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クリニック西川

2008年9月

どうなる?後期高齢者医療制度―老人を乗せた漂流船―

以前このコラムでアウシュビッツ行きの貨車に例えた後期高齢者医療制度が脱線し、車軸を失って、ついに漂流船になってしまったようです。
福田さん辞任に端を発した自民党総裁選挙まっただ中に、舛添厚労相が実施間もない新医療制度の廃止を匂わせるかのような、「後期高齢者医療制度の抜本的見直し」を打ち出しました。あまりにも唐突なフライイング発言に、パートナーの公明党はおろか、お膝元の自民党の中からもブーイングが湧き起こりました。慌てて翌日には訂正発言をして、内容をトーンダウンさせました。
しかし、舛添さんが打ち出した見直し案の3つの基本方針、①75歳という年齢で区切らない、②保険料の天引きを強制しない、③年齢層による負担の不公平感を助長しない、はとても素晴らしい提案だと思います。新医療制度が実施されて以来、多くの国民が指摘してきた問題点を集約した改善方針です。
ただし、彼の発言がなぜ今この時期になされたのかという点を考えると、いくら高邁な理念を掲げてみせても、①間もなく行われることが予想される解散総選挙に向けて自民党が有利になるような国民に対する美味しそうな撒き餌をしておく、②総裁選で顔を売った、麻生以外の立候補者たちと比べて相対的に低下した自分のステータスを回復する、③麻生政権においてもなんとか閣内にとどまりたい、といった卑しい党利と私欲が見え隠れしてしまいます。
ともあれ彼の一言で、後期高齢者医療制度が来るべき総選挙の重要争点として取り上げられることが確実になったことは喜ばしい限りです。与党、野党ともに高齢化社会の社会保障のあるべき姿を具体的に提示していただき、単に票集めのためだけの甘言で終わることなく、政権担当後はただちに実行していただきたいものです。

すでに、スタートした新医療制度は高齢者の医療そのものだけではなく、この制度を支えるための各健康保険組合からの負担金増加、最近このコラムで取り上げた歪な特定健康診断など、現役世代に対してもすでに多くの悪影響を及ぼしています。
中でも健康保険組合の後期高齢者や前期高齢者の医療に対する負担金の増加は深刻で、一部上場企業の健康保険組合の数社が解散する事態になりました。現行の医療制度が継続されるならば、各健康保険組合の収支は次々と赤字化して、今後さらに多くの健康保険組合が解散し、政府管掌健康保険(政管健保)に移行すると考えられます。こうなると、労働者はこれまで受けられていた独自の保険サービスを受けることができなくなります。
さらに折しも、不祥事続きの社会保険庁解体に伴って、この10月から政府管掌健康保険は全国健康保険協会管掌健康保険(協会けんぽ)に衣替えされます。協会けんぽではこれまで全国一律に8.2%(労使折半)であった保険料率が都道府県ごとに設定され、各都道府県で医療費がどれくらいかかるかで異なってきます。厚労省が2003年度の医療費を基に行った試算では、北海道で8.7%と最も保険料が高くなり、一番低い7.6%の長野県との間で1.1%もの格差を生じます。年収400万円のサラリーマンの場合には自己負担の保険料に年22,000円もの差が出てくることになります。世代間の不公平に加えて地域間の不公平も拡大していくのです。
こんな最中に大手健康保険組合が次々と解散して、この協会けんぽに流れ込んできたらいったいどうなるのでしょう。現在でも年間約8000億円の国庫負担で維持されている政管健保です。現在のやり方では国庫負担額は雪だるま式に膨らんでいきます。財政再建にとって大きな足枷になります。
国が腰を据えて社会保障を国家運営の柱であると考え直さない限り、保険料率の上昇は避けられません。現在国民は先の見えない経済不況と生活必需品を中心とした物価高にあえいでいます。いくら現役世代とは言ってもこれ以上の保険料アップを強いられると、生活に支障をきたす世帯は少なくありません。かといって、医療費の自己負担分を増やすこともできないでしょう。現在の3割が限度だと思います。4割、5割の自己負担となると、もはや保険という体をなさなくなります。アメリカの禿鷹資本が待ち望んでいた、国民皆保険制度の完全崩壊です。
こういう状況を作り出した張本人の小泉はさっさと逃げ出しましたが、彼が「聖域なき財政再建」というきれいごとで推し進めてきた、先見性のない政策の付けが一気に表面化しているのです。
国家運営には絶対に侵してはならない「聖域」が必要なのです。国民の生命を守る社会保障は、マネーゲームで損得勘定する分野や天下り役人の私腹を肥やすために行う公共事業と同格に扱われるべきものではないのは自明です。それなのに、多くの国民が稀代の詐欺師である、小泉、竹中の催眠術にかかって味噌も糞も一緒にした破壊行動に参加していたのです。

舛添厚労相の掲げた3つの方針は言うは易し、行うは難しです。しかし、この方針はわが国がこれまで世界に誇ってきた国民皆保険制度の基本理念であり、絶対に忘れてはいけない大原則です。
実現化には我が国が、国政全体の中において社会保障というものをどう位置付けて考えるのかという根幹に関わらざるを得ません。私たち国民は自分自身の今日、明日の生活だけでなく、孫子の将来を懸命に想像して、主権者としての行動をとりましょう。
選択肢が豊かだとは言えませんが、選挙には必ず参加しましょう。選挙権を行使しない人に政治を批判する資格はありません。私は、漂流して沈没寸前の我が国医療保険制度をしっかりとしたレールに戻すための具体的方策を指標にして、投票したいと思っています。

