私が常に批判の対象としてきた小泉純一郎が政界引退を表明しました。ここしかないという憎らしいくらいのグッド・タイミングで。
私は非難ばかり繰り返していましたが、小泉という男は言うまでもなく異能であります。彼の持つ優れた能力と言えば、1.的を射たように見せかけて、実は中身が空虚なキャッチコピーを思いつく脚本能力、2.タイミングよく向こう受けする言動をする演出能力、3.飴と鞭を使い分ける人事管理能力、4.都合の悪いことはすぐに忘れる忘却能力、5.人と妥協しようとはせず、孤独に耐える自閉能力、6.風を読み、危機を感じとる動物的嗅覚等々、枚挙にいとまがありません。
ここであらためて、1,980日に及ぶ小泉政権のなしてきた政策を私なりに検証してみたいと思います。彼の業績あるいは国民に提示したスローガンを列挙してみると
1.「自民党をぶっ壊す」、「派閥の解体」、「官僚支配政治からの脱却」
2.金融機関の不良債権処理
3.郵政民営化
4.アメリカ型市場万能主義経済理念に基づくあらゆる領域での規制緩和
5.聖域なき構造改革による財政再建
6.イラクへの自衛隊派遣とインド洋における給油活動
7.2度にわたる北朝鮮訪問
8.靖国神社公式参拝
などになると思います。
1.「自民党をぶっ壊す」、「派閥の解体」、「官僚支配政治からの脱却」
派閥の解体は実質的にある程度なされたと考えます。小泉が派閥からの推薦に因らない組閣人事を貫き通したことで、派閥の領袖の威光はそれまでに比べて大幅に低下しました。ただ、派閥の力が低下した遠因は、遠く1994年に細川連立政権下において現在民主党党首である小沢一郎が中心となって導入した衆議院議員の小選挙区比例代表並立制にあります。
それまでは名実ともに各省庁の官僚が握っていた政治の主導権を削いで、国務大臣主導の国政のシステムを作り、任期中首相官邸から国民に対して国政の指針を発し続けたことも評価に価する点だと思います。しかし、したたかな官僚機構は実質的な既得権益は形を変えて保持し続けました。また小泉以降の2つの政権がいずれも短命に終わったために、すぐに官僚の力に依存するシステムに逆戻りしてしまいました。
「自民党をぶっ壊す」というフレーズは国民を熱狂させた一言でしたが、これは全くのレトリックでした。彼の演出によって、自民党はぶっ壊されるどころか大躍進して単独で衆議院の2/3を占める勢力を確保しました。
2.金融機関の不良債権処理
バブル崩壊に伴って銀行が抱えていた不良債権に対して税金を投入して金融不安を回避した点については一定の評価がなされるべきだと思います。あの時点で不良債権処理が完了していなければ、先日来止まるところを知らない、リーマン・ブラザーズ破算に端を発した世界同時金融不安に、我が国の経済はもっと大きく翻弄されていたと思います。
しかし、あの不良債権処理はあいも変わらずアメリカからの要請を従順に引き受けてなされたもので、国民の税金を使って債務処理して再生した銀行を安い値段でアメリカの資本に売り飛ばしてしまいました。私が小泉、竹中を詐欺師、国賊として糾弾する理由の一つです。グローバリゼーション、民営化、競争原理などの言葉を弄して、アメリカが我々日本国民の財産をかすめ取る行為の手先をしていたからです。
あの時に銀行救済のために支払った国民の税金はいまだに返済されていませんし、不良債権処理後に大手銀行の経営は安定したにも関わらず、私たち一般庶民には政府も銀行も何の還元もしていません。やらずぶったくりです。
3.郵政民営化
これもアメリカのリクエストをこれ幸いと、彼が郵政大臣になった時に冷遇されたことに対する私怨を晴らしただけの政策だと思います。彼は「郵政民営化なければ霞が関改革はあり得ない。」と言い切りましたが、まったくの嘘です。郵政省は霞が関伏魔殿の不透明な金の入口の一つであり、問題はむしろその不透明な金の出口、使われ方にあったわけです。しかしながら、彼はそちらの方にはこれといった有効な手段は講じず、郵政省だけを目の敵にしてヒステリックに国民を巻き込んで意趣晴らしをしました。
この改革と称するものが本当に国民のためになったでしょうか。これまでと変わらない住民サービスを維持するとの公約はどうなったのでしょうか。過疎化した山村や離島では採算のとれない特定郵便局が次々に閉局し、声の小さな弱者は大いに犠牲を強いられています。全国あまねく50円の均一料金で葉書が届けられるというシステムは、採算を度外視して初めて可能です。収益を至上目的とした株式会社に同様のサービスが維持できないことは火を見るより明らかです。それにもかかわらず、熱狂的に小泉を指示した国民は馬鹿としか言いようがありません。
