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クリニック西川

2009年1月

曲学阿世の徒、竹中平蔵

終戦から数年間、わが国では戦争の最終処理手続きである世界各国との平和条約締結(昭和27年に締結したサンフランシスコ講和条約)に向けて、国連中心の全面講和とするか、ソ連不参加の単独講和とするかという点で国論が二分されていました。
現首相の麻生さんがこよなく敬愛して範たらんと欲している彼の祖父、吉田茂首相は単独講和派でした。これに対して全面講和を強く奨めたのが当時の東京大学総長、南原茂氏でした。南原は一高から帝国大学法学部に進みましたが、一高の校長であった新渡戸稲造の薫陶を受け、大学進学後は内村鑑三の弟子となって、生涯を通して無教会主義キリスト教の熱心な信者でした。戦争中もこの立場から終戦工作に努力しました。
自説に対立して早期の講和条約締結に妨げとなっている南原に業を煮やした吉田は自由党両院議員総会の場で「南原総長らが主張する全面講和は曲学阿世の徒の空論で、永世中立には意味がない。」と強く非難しました。南原もこの言葉に強く反発して、「曲学阿世」という言葉が当時の流行語になりました。

さて、先週は初のアフリカ系黒人大統領、バラク・フセイン・オバマの就任式が世間の関心を独占しました。私も睡魔と闘いながら世紀の一瞬を衛星中継で観ました。オバマの就任演説に感動したのは言うまでもありませんが、ヘリコプターでホワイトハウスを後にするブッシュ前大統領に対して、ホワイトハウス前に集まった群衆が「Hey , Hey , Hey ! Good Bye !」*1という嘲りのニュアンスを含んだ言葉を投げつける光景が印象的でした。
もしブッシュが大統領を1期で終えるか、またはもっと早期に政策の大転換をしていれば、最後にこんな言葉を浴びせられることはなく、有終の美を飾ることができたのではないでしょうか。
あらゆる活動で言えることですが、何かを始めることはそう難しいことではありませんが、上手に終えるということはなかなかうまくできるものではありません。つまり、人生という舞台では開幕よりもいかに幕を下ろすかということが重要だと言えます。
ただ、テキサスに帰ったブッシュは「すべてをやり尽くした。何も思い残すことはない。」と言って、政治の表舞台からの引退を表明しました。今後も世間に露出し続ければ、今以上に晩節を汚すことになると判断したのでしょう。在任中「愚か者」といわれ続けたブッシュですが、存外賢明な部分を持ち合わせていたことを知りました。
我が国では、このブッシュの飼い犬と評された小泉元総理はとうの昔に引退しています。未だに彼の催眠術から覚めやらない一部の愚かな民衆からは熱烈なカーテンコールが聞こえますが、隠忍自重の毎日に徹しているようです。本当に空気を読む動物的な能力にだけは長けた男です。
それなのに、すでに終わったブッシュ、小泉のパ-ティー会場で一人だけ踊り続けている男がいます。ブッシュの命を受けて売国行動を実践した小泉のお先棒を担いでいた竹中平蔵です。
竹中は小泉と共謀してアメリカ資本の要求をことごとく実現して、我が国の社会構造を破滅へと導いた張本人であり、現在深刻化している経済不況やそれに伴う派遣切り、格差の拡大、医療制度崩壊などの問題の根源を創り出した男です。それにもかかわらず彼は臆面もなくいまだにマスコミに露出し続けているのです。
かって竹中とともに構造改革の急先鋒としてグローバル資本主義の導入に力を注いだ多摩大学教授、中谷巌氏のように己の非を率直に認めた上で、今後の対策について論じるのならばいざ知らず、「今噴出している問題は私が推し進めた政策が中途半端で投げ出されているからだ。」といった詭弁を弄し続けています。彼の薄笑いを浮かべながらへらへらと語る顔を見ていると、昔オウム真理教騒動が華やかなりし頃のテレビ画面で同じように詭弁を弄していた男を思い出します。あまりに屁理屈が巧みなので「ああ言えば上祐」との流行り言葉を生んだ上祐史裕です。
「理屈と膏薬はどこにでもつく」と言いますが、どんな証拠を突きつけられても蛙の面に小便で、論点を微妙にすり替えて言い抜ける竹中の厚顔無恥さには呆れてものが言えません。