認知症あれこれ(2)―成年後見制度における精神鑑定―

成年後見制度については以前のコラムでも取り上げましたが、これまでに私が関わった事例を通して感じた幾つかの問題点を中心に、再度考えてみたいと思います。
この制度は民法第1編第2章第2節の「行為能力に関する規定」で定められています。平成12年以前の後見制度では本人の判断能力に応じて、禁治産と準禁治産の2つの類型に分けられていました。禁治産は心神喪失の者、準禁治産は心神耗弱者を対象としてそれぞれについて保護の内容を規定していました。しかし、この制度では判断能力が低下の程度が心神耗弱ほどではないが、一定の支援がなければ自己の安全や適切な財産管理をすることができない人を保護することができませんでした。
国は、この欠点を補うこと、またその人の状況に応じて弾力的で利用しやすい後見制度を国民に提供することを目指して民法の改正を図りました。この改正案は平成11年7月6日(第145回国会)の本会議において承認されて、平成12年4月1日から新しい成年後見制度が施行されたのです。
旧法における禁治産および準禁治産の法定後見は判断能力の低い順に「後見」、「保佐」、「補助」の3つの類型に改められました。またこの3つの法定後見以外に、平成11年12月3日の第146国会で新設された「任意後見契約に関する法律」に基づいて「任意後見」という制度を設けました。
「後見」は従来の禁治産に、「保佐」は準禁治産に相当します。「補助」は新たに設けられた類型で、判断能力が不充分ではあるものの、保佐の対象になる程度には至っていない人を対象としています。
「後見」が認められ、成年後見人が選任されて後見が開始されますと、本人の行為の全般について成年後見人が代理することができますし、本人がした行為を取り消すことができます。
「保佐」の場合には判断能力がまったくないというわけではないので、日常的な行為は本人に任せますが、財産に関する重要な行為には選任された保佐人の同意が必要になります。保佐人の同意を得ないで行った重要な財産行為は取り消すことができます。また、家庭裁判所は必要に応じて保佐人に代理権を与えることができます。
新しく設けられた類型の「補助」の対象者は自己の安全保持や財産の管理・処分もでき得るが、その判断が充分とはいえないために、誰かに代わってやってもらったほうが危険性が少ないという程度の人です。ですから、選任された補助人は本人を代理する権限や、本人が行う重要な行為に関して同意する権限が与えられますが、その代理権や同意権の範囲や内容は家庭裁判所が個々に判断して決定します。そして代理権や同意権が与えられた事項については、補助人は成年後見人や保佐人と同様の権限を持ちます。
しかし、「補助」が「後見」や「保佐」と大きく異なる点は、補助を開始するためには本人の申し立てあるいは同意が不可欠であるということです。補助の対象者は一定水準の判断能力を有しているわけですから、補助という支援を受けるか否かについては自己決定するべきであるという考えです。

新しく立法された任意後見制度は、将来、精神障害によって判断能力が低下した場合に備えて、本人が予め任意後見人になってもらう人とその権限についての契約を任意後見受任者と結ぶという制度です。この契約を結んでおけば、現在は自立した生活を送っていられても、いざ本人の判断能力が法定後見の補助以上に障害された場合に、家庭裁判所が任意後見人をさらに監督する任意後見監督人を選任して、任意後見受任者が任意後見人となって、契約が実効化されます。
この制度は契約締結時には判断能力に問題がない人を対象としていますので、任意という名前の通り、本人の申し立てまたは同意がなければならないことは言うまでもありません。

この制度が実施されてから8年になりますが、高齢化に伴う認知症の増加と、関係者の啓蒙活動の結果、年々10~30%位の割合で利用者が増えています。平成18年度は自立支援法の改正にともなって、施設入所者に対する後見申立が集団で行われたために前年比50%を超える増加率でした。この年が異常に多かったために(全申立件数:32,629件)、平成19年度は計算上では前年比23%の減少(全申立件数:24,988件)となりましたが、成年後見制度の利用者は今後も増加していくものと思われます。
類型別に見ますと「後見」が圧倒的に多く、平成19年度は全申立件数の85%が後見開始の審判でした。次いで、保佐、補助の順番になります。その仕組みが充分に知られていないためでしょうか、任意後見制度の利用はまだまだ多くありません。平成19年度の任意後見人監督選任の審判の申立は426件に過ぎませんでした。
審判の結果、申立の90%が認められています。取り下げや本人が死亡したことなどが9.4%あり、却下は0.3%にとどまります。
申立は本人、配偶者、四親等内の親族、身寄りのない場合には市区村長のほか検察官もすることができますが、実績としては本人の子供が最も多く、次いで兄弟姉妹、配偶者と並びます。市区村長は年々増加してきて平成19年度は6.1%でした。身寄りのいない高齢者が増えてきていることを反映しています。

