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クリニック西川

2007年5月

産む装置、産ませる装置(3)

私の知っているかぎり、地球上の有性生殖をする生物の性はオスとメスの2種類しかありません。なぜ2種類しかないのでしょう。私の素朴な疑問です。

種の多様性を追い求めた結果、有性生殖という方法に行きついたのですから、さらに多様性を求めるならば、もっと多くの性があったほうがよいのじゃないかと思ってしまうのです。

例えばA、B、Cという3種類の性があれば、AとB、BとC,AとCという生殖の組み合わせができて、よりバリエーションが豊かになると思います。しかし、現実にはオスとメス以外は見当たらないのですから、3種類以上の性があると、きっと何らかの不都合があるに違いありません。

たった2種類しかないのに、とかく男女の中は横恋慕やら、三角関係やら、不倫やらとややこしいのですから、これ以上に性が複雑になってしまったら、収拾がつかなくなってしまうからかもしれません。2種類だけでよかったのでしょう。

「人間の男にとっては人間の女よりも、チンパンジーのオスとのほうが分かりあえる」といった学者がいましたが、このことばは私の頭の中にずっと残っていて、人生の折々に「なるほど」と一人合点することがあります。

見かけは同じ種に属している異性とのほうが似ています。いくら私だって、チンパンジーに間違えられたことはありません。しかし、行動面を見ると種を超えて、たしかに性による共通性のほうがあるように思います。

私はたまたまオスなのでオスの行動が心理学的によく了解できます。メスの行動心理は人間の女性に関してでさえ、私には未だに了解不能の部分が数多くあります。ですから、共感できるオスの行動を中心に話を進めていきます。

種を問わず、若いオスの行動原理をつきつめていくと、要は自分を受け入れてくれるメスを見つけ出して、ナンパして、ふらちな行為におよびたいという動機に基いているように思われます。

私自身の人生をふり返っても、青年期にやってきた行動の大半は異性に認められたいという不純(純粋?)な動機に基いているように思います。

中学校に入学して始めた柔道は、病弱で身体の小さかった私にとって、他のオスに物理的な闘争で負けたくないという動機だったと思います。

やはり中学生時代に始めたギターや歌だって、やっているうちには音楽そのものへの興味が増していきましたが、当初は目立ちたい、もてたいの一心だったのだと思います。あの当時はギターでフォークを弾き語るのがめちゃくちゃかっこよい時代でしたから。

くそ面白くもない受験勉強に一生懸命取り組んだのだって、結局は知的に優秀なところを証明して、ヒトという特殊な社会的生物界において異性獲得の武器に使おうという野心があったことは否めません。

ヒト以外の繁殖適齢期のオスの行動も似たりよったりです。ほとんどの行為は自分が強く、賢く、美しく、美声であり、餌を獲得する能力に長けていることをメスにアピールための行為です。

オットセイのように1個のオスが多数のメスを独占する形の社会を営む動物のオスは激しいオス同士の競争をしなければなりません。厳しいトーナメント戦を勝ち抜いたチャンピオンのみがメスを獲得できるのです。

鳥などで代表される1個のオスと1個のメスでつがいを作る動物はなんとかそれなりにパートナーとなるメスを獲得できるチャンスがあります。一部イスラム世界を除けば、人間もなるべく闘争を避けるこのタイプの社会を選んでいるようです。

しかも、多くの個体がそれなりのパートナーを見つけられる方式のほうがオス同士の過剰な争いがないだけではなく、次世代の遺伝子の多様性という点からも優れています。

私の知人で、教養のある女性が、「男なんて一握りの感性のある優秀な人だけがいればいいのよ。社会に害悪を撒き散らすだけのどうしようもない男なんていないほうがいい。」とおっしゃいました。

つまり、オットセイ型の社会をよしといってらっしゃるのですが、私は違うと思います。オットセイ型の社会では、その時の環境に対して最強のオスの遺伝子が広く伝わっていきますが、環境が突然変化した時には対応できなくなり、いっせいに崩壊してしまいます。多様な個体がいた場合には、大多数の個体が適応できないような大激変がおきたとしても、ひとにぎりの変わり者が生きのびられる可能性があるのです。

その時代、ダメと思われている遺伝子が、異なった環境になったとたんに優秀な働きをする可能性があります。そういう可能性を残しておくためにも、たくさんの組み合わせのカップルがあるほうがよいのです。

