東京都 豊島区 大塚 精神科 心療内科 神経科 内科 神経内科 メンタルクリニック 認知症 うつ病

クリニック西川

2010年6月

鶏が先か?卵が先か?

現在我が国に突きつけられている喫緊の課題の一つは天文学的に膨れ上がった財政赤字です。この底なしの経済地獄から抜け出す方法として管新総理が打ち出した経済基本政策、「第3の道」が物議を醸しています。これまでは思い切った財政出動によって景気を浮揚し、その結果税収増代を図るべきという考え方と、まずは赤字を解消すべく税収を増やすべきであり、その上で経済対策を考えなければならないという考え方が対極的に議論されてきました。
ところが、管総理は増税をしながら景気浮揚をできる第3の道があると提唱したのです。残念ながら今のところ、彼の提案は理念と総論だけで具体的な方法論とその工程が明らかにされていません。しかし、財政赤字解消が先か景気浮揚が先かという「鶏・卵」論争に一石を投じたことだけは確かなようです。

皆さんも「鶏が先か?卵が先か?」という問いを耳にしたことがあると思います。この言葉は、鶏のルーツを考えた時に、最初にこの世に出現したのは鶏なのだろうか、はたまた卵なのだろうかという問いかけです。鶏がいなければ玉子を生むことができない。しかし、卵が現われなければ鶏は生まれない。
言い方を変えれば目の前にいる鶏は必ず卵から孵化したわけです。しかしその卵は親鳥が産んだのです。その親鳥も卵からかえったのだし、その卵は祖母鶏が産んだのです。こうやって延々と遡っていっても結論は出ません。
このことから、いくら原因を追及しても堂々巡りで結論が出なくなった時に「それはいくら考えたって鶏が先か卵が先かだよ」といった使い方をします。
私が日常携わる医療の場面においても、鶏・卵論になってしまう問題は多々あります。たとえば、精神障害の最大の原因である人間関係。
「Aさんが私に嫌がらせをする。Aさんは私を嫌っているみたいです。」こう訴える方からもっと詳しく話を聞くと、どうもその人がAさんを嫌っているように思えます。そのことを指摘すると、「そんなことはありません。私はAさんのことを認めています。でもあの人が私を嫌うから、私も好きにはなれない。」とおっしゃる。
でも、多くの事例を通して人間関係を考えると、どちらかが一方的に相手を嫌って意地悪をするというケースはそう多くはありません。大半の場合はその人も相手のことを嫌いなのです。積極的に嫌いとまで言わなくても好きなタイプではないことが大半です。ですから、相手の言動を悪く悪くとらえてしまいます。ですから、それ程の敵意がない相手の行動に対して被害的に反応してしまうのです。
実際にはお互いさまなのですが、人間という代物は現実をあるがままに捉える事が苦手です。少なからず、自己正当化します。すなわち、自分は相手に悪意を抱いていない。むしろその人の価値を認めて敬意を払う度量を持っている。にも拘らず相手が一方的に自分を嫌悪している。こう解釈したがるのです。
こういう人間関係のもつれからくるストレスを解消するには、どちらが先に嫌っているのかという「鶏・卵」論争に陥ることを避けて、お互いの相性が良くないという事実を認めることが肝要です。

慢性の不眠を訴える方の中に、昼寝が常態化している場合があります。夜、十分に眠れないので昼間眠たくなる。どこかで十分に睡眠を取っておかなければ身体によくないと思いこんで、昼寝をする。するとその晩は昼寝の効果が出て、またもや不眠になる。すると翌日はまたもや眠たい。この繰り返しで地球の自転に同期した睡眠覚醒リズムが完璧に破壊されてしまいます。
こうなってしまうと、夜眠れないから昼寝をするのか、昼寝をするから夜眠れないのか分からない「鶏・卵」の関係が完成されます。この状態を解消するには鶏と卵との両方に働きかける必要があります。すなわち、適切な睡眠導入薬によって夜の睡眠を促すと同時に、御本人の努力によって昼寝を止めなければなりません。やたらに睡眠導入薬を大量投与するだけでは問題解決しないのです。さらに、不眠のきっかけとなった精神障害やストレスの元を解決しておく必要があることは言うまでもありません。

