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クリニック西川

2009年2月

人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む-アルコール依存症-

鉄の意志を持つ人はそうはいない。つい飲み過ぎて二日酔いに苦しんだ経験のお持ちの方は多いのではないでしょうか。また、自分を見失って酒の上での失敗談をお持ちの方も少なくないと思います。しかし、三日酔いはあまり聞いたことがないし、世界を揺るがす大失態を演じるまでの深酒となると、そう滅多にあるものではありません。
ところが、無様な酔態を全世界に放映されて我が国の信用を失墜させて、問題酩酊から丸二日以上右へ左への酔歩蹣跚(すいほばんさん)を続けた挙句、結局は自ら崖下に転落してしまった男がいます。前金融・財政担当大臣の中川昭一氏のことです。

先日ローマでG7先進7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議が開催されました。未曽有の金融危機を打開して、世界大恐慌の再来を何とか瀬戸際で食い止めるために先進国の財務関係トップが鳩首したものです。
会議後の記者会見はそれぞれの国の代表が会議の結果を受けて、自国が今後どのような基本姿勢で経済運営に臨むのかを世界に表明する重要な舞台です。とても大事な会見ですから、その映像は世界中に配信されます。ところがその映像を目にした者は全員、我が目を疑いました。
そこに映し出された中川さんは酔眼朦朧とした表情で、発する言葉は呂律が回らず、オバマ大統領を「オビャマ」などと言っているのです。必死に立ち居振舞いを正そうと努力している様子も伺えたのですが、結局は睡魔に勝てませんでした。質問が隣席の白川日本銀行総裁へ移った後は、総裁の名前にあやかったのでしょうか、とうとう白川夜船になってしまいました。
この醜態は日本にとどまらず世界中のメディアの格好の餌食になり、繰り返し繰り返しテレビの画面に流されました。ユーチューブでも高視聴率だったと聞きます。これを受けて日本国内は上を下への大騒ぎ。郵政民営化再検討発言で小泉元総理の虎の尾を踏んで、衰弱の度を増していた麻生さんをさらに追い詰める事態となりました。
小さな会社の課長会議の場でも馘首が不思議でないような失態に対して続投宣言をしたのです。しかし、この対応が火に油を注ぐ形なったことを知って、半日後には予算成立後の辞任に変更。これでも火勢が衰えないことが分かってやっと即日辞任となりました。危急存亡の折に、麻生さんはまたもや中途半端な対応をして、指導者の器でないことを露呈してしまったのです。

ところで、人間の嗜好品の代表と言えば酒と煙草が挙げられます。飲酒と喫煙は共に長い歴史を持ち、文化を築いてきました。しかしながら昨今、喫煙に対する風当たりが異様なまでに強くなり、社会に害悪な物の代表に仕立て上げられてしまいました。一方、酒害に関する批判はかなり甘く、酒の評価は毀誉褒貶相半ばすると言ったところではないでしょうか。愛煙家の私としてはこの片手落ちの扱いには甚だ遺憾なのです。
公平に見れば、今回の中川さんの一件に限らず、酒に起因する重大な過失事故や重大事件は古今東西、枚挙に遑がありません。しかも飲酒運転による轢き逃げ殺人、酒の上の口論からの殺傷事件など生命を脅かす例も少なくありません。
一方、煙草の場合はどうでしょう。火の不始末からの火災事故は憂慮すべき課題ですが、それ以外に重大な事故あるいは凶悪な犯罪の原因になることなどそれほどあるでしょうか。煙草を巡る殺人事件なんて聞いたことがありません。中川さんにしても、直前の行為が酒の飲み過ぎでなく煙草の吸い過ぎであったならば、あんな醜態を演じることはなく、今でも大臣の職席に着いているのではないかと思います。
こんなことを書くと、今や世界を席巻しつつある禁煙運動家諸氏から非難の雨霰を受けそうなので喫煙擁護論はこのくらいで矛を収めます。争いを好まない気弱な愛煙家は、知ったかぶりの数字を並べたてて文化人ぶった、ヒステリックで他罰的傾向のある嫌煙運動家にはとても太刀打ちできません。そのうちに喫煙したという理由で医師免許を剥奪される時代がやってくる予感がします。そうなったら、この文章が私が煙草を吸うことの致命的な証拠になり、社会的に抹殺されてしまいます。くわばらくわばら。

