認知症の古典的な定義には「非可逆的な病態」とあります。つまり、認知症は治らないと言っているのです。確かに認知症の中核であるアルツハイマー型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などは未だに元通りに直してしまう治療法が見つかっていません。
実際にこれまで唯一の認知症治療薬であったドネペジル(商品名:アリセプト)はあくまでも進行を遅らせる効果しかありませんでした。もうすぐ3つの新しい治療薬が発売されますが、いずれも根本治療を期待することはできません。依然として進行を遅らせることと随伴症状の改善が期待できるに止まります。
ですから、お年寄りにもの忘れが多くなり、失くし物、探し物が多くなり、とんちんかんな発言が目立ってくると、認知症だからもうどうしようもないと思われてしまいがちです。
このように、中核的な認知症治療の現状は未だ明るいとは言えませんが、治る認知症もあるのです。甲状腺機能低下症、正常圧水等症、慢性硬膜下血腫、ある種の脳腫瘍等々です。こういった疾患を認知症と呼ぶか、認知症と鑑別して除外すべき疾患と呼ぶかは議論のあるところでしょう。
いずれにせよ、一見すると認知症として諦められてしまうような病態の中に適切な治療をすれば、元気な状態に戻ることができる病気が隠されているということはもっと啓蒙されなければなりません。
こういう認知症もどきの中に「ウェルニッケ脳症」があります。この病気はドイツの精神神経科医、カール・ウェルニッケ(Carl Wernicke《1848~1905》)によって1881年に記載されて、ウェルニッケ脳炎とか急性上部出血性灰白質炎と呼ばれていた病気です。
ウェルニッケは言葉の意味を理解することができない失語症の研究から、感覚性言語中枢を発見して、言語機能ひいては脳神経科学の発展に大いなる業績を残した人物でもあります。
当初は脳炎として捉えられていましたが、実際には感染性の炎症ではありませんでした。病理学的には中脳および間脳に壊死巣、小出血巣、血管増生、グリア細胞の増生が見られます。特に、乳頭体、第3脳室、第4脳室、中脳水道、四丘体、動眼神経核が高度におかされます。
このために眼球を外側に動かすことができなくなって寄り目になる眼球運動障害や、歩行が不安定になって千鳥足で何かにつかまらないと歩けない運動失調などが認められます。このような身体症状の他に、ものを覚えられなくなると同時に一度覚えた記憶を忘れてしまう。場所や時間が分からなくなる。実際になかったことをあたかも現実の出来事のように思いこんで話をする作話などの精神症状が見られます。
よく観察すると意識障害が存在することが多いのですが、誰でも分かる昏睡ほど重度の意識障害でなく、もうろう状態にとどまることが少なくありません。なんとなくボーっとして、呼びかけには答えるけれど、すぐにとんちんかんな言動になるといったごく軽度の意識障害はよほど訓練された医師でないと見逃してしまいます。
その結果、身体症状が目立たないウェルニッケ脳症はしばしばうつ状態や認知症と間違われます。しかし、この病気の原因はビタミンB1の欠乏なので、ビタミンB1を補給してあげれば治ります。
ビタミンB1が欠乏する原因には慢性胃炎や胃切除によって吸収できない場合、つわりがひどくて食事が取れない時、貧血などがありますが、もっとも多いのはアルコール依存症です。
アルコールが分解してエネルギーに変わる際にビタミンB1を大量に消費します。一方、アルコールはビタミンB1の吸収を抑制しますから、年がら年中アルコール浸りの依存症患者はビタミンB1欠乏に陥らざるを得ないのです。ウェルニッケ脳症と言えばまずはアルコールの乱用を疑った方がよいでしょう。