学問とは過去の観測、実験例を分析して、そこから一定の法則を見出し、将来の予測を推論します。したがって、観測例や実験例が多いほどその理論の精度が増します。しかし、理論と言ってもしょせん人間の考えた理屈ですから将来の事象を確実に言い当てることはできません。
医学においても新種のウィルスが出現すると、それまでの微生物理論や免疫理論が通用しなくなることがあります。AIDSウィルスの出現などがそのよい例だと言えます。
中でも経済学は産業革命以降に生まれた、他の分野に比べて歴史の浅い学問です。ですから、医学や天文学などに比べて観測例、実験例が遥かに乏しいのです。理論といってもその実証性は極めて低く仮説にすぎません。
しかも、実体経済は人間の心理に大きく左右されますから不確実性がつきものなのです。そこを補うべく巧みに取り入れられているのが数学です。数字や数式は人に対して強く「真実」を暗示します。だから、専門家は理論とはあくまで畳の上の水練であることを知っているのでしょうが、難しい数式を駆使した経済理論は一般の人々を過度に信用させてしまうのです。そしてその仮説を金科玉条とした国家運営は現実社会に適応せずに失敗します。
必要に迫られなければ働かないという人間の本性を見落とした共産主義国家の末路、一方人間がとどまるところを知らない強欲な生き物であるということ無視した新自由主義経済の破綻がそのことを実証しています。
学問とは試行錯誤の連続ですから、ある時点で考えられた理論が将来の事象にそぐわない点が出てきても、その事実を素直に認めて、理論上の欠点を補修、発展させることが責務です。占い師ではないのですから、予測が当たらなかったこと自体に責任を取る必要はありません。
しかし、その理論が真実であるかのように吹聴したり、その理論で世の中を導いた実践者はその責を問われなければならないはずです。

南原総長の行動が正しかったのか否かは未だ評価が分かれるところですが、吉田茂の「曲学阿世」の誹りは不当なものであったと思います。なぜならば、彼はすでに東大総長の地位に就いており、主張を通すことで失うものはあって得るものはありませんでした。彼はキリスト教に基づく信念から時の総理大臣に真っ向から異を唱えて行動したわけで、世間に阿って私利私欲のために行動したわけではありません。
翻って竹中平蔵はどうでしょう。彼は一応、学者という肩書ではありますが、実際には経済理論を弄して立身出世を果たして政治を実践しました。彼は数式のマジックを使った経済理論と巧言の術を武器に参議院議員、大臣という地位を得たのです。したがって自分が社会に及ぼした影響に対してはきちんと責任を取らなければなりません。
然るに竹中は今書いてきたように反省するどころか、恥知らずにテレビに出てはギャラを稼ぎ、最近はなんと「こんな僕でも教授や大臣になれる」というキャッチコピーで勉強法の本まで出版して印税稼ぎをしています。
さらに、住民税脱税事件*2、郵政民営化広報チラシ事件*3、ミサワホーム売却事件*4など、知識や地位を利用した金にまつわる醜聞も後を絶ちません。
「曲学阿世の徒」とはまさに竹中平蔵のためにある言葉なのです。
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*1:アメリカのスポーツ観戦の場で、勝ったチームの応援団が競技場を去っていく敗者に対して浴びせかける言葉のようです。
*2:1993~1996年の間、日本とアメリカに住民票を移動させることによってこの間の日本の住民税を支払っていなかった。法学者の北野弘久(日本大学名誉教授)は住民税脱税犯(地方税法324条1項)における偽計行為に該当すると断じている。
*3:2005年、内閣広報室が郵政民営化をアピールするための『郵政民営化ってそうだったんだ』という折り込みチラシの発注に関し、設立して1年にもならず実績もない有限会社(社員が二人)に1億5千万円(チラシ1500万枚)もの巨額の発注を出したこと、その会社の社長は竹中の政務秘書官と親しい間柄であり、かつ会計法により160万円以上の広報、印刷物などは一般競争入札を法的に義務づけられているのにもかかわらず随意契約で作られたことなどの問題点が指摘された。
*4:2004年から2005年にかけて経営不振に陥っていたミサワホームを産業再生機構の管理下に置いて結局トヨタ自動車に売却した過程において当時金融担当大臣であった竹中平蔵とミサワホーム東京社長であった実兄の竹中宣雄が他のミサワホーム経営陣の反対を押し切ってことを進めたとして職権濫用が指摘される事件。
★現在、かんぽの宿の売却で不透明性が問われているオリックスの宮内義彦、現日本郵政社長(当時三井純友フィナンシャルグループ社長)の西川義文の他、トヨタ自動車元会長、元経団連会長の奥田碩、セコム取締最高顧問の飯田亮は小泉政権時代に竹中とタッグを組んで利権を貪った政商と言われている。

