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クリニック西川

2009年10月

精神安定剤のやめ方

ガスの消し忘れが気になったキムタクが、映画撮影をほっぽらかしてガスコンロを確認するために家に走って帰ってしまう。最近放映されているCMの1シーンです。強迫性障害の確認恐怖をモチーフにしているコミカルなCMです。
強迫症状は、本人はひどく苦しんでいるのですが、彼らの行動を傍から見ると滑稽なので、よくコメディの題材として使われます。周囲が不安を煽って主人公がどんどん強迫の深みに嵌っていくというパターンが多いようです。
筒井康隆の小説に、眠るための方法について書いた短編がありますが、不眠神経症の方があれを読んだら不眠が一層重くなること請け合いです。
強迫症状の対象には、今述べた確認や睡眠のほかに、不潔、尖ったもの、病気などさまざまありますが、服薬(薬を飲むこと)に対する強迫症状もよく目にします。「服薬恐怖症」と言えるかもしれません。特に精神科で出される薬はこの強迫症状の対象になりやすいようです。

一般の方が一知半解で使っている用語の代表に「精神安定剤」があります。「あの、これ精神安定剤でしょうか?」とか「精神安定剤を出してください」とかは私たち精神科医が臨床現場でよく耳にする台詞です。
そういう人たちが頭の中に描いている精神安定剤の概念はきわめてあいまいです。魔法のような効果と恐ろしい副作用が混在したイメージを描いているように想像します。
具体的には、精神安定剤を飲むと今までの悩みが一気に解決する。眠れるようになり、元気で楽しくなる。一方、精神安定剤は一度口にしてしまったら止めることができない。無理にやめようとすると「禁断症状」という恐ろしい症状のためにのたうちまわる苦しみを味わうことになる。
よく理解しようとしないで用語だけを口にする人は、どうやら精神に作用する薬を十把一絡げにして「精神安定剤」と称するようです。正しくは精神に作用する薬をまとめて「向精神薬」と呼びます。
向精神薬に対する一般の方の理解が低い原因は、その人たちの不勉強だけにあるのではありません(もともと勉強なんかする必要はありませんが)。一般医が安直に、またしばしば不適切に向精神薬を処方することにあると考えます。
現在、精神症状のことを十分に理解しない一般医が私たち、精神科医よりも大量の向精神薬を処方しています。その際に一般医の口から出る言葉が、「精神安定剤も出しておきますから」です。
このいわゆる「精神安定剤」の内訳をみると、抗不安薬(小精神安定薬)のほかに睡眠導入薬や抗うつ薬までが含まれています。
さらに一般医は勝手に向精神薬を大量に処方しておきながら、一方では「精神安定剤はなるべく飲まない方がよい」とか「精神安定剤は止められなくなるよ」とか患者さんの不安を煽るような誤った情報を流します。
専門ではなく、ほとんど勉強もしていなければ、その知識は素人と大して変わりはないのですが、白衣を着て「先生」と呼ばれる者の口から出た言葉は、患者さんを「服薬恐怖症」に仕立て上げるに十分な威力を持っています。
この結果、精神安定剤を飲まされた患者さんたちは、服薬しながらも、飲んでいる薬に対しての不安を抱かなくてはならないという状況に追い込まれます。この不安の中で上位に位置する、依存性や禁断症状に対する懸念についてお話します。

