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クリニック西川

2007年8月

妄想(delusion)―あいまいさが健康の証し―

 紀元前3世紀からおよそ1800年間、宇宙の中心は地球であると信じられてきました。16世紀にコペルニクスが地動説を唱えてから、その説が多くの人の理解を得られるまでにはおよそ1世紀近くを必要としました。
アインシュタインの相対性理論だって、当初は問題にされませんでした。当たり前です。今だって、日常的な生活をしている私たちには、時間が早く進むとか、空間が曲がっている世界なんて、ちょっとやそっとでは想像できません。
コペルニクスの天動説もアインシュタインの相対性理論も発表当時は一般の人には「妄想」と考えられていました。
「妄想」とは精神障害の症状を示す医学用語で、一般的には「病的な状態から生じた誤った判断」と定義されていますが、正確に言いますと、次の3つの特徴が必要条件です。
1.内容があり得ないこと。2.根拠が薄弱なのに異常に強い確信をもっていること。3.経験、検証、説得によっても訂正が不可能であること。
しかし、一般の人には1つ目の「あり得ないこと」という点だけが理解されて、ほかの2つの必要条件が軽視されたままで使われているようです。このために、コペルニクスの地動説が妄想と言われたのです。もしも、地球が猛スピードで回転していたならば、私たちは何かにしがみついていなければ、地球から振り落とされてしまうはず。あり得ないことと考えらたからです。
それまで常識と考えられてきたことがらに疑問を投げかけて、その常識を打ち破るのが科学の進歩です。ひとが「あり得ないこと」と感じる発言をすべて妄想と言ってしまったら、科学者はみんな妄想癖の精神障害者ということになってしまいます。
私たち精神科医が妄想であるかどうか判断する有力な根拠は、あり得ない内容という点よりも、むしろ異常に強い確信と、訂正が不能だという、残りの2つの特徴なのです。
妄想を抱いている患者さんはどうやって説明しても、いろいろな手段で考え違いを指摘しても、まったく聞きいれません。この点で妄想は迷信に近い脳の状態です。
しかし、迷信が集団的思考の遺物であるのと違って、妄想は社会性や集団性をもっていません。まったく一個人にだけおこる信念で、しかも神とか超自然的なものについての信念ではなく、日常茶飯な問題についての訂正不能な信念なのです。
たとえば、「職場や隣近所の人たちが、みんなで自分の悪口を言っている」とか、「警察が自分を監視するために、盗聴器をしかけたり、覆面パトカーを巡回させている」といった思い込みの形で表現されます。
内容は絶対にありえないとは言えませんし、家族の心理としては、身内が精神病であるとは思いたくありません。ですから、家族は妄想という症状を、単なる強い思い込み。理をつくして説得すれば、きっと納得してくれるに違いないと考えることが少なくありません。
このために、患者さんと一緒になって職場や警察に出向いて、事実を探ろうとします。周囲の環境が変われば、本人も納得するだろうと考えて、大金をかけて引越しをしたり、盗聴器がないことを証明するために天井、壁、床をはがすこともあります。
しかし、妄想はたんなる思い違いとは次元のちがう脳の思考機能の障害です。何回、引越しをしたって、そのたびに新しいご近所さんが悪口を言い始めます。家中の天井、壁、床をはがしても盗聴器は消えません。妄想の確信の強さと訂正の困難さはまさに病的です。
ですから、内容が正しくないことを説得しようという努力は骨折り損のくたびれもうけになります。さらには、徒労に終るだけでなく、まちがいを指摘する者までもが、患者さんの妄想の対象になってしまうことも少なくありません。
つまり、それまで自分の味方だと思っていた家族や友人達も、「実は自分を陥れる陰謀の加担者だったのだ」という妄想に発展してしまうことがあるのです。
妄想に対してはなるべく早く薬物による治療を開始するべきです。最近は副作用の少ない優れた薬が開発されていますので、早期に治療をすれば妄想は治療可能です。
繰り返しになりますが、妄想の最大の特徴は内容が間違っていることではありません。健康な人たちだって、結果的にみれば間違っていたという主張をします。常に正しい判断をできる人なんてみたことがありません。
ただ、健康な精神の持ち主は、何かに対して強い信念をもったとしても、どこか、あいまいさが残っているのです。つまり、「自分は絶対にこう考える。しかし、もしかすると違っているかもしれないかな」というあいまいさです。
ですから、周囲からの説得や、新たな判断材料を与えられた時には、それまでの主張を訂正することが可能なのです。健康な状態とは常にファジーな部分が残っている状態です。
さて、選挙の大敗という結果を受けても、「大変きびしい結果とはなりましたが、私の推し進めている基本政策には国民のご理解を受けていると信じています」と主張し続けている総理大臣。
本音は、「国民の理解を得てはいないが、自分はこの方針を変える気はない」なんだけど、建前として言っているだけならば心配要りません。しかし、もし本心から国民が理解していると確信されていて、訂正不可能だとしたならば、この国の先行きは、相当不安なものとしか言いようがありません。