増税すれば景気が悪くなり、結局税収は減少する。いや、目先の景気対策のために増税しないで、財政赤字を放置しておけば近い将来日本は不景気どころではなく破産してしまう。
この「鶏・卵」論争に関しても、現実的には税収と景気対策の両面に働きかけることしかないのではないかと思います。大変難しい舵取りになるとは思いますが、是非とも第3の道政策を早急に具体化していただきたいと思います。ただし同時に、このような悪循環の輪を作った大きな原因の治療を行うことが大前提だと思います。すなわち、官僚の天下りをはじめとする、戦後60年の間に抜き差しならない程度になった社会構造の歪み革命的に正さなければなりません。

収入印紙?-広域暴力団日本組-

普段の生活で時々関るけれど、よく意味が分からないままになっている物が結構ありませんか。私にはあります。その一つが「収入印紙」です。
高額な商品を購入した際に発行してもらう領収書に、薄緑色の吹けば飛びそうな切手みたいなものがぺたっと貼ってあります。これが収入印紙です。この際に使われる印紙は200円のものです。収入印紙はすべて200円かというとそうではありません。極めて稀にですがバカ高い印紙にお目にかかります。
先日、パスポートを取得にサンシャインシティにある東京都の出先機関に行って参りました。この時には14,000円の収入印紙に、東京都証紙と称する、2,000円の、これまた収入印紙、合計16,000円もの収入印紙を要求されました。
おそらくパスポート発行手数料なのだろうと想像しましたが、デフレが蔓延している今時、高すぎるように思います。しかも手数料なら現金で払えばそれで済むのに、わざわざ収入印紙を購入してそれを貼ってくるようにとの命令です。この役所の隣の写真屋で収入印紙を売っていますので、数メートル歩いて購入して窓口に向かいます。なぜこんなややこしい方法をとるのでしょう。素直に窓口で「金払え」と言えば簡単ではないでしょうか。
私は幸運なことにパスポーや運転免許証申請時以外には、自分自身がこの収入印紙を貼る機会が少ないのですが、稀に領収書への添付を要求されることがあります。その度になぜこんな余計な出費をしなければならないのだろうと疑問に感じます。しかも印紙代の200円は国の懐に入ると聞きました。なぜ、善良な市民間の取引に際して国に200円も支払わなければならないのでしょうか。
周りの人に聞いても十分に納得のいく説明をしてくれる人はいません。いろいろな人から集めた断片的な知識をまとめると次のようになります。収入印紙とは印紙税という税金を支払ったという証明書です。これを貼る、つまり印紙税を支払うことによって、その商取引を正式に認める。したがって、領収書にこの印紙が貼っていない場合には脱税を犯したことになる。
こう説明されても、ますます納得がいきません。商取引を正式に認めると言ったって、飲み屋の支払いの際に政府の役人が出張してきて支払い場面に立ち会ってくれるわけではありません。また、領収書に収入印紙を貼ってあったとしても、後でトラブルになった時には国が収めてくれるわけでもありません。結局は当事者間の争いになるだけです。話し合いでも決着がつかず訴訟に発展した場合、ここで最初に支払った印紙代200円が功を奏するかというととんでもありません。訴訟手続きの際には、改めて眼の球が飛び出るほど高い収入印紙添付を要求されます。
つまり、200円の印紙税を収めたところで国は何も保証してくれはしないのです。それにも関わらず納めなければ脱税で処罰されます。国、都道府県の行政は、民間でお金のやりとりがあるとその度に、支払い側からは消費税を、そして受け取り側からは印紙税を労せず、かつまた有無を言わせずむしり取っていくのです。