国民の莫大な資産を預かっているゆうちょ銀行は来年には株式が上場されます。2017年までに国が保有する全株式を売却する予定です。小泉、竹中はこの国民の大切な資産をアメリカの禿鷹資本に売り渡す約束でした。しかし、幸か不幸か、アメリカの金融が破綻してくれたので、うまくいけば悪魔のシナリオは頓挫することになるかもしれません。
4.アメリカ型市場万能主義経済理念に基づくあらゆる領域での規制緩和
これもアメリカ資本の参画の道筋をつけるために行われた政策だと思われます。競争原理が必要な分野と競争してはいけない分野の見境なしに推し進めたこの政策のために、日本の社会保障制度が崩壊し、理不尽な格差社会を生み出しました。小泉、竹中の悪行の最たるものと言えましょう。
己の分をわきまえてつつましく生きるという我が国が本来持っていた美風が姿を消して、小賢しい悪知恵だけで弱者を牛馬のようにこき使い、搾取して、自らは労せずに巨万の富を手に入れる拝金主義を良しとする風土になってしまいました。ホリエモンや村上を生み出す一方で、この平和な世の中で餓死者を生むことにもなりました。
小泉、竹中が手本としたアメリカの市場万能主義が行き着く先が地獄であることは、早くも現在のウォール街がはっきりと証明しています。
5.聖域なき構造改革による財政再建
聖域であるべき社会保障が崩壊したにも関わらず、必要とは思えない道路の建設は相変わらず続いていて、財政再建はその糸口さえも見えてこない現状です。公約であったはずの赤字国債は、「そんな約束違反はたいしたことではない。」という威勢の良い開き直りの言葉一つでいとも簡単に反古。もう一つの大事な柱である消費税率引き上げを含む税制改革には、あからさまな人気取りで手をつけないままでした。結局、国の抱える借金は彼が首相に就任する以前に比べて膨大に膨れ上がりました。
国民に犠牲を強いるばかりで、なんら成果を上げなかった財政再建についての公約違反に対して、なぜ国民はもっと糾弾しないのでしょうか。
6.イラクへの自衛隊派遣とインド洋における給油活動
次期アメリカ大統領がオバマであれマケインであれ、現在のイラク派兵は大幅に見直されるでしょう。そもそも、イラク戦争そのものの大義が甚だ疑わしいのです。
ブッシュと彼を取り巻くネオコンたちは、2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービルおよび国防総省ビル破壊事件(この事件自体がアメリカ政府とイスラエルの仕組んだ謀略であるとのうわさも絶えない)を「第二のパールハーバー」であると言って国民の愛国心を煽り、アフガニスタンに対して「対テロ戦争」をしかけました。
本来ならば、9.11事件は刑事事件として扱うこともできたのです。しかし、ブッシュは「テロとの戦争」という言葉を操って、世論を操作。一気に戦争へとなだれ込んだのです。対アフガニスタン戦争の「不朽の自由作戦」はタリバン政権の崩壊で終焉しますが、この時にオサマ・ビンラディンの身柄を確保できなかったアメリカは、刃を納めることなく、矛先をイラクに向けました。
9.11でアメリカ国民の体に染みついたテロへの恐怖を背景に、イラクはイラン、北朝鮮と並んで大量破壊兵器を保有して、それをテロリストに供給する危険性があると脅して、一気にイラクへの先陣を築いていきました。そして、2003年3月20日に国連安全保障理事会の承認を得ないままに、イギリスと共同で「イラクの自由作戦」という戦争を一方的にしかけました。
圧倒的な武力で4月には首都バクダットを占拠し、5月には戦争終了宣言をし、後日フセイン大統領の身柄を確保したにも関わらず、戦争開始の大義名分であった大量破壊兵器は発見されませんでした。また、その後も宗派間の対立による内戦状態を治めることができずに、今でもイラク占領は泥沼化しています。
小泉政権が自衛隊のサマワ派遣の唯一の根拠としていた国連安保理決議1441号は、イラク政府に対して大量破壊兵器の無条件・無制限査察の再開を求めた決議であって、戦争開始を是認するものではありませんでした。
アメリカの報復であるアフガニスタン戦争。また、大義名分のないイラク戦争にかかわる作戦に、日本が平和憲法をかなり無理な解釈をして派兵をしたり、給油を続けているということは、もっと全国民的な議論を尽くしたうえで行うべきであったように思います。
