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クリニック西川

2010年12月

一家相伝

先週のコラムで市川海老蔵の傷害事件騒動についてお話ししました。今でもこの話題は絶えることがありませんが、海老蔵に批判的な意見を語るコメンテーターの発言や、私が直接耳にする意見の中に気にかかることがあります。それは海老蔵が世襲の恩恵を受けたボンボンだからだめな人間だという要旨の発言が少なくないことです。
コラムをお読みの方は分かると思いますが、私は事件後の海老蔵の言動に対してよろしくないと言いました。しかし、彼が梨園の御曹司であることを非難するものではありません。むしろ歌舞伎役者の跡取りらしく振舞い続けて欲しいと願うからこそ、先のコラムを書いたのです。
それに、傷害事件と世襲とは直接の因果関係はないと思うのですが、彼らの糾弾は事件そのものから離れて世襲制の糾弾にそれているのです。「その家に生まれなければどんなに努力しても成功しないシステムは不公平でよくない。」とか「誰もが努力すれば認められる自由競争が成り立つ世界でなければいけない。」といった具合にです。何のことはない世襲に対するたんなるやっかみです。

世襲とはその家の地位、財産、職業などを子孫が代々受け継ぐことです。最近、この世襲が取りざたされたのは国会議員に関してでした。小泉元首相が自分の引退と引き換えに次男、進次郎を自分の地盤の後任にごり押ししたことで大いに批判されました。小泉だけではありません。いまや、自民党国会議員の4割が世襲議員というありさまです。
私は議員の世襲には大反対です。なぜならば、私たち国民の生存を預ける政治家はその時代においてもっとも有能な人物になってもらわなければ困るからであります。それに何よりも政治家は職業であってはならないと思います。それぞれがよって立つ本来の仕事をもち、その領域で一定の成果を上げた人物に政治を任せるべきではないでしょうか。
小泉のように生まれてから一度も生業と呼べる仕事に就いたことがなく、政治をすることで喰っている者は政治家とは言わず、政治屋と呼ぶべきです。小泉は政権を担当していた5年余りの間に13億近くの蓄財をしたと聞いております。政治屋の大成功例でしょう。
しかし、政治をすると儲かるということは極めて異常なことではないでしょうか。それは贈賄、口利きが罷り通っていることに他ならないからです。本来、政治とはそれまでの生活を犠牲にして、己を国民のためにささげるという崇高な理念の元に行われなければならないものです。
私がもっとも尊敬する政治家の田中正造は名主の家に生まれながら、投獄もされてすべてを失い、足尾の人々のために一生を捧げました。戦後の自民党で活躍した藤山愛一郎はコンツェルンの跡取りとして生まれながら政治に力を注いで最後にはほとんどの財産を失い、最後の緯度塀政治家と呼ばれました。
井戸塀政治家とは、昔は「政治に手を出したら稼業は傾き、何もかも失って、どんなに金持ちでも最後は井戸と塀しか残らない」と言われたことによります。何も井戸塀しか残らなければいけないとは言いませんが、政治が美味しい商売であることは絶対に許されてはいけないと考えます。
しかし、同じく世襲といっても先祖代々、子孫が一つの仕事を継ぐということはそれほどいけないことなのでしょうか。私は必ずしもそうとは思いません。
海老蔵の場合には、今現在歌舞伎役者がもてはやされる時代だから、「たまたま市川家に生まれただけでいい思いしやがって」という妬みが生まれるのだと思います。これが、潰れかけた町工場の跡取りであったらそんな批判は受けなかったのではないでしょうか。
昔は親の仕事を子が継ぐという世襲はごく普通の社会システムでした。大工の子は大工、刀鍛冶の子は刀鍛冶。多くの職業が一家相伝とされてきました。歌舞伎や舞踊などの芸事、剣術や柔術などの武術も一家相伝されてきました。もっとも一般的で代表的な世襲は農業でありました。先祖代々の田畑と耕筰手法を子々孫々受け継いできたのです。
この世襲が守られているならば、今のような農業従事者の高齢化を招くことはなく、将来の食糧問題ももう少し明るかったのではないでしょうか。ところが、多くの人が農業はつらいばかりで収入が低い、都会に出て働いた方が良い暮らしができると考えて農業の世襲を放棄したのです。