人間の歴史をふり返っても、昔は体格に優れて、狩猟で獲物をたくさん獲得する能力に長けているオスがもてたと思います。やがて農耕が発達してくると、栽培の技術と日々の勤勉さが尊ばれることになります。工業が発達して、物作りが盛んになると手先の器用さが要求されました。

さて、現代はどうでしょう。口先だけが発達して、人の金を右から左に移すだけで、金と言う化け物を獲得する、詐欺師みたいな能力に長けているやからがもてはやされているようです。人間性が欠落していなければ起こりえないと思えるような残酷な事件も日常茶飯事です。異常な時代です。

しかし、こんな時代は長く続くはずがありません。いや、こんな時代は長く続かせてはいけないと思います。なぜならば、このままでいけば、生物学的に考えても、ヒトという種が自滅に向かって突き進んでいるように見えるからです。

ではどうすればよいか。根本的には教育をはじめ、社会・文化のあり方を正しい方向へ修正していかなければならないでしょう。しかし、現在政府がやっている改革と称するものは私にはその場しのぎのごまかしにしか過ぎず、豊かで美しい本来の人間性の復活につながるとは思えません。時の政策の是非はともかく、そういう大プロジェクトは町の精神科医の力のおよぶところではありません。

私にできることは、私に直接関わる人や、このささやかなコラムを読んでいる人に主張し続けることだけです。それしかありません。

今の狂った価値観の横行している社会で、女性にもてないでくさっている男性よ。自分らしさ、つまりこの世に自分は二人といないということ、そのことに誇りをもって、自分の個性(長所)に磨きをかける努力を怠らないでください。

「産む装置」であれ、「産ませる装置」であれ、自分を愛し、自分に対する尊厳をもてるようになると、不思議なことに自分と異なる人を尊重することができるようになります。他人に対する感謝の気持ちがうまれてきます。そしていつの日か、自分のことをこの世にただ一つの光り輝く存在であると、自他ともに感じられるようになれます。私はそう信じたい。

産む装置、産ませる装置(2)

複雑な構造を持った生物が、環境の変化や新たに出現するかもしれない敵に対抗して種を保存するためには、遺伝情報の多様性が必要だということはお話しました。

つまり、人間の場合でいえば、ヒトとしては共通の遺伝情報を持ちながらも、そのなかでいろいろな個性のヒトがいた方が、ヒトという種がこれからも地球上で生き延びていくためには有利なのです。

「生命」というと、私たちはどうしても自分たちひとりひとりの一生を基準に生命を考えてしまいますが、神(宇宙)から見たら、私たち個人の生命なんてたいした問題ではないのです。大金持ちだったとか、勲章貰ったかどうかなんて、まったく問題にされていません。長い歴史の中のほんの一瞬、前の世代から次の世代に遺伝情報を伝える役割を与えられた乗り物みたいな存在です。

ヒトに限らず、この世の生き物はすべて、種としての生命を脈々と保存していくことが宇宙から与えられた一大使命なのです。そして、この目的のために、より多様性が要求される生き物むけに考案されたのが「有性生殖」です。

有性生殖は自分自身が分裂して増えていくのではなく、二つの固体がおたがいの遺伝情報を交換して、あらたな固体を生みだす方法です。

ゾウリムシは普段は無性生殖で、分裂をくりかえして自分のコピーを増やしているのですが、時々ふたつの固体がくっつきあって、核を合体させてお互いの遺伝情報を交換しあうのです。これは接合という原始的な有性生殖です。

つまり、ふだんは数を増やすという点で圧倒的に優れている無性生殖をしているのですが、時々多様性の獲得に優れている有性生殖をして環境の変化に備えているのです。

高等生物とよばれる複雑な構造をもった生き物は植物でも動物でも、さらなる工夫をして、生殖を担当するエキスパートの細胞(生殖細胞)を作りました。しかもその生殖細胞も運動能力のない大型の卵子と運動能力のある小型の精子という2種類に分けました。卵子を持つ個体がメス(雌)、精子をもつ個体がオス(雄)というわけです。

メスの性染色体がXXで、オスはXYであることは中学や高校の理科で習ったと思います。ほかの染色体はみなXXの形をしていますから、オスのXYという性染色体はかなりできそこないの染色体みたいです。

極論をいえば、生命の本来の姿はメスであり、メスになりそこねた、なれの果てがオスと言えるかもしれません。実際、卵子は母親の遺伝情報を持っているだけではなく、受精した後に分裂して、あらたな生命体になる能力を持っています。メスはまさにすばらしい「産む装置」なのです。