成年後見制度の審判に際しては本人の精神状態を知るための資料として医師その他適当な者に鑑定をさせなければならないとされています。事理判断能力を中心とした精神の状態を鑑定するのですから、精神科医が鑑定するのが適当であると思われますが、年々増加する需要に対して精神科医だけでは迅速に対応することが困難です。
このために、最高裁判所は、精神科以外の一般科の医師でも鑑定書を書くことができるように、典型的な具体例を添えたガイドラインを作成しました。さらに、一般医がもっと容易に鑑定書を書くことができるようにと、誰が見ても一目で「後見」相当と分かるような精神障害の程度の重い事例においては特記するべきことがない場合には「特記事項なし」にチェックすれば済む、要点式の書式も作成しました。
しかし、私がこれまでに依頼された鑑定の多くは要点式のチェック方式の鑑定書で済まされるような事例はごくわずかでした。多くの事例はガイドラインに倣って書けば済むというもではなく、難しい判断を要求されるものでした。その中のいくつかをご紹介します。
1.認知症の程度はごく軽度だが、元来の性格異常が脳の老化によってカリカチュアかされて、家族や近隣住民とトラブルをくり返すようになりました。また、高額な宝飾品を次々と買い込んでしまい、莫大な借金を作ってしまった女性です。この女性は子供に恵まれなかったために、親族に当たる男性を養子にして、養子一家と同居していました。申立人はこの養子です。それまではなんとかうまくやっていたのですが、加齢とともに先程述べたような症状のほかに、養子夫婦に財産を狙われているという被害的な訴えをするようになりました。実際にこの女性は土地、家屋のほかにかなりの資産を有していました。日常生活の状態については申立人である養子夫婦からの聴取がかなりの部分を占めます。このために、本人の訴えを妄想と片付けてよいのか、申立人からの聴取内容がどれだけ客観的なものなのかを慎重に判断しなければなりませんでした。結局6回ほど往診による診察を重ねて鑑定書を書き、補佐開始の決定を受けました。
2.兄弟間で母親の処遇と財産の管理をめぐって争いがあり、その争いに成年後見制度が悪用された事例です。この女性には娘2名と息子1名の子供がいましたが、息子が知り合いの医師に後見申立のための診断書記載を頼み込みました。その医師は本人を充分に診察もしないで「自己の財産を管理・処分することができない」という診断書を書いてしまいました。息子はこの診断書を根拠に自分を後見人として後見開始の審判を申し立てるとともに、本人を「部屋の補修をする間だけ仮住まいしていてくれ」と言いくるめて、有料老人ホームへ入所させてしまいました。この入所にかかわる費用は母親の預貯金から支払っていました。これを知った娘たちはびっくり。また、何ヶ月過ぎても家に帰れないことを不審に思った本人もホームに対して退所を要求しましたが、老人ホームは「契約者は息子さんだから息子さんの要求がなければ身柄は渡せない」の一点張り。老人ホームは1年たたないと保証金を返還しなければならないので、なんとかそれまで身柄を預かっておきたかったようです。困り果てた娘たちが弁護士に相談。この弁護士から依頼を受けた私は、精神科医であることを隠して老人ホームへ往診に出向きました。簡易知能検査であるHDS-R、MMSEともに20点台の後半の得点で、記憶力や見当識に若干の機能低下があるものの重大な判断能力低下は認められませんでした。また、本人は明確に自宅での生活を希望しました。この診察結果をもとに書いた私の意見書を根拠に弁護士が強引に本人の身柄を解放しました。その後、警察の介入やらなにやら大騒動があったのですが、結局は息子の申立は取り消され、本人と娘たちがあらためて申立をして、娘と第3者の弁護士を補助人とした補助開始の審判が下りました。
3. 認知症の父と同居する一人娘から申し立てられた補佐開始の審判に対する鑑定の事例。立ち居振る舞いはしっかりしていて、食事、排泄、入浴などの日常的な行為は概ね自分でできています。補助診断として施行したMRIでもほぼ年齢相応の萎縮しか認められませんでした。しかし、外にでることがなく、買い物も自分ではできません。HDS-Rでは8点で高度認知症の範囲になります。なぜ、知能テストでこれほど低い得点になってしまうのだろうかと考えると、目の前に与えられた課題に取り組もうという意欲がないか、集中が保てないことが原因であろうと思われました。しかし、経過や面接時の観察からは治療によって回復するうつ病だとも言えません。やはり脳の機能低下が特に意欲や注意力に現れている結果であろうと判断しました。理由はともあれ、最高裁判所のガイドラインでもっとも重視されている金銭管理はまったくできない(しようとしない?)のですから、ガイドラインに従えば、保佐ではなく後見に相当します。私自身「後見とも言えるし、保佐とも言えるな」との思いを抱いたまま保佐相当という主旨の鑑定書を提出しました。案の定、後日家庭裁判所から連絡があり、裁判所でも申立の通り保佐開始の審判にするか、後見に切り替えるか判断に困っているというのです。この事例では身寄りは同居して一生懸命介護している申立人の一人娘しかいませんから、財産をめぐる争いが発生する危険性が少ないので、後見でも保佐でも事実上大きな違いは出てこないと思われますが、複雑な家族関係であった場合には難しい判断を迫られることも多いのではないでしょうか。

認知症と一口に言っても、症状の進行は教科書通りではありません。個々の症例によって機能によって障害の程度が異なります。認知症はのっぺらぼうではなく、それぞれ独特の顔をもっているのです。本当の末期になれば医師でなくても鑑定できるでしょうが、初期から進行期では注意深い観察と鑑別が必要となります。要点式の書式ではすまないのです。
また、事例1.のように認知症だけが問題ではない例も少なくありません。若い頃から何らかの精神障害にかかっていたが未治療で、認知症も加わってきたために処遇が困難になっているとしか考えられないケースにもよくお目にかかります。
この制度が一般の方にもっと理解されてくると、後見に至る前の保佐や補助の段階での申立が増えてくると考えられます。そうなると、やはり精神科医の出番が増えてきそうです。
新設された任意後見制度はまだ普及していませんが、とてもよい制度です。自分がまだしっかりとした判断能力がある段階で、将来に備えてしかるべき人と契約を結ぶことと遺言状を書いておくことは、これからの高齢者に必要なことだと考えます。