閑話休題、酒の話に戻りましょう。「酒は百薬の長」と言われる通り酒は古代では薬として用いられていました。現代においても酒の主成分である酒精(エチルアルコール)は気付け薬、消毒・防腐剤、食欲増進剤、胃薬の代用品として用いられています。また、酒を睡眠薬代わりに用いる人も多いのが現実です。が、酒の何よりの効能は脳の抑制を解いて本音を発露し、日頃の憂さを晴らしてストレスを解消したり、人間関係をより緊密にすることではないでしょうか。
適量の飲酒は人をいっときの間、羽化登仙の境地に誘ってくれます。さらに、身体的にも血管を拡張して血圧を下げ、新陳代謝を亢進し、胃腸の運動も活発にします。睡眠時の脳波活動を他の睡眠導入薬適用時とアルコール適用時とで比較しますと、アルコールによって眠った時の方が自然の睡眠に近い脳波パターンが得られます。
このように書くと、アルコールは良いこと尽くめのように思われるかもしれませんが、実際にはアルコールは消毒薬以外、正式な医薬品としては認知されていません。この最大の理由は適用量の設定が難しいことによります。
先ほど述べた、ありがたい薬効はすべて「適量の場合」という但書が付いています。もちろんどんな薬物においてもその効果がうまく発揮できるのは一定の適当量の場合に限ります。一定の量(有効量)以下では全く効果が現れませんし、逆に特定の量(中毒量)を過ぎると、身体に良くない中毒症状が現れます。この有効量と中毒量の差(安全閾)が大きければ大きいほど安全で使いやすい薬です。一方、安全域が狭い薬は使用量によほど気をつけないと毒性が現れてしまいますから、危険で使いにくい薬と言えます。因みに、有効量よりも中毒量の方が少ない物質は毒物であり、もはや薬をして使用することはできません。
さてアルコールはと言うと、有効量や中毒量に関する個人差が極めて大きい上に、安全域がとても小さいのです。ですから、アルコールは薬としてはとても使いにくい物質なのです。Aという人にとってはまだ物足りないくらいの量のアルコールがBという人に対しては生命を脅かす急性中毒を引き起こすことがあります。また同じ人でも、ちょうどほろ酔いだなと感じた後のもう一杯で、泥酔になってしまうこともあるのです。つまり、紙一重の差で「百薬の長」が一転して「百毒の長」になってしまいます。
ですから、嗜好品としてお酒を飲む時にも、「もう少し飲みたいな」と思っているところで止めるのが上手な飲み方なのですが、酔いが回って事理弁識能力が低下した脳に適切な判断は困難です。酒宴は「礼に始まり乱に終わる」と言われる所以です。

アルコールは今述べた急性中毒だけでなく長期にわたって飲み続けることによって起こるアルコール依存症も重大な副作用であり、社会問題でもあります。
一般的に、毎日お酒を欠かさない人、大量のお酒を飲む人、酒癖の悪い人などを指して「あいつはアルコール依存症だ」という傾向がありますが、これは間違っています。これらは単にアルコール常習者、大酒家、問題酩酊というだけです。
もちろん、酒の常習、大酒、問題酩酊があれば依存症へもう一息のところまで来ています。しかし、アルコール依存症と決定するかどうかのキーポイントはTPOをわきまえて断酒できるかどうかという点です。
すなわち、毎日一升酒を飲んでいても、大切な予定や車の運転が予想される時には控えることができる人はアルコール依存症ではありません。一方、量的にはコップ一杯のビールしか飲まない人であっても、大事な会議であるというのにどうしても酒の誘惑に勝てない人は立派なアルコール依存症なのです。
この点を踏まえてみると、世界中に発信する大事な記者会見の前に酒を口にした中川前大臣に、アルコール依存症という診断を下すことに異論を唱える方はいないと思います。そして、依存症患者のほとんどがアルコールの常習者であり、大酒家で、問題酩酊の既往があります。となると、「食事は何十回も一緒にしたが、私の前でお酒を飲んだことはない」と明言した麻生総理には虚言癖の診断がつきそうです。
当のご本人も辞任に至る最後まで、深酒を否定して「風邪薬を飲み過ぎた」との弁解に終始していました。今回の辞任劇を不本意な「飲まぬ酒に酔う」*1の喩のように仕立てて、僅かでも名誉を守ろうと思っての苦肉の策でしょう。
しかし、どんなに言い訳しても世界中の誰もが「飲まぬ酒には酔わぬ」*2としか思っていません。確かに先ほどから述べてきましたように酒をアルコールという化学物質と考えれば、薬の飲み過ぎと言えないこともありませんが、しかし、やはり牽強付会で見苦しいだけです。