一方、「産ませる装置」のオスの精子は父親の遺伝情報以外には、卵子にたどり着くまでの長い道のりを泳ぎきるための運動装置を持っているだけで、自分自身は新たな生命体を産み育む能力はまったくありません。情けない代物ですが、産ませるためのスペシャリストとも言えます。

ヒトの場合、生まれたての女の子は、約100200万個の卵子の元になる細胞を持っています。その後、なんらかの基準によって取捨選別されていき、思春期までには4万個ほどに減ってしまいます。さらに、一人の女性から一生の間に、実際に卵として排卵される栄誉にあずかるのは400個ほどにすぎません。ほかの細胞は本来の役割を果たすことなく、死滅してしまうのです。

おそらくは適者生存の原理にもとづいて、優秀な卵子が生き残っていくのだと思います。美しく、穏やかそうに見える女性の身体の中で、東大受験なんかよりはるかに凄まじい競争が行われているのです。

しかも、せっかく排卵にまでたどり着いたとしても、丁度その時に、お相手になる精子との出会いがなければそのまま死滅してしまうだけです。もし、仮に一人の女性が一生に2人の子供を産んだとした場合、その二人の子は100万分の1の競争を勝ち抜いた卵の業績なのです。

男の場合には、その競争はさらに熾烈です。精子は大体10歳くらいから1日に約5000万~数億個作られます。実際にお役に立とうが立つまいがおかまいなしに、今か今かと出番を期待して、ひたすら毎日製造され続けます。

しかしその大部分は役割を果たすことなく、賞味期限をすぎて死滅していくのです。男子の人生を70年と仮定すると、一人の男が一生のうちに作る精子の数は1兆~2兆個にもなります。

うまいこと射精の機会に遭遇することができる精子はとんでもないラッキーボーイ達といえます。1回の射精で約1億個のラッキーボーイ達が卵子をめざして喜び勇んで、飛び出していきます。おのれの持つ鞭毛という尻尾の推進力だけを頼りに、懸命に卵子とのおちあい場所である卵管をめざして子宮の中を泳ぎます。

しかし、この旅はたいした防御装置も持たず、ただひたすら猛進する精子にとっては過酷な旅なのです。約束の地にたどり着けるのは逞しい数百個だけです。しかも残酷なことに、全力を使い果たしてやっと目的地にたどり着いた猛者たちの中で遺伝情報を伝えるという本来の使命をまっとうできるのは、たった一人の選ばれしものだけなのです。

一個の精子が卵子に突入する(受精)と、卵子は瞬時に硬い壁をはりめぐらして、その後に突入を試みる精子をすべて拒絶してしまうのです。一人の男性が二人の子供を作ったとすると、精子の立場から見た場合、栄誉ある受精に成功する精子は1兆分1の競争社会の勝者といえます。

あなたも私もこういう天文学的な確率の競争を勝ち抜いて生まれてきたのです。さらに、現在世界の人口は65億人を超えています。男女半数としても一人の男性と、一人の女性が出会う確率だって大変なものです。

大いなる、そして不思議な力に導かれて出逢った男女が、さらに男性の側で1兆分の1、女性の側で100万分の1の確率の偶然で私は私として、あなたはあなたとして生まれてきたのです。

ひとりひとりが天文学的な偶然と競争の積み重ねをへて宇宙に選ばれた、貴重なオリジナル作品なのです。ですからつまらないことで勝った、負けたと他人と比べるのはよしましょう。ほかの人と違っていることが当たり前なのですから。

産む装置、産ませる装置(1)

Y厚生労働大臣が女性のことを「産む装置」と発言してこてんぱんにやっつけられたのは記憶に新しいところです。たしかに不用意な発言であったように思います。

一連のテレビの報道を観ていても、ご本人自身「こんなこと言っちゃ適当じゃないかもしれないけれど」なんて、くどくど前置きしながら、ぽろっと言っちゃったんですよね。あんなに逡巡するくらいであれば、やっぱり言わなきゃよかったのだろうと思います。

しかし、政治的にニュートラルな立場で、しかも普通の感覚を持っている人ならば、あの発言が女性を蔑視して述べられたものでないことは、充分に察することができるはずです。一連の大騒動が、揚げ足とりのいちゃもんにしか見えなかったのは私だけでしょうか。

私は、稚拙な国会のやり取りを観ていて、小学校のホームルームで子供たちが「○○くんが××って言った」、「ぼくは××なんて言わないもん」と大騒ぎしている姿が連想されて、日本の政治にますます希望がもてなくなってしまいました。