非社会性人格障害―総理大臣に求められる資質とは―

昨年の今頃、前総理大臣の安倍晋三さんが突然辞意を表明して世間を驚かせました。それから1年も経たないうちに、後任の福田康夫総理大臣がまたもや唐突な辞意表明をしました。満身創痍で顔色も悪く、見るからに今にも倒れそうだった安倍さんと比べて、福田さんの辞意表明はあまりにも唐突でした。
この辞意表明のニュースに対する各界のコメントの中で、ある女流漫画家が「国民は、夫婦でいつも通りに食事をしている最中に、夫から突然『別れる』と言われた妻みたいなものだ」というような表現をしていました。まことに的を射た比喩だと思いました。
ご当人は緊急記者会見でも相変わらず無感情に解説者のような応答していました。ところが、ある記者から「総理の会見は国民にはちょっと他人事のように聞こえるんですが・・・・・」という前置きで、今回の辞任が自公政権に及ぼす影響について尋ねられた途端、その記者を睨みつけて「他人事のようにとあなたおっしゃたけれどもね、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。」と言い放って、一目散に会見場を後にしてしまいました。
いつも他人事で人間味を感じない福田さんが、最後の最後に人間性をあらわにしてキレた瞬間として、どこの放送局でも繰り返してこの場面を放映しました。しかし私は前々から彼の顔付きを見ていて、その人間性や人としての器はこんなものだろうと想像していました。
日頃テレビで見る顔付きから、自尊心が高く、他者と共感する能力が低く、自分を必要以上に知性的に見せようとする人だと考えていました。何か困ったことが起きた時に、その問題をあるがままに受け止めて、正面から悪戦苦闘するのではなく、他人のせいにしたり、合理化してしまう傾向も見てとれました。
そういう人が、これまでひた隠しにしてきた政治、行政の矛盾が一気に噴出した状況に総理大臣の任に就くということは、ご本人自身も心から望むところではなかったのではないかいと推察します。それでも総理大臣に任命された以上は全力で責務を果たすだろうと思っていましたが、その期待が裏切られてしまいした。国民から見れば、「僕、いち抜けた!」と言って遊びを止める幼稚園児を連想してしまうほど唐突な辞任劇でした。このために、全国民が「無責任」と非難の声をあげました。
しかし、彼の発言をよく吟味すると、彼は「無責任」である以前に一国の宰相としての資質に重大な欠陥があったのだと思います。つまり、「無責任」以前に「能力不足」であったのではないでしょうか。
自分を客観的に見るということは人間にとって最も難しい行為です。自分の周りで起きる事柄を客観的に見ることだって難しい作業なのですが、そういうことができる人でさえ、自分のこととなるとあるがままに客観視できないのが通例です。福田さんがもし本当に自分のことを客観視できるのだとすれば、彼はもう神に近い能力の持ち主と言わざるを得ません。もし、そうだとしたら1年前に今の状況になることが予想できて、初めから総理大臣を引き受けていないはずでしょう。「自分のことを客観視できる」と自己評価していること自体、自分のことはおろか世の中の出来事をも客観的に判断する能力が高くないことを物語っているのです。
万能を持ち合わせている人はいるはずがありません。どんな人も長所と隣り合わせに欠点があるものです。しかし、全力で責務を果たすという使命感を忘れずに頑張ってくれれば国民は暖かく見守ったでしょう。福田さんの言動からその必死さが感じられなかったことが、福田さんの不幸であり、国民の不幸であったのではないかと思います。
ちょうどこの辞任表明の2日後にNHKで放映された「その時歴史が動いた―日本降伏前篇、焦土に玉音が響いた」を観て、私の頭の中で改めて福田辞任の無責任さが際立って印象付けられました。
ポツダム宣言が出されてからその受諾決定までの約3週間、時の為政者たちは考え方はともかくとして、国家の危機に対して己の命を賭して真剣に取り組みました。彼らは国土が焦土と化して、多くは自分自身が戦犯として処罰されることを知りながら、国の生きる道を模索したのです。
この放送を見た後にも、繰り返し流される福田さんの気取って無表情を装う表情を観ていているうちにまたまた精神科医の悪い習性が湧いてきました。一つの診断名が頭に浮かんできたのです。
それは「非社会性パーソナリティ障害(Dissocial personality disorder)」です。ICD-10による非社会性パーソナリティ障害の診断項目を挙げてみます。
①    他人の感情への冷淡な無関心。
②    社会的規範、規則、責務への著しい持続的な無責任と無視の態度。
③    人間関係をきずくことに困難はないにもかかわらず、持続的な人間関係を維持できないこと。
④    フラストレーションに対する耐性が非常に低いこと、および暴力を含む攻撃性の発散に対する閾値が低いこと。
⑤    罪悪感を感じることができないこと、あるいは経験、とくに刑罰から学ぶことができないこと。
⑥    他人を非難する傾向、あるいは社会と衝突を引き起こす行動をもっともらしく合理化したりする傾向が著しいこと。

いかがでしょう。刑罰は別として、この1年間の彼の言動をよく説明できるのではないでしょうか。しかし、間接的とは言え、このような人物を総理に選出したのは私たち国民です。私たち自身が深く反省しなければいけないのかもしれません。
個人的な利益、その場しのぎの甘い公約やかっこいいパフォーマンスに惑わされて、日本を抜き差しならないほど歪んで、先行き不安な国にしてしまったのは、主権者である私たち国民なのです。一人一人が現在の日本国内外の状況をよく勉強して、民主主義国家の成熟した国民としてふるまうことができるようにならなければ、我が国の明るい将来は見えてこないのです。

