感情には気分の他に感覚感情(単純感情)、情動、熱情、情操(高等感情)といった種類があります。感覚感情は本能的な反応で、快か不快かです。情動は激しくて身体表現と深く結び付いていますが持続は短くて一時的な感情です。喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどと表現されます。熱情とは知的な要素を持って長く持続する感情で、恋愛への熱情、発明への熱情、学問への熱情、政治への熱情などが知られています。情操は真・善・美の観念に伴う高等感情で、美的情操、道徳的情操、知的情操といったもので、教育によって成長します。
こういった感情機能の中でなぜ気分だけが「○○情」あるいは「情○○」と呼ばれずに「気分」と命名されたのでしょうか。そもそも「気」とは何なのでしょうか。
「気」は広辞苑によると「天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その動き。」、「万物が生じずる根元。」、生命の原動力となる勢い。活力の源。」、「はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。」とあり、その上で「心の動き・状態・働きを包括的に表す語。」とあります。何やら分かったような分からない形而上的な概念です。私は、遍く時空に存在するエネルギーの一種と理解しています。
実際に「気」は多くの事象を説明する用語の中に使われています。「大気」、「空気」、「気候」、「気象」、「天気」、「電気」、「霊気」などなどです。心の領域の「気」に関しても「元気」、「呑気」、「気合」、「気品」、「気韻」、「意気」、「陽気」、「陰気」、「気概」、・・・・・・・・。その気の動きとしては「気にする」、「気付く」、「気負う」、「気がある」、「気掛かり」、「気が利く」、「気を静める」、「気が散る」、「気が短い」、「気とそそる」、「気を揉む」、「気まずい」、「気が合う」、「気が置けない」、「気が進まない」、「気が済む」、「気が急く」、「気が強い」、「気が詰まる」、「気が咎める」、「気が乗る」、「気が張る」、「気が早い」、「気が晴れる」、「気が引ける」、「気が紛れる」、「気が回る」、「気が揉める」、「気が休まる」、「気に食わない」、「気に障る」、「気の留める」、「気を奪われる」、「気を配る」、「気を吐く」などがあります。
こうしてみると、宇宙の様々な事象、私たちの心の事象の多くが、この「気」
に関連していることがお分かりになると思います。アインシュタイン以前の物理学の世界で宇宙を満たしていると考えられていた「エーテル」のような概念ではないかと考えます。
こう考えると、やや飛躍ではありますが、私たちの心の「気分」は宇宙に満ち満ちている「気」の一部を分けてもらったものと解釈できます。実際に、ずっと以前に書いたコラム「星の王子様」で述べたように、私たちの身体を構成する原子は、何億、何十億年も前に超新星爆発で一生を終えた恒星の一部からできています。目に見える身体も宇宙の一部なのですから、心的エネルギーが宇宙のエネルギーと密接に関係していても不思議ではありません。
先人たちの洞察力の鋭さは畏るべしです。宇宙エネルギーとの関連はともかく、「気分」は自分のもののように感じられるけれど、本当は自分の思い通りにコントロールできるものではないことを看破しているからです。
事実、気分は感覚感情や情動よりは高等で複雑な機能ですが、熱情や情操のように自分の意思の管理下にはありません。
だから、気分障害に陥った時には、静養と治療を受けて、後は枯渇した「気」が自分の内に満ちてくるのを待つしかありません。宇宙からおすそ分けしてもらったエネルギーののですから、むりやり「気」を高めようとしても無理というものです。
ですから、うつ病で悩んでいる人に対して訳知り顔で「そんなものは気のもちよう」などと無責任で頓珍漢なアドバイスをしないでください。
隣国、中国との関係が俄然、きな臭くなってきました。私たち日本人にとってみれば「強引に我が国の領海を侵犯して、さらに海上保安庁の船を損傷しておきながら、武力、資源力、経済力を盾に横車を押して通した」、「それに屈した日本政府の弱腰にさらに乗じて、嵩にかかって謝罪と賠償を要求して東シナ海の領有を既成事実化しようとしている」、盗人猛々しい態度にしか映りません。
毛沢東と言うカリスマ指導者がいない今、中国は一人の英雄による独断政治ではなくエリート集団による官僚政治になっています。したがって、国内外のあらゆる案件に対して中長期的な戦略を立てて、それにのっとった戦術を展開しています。今回の事件も東シナ海、南シナ海への拡大路線の一環として行われたものです。
だから、今回の一軒は確かに降って湧いたような事件でしたが、偶発的な事件ではありません。かねてより中国は同地域の領有権を主張して、着々と海軍力を拡大してきていました。今回の事態は、起こるべくして起こったことです。したがって、私は中国の暴挙に対しての怒りよりも、今の今までこういう事態に対する対処法を準備してこなかった我が国政府の無能ぶりに落胆しています。 日本の指導者たちに長期的なビジョンが全くないという悲劇の象徴的出来事と言えましょう。