既視感(デジャ・ブ)と未視感(ジャメ・ブ)

既視感(デジャ・ブ〔déjá-vu〕)という精神医学用語は一般社会でも使われることがあります。初めて見る景気や情景を、以前に見たことがある、経験したことがあるかのように錯覚することで、記憶という機能の錯誤の特殊なものです。
精神の病気の症状としてみられることがありますが、とりたてて病的な状態になっていない健康な人も体験することのある現象です。
既視感とはまったく正反対に、見慣れているはず、日常的に体験しているはずのものごとをすべて、初めて見たり体験するかのように感じる現象を未視感(ジャメ・ブ〔jamais-vu〕)と言います。こちらは、案外一般的にはなっていないようですが、この現象も病的な症状の場合もあれば、正常人も体験することがあるようです。

広島、長崎への原爆投下を弔う、8月6日の広島平和記念日と9日の長崎平和記念日。そしてそれに引き続く8月15日の終戦記念日。8月に入って、こういった一連の記念日の前後になると、各メディアは太平洋戦争(第2次世界大戦)に関連した報道やドラマを特集や特別番組として報道、放送します。
戦後62年たって、実体験として戦争を記憶している方のほうが少なくなりました。私も戦後生まれです。5歳年上の兄は1945年2月の生まれですから、一応戦争中に生まれたわけですが、1歳にも満たない乳飲み子に、戦争の記憶があるわけがありません。
平和ボケした戦後生まれの私たちは、ともすると平和は空気のように当たり前にそこにあったもののように感じてしまいます。
現在も世界中で悲惨な殺戮が行われているにもかかわらず、戦争は他人事と、そ知らぬそ振りであったり、バーチャルなゲーム感覚でとらえたりして、戦争や平和というものが、自分自身と切り離せない重要な課題であることを忘れがちです。
しかし、もの心がついてから毎年8月になると繰り広げられる、先の戦争にまつわる平和キャンペーンのおかげで、1年のうちの少なくとも1週間あまりは、戦争と平和とについて考える機会を与えられてきました。
平和の尊さ、平和を守ることの難しさ、大衆がいかに簡単に戦争に突き進んでしまうか、戦争が想像しているよりもはるかに身近なものか等々について、思い返させてくれる貴重な8月です。
一連の報道や映画、ドラマの登場人物を自分や自分の恋人や知人と置き換えてみてください。実際に私たちの両親や祖父母の代の人々が体験した現実なんだということが伝わってくるはずです。
戦後生まれの私たちも、戦争前後の悲惨な状況を繰り返して、思い巡らせることによって、我がことのように感じるようになることが大切ではないでしょうか。つまり戦争体験のデジャ・ブが必要だと思うのです。
ただし、この際重要な条件は、歴史的な事実をできるかぎり公平な立場で伝えるということです。真の公平は理想であって、絵に描いた餅。現実には何らかのバイアスがかかることはいたしかたないとはしても、かたよった信条や政治的な思惑から、私たちに意図的に偏向した情報を与えてはいけません。

