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クリニック西川

2009年9月

方針変更の時期にきた新型インフルエンザ対策

メキシコ発の豚由来新型インフルエンザが日本に上陸して、早5ヶ月になろうとしています。私は初上陸直後の5月には、本コラムで、中途半端な防疫に力を注ぐよりも、「皆で早いうちに感染してしまおう」と提案しました。
理由としては新型インフルエンザが感染力は強いものの毒性が弱いので、感染しても、タミフルなどの抗ウイルス薬で症状をコントロールすれば、たいして苦しまないで天然のワクチンを受けたことになり、その後にウイルスが強毒化したとしても心配無用となるからです。本物のウイルスに感染する方が弱毒化したウイルスを使ったワクチン接種よりも確実に鉄壁の免疫を獲得できます。しかもワクチン製造のための費用も必要としません。
私の提案は海の向こうアメリカの人たちの一部で実践されたようですが、我が国では悪い冗談としか扱われませんでした。
そうこうしているうちに、インフルエンザウイルスの生存にとって好環境とは思えない真夏の間にも、新型インフルエンザの感染は全国各地に広まって、若い人たちを中心に集団発生件数も右肩上がりで増えています。さらに悪いことにはインフルエンザの毒性も強くなってきているように思われます。
このインフルエンザによる死亡例は、最初のころは、既に重症の既往疾患を持っていて、別に新型インフルエンザでなくとも、何かしら合併症があれば死んでしまったと思われるような症例でした。死亡のきっかけがたまたま新型インフルエンザだったということです。
しかし、このところ重篤な基礎疾患がない死亡例が報告されるようになってきました。また、小児科ではインフルエンザ脳症の子供が病棟を占拠していると聞きます。さらに成人の症例でも、タミフルを服用しても数日間は高熱に苦しめられることが多いとも聞きます。
インフルエンザの毒性が強くなってきたとすれば戦術の転換が必要です。「かかってしまう」という正面突破作戦は止めて、防御を固めなければなりません。嗽、手洗いを励行し、なるべく人ごみには出ない。もし人ごみに出る時にはマスクを着用するようにしましょう。こうして守りを固めて、後はワクチンという最大の武器の後方支援を待つしかありません。
ところで肝心の対新型インフルエンザワクチンですが、春に大慌てで製造に取り掛かりましたが、従来からの季節性インフルエンザも作らなければならないために、国内で生産できるワクチンは防疫に必要な数量の1/3以下しか作ることができませんでした。しかし、桝添前厚労相が外国産のワクチンを輸入して必要数を確保することにしました。
政権交代しましたが、新型インフルエンザ対策は前政権時の基本方針が踏襲されると思いますからご心配無用と思います。ただし、ワクチンをいつ、どういう順番で、どこで接種するのかという具体案がまだ確定していません。できるだけ早急に具体的指針を発表して国民の不安を取り除いてほしいものです。
しかし、一番大切な対策は個人個人が免疫力を高めておくことです。そのためにはバランスのとれた栄養と充分な睡眠を取ることです。不規則で偏った食生活や慢性の睡眠不足は免疫機能を弱めます。免疫機能が正しく働かないとウイルスに感染した際に重症化します。ワクチンを接種しても十分な抗体が産生されない可能性もあります。
秋以降に流行するのは新型インフルエンザだけではありません。毎年流行する季節性インフルエンザも活発になります。免疫力を高めておけば新型インフルエンザ以外の病原体の感染に対しても有効に作用します。
当たり前のことですが、最後にものを言うのは自分の体力です。日頃から健康なライフスタイルを確立しておくことが大事なのです。