さらに、長らく我が国を属国として扱ってきた米国の今回の無関心さをちっとも非難しないマスコミ主導の世論に憤慨しています。中国が世界の大消費家となり、レアアースを独占するようになった今、米国は中国にもの申すことができず、むしろ顔色を伺っているのですから当然と言えば当然かもしれませんが、今回、米国は洞ヶ峠を決め込んで、なんら有効な対応をしてくれませんでした。
いい面の皮は、これまで営々と紙くず同然のドルを買い支えさせられ、何かにつけて貢物を続けてきた我が国です。今回の事件で日本は米国にとって、用なし派遣切り社員であることを深く自覚すべきです。これは極めて由々しき問題であるのに、この観点からの論評がほとんどされないのは大手マスコミが米国の支配下にあるためです。
今回の中国の行動はいかにも野蛮で文明国にふさわしくないと感じる方が多いと思いますが、果たして中国だけの問題でしょうか。そんなことはありません。第二次世界大戦以降、米国、ソ連が、それ以前は英国が世界中の国々に対して行ってきた行為なのです。
米国がカリブ海沿岸諸国に対して行ってきた行為を見れば、これから先、中国が東シナ海沿岸諸国に対して行おうとすることが容易に想像できるというものです。
大英帝国以前の世界史をひも解いても、その時代その時代の覇者はみな、周辺国に対して朝貢を強い、さらなる領土の拡大に勢力を注いできました。先例に学べば、そういう態度こそが衰退を招くということが分かるはずなのに、拡大主義を止めることはできませんでした。
さて先週、私たちの頭の中に住んでいる天邪鬼についてお話ししました。この鬼のおかげで私たちはしなくてもよい苦労を背負いこんでしまいます。ところが、私たちの頭の中には天邪鬼なんかよりももっと強力で凶悪な鬼が棲んでいるのです。それは餓鬼です。
餓鬼とは仏教界における存在で、餓鬼道に生まれ変わった亡者、強欲な死者を言います。ところが、大乗仏教では今生において強欲で嫉妬深く物惜しく、常に貪りの心や行為をする人の精神構造をも指すのです。
餓鬼には様々なタイプがあり、ある経典によると36種類にも分類されています。これらの説明はあまりに膨大になるので省略しますが、大きく分けると3種類に分けられます。この中の多財餓鬼こそ、まさに多くの人類、就中、先ほど来述べてきた覇者にとりついている鬼だと思います。
多財餓鬼とは富裕で富を得るのに、どんなに贅沢をしても満足しない鬼です。昼夜逆転した生活をして、平気で人に嘘を吐き、人のものを略奪する。正しいことを言う人を遠ざけておべんちゃらを言う人間だけを周りに集める。人にもを分け与えることをしないで、安物に法外な値段をつけて暴利を貪る。権力者にとりいって、自分の利益のためならば平気で他人を無辜の罪に陥れる。その対象は赤の他人にとどまらず、親、配偶者、子供にも及ぶ。
どうでしょうか、昨今の世情を見直してみると私たちの周囲はこのような人々で溢れているのではないですか。その欲望は止まることを知りません。こういう人々が集まった集団、国家も同じように満ちることのない欲望の塊です。
しかし、このブレーキの壊れた欲望の暴走列車に乗っている人たちはこのように自己弁護するでしょう。「批判は努力しない者の戯言だ。」「努力した者が発展することのどこがいけないのだ。」と。
見方を変えれば餓鬼の精神は「明日は今日よりよくありたい」という向上心とも言えます。進歩、発展、改革、革新、勝利とも密接に関係しているでしょう。そうです、現在よいとされている概念はみな餓鬼道と裏腹の関係にあります。そして、こういった目的の行動をとることが、人間が他の動物と決定的に異なる点です。つまり、もっとも人間らしい特性(業《ごう》)と言えましょう。
そしてこの業を具現化したのが資本主義ではないでしょうが。
富が富を生み、右肩上がりの発展を目指す。利益追求が善であり、貧者は悪しき敗者。
こんなことを書いていると私が共産主義者ではないかと疑われるでしょうが、決してそうではありません。完全に平等な社会はあり得ないと思っています。なぜならば人は生まれた時から不平等だからです。背の高い人、低い人。知能の高い人、低い人。すべてが平等などとは絵に描いた餅です。この世はすべて不平等です。
それに努力した者がしない者よりも報われるのは当然だと思っています。しかし、人間は一体どこで満足するのでしょうか。小さく限りある地球と言う惑星の上で資本主義をどこまでも追及することは不可能であることは自明の理です。そんなことに気付かないのは私たちが完全に餓鬼の支配下に置かれているからでしょう。
天邪鬼と違って、餓鬼に対して褒め言葉は禁物です。どこまでも付け上がってしまいます。心の中からこの鬼を駆逐することはできないかもしれませんが、この鬼の下僕にだけはならないように頑張りましょう。
中国には是非とも「知足安分」という貴国の言葉を思い出してほしいものです。