抗うつ薬や抗精神病薬、気分調整役などは依存性がありません。しかし、最も一般医がポピュラーに処方し大量に使用されている、抗不安薬と睡眠導入薬の大半が薬理学的に依存性を持っています。
つまり、抗不安薬や睡眠導入薬を長期にわたって服用していると、徐々に効果が弱くなる耐性という性質を示します。ですから最初のうちは1日2錠で症状が消えていたのに、しばらくすると2錠では効かなくなってきて、1日3錠必要になるという状況が起こり得ます。
また、急に服薬を中止すると、症状が以前にまして強く表れる禁断症状(退薬症状)の出現する可能性もあります。ですから「抗不安薬は一度飲み始めたら止められなくなる」という説はあながち間違いではありません。しかしながら抗不安薬の持つ依存性は、一般の方や知ったかぶりの一般医の想像しているほど強くはありません。
「依存性」「禁断症状」と言って、まず頭に描くのは麻薬です。多くの方が麻薬や覚醒剤の中毒患者が禁断症状にのたうちまわる姿を映画などで観ているので、「依存性」、「禁断症状」と聞くとすぐにあの地獄絵図を思い浮かべてしまうようです。抗不安薬や睡眠導入薬に薬理学的依存性があるとはいっても、その程度や禁断症状の質は麻薬や覚醒剤とは比べ物にならないほど軽度です。
数週間で使用量が倍増することなんかありませんし、服薬を中止する際に地獄の苦しみを味わうこともありません。私が抗不安薬を処方した患者さんのほとんどは、やがて良くなって来院されなくなります。長期に通院を続けられている患者さんも処方量は一定のままか当初より半減されています。

依存には身体依存と精神依存の2種類があります。身体依存とは薬を止めた時に身体的な禁断症状が現れることです。麻薬を止めると体中に痛みが起こります。精神依存とは薬のプラシーボ効果に基づく依存で、薬を止めると服薬という行為で安心していた部分がなくなってしまうために、やっぱり飲んでいたいという依存です。
抗不安薬にはごく軽度ですが身体依存もあります。実際に抗不安薬を急に止めると、一過性に前にも増した強い不安が出ます。しかし、抗不安薬の依存の主体は精神依存です。薬の作用もさることながら、服薬しているという安心感が患者さんを支えています。だから、無理に止めようとすると「今日は飲まなかったけれど大丈夫かしら?」と、服薬しなかったということだけで不安が惹起されてしまうのです。この結果、本当は抗不安薬を必要としない状態まで回復したのにもかかわらず、いつまでも服薬を止められない方がいらっしゃいます。
では、必要がなくなったのに抗不安薬に依存している方はどうやって薬を止めればよいのでしょう。答えは、一見矛盾するようですが「医師の指示通り服薬を続ける」ことなのです。

強迫観念についてのコラムで説明したように、脳はとても天の邪鬼です。だから、考えてはいけない、気にしてはいけないと思えば思うほど、そのことについて考え、気にします。
この理屈は服薬に関しても当てはまります。「薬を止めよう」とこだわることは「薬を飲まなかったら大変だ」という不安の裏返しなのです。実際に、薬はなるたけ飲みたくない。一刻も早く服薬を中止したいという願いが強い人ほど結果としては、いつまでも服薬を続けることになることが多いのです。
皮肉なことに、それは依存性、禁断症状に脅かされて服薬という行為に強くとらわれることが、薬への精神依存を強くする結果となるからです。「今日こそ薬を止めよう。」「薬を飲まなかったぞ。」「大丈夫かな?」と1日中、服薬しなかったことへこだわり続け、そのこだわりが不安症状を誘発します。結局、服薬しなかったら不安だったから、次の日からまた服薬することになります。
それに対して、依存とか禁断症状とか、薬の副作用を過度に心配せずに,医師から言われるまま服薬している人の方が、いつの間にか元気になって来院されなくなります。服薬へのこだわりがないために、無理に薬を止めようとしません。だから、「今日は飲まなかったけれど大丈夫かな」といった、要らない不安を呼び起こすことがないからです。それでも、具合が良くなると、ちゃんと飲もうと思っていてもついつい服薬を忘れてしまうものです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。気がつくと、最近は全く薬を飲んでいないのに元気に生活しているということになります。これが理想的な治癒の経過なのではないかと思います。
以前、気象庁関係者から「季節の変わり目になると、『まだ寒い日はあるのでしょうか?』とか『まだ暑い日はありますか?』といった問い合わせがあります。それに対しては『まだあります』と答えておけば間違いがないのです。本当に気候が安定すればそのような問い合わせがなくなるからです。問い合わせがあるうちはまだ寒い日や暑い日があるといえます。」という話を聞きました。
治療についても同じことが言えます。もう、本当に薬を必要としない状態になると『まだ薬を飲まなければいけないのでしょうか』 と言って受診することがなくなるのです。言い換えれば、早く薬を止めなければと、とらわれている間は、まだ服薬が必要だと言えるのです。
残念なことに、必要もないのに延々と服薬を続けさせる医師もいますから、まずは慎重に主治医選びをするべきです。そして、いったん信頼できる主治医を見つけたならば、生半可な聞きかじりの情報に踊らされず、主治医の指示にしたがって服薬することが、早い回復につながると思います。