成長期を終えた日本社会のあり方とはー種としての生命-

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは19世紀のドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルの「反復説」です。
人間の胎児の発生の諸段階は生物の進化の過程を辿るという考えはヘッケルの独創ではなく、古くはアリストテレスもそう考えていたようです。その後キリスト教による支配によって、長らく、発生の仕組みを考えること自体が封印されてきましたが、1859年にダーウィンが「種の起源」を出版すると、再びこういった考えが復活してヘッケルの「反復説」に行き着いたのです。
反復説はナチスの人種差別を正当化する根拠として政治的に利用され、戦後はそのことからの反動で、口にすることをタブーとされてしまいました。政治的な思惑に翻弄されてきた仮説ですが、学生時代に発生学の実習でヒトの胎児の発達過程を観察した私は、この仮説が中らずと雖も遠からずであると実感して、生命の不思議さにびっくりしたものです。
受胎後のヒト胎児の標本を時間を追ってみると、受胎後32日目の胎児の心臓は魚類と同様に1心房1心室で、頭部の側面には鰓に相当する裂け目が見られます。古生代の軟骨魚によく似た形態です。
35日目になるとこの鰓の血管が肺の血管に変化し、それまで魚の鰭とそっくりだった体側の突起が5本の指を備えた四肢の形を取ります。中生代の爬虫類によく似た形になります。
38日になると眼が前方に移動してだいぶ人間の形に近付きますが、まだ尻尾が突き出ていて体表面は毛に覆われています。新生代初期の原始哺乳類に類似した形態です。やがて尻尾が退縮して眼を瞼が覆い小さな小さなヒトの姿になりますが、体毛が抜け落ちるのは分娩直前です。
つまり、私たちは母親の体内で魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類、類人猿を経て生まれてくるのです。
基礎医学を学んで、この現象を目にした者は、誰しも、生命というものに対する考え方に大きな影響を受けたはずです。個々の生命が、種としての生命の長い営みにおける、次々と新陳代謝していくちっぽけな構成員に過ぎないことを知るのです。
私たち、個という生命は、一人一人独自の自我を持って、かけがえのない一生を過ごすわけですが、ヒトという種としての生命の観点から見れば、この種を継続、発展していく過程における一時的な要素に過ぎないのです。さらにヒトという種も、地球という生命システム全体の歴史の1ページに登場する、役者の一人に過ぎません。
私たち人間は自我が発達しています。反面それはその自我に縛られるということです。ですから、私たちはあらゆる現象を、たかだか80年くらいしか存在できない自分を尺度にして解釈しがちです。しかし、同じ出来事や現象を種としての生命という立場から眺めると別の世界が見えてきます。時々はそういう立場から考えてみることも必要ではないでしょうか。

現在、我が国では少子化が問題とされて、少子化対策担当大臣まで設置されています。少子化の原因として保育システムの不備、雇用問題、教育システムの歪等々が挙げられて、それに対して子育て支援やら教育費補助やらの対策が検討されています。
しかし、養育や教育に補助金を出して、保育施設を増やせば、本当に子だくさんの社会が戻ってくるでしょうか。私にはそうは思えません。少子化という現象はそんな小手先の対策など通用しない、自然の大きな流れの一環だと考えるからです。
ちょっと昔は人工妊娠中絶が産婦人科医の中心的な業務の一つでした。最近は、不妊治療が大流行りです。つまり、日本人は生物学的にこの数十年で子供ができ過ぎて困る状態から、できなくて困る状態に変わったのです。経済的理由や社会保障だけの問題ではありません。純粋に生物学的に日本人は生殖能力が低下したのです。
今の不妊の原因の多くは男性の方にあるようです。精子の数が激減しているのです。精液の中に妊娠可能な数の精子が見られない、中には精子が見当たらない男性が増えています。男性の生殖能力が低下したのです。
この原因については身の回りにあふれるプラスチック製品から出される環境ホルモンやパソコンの普及による電磁波の影響などが取り沙汰されていますが、先程述べたように種という立場から大局的に考えると、次世代の増産を必要としなくなったために、自然の調節機能が働いた結果と考えられるのではないでしょうか。
ヒトという種を一つの生命体とすれば、私たちはそれを構成する細胞に相当します。国や人種といった単位は、臓器やシステムと言えるでしょう。
つまり、我が国の少子化は、地球上のヒトという生命種にとって、日本人という臓器はもう充分に成熟したので、これ以上分裂増殖しないように制御されたのだと考えるととても分かりやすいのです。
命あるものすべて「生老病死」を避けることはできません。すなわち、誕生したら成長し、成熟したら成長は止まり、ある一定期間を経ると老化が始まり最後には死を迎えます。
感情的に認めたくはありませんが、種としての生命もどこまでも成長を続けることはあり得ません。成熟してやがて老化の過程に入ります。老化の過程ではなくとも種としての生命を正常に維持していくためには各システム間で調整を図っていかなければなりません。正常な細胞とはそのようにプログラムされています。このプログラムが壊れて無限に分裂増殖をしていくのは癌細胞です。
ヒト全体が健康に生きていくためにはある段階で増殖を止めなければなりません。部分的には中国やインドをはじめまだまだ成長を続ける細胞を持ったシステムはありますが、少なくとも欧米をはじめ我が国は成長が終わった臓器と考えられます。私たちという細胞がその状況にあった活動をしなければヒト全体の健康が損なわれます。
もちろん、実際に子供を育てる個々の親達を社会が支援することは必要ですが、そんな些末なことで大きな自然の流れを変えることはできません。自分たちが種生命体としては成長期を終えたということを認めてそれに合わせた活動に切り替える必要があるのではないでしょうか。
まずは経済活動です。未だに「経済成長」ありきで話を進めていますが、なぜ強迫的に右肩上がりの直線を追い求めるのでしょう。種自体が成長期を終えたならば経済だけが成長するわけがありません。それなのにいつまでも非現実的な成長という幻想を追い求めることが正しいとは思えません。成熟期に相応しい経済のあり方に目標を変えるべきです。
中年過ぎたのに若い時と同じように飲み食いを続けていると生活習慣病に陥るように、現実をわきまえない社会行動は必ず破綻します。今の日本社会は成熟した細胞集団としての役割を果たして、ヒトの健康な生命活動に寄与する時のように思います。

