厳しく、欧米など他国に比べて難民の受け入れが少ないとの批判を受けていますが、実は日本国籍を持つ国内難民を多数抱えているのです。しかもその数は時々刻々と増加しています。医療難民、介護難民、リハビリ難民、お産難民、ネットカフェ難民です。

もちろんこういった難民は本当の意味の難民ではなく、比喩として「○○難民」と呼ばれているわけですが、保護されるべき国家から見放されて路頭を迷うという意味で、真に的を射た表現だと思います。


医療難民と介護難民は対象者が重なりますし、相互に関連して切り離して論じることができませんから、医療・介護難民と言ったほうがよいと思います。この医療・介護難民は小泉が威勢よく掲げた「骨太の政策、聖域なき財政再建」に基づく社会保障費の機械的な削減が生み出した難民です。

国は医療に関するネガティブキャンペーンを張り、全国で35万床ある療養型医療施設を2011年度末までに全廃する決定をしました。18万床は医療型施設として残し、残りは介護施設への転換を図るという方針を立てました。

国のネガティブキャンペーンは「急性期の医療が終わり、もう入院して医療を受ける必要がない状態になった人が入院してベッドに縛り付けられて、意味のない点滴をされている。それによって医療機関が不当な利益をあげている。」というものでした。国は、そういった慢性の状態や後遺症を持つ人たちは病院での医療ではなく、地域の医師や看護士が往診する在宅医療と介護サービスという受け皿で対応すればよいと主張しています。

しかし、現実の病気やケガは手術などの急性期医療だけを施せば事足りるものだけではありません。初期治療の後も、口からの栄養ができないために、長期にわたって、胃に穴を開けて直接栄養物を補給して生命を維持したり、集中的なリハビリを継続しなければならないケースは少なくないのです。

国は病院に代わって、地域の開業医や看護師にこの役割を押し付けようと考え、これに対して多くの開業医と訪問看護事業者がこの要請に応える姿勢を示しています。しかし、現実的に考えれば、開業医がいくら頑張っても、自分の診療所での診療をしながら、多数の在宅患者の方に、これまで病院が行ってきたのと同様のレベル(24時間365日)の医療を提供することは不可能です。訪問看護も限界があります。

予想以上に大きい国民の怒りを鎮めるために、国はつい最近、この削減計画を緩和することにしました。医療型施設を当初の計画数に4万床上積みして、22万床を残すことにしました。しかし、これでも焼け石に水です。

さらに、国は高齢者に対して残酷な仕打ちを加えました。後期高齢者医療制度の新設に伴って、脳卒中と認知症の患者さんの入院治療に対する診療報酬を、入院90日を超えると一律に2/3に引き下げることにしたのです。こうなると、病院はこういった患者さんを90日以上入院させると赤字になり、経営が困難になります。医学的にはそれ以上の期間、入院治療が必要だと分かっていても退院していただくしかありません。医は仁術とは言うものの、病院そのものが潰れてしまってはより多数の犠牲者を生んでしまうからです。

患者さんや家族から見れば、病院に追い出されたと考えるでしょうが、本当は国が追い出さざるを得ない仕組みにしているのです。国は、自分たちの行為によって起こるべくして起こる悲惨な結果を、医療現場の責任であるかのうように見せかけます。この巧妙なやり方は厚労省の常套手段です。

入院が続けられていれば生存していたはずの人が病院から追い出される結果、その中の何割か人の死期が早まることは確実ですが、犠牲者はこれだけにとどまるわけではありません。国が目先の改善策でごまかして、あくまで存続させようとしている後期高齢者医療制度には、さらに冷酷なシナリオが描かれているのです。

この制度では保険料を滞納すると保険証が取りあげられて、10割負担でないと診療を受けられません。一方で、その保険料は年々増額される仕組みになっていますので、保険料滞納者は増加の一途を辿ることが予想されます。保険料さえ払うことができない人が、病気になった時に10割の診療費を払えるわけがありません。事実上、病気になっても入院どころか一切の医療行為を受けることができない人が増えていきます。