現在、9条を中心の課題として、憲法改正が現実的な問題として取り上げられてきています。「戦後レジームからの脱却」、「現憲法は占領軍によって押し付けられた憲法である」といったスローガンが叫ばれるようになりました。
確かに、現憲法は第96条において、この憲法自身の改正を認めています。憲法施行から60年を経過して、日本を取り巻く世界の状況は大きく変わってきていて、今の憲法の中には今の現実とはそぐわない部分も出てきていることは否めませんから、国民が真剣に憲法について考えることは大切だと思います。
しかし、私が危惧するのは国民がこの大問題を高い判断レベルで熟考する前に、郵政民営化の時のように、一種の集団催眠状態におちいって、いっきに右傾化させられて、再び戦争への道を歩き出すことです。

8月の戦争にまつわるキャンペーンでは広島、長崎でのアメリカ軍による原爆投下とそれによってそれによってなされた、一般人(直接戦闘にかかわっていなかった人々)の大量虐殺が中心になりがちです。
しかし、それならば、沖縄における民間人の悲劇や南京虐殺、陸軍731部隊による人体実験についても思い起こさなければなりません。戦争は一方的に被害者であったり、加害者であることはありえません。
南京虐殺に関しては政治的に虐殺された人数が問題にされていますが、そのような事実があったことは認めるべきでしょう。
731部隊に関しても、この問題をクローズアップさせるきっかけとなった森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』 に挿入された写真の一部が贋物であったことを盾にして、731部隊の行動そのものを否定しようとする動きもあります。
「悪魔の飽食」の細部にわたる記述や数字が正しいか否かについては問題があるとしても、731部隊の存在とその目的を否定できるものではないはずです。ドイツにおけるネオナチの台頭と併せて、大変怖い傾向です。
ことに、731部隊の人体実験に関しては、主役が人の命を救うべき医師であったことから、私たち医師はけっして目をそらしたり、忘れたりしてはいけないと思うのです。しかしながら、未だに日本の医学界はこの問題に対しての総括を行っていません。
その背景には、貴重な(?)細菌兵器や毒ガス兵器に関する人体実験から得られたデータを独占したかったアメリカ軍の思惑があったようです。
その結果、731部隊隊長であった石井四郎中将をはじめとして部隊の責任者たちは、実験データと引き換えに免責をうけて、極東軍事裁判にかけられることもなく、復活をとげました。
さすがに、石井は医学界に復帰することはできませんでしたが、米軍相手の売春宿を経営して67歳で天寿をまっとうしました。その他の幹部たちは医学界のさまざまな分野のトップとして復帰しました。多くの国公立大学の教授として君臨。学長にまで登りつめた人もいました。
そして、そういう頭のよい、偉い人たちが例外なく示した症状がジャメ・ブでした。このために、戦後医学界では731部隊の件についての総括はタブーとされてしまったのです。

石井四郎の右腕であり、戦後にアメリカ軍との免責取引の中心人物であった内藤良一は、731部隊で得たワクチンや血液に関する豊富な知識をもとに、731部隊の仲間とミドリ十字(現在、三菱ウェルファーマに吸収合併された)という会社を興しました。
血液製剤のトップメーカーでした。この会社の非加熱血液製剤によってひきおこされた薬害エイズの悲劇は記憶に新しいことだと思います。
60年以上前に満州の地で行われていたであろう、医師による残虐な行為がデジャ・ブとして重なってしまうのは私だけでしょうか。
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1『悪魔の飽食』1981.11、光文社、『悪魔の飽食 新版―日本細菌戦部隊の恐怖の実像!』角川書店1983.6。森村誠一が日本共産党員であった下里正樹の取材をもとに日本共産党の機関紙である赤旗の日曜版に連載し、後に単行本化された。太平洋戦争中に、石井四郎軍医中将を中心とした軍医達による細菌兵器研究を目的とした秘密部隊、陸軍731部隊が占領下の満州で、中国人、ロシア人、朝鮮人たちを対象に行った人体実験を告発した小説。取材源が日本共産党ということと、当時の写真というものの中に贋物があるということが判明して、プロパガンダ小説との批判を浴びて、光文社版は回収されて絶版となった。後に問題写真を削除した上で角川書店から新たに出版された。角川書店からの出版に際しては右翼からの攻撃を恐れて角川社長の身辺警護をした上での発刊となったほど、いわくつきの小説。