いくら海外とは言っても、時の首相の舌先三寸でいとも簡単に戦争に参加することを良しとした我が日本国民は、この先再び、愚かで悲惨な戦争に、いとも簡単に突入していくのではないかという危惧を覚えます。
60年を越えて、私たちはあの太平洋戦争で得た苦い教訓をすっかり忘れてしまったようです。
7.2度にわたる北朝鮮訪問
動機が低下してきた支持率回復のためだったとはいえ、2度にわたる北朝鮮への電撃訪問は、金正日総書記に日本人拉致を認めさせて、拉致被害者の一部身柄を奪回できたのですから、大きな功績だと言えます。
残念ながらその後横田めぐみさんをはじめ、未だ数多くの拉致被害者が北朝鮮内に残っていると考えられますが、彼も主権国家の代表としてあれ以上の譲歩はできなかったのだと思います。
8.靖国神社公式参拝
靖国神社への現職総理大臣の参拝は中国や韓国からの強い反発を受けました。さすがに当初5年間は8月15日の終戦記念日を外した参拝でお茶を濁していましたが、「終戦記念日での参拝」は公約であったために、総理大臣最後の年である2006年にはとうとう15日の参拝を果たしました。
この問題については賛否両論分かれるところです。私もこれが彼の功であるか罪であるかの判断に苦しむところです。
以上、小泉政治の功罪について私なりに論評してみました。明らかに罪のほうが功を凌駕していますが、長きに渡って国民を操った能力は敬服するばかりです。しかし、今回の政界引退宣言のタイミングの良さを見て、彼のもっとも秀でた能力は危険を察知する本能、動物的な嗅覚のするどさであると訂正しなければなりません。
なぜならば、過去の栄光に大きな傷を負うことがない引退として、この時期ほど絶好のタイミングはないからです。今や彼が行ってきた政策の負の成果が次々に結実してきました。この先は、彼の政策が中長期的に国造りのビジョンに基づいてなされたのではなく、きわめて無責任なその場しのぎのパフォーマンスでしかなかったことが隠しおおせなくなります。
竹中と小泉が手本としてきたアメリカ流の暴走型市場経済理論(リバタリアニズム)が国家ぐるみの詐欺であり、一部資本家たちによる国民からの搾取手段であったのかが、サブプライムローン破綻、リーマン・ブラザーズ倒産、世界金融破綻によって白日の下にさらされました。
金融詐欺商品はサブプライムローンだけではありません。間もなく他のデリバティブの破綻も明るみに出るでしょう。そうなったら、いくら日本国民が間抜けだと言っても、小泉、竹中および彼らと手を組んでいた金貸し連中の悪行に気付いてしまいます。
また、「競争はすべてよし」として、本来国家が国民に対してなさねばならないことをすべて金儲けの仕組みにまる投げしようとしたことの結果も徐々に明確になってきました。
引退するのに今を勝る時はないのです。本当に機をみるに敏です。それに比べると、今でも大学の教授をやり、テレビで薄い唇でぺらぺらとしゃべり続けている竹中は状況判断力が劣っているようです。通常の神経の持ち主ならば、恥ずかしくて公衆の面前に顔を出すことができないはずです。
さらに、おまけがありました。あれほど、既存の体制をぶっ壊すとか改革と言っていた舌の根も乾かないうちに、自分の息子に地盤を譲ってしまったのです。小泉家はもともと政治を生業とする政治屋ですから、それで喰っていくしか能がないのでしょうが、それにしてもよく臆面もなく世襲できたものです。
このきわめて重要な自己矛盾した行為に対する批判を「私も親馬鹿で」と全く理屈にはなっていないが、ヒトの情をくすぐる例の話術でかわしてしまいました。まさに小泉劇場の面目躍如です。
民主主義は主権者である国民が高い知性と教養を有している時に初めて有効に機能します。有権者の大半が知性と教養に欠けるときには「衆愚政治」に堕してしまいます。
衆愚政治においては扇動者の詭弁によって誤った意思決定をします。国民は見せかけの正しさや大義で飾られた詭弁に熱狂して、気がついた時には致命的な不利益をこうむることになるのです。
多くの国民が小泉マジックに陶酔してもてはやし、今でもその催眠術から覚めないままの人が少なくありません。我が国が衆愚政治に陥っている証拠です。私たちは日々学んで見識を高め、本来の民主政治を取り戻さなければなりません。そうしなければ、私たちに明るい未来はないでしょう。