今再考すべき学生運動

2007年3月に書き始めたこのコラムが今回で100編目になります。当初は担当者から、「先生の得意とする病気や治療に関するミニコラムを書いてみてはいかがですか」という勧めを受けて書き始めたのです。
ところが何篇か書いた頃、他の医療機関のホームページを覗いてみると、病気や治療の解説はもうすでに多くの医師が書いていて、私よりもよほど立派な解説が少なくないことを知りました。はてさてどうしたものかと思案しているところへ、私に発想の転換を促してくれたのが柳沢厚生労働大臣でした。
彼の「女性は産む装置」という発言が多くの国民から非難を受けたのです。私は柳沢さんに対するバッシングは言葉じりを捕らえたヒステリックなものであると考え、急遽このコラムを通じて持論を展開することにしました。
大学で研究に携わっていた頃には論文を初めとして記録に残る形で自分の主張を発表する多くの機会がありましたが、開業医となってからは診察場面、家族や友人との会話の中で自説を論じることしかありません。残念なことにその主張はしゃべった瞬間に消えてしまいます。しかし気が付けば、これまで自分が学んできたこと、経験してきたことを何らかの形で記録しておいてもよい年齢になっています。それならば、このコラムを病気に関するテーマに限らず、常日頃自分が考えていることを発表する場にしようと考えたのです。そして、毎週必ず1編書くことを決意しました。

さて、コラム開始から2年弱しか経ちませんが、この短い間にも世の中では実にさまざまな出来事、変化がありました。中国産の食品からの有毒物質検出、ミートホープの食肉偽装など食の安全の危機、安倍、福田と相次ぐ首相の辞任劇、サブプライムローンの破綻に端を発したリーマンブラザーズ倒産、世界的金融危機、北京のオンピック、初の黒人米大統領選出等々です。我が国の医療界に目を転じれば、後期高齢者医療制度やメタボ健診が開始されました。
こういった出来事に対しても、その都度私なりの意見を書いてきました。しかし、私は自分自身それほど大局観を持ち合わせているとは自惚れておりませんから、あくまで個人的な偏見に満ちた意見にすぎませんし、現時点では見えない部分も大きいと思います。それに、すべての事柄に対する総括は数十年の後にしかできないではないでしょうか。
換言すれば、私たちは目の前の出来事だけに目を奪われるのではなく、過去の出来事を風化させることなく、折にふれて思い起こし、総括するべきです。過去に学ぶことこそ現在の問題の解決の糸口だからです。