以上は社会、経済に関する素人が、人類を一個の生命体として考えた場合の乱暴な推論です。細かい事項の検証などに裏付けされてはいるわけではありませんが、当たり前とされている前提を180度覆して考え直してみることも必要ではないでしょうか。

意識-心と脳の架け橋-

「心」の働き、つまり精神機能全体を解明しようとする際、「心」を丸ごと扱ったのでは、あまりに漠としているのでなかなからちがあきません。ですから、「心」は脳の機能だという前提の下に、精神機能を幾つかのサブ機能に分けてそれぞれについて研究するという方法がとられます。
その結果、不安、気分、欲動、知覚、思考、記憶といった諸機能に関する研究に力が注がれて、細胞レベル、遺伝子レベルにまで至る知見が得られるようになりました。
でもそうやって得られた知見をただ寄せ集めても、「心」全体を理解することはできません。生命現象は全機性といって、いくつかの要素が有機的に組み合わさって初めて機能するという性質を持っているからです。
単に脳という臓器を考えたとしても、それだって簡単な話ではありません。脳はニューロン(神経細胞)とグリア(膠細胞)とからできています。現在はこのうちニューロンに対する研究が盛んです。しかしニューロンのことをいくら詳しく分解していっても、脳全体の働きを説明することはできません。しかも天の川銀河の星の数に匹敵する1000億個あると言われているニューロンは、さらに相互に結合してネットワークを作っています。一つのニューロンに数千個のニューロンからの信号が入り、その代りに数千個のニューロンに信号を送りだしていると考えられています。
ですから精神活動の総和と言える「心」を解明するために、細胞レベルやそれより小さいスケールから積み上げて研究するだけでは本態解明までに天文学的な時間を要するように思います。
これとは逆に「心」を分割しない丸ごとの大きなスケールからアプローチする方法もあります。心理学的研究です。この方法は実践的でありますが、個々の体験を説明する手段としては有効なものの、やはり心と脳の関係を説明するためには力不足です。
当たり障りのない言い方になってしまいますが、心と脳との間の間隙を埋めていくためには小さいスケールから出発した研究と大きなスケールから出発した研究がどこかで交わらなければならないと思います。

