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クリニック西川

2007年7月

「自律神経失調症」とは?

政治家の使う言葉には「美しい国、日本」、「戦後レジームからの脱却」、「骨太の政策」などのように、イメージだけが先行して、具体的な内容が不明な用語が多いように思います。

自然科学のはしくれである医学の世界では、政治家のようにあいまいな表現でごまかすことは許されません。

人体の各部をあらわす解剖学用語や人体の機能の原理を説明する生理学用語をはじめ、一つ一つの医学用語は厳密に定義されて、その言葉を聴いた者(当然、医学の基礎知識があることが必要条件ですが)が具体的に共通の認識を得られるように作られています。

たとえば、「脛骨」といえば膝から足首までを支える二本の骨のうち内側にある太い骨、俗に「むこうずね」と呼ばれる骨を指します。「呼吸」といえば生命の維持に必要な酸素を外から取り入れて、体内の代謝によって生まれた二酸化炭素を排出する働きを言います。肺の中で大気と血液との間で行われるガス交換を「外呼吸」、血液と各細胞との間でのガス交換を「内呼吸」と言います。

病名についても同じことが言えます。障害される部位、病気の原因や機序、病気の状態をできるだけ正確に表すように考えられています。「胃癌」は胃に発生した癌。「結核性肺炎」は結核菌の感染、増殖によってひきおこされた肺の炎症のことです。

日本人に一番身近な「高血圧」の場合、高血圧の大半を占めているのは「本態性高血圧」です。「本態性」という言葉は「原因不明」という意味です。つまり、「原因不明で血圧が高いレベルに設定されてしまった状態」を意味しています。

ところが、病名の中には未だにあいまいなものが幾つかあります。そして残念なことに、医師がそのあいまいな病名のあいまいさを利用して用いている傾向があります。そういった、あいまいな病名の代表格が「自律神経失調症」だと思います。

神経系は中枢神経と末梢神経に大別されます。「自律神経」は3種類ある末梢神経の一つです。
この自律神経は中枢神経と内臓との間の橋渡し役で、すべての臓器の働きをコントロールする重要な神経で、全身にくまなくはりめぐらされています。

 
そこで、「自律神経失調症」について説明します。この病名は「自律神経の調子がおかしくなっています」。つまり「身体の内臓の調子がおかしくなっています」と言っているだけで、おおもとの障害部位や障害の原因や正確な状態を説明しているものではありません。

患者さんはどこか身体の調子がおかしいと感じて病院へ行くわけですから、「なんだかよく分かりませんが、あなたの内臓機能はおかしくなっていますよ」と言われただけだったら納得するはずがありません。

ところが、現実には医者から「自律神経失調症」という病名を告げられると、なんだか分かったような気分になって、帰っていく患者さんが多いのです。言葉のマジックです。

現代の医学は検査主流の医学です。ですから、身体の不調をうったえて病院へ行くと、さまざまな検査をします。医者も検査に頼っていますし、患者さんも病気は検査で分かるものと信じているからです。

さらに、健康保険を使った我が国の医療では、お役人が決めた、何らかの病名なしにはどんな治療もできません。ですから、なにがなんでも病名をつけておかなければならない事情もあるのです。

しかし実際には、現在の医学では、いくら検査をしても客観的な異常をとらえられない病気もまだたくさんあるのです。そうなると医者は困ります。そこで多用されるのが「自律神経失調症」です。なんと、健康保険で決められている病名にも、ちゃんと自律神経失調症が登録されています。

本来は「あなたは不調を訴えていらっしゃいますが、検査では何も分かりませんでした」というべきだと思います。きちんとそう説明して、現在の医学検査が通用しない病気があることを患者さんに認識していただくことが正しい道だと私は思います。

ところが、さらに困ったことは、この病名が医学の基礎知識を知らない患者さんに対して「嘘の病名」としても使われていることです。末梢神経ではなく、明らかに中枢神経の中の脳の病気である心の病をごまかす時にも、この「自律神経失調症」が使われることがあるのです。