先日、某民放が40年前の1月18、19日に行われた、東大安田講堂を舞台にした全学共闘会議(全共闘)と警視庁機動隊との攻防戦をセミドキュメンタリードラマとして放映しました。
番組では当時の実写映像をふんだんに使っていましたから、あの当時の記憶が鮮明に呼び起こされました。現役での大学受験に失敗した私はその時、受験勉強をしながら複雑な思いで、この争いの実況中継をテレビで観ていました。
あの事態に直面する私には二人の自分がいたからです。一人の私は封鎖が解除されることを願っていました。なぜならば、全共闘による大学封鎖が解除されなければその年の東大の入学試験が取り止めになるからです。一年間の浪人生活を無駄にしたくなかったのです。しかし、多くのデモにも参加したことのあるもう一人の私は、学生運動の象徴である東大に立て篭もる学生たちに共感し、彼らの善戦を祈っていたのです。この2人の自分に加えて、現役入学を果たしていれば、自分もあの中にいたかもしれないという悔しさが混じっていたことが、さらに複雑な心境にさせていたのかもしれません。
ドラマを観終わった後に、一緒に見ていた子供から「すごいな。本当にあんなことあったの?今の学生だったら絶対にあんなことやらないよ。どうしてあんなことしたの?あの人たちはその後どうしたの?」と質問されました。
ところが、あらためてあの学生運動について正面から問われると、私はどうしても上手に説明できないのです。特に、火炎瓶を投げて檄を飛ばした人たちがその後どういう生き方をしたのかという問は私にとっては厳しい質問です。なぜならば、私自身、大学生になっても医局制度反対などと言ってお飯事のような活動はしたものの、早晩医師になることに専念して、過去の自分を切り捨ててしまったからです。そういったことから目をそらして生きてきたからです。
こういうその後の人生は何も私だけではないはずです。日本の大学の象徴である東大安田講堂が陥落した1969年1月19日。この日を境に、団塊の世代の成長とともに、あれほどに高まった学生運動は急速に凋落の一途を辿りました。多くの若者は自分の中であの出来事は大きなお祭りであったと言い聞かせて、何事もなかったかのように日常的な生活に戻ったのです。
一部取り残された者は行き場を失い、さらに暴力的な行動に走り、過激派として社会全体から厳しく糾弾されるようになりました。彼らのそうした行動によって社会に留まることを選択した多くの若者は、学生運動そのものを記憶のなかからより懸命に消し去っていったように思えます。しかし、40年経た今、もう一度あの学生運動に学ぶべきことはないのか考える必要があるのではないでしょうか。

朝鮮戦争、60年安保、ベトナム戦争、70年安保という流れの中で発生し成長した学生運動のすべてを検証するには多くの人と多大な労力を必要とします。とてもこのコラムで私一人ができる作業ではありません。ですから一側面だけに限定して述べてみたいと思います。
あの当時私たち若者を突き動かしていた熱病のようなエネルギーの基の一つはベトナム戦争で累々と重なる屍の上に成り立っていた日本の平和とその戦争によって利益を貪る社会体制に対する儀風であったように思います。そして、他人の痛みを自分の痛みとして感じること、他人の不幸を傍観せず、解決するために行動することが正義の実現だという考えが充満していました。社会的な物事に自分の態度を旗幟鮮明にしない者は日和見と言われて軽蔑されました。
加えて、自分たちが力を合わせて行動すれば、すぐにでも世の中を変えることができるという性急で楽観的な自惚れに支配されていたように思います。
学生たちは「義を見てせざるは勇無きなり」という義侠の心意気で、梁山泊に見立てた安田講堂に立て篭もり、敗北を覚悟で国家権力に立ち向かったのです。陥落は致しかたないとしても、自分たちが投じた一石が大きな大衆的なうねりを巻き起こすものだと信じていたのに、その期待までもが裏切られました。
国家の情報管理によるところも大きかったと思いますが、その年の東大の修学試験が行われなかったことを除けば、世の中は何事もなかったかのように日常活動に戻りました。このことによって若者は底知れぬ挫折感を味わいました。
こうして多くの若者はその後それまでとは真逆の生き方を選んで行きました。人間の行動はほどほどを保つことが難しく、いつの世も社会は右へ左へと大きく振れ過ぎます。
私たち世代の学生運動もこの例にもれず、あまりにも熱し過ぎた行動であっただけに、その反動も大きく、社会に対して行き過ぎた無関心が蔓延してしまったように思います。
現在、日本人の多くはイラク、パレスチナ、コソボで繰り広げられている殺戮は別次元の出来事。国内で広がる格差、急増する貧困者の問題にも我関せずの態度をとります。他人の痛みを知ろうとしない嫌な風潮がすっかり根付いてしまいました。
しかし、こんな風に偉そうに現代批判をしている私ですが、本当は私にはこういう風潮を声高に批判する資格はないのです。今の「君子危うきに近寄らず」を良しとする日本人の生き方を導いたのは、実はあの当時変革の熱病に冒されていた私たちの世代にほかならないからなのです。