脳の機能についてはまだまだ未知の部分が多く、脳の病気に対するアプローチも、現在解明されている知見だけを頼りになされているのが現状です。統合失調症の治療に関しても例外ではありません。
以前のコラムでお話ししたように、1952年にフランスの精神科医、ジャン・ドレー(Jean Delay)とピエール・ドニカー(Pierre Deniker)はローヌ・プーラン社(現在サノフィ・アベンティス社)が1950年に開発したクロルプロマジン(chlorpromazine)が統合失調症の症状を改善することを報告しました。このことがきっかけで統合失調症に対する治療の道筋が開けただけでなく、病態の解明に画期的な突破口が与えられました。
類似の構造を持つ薬物が次々に開発されて、クロルプロマジンと同じように統合失調症の精神症状を改善することが分かりました。また、1957年にはベルギーのヤンセン社のポール・ヤンセン(Paul Janssen)が開発したハロペリドール(haloperidol)が、構造式はクロルプロマジンと全く異なるにもかかわらず、クロルプロマジンに勝る抗妄想、抗幻覚作用を有する抗精神病薬であることが分かりました。
クロルプロマジンのグループ(フェノチアジン系)の薬物とハロペリドールのグループ(ブチロフェノン系)の薬物に共通した性質を研究することによって、統合失調症の本体をつきとめようとするたくさんの研究がされるようになりました。
その結果、1970年代から「ドパミン仮説」という考え方が統合失調症の病態解明の主流となりました。ドパミン仮説とは、統合失調症では中脳や辺縁系におけるドパミンの機能が亢進しているという理論です。臨床的に統合失調症の症状を改善する薬物は共通して、シナプス間におけるドパミン遮断作用(正確にはドパミンD2遮断作用)を持つことが分かったことがこの仮説の出発点です。
その後、動物実験、統合失調症の患者さんの死後脳の化学的分析および陽電子放出断層撮影(PET)による患者さんの画像診断などからも概ね正しいと考えられています。
しかし、ドパミン仮説は統合失調症の幻覚や妄想といった陽性症状についてはうまく説明できるのですが、幻覚、妄想よりもより中核的な症状ではないかと考えられる自閉(引きこもり)、感情の平板化、意欲の低下といった陰性症状についてはドパミンの過剰では説明がつきませんでした。
事実、ドパミン遮断効果を持つ抗精神病薬では陽性症状は改善するのですが、陰性症状には効果がありません。ドパミン仮説は間違いではなく、確かに統合失調症の一側面に明るい光を当てました。しかし、その光だけでは統合失調症の全容を照らし出すには不十分だったのです。
1980年にJ.S.Kim等が統合失調症患者さんの髄液中のグルタミン酸濃度が低下していることを報告して、統合失調症の発症メカニズムとしてグルタミン酸の異常を提唱しました。この報告は再現性に欠けるものでしたが、グルタミン酸神経機能にスポットライトをあてたことは功績と言えます。
その後1982年に、1952年に麻酔薬として開発されたにも関わらず、幻覚や妄想などの統合失調症とよく似た症状を引き起こす副作用があるために人への適用が中止された、フェンサイクリジンという薬物がグルタミン酸受容体を阻害することが判明しました。その後、フェンサイクリジン以外のグルタミン酸受容体阻害物質でも統合失調症様症状が惹起されることが分かりました。また、動物実験や遺伝子研究などからもグルタミン酸が統合失調発症に関与することを示唆する結果が次々と得られました。グルタミン酸神経機能の低下によって統合失調症が発症するとする「グルタミン酸仮説」が注目されるようになったのです。
グルタミン酸受容体阻害物質は幻覚や妄想といった陽性症状だけではなく、引きこもり、意欲低下・減動、感情の表出障害といった陰性症状をも引き起こします。グルタミン酸仮説は従来のドパミン仮説では説明のつかない部分をカヴァーできるのです。グルタミン酸仮説が脚光を浴びるようになったのはこの理由からです。
それでは、今まで信じられてきたドパミン仮説は嘘だったのでしょうか。そうではありません。神経伝達機構は相互に密接な関係を持っています。グルタミン酸受容体、その中のNMDA受容体を阻害すると、ドパミン作動性神経機能の亢進をもたらします。結果として、幻覚や妄想を生み出す。ドパミン仮説自体は決して間違いではないのです。ただ、そのドパミンの過剰状態をグルタミン酸系の異常が引き起こす可能性が分かってきたということです。