印紙税というものの起源は17世紀のオランダにあります。1624年に「八十年戦争」の戦費調達のために税務職員が発明したそうです。これは美味しい徴税法だと思い、その後ヨーロッパ各国で導入し、1765年にはまだ植民地時代のアメリカでも導入されました。アメリカがこの印紙税を導入した目的も独立戦争の資金調達であって、もし収入印紙が発明されなければ今のアメリカはなかったかもしれません。
日本でも1873年(明治6年)に導入されました。詳しいことは分かりませんが、この年に我が国で徴兵制が開始されましたから、やはり軍備増強のための財源が欲しかったのではないでしょうか。
消費税率のアップが話題になる今日ですが、この消費税を例にとれば分かるように、税というものはいったん制定されると、厳しくなることはあっても、なくなることはありません。明治初期に導入された印紙税も昭和42年に大改正されて今もあらゆる場面で政府や地方自治体の金蔓になっているのです。
現在日本で発行されている収入印紙は額面1円に始まって最高額10万円までの31種類用意されています。私たちの日常生活では、例の200円以外の印紙を目にすることはめったにありませんし、郵便局に買いに行っても在庫がありません。
一般の商取引においては3万円未満の取引では印紙は免除されます。3万円以上100万円以下の場合に400円を要求されます。私は開業時に医療機器を購入し、その際に受け取った領収書に400円の印紙が貼ってありました。私が目にした最高額は豊島区医師会館建設の際の契約書に張られた10万円のものです。

さらに調べて、手数料としての印紙と消費税に似た印紙があり、取引の種類によって累進率が異なっているということは分かりました。しかしながら、一番根本的な問題、どのような根拠で私たちは印紙税という名の税金を義務付けられているのかが了解できません。
ああでもない、こうでもないと頭を悩ましていましたが、一つの言葉を別な単語に置き換えたところ、これまで胸に滞っていたもやもやが立ちどころに消え去り、すべてが納得できました。その方法とは「日本国」と書いてあるところを「組織暴力団日本組」に置き換えることです。
つまり、印紙税とは「テラ銭」の一つなのです。「自分のショバ内で勝手に商売すんなよ!」、「商売する時にはあがりの一部をこっちに納めろよ!」という理屈です。一方、毎年取り立てられる所得税などは「みかじめ料」と言えましょう。
実際に国家とは最大最強の組織暴力団です。ヤッパやチャカどころではなく、重火器、戦車、戦闘機まで持っているのです。北朝鮮は体裁を構わずに露骨に振舞いすぎですが、先進国とかいったってその本質に変わりはありません。
時の政府与党および行政組織が正規の構成員ですから、天下り禁止だ、行政改革だと行ってみても実現するわけがないのです。代替わりしたとしても組員を食わせる飯の種を私たち素人からとりたてるという構図を変えることはできないのです。
こうして国を暴力団に見立てて世の中の出来事を見つめなおしてみると、税金に止まらず、いままで不可解であった世の中のいろいろな出来事がクリアカットに理解できるのですから何をか言わんやです。

信号待ち寸景

以前のコラムでお話ししたように、私は周辺地域での往診や在宅診療をしています。以前はピザ屋さんが配達に使っているキャノピーという原付三輪車を使用し ていましたが、力がないので坂の多い文京区への往診ではよたよたと頼りありませんでした。それなので、2年前にホンダのフュージョンというスクーターに買 い替えました。
往診は雨だろうが風だろうが、暑かろうが寒かろうが休むわけにまいりません。ですから改造して屋根、ワイパーをつけ、グリップにはヒーターを装着しまし た。事故防止のために色は赤にしました。結果としてかなり目立つへんちくりんな乗り物になりました。
colum01.gif
確かに事故には遭いにくいのでしょうが、あまりにも目立つために困った事態も起きます。
バイク便をやっている人からこう言われます。「先生、3日前の夜8時頃外苑西通りの四谷3丁目辺りを走っていたでしょう」。娘が友人のピザ屋さんからこう 言われます。「お前の親父さん木曜日の午後3時頃癌研通り走ってたよ」。家内から「あんたさっきスーパーで何買ってたの?」。このバイクで移動する限り、 私の行動は衆目監視で丸裸。とても不埒なところへ行くことなどできそうにもありません。