私はアルコール依存症以外に高齢者、特に一人暮らしの高齢者にはウェルニッケ脳症になる危険性が大だと考えます。なぜならばビタミンB1は牛肉、豚肉、ハム、豆類、木の実などに多く含まれています。こういった食べ物を十分に食べていればビタミンB1が不足することはありません。ところが、高齢者はこってりした肉食を好まない方が少なくありません。それでも若い世帯と同居していれば、否応なしにこういった食品を食べますが、一人暮らしだと面倒くさくて炊事をしなくなり、手持ちの物を食べて済ませてしまいがちです。中にはインスタントラーメンばかり食べている老人もいます。配食サービスの利用を勧めてバランスの良い食生活を保てるように指導してあげてください。
また、私はウェルニッケ脳症までには至っていなくても、ビタミンB1の不足が既存の認知症の症状を増悪している例が予想以上にあるのではないかと考えています。アルツハイマー型認知症に加えてビタミンB1不足が加わって、本来の認知症以上に認知機能が低下している可能性があると思うのです。
こういう症例では、ビタミン不足の方はそのビタミンの補給で改善する可能性がありますから、認知症という診断を受けている方も、一度食生活をチェックして、その可能性がある場合にはビタミンB1を補充してみてはいかがでしょうか。
ビタミンB1は水溶性のビタミンですから、万が一過剰に摂取したとしてもこれといった弊害はありません。
小さい頃、多くのかたが玩具を手で操作して、そのおもちゃになったつもりで遊んだ経験をお持ちだろうと思います。玩具はアトムだったり、ゴジラだったり、ガンダムだったり。そういう遊びをアトムごっこ、ゴジラごっこ、ガンダムごっこといいます。女の子もセーラムーンごっこやあっこちゃんごっこをしたはずです。
こういう「ごっこ遊び」は玩具の人形に感情、思考、意思を吹き込むと同時に、それはあくまで人形であって自分自身とは違うということを意識できるからこそ成り立つ遊びです。
人形を使った「ごっこ遊び」だけではありません。女の子が大好きなままごと遊びも、各々がお父さん役、お母さん役になってバーチャルな家庭生活を演じる遊びです。演じるということは、本当はお父さんではないことを自覚しつつお父さんの思いや考えを模倣するということです。そのためには自分と他人との区別を明確にできるとともに、他人の感情、思考、行為を自分の脳内に再現することができなければなりません。こういう高次の精神機能を可能にするのがミラーニューロン(mirror neuron)です。
ミラーニューロンは1996年にイタリア、パルマ大学の神経科学者のジャコモ・リゾラッティたちによって発見された神経細胞です。彼らはマカクザルの脳を研究して、猿が自ら行動する時と、他の猿が行動するのを見ている時、両方の場面で同じような活動をする神経細胞を発見しました。そして、他者の行動を見て、まるで自分自身が同じ行動をとっているかのように「鏡」のような反応をするので「ミラーニューロン」と名付けました。
その後の研究で、この神経系は霊長類と幾種類かの鳥類で確認されました。ヒトでは前運動野と下頭頂野に存在するようです。
この発見は脳神経科学における画期的な糸口となり、世界中の研究者がミラーニューロンに関する研究を始めて、様々な報告がされるようになりました。
生まれたてのマカクザルはヒトの表情を見つめて模倣しますが、この時にミラーニューロンが活動します。成体の猿では表情を模倣する能力は喪失しますが、ミラーニューロンは他の猿の行動を認識したり、理解したりすることに役だっているようです。
ミラーニューロンは他者の行動を予想して、企図するところを理解する能力を担っているとの報告もあります。島皮質前部とした前頭皮質のニューロンシステムは自分の情動(快、不快)に反応するだけでなく他者の情動を観察する時にも活動する所から、「共感」に深く関与すると考えられます。
さらに、ヒトのミラーニューロンシステムはブローカ野と呼ばれる言語中枢に近い下前頭皮質で見つかっているので、ヒトの言語は、ミラーニューロンによる身振りの実行や理解のシステムから生まれたと言われています。