そこまでするか医師いじめ

「政策に誤りなし」と言われます。国家は絶対に己の非を認めないということです。八ッ場ダム建設を巡る問題は、一度決定した政策はどれほど不具合が判明しても必ず実行すると言う、官僚組織と長期自民党政権の国家運営によって住民が翻弄された典型例です。
国は官僚組織と言う蓑を纏って責任者がはっきりとしないために、大失敗の結果に終わっても、誰も責任を取ることはありません。生活の場を失って途方にくれる地元住民をよそめにして、官僚たちは天下りを繰り返し、政治家は業者からの賄賂で私腹を肥やしてきました。
前原大臣は地元住民に頭を下げるだけではなく、天下の愚策を押し通して、その結果甘い汁を吸った多くの歴代責任者の名前を公表して、彼らを世間の糾弾の場に晒すべきです。

こういう愚かで横暴な政策は国土交通省だけの問題ではありません。ほとんどの省庁で見られる現象ですが、私たち医療を管轄する厚生労働省の理不尽さはトップクラスです。もともとは大蔵省や外務省に比べると格落ちの官庁でしたが、時代の推移に従って利権の場が増えました。官僚にとっては美味しい役所になったのです。
その結果、年金問題をはじめ数多くの不備、不正を生むことになりました。彼等の私腹が肥える分だけ泣きを見るのは私たち医療関係者と国民です。年金のように国民全体が被害者である場合には大きな社会問題として扱われますが、少数派の医療者に対するしわ寄せは誰も取り上げてくれません。結局は私たちが黙って損失を被らなければなりません。

国が推奨する後発医薬品、いわゆるジェネリックがいかに問題が多いかについては一昨年のこのコラムで取り上げました。
その後も厚労省はジェネリック推進政策に拍車をかけています。有名俳優を使った「同じ成分、同じ効果、値段が安い」というジェネリック医薬品の広告は最近ますます頻回にブラウン管を賑わしています。
しかし、以前説明したようにジェネリックは完全に先発医薬品と同じ成分ではありません。このために、実際の効力に差があったり、副作用が多く出たりすることがあります。それでも、厚労省はこの大事な科学的な情報は握りつぶして、ひたすらジェネリックの販売拡大に努めています。
この表向きの理由は医療費の削減ですが、その裏には、大手ジェネリックメーカーが今や厚労省の役人の天下り先の一つになっている事実があります。この自分たちの利権については秘密にしたまま、強引に国民にジェネリックを飲ませようとしているのです。
一般の方は知らないと思いますが、前回の医療保険改正で、それまでは「処方箋に記載してある薬物を薬局でジェネリックに変更してもよい場合には、その旨を処方箋に記す」というやり方であったのが、ついに「原則ジェネリックを使う。どうしても先発医薬品でなければならない時にのみ処方箋にその旨を記載する」という方式に変更されました。国民は原則として、由緒正しい医薬品を服用することができないのです。医師の特別の変更不可理由がなければ、知らない間に訳の分からない副成分の入った医薬品を飲まされてしまうのです。
ところが、あまりにも理にかなわない政策を強引に推し進めた結果、役人が想定していなかった問題が出てきました。
ジェネリックメーカーの中には町工場みたいなレベルの会社があるために先発医薬品と同一の適応症を取得していない場合があるのです。その結果、医師が病気に適応した正しい医薬品を処方したのに、薬局で勝手に選択したジェネリックが主成分は同じであっても、その病気を適応症として認められていないというケースが出てきたのです。
東京保険医新聞に載っていた事例を紹介します。
A医師は脳梗塞の患者さんに「脳梗塞(心原性脳塞栓賞を除く)発症後の再発抑制」の適応がある「プレタール錠50mg」を処方しました。ところが患者さんがその処方箋を持っていったB薬局ではプレタールのジェネリックの一つである{アイタント錠50mg}を調剤して患者さんに渡しました。この患者さんのレセプトを受け付けた診療報酬を査定する機関は「アイタント錠50mgには脳梗塞発症後の再発抑制の適応がないと」の理由でB薬局に支払った薬剤分の代金を処方箋を発行したA医師に支払わさせたのです。根拠は「処方箋に後発医薬品に変更不可の記載と署名がなかったから」と言うものです。
自分たちが強引にやらせたジェネリックへの自動変更。それによって生じた不具合を声が小さな私たち医師に押し付けているのです。医師は雨後の筍のように何十種類もある後発医薬品の名前すら覚えられないのが現状なのに、さらにそれぞれが先発医薬品と同じ適応症を取得しているか否かまで判断することなど不可能です。
よく調べもせずに勝手にいい加減なジェネリックを調剤して、実際に薬代金を受け取った薬局に返金させるのではなく、処方箋代金しか受け取らず、実際にジェネリックを渡していない医師がなぜ薬代を取られなければならないのでしょう。
私たち医師はこれほど無慈悲な扱いを受けているのに、さらに追い打ちをかけるように、次の改正では「ジェネリックを全く使用しない医療機関を処罰する」方針だそうです。己の愚かな政策のつけに対する反省は全くなく、甘い汁は吸い放題、矛盾点はすべて医師に押し付ける。医師虐めもいい加減にしていただきたいものです。私たちは国の奴隷ではないのですから。