ところで中川さんのことを笑ってばかりもいられません。私たちもよほど気を付けてお酒と付き合わないと、彼と同じような失態を演じるとも限りません。「人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む」*3と言います。酒が酒を飲みだす前に切り上げる強い意志を鍛えなければなりません。
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*1:飲まぬ酒に酔う:そうなった原因は身に覚えがないのに、不本意な結果になることの喩。
*2:飲まぬ酒には酔わぬ:何か原因がなければ、このような結果にはならないということの喩。「火のない所に煙は立たぬ」と同義。
*3:人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む:はじめは人は楽しんで酒を飲んでいるが、そのうちに酔った勢いで酒を飲むようになり、さらに酒に飲まれて悪酔いをしてしまうということ。

猫は愛の伝道師

家族向けに私が毎日1編のミニコラムを書いていることは以前にお話ししましたが、このコラムのために毎日、その日が何の記念日であるかを調べています。
そんなことをやっていたら、2月9日が1932年の血盟団事件や1982年の日本航空羽田沖逆噴射墜落事故などの悲惨な事件があった日であることを知りました。しかし、そういう眉を顰めるだけの日ではなく、思わず微笑んでしまう記念日であることも見つけました。
なんと、この日が愛猫家にとっては「肉球の日」という祝日なのだそうです。猫に魂を奪われた者たちの狂気に近い溺愛ぶりが窺い知れます。「猫可愛がり」とはよく言ったものだと、愛猫家のお馬鹿さんぶりを呆れながら、自分自身いつしか頬が緩んでしまいました。
そうなのです。何を隠そう、私は自他共に認める猫好きなのです。何よりの証拠に、このホームページの表紙にも我が家の愛猫、ムックの写真を掲載しています。ムックは最寄りの新大塚駅構内の掲示板上の当院の案内欄にも登場しているのです。
我が家にはこのムックの他にルイ、ジャスミンがいて、計3匹の猫が同居していています。家族全員猫好きなのですが、猫狂いにかけては私が頭一つ抜け出していると自負しております。
猫の方も私のことを一番信頼してくれているらしく、古くからの我が家の住人であるムックとルイは私の部屋を根城にしています。と言うより、私が2匹のテリトリーに居住することを許してもらっていると言ったほうが正しいかもしれません。
たまに私が外で飲み歩いて帰宅が遅くなると、彼等は玄関で私の帰りを待っているようです。遅くなりすぎた時には家内から「何をやっているの!早く帰りなさい!」という叱りの電話の代わりに、玄関で私の帰りをじっと待っている3匹の猫の写メールが届きます。その姿を見てしまうと、どんなに盛り上がって飲んでいる時でも、慌てて帰宅してしまいます。
それなのに、実際に家に着いてみると、彼等はことさら恨みがましい素ぶりをするわけではなく、「あっ、そう、帰ってきたの」というさり気ない出迎えをします。この犬のように直球だけに偏らない緩急自在の愛情表現によって、猫への想いは、さらに抜き差しならない深みにはまってしまうのです。