自閉症の児童は自分と他者とをうまく区別することができません。このために「自分」と「あなた」とを混同しがちです。また自閉症の子供は、自分をアトムやセーラムーンに見立てることができないので、「ごっこ遊び」をすることが極めて苦手です。この症状は自閉症児童でミラーニューロンの働きに欠陥があるからではないかと考えられます。
さらに一歩飛躍して、精神活動の根幹である「意識」の中核を担っているのではないかと主張する研究者もいます。
ごく最近発見されたニューロン系ですから研究は未だ緒に就いたばかりです。ですから、このニューロン系の働きについてこの他にも数多くの報告がありますが、いずれもまだ可能性を論じる仮説の域を出ていません。
しかし、この神経システムの発見は脳科学の領域における研究に一大飛躍をもたらしてくれるのではないかとの期待が高まっています。これからしばらく「ミラーニューロン」から目を離せません。
人間が経済という営みを行うようになったのはいつの時代からなのでしょうか。原始時代、人間が家族単位で生活していた頃には、衣食住すべてを自分たちで賄っていたと考えられます。ですから、少なくともその頃には経済という概念はなかったはずです。
血縁部族単位での集団生活になると、餅は餅屋、各人の特技や能力に応じて役割分担が生まれたと考えます。しかし、そこでもまだ猪一頭が腰蓑何着になるかといった対価比較はなされなかったのではないでしょうか。
部族の生活空間が拡大して他部族と接触することを契機に、何らかの基準で物の評価をして交換し合う行為、つまり経済が始まったのだと考えられます。
その後、一人の人間が関わりを持てる空間が徐々に広がって、この空間の拡大とともに経済活動が活発化、複雑化していきました。つまり、経済の発展は人の関われる空間の拡大に裏打ちされているのです。
やがて、自らは何も生産しないで遠距離間の交易を専らにして上前をはねる、流通という業種と、利益と言う概念が生まれ、やがて交換する品揃えを豊富にすることで商業が確立したのだと思います。
この過程で貨幣が誕生して、物の価値は実態から離れて情報化されました。貨幣の誕生によって利益は労働そのものから離れたといってもよいでしょう。一個人の関われる空間が地球規模になった今、情報操作の方が本当の労働よりも濡れ手で粟で、巨万の利益を得ることができるようになってしまいました。私は何か釈然としません。
人が関わる空間の拡大と経済の発展が表裏一体だと言いましたが、いくら科学技術や経済工学を駆使して空間を広げても実はこの空間は仮想空間であります。どんなに科学や経済が発展しても、一人の人間の実際の営みは所詮「起きて半畳寝て一畳」でしかないのです。この広さは天地開闢以来変わりませんし、未来永劫不変です。つまり、己の実体と遊離した自我空間のみが肥大し続けるだけなのです。
英国の人類学者R・ダンバーは様々な共同体や軍隊、企業、宗教組織などの集団を調べて、目的を共有し、一心同体となって活動するユニットの規模は殆ど100人から200人の間で、平均が150人であることを突き止めました。そこで、彼は人間が直接的、個人的な繋がりを持って集団が機能するための最適規模が150人ではないかと結論しました。
一方、霊長類の群れの大きさと大脳皮質の大きさとには相関が認められます。脳の大きさから推定しても人間の最適社会集団規模は150人となります。150人の相互関係の組み合わせは11、175通りで、それ以上の集団ではその関係維持に脳が対応しきれないようです。
さらに、人類の祖先となった集団は約150人だったことが遺伝子研究から分かっていいます。
科学の発展は一見脳の限界を超えた空間と人間関係を可能にしたかのように見えますが、その結果、個々の関係が希薄となって多くの問題を引き起こしているのではないでしょうか。
皆、拡大、発展こそが良いこと信じ込んでいますが、「発展」を「無理」に、「拡大」を「自滅」に置き換えてみると、また異なった景色が見えてきます。 宇宙から有限の地球という小さな惑星を見ることができるようになった今こそ、私たちは、すべての活動は生きるための営みであるという原点に立ち戻って考えてみる必要があるのだと思います。