団塊の世代の人たちが後期高齢者になる2030年には、世界有数の水準の医療を誇る国にいながらその恩恵にあずかることができずに死んでいかなければならない、究極の医療難民が数十万人を超えるおそれがあります。極論を言えば、国民の生命を守らなければならない国家の義務違反による不作為の殺人であり、断じて容認でできるものではありません。

国が医療システムの削減に対するもう一つ受け皿と主張している介護システムの整備拡充も質、量ともにまったくなされていません。家族に代わって生活の全般を長期に担う入所型の介護施設数は需要に対してまったく追いついていません。申し込みをしても、順番で2~3年待ちという状況です。結局は家族に甚大な人的、経済的負担がかかります。

核家族が定着した現在、高齢の配偶者だけで介護に当たらなければならない老老介護を強いられるケースが少なくありません。配偶者がいない場合には子供が職を辞して、親の家での看護・介護や通院のための搬送に当たらなければならず、次世代を貧困に陥れることになります。介護に疲弊したことによる家族内の殺人事件が後を絶たないことが日本の悲惨な介護環境を象徴しているのではないでしょうか。

身寄りのない独り暮らしの場合には在宅介護サービスだけが頼りです。ところが、この在宅介護システムの機能も向上するどころか、むしろ低下してきています。国が医療費と同じように介護費増加の抑制を図って、要介護度の判定基準を厳しくするとともに介護報酬を減額してきたために、質の高いサービスの提供を心がけている良心的な事業者ほど経営を圧迫されて、廃業せざるを得ない事態になってきているのです。

経営を維持するためにはサービスで手抜きをするか、職員に低賃金(平均月給21.5万円、20万円未満が47.6%)と過酷な勤務を強いるしかありません。最近発表された実態調査で昨年度の介護職員の離職率はなんと21.6%にも達することが分かりました。全産業の離職率16.2%に比べて余りに高い数字です。国の施策が介護を受ける人を苦しめるだけでなく、介護に携わる人の生活をも圧迫しているのです。


リハビリ難民とは2006年の診療報酬改訂によって疾患ごとにリハビリを受けられる期間に制限を設けたことによって生まれました。心筋梗塞や手足の骨折では150日まで、脳卒中では180日までというように上限を決めたのでした。

もっとリハビリを続けることによってさらなる機能回復が期待できる人であっても、原因疾患名によって機械的に治療を打ち切るという暴挙です。リハビリを受けたくても受けることができない人、これがリハビリ難民です。

これに対しては全国的な抗議運動が起こり、世界的な免疫学者である多田富雄東大名誉教授を中心に48万人もの署名が集まりました。予想外の反響に2007年4月に厚労省は手直しをしましたが、救済とはほど遠く、むしろこれまで以上早期にリハビリを打ち切られる患者さんを増やす内容でした。なぜならば国は、リハビリは続けられるものの、80日から140日を超えると医療機関に支払う診療報酬を2割から4割減らすという陰険で姑息な手段をとったのです。

つまり、140日以降、リハビリをすればするほど医療機関は赤字になってしまいますから、患者さんからリハビリを受けたいという要求があっても医療機関が断わざるを得ないという図式を構築したのです。長期入院者を追い出すのと同じ手法です。

お産難民(出産難民)とは産科医や小児科医の減少のために起きている深刻な社会現象です。地域の病院で出産を希望しているにもかかわらず、産科医のいる病院がなかったり、あったとしても周辺地域からその病院に産婦が集中するために、病院や医療スタッフの能力を超えてしまうために、その病院で分娩をすることができず、遠く離れた地域まで出産場所を捜し求めなければならない妊婦のことを言います。