私は、心と脳の間を埋めていく際にまず解決しなければならないことは「意識」とは何かということを解明することではないかと考えます。
「意識(consciousness《英》、Bewußtsein《独》、conscience《仏》))」とは脳のあらゆる他のサブ機能の土台であり、脳が心としての振る舞いを示す時になくてはならない舞台としての機能だと思います。
ところが、この「意識」というものの科学的解明が未だに手つかずのまま残されています。
「意識」は、ある時は「知る」、「注意する」というように主観的、内省的なものとして使われます。一方、熟睡や混迷のように客観的、現象学的に捉えられる面があります。
ですから、「意識」は自然科学、人文科学でそれぞれの意味で勝手に使われているのです。にも拘らず「意識」と言えば、なんとなく共通の認識を持つことができます。確固たる共通の定義はできないが、何となく了解できる「意識」を、あらゆる分野で統一した認識にすることで、「心」の本体にぐっと近づけるのではないでしょうか。
脳科学が進歩していなかった時代には脳のどこかに「自分という意識」が存在して、その意識が脳のその他の活動状態を見張っているという考え方が主流でした。
脳の機能を見張る存在とは、すなわち「心」そのものですから「自分という意識」が「心」であって、それは他の脳を超える存在として脳のどこかに無ければならないことになります。
しかし、近年の脳科学の研究によれば脳のどの部分を探してみても、そこだけで「自分という意識=心」を担っている場所は見つかっていません。つまり、意識という機能もまた脳の全機性によって初めて獲得される機能だと考える方が妥当なのです。
現在もっとも有力な仮説は神経の膨大なネットワークの活動パターンが意識をはじめ心の諸要素を決定しているのではないかという考えです。ここで言うパターンとは空間的な配列だけで決まるのではなく、時間的要素をも含めた活動パターンです。
この他にもたくさんの仮説がありますが、この中でとてもユニークな仮説が、ホーキングと共同でブラックホールの特異点定理を証明して「事象の地平線」を唱えた世界的数学者であり理論物理学者であるロジャー・ペンローズの仮説です。
ペンローズは神経細胞内小器官である微小管(microtubule)で波動関数が収縮する*ことによって「意識」が生まれるという仮説をたてました。量子脳理論といいます。
同じ自然科学とは言っても脳科学と量子物理学とはこれまであまりにも縁遠かったこと、また生物学を研究する者には彼の数学が難解で理解しがたいことから、今のところ受け入れられてはいません。むしろニュートンが錬金術に取り組んでいたことを引き合いにして、眉に唾する者が多いのが現状です。
しかしながらこの仮説は、曖昧でいてとらえどころがないが、状況に応じて、その存在が明確に実感できる「意識」というものの性質を説明できるようにも思います。
私が生きているうちに「意識」がどこまで明らかになるのか楽しみです。
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*波動関数の収縮:量子状態を表す複素数知関数を波動関数という。量子理論学者によると、あらゆる物質の状態そのものが波であり、波動関数で表わされる。量子の世界では、シュレディンガーの猫のように、物体は同時に複数の異なった状態を取り得る。観測という行為によって初めてこの関数の収縮が起こって一つの状態となる。

ミュンヒハウゼン症候群

カール・フリードリッヒ・ヒエロニュムス(Karl Friedrich Hieronymus Freiherr von Münchhausen, 1720年5月11日~1797年2月22日)はドイツ、ニーダーザクセン州の街ボーデンヴェルダーでミュンヒハウゼン家の第5子として生まれました。
15歳の時に、ブラウンシュヴァイク公家に小姓として出仕し、ロシアに移っていたブラウンシュヴァイク公アントン・ウルリヒ2世の求めに応じて、1737年ロシアに渡りました。しかし、1739年、バイロン公爵夫人の求めに応じてウルリヒの元を去ってロシア軍騎兵隊少尉に就任。
一方、ウルリヒはアンナ・レオポルドヴナと婚姻し、大元帥に就任。1740年、アンナがイヴァン6世を擁して摂政に就任した余波を受けてヒエロニュムスも中尉に昇進し、その後2度にわたる対オスマン帝国戦に参加しました。
ところが1741年12月に政変がおこって、イヴァン6世が廃されてウルリヒ2世はアンナとともに幽閉されてしまいました。幸運なことにヒエロニュムスは2年前にウルリヒの元を去っていたためにこの騒動に巻き込まれることがありませんでした。1750年に大尉に昇進した際、休暇を願い出て故郷に帰省しました。
この帰省中に母の死去、二人の兄弟の戦死といった不幸が相次いだためにミュンヒハウゼン家を継承しなければならなくなり、ミュンヒハウゼン男爵となり、ロシアに戻ることはありませんでした。
ミュンヒハウゼン男爵は故郷で、自分がロシアで体験した数多くの冒険談を語って聞かせました。彼は機知に富んで人を喜ばせることが好きであったために、話を誇張したり創作の部分を付け加えたりもした為に、彼の冒険談が評判となるに連れて、彼に「ほら吹き」というレッテルが貼られてしまいました。
やがて誰とはなしに彼の冒険談を纏めて「ほら吹き男爵の冒険」という小説が創作されました。数多くの人たちが加筆をして各国で翻訳されたために現在では100以上ものバリエーションができています。
物語の中核はミュンヒハウゼンの手柄話ですが、彼の生きた時代以前の話や後から創作された話が加わっています。しかも書き手がミュンヒハウゼンに好意的でないことが少なくないので、彼のほらぶりが極端に強調される結果となりました。やがて「ミュンヒハウゼン男爵」が「ほら吹き」と同義語になることになります。皆で寄って集ってミュンヒハウゼンを世紀のほら吹き男に仕立てたと言えます。