自然科学は解明された最新の事実を解りやすく説明することが大切です。しかし一方で、いまだ解明できていないことについては、現時点では解明されていないという事実をはっきりと知らせることも重要な使命だと思います。


中枢神経とは背骨で囲まれた細長い筒状の空間に長く伸びた「脊髄」と頭蓋骨で被われた「脳」の総称です。

末梢神経は「運動神経」と「知覚神経」と「自律神経」の3つから成り立っています。運動神経とは中枢神経からの指令を筋肉に伝えて、運動をさせる役目を持っています。知覚神経は皮膚や筋肉などが感じた刺激(痛み、温度、引っ張られ具合など)を中枢神経に伝えるための伝令の役割をもっています。

ジェネリック(ゾロ)の嘘

最近、テレビで有名俳優を使ったCMで「同じ成分、同じ効果、値段が安い」を売り文句に、ジェネリック医薬品の広告が目につくようになっています。この背景には国が率先してジェネリック医薬品の普及、使用推進を進めていることがあります。
ジェネリック医薬品は日本語では後発医薬品と言います。医薬品の商品名ではなくて科学的な一般名をさすgeneric name からとった言葉です。後発というくらいですから、当然、先発医薬品というものがありますが、今までは医薬品と言えば先発医薬品を指していたので、ことさら先発医薬品という言い方はしませんでした。
医薬品は人間の手によって発明、開発されるものですから、その薬物を発明した人や企業が特許権をもっています。ですから、その薬は特許権を持っている会社以外では製造・販売することができません。
特許権は原則として特許出願日から20年で消滅します。つまり、特許を申請した日から20年間はその薬を開発した会社が独占的に製造できるというわけです。
ところが、開発した化学物質を実際に人体に適用できる医薬品として完成させて、厚生労働省から製造・販売の許可を得るためにはいくつもの過程を経なければならないために、気の遠くなるような時間がかかってしまいます。
特許申請した多くの化学物質は医薬品として製造・販売の認可がおりる前に、20年たってしまいます。そういう場合、特許権の存続期間は最長で5年間延長できます。
したがって、多くの医薬品は実際に患者さんに使うことができるようになって5年すると、開発した会社の特許権が消滅してしまうのが現実です。そうなると、特許使用料を払わないで、特許の内容を利用して製造した、同じ主成分を含んだ医薬品を製造することができるようになります。これがジェネリック医薬品(後発医薬品)です。
たくさんの、名前も聞いたことのないような小さな製薬会社がこぞって製造・販売を始めます。開発した会社の特許権が切れると同時に世の中にゾロゾロたくさん出てくるので、ジェネリック医薬品のことを通称「ゾロ」と言います。
病院や薬局の会計で支払いをする時に、貰う薬の種類によって、ずいぶんと支払額に差があることは気付いておられると思います。実際に薬の値段は1錠5円くらいのものから、何百円のもの(特殊な薬はもっと高い)まで幅が広いのです。
この値段は病院や薬局が勝手に決めているのではありません。厚生労働省が決定しているのです。日本は自由主義経済のはずですが、こと医療に関しては薬の値段はおろか、医師の技術料などすべて国が決定しているのです。医療に関しては社会主義経済なのです。
値段だけではありません。保険診療の場合、病気によって使える薬の種類や、手術のやり方、消毒の回数まで厚労省(社会保険庁)の役人が決めているのですが、このことはまた別の機会にお話します。
さて、新薬の開発から販売に至るまでには何十年という歳月を必要とすることはお話しました。時間だけではありません。研究や開発にかかる費用も莫大な額になります。
こういった開発費を考慮して、厚労省はその薬の値段(薬価)を決定します。したがって、画期的な新薬が開発されて効果抜群で副作用が軽微であるということになれば、当然ながらその医薬品の薬価は高くなります。それなりの薬価でなければ、営々と研究・開発してきた製薬会社の労は報いられずに、会社は潰れてしまいます。