文頭で、コラムを書き始めてからの2年間について総括することはできないと言いましたが、確実に言えることが一つだけあります。それは私に残された時間が2年短くなったということです。
私はあれから40年の経験を積んだ今、その経験を活かした方法で今一度行動しなければいけないと考えています。現在、具体的にどのように行動するべきかを模索中ですが、とりあえずはこのコラムを書き続けようと思っています。。
「生きることは呼吸することではない。行為することだ。」
*1
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*1:Jean-Jacques Rousseau(ルソー)(1712年6月28日~1778年7月2日)の言葉。ルソーはフランスの哲学者。政治思想家、教育思想家、作家ではフランス革命や以降の社会思想に多大な影響を与えた。

睡眠の研究に欠かせないポルノショップ

睡眠に関するコラムを数回にわたって書きました。私が所属していた大学の精神医学教室では当時、佐々木三男助教授を中心に睡眠に関する研究が盛んでした。私はこの研究グループに所属してはいませんでしたが、時々研究のお手伝いをしたために睡眠に関する多少の知見を得ることができました。睡眠について多少のことを語ることができるのはこのお陰です。
佐々木先生のライフワークは睡眠に対する時差の及ぼす影響(ジェット時差症候群)、いわゆる時差ボケの研究でした。この研究のお手伝いで何度か海外に同行したことがあります。この中で一番私の記憶に残っているのは被険者(実験材料)としてコペンハーゲンに行った時のことです。

当時は現在のような携帯用の脳波計などありませんでしたから、一番コンパクトな脳波計でも洋服の整理箱くらいの大きさがあり、重さは数10kgもありました。これをキャリアーで引いてコペンハーゲンまで行ったのです。
ジェット時差症候群の研究は乗務員の労働環境と密接な関係をもっている症状です。このために、この研究には日本航空の協力がありました。協力というのは往復の運賃がただであることです。しかも客室に大きな精密機器を持ち込むこともあって佐々木先生と被険者の私の座席はファーストクラス。私はこのファーストクラス目当てに被険者に名乗りを上げたようなものです。ファーストクラスなんてとても自腹では体験できないからです。
佐々木先生は日本航空の社医ですからファーストクラスが与えられます。私が厚遇を受けたのは、何も偉いからなのではなく、実験動物として健康を保たなければならないからです。したがって脳の状態に影響するような行為は厳禁です。せっかくファーストクラスの美味しい機内食が供されると言うのに到着後まで残ってしまうような深酒は厳禁。また、乗務員に対する時差の影響を知る目的なので、彼らの行動リズムに近づけなければならず、ぐうすか眠って行くこともできませんでした。