長妻新厚労相はミスター年金と言われてきたので、年金問題の解決に力を注ぐことと思いますが、彼には医療に関しても現場に足を運び、これまでの医療行政を根本から洗いなおして、数字合わせだけの理不尽な政策を正してほしいと願っています。

老いてますます壮んなるべし

先日「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの「反復説」から、現在の日本が抱える少子化という問題を考え直してみました。この少子化と密接に関連した、日本の抱えるもう一つの社会問題が高齢化です。
大正時代まで男女とも45歳前後であった我が日本国民の平均寿命は、今や男性が78歳女性が85歳にまで延びました。平均寿命とは0歳時での平均余命です。したがって新生児死亡数の多寡がその値に大きな影響を与えます。我が国の平均寿命の急激な延長の大きな理由は、環境衛生の向上と周産期・小児医療の進歩による乳幼児死亡の激減にあります。
しかしながら、新生児や乳児の死亡数の減少分を割り引いて考えても、日本国民は本当に長寿になったと思います。昔は喜寿のお祝いを受けるということはかなり難しいことでした。それが今や喜寿はおろか米寿でさえ珍しくなくなりました。90歳を過ぎて初めて「相当に長生きだ」と認められます。皆から本当に尊敬されるためには100歳越えをしなければなりません。
高齢の質も向上しました。ただ心臓と呼吸が止まらないだけの長生きではなく、元気に長生きする方も多くなったのです。子供の頃の私が出遭った60歳の方と言えば相当なお年寄りでした。総入れ歯で腰が曲がってヨボヨボ歩く方が少なくなく、還暦祝いの赤いちゃんちゃんこが似合っていました。
ところが今の還暦はどうでしょう。もちろん例外はいますが、ちゃんちゃんこなんか似合う人は滅多にいません。赤いベストを着てキャバクラに行くのがお似合いです。外見だけではありません。精神的にもなかなか老化しません。悪く言えば、最近の高齢者は昔の高齢者の円熟味を身に付けることができずにいつまでも青臭さ、生臭さを捨てきれないと言えます。
つまり日本人と言う種が成熟するに反比例して、各個体はなかなか老化しなくなったのです。生物としての年齢は戦前の日本人と比べて、少なくとも10歳以上差し引いて考えなければならないのではないでしょうか。
こういう現実があるにも関わらず、社会的な年齢区分は昔のままです。どんなに若々しい心身を備えた方も65歳になると自動的に高齢者とされてしまいます。そうやっておいて、「少ない就労人口で膨大な人数の高齢者を支えなければならない。」「大変だ。大変だ。」と騒いでいます。
この際、生物学的な発達、老化の実態に合わせて、社会制度上の年齢区分を見直してみてはいかがでしょうか。それよりも、いっそ年齢による区分と言う考えそのものを止める方が良いかもしれません。