長らくドパミン仮説で説明がつかなかった統合失調症の陰性症状の治療に一筋の明かりをともしたグルタミン仮説ですが、これで統合失調症のすべてが解決するかというと、そう宣言することができないのが現状です。
グルタミン酸仮説に基づいて、グルタミン酸受容体に作用する治療薬開発が進められていますが、グルタミン酸系の薬物は従来のドパミン系薬物に比べてはるかに弱い臨床的治療効果しか得られません。今のところ、ドパミン系薬物による治療における補助治療薬あるいは効果増強薬としての地位に留まっています。
一方、統合失調症においてもセロトニンの機能障害が関与していることを示す実験結果が得られて、セロトニン受容体拮抗物質が統合失調症の治療薬として開発されています。
この他にも、統合失調症の発症にはニコチン受容体やセクレチンなどの関与も考えられており、そういった受容体へ作用する物質を治療薬として開発する努力も着々と進んでおります。
私は今後さらに多くの神経伝達物質の統合失調症発症への関与が明らかになってくると想像しています。統合失調症の複雑な精神症状が単一の神経伝達物質の機能異常だけに起因するとは考えられないからです。また、現在のところは統合失調症という病名で十把一絡げにしていますが、統合失調症の患者さんの症状や経過は実際には千差万別であり、いろいろなサブタイプがある症候群であると思います。したがって、ある患者さんにはドパミン系の関与が強く、別のある人の場合にはセロトニン系やグルタミン酸系の関与の度合いが大きいという違いがあって当然だと思います。
私はこれからの近い将来に、統合失調症に関連した物資がさらに数多く発見されるだろうと予想しております。そしてその後、出そろった役者が整理統合されて、そういった様々な変化を引き起こす為の、シンプルな共通原理がつきとめられていくと想像しています。
統合失調症という難敵攻略作戦において、現在はまだその一里塚にあるのだと思います。最終目標までの道のりはまだまだ遠いと思われますが、着実な一里であることは確かです。はしゃがず、あきらめずに統合失調症に挑み続けていきたいものです。
ところで、グルタミン酸は必須アミノ酸の一つで、神経伝達物質よりは「旨味」の成分としてのほうが有名です。旨味調味料である「味の素」の主成分はグルタミン酸ナトリウムとイノシン酸ナトリウムです。
グルタミン酸が脳内で重要な働きをしていることが分かった当時、「味の素を食べると頭が良くなる」という都市伝説が生まれて、我が子に大量の味の素を食べさせる母親が出現しました。
実際には経口的に取り入れられたグルタミン酸は体内で直ちに代謝されて各種タンパク質の合成に使われます。直接脳内に移行することはありません。したがって、いくらたくさん味の素を食べても頭は良くなりませんし、統合失調症も治りません。それどころか大量に摂取すると血管拡張作用が発現して頭痛で苦しむことになります。
細胞レベルの出来事と経口的に取り入れる物質の多寡とは同次元では論ずることができません。この医学的な常識を一般の方が理解していないのをよいことにして、訳の分からないサプリメントが出回っています。くれぐれもご用心ください。
昨年の11月に「名医」というタイトルのコラムを書き、私たち医師が目指すべきは「名医」ではなく「良医」であると述べました。「名医」とは著名な医師、高名な医師という意味であって、自らの努力や精進の目標とすべき姿ではありません。医師が目指すべきは科学的な力、哲学的な意味、芸術的な心の3つを兼ね備えた「良医」なのです。興味がおありの方はバックナンバーをお読みください。
良医は時と場を得れば、周囲から名医と称されるでしょう。しかし、何かの拍子にたまたま有名になっただけの医師は必ずしも良医であるとは限りません。逆は真ならずです。ましてや、名医になることを目標にして医業に従事している医師は医道の本質を見失っていますから、たとえ「名医」と呼ばれることはあっても、決して良医になることはできないでしょう。そういった類の名医は「虚飾の名医」です。
さて、なぜまた「名医」を取り上げようと思ったかというと、先日クリニックにA4用紙を6枚も使わせられたファックス広告が入ったからです。受信者側の貴重な紙資源を無断で使用して、一方的に宣伝広告するやり方には常日頃から怒りを感じていました。そのことについての論評は別の機会にするとしますが、ただでさえ不愉快なファクス広告なのにその内容と発信元を見て怒りが頂点に達しました。