デンマークの首都コペンハーゲンは11世紀くらいから漁港として利用されていましたが、12世紀半ばから商業の中心として発展した古い町です。日本とは時差が8時間あります。
私は時差研究の被険者ですから、到着と同時に現地時間での生活をしなけれ
ばなりません。ホテルで荷ほどきして機器を設置した後、夕食までの間、佐々木先生と検査を担当するスタッフとは夜に備えて仮眠に入ります。日本時間だとすでに深夜になるので私も眠たいのですが、我慢して夜の更けるのを待ちます。
9時頃になると頭に脳波、顔に筋電図の電極、胸には心電計、さらに肛門には深部体温を測定するためのプローブを挿入して、10時には一人で眠ることになります。私が寝ている間、佐々木先生と実験スタッフの方は一睡もせずにポリグラフの機械とにらめっこです。夜が明けて目覚めると電極を外し1回目の実験終了です。
翌朝私は比較的熟睡して元気一杯ですが、徹夜で私のポリグラフを記録していたスタッフの方々はお疲れです。彼等は朝食の後、先ほどまで私が眠っていたベッドルームで睡眠をとるのです。研究費に限りがあるために、研究のためだけの部屋を借りる予算がありません。1室は被険者である私と研究スタッフが昼夜交代で使用するので、彼等が眠りを取る昼間は、私は部屋を明け渡して街で過ごさなければならなかったのです。
しかも、昼寝をしてはいけないし、遊ぶお金が潤沢にあるわけでもありません。必然的にひたすら街を歩き回るしかありません。コペンハーゲンは伝統のある小奇麗な街ですがパリやロンドンのような巨大な都市ではありません。歩き回るにはうってつけなのですが、1日もあれば人魚姫の像(リトルマーメード)、チボリ公園など、おおよその所を制覇してしまい、他にはこれといって行く所がありません。
それに、私はあくまで被険者として訪れているので1時間おきに体温を測定しなければなりません。さすがに肛門からの深部体温測定は勘弁してもらいましたが、できるだけ高い精度で体温変化を把握するために婦人体温計を使って口腔内温度を測ることになっていました。
時刻を見計らいながら公園を探して、できるだけ人の少ないベンチで婦人体温計を咥えるのです。人混みを歩きながらであったり、土産物屋で値下げ交渉をしながらこの行為をしたならば、相当に怪しい者と訝しがられます。
ですから、なるべく人通りの少なく、かつ公園の多い通りを選んで旧市街を彷徨い歩き続けたのですが、2日目にはもう時間を潰すところが無くなってしまいました。そこで目に飛び込んできたのがポルノショップでした。
北欧諸国は昔から我々の本能行動に対する規制が寛大で、無修正の「あの場面」が映っている写真集や8mmフィルム(当時はまだビデオが主流ではなかった。もちろんDVDなどは開発もされていいなかった。)を堂々と売っていたのです。デンマークも例外ではなく、こういった物を専門に売っている、いわゆるポルノショップが軒を列ねていました。
日本ではまだ画面に陰毛が映っているだけで発行禁止になっていた時代でしたから、男子たる者、北欧を訪れたのにポルノショップに行かないということは、天ぷら屋に行って刺身だけ食べてくるようなものです。ポルノショップでの立ち読みは眠気覚ましになりますから、趣味と実益の一石二鳥です。当然、私は散歩のスケジュールの最初にポルノショップを組み入れていました。
しかし、コペンハーゲンでも日本と同じように立ち読みは嫌がられますし、鑑賞しがいのある高価な写真集はコペンハーゲンでもビニール袋に密閉されて、日本と同様に「ビニ本」になっていますから、立ち読みができません。ですから、1軒のポルノショップでの立ち読みではそう長い時間を潰すことができません。ポルノショップの梯子を試み、ほとんどのポルノショップは制覇しましたが、どの店も品揃えは似たり寄ったりですから立ち読みだけでは限界があります。
この方法だけでは、この先の研究に支障をきたしてしまう。何か眠くならない時間潰しはないものかと思案しながら、ホテルからそう遠くない旧市街の1軒のポルノショップで立ち読みをしていた時のことです。
店の奥を覗くと、小さな小部屋があることに気付きました。よく見ると8mmフィルムの試写室です。そっとドアを開けてみるとソファがいくつか置いてあり、目の前のスクリーンにポルノフィルムが上映されていました。
店の親父に尋ねると、数百円の料金を払って観たいフィルムを指定すればよいことが分かりました。一日中歩き回っていたので、足が棒のようになっていた私は早速料金を払ってソファに座りこみました。
適度な座り心地のソファとスクリーン上の俳優さんたちの熱演のお陰で眠気に襲われません。すっかり気に入った私はここで時間を潰すことに決めました。
定時が来ると婦人体温計を咥えて体温を記録しながらフィルムを鑑賞し続けました。体温計を咥えながらポルノ映画を見続ける私の様子を訝しく思ったのでしょう。5、6本目のフィルムを観ていると店の親父が入ってきて、「お前は何をしているのだ」と尋ねてきたのです。
たどたどしい英語で理由を説明すると、笑いながら、「日本人の客はたくさん来るが、お前ほど好きな奴はいない。よほどの変態かと思っていた。そういう訳だったのか。フィルムを選ばないなら、後はただでそこに居ていいよ」と言ってくれたのです。
ポルノショップがこれほど研究に役立つところであるとは思ってもみませんでした。翌日からは、歩き疲れるとその店に行き、5本分の料金を払って夜まで時間を潰させてもらいました。そればかりか、親父からコーヒーまで御馳走になって、帰国の日まで規則正しい生活のリズムを保つことができました。
帰国すると昼は病院業務に携わりながら夜は再び数晩に渡ってポリグラフ測定し、東回りの旅の影響を検討しました。

