東京都 豊島区 大塚 精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科 メンタルクリニック 認知症 うつ病

クリニック西川

2009年12月

2009年私のできごと

テレビをつけると普段観ていた番組に代わっておよそ内容の乏しい特別番組ばかりになってしまいました。毎年大晦日に近づくとこのような状態ではありましたが、今年は例年よりも特番化が早いような気がします。
インターネットの普及によってテレビ広告の市場価値が低下して広告単価が値下がりしたことに加えて、長引く不況によって、番組制作費の削減を余儀なくされたことの現れではないでしょうか。
これを裏付ける現象は日常的な放送にも明瞭に見ることができます。ひとつは今まで見たこともないような業種や企業がスポンサーになっていることです。パチンコ台製造業者、債権処理で大儲けの法律事務所のほかにも、なぜマスメディアでの宣伝が必要なのか首を捻ってしまうローカルな店までもがテレビ広告をしています。
また、これまでは料金の安い深夜帯に限られていた美容外科の広告がゴールデンタイムに進出してきました。不細工なのにやたら目立ちたがり屋のT美容外科クリニック院長の顔を頻繁に目にします。
大手製造業が業績不振によって宣伝費を抑えた結果、広告単価を値下げせざるを得なくなって小規模企業でもテレビ広告を打てる時代になったのでしょう。
番組内容も制作費用がかからないものばかりです。豪華キャストや海外ロケを必要とする大型ドラマはすっかり影を潜めました。2,3流のタレントをスタジオの雛壇に並べて、クイズを解かせたり、くだらないおしゃべりをただ垂れ流す番組が各局のゴールデンタイムを埋めています。土曜日の午後の時間帯に至っては自局の番組の予告宣伝で時間を埋めるという情けない状態です。
2年後にデジタル放送に完全移行してチャンネル数が倍増すると、一つ一つの局の価値が相対的に低下しますから、全国民が同じ時間に力道山の空手チョップを観たなどという情景は夢のまた夢。製作会社は軒並み討ち死にして、番組のレベルはなお一層低下してスポンサーも小型化して、そのうち町のスーパーがテレビ広告するようになるかもしれません。

さて、私のこの1年を振り返ってみると、次の二つのできごとがありました。その一つは3年ぶりにゴルフを再開しましたことです。
3年前、とある事情でゴルフを止めました。もともと下手くそだったので、少しでもクラブを握らない期間があると、さらにひどい状況になることが心配で、ますますゴルフから遠ざかるという悪循環に陥っていました。それに加えて昨年、胆嚢摘出があったのでアウトドアライフへの復帰はますます遠のいてしまいました。そんなわけで、もう二度とゴルフをやることはないだろうと考えて用具の処分を始めた矢先に家内からの強い誘いで再びゴルフをやることになりました。
私の所属するクラブは会員の平均年齢が高いので、少し顔を出さなくなると「近頃○○はちっとも顔を出さなくなった。きっと死んだんだろう。」とすぐに殺されてしまいます。私もご多分にもれず殺されていたのでしょう。3年ぶりに私の顔を見た人はまるでゾンビに出会ったかのようにびっくりしていました。
食堂にキープしてあった酒を3年経ってもそのままに預かってくれていたのには感激しましたが、仲の良かったメンバーが本当に亡くなってしまっていたことにはショクを受けました。
同伴者に迷惑がかからないことだけを心掛けてラウンドしているのですが、3年経って変ったことと言えば飛距離が落ちただけで、相変わらず複雑怪奇なフォームのスイングからあらぬ方向に球が飛んでいくので、同伴者には多大な迷惑をかけています。まあ、他のメンバーの忍耐の許す限りゴルフを続けていこうと思っています。