さて、猫は犬と並んで古くから人間が友として身近に飼ってきた動物の双璧です。犬は「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」と言われるほどの飼い主に対する忠誠心が売り物です。この律儀さと同時に優れた記憶力、嗅覚を備えています。こういった能力によって犬は猟犬、牧羊犬、番犬、警察犬、盲導犬、救助犬、介助犬などさまざまな分野で人間の助手として活躍してきました。
一方の猫の場合も人間との関係の起源は、エジプトで穀倉を食い荒らす鼠に対する用心棒として飼われ始めたと聞きます。しかしながら、鼠を捕る以外これと言って人間生活の役に立ちません。また、すべての猫が鼠を捕るわけでもありません。
昔から猫は「ネコ、トコ、ヘコがいる」と言いました。それは、鼠を捕る猫をネコ、鳥を捕る猫をトコ、蛇を捕る猫をヘコと言ったのですが、よく見ると特にこれと言った得意技を持っていない猫もいます。
基本的に猫は食べて寝て一日を過ごす無為徒食の動物なのです。しかも唯一の特技である小動物の狩りにしても、何も人間様のためを思ってやっている行為ではなく、自分が喰いたいだけなのです。
また、とても臆病なのでちょっとした物音や異変に対しては、立ち向かうのではなく、一目散に逃げ出すのです。犬も自分より大きな相手に対しては直ちに撃退するのではなく、一定の距離を保ちますが、後退しながらも吠えかけて相手を威嚇します。猫の場合には絶対に相手に見つからないよう、物陰に身をひそめ、息を殺して相手が立ち去るのを待つだけです。ですから、防犯の役割などもってのほかです。
さらに、この点には異論があるのですが、一般には記憶力が悪くて忠誠心に欠けると言われています。ですから、「犬は人につき、猫は家につく」とか「猫は三年の恩を三日で忘れる」とか言われるのです。
したがって、人間との関係の深さに関して犬と猫とを比較するとどうも犬に軍配が上がるようです。この傾向をさらに確かめるために犬や猫に纏わる熟語や諺がどのくらいあるのかを調べてみました。
その結果、中国由来の四文字熟語において、犬に纏わる四文字熟語は「犬馬之労(けんばのろう)」*1、「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」*2、「羊頭狗肉(ようとうくにく)」*3等々多数見つかったのに対して、猫は「窮鼠噛猫(きゅうそごうびょう)」*4にしか登場しませんでした。やはり、中国においては犬の方が遥か重用されていたのでした。
ところが意外にも、我が国の諺においては「女の心は猫の目」*5、「猫に鰹節」*6、「猫に小判」*7、「猫糞(ねこばば)をきめこむ」*8、「猫をかぶる」*9など、猫もかなり健闘しているのです。
無論、犬の活躍は言うまでもありません。すぐに思い浮かぶ言葉だけでも「犬が西向きゃ尾は東」*10、「犬も歩けば棒に当たる」*11、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」*12、「負け犬の遠吠え」*13、「犬猿の仲」*14などが挙げられます。

さて、日本では犬猫拮抗しているのに対して、中国ではなぜ猫が軽んじられているのか、甚だ疑問です。懸命に考察してみました。その結果、私の推測では、この違いは動物の生息圏と言う地理的条件と長年に亘ってそれぞれの土壌で培われてきた気風の違いに拠るのだと結論しました。
中国はその領地内に虎の生息地を持っていますから、実物の虎を目にする機会がありました。一方、日本人は実物の虎を目にしたものは朝鮮征伐に行った加藤清正くらいのもので、大多数の日本人は猫族と言えば猫しか目にしたことがありません。
だから中国では猫の大親分である虎が「引っ張り凧」であって、虎を含めた猫族として考えるならば、猫族は犬が及びもつかないほど頻用されているのです。また、鄧小平の「猫の種類に白も黒もない。あるのは鼠を捕る猫と捕らない猫だけだ。」という言葉のように、中国人はきわめて実利主義者であります。そのために猫族の中では、強大なパワーを体現する虎を猫族の代表として重用して、猫を採らないのではないだろうか。それに対して、「憐れ」を好み、盆栽を愛でるような大和心にとっては強大で猛々しい虎よりも嫋(たお)やかな猫の方が心を掴んで離さないのではないかと言うのが私の結論です。

結局、犬と猫を比較した場合、人間の生活の中での有用度から言えば、猫は犬には到底及びもつかない存在です。しかし、猫は犬が取って代わることができない特別の役割を持っています。
犬と人間との関係はどんなに濃密な関係とは言っても、所詮ギブ・アンド・テイクの関係ではないでしょうか。犬は飼い主に愛されるために必死に役目を果たしています。また、人間は飼い犬のその健気な忠勤ぶりに信愛の情を覚えているのです。
一方、猫は人間に何の実利ももたらしません。愛情表現も控えめで、どこまでも対等の関係を維持します。結果、飼い主は猫に対して何かを求めるのではなく、そこに存在していてくれることそのもの、そして自分が猫の役に立っているという幸せだけを求めるのです。
つまり、猫は飼い主に、人間同士ではなかなか到達できない、次元の高い、見返りを求めることのない、無償の愛情というものを教え込でくれているのです。猫は愛の伝道師なのです。