動物の生まれてから死ぬまでの過程を見ると、誕生してから成熟するまでの発達過程にはそれほど個体差はありません。人の場合、生後3~4ヶ月で首が座り、1年ほどで一人立ちができるようになります。2歳半までには20本の乳歯が生え揃い、3歳くらいで脳の基本構造が完成し生意気になります。言葉を巧みに操るようになり親に口答えします。11歳~15歳で声変わりや第二次性徴が現れて色気づきます。18歳のころまでには一丁前の男と女の出来上がりです。
一方、成体が老いて死んでいくまでの過程は驚くほどの個体差があります。30の声を聞く前に髪の毛とおさらばする人もいれば、70歳だと言うのにふさふさの髪が自慢の人もいます。私は男性ホルモンの分泌が少ないのか、59歳の今でも髪の毛には不自由していませんが、30代の後半から老眼に悩まされるようになり今や細かい作業はかなり不自由です。
精神的にも70歳になっても好奇心旺盛で柔軟な頭脳を持っている人もいれば、まだ40歳そこそこと言うのに「昔はこうだった」とか「今の若い奴は」と言い始めて、自ら新しいことを学ぶ姿勢をなくす人もいます。
つまり、6歳で小学校、(今のところ)20歳までは酒を飲んではいけないといった風に、成長過程にある個体は年齢によって社会区分することが妥当ですが、成長を終えた個体を年齢と言う尺度だけで区分すること自体無理があるのです。
そこで私は以下の提案をします。すなわち成長発達過程を除いて、年齢だけを社会保障の基準としている今のやり方を改めるのです。老化による能力低下も他の身体障害や精神障害と同様に年齢にとらわれず、その実態に合わせて判断してはいかがでしょう。そして老化による能力低下がある一定基準以上に進行した時点で社会保障による救済をするのが良いと考えるのです。
年齢が若くても老化が著しい人は早くから救済の手を差し伸べ、70歳過ぎても意気軒昂な人にはどんどん働いて社会貢献していただく。こうすれば単に年をとったという理由だけで社会のお荷物になることはありません。それどころか日本全体の生産能力はずっと向上するように思います。
いくら若々しいとは言っても年を重ねれば若い時のような体力はありませんが、幸いなことに労働の質が昔とは大きく変わって、純粋に筋力、体力を必要としない労働が増えました。もうすぐ団塊の世代が大量加入する65歳以上の人たちのマンパワーを我が国の活性化のために活用しない手はないと思うのですが、いかがなものでしょう。

22歳年下の美人プロゴルファーとの結婚話で世間の話題をさらっている石田純一さんは現在55歳です。サラリーマンならば定年あるいは役職定年の年齢です。後5年するとシルバー割引でいろいろな特権を手に入れますし、もし彼が厚生年金に1年以上加入した経験があれば年金も受け取れます。
「不倫は文化だ」、「二兎を追う者には三兎めが出てくる」と主張する石田さんのことですから5年後でも浮名を流している可能性大です。彼に年金を使ったナンパを許してよいものでしょうか。そんなことは東尾パパでなくとも許せません。彼には女に見放されるまでせっせと働いてもらわなければ納得がいきません。