医療は産科に限らず24時間体制の機能を要求されますが、一般の手術では多くの場合、予めスケジュールを組むことができます。しかし、お産は時間を選ばずに発現するために、産科医はもともと長時間労働を強いられてきました。それでも、死という悲しい場面にしか立ち会うことのない他の診療科と違って、産科医は唯一新たな生命の誕生という喜ばしい体験と、両親から感謝のことばを糧に仕事を続けてきました。

しかし、国の医療に対する不断のネガティブキャンペーンの成果のおかげで昨今、医療行為に対する感謝の念が薄れて、「普通に生まれて当たり前。少しでも不都合があれば不合理に訴える。」という風潮になってしまいました。遂には適正な医療行為を行ったにもかかわらず不幸な結果に終ってしまった事例で、産科医が逮捕されて刑事訴追を受ける事態になりました。これでは産科医を志す医師が減少するのは当たり前です。産科から撤退する医師が続出し産科医が減りました。

こうなると残った産科医にのしかかる負担が倍増します。頑張って産科に踏みとどまった医師はさらに過酷な勤務を強いられます。睡眠時間の確保さえままならない状態で診療に当たれば自分自身の健康も損ないますし、医療ミスを犯して訴訟を受ける可能性が増えます。結果、産科業務からの撤退を余儀なくされます。お産難民はこの負の連鎖によって生み出されました。

ネットカフェ難民とは24時間営業のインターネットカフェや漫画喫茶で夜を過ごして生活している人を言います。その中には家庭の事情で家から逃避している人や正社員がビジネスホテルの代わりに利用している場合もありますが、中心は家賃が払えずに低賃金の日雇い派遣労働(ワンコールワーカー)でその日暮らしをしている住所不定の若者です。

バブル経済破綻以降、各企業は経費削減の中核に人件費の削減を求めました。政府もそれを容認して、雇用者に有利な種々の規制緩和を推し進めました。その結果、1992年秋以降多くの企業が社員の新規採用を控えたために「就職氷河期」と呼ばれる時代になりました。これ以降新卒者が正規社員に採用されることが極めて困難になったのです。

こういった若者がありつける仕事の多くはアルバイト、パートタイマー、派遣労働であって、賃金は不当にやすく、身分の保証もありません。働いても働いても自立した生活をすることができず、明日の希望も持てない若者が急増しました。

一方、正社員の待遇も劣悪化しました。運よく正社員になれたとしても、正社員とは名ばかり。サービス残業を長時間強いられた上にパートタイマーとそれほど違わない給与しか得られないことも珍しくありません。健全な雇用システムが崩壊して極端な買い手市場になってしまったのです。

民間企業で働く労働者の平均年収は1998年以降減少の一途を辿り、2006年の平均年収は435万円でした。年収が200万円以下のいわゆるワーキングプアーは1000万人を突破しました。

一時は新たに生まれた介護事業がこういった若者の有望な雇用先になると期待されましたが、先程述べたようにそれも幻想に過ぎませんでした。貧困の檻に閉じ込められた若者に明るい出口は見えてきません。

貧困の波は若者だけを襲っているのではありません。相対的貧困率、生活保護世帯数、貯蓄ゼロ世帯数、自己破産件数、ホームレスの数などの指標すべてが、我が国の貧困者の増加を示しています。貧困者は世代を超えて増え続けているのです。

小泉は膨れ上がった財政赤字を解消するという錦の御旗のもとに多くの分野での歳出削減を図りました。財政再建は我が国が直面しているきわめて重要な課題で一刻も早く実行しなければなりません。歴代首相が既得権益者たちの圧力に屈して、先延ばしにしてきた難問に対して正面から取り組んだという点で高く評価しなければならないでしょう。

しかし、「聖域は作らずにあらゆる人に痛みを分かちあっていただくことによって破産寸前の財政の健全化を計る」という基本方針であったはずなのに、実際には障害者、高齢者、貧困者、若者などの弱者だけに痛みを押し付ける結果になっています。

肝心要であるはずの、官僚天下り権益のための無駄な公共事業費削減は遅々として進んでいません。企業は規制緩和に乗じて派遣社員で代表される非人間的な雇用システムを作って、労働者から不条理に搾取することが常態化してしまいました。