一方、後発医薬品メーカーはどうでしょう。研究や開発には一銭もかかりません。特許使用料も要りません。先発医薬品の作ったレシピにしたがって製造するだけでよいわけですから、必要経費はきわめて少なくてすみます。このためにジェネリック医薬品の薬価は低く設定されます。
今、政府先導で進められているジェネリック医薬品の使用拡大路線は、総医療費の削減を至上命題とした経済的論理から出発しています。
さてジェネリック医薬品が、CMで公言しているように、本当に「同じ成分、同じ効果」であれば、総医療費が削減されるだけでなく、患者さんの自己負担も少なくなるのですから、まことに喜ばしいかぎりです。よりよい効果、より安全な薬の開発に心血注いできた大手の先発品医薬品メーカーには申し訳ありませんが、どんどんジェネリック医薬品に切り替えていくべきでしょう。
ところが、大事なところに巧妙な嘘があるのです。しかも、国民に安全で質の高い医療を保証するべき国が経済優先で、この嘘を黙認している。いや、むしろ嘘を承知でマスコミなどを通じて強引に推進しているのです。
日本のジェネリック医薬品はけっして「同じ成分で同じ効果ではありません」。
同じなのは薬の中にはいっている主成分だけです。それ以外の成分は同じではありません。
1錠の薬の中には主成分だけが入っているわけではないのです。わずか数mgあるいは数百mgの主成分だけでは、飲みやすい形の剤型は作れません。
大部分は主成分以外のそれ自体は薬理学的な効果のない賦形剤と呼ばれる物質です。主成分とこの賦形剤をうまく組み合わせて、混ぜ合わせて、一つの薬ができあがっています。
ジェネリック医薬品が「同じ成分」と言っているのは、あくまで主成分が同じだといっているのであって、賦形剤も含めてまったく同じではないのです。
賦形剤なんて薬理効果がないんだから、どうでもよいように思われるかもしれませんが、そうではないのです。ほとんどの薬は小腸に運ばれてはじめて血管内に吸収されて全身をめぐり、効果を発揮します。
この際に、主成分以外の物質の配合や混ぜ方、作り方で腸からの吸収率などが異なってきて、実際の効果が違ってくるのです。
また、先発医薬品はだてに十数年の開発期間を費やしているわけではないので、物理的化学的性質や規格・試験方法、安全性、毒性・催奇性、薬理作用、吸収・分布・代謝・排泄、臨床試験など数多くの試験を行い、20を越える資料を揃えて、はじめて認可されています。
これに対してジェネリック医薬品はコバンザメ商法ですから、主な試験は先発医薬品で済ませているという認識の下に、主成分が確かに先発品と同様の効果を持っていることを証明するだけで、きわめて重要だと思われる、7つの毒性試験が全て免除されています。
実際に、「同じ効果」とうたっているジェネリック医薬品に代えたところ、前飲んでいた薬よりも効かなかったために、また先発医薬品に戻してもらう患者さんは少なくありません。
さらに、患者さんたちが薬局で支払う金額が驚くほど安くなるかのような幻想を抱かせる広告をしていますが、その差は予想しているほどではありません。
年金同様、破綻寸前の医療保険を維持するために、総医療費を削減する努力は大事なことですが、一番大事なはずの、薬の効果や安全性などについて、巧妙な嘘をついてでも経済優先の医療を先導する国の政策には憤りさえ感じます。
また、安いことがいいことだという政策を強引に推し進めるならば、多くの製薬会社は、今後は、すばらしい薬を開発して人類の健康に寄与しようという意欲をなくしていくでしょう。
さらに、社会保険庁関連の再就職先が先細りの厚労省の役人が、続々と後発医薬品メーカーに天下りしているという、国民を愚弄しているとしか思えない腹立たしい情報も耳にします。