この「装置」問題を自然科学者の端くれとして言わせてもらえれば、Yさんはまちがったことは言っていらっしゃらないと思います。私は女性(雌)は産む装置であり、男性(雄)は産ませる装置だと思うのです。

しかし、装置とはいっても量販店で29,800円なんかで売っているようなちゃちな装置ではありません。これといった信仰を持たない私であるにもかかわらず、「神様が気の遠くなるような長い時間をかけてお作りになった巧妙・精緻な装置」としか言いようのないすばらしい装置だと思うのです。

「自分は何のために生まれてきたのか」という疑問はきわめて重要な大問題で、この問いに対して正しい解答を見つけようと多くの偉大な哲学者たちが挑戦してきました。難問題でありながら、日常的にみんなが考える機会の多い問題でもあります。

私の診療の場面でも、不幸な体験に次々と見舞われ続けてきた方に、しばしば「どうして私なんか生まれてきたの?」とたずねられます。何とか気のきいたことばをかけてあげたいと思いますが、私ごとき一介の精神科医に答えられる問題ではありません。

しかし、個人個人が生きていく際に背負っていく、さまざまな苦難や、重い荷物なんかの側面をすっぱりと切り捨てて、単純に生物学的に考えれば、生物の宿命としての「種の保存」の結果生まれてきたと言えます。

生物の最大の使命は自分の遺伝情報を次代に伝えていくことです。言い方をかえれば、自分の遺伝情報をつぎつぎと伝えていく能力を身につけてこの世に存在しているものを生物と言うのかもしれません。

「俺はミジンコなんかとは違う」と怒る方がいても当然ですが、私たちが所属する宇宙の150億年以上といわれている、気の遠くなるような空間と時間のレベルで考えれば、人間だって、いろいろな偶然が重なりあって、地球と言う辺鄙な星に一時的に発生した生物のひとつにしか過ぎません。

こういう考え方にたてば、人間にとっての最大の使命は、やはりほかの生物と同じように「ヒト」と言う種を絶やさないように、繁殖していくことと言えます。そのために、最重要なのが「産む装置」「産ませる装置」なのです。

進化論にそって言いますと、いわゆる下等生物と呼ばれる、単純な仕組みの生物はこの装置なしに種を保存していきます。つまり、こども(?)を作ろうと思ったら、自分が分裂して増えていけばいいのです。自分と同じ遺伝情報を持った個体がどんどんできていきます。無性生殖といいます。すべての単細胞生物(ひとつの細胞そのものがひとつの生き物)がこの方法で子孫を増やしています。細菌なんかがよい例です。下等な多細胞生物(いくつかの細胞が集まってひとつの生き物になっている)でもこの方法がとられます。イソギンチャクなどがその例です。

この方法でふえた固体は厳密には子孫とはいえません。元の固体とまったくおなじ遺伝情報を持っているのですから、クローンといえます。この方法は手っ取り早く、自分と同じものを倍増させていく点でとっても効率がいいのです。

人間のように美味しいレストランに誘ったり、高価なプレゼントで気を引いたりする手間はいっさい要りません。ただ、おのれが分裂しておのれを増やしていけばよいのです。自己完結です。

ただし、自分の遺伝情報を保存していくという点ではきわめて効率がよいのですが、遺伝情報が均一なので個性がなく、全員同じ能力しかありません。環境の変化や外敵からの攻撃に弱いのです。それまではその生物にとって最適であった気温などがちょっと変化したり、天敵が現れるとなんらなす術もなく、いっせいに滅んでしまいます。

この欠点を補って、めまぐるしく環境が変化して、次から次へと敵が出現する地球上でしぶとく生き残るために、神様が考案されたのが「産む装置」「産ませる装置」の生殖システム、つまり有性生殖なのです。

ひとつの生物に二つの別の役割を分担させて、両方の遺伝情報が交じり合った子孫を残すことによって、同じ生き物でありながら、その子孫にさまざまな個性をもたせているのです。

平和な環境で優雅な生活をするラッキーな者もいれば、普段はパットしないが、いざという時にとんでもない能力を発揮して周囲をびっくりさせるやつもいるのは、みなこのすばらしい「装置」のおかげなのです。

睡眠障害(その11)睡眠導入薬

日々診療をしていると、患者さんから質問されて答えに窮してしまう場面がよくあります。そのうちのひとつが「このお薬は強いんですか?弱いんですか?」という質問です。

すべての薬は量的な側面と質的な側面をもっています。ですから、質を度外視されて、ただ量的に強いか、弱いかと聞かれても答えようがないのです。極端な例ですが、胃薬と風邪薬を並べられて、どちらが強いか答えろと言われても答えられる薬理学者はいないんじゃないでしょうか。