閑話休題、私は、名実ともに長寿となった日本社会を、高齢化と嘆かずに「壮老化」捉えて、生物学的実態に即した社会を再構築することが必要な時期に来たのだと考えます。

誤解されているインフルエンザワクチン

 10月1日夜、実際に接種を担う保健所や医師会に何の通達もなく、新型インフルエンザワクチン接種に関する政府決定が報道されました。ですからこれから書くことは、私が医療関係者だから知った事項ではありません。私の所属する地区医師会が新聞報道、インターネットなどから入手した情報を纏めたものです。
1. 新型インフルエンザワクチン接種は10月19日の週から開始する。
2. ワクチンを受けられる優先順位と接種機関
第1位: 医療関係者(約100万人);10月19日の週から
第2位: 妊婦(約100万人)と喘息や糖尿病などの持病を持つハイリスク者;11月から
第3位: 1歳~小学校3年生(約1,000万人);12月から
第4位: 1歳未満の小児を持つ保護者(約200万人);来年の1月から
その他: 小学校6年生、中学生、高校生(約1,000万人)、65歳以上の高齢者(約2,100万人);来年の1月から
3. 接種法および費用:4週間隔で2回接種する。費用は6,150円(1回目;3,600円・2回目;2,550円)を自己負担する。但し、生活保護者および低所得者は無料とする。
4. ワクチンの確保:来年3月までに1,385億円かけて国産ワクチン2,700万人分、外国産ワクチン4,950万人分を国が確保する。
5. 接種場所:市町村がワクチン接種を行う医療機関を確保して、受託した医療機関は国と委託契約を締結する。受託医療機関は各自医薬品卸業者からワクチンを購入して予約制で接種する。その際、各医療機関は窓口で対象者であるかどうかを確認して、優先順位に従ってワクチンを接種して、その結果を市町村に報告する。

  決まったのはここまでのようです。なぜ1回目と2回目で値段が違うのか。製法や成分が異なる国産ワクチンと外国産ワクチンの射ち分け基準はどうするのか。窓口で優先順位基準に合格した対象者かどうかを判定せよと言われても、何を元に判断すればよいのか。小学4,5年生の扱いはどうするのか。等々現場で直ちに問題となる諸点については全くもって詳細不明です。
  繰り返しますが、以上の事項については、医療関係者として厚労省からの通達を受けたのではなく、テレビのニュースで聞いて初めて知ったのです。まさに寝耳に水でした。しかし、一般の方はそうは思っていません。私のクリニックでも、このところ患者さんから新型インフルエンザワクチンについての質問を頻繁に受けます。ところが、悲しいことに私たち医療関係者は一般の方よりも詳しい情報を持っていないのです。
  政権交代がなされても現場を無視した行政は今まで通りなんら変わらないようです。
  喘息や糖尿病でない方がそういう病気を偽って接種を希望する事態は容易に想像できます。こういった不正を私たちに一体どうやって見破れと言うのでしょうか。また、喘息と糖尿病以外にもインフルエンザに対するハイリスク者はいます。こういった患者さんへのワクチン接種の順番はどうなっているのでしょう。一刻も早く具体的かつ詳細なガイドラインを医療現場に示してほしいものです。
 
  国が一般の方に流すべきもっと大切な情報があります。それは新型インフルエンザに対するワクチンと従来の季節性インフルエンザに対するワクチンとが全く別のものであるという事実を全国民に周知することです。
  季節性インフルエンザのワクチンはすでに販売されて、地方自治体が補助金を出す高齢者への接種は10月1日から開始されました。今年流行が予測される季節性インフルエンザはAブリスベン、Aウルグアイ、Bブリスベンの3種類なのでワクチンもこの3種に対応しています。
  しかしながら、一般の人にはこのワクチンと新型インフルエンザワクチンとを混同している方が少なくないのです。正しく理解している人の方が少ないと言ったほうが正しいでしょう。
  この3日間に私のクリニックで季節性インフルエンザワクチンを受けた高齢者の方の8割は「これでもう安心」とおっしゃいます。「何が安心なのか」聞いてみると、概ね今回受けたワクチンが新型にも有効だと勘違いされているのです。
  この誤解は19日から開始される新型インフルエンザワクチン接種の際にも起こると考えられます。従来のワクチンより高価なだけにもっと誤解を生じそうです。「もうこれですべてのインフルエンザに対する備えは万全」と。
  今年の冬、インフルエンザの脅威から逃れるためには季節性インフルエンザワクチンと新型インフルエンザワクチン、2つのワクチンを受けなければなりません。政府にはマスメディアを通じてこの重要な事実を国民に周知徹底していただきたい。
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