友人から聞いた話ですが、例外はありますが、ほとんどの分野において一つの仕事が隆盛を保てるのは長くて30年だそうです。時代の変化、技術の革新に伴って美味しい職業はめまぐるしいスピードで変わっていきます。
私のクリニックに開業当時から受診されている一人の男性がいます。その方は写真製版の技術者です。開業当時は、あまりに忙しいために健康を害して、私のところにいらっしゃいました。20年たった今、彼は仕事がなく、明日の生活に不安を抱えて受診されています。
世襲制は封建社会の悪弊とされていますが、私は、一家相伝とは一つの技術を絶えることなく後世に伝えていくための重要なシステムであったのではないかと思うのです。
皆が、その時代、その時代に脚光を浴びている職業に殺到していては技術の継承はされません。たまたまもてはやされる時には掃いて捨てるほどの人が殺到しても、時代が変わって努力が報われない不遇の時になれば蜘蛛の子を散らすように人が去ってしまいます。どんな時代にも少なくとも一家に一人は後を継ぐならば技術や芸は絶えることがありません。
先ほどの友人がこうも言います。「皆がやりたがる仕事は早晩ダメになるね。人が見向きもしないことをやっているほうが成功するよ。」
一度、見捨てられた仕事もいつの日か再び世の中から要求されて脚光を浴びる日がくるかもしれません。その時に貴重な技術が絶えてしまっていてはどうしようもないのです。
妬み心を捨て、長い歴史的観点から、今一度「一家相伝」の効用を考え直してみてはいかがでしょうか。

今年一年お付き合いくださいましてありがとうございました。先の見えない不景気に加えて近隣諸国との関係がきな臭くなってまいりましたが、来年が佳い年になるように心から祈念いたします。

傾奇者(かぶきもの)男を下げる

このところ市川海老蔵の傷害事件がスポーツ新聞、週刊誌、ワイドショーを賑わしています。市川家(成田屋)は歌舞伎の市川流の家元であり、市川一門の宗家でもあります。
初代市川団十郎は江戸、元禄年間に活躍した役者で、歌舞伎に荒事*1芸を導入した人物です。海老蔵の父親は第12代目に当たり、実に350年も続く梨園の名家なのです。
市川家では海老蔵がやがて団十郎を襲名することになっていますから、彼は近い将来第13代団十郎となる男です。しかも、最近の役者の中でも特に二枚目の呼び声が高く、人気も抜群で最近の歌舞伎ブームの立役者でした。
これからの歌舞伎を背負うであろうその男が、仕事をすっぽかして明け方まで飲み呆けた挙句に傷害事件に巻き込まれて、役者の命である顔面に大怪我を負ったというのが、今回の事件のあらましです。
事件のあった場所、事件に関与した者はほどなく分かりましたが、ことの成り行きがいっこうに明らかにならないために、この事件はいつまでもマスコミの格好の材料でした。つまり、海老蔵が暴走族上がりのチンピラに一方的な暴行を受けたのか、はたまた海老蔵が先に彼らに乱暴を働いた結果、報復を受けたのか、関係者の主張が分かれたために騒ぎがいつまでも鎮まらなかったのです。
海老蔵が被害届を出したために、相手側の加害者とされる人物への逮捕状が出されました。すんなりと逮捕されて事情聴取が行われれば真相がはっきりするはずでしたが、警察がいつまでたっても強制逮捕に踏み切らなかったために、話はややこしくなりました。
そこへ持ってきて、海老蔵側がが事態収拾のために開いた記者会見がさらに混乱に拍車をかけてしまいました。それまでの海老蔵像とはかけ離れた、お公家さん顔の海老蔵が無表情で、自分は一方的な被害者であると強調したからです。
あまりにもとり作られたお利口な対応ぶりは、海老蔵側の思惑とは反対に多くの人々に海老蔵の主張に対する疑惑を増大させる結果となってしまいました。因みに、記者会見の映像を見た小学生の大半が「あの人嘘ついてる」と言ったそうです。
「酔った勢いで私も粗暴な行為があったかもしれません。世間をお騒がせして誠に申し訳ありませんでした。」と、素直に自分の非を認めてしまえば、「さすが海老蔵。伊達男。」とかえって評判を上げたと思うのですが、あのお公家さん顔は何ともいただけません。
あのような小賢しい演出に走ったのは、海老蔵自身が「俺は将来人間国宝になる」と口にしていたことに象徴される、勘違いによるものではないでしょうか。歌舞伎役者は地位も名誉もある、下々とは一段も二段も違う高いところに住む人間だという勘違いです。