発信者は医療・健康、教育、環境を事業分野とする広告代理店。取引媒体は大手新聞社や大手出版社ということになっています。今回は週刊朝日の依頼を受けての業務です。
内容は10月下旬に刊行予定の週刊朝日増刊号「新・名医の最新治療2009」の中に掲載予定の「早めのうつ病治療~『心の風邪』の専門治療~」というコーナーへの広告募集です。広告の形態は以下の3本立てになっています。①うつ病治療に関する記事の下段に載せる通常の広告。②朝日新聞社公式ホームページの医療サイト「治療と検査の最新医療情報」に掲載して、自院のホームページとリンクする。③記事の体裁をとった広告。
① は掲載枠の大きさで100,000円、200,000円、400,000円、600,000円のラ
ンク分けがあります。一番大きいサイズはページ半分の大きさです。自費診療の美容外科とは違って、年々削減される保険診療報酬頼みの精神科診療所がよくもまあそんな高額な宣伝料金を支払えるものだと感心しますが、明確に宣伝広告と判別できますからまだしも良心的です。
② のウェブ広告は期間限定(?)で50,000円だそうです。これも宣伝広告
であることが明瞭ですから、これもまた許容範囲内と言えるでしょう。
問題は③の記事を装った広告で、お値段は1/4ページが300,000円、1/2ページが500,000円、1ページが900,000円です。提示された見本を眺めてみました。300,000円ではまだ広告の感は否めませんが、500,000円以上になると名医に対する取材記事のような雰囲気です。900,000円だと、これはもうその医師や医療機関が世評で名医と言われているので、取材して記事にしたかのような錯覚を与えます。一般読者は、まさかお金で買った名医の称号とは思わないでしょう。
もちろん、高額な宣伝広告費を払った医師の中にも、本当に優秀な医師もいるかもしれませんが、基準はあくまで支払った額ですから、玉石混交にならざるを得ません。
しかし、天下の朝日新聞社が刊行する出版物ですから、読者の中にはこの記事の掲載基準が純粋に医師としての資質や技量だと信じて、その医師を受診する人が少なくないと思います。
これはマンションや食品で大問題になった偽装と同じ詐欺行為と言えます。耐震基準に満たない構造でありながら、一見豪華そうなタイルの外装ときれいな壁紙を張ったマンションや、外国産だったり、豚の屑肉だったりするものを神業の加工技術を駆使して高級和牛として売っているのとなんら変わりがありません。
Profession(職能)という言葉があります。金儲けだけが尊ばれ、文化が育まれないアメリカ、その追っかけをしている日本では「特殊な教育や訓練を必要とする仕事(job)」くらいにしか理解されていませんが、本来は異なった意味を持つ言葉なのです。言葉の由来は信仰と関係していて、professionsというと神学、法律、医学を学んで、それらに携わる人のことを言いました。つまり、聖職者、法曹、医師を指す言葉だったのです。ヨーロッパでは今でも本来の意味に沿った使われ方がされているようです。
ここまで読めばお分かりになった方もいらっしゃると思います。Professionは本質的に自らの利益追求を目的とせず、広く人々の救済を目的とする仕事です。ですから、自らを宣伝広告するという行為がきわめてそぐわない職業なのです。したがって、以前はヨーロッパはもとより、日本でもこの3つの業種の広告は見かけませんでした。Profession魂による自己規制に加えて、法的にも規制されていました。
ところがこれもまた、「アメリカ資本の利益追求の一分野にするために日本の医療制度を壊しなさい」というアメリカの意を受けて小泉が行った規制緩和政策によって、あるべき姿を壊されてしまいました。平成17年3月25日に閣議決定した「規制緩和の民間開放3カ年計画の政府方針」に基づいて平成19年4月1日に施行された「医療法の一部を改正する法律」で医業の宣伝広告が大幅に緩和されました。
法的規制が緩和されたとしても、私たち医師が足並みをそろえてprofessionの誇りを失わずに行動すればすむはずです。しかし、医療界は年々保健医療報酬を削減され続けて経営が苦しくなっていました。こうなると悲しいかな、貧すれば鈍する。人民救済という本来の目的を見失って、利益追求に躍起になる医師が出てきました。