恋わずらい

この1世紀あまりの医学はめざましい進歩をとげました。昔は治らないとされてきた数多くの病気が、医学の進歩で予防や治療が可能になりました。現在はまだ制圧できていない癌やAIDSも、近い将来には征服できると予想されています。
しかしながら、人類誕生以来、まったく歯がたたず、将来的にも治療のめどさえたっていない病気もあります。その代表格が「恋の病」です。
「恋の山には孔子の倒れ」ということわざがあります。どんな人でも色恋のこととなると分別を失ってまちがいを犯してしまうということです。
恋愛、好きな異性を求めるという本能。その欲動につき動かされた「恋の病」は知性の代表選手、広く礼節を説いた孔子でさえもどうにもコントロールできないという意味です。20世紀を代表する天才物理学者アインシュタイン博士もホーキング博士もばついちです。
孔子と物理学者に限ったことではありません。歴史上、さまざまな分野ですばらしい業績を残してきた偉人たちにも、こと色恋沙汰では世間を騒がせたり、評判よろしからぬ方は少なくありません。「下半身に人格なし」とも言います。
つまり、太古の時代の諸先輩の動物から脈々と受け継がれてきた本能を病因とする「恋の病」は、他の動物にくらべて飛躍的に発達した人類自慢の大脳新皮質による論理的な思考では発症をくいとめることができません。
ところが、知力を過信しきっている人類は、自分が大変な病気にかかってしまったことを素直には認めたがりません。
自分が病気であることを自覚しない症状を精神医学では「病識の欠如」と言いますが、多くの恋愛病患者はまさに病識が欠如しています。
つまり、この病気を自分の健康な知的思考力の産物だと解釈したがり、「彼の優しいところが好きなの」、「荒っぽいところが男らしい」というふうに、なんとか自分の病的な感情に理屈をつけないと気がすまないようです。
しかし、現実には、いったん感情的に嫌いになってしまったとたんに、相手の人格は全然変わっていないのに、その論理的な評価はいとも簡単に一変してしまいます。「優しさ」は「優柔不断」に、「荒っぽい」は「粗野で下品」。
さらに、恋愛感情を表現する際にも、新皮質は嘘をついたり、計算づくの思わせぶりの演技をしたりといった、余計なちょっかいをだすので、本来純粋なはずの恋愛感情がややこしい人間関係にこじれてしまうことも少なくありません。発達しすぎた大脳新皮質は恋の病をかえって複雑化させるようです。
また困ったことに、「恋は麻疹みたいなもの」と言われるように、この病は珍しい奇病ではなく、罹患率が限りなく100%にちかいのです。さらに有効なワクチンがない。しかも、1回かかったら2度とかからないような終生免疫も獲得できません。
治療法はあるのでしょうか。これもまた、昔から言われているように「恋の病はお医者様でも草津の湯でも治すことはできゃしない」。西洋医学も東洋医学もお手上げです。時間を頼りに自然回復を待つしかないのです。
症状は相手の反応によって大きく変わります。相手も自分の求愛を快く受け入れてくれる場合、つまり相思相愛のケースでは躁病に似た症状を示します。今まで何気なく見ていた周囲のどうってことのない風景までもが光り輝いて見え、自信が湧き、将来が楽観的に思えてきます。少々ハードな仕事や睡眠不足なんて、苦痛に感じません。
一方、相手がはっきりと自分のことを拒絶した場合には、重症のうつ状態に陥ります。何もする気力が湧かなくなり、口から出るのはため息ばかり、周囲がすべてモノトーンの暗い風景に変わってしまいます。食事も喉を通らず、将来は闇と化します。相手のことを頭から振りはらおう、振りはらおうとしても、常にその人のことを考えてしまう強迫観念も見られます。
しかし、はっきりと拒絶された場合のうつ状態は、たいてい一定の時間がたてば自然と回復してきます。中には症状変化してストーカーとなり、留置場に入らないと治らない人もいますが。
一番困るのが、相手が自分のことを好きか、嫌いかはっきりと意思表示せずに、思わせぶりな態度を長引かせる場合です。こういう状態が長く続きますと、抑うつや強迫症状のほかにより病的な妄想にちかい症状も出現します。
すなわち、確たる根拠もないのに、相手の何気ない行動を自分中心に勝手に解釈し始めるのです。「僕の好きな青い色の服を着てきたということは、僕に気がある証拠だ」とか「電話しても出ないのはきっと男が家に来ているからだ」とかです。
ちなみに、イタリアとアメリカの精神科学者たちが共同研究で発表した「生化学的にみた時、重症の恋愛状態と強迫性障害とは区別がつかない」という論文に対して2000年イグ・ノーベル賞が授与されました。
まことにやっかいで避けては通れない難病です。科学者としては「今後、研究が進んで予防・治療法が確立されることを期待します」と結ばなければならないのでしょうが、不謹慎な私は、この病気だけは未来永劫、不治の病であってほしいとひそかに思っています。