ところで、次ぐ総理大臣の辞任劇を見てもう一つ病名が浮かびました。「五月病」です。この病名は最近ではあまり使われなくなりましたが、大学の新入生に見られる「燃え尽き症候群」のことです。晴れて希望の大学に入った若者の中で、1カ月ほど経った5月頃になると抑うつ、無気力、不安、焦燥感、不眠、疲労感といったうつ状態に陥るケースを指して名付けられたものです。
日本一偏差値の高い大学、東京大学の駒場キャンパスで数多く見られ、ちょうどその時、駒場キャンパスが「五月祭」の時期に当たるために「五月病」と呼ばれるようになりました。
そういうケースを分析しますと、彼らの目標が東大で何かを学ぼうということではなく、東大に入学することそのものが目標であることが、本疾患の発症病理の大きく関与していることが分かりました。本来、大学入学という出来事はその後、そこで学業研鑽するための手段であり通過点です。ところが、あまりに受験競争が厳しいために、いつの間にか大学入学そのものが最終ゴールであるかのように錯覚してしまい、入学してしまうと目標を失ってやる気をなくし、燃え尽きた状態になってしまうのです。
就任して数か月でやる気をなくし、外連味のないすがすがしい顔で総理大臣を辞めていく人は、自分の信念に基づいて国を舵取りしたいという目標のために総理になったのではなく、総理大臣になることが最終目標であったのではないかと思えるのです。
とにかく総理大臣になることが最終目標ですから、なってしまえばあとはどうでもよいのです。官邸玄関での集合写真に収まれば、総理大臣を経験したというアリバイが完成。運よくサミットの議長にあたって、各国首脳の中央で写真に収まればこれはもう大当たりのグリコのおまけ。
たとえ1カ月であろうが、経歴には総理大臣と記されますし、叙勲の際にも任期はあまり問われないようです。大変な苦労をする前に一刻も早く辞めたいという気持ちは十分に理解できます。
肩書き作りを目標(もちろんそれに絡んで利権も手にするが)に政治家をやっているのではないかと疑いたくなるのは安倍さん、福田さんだけではないでしょう。ごく一部の例外を除いて、近頃の議員の大半の目標が役職に就くことにあるように思えてなりません。
国民や国家のために働くという政治家本来の目的を遂行しようとするならば、それはきわめて過酷な滅私の行為であり、進んでやりたい仕事であるはずがありません。それなのに、2世、3世の議員があふれる今の日本の政治の世界を見ると、今の政界は目標設定がずれている人たちの集団であるように思えます。
ポスト福田で雨後の筍のように候補者が名乗りを上げていますが、その顔ぶれを見ても、高邁な目標達成の手段として総理を目指していると信じきれないのは私だけでしょうか。
現在我が国は膨大な赤字国債を抱え、社会保障制度は崩壊、食糧やエネルギーも危機に瀕し、さらに世界全体が1929年の世界大恐慌前夜の様相を呈してきています。国家安全保障という視点からも、世界各地で民族紛争が勃発し、それに乗じて利益を求めて大国間での緊張が高まっています。また、イラク、アフガニスタン、パレスティナなどで繰り返されるテロの応酬は止む気配を見せません。直近では金正日が脳卒中で倒れたというかなり確度の高い情報が入りました。今でさえ危うい我が国周辺の安全がさらに不安定さを増すことが想定されます。太平洋戦争時のように明確な戦争の形をとっていないために多くの人があまり深刻に考えていませんが、現在の日本は国家存亡にかかわる重要案件をいくつも抱えているのです。
この国家の浮沈をかけた大事な時期ですから、ポスト福田には是非とも宰相としての資質を多く備えた方に総理大臣に就任していただきたいものです。ところが、今回名乗りを上げた方々の言動を観察していると、残念ながら信じて将来を託すに足る人を選ぶのはかなり困難です。多くの人に何か欠けています。中でも教養と品格に欠けて欲の皮が突っ張った「政治屋の顔」が多いと感じるのは私だけでしょうか。
私が総理大臣に求める資質は、溢れんばかりの教養と、それに裏づけられた歴史的展望をもった国家感。人としての品格。究極の場面で決断する勇気。自分の決定に対して最後まで責任を持つ潔さです。
私たち国民は政治家の口から出てきた言葉だけを信用するのではなく、過去の行動実績、日頃の言動を注意深く観察して品定めをしましょう。一国のトップのレベルは、その国民のレベルに比例します。私たち一人一人が主権者としてのレベルを向上させることこそがこの国の明るい将来を約束するのです。

特定健康診査―メタボリックシンドローム―

今年の4月から特定健康診断・特定保健指導という制度が開始されました。この新しい健康診断は昭和57年に制定された「高齢者の医療の確保に関する法律」を基礎に、昨年12月に公布された「特定健康診査及び特定健康指導の実施に関する基準」という厚生労働省令が根拠となって強制的に行われる問題山積の健康診断です。

対象は40歳以上74歳以下の公的医療保険(健康保険組合および国民健康保険)に加入している被保険者とその被扶養者全員です。義務を負うのはその医療保険を管掌している保険者です。

本来、国民の健康維持は国と国から委託された地方自治体、すなわち行政の重大な責務です。それを健康保険者に押し付けて、実際の業務は民間事業者にまる投げするつもりです。保健指導は一定の基準が決められていて、それを超える指導は有料になります。健康診査そのものについても受診者から一部負担金を取るかどうかは保険者の判断任せという無責任さです。

厚労省の目的はこの健康診査とその後の健康指導によって、疾病を予防して医療費の削減をしようというものです。この目的のために目をつけたのが、いわゆる「メタボリックシンドローム」と呼ばれる病態です。ですから、この特定健康診査・特定健康指導は俗に「メタボ健診」と呼ばれます。

では「メタボリックシンドローム」とはどのような病態を指すのでしょう。言葉だけが先行して、メタボリックシンドロームを正確に理解している人は多くありません。後で述べるように、メタボ健診の行き過ぎた基準とそのプロパガンダの影響で、多くの人が単に太った人を「メタボ」と呼んでいるように見受けられます。

メタボリックシンドローム(metabolic syndrome〔代謝症候群〕〕とは内蔵脂肪型肥満に高血糖、高血圧、高脂血症のうちの2つ以上を合併した状態を言います。シンドロームX、死の四重奏、インスリン抵抗症候群、マルチプルリスクファクター症候群、内臓脂肪症候群などと呼ばれていた病態を統合整理した疾病概念です。