歌舞伎は1603年(慶長8年)に出雲阿国(いづものおくに)が傾奇者(かぶきもの)の風俗を取り入れたかぶき踊りを京都で行ったのが起源とされています。傾奇者とは戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮です。特に慶長から寛永年間(1596~1643)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した、異風を好み、派手な身なりをして、常軌を逸脱した行動に走る者たちのことを言いました。
当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だったのですが、傾奇者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好みました。
多くは徒党を組んで行動し、飲食代を踏み倒したり因縁をふっかけて金品を奪ったり、家屋の硝子を割り金品を強奪するなどの乱暴・狼藉をしばしば働きました。
また、辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行って、衆道や喫煙の風俗とも密接に関わっていました。こうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の表現としての意味合いがあったそうです。
傾奇者たちは乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいました。多くは身分の低い町人や武家奉公人の若者でした。やがて、幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなって傾奇者は姿を消していきますが、その行動様式は侠客と呼ばれていた無頼漢たちに、そしてその美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれたのです。

海老蔵は新之助時代から天衣無縫な言動で知られていました。目上の者に不遜な言葉を吐き、当たるを幸い美女を籠絡して、妊娠させても「ああそうですか」と空とぼけた態度。今回問題視されている酒の上の悪行だって今に始まったことではなく、業界では酒乱で名が通っています。一方、舞台の上では目の肥えた歌舞伎ファンを唸らせるほどの天分を持っています。いいにつけ、悪いにつけ、まさに「傾奇者」の真骨頂を発揮していたのです。
一方の、加害者とされる男たち、元暴走族の無頼漢で、六本木界隈を根城に組織暴力団以上の暴れぶりをしていたグループの男たちです。暴走族はおそろいの出で立ちでバイクを改造して、大音響で徒党を組んで街を走る。こちらも市民から嫌われようが、警察から追われようが、とにかく目立ちたいわけで、こちらも立派な傾奇者です。

つまり、今回の騒動は傾奇者同士が酒の上で喧嘩したというだけの話であって、警察に被害届を出して、逮捕云々の話ではないのです。お互いに仲介者の元に話し合って、適当な落とし所でかたをつければよかったのだと思います。
ところが海老蔵側が自分を人間国宝だとか梨園だとか勘違いして、突然お公家さんに変身しようとしたから大騒ぎになっただけのことです。
私は、海老蔵は今回の対応で大いに男を下げたと思います。傾奇者失格です。一方、伊藤リオンたちは大いに傾いて見せて、ある意味男を上げたのではないでしょうか。
本来、芸人は昔から河原乞食と呼ばれ、どんなに芸に秀でていようが所詮決して高貴な職業とは言えないのです。それなのに、自分の口から「国宝」なんて言葉を吐くまでに彼を勘違いさせてしまった責任は世間にもあるように思います。世間が歌舞伎をいつの間にか河原から雲の上に祭り上げてしまったからです。
人格者でお公家さんの海老蔵を観るよりも、いつまでも傾奇者の海老蔵を観ていたいと思うのは私だけでしょうか。
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*1:荒事:超人的な力を持つ勇者。多くは勇猛粗暴な性格の持ち主として描かれ、非現実的な霊力によって悪人を退治する江戸歌舞伎独特の役柄。出し物としては「暫」、「鳴神」、「勧進帳」などがある。市川家に継承されている。