日本で一番愛された野球選手と言えば長嶋茂雄をおいてほかにはないでしょう。通産2471安打、通算打率3割5厘、444ホームランを始め数々の記録を持っています。しかし、単に記録だけからいえば、通算868本のホームランを打った王貞治、3回も3冠王を獲得した落合博満には及びません。
それにも拘わらずヒーロー度においては王も落合も長嶋には及びません。それは長嶋の派手なプレイスタイルもさることながら、ここぞという好機にめっぽう強く、人々の記憶に名場面を幾つも深く刻み込んだからです。
昭和34年6月25日、後楽園球場で行われた巨人対阪神戦は日本プロ野球史上初の天覧試合でした。この試合は9回裏まで4対4の同点という、天覧試合にふさわしい好試合で。このまま、延長戦になった場合、天皇、皇后、両殿下には途中退席してお帰りになっていただくかどうか関係者がやきもきしていました。そんな周囲の心配を吹き飛ばしたのが長嶋選手の一撃でした。
2―2からの5球目を叩いた長嶋の打球はライナーで左翼ポール際の上段に突き刺さりました。あまりにも劇的なサヨナラホームランでした。この時の映像はこれまで何百回も映し出されましたが、これからもプロ野球が続く限り繰り返し放映されるものと思います。
この天覧試合サヨナラホームランに象徴されるように、長嶋はさほど調子のよくないスランプの時にも、大きな見せ場に登場すると何かが乗り移ったかのような活躍を見せました。勝負強さと同時に野球の神様から愛された男だったのでしょう。
長嶋が皆から愛される理由はこれだけではありません。野球場の内外で、皆が笑い転げるような数々の都市伝説を残していることもあるのです。
ホームランを打ったのに一塁ベースを踏み忘れて、ダイアモンドを一周してベンチに戻ったところでアウトになった。
一塁に出塁している時に時打者がヒットを打ったので無我夢中で走った長嶋は、思わず前の2塁走者を追い抜いてしまってアウト。
試合前に「靴下が片方ない」と大騒ぎ、周りの選手も一生懸命探すが、しばらくして「ごめんごめんあった」。なんと片方の足に2枚履いていた。
試合後「車がなくなったと大騒ぎ」、みんなで駐車場を一生懸命探していると長嶋が「あっ、そうだ、今日はタクシーで来たんだ」。
これでも相当うっかり者ですが、長嶋伝説はこれでは終わりません。
後楽園での試合に息子、一茂連れて行ったが、スランプで打てずにそのことばかり考えて、息子を球場に忘れて帰ってきてしまう。
田園調布に家を新築して直後、自宅の場所を覚えていなかったので、試合後に家に電話してお手伝いさんに「すみません。長嶋です。僕の家どこですか?」と尋ねた。
「ゴルフ場はこの道の右側にある」と右側を注意しながら行くが見つからない。途中で「あっ、左側だった」と思いだして道をUターン。しかしUターンしたにもかかわらず今度は左側を探したためについにゴルフ場に辿り着けなかった。
こういったおかしな行動以上に迷言はもっと沢山あります。長嶋茂雄の逸話を書きだしたら、それだけでコラム2,3編になってしまうでしょう。王選手をして「長嶋さんは宇宙人です」」と言わしめたほど偉大な天然ボケの代表選手です。
このボケのために周囲の人は甚大な迷惑を被ってきました。しかし、彼の明るい人柄とそのとぼけた言動に裏がないことが分かるので、皆彼のことを非難したりはしません。むしろこのボケによって親しみを感じるのです。この天然ボケこそが長嶋が皆から圧倒的に愛される理由の一つになっているのです。
人は完璧な人間を尊敬はしますが、あまりにも完璧すぎると近寄りがたくて愛情の対象になりにくいのです。王選手は野球の技術だけでなく、温厚篤実な人柄、慎重な言動で身近な人気者というよりは修行僧のような雰囲気を醸し出していました。このために、王がどんなにすごい数字を残しても、人々から愛されるという点では長嶋に勝てなかったのです。