糖尿病、高血圧、高脂血症は単独でも動脈硬化の促進因子であり、心筋梗塞や脳梗塞などの発症危険性を高めますが、これらが重なるとこれら心血管性疾患や脳血管性疾患の発症が一層ハイリスクになります。したがって、こういう病態を改善すれば、動脈硬化の進行を遅らせることができ、ひいては心筋梗塞や脳梗塞などの発症を防げると考えられるのです。

肥満には内臓脂肪型肥満(りんご型肥満)と皮下脂肪型肥満(洋梨型肥満)の2種類に別けられます。皮下脂肪型肥満は下半身太りとも言われて腕や足や尻などの皮下に脂肪が溜まってブヨブヨした感じになります。中年以降の女性によく見られる肥満です。これに対して、内臓脂肪型肥満は中年以降の男性によく見られる肥満で、俗に「ビール腹」と呼ばれる太り方です。

1951年フランスのJouveとVagueが同じ肥満でもりんご型の肥満者は心血管性の疾患にかかりやすいことを指摘しました。これに対して同じ肥満でも、洋梨型の肥満者にはその危険性が少ないと言うのです。その後、1981年にRudermannたちが、別に肥満者でなくても心血管製疾患のリスクの高い人がいて、その原因は血中のインシュリンの値が高い人だという研究結果を発表しました。

1988年、Reavenが三大生活習慣病である高血圧、糖代謝異常、脂質代謝異常の基礎にはインシュリン抵抗性1というものがあって、それによって心血管性疾患が引き起こされると主張し、「Syndrome X」と名付けました。1989年Kaplanがこの三大生活習慣病に腹部脂肪型肥満を加えて「死の四重奏」と命名しました。その後もインシュリン抵抗性に関する研究が進んで1998年にWHOが「メタボリックシンドローム」という病名を正式に認めました。

厚労省が実施する特定健診で採用されるメタボリックシンドロームの診断基準を以下に示します。
腹囲:男性85cm以上、女性90cm以上
BMI:25以上
血糖:空腹時血糖 100mg/dl以上 HbA1c 5.2%以上
血圧:最高血圧130mmHg以上 最低血圧85mmHg以上
血中脂質:中性脂肪150mg/dl以上 HDLコレステロール40mg/dl未満

この健康診査ではこういった基準の中でも厚労省が重きをおいているのが腹囲とBMIです。BMIはBody Mass Indexの略で
BMI=体重(kg)÷身長(m)2
の計算式で算出される肥満度を表す数値で、下記の判定基準が設けられています。
BMI値
判定
18.5未満
やせ
18.5~25未満
標準
25~30未満
肥満
30以上
高度肥満
腹囲が基準値を超えるか、BMIで肥満と判定されると血糖値、血圧、血中脂質の値によって各種健康指導が義務付けられます。

BMIは現在もっとも広く使用されている肥満度判定指標です。そのBMIにしても男女間の骨格の違いなどを考えると男と女で同じ値を基準にすることはいかがなものかとの疑問がありますが、まだそれなりに信頼できる指標だと思います。

しかし、腹囲基準はいかがなものでしょうか。腹囲が85cmくらいの健康な男性はそこらじゅうにいます。一方、女性で腹囲が90cmといったら相当な肥満ではないでしょうか。

厚労省が採用したメタボリックシンドロームの判定基準は日本肥満学会が中心になって日本内科学会が2005年に策定したものですが、この基準は国際的にも認められていないし、国内でも研究者の間で考えが異なっていて、甚だ科学的な根拠に乏しい基準値なのです。

男の基準値が女の値より小さいのはこの日本の診断基準だけです。WHOの診断基準、国際糖尿病連合(IDF)の診断基準、アメリカの脂質研究者グループ(NCEP-ARPⅢ)が作成した診断基準などなどいずれを見ても、男性の腹囲基準値のほうが女性のそれよりも大きい値になっています。

素人が考えたって、男性が85cmで女性が90cmという基準が現実離れをしていることはすぐに分かるにもかかわらず、国は国内外から批判の多いこの基準にこだわり続けました。

この健康診査制度の具体的な方策を検討するための審議会は「標準的な健診・保健指導の在り方に関する検討会」と称するもので、座長は久道茂という東北大学の公衆衛生の教授を務めた医学者です。実際に患者さんたちの診療経験の乏しい基礎医学者です。

また、この検討会の委員には男85cm、女90cmという基準を作った張本人の現住友病院長の松澤祐次という医師も当然名前を連ねていました。彼が診断基準作成に当たって集めた標本数はきわめて少なく、女性にいたってはたった194名のデータでしかありません。検討会では他委員からの異論も少なくなかったようですが、久道と松澤の二人で押し切ってしまったようです。

政府はあらゆる分野の法、政令、省令などを策定する過程で、有識者による検討会とか審議会とかを招集します。第三者による学問的、客観的な検討を重ねた結論であるという大義名分を作るための手段であり、結論は最初から役人が作成した原論に落ち着くようになっています。

やらせ問題が表面化した、国民を対象として行われる「ヒアリング」と同様に、国民からの反論や不満をかわすためのガス抜き装置です。召集される委員の選定は役人に委ねられていますから、行政とのパイプが太くて、行政の言うことを素直に聴いてくれる御用達学者が集められることは火を見るより明らかです。

特定健診施行に関する幾つかの検討会もこれまでの例にもれず、厚労省の原案通りの結論になりました。



今まで述べてきたように、科学的に正当な検討を踏まえないで、医療費を削減するという金銭勘定だけを主目的として非合理的な健康診査が実施されることになりました。厚労省の目論見は国民の健康のためではなく、結局は金だということは明らかです。なぜならば、糖尿病などの発症を予防して医療費を削減するというだけならばまだ納得がいくのですが、そうではなく、この制度を利用して各保険者からペナルティ金を徴収して、国の負担を少なくする仕組みになっているからです。ペナルティ金の出所は現役世代が各保険者に支払っている健康保険料です。つまり、健康診査の看板を付け替えることによって、名目を変えて、現役世代に高齢者の医療費を負担させる姑息な手段でもあるのです。