有名無実の国勢調査

今年は10月に国勢調査が行われました。国勢調査とは統計法という法律に基づいて国(総務省)が行う我が国に居住する人全員に対する大規模調査です。ある時点における人口、性別、年齢、家族構成、就業実態などの人口及び世帯に関する実情を把握するための調査、分析です。また、その他多くの調査が母集団の一部を抽出して行う標本調査であるのに対して、この調査は母集団全数を対象として調査する全数調査です。
この調査の解析結果は我が国の今後の政策の方向を決定する際の重要な指標となります。具体的な役割は以下の4つがあります。
1.    公共政策における公平性の確保及びコンセンサスを形成する。
2.    国の統計体系における中核となる。
3.    市町村あるいはそれ以下の地域レベルに関する詳細な統計を得る。
4.    各種の研究や分析における基礎資料となる。
さらには、世界レベルでの政策決定にも各国での国勢調査はとても重要な資料を提供してくれます。このために国連が各国の国勢調査のあり方を以下のように勧告しています。
1.    調査対象を個別に把握すること。
2.    国土の範囲を網羅していること。
3.    調査が同一時点で実施されること。
4.    定められた周期で調査が実施されること。
具体的には
1.    住民を対象に、調査が実際に行われる。したがって、住民台帳など他の資料を集計した業務統計は含まれない。
2.    ある地域に住む人全員を対象にすること。
3.    調査票を用い、調査対象である住民が自ら答えること。
4.    記入内容は、氏名を含む個人の属性情報を記載すること。
5.    「うちの町は全部で○○人」といった単なる計数調査にしないこと。
6.    調査エリアごとに調査員を派遣し、回答結果のチェックや回収を行うこと。
7.    「○月○日時点での情報」といったように、調査時点を定めること。
8.    規則的に実施されること。
でなければならないと考えられています。
一方、国民、いや日本国内に居住する人すべてにもこの調査に回答する義務があります。前記の統計法第19条には、「申告をせず、又は虚偽の申告をした者、申告を妨げた者に対して、6か月以下の懲役もしくは禁錮または10万円以下の罰金に処す」と規定されています(実際には戦後一度もこの条文が適用されて処罰を受けた者はいませんが)。このように、国勢調査は我々にとっても国にとっても極めて重要な業務なのです。
労力も費用もかかるために毎年行うことは難しいので我が国では下一桁が0と5が付く年に5年に一度行われます。総務省の事業といっても、実際に調査に当たるのは各市区町村です。市区町村は国勢調査だからといって通常の業務を休むわけにはいきませんから、地方自治体は5年に一度の10月はとても忙しくなります。今年も市区町村職員は猫の手も借りたいほどの騒ぎだったようです。
ところが、今年はその忙しさの内容がこれまでとは様変わりしたようです。職員たちが残業して奮戦したのは未回収の調査票へ住民代表から必要事項を書き写す作業だったのです。先ほど述べたように、公正調査においてもっともやってはならない禁じ手です。
なぜ、このような不正が行われるようになったかというと、今回調査方法が変更になったからです。5年前までの国勢調査では調査票の配布、回収は調査員が各戸を訪れて行っていたのですが、今回から回収はインターネットを介しても、郵送でもよくなりました。
この変更は回収率の向上が目的とされていますが、本当は人件費の削減を目論んだものと考えられます。なぜならば、以前は調査員が回収に赴いた時に留守であった場合には再度日を改めて訪問したり、調査票を回収時にチェックして未記入事項はその場で記入してもらったり、分かりにくいところは説明しながら記入してもらっていました。したがって、回収率はかなり高かったですし調査内容もより正確でした。
ところが、インターネットによる回答と郵送を認めて、調査員による再訪問を止めてしまったために実際の回収率は大幅に低下してしまいました。こんなことは初めから予想されたことです。誰だって、忙しい中、七面倒くさい調査票記入なんかしたくないのです。調査員が何度も訪ねてくるからなんとか書き込んで出していた人は少なくありません。いくら義務だといても実際に処罰されないのですから、催促する人がいなければそのまま放置あるいは廃棄してしまう人が出るのは当たりまえです。
その危惧は現実のものとなりました。今年の本当の回収率は大幅に低下しました。外国人が多数住む都市部ではこの傾向が顕著でした。こういう事態を想定していた総務省は市区町村に未回収分については住民基本台帳を転記せよとの暗黙の指令を出していました(総務省は口が裂けても認めないでしょうが)。
来春以降、今回の調査結果が発表されますが、住民基本台帳を移しているのですから、表向きには高い回収率を示すことは言うまでもありません。しかし、それでは就業状況など国勢調査の目的である日本在住者の現実の姿を把握することは不可能です。住民台帳を写して済むのであれば、何も改めて国勢調査などする意味がありません。今回の国勢調査は有名無実の典型と言えます。
緊縮財政の最中、国勢調査にお金をかけられないというのであれば、7年に一度にすればよいのです。回数は少なくても内容のある調査をするべきではないでしょうか。
仕分け作業を見ていても、形だけで中身のない事業が多いことに驚かされます。官僚の皆さまは難しい試験を突破したのだから優秀な頭脳を持っているはずです。その頭脳を、予算獲得と形式を整えることに小ずる賢く使うのでなく、各政策の中身を充実させるために活用してくれるならば、現在我が国が抱えている問題の多くが解決するのではないでしょうか。
自分たちも、自分の子孫も国民の一人であることを忘れずに、国政にあたることを切に望むところです。