ちょっと前までは医療機関の派手な宣伝は、もともと医療をビジネスの視点から考える傾向の強かった一部美容外科(暴力団が経営しているところもある)に限られていました。しかし、今や他の一般科でも大胆な広告が見られるようになりました。法的な規制が緩和されたといっても、「さあ皆さん、早く病気になって私のところへいらっしゃい」と宣伝するのは、どう考えても医業の道義に外れた行為であるとおもいます。
このような事態はなにも医療だけではありません。本来は聖職の代表する存在だと思われる神社や寺院が、お賽銭収入目当てに、だいぶ以前から年末年始のテレビで金のかかった広告をしています。神主や僧侶のなりふり構わぬ営業姿勢はみっともない限りです。法律家はいまだprofessionのプライドを失っていないようで、弁護士事務所の派手な宣伝はあまり見かけません。
しかし一方では、医療機関や医師に関する情報が一般の方に全く開示されなければ、いざ病気になった際にいったいどこへ行けばよいのかの判断に困ります。実際、社会生活上のトラブルに巻き込まれ、弁護士に相談したいと思っても、どこに弁護士がいて、その弁護士の得意とする分野は何なのかということが今のところ全く分かりません。個人的に知り合いの弁護士がいれば幸運ですが、そうでなければ途方に暮れるのが法律の世界です。
したがって、いくらprofessionsには派手な宣伝広告がそぐわないとは言っても、救済を求める一般の方々にとって必要な最低限の情報は明らかにしておく必要があるのではないかと思います。どこまでが求められる公正な情報で、どこからが金儲けのための宣伝広告なのかという明確な線引きは難しいところですが、医療、法律の世界では、開業場所、開業時間、休業日、申込方法、得意とする専門科(専門分野)、客観的な実績といった情報の開示にとどめておくのが適当ではないでしょうか。
最初に述べたように、名医とは単に名前が知れた医師という意味ですから、バラエティ番組に自分を露出したり、今回の週刊朝日のような媒体に金を積んだり、ゴーストライターに書かせた本を出版(この手の勧誘も後を絶たない)したり、上手なやり方をすればなれるわけです。その「名医」の「名」が実であるか虚であるかを判断するのは、情報を受け取った一般の方々の力量(メディア・リテラシー)に委ねられるしかないのです。
「名医と褒めそやされて、身分不相応な利益を得られますよ」という勧誘は悪魔の囁きです。私とて心を動かされないわけではありません。また、提示された広告費を支払えないわけでもありません。しかし、やはり私は「良医」を目指して日々研鑽したいと思います。自分の身の丈に合わないことを望んで無理をすると、自分を見失って破綻します。そうなれば、他人に迷惑をかけるだけでなく、結局は自分を苦しめることになるからです。
私たち医師はprofessionであるというプライドを忘れないとともに、所詮医師でしかないという「分」をわきまえて行動していかなくてはいけません。一方、このような企画を立てるマスコミの社会的責任感の欠如も改めていただきたいものです。
今回のような企画は週刊朝日に限った話ではありません。他の週刊誌においても同様の企画をよく目にします。マスコミは職能の範疇にはないので営利追求をしても結構ですが、自分たちの発信した情報が多くの人に与える影響を自覚して節度ある行動をしていただきたいものです。
マスコミの方はしばしば「言論の自由」を声高に叫びますが、自由とは自らを律する高い倫理観と社会正義の実現という高邁な目的を持っていて初めて要求できるものです。現代は特にマスコミの影響力が強くなっています。ということはその言論力が暴走しないように自己を律することがマスコミにより強く求められているのです。
先日、代理店から再度電話でのプロモートがありましたが、「私は名医ではありませんのでお断りいたします。」と回答しました。
週刊朝日増刊号の名医特集は10月下旬に発売されます。そこに載っている医師の「名医」渇望の度合いは、記事の大きさ、すなわち宣伝費という最も分かりやすい数字に比例しています。どの医師が「名医」になるためにどれほどの熱意を持っているのかを知るという意味で眺めて見るのも一興かもしれません。
しかし、ご自身が実際に病気になってしまった時には、作られた「名」に惑わされることなく、主治医を選ぶことをお勧めします。そして自分にとって最良の医師と出会うことができるようにお祈りいたします。