小泉の「骨太の政策」が、本命の財政再建に関しては思うほどの成果を得なかったにもかかわらず、格差社会を助長して貧困者を増加させただけであったことは明白です。小泉は「格差はどこの社会にもあり、格差が出ることは悪いことではない。」「成功者を妬んだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない。」と開き直っています。

確かに、私も格差は絶対になくならないし、努力したり能力のある者が報われないといけないと思いますが、その理屈は成功し得なかった者や社会への貢献を果たし終えた者も最低限の生活ができる、セーフティネットがきちんと機能していることが絶対的必要条件ではないでしょうか。

経済的貧困者、社会的弱者を、生きていくことさえままならないほどの困窮に追い込むような格差の加速状況を、健全な社会の姿だと考える人はいないはずです。


国の主権者は国民です。国民こそが国家の骨と言えます。ところが、「骨太の政策」というネーミングに反して、大多数の国民は疲弊しやせ細っていくばかりです。そんな状況でも痩せることなく増殖を続けているのは官僚組織、一部大企業、一握りの資本家だけです。主権者である国民を犠牲にして増殖するこれらの組織と一部の富める者は、身体にたとえれば癌のような存在です。

国民という骨を喰い潰して、癌だらけの空虚な国家だけが残るという事態にならないように、国は大至急国民のための施政に方針を転換しなければなりません。それが国家の本来あるべき姿だからです。

不眠と体温―寝苦しい夏―

連日猛暑が続いています。大気中のCO2濃度上昇だけを犯人だと決め付けるのは早計のように思いますが、地球レベルで急激な環境の変化が起きていることは実感できます。日本では夏の暑さが増して、暑い期間も延長しているようです。

私が幼少の頃は真夏でも30度を超える日は今ほど連続しなかったように記憶しています。今や、東京でも30度超えは当たり前、時には35度を超える日が続きます。さらに、アスファルトで固められた地面にコンクリートのビルが林立する大都会では、太陽が沈んでも大気が冷却されないヒートアイランド現象1の結果、熱帯夜が続くことになります。しかも夏の間日本列島を覆いつくす高気圧は太平洋の湿った大気を運んできますから、湿度が高くなり、高温とともに私たちの体を痛めつけます。

高温多湿の過酷な環境はさまざまな健康被害を生み出しますが、特に気を付けなければ危険な病態は、脱水と熱中症でしょう。この二つの障害は相互に関連しておき、しかも突然に症状が顕在化して、迅速に対処しないと生命にかかわる緊急事態です。しかし、症状の一つに意識レベルの低下がありますので、本人が正常な判断をできないことがあります。したがって、周囲に異変を気付いてくれる人がいない状況だと手遅れになる可能性大です。

単身生活者が増えている昨今、酷暑による犠牲者の増加が懸念されます。とりわけ高齢の単身生活者の増加は大変危険な状況だと考えます。なぜならば、加齢とともに口渇感覚が鈍くなり、体温調節機能も低下するために、高齢者は脱水や熱中症になる危険性が高いからです。

私はこの時期になると、受け持っている高齢者の方と会うごとに、エアコンを利用することと、水分と塩分を補給することを、繰り返して指示します。

一般に、エアコンは身体に良くないという誤った信仰があります。特に、この誤解は年配の方に多くみられます。確かに、彼らが若かった頃の日本の夏はこれほどに暑くはありませんでしたし、直射日光を浴びなければ自然の風だけである程度の涼をとることができました。しかし、現在の熱帯化し、コンクリート化した日本の都市で生活をするにはエアコンを利用しなければ健康を害してしまいます。