平成24年度の時点で以下の目標値に達しない保険者は後期高齢者医療制度の支援金を加算されるのです。そのもの自体問題だらけの後期高齢者医療にかかる費用を保険者からむしりとろうと魂胆です。その目標値とは①特定健康診査実施率65%、②保健指導実施率45%、③メタボリックシンドローム減少率10%です。

この3つの項目で優秀な結果を出した保険者は支援金を減じられるのですが、健診実施率、保健指導実施率はともかく、③メタボリックシンドローム減少率という概念自体きわめて曖昧で合理的でありません。はっきりとメタボリックシンドロームと考えられる人が指導の結果、多少の改善をしても、減少とは認められません。逆に症状が悪化して、指導だけではだめで服薬治療が開始されると特定指導の対象外となって減少率にカウントされます。また、高血圧、糖尿病、高脂血症などがまったく改善されていなくても、問題の腹囲さえ基準以下に減っていれば、減少率にカウントされます。

したがって、後期高齢者医療制度への支援金減少を図る保険者は、ハイリスクの人たちへの指導は最初から諦めて、軽度のメタボリックシンドローム予備軍への指導に力を入れることになるでしょう。

もともと腹囲なんてものは測り方しだいで6~8cmの誤差が出てくると言われています。「初めの健診では大きめに測定をして、健康指導をした後の健診時には精一杯腹を引っ込まさせて、85cm未満の数字を記入すればよい」という、冗談だか本気だか分からない噂話を耳にします。

厚労省はこの特定健康診査・特定保健指導によって糖尿などの発症を予防すれば20年後の医療費を2兆円削減できるとしています。しかし、すでに幾つかの研究において、腹囲85cmを基準に判定された男性のメタボリックシンドロームは心血管性疾患発症の優位な危険性にならないという結果が出ています。また、肥満ではないのに心血管危険因子を持っている人の医療費のほうが肥満で心血管危険因子をもっている人の医療費よりもはるかに高額であって、医療経済学的観点からも厚労省の目論見は的外れであるという指摘もあります。

さらに、深刻な問題はこの腹回りばかりに注目する健康診断の導入によって、他の疾患を対象とした健診が削減されていくことです。心電図、血球検査、腎機能検査、痛風に対する検査は削除されました。また、予算の関係から、日本人の死亡原因第1位の癌検診は縮小の一途です。日本人の保健課題はメタボリックシンドローム以外にも重要な疾患が数多くあるのに、そういった病気はおざなりにされてしまいます。

最後に、不愉快な裏事情について一言。相次ぐ不祥事の発覚で10月に解体される社会保険庁は「日本年金機構」と「全国健康保険協会」という二つの法人に引き継がれますが、このうち全国健康保険協会が政府管掌保険を管理することになり、政府管掌健康保険組合のメタボ健診はここが管理することになります。

この協会は現在の社保庁職員が約1,300人雇用される予定です。要するにこの時期にごり押しして実施した特定健康診査・特定保健指導は、厚労省や旧社保庁の新しい天下り先を確保して、そこへ利権を流入させる仕組みの一環であるとも考えられるのです。

彼らの利権のために科学的根拠に乏しい基準で「メタボ」という烙印を押されて、挙句の果てに有料での健康指導を強制されたのではたまりません。

国だけでなく有識者と呼ばれる学者も、もろもろの利害を忘れて、純粋に国民の健康維持について考えていただきたいものです。

善きサマリア人の法

福島県の産科医不当逮捕事件に対する無罪判決の報道を読んでいて、もう一つ思い出した出来事があります。

今から30年ほど前の出来事です。当時私は薬理学教室で中枢神経系の生理・薬理学的な研究をしていました。学会に参加するために薬理学教室の仲間4名と新幹線で神戸に向かいました。

たしか静岡を過ぎて間もなくのことだったと思います。車内放送で「どなたかお医者様はいらっしゃいませんか?」という車掌からの呼びかけ、いわゆるドクターコールがかかりました。

当時私は大学を卒業して5年目で当時は薬理学の研究に専心していましたから、臨床経験が乏しい上に専門は精神科でとても救急医療の役に立てる自信はありませんでした。ほかの3名のうち一人は薬学部出身で医師ではありませんし、残る2名は私よりも後輩なので私よりもさらに臨床経験がありません。

「学会があるのだし、これだけたくさんの人が乗っているのだから医師はいっぱいいるよ。」という話になり、黙っていることにしました。ところが、暫くすると再度ドクターコール。最初の呼びかけでは誰も名乗りを上げなかったのです。

今から考えれば怖いもの知らずだったのでしょう。結局、私と卒業したばかりの内科医の二人で車掌のところに行きました。症例は高校生の男の子。私たちが到着した時には座席に横たえられていて、目を閉じたままです。呼びかけには「うーん」とか応じるものの、きちんとした応答はできません。同伴の友人の話によれば、突然意識を失って倒れたというのです。「熱っぽい」とは行っていたが、咳はしていなかったという情報しか得られませんでした。

学会発表のためのスライドはもっているものの、聴診器などの診療用具は所持していません。しょうがないので手のひらで体温を感じとり、指で脈を測り、胸に直接耳をあてて心音と呼吸音を聴き取り、空き瓶を使って腱反射を診ました。

心臓は一応動いている。呼吸は速いが、雑音がないので重篤な肺炎はない。現在痙攣はしていない。Kernig徴候1はよく分かりませんでしたが、後部硬直2がありそう。てんかんにしては意識障害が長すぎる。などから髄膜炎などの頭蓋内の炎症がもっとも疑われました。しかし、まったく自信などありませんでした。