「頑張ろう」と意識しないでいきましょう

スポーツの世界で日本の選手は、普段はすばらし記録を出しているのに、オリンピックのような大舞台になると、本来の実力を発揮できずに、不本意な成績で終ることが少なくありません。
運のなさや、当日の体調不良などいろいろな原因が考えられますが、ある友人から「日本人の『頑張れ』という応援がよくないんだ」、「欧米人はまったく逆で、『 Take it easy !』というような声をかけるんだよ」 と言われて、なるほどと思いました。
長年にわたって血のにじむような練習をかさねて、いくつもの予選を勝ち抜いて、晴れの舞台のスタートラインに立っている選手は、八百長の力士以外、他人からそんなこと言われなくたって、自分自身が一番頑張りたいと思っています。
そこへもってきてさらに周囲から「頑張れ」の嵐。適度な緊張が過度の緊張に変わってしまいます。そうなると、力をいれずにリラックスしていなければならない部分にまで余計な力がはいって、効率のよいスムーズな動きができなくなってしまいます。
私は「頑張る」ということばにはどうしても、「なんとしても」、「今日しかない」「これを逃したら今までの苦労は水の泡だぞ」、「実力以上に」、「無理をしても」といったニュアンスがつきまとうように感じてしまいます。
広辞苑で「頑張る」を引くと、「どこまでも忍耐して努力する『成功するまで努力する』」書いてあります。ですから、頑張れということばは、遠く、高い目標に向かって、苦しい練習に励んでいる最中の選手に対しての応援のことばであるように思います。
激しいトレーニングへの忍耐をへて、最後の本番に臨んでいる選手にはむしろ、欧米人のように「普段通りに」、「リラックスして」、「気楽に」といったことばをかけてあげるほうがよいのではないでしょうか。
うつ病の患者さんに「頑張れ」ということばが禁句であることは、だいぶ周知されました。なぜ、うつ病の患者さんに「頑張って」と言ってはいけないのかは、先ほど書いたスポーツ選手の例を考えればすぐにお分かりになると思います。
うつ病の患者さんはスランプに陥ったスポーツ選手と一緒です。ただ、その不調がある特定の競技種目ではなく、職場や家庭といった生活全般にわたるフィールドだということです。
スランプに陥った選手は、なんとかそこから脱出しようと試行錯誤をしながら頑張っています。それでもうまくいかないのがスランプです。うつ病の患者さんも同じように、それぞれ、なんとか前の元気な時の自分に戻りたいと頑張っているのです。
そこへさらに追い討ちをかけるように「頑張れ」と言われたらどうでしょう。「自分の今までの頑張りは、周囲からまったく評価されていないんだ」、「やはり、自分の頑張りが足りなかったんだ」と自分をいっそう過小評価したり、自分を責めるようになってしまいます。
それでは今のところ、うつ病にはなっていない健康な人は「頑張る」べきでしょうか。
たしかに、世の中にはどうしようもない怠け者もいるように思います。そういう人を見ると思わずお尻を蹴飛ばして、「もうちょっと頑張らんかい!」と発破をかけたくなります。しかし、そういう人はごく少数です、多くの人はその人なりに一生懸命生きています。
ですから、私は原則として、「頑張る」ことはお奨めしません。なぜならば、「どこまでも忍耐して努力している」と自覚しながら生活していったら、いつか必ず心身の健康を損なうからです。
同じことをやっていても、興味をもって、やっていることに楽しみを感じながら行動している時には、そうとうハードな内容やスケジュールでも「忍耐しながら努力している」という意識は生まれてこないはずです。
意にそぐわない、自分に合わないことを忍耐して長期間努力することは、自分に無理を強いることです。無理が続けば、必ずどこかにつけがまわってきます。
なるべく、「頑張る」という意識を持たずに、楽しく、面白おかしく、努力していくことが、長続きするし、成果も大きいのではないでしょうか。
しかし、どんなことも、ある程度の基礎的な力がなければやっていることの楽しみを理解することすらできません。したがって、何事も始めた当初は忍耐して頑張る期間もある程度は必要です。
たとえば、小学校で習う、漢字の読みや書き取り、算数の加減乗除などの基礎中の基礎は、楽しくなかろうがともかく覚えなければなりません。勉強というよりは、将来勉強するための自分頭の中の道具を作り、思考回路を組み立てる設計図の描き方を教わっている作業なのです。
字が読めなければ、将来深い感銘を受ける書物も読めません。九九を知らなければ、数学のもつ奥深い神秘的な哲学の楽しさも味合うことができません。
このような、楽しさを味わえるための基礎的努力は頑張らなければなりませんが、その後そこで身につけた、道具や考えるという方法をつかって、何かに向かって継続的な努力をする時は、絶対に楽しくなければだめです。
他人から見たら、なんであいつあんなに頑張っているんだろうと見えるのに、当の本人は頑張っているなんて意識はなく、ただただ楽しくて楽しくて、寝食を忘れて没頭しているというのが最高の生き方ではないでしょうか。