戦争を知らない子供たち

先日、友人たちとの会食の2次会でいったパブは、電子ピアノが置いてあり、ピアニストである初老のマスターの生伴奏で歌うことができる、今時珍しい昔ながらのスタイルの店でした。
ちょうど、その日はマスターの友人と思わしきギタリストのお客が来ていて、二人で何でも伴奏をしてくれました。私たちの一群も私を除けば30代がほとんどだったのですが、店の昭和の雰囲気に酔わされて、いきおいマスターやギターのおじさんのレパートリーに合わせて懐かしい曲を歌うことになりました。 そしてフォークギターのストローク奏法を耳にするうちに、私が急に歌いたくなったのが「戦争を知らない子供たち」でした。
この歌は、フォーククルセダーズの北山修が作詞、杉田次郎作曲の1970~1971年のヒット曲です。杉田はこの歌で第13回日本レコード大賞新人賞を、北山は作詞賞を受賞しました。

戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

若すぎるからと 許されないなら
髪の毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕日が 輝く小道を
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
戦争を知らない 子供たちさ

戦後からの復興の兆しが見え始めた昭和25年に生まれた私は、まさに「戦争を知らない子」です。物心ついて以来、日本経済は右肩上がりの発展を遂げて、我が家の生活も日を追うごとに豊かになっていきました。
1964年には東京オリンピックが開催され、この歌が発表された1970年には大阪で日本万国博覧会(大阪万博)が大盛況を博し、誰もが平和と繁栄を享受し、明るい未来を信じていた時でした。当時20歳であった私も、この歌詞の通り、髪を長くして(僧侶と間違われる今の私のヘアスタイルからは想像できないでしょうが)ベルボトムのカラージーンズを穿いて能天気に町をふらついていたものです。
ところが、海外に目を移せばベトナムではアメリカとベトナム軍との戦いが泥沼化して、南ベトナム、アメリカ連合軍が隣国カンボジアにまで侵攻するに至っていました。そもそも、我が国の戦後復興の最大のきっかけは朝鮮戦争によって起きた軍需景気でした。南、北朝鮮の血みどろの戦いを対岸の火事として得た漁夫の利です。ベトナム戦争においても、極東米軍の増強によって我が国経済は大いに潤っていました。皮肉なことに、いつの時代でも戦争は周辺の経済を発展させるのです。