今年もう一つの報告事項は「今日のお言葉」を書き続けたことです。以前のコラムで少し紹介しましたが、昨年の暮れから家族向けに書き始めたミニコラム「今日のお言葉」を書き続けました。この「今日のお言葉」とは諺や四文字熟語や格言などを散りばめたA4一枚に入る600~800文字の小文です。
毎日書くことを約束したので、その日にあったできごとやその日にちなんだできごとを題材に随筆や論評の形で書きます。ところが、ただ文を書くだけではなく、その中に必ず新しい諺、熟語、格言が含まれていなければなりません。これは相当にしんどい作業です。
それでも雨の日も風の日もなんとか頑張って365日精勤できそうです。おかげでこの1年は、診療した後の時間の大半を「今日のお言葉」と毎週1回連載しているこのコラムの原稿作りに費やしました。
原稿書きに雨風は影響ありませんが、開業医は診療以外の時間のすべてを物書きに費やすことはできません。講演会、セミナーといった勉強会やいろいろな会合にも出席しなければなりません。経営者としての事務作業もしなければなりません。そういう会合や事務仕事の合間をぬって原稿を作らなければならなかったので、この1年は心の休まる日がありませんでした。
「今日のお言葉」は子供たちからのリクエストで始めたのですが、言い出しっぺの子供たちはそれぞれの勉強が忙しいと言ってあまり読んでくれていません。それでも、必ず毎日1編書くと決めたのは自分だったので、報酬も無く、誰が読んでくれるかもわからない空しい仕事ではありましたが、ともかく頑張りました。一度始めると止めることが難しい私の習性がいつも自分を苦しめるのですが、いろいろなテーマについて頭を整理して、それを文に纏めるという知的な訓練をしたおかげで、自分自身のボケ防止に役立ったのではないかと思います。
ただ、この作業を続けると他の活動が何もできなくなってしまいますので、今年の大晦日を一つの区切りにして「今日の御言葉」はひとまず終了することにしました。

私の今年のニュースはこの2つですが、世間では、我が国歴史始まって以来の本格的政権交代がなされたとか、ドバイ開発の粉飾決算の露呈からリーマンショックを上回る世界不況の到来が現実的になったとか、温暖化が一層深刻になって南極から巨大氷山が流れ出して北極海では白クマが共食いを始めたとか大きなニュースが目白押しです。
しかし、宇宙に目を転じれば、昨年の今と同様に、巨大彗星が地球との衝突コースに入ったとか、宇宙の膨張が収縮過程に転じたとか言うようなビッグニュースはありません。地球上の細々として煩雑なできごとなどとは無関係に、これまで通り猛スピードで膨張を続けているようです。

人生悲喜交々と言いますが、我々を取り巻く社会ではこの数年「悲」が「喜」を上回っているように感じます。来年こそは虎の一吠えで暗いニュースを吹き飛ばして、明るいできごとが溢れるようになることを祈って今年最後のコラムを終えることにします。皆様よいお年をお迎えください。

薬物依存(4)―MDMA―

酒井法子と押尾学は二人とも違法薬物を所持、使用したとして逮捕、起訴されて有罪の判決を下されましたが、二人が問われた罪は異なっていました。酒井法子は覚せい剤取締法違反であり、押尾は麻薬及び向精神薬取締法違反でした。この違いは対象薬物が違っていたことによります。
酒井が所持して常用していた薬物は覚せい剤で、押尾はMDMAという薬を使用していたことで罪に問われたのです。覚せい剤は古くから違法薬物として名前を 轟かせていましたから知らない人は少ないのではないかと思います。一方、押尾の使っていたMDMAの名前を聞いてすぐにカラフルな小さな錠剤を思い浮かべ ることができる人はかなりの「くすり通」です。一般の人にはまだあまりよく知られていません。