「星の王子様」、「星のお姫様」

小児科の病棟に長く勤務していたベテランの看護師さんがこう言っていました。「小児科に入院している子供たちをみていると、翌日のお天気がわかるんです」。
雨、つまり低気圧だと喘息の子供達の症状が重くなる。逆に高気圧で晴れの日は、喘息発作がおきにくくなるのだそうです。
症状が気圧の影響を受ける病気は喘息だけではありません。腰痛や膝の痛みなど、関節に関係した痛みや神経痛も低気圧だと悪くなることが多いようです。
病気の症状だけではなく、気圧の変化は私たちの心身にさまざまな影響を及ぼします。
長時間、飛行機に乗ったことのある方は皆さん体験されたことと思いますが、飛行機のなかで飲むお酒は酔いやすい。飛行機のなかで眠っても、とろとろと眠るだけで、深い眠りにはいれません。これも気圧のせいです。
長距離便の飛行機が飛ぶ高空はものすごく気圧が低くて、そのままでは酸素不足のために乗客、乗員とも死んでしまいます。ですから、与圧、すなわちポンプで空気を送りこんでいます。しかし、地上と同じ気圧にまではなっていません。0.8気圧くらいなのです。
0.8気圧の低気圧の環境では酒は少量で酔っ払いやすく、深い睡眠をとることができないのです。
もっと不思議なこともあります。エヴェレスト近くに住むある遊牧民たちの産まれ月が夏からの一定期間に限られているそうです。
その人たちは山羊と一緒に、夏は高地で生活をして、高地に草がなくなる冬場は低い土地へ降りてきて生活しています。ですから、夏と冬とで生活している気圧が違うのです。
そうです、どうやら同じように夫婦で生活していても、気圧の低い環境では赤ちゃんができにくい、受精しにくいらしいのです。したがって、その遊牧の民たちは冬場、比較的低い土地(気圧が高い)で生活している期間に妊娠するために、産まれ月がその10ヵ月後に偏ってしまうのです。
こういった気圧が私たちの生理機能におよぼす影響のメカニズムは、まだ十分に解明されていません。
よく考えてみると、私たちの生命現象は気圧だけではなく、気温、湿度、日照量、電磁場、宇宙線、引力などさまざまな自然界の環境変化の影響を受けています。ただ幸いなことに、私たちが生きているわずかな期間では、それらの変化がごくわずかな範囲で安定しており、しかもあまりにも日常的なことなので、気付いていないだけなのです。
ですから、大潮の日に出産が多いとか、満月の夜は妊娠しやすいといった昔からの俗説もあながち無視することはできないように思います。
私たちの生理現象が自然界のさまざまな力の影響を受けるという事実は、自然を自分と切り離して考えると、不思議に思えてきます。しかし、自分たちも自然の一部であるという考えに立てば、ごく当たり前のことなのではないでしょうか。