さて、先日このバイクで往診に出かけた時のことです。とある交差点で信号待ちをしている時、何気なく、すぐ脇の電信柱に目をやりますと、この電信柱の根元 の方、地面から30㎝付近のところに一枚のステッカーが貼ってあります。
そのステッカーには綺麗な楷書体で「犬の立ち小便無用」という文字が印刷されているのです。長期間にわたって犬が小便をすることによって鉄製の電柱が腐食 して、倒壊したとの報道を観たことがありますが、この電柱はコンクリート製です。犬の小便ごときで倒壊するとは思えません。「きっと匂いを嫌がっているん だな」と納得しかけました。
だがちょっと待てよ。ふっと違和感が湧きあがりました。そして、もう一度しげしげと見降ろして考え込んでしまったのです。その違和感とはこのステッカーが 貼ってある位置なのです。かなり地面近くであり、明らかに犬の目線なのです。
しかし、字が読めるほど教養のある犬ならば、電柱に小便などしないで公衆便所に行くでしょう。となると読ませようとする対象は犬の飼い主ということになり ます。しかしそうであるならば貼る位置は少なくとも地上1.5m辺りの方が有効ではないのでしょうか。
飼い主は手綱を引いて二足歩行するのが通常です。飼い主が犬と一緒に四つん這いで走っている姿など見かけたことがありません。百歩譲って、犬が臨戦態勢に 入った時に飼い主の目に留まればよしとの判断かもしれませんが、排尿途中の犬を引きずるのは容易ではありません。とあれこれ推理するうちに信号が青に変り ました。

細い路地の奥まで入り込んで御近所を往診していると、時々こんな摩訶不思議な光景に出くわして好奇心をくすぐられることがあります。往診も辛いばかりでは ないのです。

消えた「ノイローゼ」

精神科の用語は、しばしば厳密な定義から外れて、一般的な会話の中で利用されます。たとえば、「妄想」、「依存症」などがよい例です。多くの人と考えを異にする意見を述べると、「それは妄想だよ」と一笑に付されることがあります。また、何か一つのことに凝っている人を「○○依存症」と呼ぶ場面にもよく遭遇します。
このように一般に汎用化される精神科用語のなかで最も頻用される言葉は長らく「ノイローゼ」であったように思います。しかし、最近では「ノイローゼ」に代わって「うつ」が王者の座を占めるようになりました。
一昔前までは、何かくよくよ悩んだり、落ち込んで元気がなかったりすると「あの人ノイローゼじゃないの?」と囁かれたものです。ところが最近では、同じように精神的に不調な人を見かけると、「彼女うつだと思うよ」と言われるようになりました。
この交代劇は当然です。なぜならば、本家本元の精神医学の舞台から「ノイローゼ」という病名が消え去ってしまったのですから。