MDMAとは3,4- methylenedioxymethamphetamineの略語です。アンフェタミンやメタンフェタミン類似薬ですから、薬理学的には覚せい剤と同様、中枢神経刺激薬に分類されますが、我が国の法律では麻薬の仲間に入れられており、麻薬及び向精神薬取締法による規制対象薬物となっています。
MDMAは医薬品としては製品化、実用化はされませんでしたが、1912年にドイツのメルク社が食欲抑制剤(やせ薬)として開発した薬物です。ところが、1970,80年代にアメリカの精神科医がPTSD(外傷後ストレス障害)の治療薬として盛んに用いました。
なぜならば、PTSDは過去に体験したいやな出来事をあるがままに受け入れることができないために起きてくる精神障害です。ですから通常のカウンセリング ではその事実がなかなか意識の上に思い起こされることが困難です。ところが、MDMA服薬下でカウンセリングを受けると、意識下に覆い隠され続けてきた辛い体験も容易に思い出して、事実として受け入れることができるようになり、症状が大幅に改善することが分かったからです。
今ではアメリカでも法による規制対象になって精神科医療の現場で使用することはできませんが、今でも精神科医の間にはMDMAの治療効果を主張する者が少なくありません。
この薬が乱用の対象として用いられるようになったのは1980年前後からです。仲間内のパーティーで盛り上がる目的や性的快感を高める目的のレクレーション・ドラッグとして、「エクスタシー」の通称でダンス音楽の流行に乗って広まっていきました。
この薬が好まれる理由は「他者との共感」という幻覚作用に負うところが大きいようです。カウンセラーとの関係がより強固なものとなってカウンセリングが円滑に進められるということは、相手との共感性が高まるためです。この効果は何もカウンセリングの場だけに限られるわけではありません。したがって、複数の人 間で使用すると他者との共感性が高まって、内面的な連帯感が強くなります。
もともと名前が示すように化学構造的にはmethamphetamine(覚せい剤)に似ていますから、脳内の報酬系として知られるドパミンの放出を促進して快感を与え、覚醒作用があります。またMDMAはドパミンに加えてセロトニン系も刺激します。こういった薬理作用によって多幸感、他者との共有感という幻覚体験を起こすことが集団での乱用に用いられる理由です。さらに比較的廉価な錠剤の内服という簡単な摂取方法もパーティードラッグとなった一つの理由かもしれません。

今述べた作用を示すだけならば、アルコールと同じように人間関係を良くする小道具として有用に思えるかもしれませんが、そううまくはいきません。ドパミン系やセロトニン系が異常更新しますから、不整脈、異常発汗、高体温症という重篤な症状を引き起こします。
押尾は相当長期間にわたってこの薬を使用していたと思われますから、この薬の危険性も熟知していたはずです。それにも関らず、大量摂取を勧めて(密室での事件だったことをよいことに本人は否定しています。まったく卑劣なやつです)、副作用が現われても自己保身のために放置したのですから、保護責任者遺棄致 死罪どころか過失致死罪に問われてもよいような気がします。
この他、低ナトリウム血症、急性腎不全、横紋筋融解症などでの死亡もありますし、不安性障害、被害妄想、抑うつ気分、睡眠障害、記憶障害、衝動性の亢進、集中困難といった後遺症が残ることも少なくありません。
さらに現実にブラックマーケットに出回っているMDMAの多くは
3,4-methylenedioxymethamphetamineの純正品であることが稀で、不作為あるいは作為的に不純物や他の成分が混じっています。このために予想外の重篤な副作用が出現する可能性が高いのです。中でも、より強い刺激を引き起こすために覚せい剤が混合されていることが多く、その場合には脳を致命的に破壊して重大な後遺症を残すことになります。なお、覚せい剤成分が多い剤型の場合には覚せい剤取締法による処罰対象となります。

薬物依存(3)―依存形成の仕組み―

薬物の不適切な使用による問題について医学的に考える時には次に述べる3つの概念を理解する必要があります。それは薬物乱用(drug abuse)、薬物依存(drug dependence),薬物中毒(drug intoxication)です。薬物中毒には急性中毒(acute intoxication)と慢性中毒(chronic intoxication)がありますが、大麻や覚せい剤で問題となるのは主として慢性中毒です。