 

神経衰弱となった横綱

かつて日本人の魂のよりどころであった「武士道」の精神では、傷ついて、弱っている者を追いかけて討ち取ることは、恥ずかしいこととされてきました。
あだ討ちの場合にも、相手が病気にかかっている場合には、回復を待って、正々堂々と立ち向かうことが美しいと考えられてきました。
こういう精神的な風土があるためでしょうか、政治家をはじめ有名人が何らかの不正を糾弾されても、病気だという診断書が提出されると、疑惑の追及も一時休止して、回復を待つことになります。この時、医師の診断書は水戸黄門様の御印籠のような力を発揮するのです。
たしかに、病気で苦しんでいる状態の人を追い回したら、どんな病気だって悪くなるにきまってます。病人を追い回したあげくに、その人を生命の危険にさらすようなことがあれば、重大な人権侵害です。診断書は厳重に尊重されなければなりません。
ただ忘れていけないのは、武士道にのっとった行動が必要とされるには、自分だけではなく、相手方も武士道をわきまえた者同士であるということが大前提だということです。
また、診断書が尊重される前提条件は、医師は医学的に正確な内容の診断書を記しているはずだということです。言いかえれば、医師は医道にのっとった行動をしているはずだということです。この前提が崩れてしまえば、診断書にはもはや、なんの権威もなくなってしまいます。
横綱、朝青龍が「腰の疲労骨折と左肘の靭帯損傷で全治6週間」という診断書を提出して夏の巡業を休場。その直後に、祖国モンゴルでサッカーに参加して、グラウンドを走り回り、見事なヘッディングシュートをしている映像が報道されました。診断書の真偽が取り沙汰されることになりました。
この報道がきっかけになって、相撲界のみならず日本国中、大騒ぎ。事態は横綱本人の思惑通りにはすまないで、相撲史上初めてといえる、横綱に対する謹慎処分にまで発展してしまいました。
ここで、さらにこの問題をややこしくさせるために登場したのが恥ずかしいことに、またもや私たちの仲間である医師です。
主治医としてたびたびテレビに顔をみせるHi医師は「芸能人御用達医師」として、ある意味で、とても評判の高い有名医師ですから、彼がなにを言っても、それほどびっくりしません。
私が驚いたのは、その後登場した精神科医と称するHo医師の発言です。記者からの質問に「神経衰弱状態 とうつ状態です」、「あと2,3日でうつ病になるってことです」と、なんともまあ軽やかに答えているではありませんか。
神経衰弱状態という、古風であいまいな状態診断(病名ではなく、状態を表している診断名)とうつ状態という、これもまたあいまいな状態診断のダブルトッピングです。しかし、たった1回会っただけで、正確な診断をくだすことができないことはなんら不思議ではありません。
事の重大さを考えて、慎重な発言をせざるを得ないのだろうと思っていたら、引きつづいて、「あと2,3日でうつ病になる」という明確な予見。精神科医歴32年の私にはとても下せない診断を宣告したではありませんか。これにはびっくり。
なぜならば、「うつ病」と診断するためには、ふつう少なくとも2週間は症状が持続するということが条件になっているからです。あわてて、古い新聞を引っ張りだして読んでみました。
問題が発覚して、口をへの字にして日本に戻ってきたのが、7月30日。相撲協会で謹慎処分が決定したのが8月1日です。いつから、うつ状態になったかは定かではありませんが、少なくとも「うつ病」と診断するためには少なくともあと1週間は必要なように思いました。
精神科の学会や研究会ではあまり、見たことも聞いたこともない医師だったので、早速Ho医師のプロフィールを調べてみました。
彼は確かに精神科医でもあるのですが、ここ数年は美容外科(彼はなんとも不思議な精神外科という言葉を使っている)に進出し、日本各地のほか中国でも美容外科のクリニックを経営している実業家だということがわかって、私自身は納得。