「ノイローゼ(Neurose)」とはドイツ語で「神経症」のことを指します。英語では「neurosis」です。その人の人格を基礎因子として、いやな出来事や環境の変化によって生じる心身の機能障害を言います。
用語自体は、18世紀に使われ始めましたが、その当時は極めてあいまいで包括的な概念でした。内因性の精神病や、器質的な精神病、てんかんまでもが含められていました。つまり、精神的な不調はすべて含まれていたわけで、その後一般の人が日常会話の中で使っていた「ノイローゼ」に近い概念であったように思います。
その後19世紀末以降、シャルコー(J.W.Charcot)、ジャネ(P.Janet)、フロイト(S.Freud)らによって「心因性」というメカニズムの研究が進んで、厳密な意味での「ノイローゼ」の概念が成立しました。さらに、ノイローゼの治療法を追及していった結果、精神分析という手法が開発されました。
私が自分の精神科医療の拠り所としている森田療法も、わが母校、慈恵医大精神神経科学講座の初代教授であった森田正馬がノイローゼに対する精神療法として考案したものです。
このように、「ノイローゼ」によって、近代精神医学の偉大な発展があったと言っても過言ではありません。
ところが、やがて精神症状の心理学的解釈が過大評価されるようになってしまいました。その結果、統合失調症や狭義の躁うつ病までもが心理学的な機序によってのみ発症し、心理学的なアプローチだけで解決するかのような幻想を抱かせるに至ってしまいました。素人が考えても首を傾げる極端な精神医学が幅を利かせる時代もあったのです。
そんな状況に風穴を開けたのが1950年代に開発されたクロルプロマジンという薬の開発です。この薬によって統合失調症の精神症状が改善するということが証明されてから、精神障害が形而上学的な議論から脳内の化学的神経伝達という生物学的、物質的な研究の場へと移されました。精神医学におけるルネッサンスと言えます。
ところが、人間の営みは極端から極端へと振れるもので、近年は神経伝達物質信奉が行き過ぎた感があります。
私自身、精神障害に対する生物学的なアプローチに期待して若いころは中枢薬理学を研究しました。しかし、くしゃくしゃ頭の自称、脳科学者がなんでもかんでもドパミンだセロトニンだといって単純に解説する姿には甚だ違和感を覚えます。数種類の化学物質を寄せ集めればフランケンシュタインのように、脳が出来上がるかのような幻想を抱かせる危険性を生んでいると思うからです。
こういった流れと並行して、診断法もアメリカ風の操作的な診断法がスタンダードになりました。表面的に現れる症状、徴候をチェックして、それらが幾つ以上あれば○○病であると断じるやり方です。こういう診断法は精神医学の敷居を低くして門戸を開放しました。つまり、患者観察の熟練した技術のない者でも、いちおうの診断名に辿り着くことができます。極端にいえば、ずぶの素人でも「○○性障害」、「✕✕性障害」という一見難しそうな病名を振りかざして議論できるのです。今、おおはやりの自己診断表というチェックリストによる診断がその悪しき産物です。
説明責任といって、全く基礎知識のない人ができるように、何でも簡単に説明されてしかるべきとの風潮がありますが、単純でないものはそれほど簡単に説明できるわけがありません。それができているように思わされた場合は、とても本質的なことが省略あるいはごまかされていると考えるべきでしょう。

精神医学における、生物学的研究の発達と操作的な診断法の台頭は精神科医の診断技能の低下と、精神療法的な治療技能の低下をもたらしました。
DSM-Ⅲの登場以来、精神科診断名から「ノイローゼ」という名前が消えてしまい、気分障害や不安性障害や人格障害などのグループに振り分けられました。
このことによって、患者さんの生活歴や性格傾向に対する深い考察なしに、表面的な症状に対して投薬をするだけの精神科医療になりつつあります。雨後の筍のように増加するメンタル系のクリニックがそのことをよく象徴しているのではないでしょうか。

しかし今でも、ノイローゼとして理解した方がよい患者さんは厳然として数多く存在します。むしろ以前よりも増えているように思います。そのことが、新しい向精神薬が次々と開発されるにもかかわらず、かえって精神障害が治りにくくなっていることの原因の一つかもしれません。
今一度、「ノイローゼ」という概念に立ち戻って、患者さんを見直して、精神療法的なアプローチに力を注ぐ必要があるのではないかと考えます。
クリニック西川
〒170-0005 東京都豊島区南大塚1-18-2 作田ビル1F
TEL:03-5395-0721 FAX:03-5395-0722
Copyright(C)クリニック西川. All Rights Reserved.
【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】