チャールズ・ディケンズの小説の題名に由来する、睡眠時無呼吸症の典型例である「ピックウィック症候群」やモーリス・メーテルリンクの童話からとった「青い鳥症候群」のように、医師は小説などからユーモアに富んだ病名を付けることが好きです。世界中で多くの人に愛読されている「ほら吹き男爵の冒険」を見逃すはずがありません。1951年イギリス人医師リチャード・アッシャーによって人格障害に基づいて特殊な行動を繰り返す一群の精神障害が「ミュンヒハウゼン症候群」と命名されました。

ミュンヒハウゼン症候群とはパーソナリティ障害の中の虚偽性障害(F68.1)の中で身体症状が主で慢性的で重症のものを言います。自分に周囲の注意を惹きつけるためにいろいろな虚偽の話を作り上げるのですが、その話の内容は主として病気や怪我に関することが中心です。病気や怪我を手段として同情を買って、周囲の人との人間関係を操作しようとするものです。
病気や怪我は重症でなければならないので、客観的な徴候に比べて自覚症状が重く、通院、入院を繰り返します。医師から虚偽を見破られたり、病状の改善を告げられると、新たに別の病気を作ろうとします。そのためには体温計を擦って高熱を装ったり、検査の検体をすり替えたり、さらには自傷行為や手術をもいといません。
自分の望む診断と医師の診断が異なると、自分の意に沿う診断を下してくれる医師を求めて医療機関を次々と変えるドクター・ショッピングをします。ミュンヒハウゼン症候群は昔風に言えば特異な人格の人のヒステリー症状なのですが、本人から精神科を受診することはなく、内科や外科の一般科を渡り歩きます。したがって自傷行為や検体をすり替える現場を見つけるまでミュンヒハウゼン症候群であることが疑われない場合が多いのです。
病気を偽るものとしては「詐病」もあります。この両者の鑑別はなかなか難しい所ですが、詐病の場合には病気であることの目的が経済的利益なので手術や検査を嫌がります。一方、ミュンヒハウゼン症候群の人は周囲からの同情という精神的な利益が目的ですから、積極的に手術や検査を受けたがります。

さてミュンヒハウゼン症候群の仲間でもっとややこしくて傍迷惑な精神障害が「代理ミュンヒハウゼン症候群」です。代理ミュンヒハウゼン症候群は病気や怪我の対象が自分自身ではなく「身近の代理の人間」なのです。多くは自分を信頼していて、自分に対して不利な証言をしない子供である場合が圧倒的に多いのです。
様々な手段で我が子に怪我をさせたり、病気に陥らせます。そして、その子供の看護をすることによって子供の心を操作したり、健気に我が子の看病をする姿を他人に見せて同情や称賛を得ようとするのです。
目的は我が子を傷害することではありませんが、手段として重大な児童虐待を繰り返します。
アメリカでは年間1000件近くの代理ミュンヒハウゼン症候群が報告されており、しかも年々増加傾向にあると言われています。我が国でも平成20年、京都大学附属病院に入院していた1歳10か月の5女の点滴に腐敗した液体を混入したとして、母親が殺人未遂の容疑で逮捕された事件が記憶に新しいと思います。
5女の血液中に通常は存在しない複数の細菌が検出されたために、不審に思った病院が患児の病室をビデオで監視していたところ、母親が点滴に腐敗液を混入する場面が録画されました。その後の調査で平成18年に死亡した4女の血液からも常在しないはずの菌が検出されていたことが判明して、殺人容疑で再逮捕されました。この母親は取り調べに対して2女と3女も同様の手口で殺害したと供述しています。
何もかも、とくに悪い風潮は真っ先にアメリカの後追いをする日本です。実際に児童虐待が増えて社会問題化されています。一方、人格が未熟でヒステリーの傾向の女性も増えているように感じます。したがって代理ミュンヒハウゼン症候群による児童虐待が増加していると想像します。私たち医療者はこの代理ミュンヒハウゼン症候群に関する理解を深めて、無辜の児童が親の精神的な満足のために犠牲になることを早期に防止しなければなりません。

ミュンヒハウゼン男爵はほら吹きではありましたが、実際の生活面では真面目で誠実な人であったと言われています。ちょっと面白おかしく脚色した武勇伝を披露しただけで、後世、ほら吹きの代名詞にされ、あまつさえ、我が子を殺すような病名にまで名を冠されてしまいました。心から同情せざるを得ません。
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