このコラムを読んだ愛犬家からは猛烈な批判を受けそうです。愛猫家からは「そんなことは今更言うほどのことではない」と言われそうです。そういう酷評が予想されるにもかかわらず、猫を語りだしたら止まらないのが、猫に魂を奪われた者の憐れな性(さが)なのです。
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*1犬馬之労:自分が主人や他人のために労を尽くして働くことを謙遜して言う言葉。
*2鶏鳴狗盗:小策を弄する人や、くだらない技能を持つ人。つまらないことしかできない人の喩。また、つまらないことでも何かの役に立つことがあることの喩。
*3羊頭狗肉:見かけや表面と、実際や実質が一致しない喩。宣伝は立派だが、実際は粗悪な品物を売る喩。
*4窮鼠噛猫:弱い者であっても絶体絶命の窮地に追い詰められて必死になれば、思いもよらない力を発揮して強い者に勝つこともあるという喩
*5女の心は猫の目:女性の心理は変わりやすく、気紛れだという喩。
*6猫に鰹節:あやまちが起こりやすい状況、危険な状況にあることの喩。
*7猫に小判:貴重なものを持っていても、持ち手いかんでは何の役にも立たないことの喩。
*8猫糞をきめこむ:自分でしたことを隠して人前で素知らぬ顔をしていることの喩。
*9猫をかぶる:本性を隠しておとなしそうに見せかけること。また、知っていても知らないふりをしてとぼけることのたとえ。
*10犬が西向きゃ尾は東:ごく当たり前であることの喩。
*11犬も歩けば棒に当たる:出しゃばると思わぬ災難にあうという戒め。逆に、動き回ってさえいれば、思いがけない幸運に出会うことがあるかもしれないことの喩。
*12夫婦喧嘩は犬も食わぬ:夫婦喧嘩はつまらないことが原因で起こり、一時的なもので、すぐに仲良くなるものだから、他人が心配したり、仲裁に入ったりするものではないということ。
*13負け犬の遠吠え:臆病な者が、陰で空威張りすることの喩。喧嘩に弱い犬は、相手から遠く離れた所から吠えたてることからでた言葉。
*14犬猿の仲:非常に仲の悪い間柄の喩。

ふたつの進路変更

去る1月24日、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のダンビル市で多くの市民の称賛を浴びて、一人の男性が表彰されました。祝福を受けたのはUSエアウェイズのチェスリー・サレンバーガー機長(57歳)です。
事件は、アメリカ国内は言うに及ばず全世界が、数日後に行われるオバマ新大統領就任の瞬間を待ちわびて、アメリカに注目していた2009年1月15日に起きました。
USエアウェイズ1549便はニューヨーク、ラガーディア空港を離陸直後、高度900mで鳥の大群と遭遇し、バードストライク*1によって瞬時に二基のエンジンが停止してしまいした。
離陸時操縦桿は副操縦士が握っていましたが、サレンバーガー機長は直ちに副操縦士から操縦桿を引き継いで緊急事態に対処しました。機長の報告を受けた管制官からの指示はラガーディア空港を含む最寄りの空港への緊急着陸でした。
しかし、機は離陸直後であるために最寄りの空港まで安全に滑空するために必要な高度と速度を保持していなかったのです。彼は、もしこの状態で管制官の指示に従えば、かなりの確率で機がマンハッタン内に墜落して、乗客、乗員はおろか多くの市民を巻き添えにする可能性があると考えました。
その結果、機長は管制官の指示を採用せずにハドソン川への着水を選択したのです。しかし、当時のニューヨークは零下数度の厳寒で、ハドソン川には氷が張っていました。
人間は氷点下の水中で長時間生存していられません。ですから無事に着水できたとしても、その後、機体から乗客と乗員を迅速に救出しなければなりません。そこで彼は日常的に多くの船が行き交うフェリー乗り場付近への着水を決心しました。
それから数分後、彼と乗員スタッフ全員の優れた操縦技術によって見事に目標とした水面に着水しました。彼の目論見通り、周囲を行き交う多くの船によって乗客乗員155名全員が氷点下の川から無事に救出されたのでした。
この快挙はスタッフの協力と幸運もなければ達成できなかったかもしれません。しかし、一人の犠牲者も出さずに未曽有の緊急事態を大惨事から回避させた功績は、なんと言ってもサレンバーガー機長にあるのではないでしょうか。
彼の迅速果断(じんそくかだん)かつ沈着冷静な判断と泰然自若(たいぜんじじゃく)とした行動がなければ何百人もの儀歳者を出していたかもしれないのです。
機長は全員が救出されたことを確認した後、最後に救助船に乗りました。大仕事を終えて河岸に辿り着いた機長は、フェリー乗り場のカフェで沈みゆく機体を眺めながら珈琲を飲んでいたと聞きます。映画の「カサブランカ」のリックを彷彿とさせる男伊達の格好良さだと思います。
閑話休題(かんわきゅうだい)、サレンバーガー機長は、祝福のために集まった数千人の群衆からの讃辞に「優秀なスタッフに恵まれたことが幸運でした。皆いつもの訓練通りに行動しただけです。」と答えたそうです。
勝って奢(おご)らぬを良しとする、日本の武士道に通ずる謙譲の美徳を示す発言に米国民はさらに彼に対する敬愛の念を強くしたと聞きます。アメリカは自己主張しなければ生きていけない国と聞いていましたが、本当に立派な人への評価は洋の東西を問わないことを知りました。「君子は行いを以(も)って言い、小人は舌を以(も)って言う」という格言はアメリカでも生きているのです。