薬物乱用は薬物の使い方がルール違反であることを言います。どこまでが正しい使い方でどこからがルール違反なのかは薬によって異なります。法律で所持・売買・使用が禁止されている覚せい剤、麻薬、大麻、コカイン、LSD,MDMAなどはたった1回使っても乱用と言えます。
一方、シンナーなどの有機溶剤は塗装をはじめ様々な分野で必要不可欠な薬物です。ですから塗装をするために使っていて不随意に吸ってしまう場合には、身体に良いわけではありませんが、乱用しているとは言えません。
睡眠導入薬や鎮痛薬なども本来の目的で医師の指示通りに服用している場合には乱用ではありません。しかし、もっとよく眠りたいとかもっと早く楽になりたいという思いから、医師の指示の倍、三倍の量のまとめ飲みは立派な乱用です。私のクリニックでもほかの薬は残っているのに睡眠導入薬だけが無くなったといって予定より早く受診する方がいます。本当に紛失した方もいるのかもしれませんが、多くの場合は乱用だと考えられます。
その摂取の仕方が適正か否かの判定が難しいのがアルコール(酒)です。恋人や友人との楽しい語らいの小道具として飲む酒は問題がないのですが、同じ酒でも、現実を忘れるために酔いつぶれるための手段として飲んだとたんに乱用となります。無論、車を運転している時にはお猪口いっぱいでも乱用です。また、前後不覚になり、どこをどう通って家にたどり着いたのか覚えていないほどの深酒も乱用と言わざるを得ません。
つまり、乱用と言う概念は医学的な基準からだけでなく文化や価値基準にも基づいていて、総合的な社会規範から逸脱した薬物の使用という意味です。純粋に科学的でない概念が診断にかかわってくるのでややこしいことになります。

薬物依存とは「ある生体器官とある薬物との相互作用の結果として生じた、精神的あるいは身体的状態であって、その薬物の精神作用を体験するため、あるいは、時には薬物の欠乏からくる不快を避けるために、その薬物を継続的ないしは周期的に摂取したいという衝動を常に有する行動上の、ないしは他の形での反応によって特徴付けられる状態」と定義されています。理屈っぽくて分かりにくいと思いますので身体依存と精神依存との二つのメカニズムに分けて説明します。
ある種の薬物は繰り返してその薬物を使用していると、その薬物に対する反応が鈍くなっていきます。同じ効果を得るための閾値が高くなると言ってもいいです。このメカニズムを耐性(tolerance)と言います。その薬物に耐性を獲得した人は同じ効果を得るために摂取量を増やす必要が出てきます。やがて身体は常にその薬物が体に入る状態が通常であると認識してしまい、摂取が途絶えると不愉快な離脱症状(退薬徴候)が出現するようになってしまいます。これを身体依存が形成された状態と言います。
離脱症状としてはアルコール依存症の人に見られる、手の振るえ、痙攣、せん妄が有名ですが、市販の痛み止め依存症の人がそれを飲まないと頭痛がするという例も少なくありません。
こうなると、服薬すると楽しい、快適だと言う理由ではなく、服薬しないことから起こる離脱症状の苦痛から逃れるために頻繁に薬物を使用することになります。
これに対して大麻という薬物は繰り返し摂取した後に休薬してもこれと言った離脱症状を引き起こしません。ただ摂取時に起こる感覚の鋭敏化や爽快な気分が忘れられずに、その快感を追い求めて大麻を使用し続けます。このように、その薬物の効果を「欲しい」という渇望を抑えきれないで自分の行動がコントロールできなくなった状態を精神依存が形成された状態といいます。
とは言うものの、大麻を長期にわたって連用した後でやめると体重減少や睡眠障害が起きます。完全に身体依存がないとは言い切れないのです。
乱用される薬物は中枢神経系に対する作用から、抑制系の薬物と興奮系の薬物に二大別できます。麻薬、アルコール、有機溶剤といった抑制系の薬物は精神依存のほかに身体依存を併せ持っています。一方、コカイン、覚せい剤、LSDといった興奮系の薬物は精神依存が強いものの、身体依存はきわめて少ないと言われています。
しかし、そもそも脳は精神を表現するだけでなくありとあらゆる臓器をコントロールしていますから、さまざまな症状を厳密には身体依存と精神依存とに分離することは不可能です。
私の薬理学の大先輩である柳田知司先生が開発した、サルを使った精神依存の程度を評価する実験でみると、主だった向精神薬の中で、コカインがもっとも精神依存形成しやすいことが判明しました。この結果は薬物中毒者たちの体験結果とも一致していました。
コカインはドーパミンを介する報酬系(快感を得る系統)を強烈に刺激します。人間もサルも報酬系の発達には差がないので薬の好みも似ているようです。