さすがに、胃薬と風邪薬を同列に考えている方はめったにいらっしゃいませんが、私たちメンタルクリニックで処方する薬はしばしば十把ひとからげにされてしまいます。

一般的に精神に作用する薬はなんとなく「安定剤」というあやふやなことばで一くくりに考えていらっしゃる方が多いようです。精神に作用する薬を正確に一括すると「向精神薬」と言います。そして向精神薬にはいくつものグループの薬があります。それぞれ狙っている治療効果も違いますし、副作用も異なります。

睡眠導入薬もこの向精神薬のひとつのグループです。前にお話したように、現在我が国で承認されて販売されている睡眠導入薬は14種類あります。ここでまた問題になるのが「強い、弱い」論争です。

「おなじ作用の薬、つまり同じ質の薬なんだから、今度こそどの薬が強くて、どの薬が弱いかちゃんと答えろ」と言われるかもしれません。ところが、そう簡単にはいかないのです。

薬理学的には薬の作用の強さを「力価」と言います。すなわち、薬の持つひとつの作用の量的な尺度です。ある一定の量、たとえば1mgでどれだけの効果を発揮できるかという指標です。この指標をつかって判断すれば、たしかに14種類の睡眠導入薬について、眠りやすさの強さを正しく順位付けすることができます。

しかし、皆さまが私に回答を要求する質問内容は、目の前にある一つの錠剤の強さなのです。こうなるとじつに難しい。

力価の高い、いわゆる強い薬は、少ない量の成分で1錠にしています。一方力価の低い、弱い薬は大量の成分をまとめて1錠を作っています。錠剤はそのすべてが、効果を発揮する成分でできた塊ではありません。丁度、口に入れて飲みやすいような大きさになるように、毒にも薬にもならない成分を加えて、あの大きさ、形にしているのです。

ですから、錠剤どうしを比較するとなると、どの薬もほとんど同じ強さになってしまいます。というか、同じくらいの強さになるように作られているのです。これは睡眠導入薬に限ったことではありません。ほかの種類の薬もだいたい同じことが言えます。

そうなると、14種類の睡眠導入薬は質的にも量的にも同じようなものなのだから、どの薬を使ったってかまわないじゃないかという話になりそうですが、、そんなに簡単にはいかないのです。

14種類の睡眠導入薬は、眠りやすくさせる効果はほぼ同等であっても、副作用をはじめ、その他のいろいろな性質が異なっています。つまり、治療効果以外の作用という点で、またもや質的にも量的にも違いがあるのです。

そういう眠りやすくさせるという作用以外の種々の性質のなかで、睡眠導入薬の場合に重要になってくる性質は薬が効いている時間、「作用持続時間」だと思います。

薬の大半は肝臓で代謝(化学変化)されて腎臓から尿と一緒に排泄されます。肝臓での代謝のされ方や、代謝されて変化した物質がどういう性質をもっているかによって薬の効いている時間が大きく違ってきます。

寝つきだけが悪い人は作用持続時間が短い薬がよいでしょう。次の日の朝にすっきりと目覚められます。しかし、いったん眠った後も、ちょこちょこ目が覚める中途覚醒や浅眠をともなう人には、作用持続時間が長い薬があっているように思います。私たちが薬を選択する際にはこのほかにも、いろいろな要素を考えて処方をしています。

皆さまも睡眠導入薬を処方してもらう際にはただ「眠れない」と言うだけではなく、ぜひとも自分の不眠の状態を詳しく報告して、自分にあった薬を自分にあった量だけ処方してもらうようにお気をつけください。

最後にもう一言ご忠告。このグループの薬はどういうわけか子供や高齢の方には通常とは逆の作用をひきおこすことがあります。つまり、眠りやすくしてくれるのではなく、興奮させてしまうことがあります。

「うちのおばあちゃん、ちっとも眠ってくれなくて、夜になると騒いで困るんです。」「お医者さんからも安定剤もらって飲ませているんですけれど、全然効かないんです。」私が受ける相談の中に時々こういうケースがあります。

よく聴いてみると、このての薬のことをよく知らない医師に「安定剤」と称して睡眠導入薬を処方されている場合が少なくありません。こういう場合、その薬をほかのグループのお薬に換えると、ぐっすり眠っていただけます。時には今まで飲んでいた「安定剤」を中止するだけで夜中の大騒ぎから開放されることがあります。たかが薬、されど薬。

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