さて、脱水や熱中症のように急激で重篤ではありませんが、暑さによる健康被害で多いものに不眠があります。

先ほど述べたように、最近の日本では日没後も気温が低下せず蒸し暑い状態が朝まで続きます。最低気温が25℃を下回らない状態を熱帯夜と呼びますが、最近は最低気温が30℃を超える「超熱帯夜」という用語まで使われるようになりました。気温が30℃以上で湿度80%以上などという環境では心地よい睡眠が得られるわけがありません。気温が熱くなると何故寝つきが悪くなるかというと、私たちの体の深部体温がなかなか下がらないからです。以下にこの仕組みを説明します。

深部体温とは体の中心部(頭腔、胸腔、腹腔など)の温度で、体の外側の温度と異なって、外界の気温に左右されにくいのです。トカゲなどと違い、私たち恒温動物では、脳の体温調節機構の働きでほぼ一定(日中の活動期で約37℃)に保たれるようになっています。

この深部体温は外気温には影響を受けにくいのですが、24時間の周期の概日リズム(circadian rhythm《サーカディアンリズム》)で1.5~2.0℃程の差で自律的に変化をします。健康な状態では午後8時~10時頃に最高になり、午前4時頃に最低になります。

サーカディアンリズムと密接に結びついた生理機能と言えば、すぐに思い浮かべるのは睡眠・覚醒のリズムですが、睡眠・覚醒機構と体温調節機構とは実際に深い相互関係をもっています。

すなわち、深部体温が最高点から低下していく変換点の時期が最も眠りやすくなるのです。反対に最低点から上昇に転じると目が覚めやすくなるわけです。このメカニズムにはメラトニンという脳内ホルモンが関係しているようです。

つまり、メラトニンの関与によって、健康な生活だと深部体温が高温から低下し始める午後の午後10時頃から12時頃が眠りにつきやすい状態になるのです。言い換えれば、深部体温がうまく低下しないと寝付けないわけです。

先ほど、深部体温は外界の温度の影響を受けにくいように調節されていると言いました。しかし、いくら精緻に作られた体温調節機能をもってしても、外気温が28℃を超え湿度が高い状態が続くと、体温が逃げにくいし、汗が蒸散しにくくてさらに体温が低下しにくくなります。熱帯夜に寝付けない理由は深部体温がうまく低下しないことに起因するのです。

ではどうすれば深部体温を高温から低下に導くことができるでしょうか。一つの方法は眠ろうとする前にいったん深部体温を上昇させてあげることです。そうすれば、今度は低下に向かいます。催眠効果は深部体温の絶対温に依存するのではなく、高温から低下に向かう温度変化に依存するからです。

具体的には暖かいミルクやアルコールのお湯割りなどを飲むと内部の温度を上げることができます。また唐辛子など辛み成分であるカプサイシンという物質も内部の温度を上げる効果があります。夏に辛い物を食べるという習慣は結構理にかなっていると言えます。

こうして、深部体温を上昇させておいてから軽い運動や入浴をして発汗を促せば、体表から温度を放出して、深部体温も低下に転じやすくなります。

こういった工夫は寝つきを良くする効果はありますが、熱帯夜の状態ではいったん低下した深部体温が再び上昇に転じてしまい、せっかく眠ったのに数時間で目が覚めてしまいます。アイスノンなどを利用して、脳に行く動脈の通り道である首筋を冷やすと睡眠を維持するのに効果があります。

しかし、こういった工夫にも限界はあります。東京の真夏ような異常な生活環境で快適な睡眠をとろうと考えると、やはりエアコンを利用する以外ないように考えます。地球環境やエネルギー問題を考えた場合、みんなでエアコンを使用することがよくないのは充分承知しておりますが、個人の健康を考えるとそうも言っていられません。特に体温調節機能が脆弱な高齢者や乳幼児の健康被害を防止するためにはエアコンは必需品です。このあたりが環境問題の難しさです。

エアコンの利用とはいっても、極端に冷房するのではなく、除湿して室内の湿度を下げるだけで快適な睡眠環境を得ることができます。自分の健康と地球環境のバランスを考慮しながら、なんとかこの夏を乗りきりましょう。
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