薬物中毒とはその薬物によって身体あるいは精神に有害な作用が出る状態を言います。急性中毒は短時間に極量を超えた薬物を摂取することによって、急激に血中濃度が上昇して起こります。新入生歓迎会などで繰り広げられる「一気飲み」でショック状態となって救急車を呼ぶ騒ぎは未だになくなりません。これはアルコールの急性中毒にほかなりません。
命を落とすこともある危険な行為ですが、九死に一生を得た場合には懲りて、二度と同じ行為をしないことが多いので、今回のテーマである薬物依存症とは関係がありません。
問題となるのは慢性中毒です。こちらは依存が形成されたことによって薬物乱用を繰り返すことで生じる病態です。ここまでくると、あわてて原因薬物から遠ざかっても元の健康な状態には戻れません。特に、脳の状態が乱用する以前の状態には戻りません。脳に非可逆的なダメージを残してしまうのです。したがって、いったん止めたかに見えても症状が出現したり、何かの機会にまた乱用を繰り返します。覚せい剤取締法違反で服役したものの再犯率が極めて高いのはこのような慢性中毒状態になってしまっているからです。

薬物依存症患者が出来上がる過程は、薬物乱用によって薬物依存状態が形成されて、乱用を繰り返して慢性薬物中毒状態に陥る。その結果ますます乱用の程度がひどくなり、依存も強化される。乱用→依存→中毒→乱用の強化→・・・・・・という悪循環になってしまうのです。
依存や中毒になる過程を阻止することはできませんから、入り口である乱用を阻止する以外手立てがありません。

薬物依存(2)―そもそも依存とは―

最近、「依存」という言葉は一連の違法薬物事件以外にもしばしば耳にすします。睡眠薬依存、ギャンブル依存、買い物依存、セックス依存、ゲーム依存、醤油依存、アメリカ依存、等々です。こういった使い方の場合「依存」という言葉にはネガティブな感情が込められています。はたして「依存」とは悪いことなのでしょうか。
「依存」とは広辞苑によると「他のものをたよりとして存在すること」とあります。人間が完全無欠で、あらゆる局面で自己完結できる存在であるべきだと考えるならば、「依存」は改めるべきことでしょう。しかし、そこに求められているのは神の姿であって、生身の人間ではないような気がします。
ロビンソン・クルーソーだって、フライデーという伴侶との相互依存関係があったからこそ28年間の冒険生活を耐えることができたのです。人は「人間」というように一人では生きていけない社会的生物です。誰かに、または何かに依存し、依存されあって生きていくしかありません。つまり、「依存」とは悪いことだけではなく、人間が生きていくために必要不可欠な方法、手段でもあるのです。
他人に対して「あいつは○○に依存しているよ」と非難する人も必ず何かの依存対象を持っています。ただそのことに気付いていないで、自分はなにものにも頼らず生きている強い人間だと錯覚しているだけです。むしろ依存を自覚している人よりも愚かと言わざるを得ません。もしかすると自我を保つために、他人の欠点をあげつらって説教する行為に依存しているのかもしれません。
まずは「依存」=「悪いこと」、「すぐに改めなければならないこと」という安直な既成概念を払拭していただかなくてはなりません。そして自分も必ず何かに依存していることを自覚するべきです。「依存」はこの前提で考えないと偏った結論に導かれてしまいます。

その「依存」が良い依存なのか、または悪い依存であって即刻脱却すべきなのかは、依存している対象、依存することによって生ずる影響、程度などによって決まります。

依存対象は容易に善悪を決められると考えていらっしゃる方が多いですが、これもそう簡単ではありません。社会問題となっている覚せい剤「メタンフェタミン」への依存を良いという人は誰もいないでしょう。しかし、依存性薬物のもう一つの王様である麻薬(モルフィネ)は末期の癌患者さんなどのように難治の激痛の治療のためには依存していただかなければなりません。
因みに、昨年私が胆石・胆嚢炎で手術を受けましたが、あまりの痛みで意識がもうろうとしていた時に主治医から合成麻薬の点滴をしていただきました。点滴が開始されて間もなくそれまでの痛みがうそのように消えていきました。あれほど薬のありがたさを感じたのは初めてのことです。しかし、胆嚢を摘出して激痛が除かれた後に麻薬を欲しいと思ったことはありません。
日本では特に「麻薬」とか「依存」とかいう言葉を正しく理解しないで、単に悪いもの、怖いものという漠然としたイメージだけで考える傾向が強いために、激痛で苦しむ人たちへの麻薬の適用が遅れてきました。このために、不必要な痛みにもだえ苦しませる結果となっていたのです。WHOからこの点を指摘、改善勧告されて、ようやく末期癌の患者さんたちが疼痛地獄から解放されました。
また、30過ぎの男が何事を決めるのも母親に相談するといった状況、すなわち親への依存は困りもので周囲の人に多大な迷惑を及ぼします。しかし、乳幼児は親へ依存しなければならず、親との依存関係の中から自我が発達していきます。一方、親も子供に依存されてそれに応えることによって人格が成熟していきます。幼小児とその親との依存関係は両者にとってとても有益なものなのです。