人間が西回りの旅で見られる時間が遅れる時差には比較的早く適応できるのに、東回りの旅における時間が早まる時差にはなかなか適応できないという事実は、それまでにも経験的には分かっていました。佐々木先生の研究チームは先ほど述べたような研究を何回も繰り返して行い、ジェット時差症候群のメカニズムについて科学的な証明をしたのです。

私のコペンハーゲンでのデータも時差の影響の解明に少なからず貢献したと思われます。しかし、残念ながら佐々木先生の論文の中で、研究協力者としてポルノショップの親父の名前は載っていません。

知足安分

昨年は友人の引越しの手伝いで大忙しの正月でしたが、今年は元日を除いて自宅で穏やかにごしました。天候に恵まれた正月であったのにもったいないと思われるかもしれませんが、私としては幸せを実感する正月でした。
元日は氏神様に初詣と先祖の墓参りをした後、実家の母親のもとへ年賀の挨拶に行きました。昨年は体調を崩して病院で正月を迎えた母ですが、今年は無事に87回目の正月を自宅で迎えることができました。母がテーブルの上に朝配達された年賀状を並べて整理している姿を見て、よくここまで回復してくれたと感謝せずにはいられませんでした。
母と同じマンションに住む兄夫婦も元気な顔を見せてくれました。昨年は義姉も大病をして手術を受けましたが、その義姉もすっかり元通りの笑顔で出迎えてくれました。私の胆嚢摘出を初め、昨年我が家は病気の話題が多かったのですが、好運に恵まれて、皆なんとか回復することができました。皆が元気に顔を揃えられたことだけで、本当におめでたい元日だと思います。
元日の夜は家族全員が顔を揃えて賑やかな夕餉を摂り、甥を交えて麻雀をしましたが、2日からは皆元気に各人各様の活動に戻りました。家内は所属クラブの新年杯に出場するために早朝からゴルフ。子供たちもマイペースに正月を楽しみ(息子は少々風邪気味でしたが)、私は愛する猫3匹に囲まれて、暖房の効いた部屋でぬくぬくと過ごしました。
家内が営んでいる眼科クリニックの年末年始休みは大晦日と正月三が日だけです。元日はどこのゴルフ場も休場ですから、2日と3日は大好きなゴルフを心おきなくできる1年の中でも数少ない日なのです。今年は幸い天候にも恵まれて楽しい2日間を過ごしたようです。たまの休みだと言うのにのんびりした時間をとらずに、真冬の早朝にゴルフに行く家内のバイタリティーには感心します。
子供たちが家にくすぶっていないことは当然でしょう。私も2人と同じ年の頃は何かの口実をつけては、彼女や友人と集まって街へくりだしたものです。家に引きこもりでもされたら、それこそ心配でたまりません。
家族がそれぞれ楽しく活動できるという状況は各人健康で、その人生が充実して、家族が大きな問題を抱えていない証拠です。誰か一人でも病気に倒れていれば、看病のために居残らなければなりませんし、難問を抱えていれば、眉間に皺寄せて鳩首しなければなりません。