私たち人間は約60兆の細胞からできていると言われています。その細胞は常に新陳代謝によって古い細胞が死んで新しい細胞と置き換わっています。つまり、細胞のレベルで考えれば、昨日のあなたと今日のあなたは同じ人ではないのです。
次から次へと生まれてくる細胞のもとは何でしょうか。それは、私たちが口から身体に取り込む自然界の水、動植物、鉱物と呼吸によって取り込む酸素です。つまり私たちの身体は食物という形になった他の生物の遺体からできていると言ってもいいのです。私たちの身体を作っている細胞そのものがすでに大自然の一部であり、歴史なのです。
私たちの身体が自然界の歴史を引き継いでいる一番よい証拠が血液です。私たちの血液の塩分濃度0.9%は、ちょうど脊椎動物が進化し始めた4億年位前の太古の海水の塩分濃度と同じなのです。つまり、私たちは今でも太古の海を自分の身体の中に残しているのです。
私たちの身体を物質のレベルで考えると、もっとすごいことになります。そもそもできたばかりの宇宙空間には原子としては水素しかありませんでした。その水素原子が集まって太陽のような光輝く星(恒星)が作られました。
恒星はその水素を核融合反応によってヘリウムへと変換しながら莫大なエネルギーを生みだして熱く燃えて輝いているのです。私たちの身体を作っている水素以外の原子、例えば炭素、酸素、窒素、カルシウム、鉄等々はいっさい存在しなかったのです。ではどうして今私たちを含めて地球という惑星の自然界にはこんなにいろいろな原子が満ち溢れているのでしょう。
これらの原子は少なくとも46億年よりも前に太陽のように光り輝いていた恒星が過去にせっせと核融合反応で作りだしたものなのです。そういった星が寿命を迎えて、臨終の間際に大爆発をして、宇宙空間に放出しなければヘリウムよりも重い原子は存在しなかったのです。
地球は地球誕生よりも過去に光輝いていた星たちの遺体を受け継いで、初めてこの宇宙空間に生まれることができたのです。つまり、私たちの身体を作っている種々の物質は過去には光り輝く星の中にあった原子からできているのです。
私たち一人一人の身体の中に140億年にもおよぶ宇宙の歴史が秘められています。あなたも私も「星の王子様」、「星のお姫様」と言えるのではないでしょうか。なんとロマンティックではないでしょうか。
人類は、自分達が宇宙の規模でみたって自然の一部であることをよく自覚して、自然と対決するのではなく、自然の一員らしい生き方を目指すほうが賢明かもしれませんね。
星屑のひとりごとです。
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