さて、4年前「改革」の美名に酔いしれて事の是非を十分に議論しないままに「郵政民営化」を一枚看板にした小泉自民党を圧勝させたのは他でもない私たち国民です。
今になってみれば、私が心配していた通り、採算の合わない地方の特定郵便局が続々と閉鎖して、当時熱狂的に小泉を支持していた国民を苦しめています。それでもまだ、小泉イリュージョンから覚醒できない国民が多数いることは大変嘆かわしい限りですが、その愚かな国民に鳩山邦夫総務大臣が一石を投じました。
竹中平蔵とつるんで、改革路線に便乗して甘い汁を吸ってきた、日本郵政の西川義文とオリックスの宮内義彦とが、かんぽの宿を出来レースで法外に廉価な売買をして、またぞろ濡れ手に粟の大儲けを企んでいました。この悪巧みが成功寸前のところで鳩山大臣が待ったをかけたのです。
これまで「私の友人はアルカイーダの友人」とか「オートマチックな死刑執行が望ましい」といった物議を醸す言動が多かった鳩山さんですが、今回のかんぽの宿売却阻止には与野党こぞって賛意を示しました。
派遣労働の規制緩和政策に対する批判などで、小泉路線の弊害が少しずつ明るみに出てきてところへ、追い討ちをかけたのが今回の鳩山大臣の行動でした。しかも、この鳩山大臣の行動を多くの国民が支持しました。世論のこの動きに不人気絶頂の麻生総理は「潮目(しおめ)」が変わったと見たのでしょう。支持率回復のための乾坤一擲(けんこんいってき)の一手として郵政民営化の見直しを打ち出しました。
かねてから小泉政治の弊害を強く感じていた私は、この電光石火の政策大転換を大変高く評価します。民間に任せた方がよい事業は民営化すべきですが、営利とはそぐわない事業は民営化すべきではないのだから、一刻も早く悪い改革は改めるべきだからです。
しかし、進路変更そのものは大変良かったと思うのですが、その政策転換についての趣旨説明を誤ったために、支持率を上げる算段が狂って、逆に一層支持率を下げてしまいそうです。
小泉政権当時、麻生さんは総務大臣でした。閣内の一員として小泉政権下の多くの政策に関与して政令に押印し、国会で賛成票を投じました。そのことを追及された際に、「あの時には郵政民営化についてプラスの影響の方が大きいと判断した。しかし、その後の世の中の変化を見ると予想外に負の効果が大きいことが分かった。あの当時の自分の判断は誤っていた。だから今、この成策を見直したい。」と正々堂々と述べればよかったのです。
自分も加担した先の改革と称した政策の誤りを総括し、自己反省をすることが一国の指導者たる者のとる行動であるはずです。指導者たる者、非を認めるに吝(やぶさ)かであってはならないのです。
しかし、彼の口から出た言葉はなんと「僕のせいじゃないよ。僕本当は嫌だったんだけど小泉君がやれやれって言うから総務大臣の判子押しちゃっただけなんだもん」。自省や謙譲の欠片も無い言葉でした。
これはグループでした悪さを先生から咎められた小学生や、集団で輪姦した不良が学校や裁判所で良く口にする見苦しい言い訳です。そんな言い訳は小学校でも家裁でも通用しません。かえって「人のせいにするな」と余計叱られるのが落ちです。曲がりなりにも国政を預かる者の口からそんな情けない弁明を聞くとは誰もが思わなかったでしょう。畢竟、彼の一大決心が「君子豹変(くんしひょうへん)」ではなく「小人革面(しょうじんかくめん)」*2であったことが露呈する結果となりました。
漢字が読めないことや連夜ホテルのバーで飲むことには目をつぶっていた数少ない支持者でさえ、ここまで来ると、「何をか言わんや」でしょう。