しかし、診断書の社会的な重さを考えれば、私だけが納得していてもしょうがありません。ことに、今回の診断は、国技である相撲の将来にかかわるだけにとどまらず、日本とモンゴルとの外交問題にもなりかねない重要事項です。 業界のノリで、いい加減な診断書を提出されては困るのです。
幸なことに、間髪を入れずに、相撲協会の指定した精神科医によって、「急性ストレス性障害」という、妥当な診断が下されたので、精神科医としては一安心です。後は、この診断をふまえて、本人と関係者が今後の方針を決めればよいと思います。
相撲は現在の日本で武士道を形として残している数少ない世界です。立行司が短剣を挿しているのは、昔は行司が差し違えた(判定を誤った)時には、切腹したからです。さすがに現在は本当に切腹はしませんが、そのような心構えで土俵に上がっているのです。
その相撲界の頂点に位置するのが横綱です。本来、番付の最上位は大関です。大関の中で特に「心・技・体」すべてに優れたものに綱を張る免許を与えて、横綱と呼び、褒め称えられ模範とされたのです。
ですから、本来はいくら成績がよくても、横綱と呼ぶにふさわしい心をあわせもっていない力士には綱を与える必要はなく、普通の大関にとどめておくべきものなのです。
朝青龍のこれまでのいくつものエピソードや、土俵上での立ち居振る舞いを見ていると、「最強の大関」のままにしておくべきだったと思います。長い相撲の歴史を振り返れば、大関が最高位で横綱不在の時代は珍しくはありませんでした。そうしていれば、朝青龍も心を病むほどのプレッシャーは味あわなくてすんだのではないでしょうか。横綱不在だと集客できない。なにがなんでも横綱がいてほしいという、相撲協会の営業優先の姿勢が今の事態を生んだとも言えます。
20歳代の若者にそこまで要求するのは酷だという人もいます。しかし、相撲は国技とされています。普通のスポーツとは違うのです。相撲協会や日本政府は「横綱」の持つ意味をモンゴルの人達によく説明して、今の騒ぎが外国人差別とは違う次元の問題であることを理解してもらう必要があると思います。
「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」と言われ、現在でも史上最高の横綱と称されている双葉山は、70戦目にして敗れて、連勝記録が69でストップした時にも、「われいまだ木鶏(もっけい) たりえず」と述べただけで、表情も変えずにふだんどおりに東の花道を下がっていったそうです。
横綱とはそのように、泰然自若とした強い精神を要求される存在なのです。診断名はともかく、自分の招いた不祥事をきっかけに下された処分によって、精神不安定になるということが、すでに横綱である資格がない証拠を示しているように思われます。
今回の騒動が相撲道、武士道、医道というものを、また即物的な豊かさだけを追求して、魂が軽んじられている現在の日本の社会のあり方を、もう一度考え直すよい機会になることを望んでやみません。
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1神経衰弱状態とは疲労感やさまざまな不定愁訴を呈する状態で、ほかのはっきりとした診断がどうしてもつかない時に使われる状態診断で、現在はほとんど用いられていない。しばしば、重症の精神障害をごまかすために偽の病名として使われることがある。
2中国の荘子に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。荘子は、道に則した人物のたとえとして木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。