ただ、車掌から求められたのは患者さんと本人たちが予定していた大阪までこのまま乗せてよいものか、それとも救急車を待機させて名古屋で途中下車させるべきかという判断でした。最悪の事態を考慮して行動するのが医療の原則です。躊躇せずに後者を選択しました。

可能ならば、病院まで付き添ってくれないかとの依頼がありました。当日に発表があるわけではなかったので、名古屋駅で途中下車。私と後輩の内科医が救急車に同乗して、病院まで搬送して救急担当医に無事に引き渡しました。

これは余談ですが、途中下車しなかった二人の仲間は、名古屋駅で私たちが途中下車した後、グリーン車に席を移されて、飲み物までサービスされたそうです。実際に診療に当たった私たちは数時間遅れて神戸に着きました。普通車で。車掌や駅員からの「ありがとうございました」という言葉だけで満足していた私たちでしたが、この話を聞いてしまって、なんとなく釈然としない気持ちになってしまいました。

後日、名古屋の病院からその後順調に回復して大阪の病院へ転院したという報告がありました。



30年前の日本であり、結果も幸いしたので良い想い出になっていますが、現在の医療環境や結果次第でなんでも訴訟する風潮であったならば、かなり危険な行為をしたことになります。グリーン車どころではありません。

実際に治療契約が結ばれた上での医療行為に対して厳しい結果責任が求められることは致しかたがないとしても、治療契約なしに善意で行った救命行為についても、結果次第では民事責任や刑事責任を問われかねない危険なご時勢になったからです。

すでに、飛行機内で起きた心筋梗塞に対して、同機に乗り合わせていた医師が善意で処置を施しましたが、その甲斐もなく亡くなった事件で、その医師に対して遺族が訴訟騒ぎをした事例があります。

さらには、たまたま自宅前で倒れている人に対して善意で救急処置を行った医師が、不幸な結果に終ったところ、遺族から損害賠償の訴訟を起こされるだけではなく、警察から業務上過失致死罪の容疑での取調べを受けた事例まで出てきているのです。

一昔前にはアメリカの訴訟社会を風刺して「街で何か事故があった時に、一目散にその場から逃げていくのは医者で、集まってくるのは弁護士」というジョークを言っていましたが、今や日本も海の外の冗談話ではすまなくなってしまったのです。

こういう風潮は困っている人を見かけても救済せずに、傍観者でいることを勧めていることになります。その結果、弱い者や困窮している者に対して憐憫の情をもって、損得を度外視して救いの手を差し伸べるという、本来人間がもっている健全な本能行動を圧殺し、非人間的で不健全な社会を作ります。

秋葉原で起きた無差別殺傷事件の際にも、倒れている人を救護するのではなく、むごい惨状現場を取り囲んで写メールを撮る人のほうが圧倒的に多かったと聞きます。実に不愉快な世の中です。

このような社会ではなく、お互いが積極的に助け合う環境を取り戻そうとして作られたのが「善きサマリア人の法(good Samaritian law)」です。「急病人などの窮地に陥った人を救うために無償で善意の行為をとった場合、良識的に誠実にその人のできることをしたのであれば、たとえ失敗の結果になったとしてもその責任を問われない」という趣旨の法律です。

由来は新約聖書、ルカによる福音書第10章の29~37節で述べられているたとえ話です。大怪我で倒れている旅人を見て、通りかかった祭司もレビ人も見て見ぬふりをして通り過ぎてしまうのに、あるサマリア人は傷の手当をして宿屋に運んで介抱し、宿屋の代金まで払ったという話です。

英米法ではコモン・ロー上のGood Samaritian doctrineに基づいて具体的な法律が作られますが、訴訟大国のアメリカではほとんどの州でこのGood Samaritian doctrineに基づく法律が制定されています。

日本にはこれに相当する法律がなく、医療関係者を含めた多くの人から立法化の要求があります。しかし、法律家の間では既存の法の中にGood Samaritian doctrineの主旨をくんだ条文があるので改めて立法化する必要はないという意見があります。

民事法では民法698条に緊急事務管理に関する規定があるので、あらためて善きサマリア人の法を制定しなくてもよいという考えです。しかしこの法律によって責任免除を証明するためには要件である「重大な過失がないこと」を善意の救護者が証明しなければなりません。さらに、この救護者が医師である場合には医師法第19条に「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」という応召義務の規定があるために、民法698条で言うところの「義務のない管理者」に当たるか否かで明確な結論がだされていません。

刑事法においては刑法第37条1項の緊急避難に関する規定で違法性が阻却されるのでGood Samaritian doctrineを満たしていると言われます。しかし、ここでも救護者が医師であった場合には、この条文の第2項に「前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない」とあるために、やはり医師法第19条の応召義務との関係が問題となります。プライベートな生活場面で遭遇した事故での救護だとしても、業務上特別の義務がある者と考えられて、業務上過失致死傷害罪、過失致死障害罪、重過失致死傷害罪などを問われる可能性があるのです。

航空機内での急病人発生時にドクターコールに応じるかどうかについてのアンケートでは2/3以上の医師が「応じない」との回答をしたそうです。理由としては法律の不備と、医療関係者に対する司法や報道のあり方を挙げています。

いくら医療の専門科とは言っても、不測の状況下で医療機器や医薬品なしではできることに限界があります。それでも、医学的な知識がない、まったくの素人に比べればより有効な手立てを打つことができます。

医療のプロが萎縮せず、積極的に緊急場面で活躍することができるように、医師、看護師、救急救命士などをも明確に対象とした「善きサマリア人の法」の制定が望まれます。
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