中国の諺にはしばしば「君子」と「小人」が対比的に用いられます。君子とは徳が高くて品位が備わった人。小人とは徳や器量のない人のことを指します。当然ながら、人の指導者が範とするべきは君子であって、小人が国を治めると世が乱れて民衆が塗炭の苦しみを味わうことは歴史が証明しています。
国民が理想的な君子を指導者として迎えることはそう滅多にあるものではないと思いますが、少なくとも君子の片鱗くらいは持ち合わせてくれていなければ、その国は破滅してしまいます。
そして、残念なことに我が国の総理大臣の言動からは君子の香りは漂ってこず、小人の腐臭しか嗅ぐことができません。だから、国民は我が国の将来を悲観的にしか考えることができなくなり、ますます元気がなくなってくるのだと思います。

私たち1億2千万人の国民が乗った飛行機、日本号は乗客の承諾もなしに、離陸してからすでに機長が3回も交替しています。幸運なことに、機長の器にもかかわらず未だ墜落だけは免れています。ですから、どうか今のうちに最寄りの空港に着陸して、私たち国民にとってのサレンバーガー機長を選択させてください。総選挙早期実現を切望するところです。
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*1バードストライク(bird strike):鳥が構造物に衝突する事故を言うが、主として航空機との衝突事故を指す。ジェット機の場合にはその構造上、鳥はジェットエンジンの空気吸入口に吸い込まれることが多い。吸い込まれた鳥がエンジンの重要部分を損傷してエンジン停止に至ることは少なくないが、2基のエンジンが同時に停止する事態は極めてまれである。
*2君子豹変、小人革面:君子は自分の行動が過ちと知ったならば、すぐにきっぱりと改める。これに対して小人は自分に都合が悪くなると表面的な態度だけ変えてみせる。同じように見える進路変更でもよく見ると天と地ほどの違いがある。一般的には「君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む」と読み下す。

前頭側頭型認知症(ピック病)

認知症というとアルツハイマー型認知症と脳血管型認知症が有名ですが、この他の原因でも痴呆症状を示す病気はいくつかあります。その中でレビー小体型認知症については昨年の8月のコラムでご紹介しました。今でも私のホームページの検索キーワードの上位に位置していて、認知症に対する関心の高さを感じています。
このところ時事評論のようなコラムが続きましたので、今回はレビー小体型認知症と同様に、発生頻度はそう多くない特殊な認知症の一つ、前頭側頭型認知症についてお話します。

前頭側頭型認知症は名前のとおり大脳のうち前頭葉と側頭葉が特異的に委縮する病気です。この中核的な病気がピック病(Pick’s disease)です。そのピック病は1892年にプラハ大学のアーノルド・ピックが言語障害、記憶障害と意欲低下を示して、死後の解剖で左側頭葉に限局した萎縮を認めた71歳の男性症例を報告したことに始まります。
その後アルツハイマーがピック病の患者さんの死後脳の病理学的な研究からピック嗜銀球とピック細胞という特殊な病理所見を発見して、一つの疾患群であることを明らかにしました。
ピック病は長らく45歳から65歳までの初老期に発症する病気と考えられて、アルツハイマー病、クロイツフェルド・ヤコブ病と合わせて三大初老期痴呆とされてきました。
しかし、その後の研究によって必ずしも初老期だけに発症するわけではないこと、また、特徴の一つである嗜銀球という病理変化がないものもあることが分かってきました。このために、現在は認知症の一つで、前頭葉と側頭葉が選択的に縮んでしまうという特徴だけに限定して「前頭側頭型認知症」と分類するようになりました。