長嶋茂雄のことを天然ボケと言ってきましたが、彼の迷言動を精神科医の目で見ると注意欠陥障害という診断名になります。注意欠陥障害(Attension-Deficit Disorder《ADD》)とは不注意、集中困難を週症状とする発達障害の一つとされています。この障害は、知能は正常またはそれ以上であるのに、①学業、仕事などの活動においてしばしば綿密に注意することができない、または不注意な間違いをする。②課題または遊びの活動で注意を集中し続けることが困難である。➂話しかけられた時にしばしば聞いていないように見える。④しばしば指示に従えず、学業、用事または職場での義務をやり遂げることができない。⑤課題や活動を順序立てることが困難(段取りが下手)。⑥精神を集中し続けることが苦手。⑦置き忘れやなくし物が多い。⑧何かの刺激ですぐに気が散ってしまう。⑨忘れっぽい。などです。
以上の症状に、じっとしていられない、落ち着きがない、無駄な動きが多い、おしゃべりなどといった多動傾向が加わった場合には意欠陥多動性障害(Attension-Deficit/Hyperactivity Disorder《ADHD》)と診断されます。
以前は、この注意機能の障害は子供の時期だけで、成人に達すると自然に治ると考えられていました。しかし、その後の研究で大人になっても症状を残す人が少なくないことが分かってきました。
この障害であった有名人は長嶋茂雄だけではありません。ジョン・F・ケネディ元米大統領、ビル・クリントン元米大統領、ヘンリーフォード(フォードモーター創始者)、スティーブ・ジョブズ(アップル創設者)、マイケル・フェルプス(水泳選手)、マイケル・ジョーダン(プロバスケット選手)、などなど枚挙にいとまがありません。
ADDの人は一つの対象に長時間注意を固着することは苦手ですが、瞬間的な集中力は桁はずれです。人と話していてもふっと何かに夢中になるために人の話を聞いていなかったり、忘れ物をしてしまいます。だから、自分が集中した物事に対しては普通の人が及びもつかないエネルギーを発揮するのです。
この障害を持っている人はどれくらいいるのでしょうか。残念ながら、この障害の概念自体が新しいものであるために、未だこの障害を正しく診断できる医師が多くありません。このために患者さんの総数は明らかになっていません。アメリカの研究ではハイスクールまでの子供の4~16%に達すると言われています。大人になっても症状を残している人がどれだけいるかとなるかについては全く分かっていないのが現状です。
長嶋のような有名人は目立ちますが、多くのADDの方は周囲から障害と認識されておらず、そそっかしい人、不注意な人、人の話を聞こうとしない人、不真面目なひと、反抗的な人、忘れ物の多い人、いい加減な人、規則違反を繰り返す人といった捉え方をされて、不遇をかこっているのではないでしょうか。
ですから、この障害は診療場面から得られる数字よりも相当多い想像します。というのも、何を隠そう私自身がどうやらADDであると思われるからです。私の周りにいる人たちは私が超うっかり者であることをよく知っています。無くし物が多く、人の話をよく聞いていないように見られます。さらに私はそわそわ落ち着きに欠けるのでADHDだと思いす。
実際に、しばしばエンジンをかけたまま車のドアをロックして何度もJAFのお世話になりました。買い物をした際、代金を支払ってお釣りをしっかり財布にしまったのに、肝心の商品を持ち忘れてくることも頻繁です。電話をかけている最中にふっと他のことを考え、相手が出た瞬間、どこに電話していたのか忘れてしまい「もしもし、どちら様ですか」と言って相手に呆れられたこともあります。
私は長嶋のような才能を持っていませんが、それでも医師としてなんとか生きてきました。これを読んだADDの皆さんも自分の得意分野に打ち込めば、欠点を補えるだけの仕事をすることができます。ミスを恐れずに頑張りましょう。