「戦争を知らない子供たち」の歌詞のもつメッセージについては意見が分かれるところです。反戦歌という意見もあれば、戦争を経験した世代に対する若者の反抗の歌だという者もいます。しかし、作詞者の北山が所属したフォーククルセダーズが2年前に日本語訳詞の反戦歌「イムジン河」*を歌っていたことを考えると、「戦争を知らない子供たち」も反戦歌であったと考えるべきでしょう。
しかし、私を含めてこの歌を口ずさんだ多くの若者にとっての反戦は、絶対に落ちることのない高みから叫んでいた反戦であったように思います。やはり、戦争を知らない子だったのです。
あれから40年、世界各地では戦乱が絶えなかったものの、我が国はバブルだ、バブル崩壊だと、経済面では紆余曲折があったものの、戦争とは無縁の平和な日々を享受してきました。
私も、戦争を知らないおじさんを経て、いつの間にか戦争を知らない爺さんです。どうやらこのまま、戦争を知らない世代として一生を終えるのかと思っていた矢先、何やら急に我が国の周辺がきな臭くなってきました。
北朝鮮軍が韓国ヨンピョン島へ砲撃を加えて民間人を含む4名の死者を出しました。南北朝鮮の関係は金大中元大統領の太陽政策でいったんは急接近したものの、その後は核開発など、度重なる乱暴で敵対的な行動によって再び冷えこんでいましたが、今回の事件で休戦以来最悪の緊張状態となってしまいました。
日本人は「口では大変なことになった」と言いながらも、北朝鮮のいつもの瀬戸際外交の一環に過ぎないし、万が一休戦状態が破られたとしても、我が国には直接的な被害はないと高をくくっているようです。当初ワイドショーではヨンピョン島関連の報道をしていましたが、数日後には市川海老蔵傷害事件にとって代わられました。しかし、海老蔵の曲がった鼻が治るかどうかなどという瑣末な問題と同等に扱っていてよい程度の危機ではないのです。
確かにヨンピョン島砲撃がそのままエスカレートして全面戦争再開につながることはないでしょう。しかし、この事件で韓国は対北政策の方向を大転換しました。一方、北朝鮮も、国内外で批判にさらされている3代目の世襲を成し遂げるためには、決して弱腰な態度を見せることができません。
お互いが抜き差しならないチキンレースのスタートを切ってしまったのです。その先にあるゴールが全面戦争であることは言うまでもありません。再戦の危険性は臨界点に近づいたと言えます。
そしてもし朝鮮戦争再開となった場合、今回は先の休戦前とは違って、我が国が対岸の火事見物とはいかないのです。なぜならば、1950年代と違って、今の北朝鮮はミサイルと核弾頭を保有しています。そして、その照準は多くの米軍基地を抱える我が国にも照準が合わされているからです。
さらに、北朝鮮の覚悟次第では、我が国に潜入している工作員による一斉蜂起が考えられます。その際には原子力発電所の破壊・暴走および化学兵器、細菌兵器による都市部での無差別テロなどがもっとも懸念されるところです。
ビデオ一編の放映ですら決めかねるような今の無能な政府が今の危機状況を乗り切るだけの対応策をとっているとは思えません。甚だ心配なところです。菅さん、仙石さん、そして高額な生涯収入を得る官僚の皆さん、私たちの世代だけでなく、子供、孫の世代も戦争を知らない世代であり続けるために、幼稚な政治ごっこから卒業して、どうぞ真剣に防衛、外交に当たってください。
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*イムジン河」:イムジン河(いむじんがわ、原題:臨津江〈朝: 림진강、あるいは 임진강〉)は、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)の楽曲。作曲は高宗漢 (고종한)、作詞は朴世永 (박세영)。1957年7月発表。日本ではフォーククルセダーズが日本語訳詞で歌い、大ヒット曲となる。
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