前頭側頭型認知症は臨床症状がアルツハイマー型認知症や脳血管性痴呆症などと大きく異なっています。ピック病ではこういった一般的な認知症の主症状、初期症状が記憶障害であるのに対して人格障害が顕著です。つまり、アルツハイマー型認知症や脳血管型認知症では初めのうちは人柄にはそう大きく崩れずに、物覚えが悪くなったり、物忘れが激しくなるということで気付かれるのに対して、前頭側頭型認知症では記憶力は保たれているのに人格、性格が極端に変わっていくのです。騒がしく、軽薄になったり、派手になってやたらに買い物をするようになったり、不潔な行為を平気でするようになったり、お店においてある物をとってその場で食べてしまったりといった非社会的な行動を取るようになって周囲を困らせるようになります。以下に症状の特徴を列挙します。
1.  人格障害・情緒障害などが初発症状。
2.  病期前半にはアルツハイマー病でよくみられる記憶障害・見当識障害はほとんど見られない。
3.  進行に伴い自制力低下(粗暴、短絡、相手の話は聞かずに一方的にしゃべる)、感情鈍麻、異常行動(浪費、過食・異食、収集、窃盗、徘徊、他人の家に勝手にあがる)などがはっきりし、人格変化(無欲・無関心)、感情の荒廃が高度になる。
4.  人を無視・馬鹿にした態度、診察に対して非協力・不真面目、ひねくれた態度など対人的態度の特異さが目立つ。
5.  意味もなく同じ内容の言葉を繰り返したり同じ行動を繰り返したりする滞続症状が見られる。
6.  進行性の失語症症状が見られることもある。
7.  物はちゃんと使えるのに、その物の名前をしゃべることも意味することも分からなくなる語義性失語症が見られることがある。
8.  異常行動が見られるのにレビー小体型認知症のような幻覚はない。
9.  病識がない。
極めて奇妙な人物像が想像できるでしょう。ですから、この病気に対する知識のない人には認知症の初期であることが理解できないで、躁鬱病、統合失調症といった精神病と勘違いされてしまいがちです。それどころか、「奥さんをなくして嫁さんに虐められて人が変ってしまった」などと安易に心理学的な解釈をされて放置されているケースも少なくありません。

今述べたように、この病気に関する知識は一般医に十分知られていませんから、相当の数の患者さんが見逃されていたり、誤診されていたりしていると思われます。したがって、いったいどのくらいの患者さんがいるのかということが把握できていません。諸説ありますが、アルツハイマー型認知症の数分の一から数十分の一の間としか言えません。ともかくそう滅多にお目にかかる病気でないことだけは言えます。精神科医歴34年の私でもこれまでに数例にしかお目にかかっていません。

臨床症状だけからでは、この病気に精通している医師でなければ診断はつきませんが、MRI検査をすれば限局的な脳の委縮が認められますから、ある程度病気が進行した時点では診断はそう難しくありません。SPECTやPETなどの最先端画像診断を行うことができれば、より早期にこの部位の血流低下を検出できます。

この病気の詳しい原因は未だによく分かっていません。幾つかの異常代謝産物が脳の中に蓄積されているのですが、その異常物質にもいくつかのタイプがあります。したがって、前頭側頭型認知症は一つの病気ではなく、いくつかのサブタイプに分かれていると思われます。
ではなぜそういった異常な物質が脳に溜まってしまうのか、その異常な物質が溜まることと前頭葉や側頭葉が限局的に委縮することとはどのような関係にあるのか等々、今後の研究に待たなければならないことだらけです。

このように原因が不明ですから治療法も見つかっておりません。したがってマンパワーに頼る、介護を中心にケアーしていくことが原則です。多動、徘徊、衝動行為などの介護の手に余る症状に対して対症療法として抗精神病薬を使用するしかありません。
ここで強調したいことはアルツハイマー型認知症に有効であるということで広く普及している塩酸ドネペジル(アリセプト)がこの病気には効果がないということです。一般医を中心に安直にこの薬が処方されていますが、この病気には無効です。アリセプトは高価な薬ですから、対象を選ばず、徒にアリセプトを服用させ続けるだけでは医療費の無駄遣いですし、家族に無用な介護のエネルギーを長期間強いることになります。
抗精神病薬を使っても家庭での介護が困難な例が多いので、施設での介護ということになりますが、ここでも管理不能になるケースが少なくありません。そうなると、認知症専門病棟を備えた精神科病院に入院していただくしかありません。

一般に認知症の方の平均余命は認知症がない高齢者の平均余命よりも短いのですが、前頭側頭型認知症の場合はさらに予後が不良です。アルツハイマー型認知症よりも早い進行で痴呆化して数年で死亡するとされています。

以上、現在のところこの病気は残念なことに診断はできても、その診断が治療に結びつかない状態です。しかし、早期に正しい診断をつけなければ周囲が適切かつ可能な対処方法を検討できずに、過大な苦労を背負うことになります。また、症状の誤解から老人虐待を誘発する危険性も出てきます。
もし高齢者が記憶力の低下はそれほどでもないのに、人柄だけがどんどん悪い方向へ変化して、困った行動を起こすようになったら、前頭側頭型認知症の可能性があるので、ただただアリセプトに頼るのではなく、早期に専門医へ受診させて必要があると思います。
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