私は本来蟄居して、このコラムを書き貯める計画であったのですが、最近我が家における、私の日々の業務に加わった「今日のお言葉」の執筆にかなりのエネルギーを消費してしまうために、コラムの方にまでなかなか手が回りませんでした。
しかも、たっぷりと時間があるという気の緩みからでしょうか、集中力を欠いて筆が進みません。少し書いては猫と戯れ。また少し書いては猫に遊んでもらう。猫に飽きられるとごろ寝しながらテレビを観る。コマーシャルの合間に原稿を書く。こんな具合ですから計画は半分ほども達成できませんでした。確かに予定は未定にして確定にあらずです。
テレビと言えば、お正月のテレビ番組はよくもまあこれほど面白くない番組を作ることができると逆に感心させられるほど碌な番組がありません。どのチャンネルを回しても同じような顔触れのタレントがわあわあ騒いでいるだけです。あれでギャラが貰えるのですから、一度芸能界に足を突っ込んだらやめられないのがよく分かります。
それでも中には過去に見逃したドラマの特集再放送などがあり、金のかかっていないこういう番組の方がよっぽど楽しめました。私はこういったよほど観たいと思う番組がない時にはケーブルテレビのアニマルプラネットというチャンネルを見ることにしています。
こんなのんびりとした生活をしていると麻生さんのように「世間知らずの高枕」*1になってしまうと思われるでしょうが、そうではありません。大好きな動物の映像を観ていてもそう能天気ではいられません。
動物番組では人間の飽くなき欲求の犠牲になって、多くの生き物たちが絶滅の危機に向かっている現実を知らされます。くだらない番組の合間に少しだけ観ることができる報道からは、職と住居を一挙に失った非正規雇用派遣労働者が寒空の下、炊き出しを求めて列をなす姿を目にします。海の向こうパレスチナでは数千人の一般市民が砲火の犠牲になっています。
自分自身が暖かい部屋で猫に腕枕を提供しながら、ごろごろしているからこそ、余計に自分の今の平和な生活が当たり前のものではなく、とてつもない幸運に恵まれている結果であると思い知らされるのです。日頃、日常の業務に追われていると、かえって気がつかないことかもしれません。

世間ではしばしば「平等」が声高に叫ばれますが、それは絵に描いた餅であり、現実はすべてが不平等です。背の高い親から生まれた子は生まれつき背が高くなることを保証されています。身長に限らず、殆どの能力はその大部分が先天的に決定されています。男と女だって絶対に平等に造られてはいません。生まれつき平等でないものを平等であると言い張ることは牽強付会*2な論法と言えるのではないでしょうか。
「本来すべてのものは不平等である」という現実を虚心坦懐*3に認めた上で、その不平等な存在がどうすれば不公平にならないように共存できるのかを考えることこそがより多くの人々の幸せを見つける道だと思います。

日本は長らく人々の生活に儒教の教えが深く浸透していました。私が幼少のころは両親や祖父母からまず「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉を覚えこまされました。また、もう少し道理が分かる年頃になってからは「分をわきまえなさい」と繰り返し注意を受けて育ちました。
ところが現在の我が国には、感謝の念を失い、自省することを知らず他人を非難するばかり、止まることを知らぬ欲求に支配された人々が横行跋扈*4しています。いつからこんな世の中になってしまったのでしょう。
略奪によって己の欲するものを手に入れることを「アメリカンドリーム」と名付けて美化する、強欲なアメリカ的な考え方が我が国を席巻するようになったのはそう遠い過去ではありません。今からでも遅くはありませんから「グローバル」などというカタカナ言葉に振り回されないで、自分たちの因って立つ漢字文化を掘り起こして、地に足の着いた日本人らしい生活を取り戻しましょう。
知足安分*5。猫と暖かい正月を過ごせることに感謝。
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*1世間知らずの高枕:世間の事情に疎いばかりでなく、世間のことを知ろうともせずに暮らす者への皮肉のことば。
*2牽強付会:自分の都合のよいように、強引に理屈をこじつけること。
*3虚心坦懐:心にわだかまりがなく、平静にことに臨むこと。また、そうしたさま。
*4横行跋扈:のさばってわがまま勝手に振る舞うこと。
*5知足安分:「足るを知り分に安んず。」と訓読みをすることもある。高望みをせず、自分の境遇に満足すること。分をわきまえて欲をかかないこと。
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