保続症(perseveration)

「頭の中の消しゴム」、「明日の記憶」など若年性アルツハイマー病を題材にした映画やテレビドラマを通して、認知症が高齢者だけの病気ではなく、働き盛りの壮年期の人にも起こりうる可能性があるということが理解されてきました。
認知症は世界中の研究者の努力によって、いろいろな事実が判明しつつありますが、根本的な解決に結びつく決定的な治療法はまだ見つかっていません。進行を遅らせる薬が1種類だけ使われているのが現状です。
不幸にして若年性アルツハイマー病にかかってしまった方は、残念ながら社会の第一線からは引退を余儀なくされてしまいます。
さて、今年の参議院選挙は「亥年のジンクス」 をくつがえして、多くの有権者が参加した選挙でした。
国民の生活に密着した年金の問題や、国家の根幹である憲法改正といった重要な課題が俎上にのぼっていたこともありましょうが、政治資金の不明瞭な使われ方が表面化して、国民が無関心でいられなくなったことも大きな理由だったと思います。結果は現政権与党の歴史的な大敗に終りました。
私は、普段から政治には関心が高いほうですが、ここ数年、以前にまして高い関心を持つようになりました。
その理由は、前政権の頃から医療・福祉がどんどんと切り捨てられて、障害者の方や、高齢者、病気のために働けずに生活保護を受けている方など、いわゆる「弱者」に対して過酷な政策が推し進められていくのを医療の現場で実感しているからです。
さすがに、言葉でははっきりと言わないものの、「弱いもの、働く能力が低くなったものは早く死になさい」という政策です。格差社会の助長であり、弱いものいじめです。
こういった理由で、国会中継は時間の許すかぎり観ました。また、新聞やテレビ報道を通じて政治家の発言を注意深く聴くことにしていました。そこで、気付いたことは、国家の行政をあずかる大臣達の答弁が、質問の本質とずれていることです。さらに、何を聞かれてもその的外れな答弁をひたすらくりかえすことです。
例えば、政治資金の使途が不明瞭なことを指摘されて就任2ヶ月で更迭されたA農林水産大臣の「法律にのっとり適正に処理している」。また、歴史的な大敗後の総理大臣の発言、「正すべきことは正し・・・・・」、「改革の責任を果たすことが私に課せられた使命と決意している」です。
まあこの二人に限らず、最近の政治家の国会答弁はみな似たりよったりです。質問の核心とはずれたことをオウムのように繰り返して時間切れを待っているようです。国会でも記者会見でも永遠にやっているわけにはいかないので、制限時間があるのは仕方ないのでしょうが、これでは本来の質疑応答の意味はまったくありません。
今までは、時間を消費してタイムアップに持ち込む作戦でやっているのだとばかり思って、はらわたを煮えくり返らせていましたが、もしかすると、そんな悪意でやっているのではなく、大臣たちは、みなさん病気にかかっているのじゃないかと考えるようになりました。
一度口にしたことばが、その後は質問の内容と関係なく繰りかえされる症状を保続症(perseveration)と言います。認知症によくみられる症状です。
認知症の患者さんに対して最初に、「お歳はいくつですか?」と尋ねて、それに対して「78歳です」と答えると、その後「お住まいは?」、「お子さんは何人ですか?」と違う質問をしても、「78歳」としか答えられないことがよくあります。これが保続症です。
前頭葉を中心とした脳の障害でおこるとされています。そして、保続症はことばだけではなく、行動にも表れますから、同じ失敗を際限なく繰り返します。脳の非可逆的な変化 に起因している症状ですから、今後も改善の見込みがありません。
そうではなく、相手の質問の意味がよく理解できないのだとすればこれまた、失語症か全般的な知的な機能の低下が考えられます。
現総理大臣も、お辞めになったA農水省も壮年期の政治家です。その原因が保続症であれ、失語症であれ、ああいう答弁が議員や記者の質問に対して真剣に答えた結果であるとすれば、若年性のアルツハイマー病を疑わざるを得ません。
そうではなく、わざと質問の核心に外れた答えをオウムのように繰り返して、粘り勝ちを意図しているとすれば、国民を愚弄しているとしか言えません。
いずれにせよ、私たち国民の生活や将来を任せるにたる資質が欠落しています。一刻も早くお辞めになっていただかなければならないでしょう。そして、病気の症状であるならば、療養に専念されることをお奨めします。完全な治癒は期待できませんが、進行を遅らせることはできます。
これからは閣僚の人選に当たって、金銭にまつわる不祥事がないかどうか、厳重な「身体検査」をするとのことですが、その身体検査の際にはぜひとも知能検査もあわせて行っていただきたいものです。
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1 亥の干支の年に行われる参議院選挙は投票率が非常に低いという戦後参議院議員選挙に関するこれまでの実績をふまえたジンクス。
2 非可逆的な変化とは、元通りに回復する可能性のない病態を言います。これに対して、元通りに回復する可能性のある病態は可逆的変化と言います。
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