次に依存によって生じる影響を考えてみましょう。覚せい剤は幻覚や妄想を発症してとんでもない社会問題を引き起こします。その人の脳にも回復不可能で深刻な損傷を与えます。作用から考えても絶対に良くない依存です。
同じように睡眠導入薬や抗不安薬への依存は悪いことと考えられていますが、正しく依存していれば医療費がかかるくらいの弊害だけで、取り立てて大騒ぎするような問題は生じません。この手の薬を長年飲んでいたからといって、認知症になるとか寿命が縮まるといったことはありません。
日本人は醤油依存症といわれますが、繊細で奥深い日本料理には欠かせない代物ですし、量さえ控えれば大した弊害はありません。高カロリーでメタボリック・シンドローム産生の立役者であるマヨネーズやケチャップに比べれば健康に悪くないと思います。少なくとも口の周りについた油とケチャップを常にナプキンで拭っている連中に「依存症」などといわれる筋合いではありません。

程度。これがもっとも重要です。特定の睡眠導入薬を飲まないと熟眠感が得られない人であっても、「明日は休日だからゆっくり寝ていればいいし、逆にぐっすり眠れなくたくってかまわないから、休日の前の晩は薬を飲まないでおこう」、「明日は朝から重要要な会議があるのでしっかり眠っておきたい今晩は薬を飲んでおこう」。こういった程度の依存は何ら問題がないのではないでしょうか。睡眠不足でパフォーマンスが低下して仕事の上で致命的なミスを犯すほうが困ります。
同じ睡眠導入薬を使うにしても、「1錠飲んだら結構よく眠れた。2錠飲んだらもっと気持がいいんじゃないかな?」と考えて、一日の目的が快適な睡眠を得ることと履き違えて、どんどん増量していくのが過度の依存であって、いわゆる依存症の状態です。
アルコールへの依存もその依存の程度が問題であることは言うまでもありませんが、趣味や道楽といわれているものも、実はそのことに依存した状態です。ゴルフや釣りを趣味にしていらっしゃる方は少なくないと思います。
仕事でストレスフルな毎日を送っていらっしゃる方にとって久々の休日グリーンの上で球を叩きながら歩く行為や、船縁から釣り糸を垂れている時間は、脱日常のきわめて有用なストレス解消になっています。趣味や道楽に依存することで知らず知らずのうちには精神障害に陥ることが予防されているのです。
ところがこれも程度問題です。いくら健康によい趣味とは言っても、病膏肓に入って仕事をそっちのけでゴルフや釣りにばかり興じることになれば話が違ってきます。立派なゴルフ依存症、釣り依存症の出来上がりです。

このように「依存」そのものは良くも悪くもありません。依存することによって本人および家族の健全な生活が害されたり、社会に重大な損害を与える。あるいは依存の程度が過度になって依存することが人生の目的に変わってしまうような本末転倒の状況になった時に「依存症」と呼び、治療の対象となるのです。
違法薬物に指定されている薬は、程度の差はありますが、依存対象、それによる影響、程度のどの点から考えても人間との間に良い依存を形成することが困難です。ですからこういった薬物は1回使用した時点で「依存症」が形成されると考えるべきです。「ためしに1回」という誘惑に負けないでいただきたい。
違法薬物の依存症がなぜ法律で規制しなければならないほど危険なのかという点については後日お話します。
クリニック西川
〒170-0005 東京都豊島区南大塚1-18-2 作田ビル1F
TEL:03-5395-0721 FAX:03-5395-0722
Copyright(C)クリニック西川. All Rights Reserved.
【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】